虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

時期がくると がんばるようになるやんちゃくんたち

2016-01-27 13:17:00 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

多動が激しかった★くん。あまりにめまぐるしく動き回って、

一時も集中していないものですから、最初の頃は本人に何かさせるのは諦めて、

大人が工作やブロック制作や折り紙をしてみせて「見せるだけ」からスタートしました。

初めのうちは遊びも成り立たない状態だったのに、

いつの間にか上手に工作するようになってきました。

先日はレゴ選手権をテレビで見て、ムクムクと創作意欲が膨らんだそうで、

ブロックで大きな恐竜を作って喜んでいたそうです。

★くんは、病院での知能検査で空間認知の力の弱さが指摘されていました。

そこで、空間認知の力をつけるために、レッスンでは工作やブロック遊びを

大切にしてきました。すると、いつの間にか、箱をちゃっちゃと切って、

自分の思う形を作りだすほどの工作上手になって、空間認知の力とともに、

集中力がついてきました。

★くんが、あっという間に作った恐竜。自分でティッシュ箱をななめに切って組み合わせ、

ギザギザの歯も上手に切り抜いていました。

★くんは、あと半年ほどで、小学校に入学します。

これまではワークなどへの拒絶が強かったため、文字を書かせずにクイズ形式にして、

学習時間を持つことに慣れていきました。

今日、お母さんと小学校に入ってからのことを相談していると、★くんが横から、

「ぼく、全部聞こえちゃっているんですけど!」と、

どうせ、ぼくの悪口でも言ってるんでしょ、と言いたげな口調で不満をもらしました。

そこで、★くんに、「★くん、今、お母さんと★くんが小学校に入って

お友だちといっしょにしっかりがんばれたらいいな、

お友だちと仲良く遊んだり勉強したりできるように、

お母さんや先生にどんな★くんのお手伝いができるかなって話あっていたのよ。

★くんの大事な話だから、いっしょに聞いてね」と告げました。

少し前まで、気にいらないことがあると激しい癇癪を起していた★くんですが、

神妙な顔で聞いていて、

私が、「そろそろ、学校に行く準備のお勉強を始めようね。

えんぴつで書いてする勉強を、毎日、ちょっとずつ続けていこうね」と話すと、

納得したようにテーブルの前に座りました。

そして、最レベ1年生の国語のワークを、つっかえながらも読んで、

課題の最後まで、なんとかやりきって、満足そうなため息をついていました。

そして、これから毎日、就学準備のための文字や計算の練習をすることを

約束して帰りました。

どの子も、その子の発達のペースを持っていて、時期がくると

ちゃんとがんばるようになってくるものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

話は変わって、小学2年生の●くんは、外遊びと電子工作が大好きなやんちゃくんです。

小さな頃からエネルギーがありあまっていて、パワフル過ぎて、

周囲を振り回すところがありました。

頭の回転はいいのだけど、お母さんの言うことをなかなか聞かないもんですから、

勉強するしないに、大きなムラがありました。

ただ創作活動を通して、

好きなことをするときにはいくらでもエネルギーが湧いてくるほど、

自分がしっかり育っていて、やんちゃで反抗する力もしっかりあるので、

「夏の間、少し塾にやってみようと思うのですがどうでしょう?」と相談を

お受けしたときに、「●くんくらい我が強くて、エネルギッシュな子なら、

そのくらいの負荷がかかるのもちょうどいいんじゃないですか?」とお返事していました。

それで、この夏、近くの個人塾の夏期講習に入れてみたそうです。

すると高学年のお兄ちゃんたちにまじって親御さんも驚くほど、

バリバリ勉強しているそうです。

小さいころから、やんちゃでやんちゃで……というパワフルな子は、

こういういい面があるなぁと、頼もしく感じました。


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ つづき 2

2016-01-27 08:31:30 | 日々思うこと 雑感

「学校の持ち物の管理がいい加減である」という問題の主役は誰か、といえば、

Bくんです。

そして、管理を怠ったために困っている人物は誰かというと、Bくんです。

 失敗して叱られたり、「ない」ことで困ったり、

なくしたために学校に行くのが憂鬱になったり、

友だちに借りたため別の問題にぶつかったりして、実際、辟易しているのです。

Bくんは「何があってもどこ吹く風」という様子で、

どーんと大らかに現実を渡り歩くタイプの

子ではなく、ちょっとしたことで気を病みやすく、

小さい変化にビクビクする過敏な一面がある典型的な現代っ子。

 

でも、Bくんのお母さんの相談とBくんの姿から、

「物の管理の問題で悩んでいる」のは、Bくんのお母さんだけであることがわかります。

 

「問題解決に取り組んでいる」のもお母さんだけです。

 

ついでに言えば、「その問題を恥ずかしいと感じている」のも、

「どうしようかと考えている」のも、「起こった出来事を思い出し、

状況をシュミレーションしている」のも、お母さんです。

 

「寝る前に宿題をするまで、嫌なことはひとつもなくて、

楽しいことをしていて、その間ずっと楽しい気分だ」というBくんの弁から察するに、

肝心のBくんは、

「物の管理の問題」で、しじゅうお母さんから叱られたり、愚痴を言われたり、

悩みの種にされたりしていることすら、少しも悩んでいないのです。

 

正確には、言語化して悩んでいない、それに意識の焦点をあてていない、

といったことでしょうが。

 

とにかく、主役も、問題に遭遇したのも、現場で困ったのも子ども本人ではあるけれど、

あくまでそれは身体としてのその子で、問題にぶつかった時点からの感情と思考は、

お母さんにバトンタッチ。

心と頭はお母さんの担当……という子は、Bくんに限ったものではありません。

 

ワークショップ等に参加している幼児や小学生にしても、

ちょっとうまくいかないことがあると「ママー」「せんせー」と助けを呼ぶところまでは

いいとしても、こちらが援助の手を差しのべたとたん、

「うまくいくかな?」「どうしよう?」「ちゃんとできたらいいな」と

事の成り行きを心配そうに……あるいは真剣に見守るのではなく、

その時点ですっかり他人事になって、気もそぞろに新しい何かを探索しはじめる

……という子があまりに多いのです。

 

子ども間のトラブルにしても、当人同士が、嫌な気分を味わったり、

不満をぶつけあう時間もないままに、親なり園の先生なりが割って入って、

「~だよね。ごめんなさいって謝ろう」と

それぞれの子がどういう感情を抱いて、どういう行動を取ればいいのか

示唆してしまうので、そこでも、

主役も、問題に遭遇したのも、現場で困ったのも子ども本人ではあるけれど、

あくまでそれは身体としてのその子で、問題にぶつかった時点からの感情と思考は、

大人にバトンタッチ。

心と頭は大人の担当という流れができています。

とにかく忙しい現代。子どもの感情が興奮してから鎮まるまで待っていられないし、

子どもの考えが自己中心的なものから、より大きな視野で考えられるまで

紆余曲折して成長する時間を考慮していられないのです。

そもそも、問題に遭遇するまでしていた活動が、問題を乗り越えても

やりたいほど『したい』ことだったのか

あいまいでもあるのでしょう。子どもが自分のやりたいことを見つけるまで……

また、やってみたいという気持ちに火がつくまで、

ゆったりとした時間がある方がめずらしいでしょうから。

 

感情と思考を抜きにした体験から、動物のように、皮膚感覚だけで、

「あれは嫌」「あの子は嫌」「取られたら嫌」といった反射的な反応を

身につけるものの、

日々の体験が、自分なりの価値観を育むものになっていない、ということは、

多かれ少なかれ、どの子にも起こっているのです。

 

だとすると、Bくんのお母さんは、現在の子育ての落とし穴にはまって、

今の時代が抱える問題を悩んでいると言えるのかもしれません。

 

小学校高学年や中学生の子をお持ちの親御さんや小学校で教員をしておられる方から、

「現在、非常に困っている解決しにくい問題」というのをうかがうと、

ひとつひとつの内容は千差万別でも

問題の根っこの部分はとても似通っている印象を受けます。

 

解決しにくい理由を探っていくと、必ずといっていいほど、

「ネガティブな気持ちになる何かに遭遇した時点から、

感情と思考は、大人にバトンタッチ」という子どもの態度に行きつくのです。

 

大人にバトンタッチできない場面では、

気持ちをフリーズさせるか、ごまかすか、まぎらわせるか、なかったことにして忘れるか、

気分を手っ取り早く変化させるために誰かを傷つけたり、

マンガやゲームに頼ったりするかして、感情と思考のスイッチを切っているようです。

 

同じ根っこを持つ「現在、非常に困っている解決しにくい問題」と思われるものに

こんなものがあります。

 

先日、小学校で教員をしている方から、

小学4年生くらいまでテストで80点や90点を取っていたのに、

5年生になったとたん10点とか20点といったびっくりするような点数を

取る子らが増えていて、対応に追われているという話を耳にしました。

 

一方、高学年の子をお持ちの親御さんから、

「授業の確認テストや小テストはよくできているのに、

学期末等にある総合的なテストになると、ほとんど解けておらず、

さっぱりわかっていないようです」

「学校の宿題がわからないと騒ぐので、塾に行かせてみたら、塾の宿題もわからないを

連発するので、個別に切り替えたものの、プラスになっているのかどうか……これからが

心配です」という相談をいただくこともよくあります。

 

そこで、「どんなところにつまずいているのか」と問題を解かせてみると、

多くの子が、とてもよく似た「できない理由」でつまずいているのが見えてきました。

 

問われている内容が、わからないわけではないのです。

解くのに必要な知識はちゃんと記憶しています。

 

 でも、5年生になると、「理解はできる」「解き方は知っている」というものが、

ふたつみっつ合わさって問われるようになるのです。

 

つまり、Aという「できるし知っている」部分と

Bという「できるし知っている」部分と

Cという「できるし知っている」部分を、

自分で組み合わせて解いていかなくてはならないのです。

そういう問題は、最初にパッと見た目で正解がひらめいて解けることはなく、

解いている最中に、自分で解決できるレベルで、ちょっとの間、考え込まなくてはならない

ところがあります。

 

感情の面で、「できるかできないか不安」という数分をこらえなくてはならないし、

思考の面で、前にやったものをそのまま記憶からコピーするように解くのではなく、

「前にやったことがあるものを自分なりにアレンジしなおして、

自分の頭の中で練ってみる」という作業をしなくてはならないのです。

 

でも、4年生くらいまでの学習では満点近い点を取っていたという子の

ほとんどが、どちらも未経験で、

「難しそうだけど、考えればできそう」という部分にさしかかると、

心と頭のスイッチを切ってしまうので、

自分を励まして何とかやり抜こうという意欲も

考える努力も見られないまま、「できない」と放棄してしまうのです。

 

このAという「できるし知っている」部分と

Bという「できるし知っている」部分と

Cという「できるし知っている」部分を、

自分で組み合わせて解いていく力って、どんな時に身に着くのでしょう。

 

以前なら、子ども同士、大人がいない空間で遊ぶ時間に育まれていった

ものなのかもしれません。

小さいトラブルがある度に、大人が飛んできて、大人の流儀で解決するのではなく、

子どもたちの知恵の範囲で、あれこれ考えて

解決を図るでしょうから。

 

ただですら、子ども同士で群れて遊ぶ機会が減っている現在。

大人の関わりのあり方が問われているのかもしれません。

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親御さんらから聞いた「現在、非常に困っている解決しにくい問題」には、

こんなものもあります。

 

明るく素直で優しい性格で、誰からも好かれているAちゃん。

学校での先生からの評判は絶大で、懇談に行くと

褒め言葉のオンパレードだとか。

Aちゃんは、数年前から、Bちゃんという女の子と仲良くなったそうです。

Bちゃんは、Aちゃんのことが好きでたまらず、常にべったりとひっついて遊びたがるので、

AちゃんとBちゃんはどこへ行くのもいっしょです。

それはAちゃんにとって楽しいけれど窮屈な関係でもあるようです。

Bちゃんが興味がなければ自分がやりたいと思う遊びができないし、

他のお友だちと自由に仲良くすることもままならないですから。

 

ある時、我慢の限界を迎えたAちゃんが、しじゅう自分を束縛するBちゃんに対して

はっきりと「いや!」という気持ちを伝えました。

でも、いつでも誰にでも親切で優しい態度しかとったことがないAちゃんは、

嫌の気持ちを表現するのが不慣れな上、

あまりに長い間、言語化していない不満や理不尽な思いや怒りを蓄積していたために、

相手を強く拒絶するような態度になってしまったようです。

 

揉めている知らせを受けた先生が、Aちゃんの態度のどこがいけなかったのか説明し、

友だちと仲良くするように指導して

一件落着となりました。

先生に言うことをよく聞くAちゃんは、それからはBちゃんとぶつかることはなく、

以前にも増してAちゃんを意のままに束縛しようとするBちゃんに

従順に合わせて行動するようになったそうです。

その後、学校の先生から、

外見からは仲睦まじく遊ぶふたりについて、「ケンカをせずに上手に遊べていますよ。

よかったですね」という報告があったものの、

親御さんの心にはもやもやした不安が渦巻いているということでした。

 

ユースホステルでのレッスンに来ていたAちゃんは、

初めて会った子ともすぐに打ち解けて、楽しそうに遊んでいました。

寂しそうにしている子がいると率先して仲間に入れてあげながら

持ち前の想像力と創造性を使って上手に遊びを作りだしていました。

揉めている子らがいると、積極的に解決に乗り出し、

プチ先生になって、

「~しないとダメだよ。こうしなよ」と優しく諭していました。

ユースホステルには、「Aちゃんとふたりだけで仲良くしたい」と切望する子は

いませんから、

自由にのびのびと過ごしている姿しか目に入ってこないので

Aちゃんについて気になる点を見つけ出す方が難しいのですが……。

 

でも、Aちゃんの弟くんのわがままが目立つ時など、

天使のような優しさで対応するAちゃんの様子を目にすると、

本来ならあってよさそうな「ゴネ得する弟くんへの不満やら嫉妬心」や「怒り」や

「ちょっといじわるをしたくなる気持ち」が

全くないように見えるのも、ちょっと心配かな、と感じました。

 

自分の中にネガティブな気持ちが芽生えても、それに気づくのも難しいくらい

自分の心のネガティブな一面との関わりを絶っているようでしたから。

 

話は変わって、Sちゃんという別の小学生の女の子の話も考えさせられるものでした。

Sちゃんは明朗活発な頭のいい女の子です。

思考力を必要とするゲームや物作り、楽器の演奏、理科実験、スポーツ……と、

何でも喜んで取り組み、いつも楽しそうに笑い転げています。

 

ある時、Sちゃんのお母さんは、Sちゃんが同じクラスの女の子から

信じられないほどひどい意地悪をされている事実を

Sちゃんの友だちのお母さんから聞いて、驚愕しました。

それがお母さんにとって青天の霹靂とでも言うべき出来事だったのは、

家でのSちゃんは、落ち込むどころか明るすぎるほど明るく元気に振舞っていたからです。

Sちゃんは、お母さんを心配させまいとして、

気丈に辛いのを我慢していたのでしょうか?

どうも、そうではないようです。

「マンガが好き」というSちゃんに、「マンガのどんなところが好きなの?」と

たずねると、「嫌だな~って気持ちの時も、マンガを読むと気持ちが変わるから」

という返事が返ってきました。

「他人から嫌なことをされたり、嫌なことがあった時にどうしますか?」という

アンケートでは、

「先生や親に相談する」とか「友だちに相談する」といった選択肢ではなく、

「考えないようにする、忘れる」の欄に丸をつけていたそうです。

 

子どもたちと話していて、マンガにしてもテレビゲームにしてもDVDや

テレビの視聴にしても、惹かれる理由が、「面白い内容にワクワクするから」とか

「○○が、好きだから」ではなく、

Sちゃんのように、「気持ちが変わるから好き」という答えを聞くことが

増えていることを気にかけています。

また、嫌な目にあった時、四六時中いっしょに手をつないで行動しているほどの

お友だちにも自分の胸の内を打ち明けず、「感じないようにする」

「考えないようにする」「新しい刺激で気持ちを変える」

といった方法でまぎらわしている子がめずらしくない事実にも、胸を痛めています。 


あっという間工作  (からくりハウス)

2016-01-26 19:43:25 | 工作 ワークショップ

子どもって、合体ロボやからくりハウスが好きですよね。

「閉じたら小さくなって開くと大きくなる」というのは、

子どもにはたまらなく魅力的な変化のようです。

子どもにこうした「からくり」のある工作を教えるとき、

ティッシュの空き箱が便利です。

なぜって、縦と横の比率が、だいたい1対2なので、

気持ちのいい「カッチリはまった~!」という状態が作りやすいのです。

厚紙なのにはさみで簡単に切れるところもステキです♪

 

写真のように、一部がつながったままの状態で、残りをざっくり切ってしまうと、

小さくなったり大きくなったりするしかけが作れます。

屋根やカーブになっているフェンスを取りつけると、

小さくなったり大きくなったりするお家が作れますよ。

 


子どもの能力を引き出す幼児教育 ダメにする幼児教育

2016-01-26 18:45:02 | 教育論 読者の方からのQ&A

さまざまな幼児教育法が飛び交っていて、

「あれが良さそう」「これがお得」と選んでいるうちに、

弊害があるという噂を聞いたり、自分の子に合わなかったりして、

何が何だかわからなくなって、何もしないまま時が過ぎています……

そんな声をちらほら耳にします。

「子どもに何をさせようと親の自由」と語る学者もいて、

「幼児期は勉強なんかさせずにたっぷり遊ばせたらいいのよ」と

力説する先輩主婦もいて、

「何をしてもしなくても、結局、いっしょなんじゃない?いっそ自己流で適当に

育てちゃおう!」そんな気持ちに行きつく親御さんたちがいても

不思議ではありません。

 

確かに3歳までに英語を聞かさなかったとしても、

就学するまで計算やひらがなを教えなかったとしても、

0歳から先取り学習をしていたという子たちと

先々、能力の差はなくなるかもしれません。

けれども、水と光がなければ、ほとんどの植物か枯れてしまうように、

幼児にとって基本的で必要不可欠な学びが欠けてしまうと、それは発達不全となって、

その子の将来に後々まで悪い影響を及ぼすものもあるのです。

現在は、そうした子どもの成長に絶対必要なものが、他のどうでもいい情報にまぎれて

見えなくなったり、環境そのものが、子育てに不向きなものに変形していたりするので、

あえて当たり前のことに真剣に意識を向けていないと、大変なことになるかも

しれないのです。

そこで、私が考える「幼児の成長に必要不可欠なもの」と、

「弊害をもたらす危険だと思われるもの」を、

一度、言葉にして整理しておくことにしました。


<幼児に必ず必要だと思われるもの>

★自由な探索活動  (身体で空間を感じ取る体験も含みます)

★五感を使う体験 (感覚統合を育てる体験も含みます)

★愛着

★親と子の濃密なコミュニケーション

★遊び

★想像力と創造力を育む体験

★親愛を込めて、心のこもった言葉で話かけること

★人と交流 友だちとの遊び

★感情を認めること ネガティブな感情も表現させること 感情の処理方法を教えること

★リラックスできる場所と時間

★脳の発達の自然なパターンにそった活動に適切な支援を与えること



<幼児期に適度にあるといいもの>

★絵本の読み聞かせ

★自然との触れ合い

★積み木やブロックのような、能動的に関われるおもちゃ

★身体を使った運動

★日常生活でさまざまなものに出会うチャンス

★感覚的な入力を言葉とつなげるように支援する

★原因と結果を結びつけることができる子どもにわかりやすい体験

★新しいことへの挑戦を励ますこと

★お手伝い

★注意を向けて集中することをうながす課題

★歌う 音楽を聴く リズムに乗る

★絵を描いたり、物を作ったりする。

★身のまわりの不思議への関心をうながす



<幼児に害を与えると思われるもの>

★過剰期待

★親の不安にもとずく過保護(子どものすることを先にしてしまう。ミスさせない。

挑戦させない、けがやけんかを恐れすぎる)

★過干渉(つきまとって指示を与える。子どもが自分自身で心的なパターンを

形成することができない)

★放任や無視 親の精神的な不安や怒りを子どもに投影する

★忙しすぎるスケジュール

★体罰 言葉の虐待

★過度に窮屈な訓練

★未成熟で不適切な神経ネットワークを酷使させること

★子どもの年齢にちょうど適した体験を与えない

★受動的な体験が多すぎる

★刺激が多すぎる体験



子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ つづき

2016-01-26 08:24:01 | 連絡事項

日常の基本的なことを身につけるのに

一般的な子の何倍も何十倍もかかる子がいます。

何度も何度も口を酸っぱくして注意しても、

いっこうにきちんとするようにならない……という場合も、

「線」で対応するより、枠組みを作って「面」で対応した方がうまくいく時があります。

 

わたしが教室で、幼い子たちや発達に凹凸のある子たちに

新しいことを身につけさせるのに一番有効だと感じている方法は、

「何度失敗しても、初めて教えるかのように

気持ちよくお手本を見せてあげる」ことです。

 

「また?」という表情をしたり、心の中でうんざりしたり、

「何回教えたら覚えるのか」と心配したりせずに、毎回、同じように対応するのです。

すると、いつの間にか、ちゃんとできるようになっています。

 

でも、わが子に向かって、そうも気長に接するのは難しいし、

親子間の甘えもありますから、毎回、見本を見せているつもりが

「お母さんがしてくれるならやってもらおう」とか

「叱られないなら、やらなくていいや」という依存につながることもあります。

ですから、ある程度、限度や段階を設定して枠を作っておいて、

その上で、多少の停滞や後退を気にせずに、子どもを見守るのがいいのかもしれません。

 

例えば、宿題を終えた後、机の上に出しっぱなしで

宿題忘れが続いているから、宿題が終わったらランドセルに入れるよう

繰り返し注意をしているとします。

「線」で対応していると、

「何度か机に忘れている宿題を見て、厳しく叱ったものの、翌日も机に出しっぱなし。

注意するとしばらくは片付けているけれど、気づけば元の木阿弥。

カミナリを落としてもダメ、チクチク嫌味を言ってもダメ、

失敗するまで放っておいてもダメ、褒めておだててもダメ、

何百回も注意してきた気がするが、いっこうに直す気配がないから、

きっと後何百回も注意しても直らないにちがいない……。」

という具合に親の対策も思考も袋小路に迷い込みがちです。

 

そこで、先の記事同様、いったん「線」で考えるのをやめて、

ざっくりと枠を作ってみることにします。

 

基本的なことがなかなか身に着かないのには、

ADHDやADDのような脳の特性や、

おっとりした性質、あまり親の言うことを聞く気がない自己中心な性格、不器用、

完璧主義すぎて柔軟性がなく新しく教えることを受け入れない……など

さまざまな理由があることと思います。

 

枠のサイズを決めるために、理由と思われることや

新しいことを身につけるのに、一般的な子の何倍くらい時間がかかるか

などを参考にします。

 

「もし一般的な子に3回言えばすむことが、

その子には30回は言わなければならない」と思ったなら、覚悟を決めて、

「30回、正確にカウントし終えるまでは、

頭ごなしに叱ったり、愚痴を言い続けたり、子どもの態度に絶望したりするのは

なし」というルールを自分に課して、

30回は気楽な気持ちで、初めて教えるかのように教えて、

子どもを支援します。

途中で「このまま、永遠にこの子はできるようにならないのではないか」と心配になったら、

「そういう心配は、30回、教えた後でいい。」と自分に言い聞かせるようにします。

 

子どもはがんばってもできないことで叱られ続けると、

自分はダメな子だと自己肯定感を下げるだけで、

いっこうにやる気にならないものです。

でも、そうした一定の猶予期間があると、

何度か「また、やっちゃった」という経験をしながら、

次には少しだけ気をつけるようになっていくものです。

親が自分の問題のように心配し、感情的になって、将来まで悲観していると、

自分の欠点を見つめるのも怖くなって、

やらなくてはならないことから目を逸らして、

困った事態に陥っては叱られるというお決まりのパターンに甘んじるように

なっていきます。

でも、親が、一定期間、自分の不安な感情に飲み込まれないようにして

子どもに手を差し伸べていると、子どもはそれを乗り越えなくてはならない自分の

問題として捉えるようになるし、ゆっくりと義務感や責任感が芽生えていきます。

 

とはいえ、どんなにすばらしい手を講じても、親と子どもは別の人間ですから、

得意不得意も大いに違って、どうやっても親が満足するほどできるようにならない、

というものもあるはずです。

そんな時は、「子どもが将来、自分で付き合っていく短所であって、解決するなり、

そうした欠点を持ちつつ自分の長所を育みながら生活するなり、それはそれとして

子どもに預けよう。」という心の柔らかさも必要なのかもしれません。

 

うちの子の困った習慣がなかなか直らない時や受験期に机に座る気配がない時に

こうした方法で、あらかじめその子の性質や得意不得意から

どのくらいの時間をかけたらできるようになりそうか考えた上で、

「10回は教えるまでは、あれこれ思い悩まずにただ教えよう」と決めて接すると、

こんな発見がありました。

だいたい4回目あたりで、「もう何十回も注意しているのに、いっこうに直らない……」

という気分になってくるんですよ。

ネガティブな事柄に心はオーバーに反応するようです。

そこで、わたしがネガティブな気持ちに流されてしまうと、

子どもにしても、「どうせ自分は何度やってもダメなんだ」と

取り組むことを放棄してしまうのでしょうね。

でも、「10回までは、あれこれ考えない……と決めたんだから、もう少し辛抱しよう」

と思いなおすと、

今度は、6回目あたりで、たった10回の約束事が面倒になって忘れてしまいそうな

自分の姿にぶつかります。

他人にはちゃんとして欲しいと願うけれど、自分がちゃんとするのは難しいものですね。

 

前回書いたようなアイデアは、

「問題があるから悩み、悩むからさらに問題を悪化させてしまう」悪循環から

抜け出すのには役立ちます。

 

でも、『悩み』って、悩んでいた事柄がなくなれば解決するほど

簡単なものではないのかもしれません。

悩みの根っこにあるものをよく見極めたり、

背後に隠れている本当の意味を探ったりしないと、

ひとつの問題を解決しても、新しい悩みが次々と浮上してくることは

よくあるのです。

 

教室やユースホステル等で親御さんたちの相談に耳を傾けていると、

「これから初めての子育て」「まさしく子育てまっただ中」という方の悩みと、

「子育てに慣れてはきた」「子育てに少し余裕がある」という方の悩みは、

相談内容こそ同じでも、その根っこや背後にあるものは

ずいぶん異なるのかも……と感じます。

 

「これから……」とか「……まっただ中」という方にとって、子どもについての悩みは、

たいていが、他者との関係の中で生じるし、外からもたらされるもののようです。

 

でも、「……慣れてきた」「……余裕がある」という方にとって、悩みの多くは、

自分自身との関係の中にあるのかもしれません。

もやもやと悩み続けている事柄が、子どもの発達上の問題であるか、

子どもの言動や生活習慣であるか、子どもの友達関係や将来のことであるか、

といった違いに関係なく、

悩みの糸をたぐっていくと、行きつくところは、

「自分自身の未来のビジョンや自己実現とどう向き合うか」という思いに

ぶつかるようです。

自己実現とは、自己の素質や能力などを発展させ、

より完全な自己を実現してゆくことです。

 

若い頃、読んだ本で、「問題」とは、変化(成長)しないように自分を

とどめておく手段か、何か得るための計画だ、という言葉を目にしたことがあります。

「わたしたちは過去のお荷物や傷を背負って生きており、

それらはすべて問題という形に変装して、現在に現れ、癒されようとする。

現在起きている問題はすべて、過去の解決していない問題の複合物といえる。」

といった内容だったと思います。

 

この数年、子育て中の主婦同士で、子育ての悩みを共有しあう機会が

よくあるのですが、

日常は自分自身も触れない深い思いまで、時間の許す限り話しあうにつれ、

わたし自身の問題もですが、

それぞれの方が悩んでいたはずの「問題」が、

現在を癒し、より自分にとってしっくりくる未来を作っているんだな、と

実感することが多々あります。

 

 

先の記事で取り上げた

「何度注意しても、学校の持ち物の管理がいい加減な小学生の男の子」について

もう少し。

 

この男の子は、嫌なことは先延しするタイプで、日々の宿題も「後で、後で」と

なかなか手をつけないものの、さぼるわけではなく、成績は良い子です。

温和で明るい性格で、遊び友だちには不自由していません。

 

そう書くと、

「小学生の男の子なんて、几帳面な方がめずらしい。

持ち物の管理のいい加減さくらいで深刻に悩むなんて

親御さんの気にしすぎではないか?」と感じた方がいらっしゃるかもしれません。

確かに、文面上の相談コーナーなら、

「気にしすぎ、神経質すぎ、個性!個性!」

「お母さんはお子さんをもっと大らかに見守って!」と

軽い叱責に加えて、励ましのエールを送れば一件落着となるケースなのかもしれません。

 

でも、どうなのでしょう?

長期間、悩みが続いているからには、

言語化して相談できる内容が本当に困っていることである方がまれで、

その水面下には、もやもやと言葉にすることも気づくのも難しい

漠然とした『不安のもと』が横たわっているのではないでしょうか?

 

ユースホステルのレッスンで、この男の子とさまざまな活動をともにした時、

ところどころで、親御さんの『不安のもと』を垣間見た思いがしました。

また、ぼんやりながら『解決の糸口』をつかめた気もしました。

  

ユースホステル2日目の朝食後の学習タイムでの出来事。

Aくん、Bくん(この男の子)、Cくんの男の子3人が、

「勉強、いやだ~!」「勉強したくな~い!」「いやだ~!」とおふざけモードで

主張しながら部屋に入ってきました。

 

チェックアウト前で散らかしたくないこともあって、

「勉強、いやだ~!」の3トリオからヒントを得て、

会話主体の学習をすることにしました。

 ひとりひとり「好きなこと」や「嫌いなこと」や「いつもよくする遊び」

「家でどんなことをして過ごしているか」

「趣味は何か」「何でもいいから言いたいこと」などを

言い、それに対して当人とみんなで、

「どうして好き(嫌い)なのか」「どんなところが好き(嫌い)なのか」

「よくそれをする理由は何なのか」

「その魅力はどこにあると思うか」「最も嫌な部分はどこか」

「それはどんな価値を生み出すと思うか」といった意見を出し合うのです。

 

簡単に何をするのか説明した後で、Aくん、Bくん、Cくんの3人に、

「3人は、勉強が嫌いなの?」とたずねました。

「まぁ、嫌いっていうか、あぁ、嫌い嫌い。もう夏休みの宿題をやったのに、

勉強だから嫌なんだよ」とAくん。

「そうそう」とうなずくBくん、Cくん。

それぞれに話を聞くと、勉強そのものが嫌いなのではなくて、

何をどれくらいしたらいいかがあいまいで、遊んでいる時も、

後でしようと先送りした勉強が待っていると思うと憂鬱な気分になるようです。

 

そうした話し合いの最中に、「勉強したくない、勉強は嫌」チームで、

「勉強のどんなところが嫌なのか」という理由を説明するはずだったBくんが、

「だったら、ぼく勉強嫌じゃなーい」と言い出しました。

 

「Bくん、勉強が嫌じゃないんじゃなくって、説明するのが嫌なんじゃないの?

じゃあ、理由を説明するのが嫌だチームに入って、

説明するののどんなところが嫌なのか、説明してよ」と冗談交じりに問うと、

身体をくねくねさせて苦笑いをしていました。

 

Bくんは、その後、他の子らが「わたしたちは、お化け屋敷を作って遊ぶのが好き」

「どうして好きかというと、他の人がびっくりしたりして、つまらなかった気分が

面白い気持ちに変わるから」とか、「趣味は、読書」「よく読む本は冒険もの」

「スリルがあって、ドキドキするところが好き」

「冒険ものの本の魅力って何だと思う?」「次にどうなるのかなって思うと面白い。

ハリーポッターを読んだ時も、1回目は、どうなるんだろうってすごく面白かった。」

「じゃあ、2回目に読む時はどう?次にどうなるかなってドキドキする?」

「しなーい。でも、留守番とかしていて、暇な時に2回目読む」といった

意見を交わしている間、どの意見に賛成するでも反対するでもなく、

意見を求められることなく、「そうそうそう!」と同調すればいい場面でだけ

笑いながらうなずいていました。

 

Bくんが、理由を問われそうになると自分の意見を変えること、それも声高に大騒ぎして

主張していた意見と正反対の意見に流れる姿は、

これまでもたびたび目にしたことがありました。

 

また、ゲームで相手にズルをされるなど、

明らかに自分が不利な立場におかれていても、

騒ぎながらじゃれるように揉めることはあっても、

いざ、どんなことがあったのか、なぜ揉めているのか説明を求めると、

「あの子がこんなことしたんだよ」とか「ぼくは悪くない」と訴えることもなく、

いつも、「もう、いいや」「いい、いい、いい、負けでいい」とお茶を濁すのも

気になっていました。

 

ユースホステルでのレッスンでも、1日目の晩にこんなことがありました。

2段ベッドの取り合いでケンカしている子がいると聞いて、

男の子たちの部屋に向かうと、AくんとBくんが、下の段のベッドに寝転がって

押しあっていました。

揉めているというより、じゃれあって遊んでいるような雰囲気です。

とはいえ、Bくんにはかなり不満もあるようで、顔をゆがめて、

こちらに何とかしてもらいそうな目を向けていました。

 

バラバラに断片的に告げる説明をつなげると、こんな話が見えてきました。

最初、ふたりとも2段ベッドの上の段で寝たかった

ようです。

そこで、上の段で寝る権利を取り合って

『STRATEGO』というゲームで真剣勝負をしたのだとか。

勝利者はAくん。

 

ややこしいのは、勝負で上の段に寝る権利を得たAくんが上段に寝転がってみると、

そこはファンの向きの関係上、クーラーの効きが悪い場所だったので、

「やっぱり、ぼくは下の段がいい」と言い出したのだとか。

すると、それまでは「上の段で寝たい」と言っていたBくんも、

「ぼくも下の段がいいし、ぼくのところだ」と主張したそう。

その挙句、Aくん、Bくんのふたりが下の段のベッドでおしくらまんじゅうを

していたというわけです。

 

状況をはっきりさせてから、どうすればいいと思うか、

当人らや部屋の他のメンバーに意見を求めると、

「はいはい、わかりました。ぼくが諦めますよ」と言いながら、

Aくんが上段のベッドへ去りました。

 

AくんとBくんは仲良しで、Aくんは気の荒い子ではありません。

本来ならBくんはもっと事の理不尽さを訴えてもいい立場のはず……。

でも、こうしたやり取りの間、Bくんは、

「えぇー、えぇー、いやだなぁー」と言いながら、ベッドを占領する以外、

周囲に説明してもらうまで、自分の不利さや不満を口にしませんでした。

 

Bくんは算数の文章題や国語の読解問題が苦手ではなく、

言葉を理解したり、言葉で考えたりするのは得意なタイプ。

また、茶目っ気のある快活な性質で、引っ込み思案や対人恐怖のために

自分が出せないわけでもありません。

それなのに、どうも腑に落ちないBくんの言動は、

Bくんだけに限らず、最近の子に非常によく見られる姿なので、

心に引っかかりました。

 

先に書いた朝の学習タイムで、こんな一コマがありました。

Bくんは、「いつも家で何をして過ごしているのか」の質問に、

「楽しいこと」と答え、その後の話しあいの中で、寝る前に宿題をするまで、

嫌なことはひとつもなくて、楽しいことをしていて、その間ずっと楽しい気分だ、

と説明しました。

 

Bくんのお母さんから、Bくんが毎日のルーティーンワークである

「玄関先の決まった場所に、学校に必要なものをかけておく」というルールを

守らないこと等で、何年越しに悩み、イライラし、手を変え品を変えしてしつけを試み、

のれんに腕押し状態が続いてがっくりしてきたか、

それによってどれほど先々の不安まで覚えているか、を耳にしていたわたしは、

Bくんにちょっといじわるな質問をしました。

 

「Bくん、Bくんは、学校から家に帰ったら、自分の好きな楽しいことをやって、

どんどんどんどん全部、楽しいことだけ続けていって、ずっと楽しい気分で、

最後に宿題をやる時だけ嫌な気持ちって言ってたわよね。」

「うん、そう」

「それがね、Bくんのお母さんからは、Bくんがそうやって、

全部楽しくってしょうがないって時間にBくんが、帽子をちょっとかけておくとか、

体操服を出しておくとか、ちょっと面倒で嫌だなって思うことをやらないから、

イライラしたり、がっくりしたり、悩んだりしているって聞いているのよ。

 

ということは、Bくんが、その時間、その時間、100パーセント楽しいことだけ

しようと思わないで、ちょっとは楽しくないことも、やるべきことはしなくちゃなって

思わないから、そうなっているんじゃないの?

第一、Bくんは、自分がすごく楽しくってしょうがなくて、

もっと楽しいことをしようって思っている時に、

横でお母さんがイライラしていても、楽しい気持ちのままなの?それはOK?」

そうした問いは尋問するようにかけているわけではなく、

面白い雑談をする雰囲気でしているのですが、

Bくんは、責め立てられでもしているように困惑しきっていました。

その一方で、話の内容を自分のこととして受け止めて、

考えている様子はありませんでした。

この質問はBくんに間違いを悟らせて、態度を改めさせるためにしたのではありません。

言い訳でも、愚痴でも、「そうだな」と納得するだけでも、

「どうして先生にそんなこと言われるの?」と反抗するのでもいいから、

Bくんの考えを聞きたかったからです。 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 

2016-01-25 16:36:13 | 連絡事項

子育ての迷いや悩みが答えを出せないまま堂々巡りし続けているとき、

ちょっとした枠組みを作ってみることで、解決しやすくなることがあります。

 

悩んでいるときというのは、

心が気にかけている「そのこと」に一点集中していますから、

一つの明快な答えを求めて真っすぐ真っすぐ、悩みを追いかけているものです。

でも、子育ての悩みって、機械ではない人間相手の困りごとですから、

「線」で対応するより、最初からズレやブレを想定した枠で囲った「面」で

対応したほうがうまくいきやすいのです。

 

たとえば、子どもが何をするのも、「ママ、やって!」と頼り気味で、

ぐずぐずだらだらして覇気がないことを悩んでいるとします。

「線」悩んでいると、注意してもダメ、叱ると泣いて余計にぐずぐずする、

褒めておだてても依存するばかり……もっと構ってあげればいいのか、

もっと厳しくすればいいのか、これまでの対応がまずかったのか、

迷いと悩みは深まるにつれて、親ががんばればがんばるほど、子どものダメなところが

目についてくる……ということが起こりがちです。

 

そこで、いったん「線」で考えるのをやめて、

ざっくりと枠を作ってみることにします。

 

 枠のサイズを決めるのに、数ヶ月前までの過去を振り返って参考にします。

すると、「弟や妹ができた」とか「家族が入院した」とか「引っ越しした」

「保育園に行き始めた」「クラス替えがあって担任が変わった」

「父母が言い争うことが多かった」など、

子どもにとったら衝撃的で不安でたまらなくなるような出来事が

思い当たることがあります。

 

小学生でしたら、「クラスの仲良しグループに入れてもらえない」

「勉強がさっぱりわからなくなってきた」

「厳しい担任になって、他の子が怒鳴られている時もビクビクしている」といった、

親には見えにくい学校内での変化に伴う戸惑いもあるはずです。

 

子どもにしたら手に余るような事態だったはずなのに、

どうしていたかな……と思いを巡らすと、

「ちょっとおとなしいな」「下の子をかわいがっているな」

「ボーッとしていることが多いな」くらいで過ごしていたことに、

気づくかもしれません。

 

そんな場合、遅ればせながら、

「これからしばらくは覇気のないだらだらぐずぐずする時期」が続いて、

 「出来事を受け入れる元気が出てくるころから

泣いたりわがままを言ったり、赤ちゃん返りをしたりして、周囲を困らせる時期」が

くるだろう。

 「子どもの精神的な成長に関わる」のはそれからでいい……

 と、時間軸をざっくり区切っておくと、成長を支えやすいです。

 

というのも、そんなふうに生活が変化したり、普段通りでない出来事に遭遇したあとは、

大人も知らず知らず不安を抱えがちなので、子どものダメな部分が目につきやすい

ものなのです。

そのせいで、近視眼的になったり、感情的になったりりして、

子どもの不安をあおって、困った行動を誘発したら、元も子もありませんよね。

 

「ちょっと気になる」程度の成長の遅れを

子どもの将来を悲観するほどオーバーに悩むこともあります。

他の子のようにできないことがあると、それがちょっとしたことでも、

子どもは子どもでジレンマを抱えたり、不安を覚えたりしているものです。

つまり、心にかかった負荷を消化するそれなりの時間が必要なのです。

そうでないと、がんばる気持ちにスイッチが入らないですから。

子どもは感情を持たない機械と違って、

いくら大人の気持ちが急いていて、今すぐにでも、子どもの遅れを埋める

あれやこれやの対策を打ちたいとあせってみても、

必要なものを飛ばせば、結果的には、ゆっくり対応した場合の何倍も時間がかかることに

なるかもしれません。

 

子どもがさまざまな現実を受け入れて乗り越えていくチャンスと時間を奪ってしまうと、

子どもとの関係がどんどんこじれてきて、

解決しようのないような問題に発展することもあります。

 

枠組みを作るということは、気になる問題を放置したり、

問題があるのに「ない」ものとして否認することではありません。

子どもは人間で、親も人間であることを前提にして、

子どもの側が自分の感情を封じたり無視したりしないように、

大人の側が自分の不安や恐れに基づいて、子どもに関わることがないように、

そのせいで問題をこじらせて悪循環に陥らないように、

ストッパーとして働くような枠を作っておくという生活の知恵のようなものです。

 

子どもの心が自ら成長しようとする自然なプロセスを大事にすると、

問題を安全にスムーズに解決していくことができますよ。

 

 

ユースホステルのレッスンで、

何度注意しても、学校の持ち物の管理がいい加減な小学生の男の子の

ことで悩んでいる方から相談を受けました。

 

「必要なものをかけておくだけでいいように環境を整え、

畳みかけるように言い聞かせ、

本人自身、管理がいい加減だったため何度も痛い目にあっているというのに

直す気配がない。

反省の色もうかがえない。

どうしたものか。

放っておいたら自然にできるようになるようなら、見守りたいものだけど、

そう甘くはいかないのは承知している。

子どもの良い面は十分理解しているし、認めてもいる。

こんなふうに子どもの問題ばかり気にかけているのはどうかと思うし、

自分で自分のしていることにうんざりしてしまうけど、注意せざるえないし、

気にせずにはいられない」というお話でした。

 

ADHD,ADD気味のうちの家族の姿を思うと、大いに耳が痛い内容。

 

「注意欠如の特性は、本当にあなどれないから

意志の力と努力で簡単に克服できるわけでないし……」と思いつつ、

こんな話をしました。(いくつかの会話をまとめています)

 

「わたしも今だに物忘れやミスがひどいですから、

そんな親に育てられているうちの子たちは遺伝もあるから、

Aくん(相談者の息子くん)と同じように生活のごく基本的なことが呆れるほど

何度言ってもできるようにならない……というところがありました。

 今も一般的な基準からすると、ダメな面がずいぶん多いはずですけど、

欠点を持ちつつ、仕事先で大事な役を任されたり、友だちと創造的な活動をする

よい関係を作りあげたりして、それなりに何とかやっています。

 

二人とも自分の欠点への向き合い方とか失敗の受け止め方とか

自分に合う場を見つけるのが上手いな、と思います。

自分に合う場がなければ自分で作ってしまおう……というところすらあります。

 

わたしが娘や息子の年齢だった頃と比べると、わたしの場合、失敗すると

自分はダメだ……ダメだ……と自虐モードに入って、起こった事実を正確に把握する

勇気が持てないために、何度も同じ失敗を繰り返すことがあったけれど、

うちの子たちは、失敗が続いたからといって自分たちを欠陥商品だと思わないし、

素直に自分の失敗を見つめて、それを言葉にしながら

悩んだり反省したりすることができる点が頼もしいなと思います。

それができるからこそ次の対策を練ったり、解決を図ったりすることに

つながっているのもわかります。

 

ですから、何でもきちんとこなせるテキパキとした子に育て上げる方法は

何も言えませんが、反省していないように見える状態から、

現実に起こることを自分の問題として責任を持って引きうけていけるように

後押しする方法ならいくつかアドバイスできるかもしれません。

 

続きは明日アップしますね。


なつかしい記事 と 子どもからもらったうれしい言葉

2016-01-24 19:52:35 | 日々思うこと 雑感

結晶作りをした時、小2だったAちゃん。もうすぐ小学6年生です。

お正月明けに教室に来た時、それはていねいに、

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。」と

あいさつをした後で、              

「あぁ、もうすぐ虹色教室、卒業する年(普通は小4になる時には卒業ということに

しているのですが、Aちゃんは近所の子なので6年生までとお約束しています)に

なっちゃう。さみしいなぁ。わたし、中学になっても、ここに通いたいんですよ。

ここが大好きだから」と熱い口調で語ってくれました。

そして、こんな報告もしてくれました。

「先生、わたし、将来、塾の先生になろうと思っているんです。」

「Aちゃん、パティシエになる夢はもういいの?パン屋になるのと、

学校の先生になるのは……?(後、マンガ家になる夢もありましたっけ)

まぁ、Aちゃんなら、何をしても、立派にやり遂げることができるはずよ。

Aちゃんは勉強が好きだし、勉強を教えるのも大好きだから、きっとすばらしい

塾の先生になるわ」と答えると、 

Aちゃんはちょっと真顔になって、

「先生のお子さんたちの子ども、先生のお孫さんたちの勉強を見させていただきますよ。

よろしくお願いします」とぺこりと頭をさげていました。

そんな先のことまで考えていたとは……「ぜひ、お願いね」と頼んでおきました。

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3年前のAちゃん↓

 

結晶を作る材料をいただいたので

小2のAちゃんと『尿素の結晶』を作りました。

シャンデリア状の結晶用のキットを組み立てて、

ひとつひとつのカップに水性のマジックで色を入れながら、

Aちゃんが、突然、熱意を込めた口調でこんなことを言いました。

 

「先生~。わたしねぇ、ここの教室にいると、もうずうっとずうっと

ここにいたくなる。

勉強とかもあるけど面白いし、そんなに嫌じゃないもん。それより、こんなふうに

いろいろなものを作ったり、実験したりするのが、すごくすごく楽しいから。

ずっとそういうことをしていたいって思うから!」

 

それから、小さな結晶がカップの縁にできかかっているのを見つけて、

ひとりで歓声を上げていました。

 

 

 

 


『星の王子様』と創作活動

2016-01-24 08:51:57 | 工作 ワークショップ
 
 
 

サンテグジュペリの『星の王子様』は、
「子ども時代、何度か読んだことがあるけれど、
当時はよく意味がわかっていなかったな~、
今だと心の深い部分でしっくりするな~」と感じる童話のひとつです。

サハラ砂漠の不時着した主人公が
星の王子様に「羊の絵を描いて」とたのまれて、
しまいに投げやりになって、簡単な箱を描いて、
「君の欲しがっている羊はこの中にいる」と告げると王子様が顔を輝かせて

「これはまさに私が欲しかったものだ!!」と大喜びし、
「中に羊の餌も一緒に入っていますか?」とたずねるシーンが、
あります。

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「ただの箱」の中に想像するものをありありと見て、
心を躍らせるのって、子どもだからこそできる
すごい才能だな~っと思います。


虹色教室通信 別館  つくるんクラブ
で、ティッシュ箱に折り紙2枚貼って、少し切り込みを入れただけ……
という「へんてこりんなゴミ収集車の工作」を紹介したところ、
次のようなコメントをいただきました。
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先日このごみ収集車を一緒に作ったところ、めちゃめちゃ喜ばれました~!ありがとうございます!
初めは、かなりいい加減な仕上がり具合になってしまい「こ…これを大好きなごみ収集車(息子はごみ収集車大好きなんです)だと言って納得するんだろうか」と心配しましたが、とんでもない!すごく喜んで遊びました♪そして今日またこのごみ収集車を出してきて「[息子]のごみ収集車…カッコイイ☆」とうっとりしたカンジで言ったんです~!つくづく簡単工作ってすごいな~と思いました。それにこの作品の魅力がイマイチ把握できてなかった自分…まだまだだなぁと思いました(笑)
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そうなんですよ!
子どもって……

想像力で補う部分が多いほど目を輝かせるんです。

子どもって、どの子も星の王子様そっくり!

おりがみをくるくる丸めて、「まきずし」「望遠鏡」なんて作品でも
とっても満足して、大事そうに持って帰りますから。

そういえば、今朝、
うちの子たちと携帯のゲームについて話していたとき、
息子がこんなことを言ってました。
「ゲームで自分の技を磨いて、攻略していくことに
喜びを見出すのじゃなくて、
誰かに自分の代わりに点数を稼いでもらって、
とにかく得点だけ競いたいって子が増えているんだね。
(私のは話を聞いて言ってます)

最近さ、もうどの子も受け身な遊びには飽き飽きしてきては、
いるんだよね。
ゲームするのも、テレビ見るのもめんどくさい~て声も
よく聞くから。

遊びって、結局
自分で主体的に創造的に関わらないと
本気で楽しいって思えないものだよ。
でもさ、最近は、自分で何かしよって思うと、
外遊びでもハードルが高くなってるよね。
あれやってみよ、これやってみよって
気楽に何かできない雰囲気があるじゃない……」

そうか……ハードルが高いのか……と考えていて、
あっという間工作に子どもが目を輝かせる理由が
ちょっとわかった気がしました。
「またやりたい」「お友だちにできること見せてあげたい」
「自分で遊びを提案したい」と子どもが思ったとき、
ハードルが低いのですよ。簡単な工作は……!!
 
簡単実験もです。
たくさんこうした体験を積むと、
自分自身で、自分の時間を豊かにしたり、
自分の欲求を満たしたり
自分で自分を喜ばせることが上手になってきます。

それで、いつもいきいきとして意欲的で
情緒が落ち着いた子になってくるのです。


☆工作をさせるときのポイント (3、4歳児3人レッスン)

☆ミニティッシュの箱で作る工作♪ と算数学習

☆ブロック教室で学んでいる 5つの機械を作る基本的なしくみ です。
 
    
 
     
 
      
 
 
 
 
ペダル式のゴミ箱の仕組みに興味を抱いて以来、
いつもお家で気づいたことを「大発見大発見!!」と
意気込んで知らせてくれる3歳の★くん。
今回のレッスンで、
★くんが目を丸くして必死で説明してくれた大発見は、
「あのねぇ、ティッシュをねぇ、引っ張るとね~出てくるの。
もっともっとって。ティッシュを引っ張ると、ティッシュがぁ出てくるの」
という話でした。

「本当???それはすごいね~!!ティッシュ引っ張ったら、
もっとティッシュが出てくるんだ。へぇ~」と
いっしょに感動を味わってから、
いっしょにテュッシュが次々出てくるしかけを作ってみました。

ティッシュの量が少なくなっている本物のティッシュ箱を
使ってもできますよ。

ティッシュを取り出して、
半分に折るとき次のティッシュをかませて折り、
それを折るとき折るとき、次のティッシュをかませて折る……

と、交互にティッシュ引っかけた状態で折っていきます。
それを箱に入れたらできあがり。
(下から紙製のバネで押し上げる仕組みを作ると取り出しやすいです)

これがティッシュが次々出てくる仕組みです。
この説明ではわからない……という方は、ティッシュ箱から
ある程度の束でティッシュを取り出して、どのようにして出てくるのか
観察してみてください。

おもしろかったのが、3歳の子たちがレッスンに来たとき、
「あのねぇ、ティッシュを引っ張るとねどうなるかわかる?」
とたずねて「わからない」と言うので、
「ティッシュを引っ張ると、次のティッシュが出てきて、
それをまた引っ張ると次のティッシュが出てくるんだって!
かいくんが見つけたんだって!」とオーバーに言うと、
目をまん丸くして「ほんと?」「ほんと?」とびっくりするのです。

その後、本物のティッシュを引っ張って見せると、
「ふぅわぁぁ~!!」とため息をついて一同びっくりしていました。
(見たことあると思うのだけど、よく観察していなかったんですね。
それにしてもこんなに驚くとは……!)

工作というと、
「学校でする図画工作の成績をアップさせるためにするもの」
「工作教室や工作イベントでするもの」と捉えていらっしゃる方も
たくさんいます。
幼稚園選びも工作が十分できるかをチェックする方は
それほどいないようです。
子育て中の方の意識の中で工作の価値はかなり低いのかもしれません。

そんな「ついで」感覚で扱われている工作ですが、
現実に幼児の工作に付き合ってみると、
(工作教室に連れて行くだけではあまり効果はないでしょうね。
それならテレビのワクワクさんを見せる方が効果的かもしれません)
工作が「難しい概念」を、「幼児が簡単に考えられるもの」に
変えてしまう、まるで魔法のような力を持っていることに
気づくはずです。

子どもというのは、
子ども特有の物の見方をしていて、長い短い、太い細い、深い浅い、
厚い薄いなどを正確に捉えているわけではありません。
お人形用のお風呂に自分も入れると思って
足を突っ込もうとする1歳代の子の姿を見てもわかりますよね。
ですから、最初のうちは、子どもが工作をしている間中、
あれれ?と思うようなことがたくさんあるんです。

大きな箱一面に紙を貼りたいと言ってた子が、
1センチくらいのちんまりした紙を切って貼ってから
「小さい……」と言う……
貼りたい絵柄の面にノリを貼っては、
「絵がなくなった」と不思議がるなど。
でもそれを繰り返した幼児は小学生レベルの立体図形のイメージなんて
全て頭に入っているように
きちん空間についての理解が進んでいます。

また、子どもにとっては電化製品も生活用品も
おもちゃと同じように捉えていて、
その機能についてきちんと把握していないことはよくあります。

たとえば、懐中電灯には「電池」を入れるけれど、
「コード」がついていないといった事実は、
子どもがとてもびっくりするネタで、
工作をするとき、一番「力」が入る部分になったりするのです。

子どものこうした姿を見ていると、
工作とは、子どもが世界を知るため、理解するための手段であって、
工作することで、
観察する姿や考える力が変化してくることがわかるはずです。

それでも子どもが「映るテレビが作りたい」と言ってきたら
どうしてあげたら良いかわからないという方もいますよね。

まず、子どもといっしょにテレビを観察します。
電源を入れると明るくなって、消すと消えますね。
「何に似ているかな?」と子どもにたずねると、
「懐中電灯」と答えるかもしれませんね。

それなら、子どもの描いた絵。リモコンの絵。
懐中電灯を用意して、リモコンを押すと同時に
子どもの描いた絵の背後から懐中電灯を照らせば「
テレビのスイッチオン!」。
懐中電灯を消せば「消えた!」といったものができますよね。

それ以外にも、子どもと観察してみて、絵が動くから長い絵を描いて、
輪にして箱の中で動かすというアイデアを思いつくかもしれません。

また鏡にテレビの枠を貼り付け、
マイクを持ってその枠の中に自分が写るようにするのでも
よいかもしれませんよね。

良いアイデアが浮かばないときは、
「何かいいアイデアないかな?」と家の中を探索するだけでも、
子どもはとても喜びますよ。
 

シャボン玉の実験中、新発見!?

2016-01-23 17:33:27 | 理科 科学クラブ

しゃぼん玉の実験中、偶然、「あれっ?」とびっくりするものができました。

 

新発見!?

 

名づけて、シャボン玉ホール。

ポイの代わりに針金やモールを使って、輪っかを作ることもできます。

 

<作り方>

割れにくいシャボン玉液(台所洗剤と水を混ぜたものに、洗濯のりを混ぜて作ります)

で、金魚すくい用のポイのわっかにシャボン玉の膜を作ります。

シャボン玉液を入れた容器の上で実験します。

 

シャボン玉の膜にシャボン玉を乗せていきます。

これだけでも、「どうなるのか?」好奇心がそそられる実験です。

すると、写真のように、虫めがねの凸レンズのような

シャボン玉ができます。

 

さらに、そのシャボン玉を膨らませたり、新たなシャボン玉を乗せたりしていると、

シャボン玉液の水面とポイにできたシャボン玉が一体化します。

次に、そっとポイの上の面のシャボン玉の膜を割ります。

 

すると、シャボン玉の落とし穴のような(コップと表現した方がいいかも)が

できます。すごく不思議で面白いです。

子どもたちは大興奮。

 

ポイに作ったシャボン玉膜にストローをスポイドのように使って

ポタポタとシャボン玉液を垂らすと、

膜の表面をシャボン玉の水玉が滑っていくので面白いです。

また、ポイのシャボン玉の膜に水を多めに落とすと、

シャボン玉の膜を水が通るにに、シャボン玉の膜が割れないので不思議です。

 

ストローにたこ糸を通して作った正四面体。

『数学は楽しい part2』(日経サイエンス社)の本の

『シャボン玉の幾何学』という特集に載っていた

形をストローとたこ糸を通して作りました。

 

シャボン玉やシャボン膜の形を体系的に研究し、その形を支配する簡単な法則を

記録にとどめた最初の人は(100年以上前)、

ベルギーの物理学者プラトーなのだそうです。

それを記念に、シャボン膜状およびシャボン玉状の面の幾何学を議論する

数学全体をプラトー問題と読んでいるのだとか。

 

シャボン玉の3つの原理

①膜は互いになめらかにつながった平面と曲面。

 

②それらの面のつながりは2通りしかない。

3つの面が1本の曲線で出あうか、6つの面が1つの頂点で出あうか。

 

③面と面が出会って曲線を作るとき、

または線または面が1点で出あうとき、それらは等しい角度で交わる。

とくに、3つの面が1つの点で出あうなら、面の間の角は

どれも120度であり、4本の曲線が1点で出あう角は109度である。

 

シャボン玉の膜が120度を作る姿は神秘的。

 

はりきって正四面体を作る年長さんたち。

 

失敗。

 

また、失敗。

1年生の女の子グループも正4面体、正6面体作りにチャレンジ。

 

ストローにひもを通す時は、楊枝にひもをテープで貼って使います。

ひもとモールを通して作った正6面体。

息を飲むほど美しいシャボン膜の姿に場が静まりかえりました。

 

 

 


結果を急ぐ子育て 最初から正解を用意している子育て 

2016-01-23 07:54:50 | 日々思うこと 雑感

 

 

最初に、過去記事からこんなエピソードを紹介させてください。

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<ドーナツショップで宿題をする子>

 午後に休みが取れたので、買い物ついでにドーナツショップに寄って

一服することにしました。

アイスコーヒーを手に席に着くと、隣の席では4,5歳の子が

英語のプリントと格闘していました。

傍らでお母さんらしい女性が、その子に向かってあまりに攻撃的に毒づいているので、

一服ついでに読む予定だった単行本を開く気も萎えて、

こちらまで縮こまってドリンクをすすっていました。

子どもの袖には色から判断すると年少さんか年中さんの名札がとめられています。

その女性はとてもきれいな発音で英文を読んでから、

「アイス」「アーイス」という発音を2タイプのイントネーションで

付け加え、「どっちなの?アイスなのかアーイスなのか?

意味分かんないのに宿題にでるわけないでしょ」と責め続けていました。

 

どうもアイスクリームのアイスなのか、

氷のアイスなのかを判断して単語のつづりを練習していく宿題らしいのですが、

子どもが困惑した様子で押し黙っているので、その方は質問の仕方を変えて、

「アイスは何でできているの?」とたずねました。

それからだんだん声を荒げながら何度も何度も「アイスは何でできているの?」

と繰り返しました。

 

隣のわたしは聞きたくなくても聞こえてしまうその質問に、

「アイスクリームのアイスなら生クリームと砂糖と卵でできているんだろうし、

氷のアイスなら取りあえず水が答えなのかな……。それにしても成分が分かると、

つづりがどっちか判断できるんだろうか……」と暗い気持ちで考えていました。

 

「今日は英語で言ってんじゃないよ。日本語なのにわかんないわけないだろ」

と激しくののしられて、

それまでひとこともしゃべらなかった子が蚊の鳴くような声で

「か、き、ご、お、り?」と答えました。

「まぁ、クラッシャーしたら、そうとも言えるけど。でも、何?氷は何でできてるの?

もう時間ないんだよ。早くやってしまい!」と女性。

 

下を向いたまま黙々とえんぴつを走らせていた子が、黙ったままスッと立ち上がると、

プリントとその子の手首をあわただしく掴んで、その方は店を後にしました。

 

大阪ではこういう光景は特にめずらしいものではありません。

わたしが特別ドーナツ好きというわけでも、

ドーナツショップにしょっちゅう行くわけでもないのだけれど(年に数回?)

なぜか十三でも、天王寺でも、京橋付近でも、西九条でもドーナツショップで

宿題をする子に遭遇しました。

 

塾にしても習い事にしても、その子がどれだけ他の習い事をかけ持ちしているかとか、

他の習い事や学校でどれだけ宿題が出ているかとか、

休日に用事を抱えているかとか、電車通学で時間を消費しているかとか、

通信教材の提出物があるかどうかなんておかまいなしに、

幼稚園児にも宿題を出すのですから。

 

それも、どんなふうに宿題をして、誰が宿題の世話をするかなんてことも、

親が宿題見ているうちについつい熱くなって必要以上に子どもを責めちゃうんじゃないか、

なんてこともおかまいなしです。

 

特にフランチャイズの塾や習い事ともなると、

テレビではキラキラ輝く子どもの笑顔を広告に使いながら、

人間味の感じられないむごい苦しみを子どもに味あわせてしまうことがあるな……と

胸が痛くなりました。

子どもを責め立てていた方にしろ、子どもを追い詰めずにはいられない動機は、

おそらく子どもへの憎しみというよりも、

日本人特有の「出された宿題は絶対しなくてはならない」という

強迫観念の混じった生真面目さから来るものが大きそうです。

 

いろんな人が……いろんな物が……いろんな管理システムが、

子どもをいじりすぎているのでしょうか。

 

ドーナツショップで隣に座っていた子のお母さん(だと思われる女性)が、

ひとつの解答を求めて問いただすような言い方をしなければ、

また普段から子どもの間違いに寛容だったなら、

子どもは「アイス」がアイスクリームを言い表すこともあるし、

氷でもあることに興味を抱いて、自由に疑問を口にしたり、

持論を語ったかもしれません。

 

また、氷は何からできているかという質問を、

氷が細かい氷にもなり、水にもなり、水蒸気にもなるという科学的な興味にまで

つないでいたかもしれません。

 

虹色教室でこうしたクイズを子どもたちに出題すると、

トンデモ発言がどんどん飛び出すなかで、

こうじゃないか、ああじゃないか、でもおかしいな、不思議だな、納得できない、

きっとこうだとぼくは思う、わたしはこうだと考えるわ、といった意見が

どんどん生まれてきて、

「何て世界は面白いもので満ちているんだろう」

「何て自分の頭を使うのは楽しいんだろう」

「何て言葉で表現するのは気持ちいいんだろう」

という思いが子どもたちの間に響き渡るのです。

それは、大人が先にひとつの答えを用意しておいて、

それを答えないと「×」の評価を子どもに押しつけることがないからだし、

時間内に教え込もうと焦ってもいないからでもあります。

「子どもに間違えさせたくない」という余計な心配症で

子どもを囲いこんでもいないからです。

 

実際、学問を深く追求する人々は、「1+1」のようなあたり前に思われていることにも

疑問を投げかけて探求し続けているのです。

 大人にしたって、誰もが理解している知識なんて知れているのですから、

子どもといっしょに「不思議だね」「知りたいね」「なぜだろう」と探求する楽しみを

共感しあうだけで十分なんじゃないかな、と考えています。

その土壌から、子どもの自発的に学ぶ意欲が芽を出すはずです。

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この記事のタイトルは、

「結果を急ぐ子育て  

最初から正解を用意している子育て」としています。

 

子育てにしろ、子どもへの教育にしろ、簡単にスムーズに最高の結果を手にするには、

 

「結果を急がないこと」(「ない」です)と、

「最初から正解を用意しないこと」(「しない」です)が、

重要だと思っています。

 

「結果を急ぐこと」にしても、

「最初から正解を用意すること」にしても

 

前回の記事のドーナツショップで子どもに宿題をさせていたお母さんのように

勉強やしつけの面で、「はやくはやく」と結果をせかす態度のみを

指すのではありません。

 

子どもへの過干渉、過保護といった子育てのあり方も

結果を急ぐ気持ちや最初から正解を求める思いから生じている態度のようにも見えます。

このふたつの態度は、現代の社会に浸透しすぎているので、

ごく普通の親が、ごく普通に子育てしようとすると、

少なからず、このふたつの態度に陥ってしまわざるえないところがあるのです。

 

でも、誰でもやっていることだからと害が小さいのかというと、そんなことはなくて

子育てに関わるほとんどの問題が、根っこの部分で、

これらの態度とつながっているように感じています。

 

結果を急いだり、正解を先に用意したりして子育てしていると

どんな困った事態を招くのでしょう?

 

よく見かけるのは、子ども自身も、「結果を急ぐ」子になり、

即座に反応できる知っていることなら答えるけれど、思考する、熟考する、内省する、

といった態度が極端に少なくなることです。


また、「最初から正解があるものにしか興味がなくなる」ため、

視野が狭くなり、子どもの世界が小さくなることです。

好奇心から自発的に考えていこうとする態度が失われて、

損得勘定に敏感になります。


「子どもの遂行機能が阻害される」という問題も深刻です。

 

遂行機能というのは、

「相互に独立した目的的かつ自己完結的行動を連続的に行う能力」とか

「特定の目的を達成するために、目的を記憶に保持して監視し妨害を排除する技能」

と定義されています。

 

「こういうことをやり遂げよう」と目標を決めて、それに取りかかる間、

気を散らして別のことを始めたり、急に意欲を喪失して、やめてしまったりせずに、

最後まで目的に向かってがんばり続けることができることです。

途中で思わぬトラブルにぶつかっても、柔軟に問題を乗り越えたり、

やりおえた後で自分のしたことを振り返ったり、

次にどのようにしたらいいのかわかったりする力です。

もうひとつ、気になっているのは、「メタ認知力が弱くなること」です。

最初から決まっている結果しか頭にイメージしないので、

全体像を見渡す力が弱くなるように感じています。

 

メタ認知力については、

親が自分のメタ認知能力を上げると、幼児の知力は向上する?

という記事の中で解説しています。

 

「結果を急ぐ」や「最初から正解を用意する」とは具体的にどのような態度を指すのかや、

改善するコツについて書かせていただきますね。

 

 

「結果を急ぐこと」と「最初から正解を用意すること」を少し控えるだけで、

子育ては劇的に楽になるし、

子どもは自立と成長に向かいはじめるはずなのです。

自然に知能も伸びていくに違いありません。

でも、現在の子育ての場で、それはよほど意識して自分の心や言動に注意していないと

難しいことなのかもしれません。

 

それでは、先日、3歳の子どもたちと出かけた下水道科学館での出来事から、

どのような言動に問題があるのか、

どのように改善したらいいかを書かせていただきますね。
 
 
 
3歳の★くん。運動神経がいい笑顔がかわいい男の子です。
わたしといっしょに過ごしている時や園で先生やお友だちと過ごしている時は物分かりのいい子なのですが、
お母さんがそばにいると、静かにしていなくてはならない場で暴れまわったり、厳しく注意してもしつこくやりたい放題したりする困ったちゃんに変貌するようです。
 
お母さんが近くにいる時に、★くんはどうして好き勝手に振舞うのか、お母さんがどのように接し方を代えたら、★くんが、注意を受けたらきちんと聞き分けられるようになるのか、遠足を通して見えてきたことを書かせていただきますね。
 
下水道科学館に入館する前に、★くんたちといっしょに食事をしにいった時のことです。
 
入口のドアは引き戸で、ドアの取っ手の上部に<引>のプレートが貼られていました。
★くんがそのドアをうんうん言って押していたので、★くんのお母さんは、「そこは引っ張るのよ」と言いました。
 
そのレストランの入り口を少し進むと、店内に入るもうひとつの引き戸がありました。
 
そこで、わたしが<引>のプレートを指して、「これは引っぱる時の引くの漢字が書いてあるのよ」と言うと、了解した風の★くんは、次のドアに向かいました。
 
するとお母さんがすかさず、「次も引っ張るのよ!」と言おうとしました。
が、そう告げる前に、★くんは<引>の文字を見つけ、「言われなくてもわかってるもん」という自信に満ちた態度で、そのドアを引っ張りました。
 
その後、店内で子ども椅子を見つけた★くんは、自分で席に運ぼうとしました。
「★くん、待ってね。店員さんに聞こうね。★くん、自分でこの椅子がいるの気づいたんだね。」と言っている間に、店員さんが事情を察して、★くんに椅子の片側を持って運ぶことを許してくださいました。
 
ここでの食事中、★くんは先に食事をし終えて退屈したのか、席を立って、レストラン内を走りだしました
★くんを取り押さえて、再び席に着くように注意しますが、ちょっとすると再び走りはじめ、お母さんがどんなに厳しく注意しても聞く耳を持とうとしませんでした。
わざとお母さんを挑発しているようにも、自分の方に注意を向けさせようとしているようにも、ただ面白くって走り回っているようにも見えました。
 
普段もこんな感じで、ダメと言われることをしつこくし続ける姿があるそうです。
 
★くんのお母さんは、「自分といっしょではない時に★くんはきちんとできるようなので、習い事などをさせて、そこで親以外の人から学習等を教わった方がいいと思うのですがどうでしょう?」といった質問をなさいました。
 
 
ボタンを押すと泡が吹き出す装置の前でこんなことがありました。
 
左のボタンを押すと水槽の左部分から泡が噴き出し真ん中を押すと真ん中から噴き出し、右を押すと右側から噴き出す仕掛けです。
 
★くんがボタンに手を出そうとしたタイミングで、「このボタン、左のこのボタンを押すと、泡がぶくぶくってどこから出てくるのかな?」とワクワク感を誘うような口調でたずねました。
 
「こっち!」と★くんは水槽の左側を指さして誇らしそうな顔をしました。
 
無理にボタンを押しまくるようなところはなく、その姿には、次にわたしが、「それなら、この右のボタンだとどうなるのかな?」とたずねるのを期待するような余白があり、そうたずねると、
ニコッとして答えを言ってから、ボタンを押していました。
 
  
 
次にポンプを押したり、仕掛けを操作したりしてボールを移動させていくかなり凝った行程の触れる展示物にチャレンジした★くん。
途中で、うまくいかない事態に何度もぶつかりながらも自分で知恵をしぼって解決して、最後までボールを動かして得意そうでした。
 
そんな館内の★くんの自発的で自分の頭を使って問題に取りかかろうとする★くんに対して、★くんのお母さんの態度は常にもっと幼い子のお守りをしているように見えました。
 
★くんに「どうなるのかな?」と予測させるような言葉かけや★くんの心でうごめいている疑問や感激に共鳴したり、言葉を交わしたりすることなく、ただ、★くんに好き勝手にボタンを押して回るままにさせていたり、★くんが自分で考える間を与えずに、次にすることを指示していたりしました。