子どもは何を望んでいるのか? 子どもの成長に必要な環境とは? 1の続きです。
写真は、小学4年生の子たちを中心にしたユースホステルのレッスンで、水を使った実験遊びをした後で
溶解度の表を見て、計算問題を解いているところです。
実験といっても自分たちが試してことを見つけて、自由にやってみることを
主にした遊びに近いものではあるのですが、
水という溶媒に、塩や砂糖などを限界まで溶かしていくと、
ある量を超えると、底に溜まっていくことや、温度を変えるともっと溶けるようになること
と……いった扱っているものの性質への理解は進んでいました。
また興味や親しみも高まっていたので、
次のような問題にチャレンジしてもらいました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
右の表(表は省略します)は50gの水にとける食塩とホウ酸の限度の量です。50℃の水50gに食塩を
限界まで溶かした水溶液を10℃にすると、食塩の個体が何g出てきますか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初めて聞く言葉、これまで知らなかった概念、解いたことがない問題
とはいえ、みんな手をあげては、われこそは……と取り組んでいました。
ミスしながらも、自力で何とか解決したいという気持ちが伝わってきました。
こんな風に、教わったり学んだりする前に
「どうしても自力で解きたい」「謎を解明したい」という思いで自分の知力を総動員して取り組む体験をすると、
後から正しい解き方を学習する際の理解の深さが違います。
達成感やワクワク感、次のチャレンジへの意欲にも大きな差が出てくるのを実感しています。
少し話が脱線するのですが、先日、娘とジュンク堂に寄った際、
デウ゛ィット・ボームの『創造性について 新しい知覚術を求めて』
(大槻葉子訳 大野純一 監訳 渡辺充 監修 発行 星雲社)を購入しました。
作者も確認せずに立ち読みするうちに内容に感動てし、
「絶対、買いたい!作者は……?」と確認したら、デウ゛ィット・ボームという懐かしい名前が
飛び込んできました。
懐かしいというのは、以前、夢中になってマイケル・タルボットの『投影された宇宙』や関連本の中で
何度も目にした名前だったからです。
ちょうど1週間ほど前、(調べてみると、2013年8月15日の読売新聞でした。)
息子が、「東大で量子テレポーレーションが成功したらしいね。実用化にはまだ時間が
かかるんだろうけど、量子コンピューター実現したら、革命的な変化が起こるんだろうね」とつぶやくのを耳にして、
「最近の理論物理学の世界、どんな仮説が飛び交っているのかな……」と心に引っかかっていました。
とはいえ、本屋ではそんなことはすっかり忘れていたのですが、偶然にも、
ボームの本を買って帰ることになりました。
『創造性について 新しい知覚術を求めて』の中で、興味をひかれたのは
独創性について書かれた次の部分です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(アインシュタインとアインシュタインよりも数学が得意で、もっと物理学を知っていた多くの科学者たち
との違いは、アインシュタインがある種の『独創性』を持っていた点にある、
といった内容の文章に続きます。↓ )
独創性の必要条件の一つは、明らかに、当人がありのままに見ているものとしての事実に
自分の先入見や偏見を押しつけようと思ってはならないということです。
むしろ、彼は何か新しいことを学び取ることができなければなりませんーーーーたとえ
それによって、彼にとっては満足のいく、貴重な着想や観念が覆されるかもしれないことを意味していると
しても。
が、このようにして学習する能力は全人類に共通の原則なのです。
例えば、子どもは単に何かを実際に試し、そして何が起こるかを見、それから実際に起こったことに
従って自分が行うこと(または考えること)
を修正することによって、歩くこと、話すこと、そして自分の周囲の世界を知ることを学ぶ、
ということはよく知られています。
このようにして彼は、最初の数年間を驚嘆するほど創造的な仕方で過ごし、
彼にとって新しいあらゆることを発見していきます。
ですから人々は自分の子ども時代を回顧するとき、それを一種の゛失われた楽園゛として思い描くのです。
しかし子どもが成長するにつれて、学習はより狭い意味を帯びてきます。
学校では、教師の歓心を買い、試験に合格するために、復習して知識を積み重ねることによって学ぶようになります。
職場では同様にして生計を得るため、また他のなんらかの功利的な目的のために学び、ですから主として
学ぶという行為自体を大事にするためではなくなります。
このようにして、彼に備わっていた何か新しい、独創的なものを見る能力は徐々に弱まっていきます。
が、この能力なしには、そこから何かが育つことができるいかなる基盤も明らかにないのです。
(『創造性について』 デウ゛ィット・ボーム
大槻葉子訳 大野純一 監訳 渡辺充 監修 発行 星雲社) P6
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ボーム は、
「すべての学習は、何であれ自分が何かを実際に試し、そして何が起こるかを見ることを含んでいる。
もし人が間違いを犯すことはないだろうと請け負われるまで実際に試そうとしなければ、決して新しいことを学び取ることはできない」
とも言っています。
「間違いを犯すことへの恐れが、
先入観や偏見による機械的な知覚習慣と、特定の功利的な目的のためだけにする学びに加わる」とも。
そうしたボームの言葉に触れながら、
現在、日本では早期教育や小学校受験の名目で
幼い子の生活にまで大人の意図が含まれている
機械的な知覚習慣が当たり前になりつつあることが危惧されました。
ユースホステルでのレッスンでは、子ども自身が自分で試し、結果を見、何かを発見していく
機会を大事にしています。
時間、空間、ルール、大人の見守り方、接し方に
余裕とか余白といったものを設けるようにしているのです。
子どもの心に響くような体験を用意しながらも、常に、未知の部分や変更可能な部分を残しておいて、
子どもが自分の創造性を十分発揮できるように気を配っているのです。
そうして何かを実際に試して、何が起こるのかを見て、
自分の行動や考え方を変化させていく過程で、
子どもはまるで水を得た魚のようにいきいきとしています。
表情が輝いているのです。
それを目にするにつけ、
子どもは何を望んでいるのか? 子どもの成長に必要な環境とはどのようなものなのか?
ということについて
考えさせられます。
周囲は賢いお母さまばかりで、子どもに勉強を教えるのも
学校の先生方と同じように教えられるのだなぁと
感じています。
一方、自分は奈緒美先生の話を聞いていても、ブログを拝見していても自分の知識が足りないため分からないことが多く、子どもと一緒に勉強していかなければと
思う気持ちをもっているのですが・・・
親が勉強に対して賢くなければ、子どもに対しても
どういう影響があるのか気になり不安です。