
『決定権を誤解する子 理由を言えない子』 には次のようにあります。
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発達障害のある子と関わる専門家には、
「知識・技術」「価値観」「予見する力」の
三つが必要です。
具体的に言えば以下の四つになります。
●子どもを理解するために、的確な評価をしているか
●課題指導の際に求められる相応の技術を身につけているか
●評価を踏まえた上で、子どもの今や将来にとって必要で適切な課題設定をしているか
●その課題は、子どもができるようになるという確かな予測に基づいているか
(発達障害がある子に誤解をもたせない育て方のポイント)湯汲英史 小倉直子 かもがわ出版
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この発達障害のある子と関わる専門家に求められるという
「知識・技術」「価値観」「予見する力」は、
学習面でいろいろ気になるところがある子たちの学習を
支援する親や教師たちにとっても
大切な能力だと思います。
学習で「わからない」や「できない」が多い子に、
とにかく基礎が大事だからと、
計算を大量に解かせたり、漢字を練習させたりして、
見た目上「自学自習」のスタイルが保てるようになると、
これで大丈夫と考える方がいます。
また、通信教材で、できる部分をさせていたら、
やらないよりましだから、それでいいだろう、と考えている方もいます。
早めに補習塾に通わせて、授業の予習復習をしてもらえば
いいんじゃないか、と思う方もいるでしょう。
それらが悪いわけではないでしょうが、
学習面でいろいろ気になるところがある子に対しては、
それだけだと、大事な時期にしておかなければならないことを
やり残してしまうように思えるのです。
ここで私が伝えておきたいことは、
「学校で測るテストが、
そうした子たちの困難な部分を正確に測りとってはくれていない」
という事実を忘れないでほしいということなのです。
学習でつまずく子の困難は、本当は、
「繰り上がりをなかなか覚えられないところ」に
あるのではなくて、
3歳児向けの「まちがいさがし」のようなものでも、
ごちゃごちゃある中から、情報を拾い出すことができないとか、
耳で、ふたつのルールを聞いた場合、
一方しか覚えられないとか、
少し長い文章を読む場合、人は情報を整理しながら読んでいるということがわからなかったり、
極端に語彙力が少ない上、間違って覚えているものが多すぎたり、
質問されて、意見を言うときには、
「質問内容をきちんと聞いて理解して答える」ということがわかっていなくて、
人と話をするときに、会話中も、自分の話たいことから始めていたりすることなのです。
ですから、取りあえず繰り返させて、
「その問題」はできるようになっても、
現実には、後から乗り越えることができないような「わからない」が待っているのは
目に見えているのです。
それを放置して、学校でついていってるかだけに
対応するのは危険なのです。
『決定権を誤解する子 理由を言えない子』から言葉を借りるなら、
普段の生活の場面で、
その子の力を的確に評価して捉えておくことと、
これから先の展開を予見しておく必要があるのではないでしょうか。
たとえば、耳で聞いて記憶することに苦手があるのに気付いたら、
2年生でかけ算の練習が始まるより
半年~1年前から、手遊びに九九を取り入れたり、
いっしょに唱える時間を持ったりして、
長期戦で、九九に親しませておく必要があるのではないでしょうか。
九九は、「唱えられるようになったらそれで終わり」えはなく、
できるようになったと思うと、バラバラに、4×7とか6×8とか言われたら
パッと答えを言えるようになることを求められます。
公立学校はゆっくりペースで進んではくれますが、
何らかのハンディーがあった場合、
それがとても追いつけないくらいのスピードで進んでいるように
感じられる子もいるのです。
たとえば、2年生になると、けっこう難しい漢字を、毎日いくつか
覚える課題が出るときがあります。
一般的な子にとって、怠けさえしなければ、何ということのない量でしょう。
でも、目からの情報をうまく処理できない子にとって、
これは耐えられないような苦行となるはずなのです。
そんなときは、早めに、どのような見え方の問題を持っているのか
見極めて、細かくフォローしておくと、
「覚えられないから、勉強しない」といった
あきらめて放り出すような態度にはならないかもしれません。
学習に困難が感じられる子には、
自学自習の習慣を身につけてほしいという親の希望はいったんわきにおいて、
先にぶつかりそうな「困った」に気を配りつつ、
安易に外注せずに、
一対一で、きめこまやかに対応することが必要だと思っています。
昭和の子育てについてのこと、今の{非寛容で大人が子供を監視する・・・けど、発達障害や人権についても意識が高まっている}時代についても、こういうことを誰かがお母さんやお父さんに言ってあげてほしい、と願って考えていたことを書いて下さっていて、本当に、ありがたいです。
私は、脳神経を扱う研究者でもあります。
研究と臨床と社会の間には、深く広い溝があるのですが、とりあえず、発達障害の人について練られた対策を頭に置いておいて、何の損もありません。うちのムスメも、生後すぐから{オカシイ!}と思って、手探りで対処をしてきました。道中は体力的にタイヘンでしたが、なかなかの成果が得られています。夫がお母様にされてきた昭和の子育ての傷、お母様の苦しみを考えると、今、私のもとに生まれてきてムスメは幸せ(笑)だったなあ、とは思います。
腹の中でものんびりだった息子は、まぎれもなく定型で、やんちゃで、逆に戸惑うほどです。この順序も、もし、逆だったら、どれほどムスメに対して悩んだことでしょう。
ただし、やんちゃと器用さがすごすぎて、あそびのレパートリーが私の方に準備不良なので、0から1歳児のあそびをこれからも勉強していきます。記事おねがいします。
ムスメは、3歳児用位のあそびをじっくり付き合ってあげたい感じですね。読むこと、記憶すること、喋ることは勝手に無茶に進んでいますが、手先を動かすこと、考えることが、やっとそのへんのレベルです。まあ、0歳児のころからこの困ったギャップはあったので、解決できていないだけなんですけど、入学までの、家時間がたっぷりとれる間に、付き合ってあげたいものです。