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虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

自閉症スペクトラム障害の子 と ソマティックマーカー 

2013-12-04 17:21:51 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

過去記事です。

 

先日、ネット上の読書会で、アントニオ・R・ダマシオの

『デカルトの誤り』について語り合いました。

話題が集中していたのは、ソマティック・マーカー仮説と自閉症の関係についてでした。

 

ソマティック・マーカー仮説とは、

推論と意思決定は、脳だけではなく脳と身体からなる一つの「有機体」

に支えられていて、不確実な条件がたくさんある状況では、体

からの感情的な反応が私たちの意思決定を助けているというものです。

脳中心主義的な考えを改めている点で、

ジェームス・ギブソンのアフォーダンスについての仮説とのつながりについても

考えさせられる内容でした。

 

ソマティック・マーカー仮説と自閉症との関係について、

いろんな意見が飛び交うきっかけになったのは、

最近、わたしが自閉症スペクトラム障がいのある子らと遊んでいるときに、

「不思議だなぁ」と感じていることでした。

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教室にお菓子のおまけのハムスターの玩具が100匹ほどあるのですが、

幼児も小学生もそれで遊ぶのが大好きなのです。

自閉症スペクトラム障がいの子らも例外ではなくて、

ちょっと荒っぽい仕方でごっこ遊びをしていることがよくあります。

荒っぽいというのは、ハムスターたちをまるで料理の具材か海の波などを表現するための

自然の一部のように、いっしょくたにしてかき混ぜたり、

雨のようにバラバラと上から降らせて、ハムスターの山をこしらえたりするのです。

 

そんなちょっと残酷ともいえる遊び方をする割に、意外な一面があって、

わたしがそのうちの1匹のハムスターを手にして

「プールに氷を入れてほしいの。熱いのは嫌いだから」とか、

「こんな狭いところで眠れないわ」といった注文を出すと、

まるで本当に生きているおしゃべりハムスターの相手をしているかのように

きちんと返事をして要望を聞いてくれるのです。

わたしが声をかけているときには、きちんとこちらの伝えたいことを聞きとろうとする

意志があまり感じられない子も、

ハムスターの話にはていねいに対応している姿に「あれっ?」と驚くときがあるのです。

また、自閉症スペクトラムの子は、怒りや笑いといったはっきりした表情は識別している子でも、

微妙な表情に対して読み取ろうとする意志がほとんど見られない子が多いです。

また、わたしの視線の先に何があるのか、それに興味を示す姿は

これまであまり見たことがありません。

それにも関わらず、わたしがハムスターの人形の小さな手や鼻先を操作して

まるで身振りで何かを訴えようとしているかのようにすると、

それには自然な興味を示して、ハムスターが、「見てよ、あれ!」と言っている視線の

先に目をやったり、

ハムスターが「いやだよ、いやだよ。ぼくはチクチクするタオルはきらいなんだよ」と言いながら身ぶるいするのに、

「わかるわかる」と共感するかのような態度を示したりするのです。

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話題を読書会の話に戻しますね。

前回までの記事に書いた

自閉症スペクトラムの子のハムスター人形の遊び方と原初的知覚の話を受けて、

「身体感覚」というポイントから見たソマティック・マーカーとの関連性と

それにまつわる今の脳科学の偏りを指摘した方がいらっしゃいました。

ソマティック・マーカーとはひとことでいうと、

「身体が心の基本的な参照基準になっている」

ということです。

ソーマは「身体」を意味し、マーカーはひとつのイメージにしるしをつける感情(感覚)を意味します。

ソマティック・マーカーとは、人間がいろいろ体験を積むなかで、

「ある気持ち」と「ある将来の結果」が結びついてきたものです。

 

「冷や汗かいて、嫌なドキドキ感がする」→「悪い結果になりそう」→「やめとこう」

 

という、誰もが経験したことがある行動を選択する際の流れです。

 

ソマティック・マーカーがあると、膨大な未来の選択肢が、

自動的に選別されて、

手間いらずで正確で効率の高い意志決定ができますよね。

 

意志決定というと高度な知性を必要としているように見えますが、

大脳新皮質だけでなく、

生命の維持に関わる皮質下脳構造や

脳じゃないもの……つまり身体……さらにくわしくいうと、内臓とか筋肉とか骨とか手足や皮膚が感じとっているもの

と深い関わりがあるというのが

ダマシオ博士の主張です。

 

認知科学的アプローチへの批判を込めて

「脳だけいくら調べても心は解明できないよ」

「脳と身体を分離して考えるのはおかしいよ」といった視点から、

ソマティック・マーカーの仮説は展開しています。

 

健常の幼児たちも、わたしがハムスターを手にして話しかけると

ごく自然に夢中になって返事をしてきます。

でもその姿からは、どこかでこれはうそっこの遊びで、

わたしがハムスターを操って話しているんだとわかっていることからくる照れやユーモアが

感じられます。

 

でも高機能自閉症やアスペルガー症候群の子たちのハムスターへの対応は

ハムスターの言葉の背後にあるわたしの存在をまったく関知しないかのような

雰囲気があるのです。

そして、そこで展開する遊びはその子の内面のファンタジーの世界が

そのまんま目に見える形でそこに繰り広げられているかのように見えます。

 

もうひとつ感じられるのは、動物という自分の意識とは切り離された別の存在を

意識するというより、

自然環境の一部……つまり海の波や雨粒や大樹の幹のように感じていたものを、

ある瞬間には、さまざまなことを感じながら自分に語りかけてくる生きている存在のように

感じとっているというようにも見えるのです。

 

ちょっと不思議な感じがするお人形遊びにつきあいながら、わたしは、

これはアニミズム(無生物にも命や意志があると考えられる傾向)

や相貌的知覚(無生物にも感情や表情を読み取る傾向)と関係があるのかな

と感じました。

 

といってもハムスターの人形を無生物であるように扱って遊ぶために、

そのように見えるのですが。

『自閉症の関係発達臨床』という著書に

最近の自閉症者自身により手記を通して再び重視されてきた知覚の問題として

興味深い話が載っています。

これまで自閉症者は五感でいうと、ここが強くて、ここが弱いといった知覚の特徴に

注目して、コミュニケーションツールの工夫がおこなわれてきたのだけれど、

自閉症者は、五感に分化する以前の段階の原初的な知覚様態という独特な特徴を持っている

という話なのです。

五感に分化する前の段階なのに、五感のどれが得意でどれが苦手でという

捉え方から出発した対応では、

完全に間違ってはいなくても、その困り感を正確に察することは難しいし、

誤解もたくさん生まれているはずです。

まず、それなら原初的知覚というものがどのようなものなのか、

できるだけ正確に分析しておく必要があります。

 

先に紹介した著者のひとりの小林隆児氏によると、

次のようなものです。

 

「原初的知覚とは、あらゆる刺激を、五感を超えて

感じとる知覚であって、

力動感とか相貌的知覚と呼ばれているものです。

具体的には刺激のもつ動きの変化を鋭敏に知覚し、かつそれを

生々しく生き物のように感じとるという特徴をもっているのです」

 

話題を読書会の話に戻しますね。

前回までの記事に書いた

自閉症スペクトラムの子のハムスター人形の遊び方と原初的知覚の話を受けて、

「身体感覚」というポイントから見たソマティック・マーカーとの関連性と

それにまつわる今の脳科学の偏りを指摘した方がいらっしゃいました。

ソマティック・マーカーとはひとことでいうと、

「身体が心の基本的な参照基準になっている」

ということです。

ソーマは「身体」を意味し、マーカーはひとつのイメージにしるしをつける感情(感覚)を意味します。

ソマティック・マーカーとは、人間がいろいろ体験を積むなかで、

「ある気持ち」と「ある将来の結果」が結びついてきたものです。

 

「冷や汗かいて、嫌なドキドキ感がする」→「悪い結果になりそう」→「やめとこう」

 

という、誰もが経験したことがある行動を選択する際の流れです。

 

ソマティック・マーカーがあると、膨大な未来の選択肢が、

自動的に選別されて、

手間いらずで正確で効率の高い意志決定ができますよね。

 

意志決定というと高度な知性を必要としているように見えますが、

大脳新皮質だけでなく、

生命の維持に関わる皮質下脳構造や

脳じゃないもの……つまり身体……さらにくわしくいうと、内臓とか筋肉とか骨とか手足や皮膚が感じとっているもの

と深い関わりがあるというのが

ダマシオ博士の主張です。

 

認知科学的アプローチへの批判を込めて

「脳だけいくら調べても心は解明できないよ」

「脳と身体を分離して考えるのはおかしいよ」といった視点から、

ソマティック・マーカーの仮説は展開しています。

 

自閉症スペクトラム障がいの子のなかには、現実の場面に合わせた言葉を使わずに

自分が使いたい言葉で自分の好きなように会話をしたり、

自分のファンタジーの世界に相手を引き込むような会話の仕方をする子がいます。

周りの人の様子や、今自分が遭遇している現実には

無関心なまま、会話をリードしていく子もいます。

 

わたしは最初は自閉症スペクトラムの子らの会話の形やファンタジーの世界に何度も遊びに行って、

そのあとで、こちらの世界にも遊びに来れるように

橋をかけることに心を割いています。

この頃、自閉っ子の世界とこちらの世界の橋渡しに役立つな~と実感しているのが、

アフォーダンスとか今回の読書会のテーマになっていたソマティック・マーカー仮説への

想像力なのです。

 

アフォーダンスとかソマティック・マーカー仮説への

想像力を、自閉っ子と自分とのやりとりに役立てるなんて

いったい何が言いたいのやらわからないと感じるかもしれません。

 

でも、実際、自閉症スペクトラムの子らと過ごしているとき、

それまでずっと会話が噛み合わない関係が続いてきて、話しかけても、

こちらの言っていることを聞きとろうとする気持ちや、理解してそれに返答しようとする気持ちが

とても薄かった子……

つまり、

会話といっても、こちらが言った言葉の一部に反応して、過去の記憶から急に思いついた話がはじまっていたり、

たいてい無視していたり、質問に対してはそこそこ返事するものの、そこで会話が途絶えたりするだけだった子が、

こちらがその子の知覚のあり様に近づこうと

五感や言語中心に考える態度を手放して、身体が直接受け取る情報というものに

敏感になっていくと、

あれっと驚くような変化が起こるのです。

 

変化というのは、

「自分から進んで会話のキャッチボールを続けようとする」ということです。

 

もちろん、内容は擬音語が多いつたないものだったりするのです。

でも、双方向の会話に対して、それまでまるで無関心だった子が、

こちらの反応を読み取ろうといきいきした表情で待っていて、

返事をすると、さらにそれに返事を返すというやり取りが可能になってくるのです。

 

もちろん高機能自閉症の子などは、もともとひとなつっこくて、おしゃべり大好きという子もいます。

でも、その会話をていねいに観察していると、

会話が行き来していることだけが楽しいという様子で、

相手の言っていることをきちんと理解してそれに見合った返事を返そうという意欲が

薄かったり、

相手の言葉を自己流に解釈して、自分の好きなように会話を勧めることに

少しも問題も感じていない子がいます。

 

会話の内容自体にあまりに無関心なのです。

その姿は、ごっこ遊びのなかで、誰かに電話をかける真似をしている

幼児にも似ています。

電話をしているという楽しさが大事で、

内容や伝わっているかどうかは二の次なのです。

 

ですから、「自分から進んで会話のキャッチボールをする」ということと、

ただ「会話ができる」ということを分けて考える必要があると感じています。

 

自閉症スペクトラム障がいの子らの知覚の世界に近づいて、

本当にお互いに何か意味あることを伝え合う、

相手に伝えたいもの、相手から受け取りたいものをやり取りしあうということを

体験していくと、

とても感動的な気分を味わえます。

 

「これまでやりとりがしっくりこなかったのは、

こちらが自閉症スペクトラム障がいの子らが感じとっているのと同じ

知覚世界を体験していないために

会話ややりとりをする際の共通の基盤となるものがなかったのかな?

 

わたしたちでもお互いが同時に別の映画を見ながら、感想を言い合ったり、

別の体験をしながら、会話を続けていこうと思うと、

共有する基盤がないために、会話をする意味が感じられないし、

会話がちぐはぐになるのもやむえないだろうから。」

と、そんなことも感じました。

 

人の表情をあまり読もうとしない自閉症スペクトラムの子が、

ハムスター人形の動作からその気持ちを読んでいるように見えるとき、

身体を通して、まるでアフォーダンスとしてその情報を取り出しているかのように感じました。

 

そのことを読書会で書き込むと、(スカイプ上の読書会です)

「入力されたアフォーダンスを、自分の身体に(無意識に)置き換えているとしたら、

ソマティック・マーカー仮説と同じ方向性ですね。」という返事が返ってきました。

「表情というのは、ある意味、二次的な情報なのかも……」とも。

 

ダマシオ博士は、

「間断なく更新されていくわれわれの身体の構造と状態をじかに見渡せる

窓をとおしてわれわれが見るもの、

それが私の考える感情の本質である。」とおっしゃっています。

『デカルトの誤り』には次のように書かれています。

---------------------------------------------------------------

わたしは、脳損傷によって感情の経験に障害を負った患者の研究から、

感情が従来考えられてきたほど漠然としたものではないと考えるようになった。

たぶん感情を知的に説明することはできるだろうし、

感情の神経的基盤も見いだせるだろう。

わたしは、今日の神経生物学の考え方とはちがい、感情が依存している

重要なネットワークには、従来認められてきた辺縁系として知られる一連の脳構造だけでなく、

前頭副皮質の一部と、

そしてこれがもっとも重要だが、身体からの信号をマッピングして統合している

脳の諸部位が含まれるという考え方を提案している。

            『デカルトの誤り  情動、理性、人間の脳』  アントニオ・R・ダマシオ  ちくま学芸文庫

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「身体からの信号をマッピングして統合している脳の諸部位」が、

感情が依存している重要なネットワークかもしれない……という考え方に触れた瞬間、

わたしは、感覚の過敏さを持っている自閉症スペクトラム障がいの子らのことが

気にかかりました。

自閉症スペクトラム障がいの子たちというのは、

身体からの信号が正確に脳に伝わっているのか、マッピングして統合するという作業が

スムーズに行われているのかという点で

危うさをたくさん抱えている子らです。

 

そうした身体からのインプットということと、

感情との関わりが大きいとすると、

感情や認知の状態を読み取ることを苦手としている自閉症スペクトラムの子らの

感情の認知の難しさは、

ダマシオ博士が唱えるソマティック・マーカーと

どのような関わりがあるのでしょう?

 


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3 コメント

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ノンバーバル (かろーら)
2013-12-06 14:12:25
「勉強ができる子の育て方」で、娘さんが思春期の反抗期に入った時の対応として、「ノンバーバルを読み取る」とういう言葉が書いてあったような。

奈緒美先生は、更に深化し「ノンバーバルに意図的なものを消して寄り添う。」という解釈で良いのでしょうか。

う~ん、難しい。

「この状況に負けてたまるか!おりゃ~。」という感じで
がむしゃらにやってきた私はだめですね。

こちらは、自閉症のおこさんだけでなく、感情型の子供をお持ちの親が読まなければならない大切な記事ですね。

鈍感に一見みえるけれど、非常に繊細がゆえにすべての情報を遮断する。

ガラスのように、こわれやすいデリケートな子供なのですね。
返信する
線条体機能 (しまなみ)
2014-02-03 21:37:21
このコメントは、かなり、専門的なものです。
感覚は、統合されて生ずる。また、統合が、感覚を生ずる。うちの、自閉圏の子は、遊園地に行ってから、エスカレーターを、ジェットコースターのように感じるそうです。
いわゆる前庭感覚の障害が、自閉圏のひとに多いといわれます。それは、視覚、聴覚、体性感覚、などなどを統合する感覚だから、はっきりわかるのかもしれません。
統合は、脊髄でも網膜でも、行われています。大脳基底核も、激しく行き交う信号を、大胆に抑制して、統合します。ムスメの目には、弟が、物のようにしかうつっていないかのような時期が続きました。刺激が強すぎて、統合が追いつかなかったのかもしれません。私も、お姉ちゃんだから、とか、仲良くしなさい、などは一切言わず、激しく赤ちゃん返りしたムスメを、なるべくうけとめて接しました。興味深いことに、本当に彼女が赤ちゃんだったころには、嫌がってだかれなかったのに、沢山抱っこやオンブをしてあげることができました。赤ちゃんが、ハムスター人形?のように、触媒だったかも。私も、腹話術^_^で、赤ちゃんは、ねーね、美味しそうなお菓子!とか、積木すごい!とか言ってるよ、と、通訳していました。5歳の子にしては、真剣に聞いているな、と思っていたら、自閉圏では、ごっこの区別が、未分化かも、なのですね。情報の交通整理機能が、定型と違うとしたら、感覚の違いや、ごっこの違いにそういう説明もつきますね。
返信する
しまなみ様 (奈緒美)
2014-02-03 22:20:37
専門的なお話ありがとうございます。
以前、過去記事をアップした際、同じ場所を2度コピペしてしまったようで
とても見苦しいものになっていたことに今気づきました。
(ADD傾向は、相変わらずです……。)
それにも関らず、興味深いコメントをいただいてうれしく感じています。
返信する

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