前回の続きは明日か明後日にでも書きますね。
の記事にこんなコメントをいただきました。
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緊張したりおもちゃで遊べない息子に体験不足とよく耳にします。療育や学校では実年齢や経験を意識し、知育的なもの、すごろく、トランプ、ボーリングなどしていますが、楽しそうな表情もなく自分から家でやりたいとも言いません。実年齢にあっていない音が鳴る赤ちゃん用のおもちゃやブランコでも楽しい面白いと思う物で遊ばせ続けてよいものでしょうか?
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実年齢より幼い子向けのおもちゃで遊ばせ続けてよいものでしょうか?という質問については、
ずっとそれだけではよくないと考えています。
でも、子どもの年齢とかけ離れた赤ちゃん用のおもちゃであっても、
わざわざ購入までする必要はないでしょうが、
どこかでそうしたおもちゃに触れる機会があって、とても楽しそうに遊んでいたとしたら、
そうしたおもちゃで遊ぶ子どもの姿をよく観察することが、その子の遊びを広げるきっかけにもなると
思っています。
虹色教室でも遊びの体験が少ない子や自閉っ子が
赤ちゃん向けのおもちゃで遊びたがることはよくあります。
好奇心や手持ちぶたさから、ごく一般的な小学生の子たちが
赤ちゃん向けのおもちゃを一通り触りたがることもあります。
ひもを引っ張ると乗り物の絵と音が出るおもちゃ、ボタンを押すと動物などがピョコンと飛び出すおもちゃ、
ハンドルを回すとボールがひっくり返って落ちていく
おもちゃ、ボールを落とすと坂を転がっていくおもちゃなどです。
「赤ちゃんが遊ぶものだから、遊んだ後は
ウェットティッシュで拭いておいてね」とか、
冗談で、「赤ちゃんのおもちゃで遊ぶことは禁止です!小学生の方々は、赤ちゃんのおもちゃで遊ばないでください~!」
と言うことはありますが、
熱心に遊んでいるようなら、ある程度満足するまで触らせてあげます。
特に体験不足が気になったり、遊びの幅が狭い子の場合、興味を抱いて遊べるのなら、
それが赤ちゃん向けのおもちゃであろうと、おもちゃとはいえないようなものだろうと、
それを足がかりにして、他の興味関心に広がっていくように
サポートしています。
たとえば、玉転がしの赤ちゃん向けのおもちゃで
遊ぶようなら、それと同じような仕組みをブロックやクーゲルバーンや紙で作るようにして、
物を作ったり、組み立てたりする遊びに親しめるようにしています。
段ボールに穴を開けて、紙コップで玉を受けるだけでも
子どもは喜びます。遊びそのものは
赤ちゃん用のおもちゃと同じでも、さまざまな素材で作って遊ぶことで、
自分から作るようになるきっかけになります。
ブランコなども、もしもブランコが大好きなら、
「公園にあるブランブラン~って遊ぶ遊具なあに?」といったなぞなぞを出したり、
「今日は10回こごうか?20回こごうか?」と数に親しませることもできます。
ただ、自閉症の子の遊びを広げていくには、遊びの内容だけを広げようとしても
上手くいかないように感じています。
こちらがその子のこだわりのルールを多少破っても、それを許容して、面白がってくれるような
信頼関係を築いていくことが
必要だと感じているのです。
こちらのすることを模倣したい、という思いを育むことも大切です。
こちらが自閉症の子の行動を模倣しながら、
その子の瞬間瞬間の気持ちを受け止めていくことが
信頼関係を作っていく上でとても役立つ時があります。
また、自閉症の子がしつこく繰り返す行動のひとつひとつに
本人が喜びそうなリアクションを付けて返すのもいいかもしれません。
リアクションといっても派手なものではなく、どちらかというと静かで同じ繰り返しの多い
反応を返す方が喜ぶように思います。
コミュニケーションをとるのがとても難しい自閉症の子と
親しくなったきっかけは意外なものがほとんどです。
たとえば、こんな出来事があります。
ある子は机の上から物を繰り返し落としていました。
その子が落とすたびに、わたしはそれを大事そうに拾って、そうっと机にもどして、
「大事、大事」と小さな声で言いました。
何度も何度も、その子がそれをする度にそうしていたら、
その子の興味は、落とすことから、わたしの言動へと移っていきました。
遊びを広げていく前に、お互いの信頼関係を築いていく過程について
書いた過去記事がありますので、紹介します。
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初めて会った4歳当時は、★くんはトランポリンで跳ぶとか、マット上でごろごろ転がるといった関わりさえ
いっしょにするのは難しいような印象でした。
最初は積み木をぐちゃぐちゃと散らかすだけだった★くんが、
私が縦に並べていった積み木に、★くんも積み木を並べた……というだけで、
「こんなことができるのかー!それなら、他のこともいっしょに楽しめるかも」とそれだけで感激した記憶があります。
5歳頃の★くんは、テーブルと電車のおもちゃの隙間をいつまでも見ていたり、ひとりごとを言いながら跳びはねていることが多く、
やはり関わることに難しさを抱えていました。
今、目の前にいる7歳の★くんは、いきいきとして表情豊かで、
知力も目覚ましく伸びています。
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★くんと、長いボールコースターを作って遊びました。
この遊びの最中、★くんはこれまで見たことがないほどのはしゃぎっぷりで、
ピンポン玉サイズのボールが筒に入った瞬間、その地点で数回回転することが
うれしくてたまらないようでした。
「見て!ねっ!見てよ。ねこのボールがくるくるってまわるん?トンネルで。
ねぇねぇ、ピタゴラスイッチかくめい~くるくるビーダマ~♪」と途中までは私の方を見て、
途中からはひとりで歌うように言いました。
私も真似て、「ピタゴラスイッチかくめい~くるくるビーダマ」とふしを付けて言うと、
「それ、ぼくが作ったんだよ。名前!」と返ってきました。
「★くんが作ったのね。くるくるまわるもんね。くるくるっとね」と返すと、
「どう?これねぇ、くるくるってまわるんだよ。すごく。今から、ここから転がすからね」と★くんは
満面の笑みを浮かべて、ボールをスタートさせました。
このボールコースターで遊ぶ間中、★くんは私のまなざしの先や表情を見て、
ちゃんとボールを見ているのか、自分と同じように喜んでいるのか確かめるような様子でした。
また、心から打ち解けて、満面の笑みを浮かべていました。
どうも、このボールコースターを作る前の
クーゲルバーンで遊んでいた時から、私が急速に楽しい遊び相手と感じられるように
なったようなのです。
気にいった理由は、
★くんのお母さんが外に席をはずしてくださっていたこともあって、
私はわざと★くんの遊び方に合わせて、荒っぽい口調で「バーン!」とか「ドカーン」とか、「もうっ!★くん、やめてやめて!グラグラ
ドッカーンってこわれちゃうよ。あ~あ、こわれた~ハハハハ~(大爆笑)」と言ったりして、
★くんのはちゃめちゃな遊びっぷりと同調して遊んでいたからのようです。
★くんは、おなかがよじれるほど笑い転げてました。
その後★くんは私の一挙一動に好奇心いっぱいのまなざしを向けながら
目と目が合うと、いたずらっぽく笑いかけてきたのです。
その後、長いボールコースターを作ってからは、★くんの方から積極的に私に話かけては、私の返事を聞いて、
それに返事を返す……という会話の中身は同じようなことの繰り返しなのですが、
心と心でずっと長い間、キャッチボールをし続けることができたのです。
こんなに楽しく★くんと遊んだのは初めてでした。
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実は、自閉症と診断されている子どもたちの好きそうな教具(おもちゃの様なもの)やカードで遊ぼうと思っても、おもちゃやカードからの情報が多すぎて、慣れる(子どもたちが情報を処理する)までに時間がかかり、また、慣れてしまった後では、遊びやルールを変えるのを嫌がり、落ち着いて遊びを楽しむことが難しいことがよくありました。
ある男の子が鉛筆をコロコロ転がして遊び始めたので、迷路のようになった玉転がしの教具を見せたところ、興味はあるものの激しく反応し(近寄らないが、他の人が近づくと激しく怒って、泣く)、自由に遊んで楽しめるまでに3日かかりました。その後もほかの誰かと一緒に使うことは嫌がり、自分自身楽しむこと以外には広がりにくい様でした。
しばらくして、その男の子とたまたまゆっくり二人きりで過ごす時間があり、適当に白い厚紙をザクザク切って、ボールコースターを作ると、すぐに満面の笑みで遊び始め、とても喜んでいました。しかも、休み時間になり、他のお友達がコースターで遊んだり、コースを変化させても、変わらず喜んで遊んでいました。
この「紙で作った」という事が、アフォーダンスに大きな影響を与えたのでは?と感じました。
「紙」なので、コースがうまく走れずボールが飛び出してしまっても、ゲラゲラ笑って喜びましたし、「紙」なのでコースが壊れても(そして修理しても)、コースを付け足しても、不安になることなく楽しく遊べたのでは?と感じました。
もちろん、子どもたちそれぞれ持っている感覚が違うので、たまたまうまくいっただけかもしれませんが、それでも、一般的なおもちゃや教具などは、様々な感覚が研ぎ澄まされている自閉症の子どもたちには、ピックアップする情報が多すぎて、楽しむことができにくいのかも…などとモヤモヤ~ッと考えている今日この頃です。
また、息子さんの数学についての「公式がわかっている状態でひとつの道筋をつくってしまうと新しい道筋を見つけだしにくくなる。」という言葉も深く残っていて、何にでもない「紙」だったからこそ、遊びも広がったのでは…と感じています。
以前は、療育本等で遊びややり取りを身に着けるには手を使ったり、ボードゲーム、ごっこあそびが出来るようになどが必要と色々おもちゃを試していた時期もありましたが、好まず、お友達を意識して逃げたりくすぐられたり、物は使わない遊びが喜びます。
問題は、物でのやりとりが身についていないのか、つばをかけて反応を喜んだりしてしまいます。身体に触れなくても物を使わなくても自分の行為で相手が反応するからです。いけないので注意していますが、本人は遊びとして楽しんでいます。こういう困った行動にも何か隠されていた関わりが広がるのでしょうか?こだわりから工作への興味への導きがまだ難しいのですが、拝見しながらやってみたいと思います。
この子が、小さい頃から狂ったように絵本が好きな子で、今でも活字中毒です。
下に健常の妹がいるのですが、この子が4歳に近づくにつれ、お絵かき、塗り絵、切り紙、折り紙、木登りにどっぷりハマっています。
どれも、息子がほとんど興味を示さなかったものばかりです。
年小~年長の頃、働く母である私が育休を頂いていたので、こういう遊びを何とか導入しようと色々工夫して、なかなかうまく行かなかったことを思い出しました。本当に最低限をなぞるのがやっとでした。
絵を描く、という単体で見れば、今、クラスの中でそんなにへたくそではなく、一応及第点?の書きこまれた絵をかくようになりました。
でも、先生がおっしゃるように、思考の幅が狭いというか、うわべだけの知識だけどんどん大きくなって、創意工夫というものがなかなか育っていないように感じ、今更ながら焦りを感じています。
生活の中でできる工夫は重ねているつもりですが、私自身フルタイム勤務が必要という環境の中で、どうやって息子の凹の部分を育てていけるのか…。
もうすぐ、夏休みです。息子は学童から夕方になる前に自分で帰宅してもらうので、自宅で過ごす時間が夕方2時間位できます。
親は不在の時間ですが、ちょっとした学習とピアノの練習は朝やる週間になっているので、この暇な夕方2時間に何か取り組めないか…。
最初は子供大百科でも買って、勝手に読んでいてもらおうかと思っていたのですが、実体験を伴わない知識を増やすだけになってしまうでしょうか。
親が関われない時間である以上、それ以上の時間の使い方は難しいでしょうか。
一応夏休みは、川遊び、海遊び、磯の生物観察教室、食虫植物観察教室、てんぐさでところてんを作るイベント、科学実験教室等、自治体や児童館でやるものも含めて、息子との会話で出てくる「何でどうして」の疑問を育てられるようなものをなるべく体験させつつ、自宅で振返りや関連本の読書もしたいとは思っているのですが・・・。
まとまりのない文章になってしまいました。
創意工夫の幅が狭い子供に、早くからレベルの高い詳しく説明し過ぎるような図鑑を与えてしまうことは、かえって危険でしょうか?