虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考

2013-11-11 09:37:40 | 初めてお越しの方

過去記事です。

『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』 
山梨広一 東洋経済新報社
を読みました。
プロガプティブは、この著書では、「可能性を信じ、可能性を広げる」という意味で用いられています。

本のカバーに印刷された言葉。
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「これは無理だ。なぜなら……」という発想と、
「たぶん、できるはずだ。そのためには……」という発想は、結果的に天と地ほどの違いを生み出す。
プロガプティブ・シンキングとは、何でも面白がって可能性を否定することなく考える思考法なのである。
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この本を読んで最初に、「これって子どもたちが持っている発想法だな。
大人の価値観で管理しすぎなければ、
子どもはおおらかにこういう考え方を発展させながら成長していく。子どもらしい前向きで勢いのある思考のあり方を守ってあげなくてはならない」と感じました。

それから、作者がそれぞれの会社に向ける可能性を信じる姿勢に共感し、
子どもたちに対しても、「○○だからダメだ」とあきらめず、まず「できる」と思うことの大切さを再確認しました。

作者の山梨広一氏は、コンサルタントの仕事をする中で、

最初に「できる」と思わなければ、何ごとも絶対に不可能だ

という信念と思考を身につけるにいたったそうです。
山梨広一氏は次のようにおっしゃっています。(要約しています)

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経営者というものは、必ず自分の会社の可能性を信じている。
そこへ外からコンサルタントが入っていって、「この会社は○○だからダメだ」と思っていたとしたら、距離が近づくはずがないし、新しいアイデアや活動が創出されるはずがない。

ろくに検証もせずにできないと決めてかかることは、思考停止と同義語だ。そして考えることをやめてしまえば、その瞬間にすべて終了なのである。

逆にあらゆる可能性を論理的に突き詰めていけば、
不可能と思われることが可能になることも決して少なくないということを、自分自身で何度も経験した。

ただそのためには目的や条件を変えたり、何かをやめたりしなければならないときもある。
何かが整うのを待つために、時間がかかることもある。
しかし、最初に「できる」と思うことで、それが実現する可能性は飛躍的に向上する。  (『プロガプティブ・シンキング 面白がる思考』より) 
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著者によると、人間の思考には4つの典型的なパターンがあるそうです。

<思いつき君>
<堅実君>
<ヒトマネ君>
<面白がる君>

最後の<面白がる君>が、プロガプティブ・シンキングをする人物です。
(これらの特徴はデフォルメされているので、実際はひとりの人の中にほかのタイプも混じっています)

<思いつき君>
とは、個別の具体的アイデアを湯水のごとく出してくるタイプ。

優れているところは、アイデアが具体的であること。確率は低くてもヒットの可能性を持っていること。
問題は、ヒット確率は保証されないことです。
また、なぜそのアイデアが出てきたのかという論理構成がしっかりしていないので、やってみた結果を貴重な体験として生かしにくい問題があります。

<堅実君>
とは、なにごとも手堅く堅実に考えて、実行に移すタイプ。
「仕事ができる」という評価を得ていることが多い。
事務処理能力が高く、ミスが少なく、責任感が強い。
欠点は、堅実にしか考えられないので、アイデアは平凡なものになる可能性が高いこと。文句のつけようがない無難なアイデアは、議論も広がっていきません。「斬新さ」や「変革」と無縁になりがちです。

<ヒトマネ君>は、誰かのアイデアや成功事例を拝借しようとする傾向が強いタイプ。
<ヒトマネ君>のアイデアは、聞いたことのない新しいアイデアではなく、必ずどこかにサンプルがあるものなので、具体的で議論がしやすい。
同業他者のアイデアを真似るのは、言葉は悪いが「パクリ」だが、
異なる業種のものをもってくるのは立派な「創造」になりえます。

弱点は、表層的な真似にとどまる限り、結果として成功しても失敗しても、実は本質がわからない。成功したからといって、たまたまうまくいっただけで、そこから次に広がらない場合が多いことです。

プロウ゛ォカティブ・シンキング で考える<面白がる君>とは、
何でも面白がって考えるのが特徴です。
難しければ難しいほど面白いと思います。
したがって、ブレークスルーや変革を生み出す可能性は、4人の中で一番高い。
<面白がる君>と一緒に働くと、本人も周りも「ワクワク感」、高揚感を持って仕事ができる。
何人かでチームを組むと、個人の発想や思考パターンの限界を超える可能性がある。
これは個人の成長にも貢献する。

まさしく現代は<面白がる君>が求められている時代なのです。

       (『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』より) 
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うちの子たちや虹色教室に通う子たちと過していると、子どもというのは、
本来、この<面白がる君>の特徴を強く持っている存在だと感じます。

特に、子どもたちが大人に干渉されずに自由に遊ぶ時には、
<面白がる君>そのものです。

もし時代が、<面白がる君>を求めているのなら、
私たちは子どもたちのそうした子どもらしさを
本当に大切にしてあげなくてはならないと思っています。

それは甘やかすことでも、子どものわがままや気ままを
何でも許すことではありません。

子どもたちは、たくさんの自由時間と
友だちと群れて遊ぶ場を必要としています。

干渉されず、評価されず、何度も失敗することが許される
『子ども時代』が必要です。
さまざまな年代の人々、職種の人々と接して、会話し、
生きる方向性を学ぶ機会が必要です。
たったひとつの正しい道だけではなく、
いくつもの回り道があることも大事だと感じています。

現在、優秀な子たちはごくわずかで、残りの大多数の学力が底辺にとどまっていることが指摘されています。「中間層」がいないのです。
これは子どもたちが、また子どもを支える大人たちが、百かゼロか、○か×かの判断をしがちで、
唯一の正しい道から少しでもそれたら、
「できない!」と決め付ける思考停止に陥りがちなことから
来ているように感じています。

「トップをキープできないなら全く勉強に手をつけない、
がんばることをやめてしまう」なんて極端に走らず、

『どんなときも、自分の可能性を信じ、可能性を広げていく努力を怠らないたくましさと明るさ』を
子どもたちの心に育んでいきたいと思っています。


アルバイトに行く準備をしている娘と息子の受験の件で口喧嘩になりました。
娘の抗議は、息子はすでに学校に勧められた私大は受かっているのに、
どうして行くつもりのない地方の国立大を2つも受けるのかという話。
陰でダンナが娘にこぼしていたようです。
私にしても、前回の三者面談までは、そんな無駄な受験をさせる気はさらさらなかったのです。

でも担任のあまりの熱意に押されたのと、
現役合格者数をアピールしたい学校側に対して、
浪人させると迷惑をかけるという申し訳なさで、
何度もしつこく断りながらも終いには承諾してしまったのです。

こうした学校への御奉仕としての受験は、私立高の特進クラスではあたり前と聞いていて、
他の学校では、「受かるところばかり20校受けた」なんて話も耳にしています。
娘から「どうして?」と責められると返す言葉もないのだけど、
懇談の場では、この話を承諾するかどうかで、
担任の先生のこの1年の学校での立場が変わってくるのかも……と思うと、つい心が大きく揺らいでしまったのです。

それまで「そんな無意味な入試、絶対したくない」と言い続けていた息子も、懇談の後は苦笑いしながら、
「やっぱりさ、先生のうれしそうな顔を見ると、まぁいいかって、こっちまでちょっとうれしくなってしまうよね。お母さんもだろうけど、たとえ気の合わない相手でも他人がうれしそうにしていると、それだけで幸せな気分になるもんだな」とつぶやいていました。

そんなわけで、ピリピリしながら家を出て行った娘を見送って、思わず長いため息をついていると、2階から息子が降りてきました。
「それ良かったわよ」とテーブルの上の『面白がる思考』の本を指差すと、
息子はちょっと神妙な顔をして、こう言いました。

「お母さんがそういう企業理念やビジネスのあり方についての本を読むことは、お母さんの教室のような小さい規模の自営業においても大事だし、役立つことだとは思うんだよ。

でもそうした本にある方法と、実際のお母さんの仕事を切り離して考えた方がいいと思うんだ。

ひとつには、そうした本が目指している先にある企業が求めるお金や事業の拡大といった目標と、お母さんの求めているものが少しちがうってことなんだ。つまり、お母さんにとって大切なのは、金銭的な成功よりも、精神的な充足感の方だよね。
ぼくにしたって、売り手の好みに媚びるだけのものづくりはしたくないと思っているんだ。職人魂のようなものも大事にしていきたいし。

それと、もうひとつ。ポーカーをしていると実感することなんだけど、
それが本当に良い正しい方法だったとしても、これでいけるって思いすぎると、ひとつの手段しか考えられなくなって、視野が狭くなったり強迫的な思考に陥りがちになるんだよ。」

「確かにそうね。なら、こうした本を読みながら、どのようであればいいと思うの?」

「それでいいのか、常に別の解決策を探っていく必要があると思うよ。
考えていく上で正しいと信じることがあるゆえに傲慢になっちゃいけないというか……つまり謙虚さがいるってことだよ」

「ふーん、そうなの。
お母さんがこうしたビジネス書を読むのはね……こういう理由もあるのよ。
ちょうどこの間、主婦仲間で集まった際に○さんがこんなことを話していたのよね……。
○さんが社会に出て働き出したとき、学生の間、学校で自分に求められていたものと、社会に出てから自分に求められるもののギャップがあまりに大きくて、180度違うといってもいいようなものだったのでショックを受けたらしいのよ。学校にいるときは、とにかくテストの成績を上げることが、自分を高める手段だと思わされているのに、
一歩外の空気を吸えば、人と関わる力や場の空気を読む力や現場で創意工夫しながら柔軟に動く力とか、叱られても、へこまない鈍感力なんかが要求される。
学歴が高くても、創造性が弱くて、自発的に動けない人は、
クズ同然に扱われる職場もあるのよね。
学校と外とのギャップがそんなにも大きいと、
社会の風にあたったとたん、たちまちヘナヘナ~となってしまう日本人の若者が多いわけよ。
そんなんじゃ海外のハングリー精神がたくましい若者たちに太刀打ちできないわ。
それって、変な例えだけど、いずれ野生に返す野生動物をペット化して、いろんな芸とかしこんで喜んでいるようなもんじゃないかと思うのよ。
芸の訓練は動物の知能を向上させているかもしれないけど、結局それだけでは、野生で生きる足かせにしかならないのよね。

だからお母さんがこうしたビジネス書を読んだり、いろんな会社の社長の企業理念とか読んだりするのは、
子どもたちと接しているからには、自分自身に外の世界……社会との風穴を開けておきたいの。
今社会が次世代を担う子どもたちに何を求めているのか、
常に新しい考えを取り入れて、子どもたちに伝えていきたいのよ」

息子はわかったという風ににっこり笑ってうなずきました。

子どもたちが大きくなってくると、意見するより意見されることが多くなります。


わが家は子どもたちが大きいもので、このところの家族内で飛び交っている会話のほとんどがビジネスネタになっているので、ついブログまでそれに染まってきています。(幼児教育の話、待っている方すいません~)

今朝、『ルソンの壷』で、「三日月百子(みかづきももこ)」という創業12年で年商28億円の売り上げを誇る300円均一ショップが取り上げられていました。
従業員の98%という女性の「感性」を武器に、女性の心をくすぐる品揃えで不況を生き残るビジネスモデルを確立したとされる物河昭社長。

これを見ていて、ファンシーショップをしていた頃のことが懐かしく思い出されたのと、
ファンシーショップの話 1
ファンシーショップの話 2
ファンシーショップの話 3

会社で働く若い女性たちを見て、うちの娘の姿と重なったのとで、思わずテレビ画面に食いついていました。

物河昭社長は、あるとき、若い女性従業員に仕入れを任せてみたそうです。
すると、女性が直感的に「かわいい!」と仕入れてくるものは社長が絶対選ばないような妙なものが……。
でも、それがあっという間に完売することを繰り返したそうです。
たとえば、20代前後の女性客がターゲットの店に、「ままごとセットはないでしょ?」と社長は思うわけだけど、
そんな男性の感性では「ありえない」ものが、どれもこれもすぐに売り切れてしまう訳です。そこで、社長は、仕入れから店の飾りつけから何から何まで女性陣に任せていって、年商28億円を誇るようになったそうなのです。

この「かわいい!」を嗅ぎ分ける感性は、女性の、それも若い子たちにはかなわないのかもしれませんね。
「三日月百子(みかづきももこ)の女性従業員の年齢は、うちの娘とあまり変わりないように見えました。

最近、海外留学の準備をしたり、将来の夢のためのトレーニングをしたりと、夢に向かって邁進する親しい友人たちの影響を受けて、
ちょっとあせっている様子の娘。
「何か特技を磨きたい。資格を取りたい。やっぱり英語かな?それとも文学全集読破とかして、自分を内側から高めた方がいいのかな」と迷いを口にします。
他人に誇れる何かを持ちたい、今の自分のままじゃダメだ……そんな風に悩む年頃なんですね。

親とすれば、いっぱい悩んで、いろいろやってみて、挫折したり、失敗したり、悩んだりしながら、少しずつ自分を確立していって欲しいと望む反面、
『今の自分のまま』の娘も、十分すごいんだけどなぁと感じています。

といっても、私が娘に対して「すごい」と感服している力というのは、
学校のような場で評価される能力じゃないし、資格でも受賞歴でもないし、
芸術やスポーツの才能でもないのですが……。

ならその「すごい!」って何なのか? と言えば、
今朝のルソンの壷を見て、「そうそうコレコレ!」と指をさしたくなったほど、「三日月百子(みかづきももこ)」で仕入れや飾り付けに手腕を発揮する
「かわいい!」にビビビッと反応する女の子たちの姿と重なったのです。

従業員の女性たちって、女の子たちに「私を買って!」アピールするかわいいもの、きれいなもの、ブランド品、面白いもの、100円グッズに囲まれて
育ってきたうちの娘たちの世代の子らなんですよね。
進化するカラオケやコンビニや旅行パックやらを友だちと便利に利用し、携帯だ、ミクシーだ、音楽のダウンロードだと、めまぐるしく変わるツールを当たり前のように使って暮らしている世代。

うちの子たちは2人とも、世間から学力低下の全責任を負わされている『ゆとり教育』にどっぷりつかって成長してきました。

子育てを振り返ると、学校でどんな教育を受けていたかということより、
子どもたちが消費のターゲットとなり、
子どもの世界に堰を切ったようにブランド品やら、ファンシー文具や、エンターテイメントの遊技場やケーブルテレビ、ビデオレンタル、携帯電話などのITグッズ、ホストやホステスを子どもの憧れに祭り上げる風潮やら、
が流れ込んできたことしか記憶に残っていないのです。

そんな急激な大人世界の子ども世界への奇襲攻撃にさらされながら、
それ以前の子どもたちとは180度異なる子ども時代を生きてきたのが、
このゆとり世代の子たちとも言えます。

これって未開発の地で、現地の人が自然相手にバランスよく暮らしていたところに、大量の物が流れ込んできて、あまりの誘惑の多さに惑わされて
それまで継承されてきた堅実な生活が成り立たなくなった様子とよく似ています。
経済の発展には仕方がないことなんでしょうけど、
ゆとり教育の世代が、勉強しないのは、教科書が薄くなったからではないな……というのは現場で子育てしていると、一目瞭然のことなのですがね……。

(話が、ちょっとそれますが、脱ゆとりを掲げて学力低下を食い止める策が練られて、テストの点という部分だけ見ると、子どもたちがしっかりしてきた印象があるかもしれません。
でも、子どもに関わるボランティアなどをしている人々が口をそろえて嘆くのは、ゆとり世代の子よりはるかに幼くなった依存的で無気力な脱ゆとり後の子どもたちの姿です。
そうした現実を現場で見つめることなく、テストの点だけで子どもを操作しているつもりになるのは危険だなと感じています。)

あんまりよく言われたためしがない平成生まれの子どもたち、
学力や常識は欠落しているのかもしれないけど、
今の時代の空気や消費、ビジネスセンスといったものへの感性は、昭和の時代に育った私などとは比べ物にならないような敏感さを持っていて、
びっくりしてしまうことも多々あるのです。

娘(月の小遣い千円です)が小6のとき、
「お母さん、●●ブランドの髪留め、2個1500円もするんだって!!友だちと買って1個ずつ分けようって相談しているんだけど、買ってもいい?」と聞かれたときは驚いたものの、
「自分のお小遣いで何とかするんでしょ。なら本当にそれだけの価値があるのか試してみたら?」ちょっと呆れつつ返事を返した覚えがあります。
すると、その後も好奇心を刺激するものをいろいろ試すものの、
けっこう財布の紐は難くて、
商品やサービスを見比べる目だけをどんどん高めていく娘の姿がありました。

今の時代の空気や消費、ビジネスセンスといったものへの感性と言えば、
ファンシーショップをしていた時期は、
私も自分の女性的な直感的な勘をフルに使って仕事をしてはいました。
そして、それがまあまあ良いところを突いて当たってもいました。

でも、平成生まれの娘や息子と話をしていると、
そういう私の直感なんかとは根本的に異なる
『今の時代』が血となり肉となっているような感じ方や考え方とぶつかって
面食らうことが多々あるのです。

それは娘の場合でしたら、ひとつには
自分たちの世代の持つ『もろさ』や『コンプレックス』を十分承知していて、
それが消費活動に投影されていることもよくわかっていて、
次には何が売れるのか、何が流行するのかよくわかっている感性といったらいいようなものです。

「クラスで10番目に可愛い子」を集めたというAKB48のコンセプトが、
「完璧を求めて背伸びするのはしんどいし、あるがままの自分を認めてほしい、
だけど注目されて成功したい」という自分たちの潜在的なニーズとつながりあっていることが、
流行る前からわかっている感性とでも言ったらよいでしょうか。

もうひとつは、ブランド物に子どもの頃から触れていたゆえか、
ビジュアル世界の進化の中で育ってきたゆえか、
『クオリティーの高さ』というのはどういうものか、世界中のデザインに好奇心を広げつつ、その質が何ゆえにいいのか感覚的にわかっている感性。

また別に、常に欲望をそそるコマーシャルを雨のように浴びて育ってきているだけに、
何が人の購買意欲をそそるのか、単なるキャッチコピーのようなものを超えて
よくわかっているところがあるのです。

息子の場合、
多すぎる情報の中で、優れた消費者になるよりゼロから作り出す生産者なることの方に魅力を感じていました。

一方で、さまざまな情報を自分の手足のように使っていくところが平成生まれの子だなぁとしみじみ感じます。

写真は、小3のとき、息子のもとに明糖製菓から届いたお菓子の詰め合わせに入っていた手紙です。

ちょうどその頃、私が公募にはまっていて、
私は文章で、娘は地域のビジネスアイデアコンテストのようなもので
賞をいただいていたときでした。

他人のしていることに乗っかるのが嫌いな息子は無関心を装っていました。
が、ある日、自分が食べているお菓子のパッケージをまじまじと見つめて、
「お母さん、ここに書いてある住所は、お菓子を作っている会社のものだよね。お客さま相談室って、お菓子を食べた人が感想を送ってもいいんだよね」と言うなり、自分が考えた『ぷくぷくたい』の新しい食べ方や活用法をへたくそな字ではがきに綴って、その住所に送っていたのです。

「よくそんなこと思いつくな。でも、そんなの読んでもらえるのかな?」とそのときは誰も気にもとめていなかったのですが、
とても親切なお客さま相談室の手に届いたらしく、
後日、息子のもとに、
小ぶりな段ボールいっぱいのお菓子の詰め合わせと、
ていねいな手紙が届いたのです。

そんな風にさまざまな情報をごく身近に感じて育った息子。

先日もこんなことを言っていました。
「今は簡単に音楽をダウンロードできるけれど、一方で、CDやレコードを一枚一枚購入していた時代の、自分個人の物を買ったというリアルな実感が価値を持ってきているように思うよ。
CDについている歌詞カードなんて、作るのにかかる費用なんてしれたもんなのに、そんなもの1枚がヤフーなんかでCDが売買される際には、大きな金額の差を生んでいる。

いろんな情報をシェアする時代だからこそ、自分のもの、自分のために買ったものという証明のようなものがほしくもあるんだ。
なぜ、多くの人々がキャラクターを愛するのかといったことも、その根底にある意味をつきとめていったら、求められているものが見えてくると思うよ。

たとえば、ホームページビルダーなどのアプリケーションを、みんな道具として捉えていて、そこに自分の物を買ったという満足感を見出しにくいよね。

でも、そこに一昔前の人々がCDやレコードを買ったときに感じたような付加価値を付け加えると、またちがったものになってくると思うんだ。
たとえば、ホームページを作るアプリケーションなんかを、個人の好みや趣味に強く訴えるもので、選べて、組み合わせが楽しめるようなものにするとかさ。
もうすでに、そんなことを考えている人はけっこういるのかもしれないけど、そういうものを、単にこれまでの模倣ですればうまくいくわけじゃないよ。
まったくこれまでにない新しさと気づかれていなかったけど大事な古さが両方必要なんだ。」

虹色教室通信を読んでくださっているというパパさんたちから、
「ビジネス書の記事も楽しみにしています」と言っていただくことが増えました。幼児教育の記事といっしょに
こうした記事もちょくちょく書いていこうと思います。
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プロウ゛ォカティブ・シンキングをどのように身につけるのかで一番大事なのは、マインドセットをなのだそうです。
右脳か左脳かで言うと、右脳のほう。
感情や感性の果たす役割が大きいのです。

鍵となるマインドセットは、3つ。
ひとつは可能性を信じること。「できない」と思っていたら、何もできるわけがない。「できる」と言い切ってしまうことも必要です。

二つ目は、好奇心を持つこと。いろいろな種類の情報に、いろいろな角度から興味を持つこと。これまで気にしていなかったことや、
まわりのみんなが無視するようなところに着目します。

三つ目は、好奇心を持って集めた情報が、自分が取り組んでいる課題の本質やその解の方向性に関してどんな意味を持つのかを考えるときに、収集したひとつひとつの情報からたくさんの多様なメッセージを読み取ろうと楽しむこと。

(『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』山梨広一 東洋経済新聞社 の一部より引用)
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web拍手にいただくコメントを読んでいると、
面白いことに、この虹色教室通信、子どものいらっしゃらない男性で読んでくださっている方もちらほらあるようなのです。

それって、この二つ目の

<まわりのみんなが無視するようなところに着目する。いろいろな種類の情報に、いろいろな角度から興味を持つ。>

という『面白がる思考』のなせるわざなのだろうなと思います。

まず「できる!」と可能性を信じることから始める
プロウ゛ォカティブ・シンキングのマインドセット。
わが家でも思い出深い出来事があります。
(他人が「へっ?」と思うことをするのは息子が多いので、息子のネタばかり続いてますが……)

息子が4年生のとき、夏休み中遊びほうけて、
8月の終わりにちゃちゃっと1日で仕上げた自由研究を提出した後で、
2学期が始まってから「光の研究がしたい」と言い出したことがあったのです。

私ははじめ「ホログラフィーが作ってみたい」と息子に相談されたときは、
「それはいくらなんでも無理でしょ」と思いました。
SF映画みたいに空中に浮かぶ立体映像が作りたいと本人は思っているのです。
「そんなのできるわけがない……。」
一瞬、プロウ゛ォカティブ・シンキングからほど遠い考えに傾きました。
でも、息子の「室内に蜃気楼を作り出して、3Dを浮かび上がらせたい」というアイデアを聞いたときは、思わず吹き出してしまって、
それなら何人かお友だちを集めてチームを組んで、好きなようにやってみたらいいわと答えました。

そのとき、息子が「光の研究をするきっかけ」として書いた作文を載せますね。
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テーマ『光の性質を利用して、ホログラフィーがつくりたい』
きっかけ

ある夜ぼくは、お姉ちゃんのへやにいって、
「映画がはじまりまーす」と電気を消した。
ビニールぶくろにマジックで絵をかいて、
うしろから懐中電灯でてらしたら、かべに映画みたいなのが、うつる。

お母さんに見せたら、「子どものころ、小学生向けの雑誌のふろくに、
映写機がついていたの。
アニメのフィルムをこんなふうにみたわ」といった。
映写機のことをいろいろ聞いているうちに、光をつかった実験がいろいろしたくなった。

ぼくは夏休み中、自由研究のテーマがなかなか思いつかなかった。
夕ごはんのとき「光の研究がしたいけど、もう2学期がはじまっちゃったから、
終わりだね」とがっかりしていったら、お母さんが
「公募の本で、科学コンクールの募集を見たけど、まだだいじょうぶだったと思うわよ」
といった。

「じゃ、ホログラフィーを作りたい」と
急に思いついていった。
「ホログラフィーって何?」とお母さんが聞いた。
「立体の空中に浮かぶやつ」
「ああ、SF映画とかに出てくるあれね」
「それは無理じゃないかなぁ」
お父さんもお母さんも首をかしげた。

ぼくはいろいろやったらできるかもしれないと思うんだけどな。
「特別な条件の下なら、そう見えるかもしれないし、自分がやりたいテーマで
研究したらいい」とお母さんも賛成してくれた。
ぼくにはひとつアイデアがあった。
さばくにうかぶしん気ろうは、機械がないのに立体映像が見られる。
しん気ろうができるしくみを
探って、ホログラフィーの作り方がわからないだろうか?
ぼくの持っている『ドラえもん 不思議サイエンス』という本に、
「しん気ろうは、地面近くに
密度のちがう空気の層ができたときに起こる現象です。
下層に密度の大きい冷たい空気、上層に密度の小さいあたたかい空気があるときは、
実際の像は、浮いて見えます。
反対に下層にあたたかい空気、上層に冷たい空気があるときは、像は沈んで見えます」と書いてある。
密度が均一でない空気中で光が曲がって見えるから、しん気ろうは見える。

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ちょっと尻切れトンボに終わっている文ですが、
息子なりに一生懸命書いて、その後、研究結果もまとめていました。

私はドライアイス用意したり、虫眼鏡用意したりと、ちょこちょこ手伝いながら、最後は失敗に終わってもやることに意義があるんだから……などと考えていました。

それが、
なんと……ホログラフィーができたのです!!
ガラスの屈折と目の錯覚を利用したもので、本当にホログラフィーと呼べるものかはわからないのですが、
いろいろ実験をやっているうちに、まったくの偶然なのですが、
空中に浮かぶ像を作ることができたんです。
できたときは、子どもたち、万歳三唱していました。
材料は、ガラスのコップ ガラス細工人形 ガラスの鍋蓋 懐中電灯です。

最初に息子が『ドラえもん 不思議サイエンス』から思いついた
砂漠の蜃気楼を作って像を浮かび上がらせるという案は、
いくら何でもむちゃくちゃな話のようにも思えました。
案の定、ドライアイスを使って密度や温度の異なる空気の層を作り出そうする実験はどれも失敗に終わりました。

が、この蜃気楼ができる仕組みの
「密度が均一でない空気中で光が曲がって見えるから、しん気ろうは見える。」という一文から出発して、片っ端から光を曲げてくれそうな物を集めて実験していったところ、
終いにガラスコップの中央部に3D映像として浮かび上がる像を作り出すことに成功したのです。

この出来事で、「できない」という発想ではなく、
「できる」と可能性を否定することなく考えていくことの大切さを
心に刻みました。


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