虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ファンシーショップの話

2010-08-12 17:23:54 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

子どもの頃、憧れていたもののひとつに『ファンシーショップ』が
あります。
千里山の駅前の坂道をのぼっていった先に、こじんまりとしたサンリオショップができたのは、確か小学校中学年くらいの頃でした。

だれかの誕生会にお呼ばれすると、
母から「プレゼント代」なるお金を預かって、友だちと連れ立ってそこに足を運んだものでした。
当時のサンリオショップは、
赤やピンクの女の子ワールドで隙間なく囲われた
穴倉風の店で、買い物すると、きれいな包装紙で包んでもらった上に、プラスチックのグリコのおまけのサンリオバージョンとでもいったらいいようなものを、
プラ~ンと貼り付けてもらえました。
その安っぽいおまけ風のものに、何ともいえないお得感を感じたものです。
妹は、この店で香りつきティッシュのコレクションにはまってましたが、
買い物自体にさほど興味がなかった私は、いろいろ眺めた後は、
サンリオ新聞を購入して帰っていました。
小学生の私は、キティーちゃんのジュエリーボックスや、キキララのレターセットといったものに憧れるより、「こんなお店がしてみたいなぁ」という憧れる気持ちで、店を細かくチェックしていたのです。

大人になって、わが子たちが小学生となって、えんぴつやノートを選びに
文具店に立ち寄るようになった頃、急に、この「こんなお店がしてみたいなぁ」というファンシーショップに抱いた憧れが、胸に浮上してきました。
たまたまダンナがリストラにあったので、
これはチャンスとばかりに「これから自営で食べていこう」と説得し、自宅のガレージを少しだけ改装し、
ママチャリに乗って、おもちゃや文具の問屋街まで仕入れに行きました。

仕入れ資金がないし、何が売れるのか見当がつかないので、
目もあてられないほど貧相な品揃えでスタートしたファンシーショップは、
たまたま、まだファンシー文具というのがめずらしかったため、
思いのほか売れました。

ダンナが仕入れてきた日には思わず絶句してしまった
初期のデザインのセーラームーンの甚平や、変な犬のキャラクター消しゴムで
さえ、店頭に並べれば、完売する状態でした。

そこで、最初のうちは、3万円分仕入れて、5万の儲けなら、次は5万仕入れる。5万仕入れて、7万儲かれば、次は7万仕入れる
という具合に仕入れ額を上げていくと、
狭い店内をカバンや文具やおもちゃが埋め尽くす頃には、
4人家族で食べていくには困らないくらいの売り上げがでる
店になっていました。

といっても、自営業は年金やら保険やら出費もかさむし、売り上げは良い月も悪い月もありますから、店番の合間を縫って、家庭教師をしたり、パートに行ったり、忙しく暮らしていました。
ダンナもあちこちのパートやバイトに顔を出していました。

そうするうちに、あまりに売れて品薄になるので、
海外の卸と直で契約して仕入れようかという事態になったディズニーグッズのブームやら、キティーブーム
がやってきました。

それが去ったあとは、
韓国から卸屋がうちのような小さなファンシーショップにまでやってきて、
『ケロケロケロッピ』とか『みんなのター坊』といった古いサンリオキャラクターをいっさいがっさい買い占めて帰っていくという韓国でのサンリオブーム
の恩恵も受けました。

まぁ、ファンシー扱っているときほど、めまぐるしく時代や流行の移り変わりを肌で感じたときはありませんでした。
テレビで、「子どもの間でこんなものが流行ってます~」
なんて紹介されるときには、ブームが下火で、流行が最後の残り火のようになっている時です。
実際、物が売れるのは、まだ口コミでの噂にさえのぼっておらず、
雰囲気とか、商売人のアンテナにだけ、力強く
「これは売れそうだ」「絶対いける」と響いてくる時期であって、
それを逃して、「売れているな」と気づいて後から参戦した店は、
どこも抱き合わせで売れないものまでセットで買わされたり、
大量の在庫を抱えたりして四苦八苦していました。

そんな1,2週間の読みのずれが命取りのファンシーの世界で、
ドラクエえんぴつブームとか、
ビーダマンブームとか、
新しい小さなデザイン会社の文具のブームとか、
たれパンダブームとか、
遊戯王のカードブームとかの盛衰の波をサーフィンでもするように
乗り移りながら、店を続けていました。
ファンシーブームが最高潮の時期は、
もう一軒、お店を構える予定で、駅前の空き店舗を調べたこともあったくらいだけど、
次第に、ゆるやかにファンシー業界全体が、元気がなくなっていきました。

店を始めた当初は、子どたちとの和気あいあいとした交流の場だったけれど、
しまいに、「商売の場」「消費の場」って感じになってきていました。
(1万円札とか持って、高学年や中学生の子が店で荒い買い方をするのは苦手なので……ちょっと教育上よくない店になってきたし終わりにしようと感じてました。)
私自身の「ファンシーショップしてみたいなぁ」の夢はもう十分
おなかいっぱい満たされたから、もう終わりにしよう~
次にやりたいことがいろいろ出てきたし、
とある時、お店としては、まだ調子のいいときに、店を閉めることにしました。

卸屋を自転車ではしごして回る売れる商品にやたら鼻のきく年配女性とか、
ファンシーショップをあちこちに展開している男性とか、
店を始めたばかりの若い夫婦とか、
お店をしている間は
いろんな人との付き合いの輪が広がって、互いに情報を交換しあって面白かったです。

夢ってどんな形でも、一度は、実現してみると、
やったがいあるなぁと感じた体験です。
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2010-08-12 19:47:02
今まで少し難しい話が続いていたので、この日記にびっくり 笑
いきなりファンシーショップをされていたという(しかも本格的に)話題で、とても面白かったです。

夢をどんどん叶えられる人って何が違うのでしょう・・・
返信する
ファンシー (東大パパ)
2010-08-12 20:52:18
仕入れは松屋町でしょうか。あの町はワクワクしますよね♪
サンリオはアンパンマンのやなせたかしさんが編集長で「詩とメルヘン」を長いこと発行していたりと、本当に不思議な会社ですよね。
日本のファンシーがここまで発展したのは、そんな懐の深い会社がファンシーの親玉をやっていたからかもしれませんね。詩の雑誌を道楽で出すなんて、本当に粋です。
返信する
びっくりです(@_@) (ひなママ)
2010-08-13 01:32:56
私もファンシーショップ経営にはびっくりしました^^;
こんなお店がしてみたいなぁ・・・とゆぅ憧れでお店を開店・・・ で、それが当たっちゃう・・・^^; すごいと思います(@_@;) 
普通なら尻込みしてしまう状況下、ポジティブに事を運べる奈緒美先生がとってもうらやましいです♪

記事とは全く関係ありませんが、以前奈緒美先生が紹介してらしたかき氷機、作ってみました♪ ブログに載っけたので宜しければ覗いてみてください♪
http://blogs.yahoo.co.jp/kaihatsu112/33354313.html
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