本日最後の投稿。
本当は雪組100周年のチケットが取れたら東京泊まりにしようと思ってましたが、取れるかもしれない前提で新国立のチケットを取ったのに結局希望叶わずだったので、さっさと夜行バスで帰ってきた次第であります。
財布を失くしたことも知らず、観劇前の時間つぶしに悠々と有楽町の映画館で観ていたのがこの作品でした。
鑑賞後、さあ、初台に行こうと鞄から財布を取ろうとしたら財布がないことに気付いたわけであります…。
では、ここから本題。
ずっと前に予告を観たときに、「お前もオスか!?」(?)っていう台詞が私のハートを鷲掴みにしたので興味津津ではありましたが、結局関西では見る機会を失い、
たまたま新国立劇場に行くまでに時間があったので、時間つぶしにここぞとばかりに観たら、結構良かった。
ぶっちゃけ、感想が書けそうになかったらそのままスルーするつもりでいたんだけどね(汗)
ぶっちゃけ、「すずめの戸締まり」の二番煎じ感はあったが、メッセージ性は明らかにこちらの方が明瞭だったので、ウルウルしまくった。
まだたくさん席が空いている中で、わざわざ私の隣の席のチケットを買わなくてもいいのに、ちなみに私の方が前日にネット購入していた、私の隣に座っていたおじさんは、泣いて拍手してたよ。私は頷きオッサンでしたが(笑)
観終えた直後に感じたことは、極端な言い方だけど、世界の終わりの世紀末を描いた作品だと思った。
ここで描かれているのは、簡単に言うと過去と現実。決して過去にタイムスリップしているわけじゃなく、どちらも未来へと時を刻んでいる世界。
だが、過去の世界は、単純に過去ではなく、あの世の世界ともとれるし、時間が一分一秒進むごとに失われていくように、失った過去の一瞬を剥ぎ取った時間空間ともとれる。
パラレルワールドとかメタバースとは違う失われた時間。
私的に言うと、一秒は一瞬で過ぎ去るが、時間空間は永遠に止まったまま。カチコチに固まった石のように身動きすることなく時間が止まっているんじゃなくて、その時間空間にも世界が広がっている。ちょうどExcelの1マスのセルを拡張してWordのように使用し何某の世界を描いているのと同じ。
その時間空間には、セルと同じくベルリンやパレスチナ自治政府区のように現実社会とのを隔てる壁(見えないバリア)があり、痛みも雪の冷たさも寒さも暑さも感じない世界。そこに住む住民は幽霊的な存在。だが私は幽霊だとは思わない。
その壁を乗り越えることは現実社会で生きることを意味するのではなく、神隠しのように消えてなくなることを意味する…。
そのExcelの1マスのセル世界に1人の女の子が迷い込んでいた。ここからはあえてセル世界とかきますね。
セル世界にも教祖的存在の人間がいて、工場にその女の子を隠していた。その女の子を神の子だと崇め(?)、この子を失うことはこのセル世界を崩壊させると信じ込み、誰の目にも触れないように自分の娘に世話役をさせていた。
誰かの心の崩壊が、この現実との見えないバリアに亀裂が入りセル世界が崩壊することが分かってくる。
当たり前だが、このセル世界の住民は、この社会、この今の世界が消えてなくなることを恐れる。
好きな男の子にやっとの想いで告白しオッケーもらったのに、その幸せを明日失いたいか?
亡くなった兄の嫁に恋心を寄せているのに、成就しないまま終わらせたいか?
セル世界の住民もこの狭い世界で必死に生きている。必死に世界が消えてなくなることを防御したいと思ってる。
彼らの意思に反して、主人公の男の子・正宗と世話役の女の子・睦実は、五実(いつみ)と名付けた謎の少女(工場に隠されている)を現実空間に送り返そうとする。
この主人公の正宗と睦実と五実にはある共通点があり、そこは映画でご覧下さい。
全体的なメッセージとしては、明日消えてなくなるかもしれない今の世界で、今を一生懸命に生きること、今の幸せを守るために一生懸命でいること、
それは、過去であろうと未来であろうと生きている今を精一杯生きること。これが最大のメッセージだと思った。
設定をややこしくしてるだけであってメッセージは非常にシンプルだと思った。実際の監督の意図は分からないけど。
予告で見た「お前もオスか!?」って台詞がどこで出てくるのかと思いきや、めちゃくちゃ強い言葉だから、重いシーンで使われるのかと重いきや、意外とシンプルなシーンで使われていたのでちとガッカリしたけどね。っていうか、予告でこの台詞を聞かなかったら絶対観てないけど…。藁
それは良しとしても、作品としてはアニメじゃないと作れない世界観ではあるので、ラスト上映前に観れて良かった。