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「SEMINAR セミナー」

2013-12-29 20:05:33 | 舞台
今年最後の観劇で大変感激させてもらいました!

超久々に栗山演出で感動しております。実は、ラストで涙が…。追い打ちをかけるようにジプシー・キングスの♪マイ・ウェイ♪で更に涙が…。

思わぬ展開と結末だったので、そのギャップでやられました(笑)

てっきり、北村さん演じるレナードがセミナーの教え子の小説をパクるために皆殺しする展開だと思っていたら、全くの逆でしたね。

小説を上手く書くためのセミナーが、実は今日本でも流行の自己啓発セミナーみたいな展開で、最後は…まさかの意識改革(≧▼≦)みたいな展開にぶっちゃけ笑けたけど、とても良く出来た内容だと思った。

内戦の絶えないルワンダに赴くという伏線が、てっきり生きるために手段は選ばない…人殺しも辞さない…という展開だと思わせといて、実は全く違う意味で生きる意味としての伏線に繋がっていたので完全にやられました。いかに私がマイナス思考なのかを気付かされる内容でした(笑)

今日が大千秋楽だから、ぶっちゃけ書くと、まさに映画「Wの悲劇」と「あげまん」的なオチで、ああいうsexはアリかと思った。ま、あのレナードならたくさん病気持ってそうだけど…(笑)決して北村さんのこと言っているんじゃないので悪しからず…m(__)m

あれは取り引きや売春のsexとは全く違うからね。性の解放とまではいかないけど、あれはまさに男版「あげまん」みたいなもんですやん…?ぶっちゃけ書いて申し訳ないけど…(笑)ってことでしょ!?

玉置君演じるマーチンがめちゃ苛つく生徒で、ひとつのことにこだわり過ぎてずっとイライラしていたんですが、実は自分の鏡のような存在だったレナードによって自己啓発されていく様がとても上手い展開だと思った。

マーチンの考ていることは間違ってない。ただ自分が本当にどうしたいのか深層心理が分かっていなかったんだよね。結局は自分の鏡であるレナードによって気付かされる様は見事な脚本だと思いました。

マーチンはレナードにsexの意識まで改革されたのかね…?(笑)←なんか欲求不満発言やな…(笑)


頑固なのもいいけど、不器用だと分かっているなら、少しずつでいいから柔軟性を持てるよう努力しなきゃね!

あと、チャンスが目の前に転がってきたらちゃんとそのチャンスを捕まえなきゃダメだよ!

的なメッセージ性が盛り込まれていたのが良かったです。

皆レナードによって道が開けたんだもんね(笑)←何故笑う???ぶっちゃけ、下品な下ネタが実は大きな意味があったんだよね…。アメリカらしいね。これってアメリカの翻訳ものですよね…???

思わぬ内容と展開で非常に清々しい気持ちで帰ってきました。私も自己啓発されてしまったようで(笑)職場の方に勧められて、ずっとやろうかやろまいか悩んでいたんですが、来年は新しいことに挑戦してみようと決意しました。上手く行けばの話ですが…。過去の自分を正当化するために頑張ってみようかと思いました。もちろん趣味の範囲です。上手く行ったら何をしたかを書きます(笑)

そうそう、この作品の美術、松井るみさんでした。2シーンがあって、最初のケイトの家のシーンは油絵のようなヌメッとした感じでシンプルでしたが、最後のレナード部屋は彼の生きざまを模した装飾で良かったです。本棚や置物とかね。

そうそう、ケイト役の黒木華さん、なかなかの化けもんですね。レナードの部屋の黒木さんめちゃ良かったです。最初のフェミニスト系女子とのギャップがお見事でした。

マーチンの玉置君はマジ苛つくくらいリアルなオボコ青年でした(笑)

ダグラスの相葉君は見た目と違って声が高い(笑)そのギャップもキャラのひとつでしたね。

イジーの黒川さんは素人ぽさがありつつも、意外と誰よりも冷静かつまともな女性像を引き立てたと思います。

最後に、レナードの北村さんは、メフィストフェレスのような一見悪魔の要素もありつつも、実はルパン三世みたいな正直ものでエロ好きで、悪者のようで実は使い用によっては天使であるそんな憎めない存在を上手く演じられてました。このレナードなら抱かれたら出世するかも…と思った(笑)←あ、書いちゃった(笑)

この作品もまた、「片鱗」同様ブロガーさんの導きで観てきました。本当に今年の観劇納めに相応しい作品に出会えました。本当に感動してます。ありがとうございましたm(__)m

今日のまとめ:演劇って素晴らしいね。観せる文学なわけやもんね。

才能は溜め込んじゃアカン!道は一通りじゃない!チャンスを掴め!

良く出来た内容でした。

訂正:以前、このBlogで徴兵制がないのは日本とアメリカだけみたいなこと書きました。ついこの前検索したら、先進国・発展途上国関係なく半分近い国が廃止していて驚きました。大嘘つきでした。申し訳ありませんでしたm(__)mなんせ、1996年のドイツで知った情報だったもので超古い情報でした。当時は外国人に出会う度に徴兵制が話題になっていたもので…。日本って恵まれているな~と思ったわけです。本当に大嘘つきでした。すみませんでしたm(__)mまさかドイツも廃止したとは知りませんでした。

武器を持たなければ平和に近づく。金儲けを考えなければもっと平和に近づく。世の中ほんと矛盾だらけ(涙)


「ルートヴィヒ」

2013-12-25 20:01:10 | 映画
1800円払いたくなかったけど、こればかりは仕方ない(涙)

う~ん、なんかヴィスコンティの「ルートヴィヒ~神々の黄昏」の補足版みたいで、今一つだった…。

ワーグナー生誕200年ということで製作されたこの映画ですが、もっとワーグナーとの関係性を強調した内容でもよかったと思う。これだとただの道化師にしか見えない。

でも、劇中劇の「ローエングリン」を上演の際、ルートヴィヒが主人公の騎士役を若い役者に替えた時の、ルートヴィヒとワーグナーで主人公に対する理想像の違いを描写していたのは上手い脚本だった。ルートヴィヒはあくまでヴィジュアルにこだわり、ワーグナーはヴィジュアルではなく歌の力にこだわった見せ方は良かった。。

エリザベートも登場するし、太田先生の「恋人たちの肖像」同様、この映画でもエリザベートの妹のゾフィとの関係性を上手く描いていたのは良かったです。

トータルで見るとヴィスコンティの映画の補足版になってしまうんよね…。たくさん詰め込み過ぎてルートヴィヒに共感できる見せ方じゃないのが本当に残念でした。

私は、太田先生の「恋人たちの肖像」が大好きで、特にシメさんが演じたクリストフ二世があのノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒがモデルだと知って、私がドイツ語を選択し学ぶ切っ掛けとなった人物なのに、ヴィスコンティ版もそうだけど、こういう映画を創られると、どうしてもルートヴィヒが好きでドイツ語を勉強してます!って胸を張って言えないよね…(涙)

どうして、よってかかって皆ルートヴィヒを同性愛者=狂人として扱うのか私には解せぬ。

明らかにルートヴィヒは同性愛者に目覚める要因はあると思った。それは映画にはないですが、幼少期の肖像画です。弟のオットーと一緒に女の子の格好をした肖像画を見た時に私は確信しました。例え子供でも男の子に女の子の格好させたらアカンわ…と思った。

確かに放蕩王様ではあるのも事実だし、ルートヴィヒが建てた三つの建築物もこの目でしっかり見てるから、確かに外観の美しさの割に内装は悪趣味であるのは認めるけど、発想力はまさに子供がそのまま大人になったような夢想家やん。なんでそのピュアさを強調してあげないのか、気が狂った同性愛者みたいな描き方をするのかが見ていて悲しくなる。

私が思うに、同性愛に限らず、虐待や苛め、マザコンやファザコンって明らかに幼少期に無意識に何らかの影響を受けたからだと思うんですよ。心理学には興味はあるけど、心理学者じゃないから私の独自の解釈でしかないんですが、人格もそうだけど、突然無いものから覚醒するじゃなく、必ず根っこがあると思うんですよね。

よく、人を好きなるのに理由はない!というけど、私はあると思ってます。好きになる何か特徴的なものがあるからよく似た人を好きになる傾向があるじゃないの?って思う。例えに使って申し訳ないですが、ニコールの旦那さんのキース・アーバンを初めて見たとき、トム・クルーズにそっくりでビックリしたもん。私も好きになる人の顔の特徴が似ていて後々ビックリすることがある。

何故その顔なのか分からないけど、必ず何某の理由があると思うんですよ。ひょっとしたら前世に関わったいるんじゃないのかと思う時もあります。

話を元に戻すと、映画のルートヴィヒなんて突然男を好きになるみたいな描かれ方をしていて腑に落ちない。「そして父になる」の福山パパみたいに幼少期の嫌な体験が人格形成に大きな影響を与えていると思っているので、この「ルートヴィヒ」の描き方は嫌い。全く感情移入できない。

ちなみにドイツで観たミュージカル版は全く同性愛者色がなくて、子供の時に家に飾られていた騎士の絵に憧れ自分もあんな立派な騎士になるんだ!みたいな夢見る夢男君みたいな描き方だったので、何故ルートヴィヒがワーグナーの「ローエングリン」の騎士に憧れるのかも自ずと理解出来ました。心の闇がルートヴィヒの影という役で登場するのも面白かったです。

ミュージカル版は最初から最後まで芸術を愛する王様の描き方が良かったです。映画版はどちらかというと平和主義者的でしたが、どうせならそれをもっと強調して欲しかった。たくさん詰め込むから、強調するものがどれも中途半端だったのがホント残念。

そうそう、ルートヴィヒが謎の死も非常に興味があって、ルートヴィヒが辿ったであろう足跡を私も辿ったことがあります。もちろん亡くなった場所にも行きました。ほんと心理学者グッデンとの死が謎のままなんよね…。映画では溺死ですが、実際は小舟の中で二人で亡くなっているとこを発見されたわけでしょ?毒を盛ったとしか思えないんだけど…。二人して原因不明の突然死なんて考えられんし。

死因はどうあれ、映画としての見せ方は本当にヴィスコンティの補足版みたいだった。

いずれにせよ、音楽と共に「ローエングリン」は非常に効果的でした。やっぱこの曲好き。ワーグナーの芸術家とは程遠い見た目とは違う洗練された魂を感じます。

この作品をご覧になられる時はヴィスコンティ版もご覧になられることを勧めます。私個人的には嫌ですけど…(涙)ミュージカル版はオススメします。もう終わったけど…。

今日のまとめ:映画自体には全く関係ないですが、誰にでもあるかもしれないけど、人生にはあり得た事実がもう一つあって、二者択一でどちらかの選択を迫られた時、自分の意志で選択出来なかったら本当に後悔が残る。

私の場所大学でした。本当は福岡の公立の大学(夜間)受かったのに、親が勝手にスベリ止めだった私立大学の入学金を払ってしまったんですよ。ドイツ語を選択したのは私ですが、結局勉強するレールを敷いたのは親でした。入学金を振り込む前に相談して欲しかった。ちなみに福岡の大学は英語学科でした。そしたら英語の先生も夢でなかったのに…と、もしあの時福岡に行ってたら…と時々思う時があります。あり得なかった事実は諦められるけど、そうでない場合は非常に困りますね。と思うと同時に、例え英語の先生になっても続かなかったかも…と思うこともあります。モンスターペアルレンツに、お前の育て方が悪いんやろ!?と言って間違いなく噛み付いてたと思うから(笑)

福岡に行ってたら間違いなく宝塚とも早くにお別れしてたし、とんちゃんの「弥々」にも出会えてなかった。間違いなく宝塚ネタでBlogを書いている今の私もいなかったと思う。結局、これも不思議な縁ってことかな…。

そうそう、「天国の恋」の婦長さん亡くなったね。実は昨日の時点でまさかの涙でした。最初はエキセントリックな母親だったけど、人間的母性愛を越えた本能的母性愛が垣間見れる時があって、時々切なくなってました。

昨日の婦長さんは、例えが悪いけど、まさにアフリカのサバンナで、子供のヌーを狙うチーターに立ち向かう母親ヌーみたいな本能の塊みたいでマジ泣けました。なんか宮城野みたいだった。当て書きにしてはピンポイントでとんちゃんにピッタリな役でした。本当に良かったです。

ドラマ版「JIN-仁-」

2013-12-18 07:47:39 | 日記
めっさええやんかいさ!!!???涙が止まらん。めちゃ感動した(大粒涙)

DVDを借りてきて夜通しで一気に観ました。完全版はまだ観てませんが…。

この坂本竜馬なら全然オッケー!今までで一番いい描かれ方やった。

齋藤先生、やっぱあの月組版はアカンで。

仁が竜馬の生まれ変わり(?)子孫(?)なら、ドラマ版のように野風の子孫(?)の未来(みき)を現代にもってこな筋が通らん。でも未来は原作にはいない登場人物みたいやから、舞台版も同じ設定にするのは難しかったんやろな。竜馬も咲に恋する…でも筋が通ったと思う。

どうせなら、舞台版は一本モノにして、仁と竜馬の関係性をもっと丁寧に描いてくれたら良かったのに…。たとえ架空でも、いかに竜馬が仁に影響されたか、竜馬だけでなく市井も仁に心動かされていく様を描いてくれたら尚良かったのに…と思った。

舞台版に関しては、ラストの仁は浮浪者じゃないとアカンの?舞台版に関係なく身元不明者という設定が解せぬ。いっそのこと記憶喪失者にして、どこかの医者だった…という設定にしたらええと思うねんけど???身分証明書が出てきて、実は、“仁”という名前でなく“順”という名前にしたら、よりリアリティーが出たんじゃない?だって順天堂大学がモデルなんでしょ?わざわざ順を仁にしたのを、あえてわざと元に戻すのもアリだったと思う。

ホント、ドラマ版は人道的に仕上がっていて、どの回も涙涙でした。しかも「白い巨塔」を見終えた後だけに余計、社会派だった「白い巨塔」と打って変わって、こちらは人情モノのだったからもう感動しまくりでした。

なんか、自分で書くのもなんですが、最近のBlogはこのドラマを観るための導線だったのか!?と言いたいくらい、原作者もしくはプロデューサーに言わせたら、これまでの私のBlogはまさに絵に描いたような反応をしてくれた美味しいお客さんだったと思った(笑)

たまたま書いた言葉がキーワードになる内容で自分でも驚いてます。言っておきますが、本当に今回初めてドラマ版観ましたからね。

たとえ架空の話でも、幕末に仁のような人物が実際に存在していて、記憶では抹殺されていても1%でも影響を与えていて欲しいと思ったくらい、見事な脚本演出でした。

なんせ大嫌いな竜馬が、かつて祐飛さんが演じた「美しき生涯」の石田三成みたいに、たとえ嘘の世界であってもこうあって欲しいと思う共感できる人物像だったので、本当に良かったです。

それにしても、ウッチーの竜馬、流石やな。上手い!ウッチーだけじゃないけど、大沢さんも綾瀬さんも中谷さんも小出君も、そして武田さんも素晴らしい存在感と演技でした!

ストーリー自体も「素晴らしき哉、人生」にも通じるものがありまたね。このドラマ本当大好きっ!

ドラマ未見の方は超オススメしますよ!!!宝塚版は雪組をオススメします。

表現は悪いけど、けったいな月組版を観なかったら、また雪組版と同じだったら、100%観なかったドラマ版。齋藤先生の導きに感謝してますm(__)m

このドラマ版マジ傑作です!!!

今日のまとめ:「白い巨塔」もそうですが、同じ医療系の「ドクターX」も好きだし、これも同系とは言いたくないけど今ハマッている「天国の恋」も医療に関わってるもんね。この偶然の一致にマジ驚き。今だから書くけど、実はわたくし、かつて仕事関係でオペ室の現場をガラス越しで何度も見たことあります。ドラマみたいに上から見る公開室ではないですが…。ぶっちゃけ、オペで血を見るのは怖くないけど、ドラマ「JIN」の原始的な開頭オペシーンは思わず目を逸らしたくらいリアル痛かった…。


「血は立ったまま眠っている」

2013-12-15 00:22:18 | 舞台
劇団太陽族の舞台を観てきました。

昨日観てきたんですが、昨日は朝6時起きで仕事してからの観劇だったので、完全に集中力に欠けてしまい、睡魔に襲われまくっての観劇となってしまいました。なので、いつものことなんですが、まともな感想が書けないというか、間違いなく的外れな内容になっているのでお許し下さい。

意識が飛びまくっていたので内容が訳分からず仕舞いでしたが、僅かな意識の中で感じたことは、的外れ発言しますが、まるで三島由紀夫に当て付けたかのような内容だと思いました。

でも、検索したら寺山氏がこの戯曲を書いた時と三島氏の楯の会発足までは長い年月の開きがありました。戯曲の方が三島氏の自殺より10年早く書き上げていて、でも訴えたい内容は三島氏への売り言葉に感じてなりませんでした。

自殺・自衛隊基地爆破計画・安保闘争…、三島氏への当て付けに思えたけど、実はそうじゃなかったんよね…。

自衛隊基地爆破計画なんて、三島氏きっと憤懣極まりたる行為だと思ったに違いないよ。

冗談はさておき、半分意識が飛びながらも、安保闘争が背景にあるだけに「11・25自決の日」がフラッシュバックされました。

これも的外れ発言ですが、この作品、寺山さんらしくないというか、以外とまともな作品だと思った。訳分かってないけど…。寺山氏にしてはまともな発言してると思った。

大変失礼極まりない発言だと分かった上で発言しますが、安保闘争なんて刑務所に自ら志願して入りに行く行為だし、今の現代社会も変わらないけど、安保闘争に参加した人、否定した人、無視した人、に関わらず、社会に生きる人間皆猿回しの猿やもんね。

社会自体が、猿を操る猿回しか操られる猿で社会がなりたってるわけやん。どっちも嫌だと言う人は、無人島で、税金を払わず、自給自足して生きていくしかないわけさ。

結局人間は上手く利用されて、利用されるだけ利用されて、必要がなくなったら後はポイ捨てされることも多々ある。それが現実。もちろん強い信念と愛情を持って会社経営している人もいるよ。

で、自由を訴えても、その自由もまた社会という見えない誰かの手のひらの上での自由だもんね。本当の意味での自由はこの日本国内にはないと思う。

ポイ捨てが嫌なら言う通りに従うしかない。だからこの世の中、ホント猿回しと猿で社会が回っているな~と、寺山氏の例えの上手さに感心しました。

あと、何か大きなことを成し遂げたいなら、地盤固めじゃないけど、自分の足元を見て行動しないと、自己満足であったり綺麗ごとになってしまうことも多々ある思う。

例えば、世界平和を望むなら、ぶっちゃけ、世界の平和より、自分がまず平和な生活をし、そして周りの人間にも平和になってもらう努力が第一だと思った。英雄になれる人は数が限られている。皆が皆ナポレオンになれるわけではない。ナポレオンを決して英雄だとは私は思ってないけど、誰しも器があるんですよ。ナポレオンの器が大阪城ホールだったら、私の器なんてはマッチ箱ほどもないわ。大した影響力もない。逆にある方が怖い。

ちなみにこのBlogは自分のために書いてるので、悪影響されないでね。一意見としてお読み下さい。

人間が出来ることって限られてるんですよ。芸能人にはスポンサーという大きなバックが付くけど、一般市民は家族や友達、会社、学校くらいなもの。極めて小さな組織。

遥かに芸能人より一般市民の方が多いから、一般市民は身の回りを大事にすることが先決だと思う。出来ることしか出来ないんだから、とりあえず出来ることだけをしてたらいいと思う。決して頑張り過ぎないこと!無理し過ぎないこと!が生きる上で大事だと思う。

たまたま、再放送の「白い巨塔」にはまっているんですが、このドラマの脚本家も凄いけど、故・山崎豊子さんの洞察力に感服しまくってます。私に言わせれば、なぜ財前は大学病院の教授を目指す?それだけの野心があるならなぜ政治家を目指さない!?と言いたい。

所詮、教授も利用される立場やん?利用する側になりたいなら、総理大臣になればいいのに…と思った。財前に関して言えば、なぜ医者になった?と財前のライバル里見さん同様私も訊きたいよ。この「白い巨塔」は、社会に殉ずること、反することで起こりうる弊害を見事に描いているので、このドラマめちゃ社会勉強になるから超オススメ!

話がかなり脱線しましたが、私が結局言いたいことは、ただ、分相応の生活をし、小さな幸せが大きな幸せだと感じられること。小さな幸せを積み重ねていく努力さえしていけば、その幸せはオーラとなって必ず周りも幸せにさせると思うんよね。本当の平和はそこから生まれてくるもんだと思うから、分相応に心掛けるだけでいいと思うんよね。それは違う!!!と反論する人がいるならば、その方の私生活を観察させて頂きたいもんです。

ぶっちゃけ書くと、いくら戦争を反対しても、日本全国の自衛隊基地を爆破しても、悲しいことに戦争は私の意志に反して、皆の意志に反して起こる時には起こるんだよ。アメリカを見れば分かること。日本は本当に平和だから、どこの国が何をしたかなんて数年で忘れてしまう癖がある。そこが問題なんだよね。だから、例え昔の古き良きアングラ時代の作品でも、上演する意味は大いにあるとこのBlogを書きながら思った。

この作品の、最後の台詞“まだすることはいっぱいある”は、戯曲が書かれた当時ならば安保闘争に参加することではなく、平和のためにすることはもっとたくさんあるんだよ!と寺山氏は言いたかったと思うんですよ。理想が現実にならなかったからって自殺なんてしてる場合じゃないし、自殺する必要なんてないんですよ。

この作品、寺山氏がまだ23で、劇団四季のために書いた作品。たまたまNHKで寺山修司に関して園子温監督と俳人の方の対談番組を見ましたが、その時も寺山氏の作品って寺山氏個人に当てた内容が多いと思っていたけど、この「血は~」を観るかぎり、誰よりも平和を望んでいて、誰よりも平和のためには何が必要なのかを分かっている人なんだと思った。

実は、「毛皮のマリー」の文庫本にもれなく「血は~」の戯曲も入っていたので、昔に戯曲を読んではいたんですが、こんな深い内容だったとは思ってなかった。

睡魔さえ襲わなければもっと深く追究出来たかもしれないけど、結局、客観的ではなく主観的意見を交えて書いてしまってますが(←毎回です)、直感的に感じたままを書きました。実のとこ、寺山氏が本当に言いたかったことは私には分かりません。でも、少なくとも、ご家族の方には申し訳ないですが、寺山氏は三島氏より立派な人だと思いました。

今日のまとめ:結局私は何が書きたかったんだうね?自分でも分からん。

意識して作品を選んでいる訳じゃなく、直感で選んでいるんですが、やはり不思議な繋がりを感じています。


「そして父になる」

2013-12-11 22:37:00 | 映画
ニコールが絶賛したからではないですが、わたくしも絶賛いたします。

とても良かったです!「もうひとりの息子」より素晴らしかったです!

なんてったって、バッハの♪ゴールドベルク変奏曲♪でハート鷲掴みやから(笑)この曲、大好きな映画「イングリッシュ・ペイシェント」でも効果的に使われていたから。

「もうひとりの息子」は伏線がないストレートなストーリーでしたが、こちらは伏線が敷かれているという点で計算されたいかにも映画的な見せ方なんですが、リアリティーという点では圧倒的に「そして~」に軍配が上がりましたね。

「もうひとり~」に登場する取り違えられた息子たちは、自分で物事を判断できる成人だったから描写的には親も子も大人目線で描かれていたけども、こちらは6歳のまだ人格形成途中の子供たちだったから、大人目線だけでなくちゃんと子供目線でも描かれていたのがとてもリアルで良かったです。しかも、私がこだわっていた貧富の差もあったし…。

それから、タイトルにある接続詞“そして”が非常に意味ある内容でしたね。

“そして”父になる…

父親になることが重要ではなく、むしろ、“そして”に繋がるまでの、父親にまでの過程がとても重要だと気付かせるキーワードでした。

「もうひとり~」は、血がつながっていなくても我が子だと心から思えるまでの過程を丁寧に描いていましたが、こちらは、我が子だと思えるかどうか以前に人間としてどうなん…?という視点からのアプローチがお見事でした。福山さん演じるお父さんの深層心理が実は伏線になっていて、映画的ではあるけども、そこにとてもリアリティーを感じました。

ぶっちゃけ書くと、福山パパの性格が身近な人に似ていてずっとイラッとして見てました(笑)箇条書きにしたルールのように、何かと難癖をつけて応用が利かない鼻に付く感じがそっくりだった。誰とは書きませんが…。っていうか書けません…(笑)

福山パパの親子の血に対するこだわり…、その中に潜む心の闇が伏線になっていて、その闇が晴れることで人間として大きく成長し、そして本当のお父さんになる…その過程がとても上手く描かれていたと思います。

福山パパを中心に、家族の在り方や夫婦の在り方、個人の在り方を対照的に描いていて、外堀から福山パパを攻めることで福山パパの人間性がより浮き彫りにされていて見せ方も上手かったです。結局は無駄な登場人物がいなかったってことですもんね。上手い脚本だと思いました。


お父さんもお母さんも、子供が産まれた瞬間に完璧な親になるわけじゃなく、育てることで、そして月日の経過と共に親に成長して行くんだとつくづく思いますね。学校の先生もしかりですね。

あと、「八日目の蝉」を意識したとは思いたくないけど、血は繋がっていなくても、一緒にいた時間がとても大事なんだよ…大人になるのも親になるのも時間がかかるんだよ…と思わせるシーンが印象的でした。

ついでに書くと、これは私だけじゃないと思うけど、人生には神様がくれる時間があって、仕事がしたくても病気や怪我で休まざるを得ない時とか、自分の意に反して与えられる休みや時間があると思うんですよ。私はそれを神様が与えてくれた時間だと思ってるんですが、その時間ってめちゃくちゃ大事だと思ってます。

神様が休め!と言ってるんだから素直に休まなきゃダメな時間。何も頑張らなくてもいい時間。

その時間が実は、物事を冷静に考えたり、哲学する時間だったりするから、本当に人生に必要かつ大事な時間だと思うんですよね。

心当たりのある方絶対いると思う。ね、大事だと思いません???芸能人ならズバリ海老蔵がそうだね。

福山パパの場合は異動だったけど、それも神様が与えてくれた時間だと思うんですよ。哲学&学びの時間だと思う。っていうのも描かれていたので尚素晴らしいと思った。ついつい、スピ要素あるな…と思ってしまいました。

今日のまとめ:今日はたまたま仕事休みで、たまたま地元で上映していて、たまたま千円の日だったから観てきました。たまたまにしては絶妙なタイミング。映画で1800円は出したくないんよね…。だったら頑張って並んで、2000円の当日B席で宝塚観るよ。

遅ればせながら、

夏八木勲さんのご冥福心よりお祈り申し上げます。

この作品、日本アカデミー賞もんだと思います。