レトロスペクティブ2023 5日目

2023-07-25 01:11:00 | 映画
「ドッグヴィル」を観てきました。

「ドッグヴィル」の上映日程が出たときに、関西では、京都も大阪も同日1回限りの上映で、しかも仕事がある日だったので、

ラース特集なのにメインの「ドッグヴィル」が観れないなんて!!

今年は間接的ニコールイヤーなのに、突然降って湧いたラース特集でラース×ニコール作品を観れないなんて!!!

と、悔しさと喪失感でラース熱が冷めてきてたんですが、有り難いことに19時以降の上映だったので、神様ありがとう!の思いで仕事終わりに観ることができました。

東京でご覧になられた方のTwitterを読ませてもらってすこぶる評判がよく、そりゃそうやん!ニコール史上最高傑作やで!皆さんお目が高い!と全くの部外者なのに鼻高々になっていたのですが…。

初見映画館、DVDで4回は観ていたはずなのに、映像記憶も取りこぼしはなかったはずなのに、

やはり映画館で観ると感じ方が異なるのか、

年を取ったからか、

ラース作品ばかり観て思考がおかしくなったのか…、

後味がめちゃくちゃ悪かった。

テンションダダ下がりした。

「奇跡の海」でテンションダダ上がりしたのに、翌日「ドッグヴィル」でまさかのテンションが落ちるなるなんて思ってもみなかった。

2004年(日本公開)の初見時は、ラストでめちゃくちゃスッキリした爽快感を味わい、ニコール史上最高傑作!とDVDコンプリート版を購入し、blogのアイコンもドッグヴィルのニコールにしているくらい大好きな作品だったのに、

今回改めて観たら、アイコン変えようかな?と思ってしまったくらい後味がめちゃくちゃ悪い作品になった。


ラース作品史上最高傑作だと思っていた「メランコリア」もしかり、

名作は、ガンダムやナウシカみたいに何年何十年経っても名作じゃなかったのか???

なんで意識や思考が180度も変わってしまったんだろう???

と自分なりに分析した結果、

分かったのは、

自分に都合よく見て、都合よく理解して、その時の精神状態であったり、単純にニコールが好き!ラースが好き!とそもそも観る視点が当時と異なっていることに気付いた。

「メランコリア」は、地球と惑星メランコリアの愛と死の輪舞曲と思いたかっただけであったり、「ドッグヴィル」はニコールの演技最高!とファン目線でしか観てなかった。

ラース・フォン・トリアーという人間をちゃんと理解しようとしてなかったことに、ラースの過去作品群を観てきて気付かさせられた感じ。

「ドッグヴィル」は、「ダンサー〜」でアメリカに行ったことないのに制作したことを批判され、喧嘩を買う気で制作されたと言われてますが、実際は、9.11同時多発テロ後のイラク戦争で見受けられるように、アメリカの対応を揶揄した作品でもあるんですよ。

初見の時もアメリカを揶揄していることは気付いたけども、ニコールの演技が素晴らしく、またニコール演じるグレース目線だと後味スッキリな展開ではあるけども、ラースがこの作品で伝えたかったこともう一つの側面に全く気づけてなかった。

ぶっちゃけ書くと、アメリカの揶揄だけじゃなくて、特に男性陣も揶揄、批判されている。もちろん男性だけじゃなく一部の女性もね。

めちゃくちゃ人間の醜さが描かれている。ドッグヴィルというアメリカの小さな村の集団心理を描いているだけじゃない。こんな人どこにでもいるよ!アナタも含まれているかもしれませんよ!っくらい人間の裏表や本質をめちゃくちゃリアルに描いている。

ぶっちゃけ胸糞悪く感じることがあって、ポール・ベタニー演じるトムがだんだん自分自身に見えて仕方なかった。それが1番の後味の悪さ。

ラースにめちゃくちゃ見透かされたというか、自分の中にもトムと同じように、自分の弱さを指摘されたことに対してその腹いせに八つ当たりしたり仕返ししている自分がいて、その人間としての醜さをラースに指摘されている感覚に陥ってしまったから。

トムという登場人物がもはや架空の人物でなくリアルな人物として、また私自身を投影しているようにしか見えなかった。

いつも偉そうなこと書いているけど、実行が伴わない言葉だけであったり、人に言う前にお前が思い遣りを持てよ!とか、都合よく返事してんじゃねーよ!人間としての器がちいせぇーんだよ!

とダイレクトに指摘された感じ。

まさかこんか思いするとは思わなかったよ。

「ドッグヴィル」以降、ラースからニコールに作品出演オファーがありましたが、

「マンダレイ」も「ニンフォマニアック」も降板して正解!断ってくれてありがとう!と言いたくなったよ。

ほら、人間が小さいね。


ここまでは、鑑賞後数日経って書いた文章です。

普段は数日後に感想を書くことはないのですが、この作品に関しては、アップするの躊躇するくらいブルーな気持ちになり、自分自身頭の整理が必要だと気付いたので数日後に感じたことや想いを、あくまで自分のキロクとして書きました。

ここからは、「ドッグヴィル」鑑賞直後に感じたことを書きます。

結局のところ、この作品って、目には目を歯には歯を、傲慢には傲慢を、といった復讐法でしか世の中はよくならないって言いたかったと思うんよね。

グレースだって分かってるんだよ、自分がドッグヴィルで生まれ育っていたら彼らと同じことをするってことを。

このまま何もせず、何もなかったように立ち去ったところで、また誰か部外者が来たら、ドッグヴィルの住民はまた同じことをするねん。

話し合いをしたところで、自分たちは最大の権力の前では無力であり、従うしかないってことを自ら選択するんよ。保身に走るんだよ。

結局さ、武力を抑えるには武力で、戦争を終わらせるには戦争でしか解決できないんだよ。軍事産業のお金儲け云々関係なく。

個人因子、環境因子と原因追求したとこで、イジメも戦争も終わらないんよ。

こんなこと思いたくなかったけど、地球が邪悪なら惑星メランコリアをぶつけるしかないだよ。

過去を清算して1から始めるって本当に大変。実は、何もないゼロから出発の方が早かったりする。

話し合いだけで解決することは、実は、大した問題じゃないんだよ。結局は、見返りやお金が和解には効果的だし、それだけでは納得いかないなら裁判とかetc…そうするしかないのかもしれない。

もはや、和解というより妥協だよね。何処まで妥協できるかが焦点となり、

妥協沸点が低いから、簡単にキレたり喧嘩したり売ったりするんだよ。

「君たちは〜」と同じで、結局はどう生きていくかは個人問題ってことやね。

自分の無力さとかいい加減さをまざまざと突き付けてくる作品だった。

マジ、テンションダダ下がりだよ!

「ドッグヴィル」を観て改めて感じたのは、

ラースは女優さんに対してはサディストぶりを発揮して素晴らしい演技を引き出しているけど、めちゃくちゃフェミニストであることを証明してたね。

今までは、ラースとフェミニストは全く結びつかなかったけど、ラース作品を観続けたら、ラースは間違いなくフェミニストです。手法は異なるけど。

ストーリー上では男性の方がめちゃくちゃ蔑まれている。男性の方が悪者に描かれているよ。よく考えたらどの作品においても共通してた。だから映画館に意外と女性ファンが多いのは、ラースがフェミニストだと知っていたからかもしれないね。

ポール・ベタニーなんて…、トムの表現が完璧過ぎて私なら間違いなく病む。いくら主演女優の相手役の位置であってもトム役は嫌やな。ポール・ベタニー、良く頑張ったと思う。ま、どの役も嫌だけど。

やはり、ニコールのグレース役は、美しいニコールじゃないと説得力がなかったね。あの美しさは、ドッグヴィルの町では違和感でしかない。

あと、ニコールの重し付き首輪。改めて見ると、おぞましかった。悪趣味!そりゃ「アンチクライスト」誕生するわさ。

続編の「マンダレイ」は脚本の妙を感じたが、「ドッグヴィル」は、よう、こんな脚本思いつくなーと尊敬と軽蔑が入り混じる。

めちゃくちゃ複雑な心境…。


最後に、「ドッグヴィル」とは全く関係ないのですが、後日書いたとしてもちゃんと感想をアップしようと思わせてくれたきっかけを書きます。

たまたまYou Tubeで(結構好きで見てる)、島田秀平さんのお怪談巡りに比企理恵さんがゲストに出られている回を見、比企さんの霊体験を聞いて我に返りました。

テンションがフラットに戻りました。

ヤバい、ラースの悪口を書き続けるとこだった。っていうか、深い闇に陥りかけた。

やっぱさ、ラースは、フェミニストであると同時に、人間の深層心理や本質を見抜く天才。これだけは間違いない。

ラース、自分を見つめ直すきっかけをくれてありがとう!

私も感謝が足りなくて憑かれとこだった。

ちなみに、比企理恵さんといえば、やはり「不良少女と呼ばれて」の麻里役。麻里が亡くなるシーンはもう大号泣だった。あのシーンが1番好き!まさか、舞台に出るために急遽亡くなる設定になったとはね!まじビックリ!

今さ、伊藤かずえさんもYou Tubeされていて、かずえさんも「不良〜」では、モナリザ。カミソリマコも格好良かった!嫌な役だったけど(汗)かずえさんのYou Tubeに松村雄基さんも比企理恵さん等等…も出られていて、大映ドラマエピソードを楽しく聞かせてもらっていました。

なかでも、比企さんの怪談トークがめちゃくちゃいい。何がいいって、心霊体験の中に学びがあるから。あれを見た、これを見ただけで終わるのではなく、そこに必ず学びがあるのがいい。その経験と学びは、同じ悩みを抱えた方の助けになる!

世の中には病名だけでは解決できないことがあるんです!

感謝が足りないから霊に憑かれる。その通りだと思う。人のせいにしたり、当たり前のことを当たり前としか思ってなかったりするから、余計なモノが憑いて疲れ(憑かれ)るんだよ。

ありがとう!は最強の言葉。

比企さんと島田さんの会話で私の心もさっきより軽くなった!

ありがとうございます!

比企さんの幽体離脱話が大好きなので、

比企さん、絶対You Tubeすべきです!










レトロスペクティブ2023 4日目

2023-07-23 23:34:50 | 映画
私の中でずっとトラウマ映画だった「奇跡の海」を観てきました。

まじトラウマ映画だったから今回はスルーするつもりでいたのですが、まるで誘われるように観たら、

めちゃくちゃ名作だった!!

カンヌでグランプリを獲るだけある!

もう涙涙!!

今だから分かる、神様との対話であったり魂の会話であったり、

ラース、あんたマジ天才!!としか言いようがないくらい素晴らしかった。

初見の時は、エミリー・ワトソンの魂を売った演技と過激描写でトラウマ映画になってしまったため、ずっと見ずに封印してきましたが、

あれからうん十年経ち、改めて観させてもらって、これは、ドッグヴィルもメランコリアもダンサー〜も軽く超えるくらい、ラース作品の中でナンバーワン作品になった!

当時、過激描写と思ったシーンも、アンチクライストに比べたら全然過激じゃなかった。

当時、まだまだ若かったせいか、1週間ずっと気分が落ちてずっと引きずっていたが、今は引きずるどころか感動しまくってテンションアゲアゲです。

もうさ、エミリー・ワトソン演じるベスがマグダラのマリアにしか見えなかった。受難のキリストでもある。ただただ愛する人を救うために娼婦まがいなことをし、教会からは追放され、子供達からは石をなげられ、それでも愛する人のために野郎どもに身を捧げ…?傷つけられ…。ただひたすら試練に身を置く姿に涙涙でした。

「ダンサー〜」のカトリーヌ・ドヌーブ演じる役に相当するベスの兄嫁の存在も良かった。血は繋がってないのに親よりも親身な存在。聖母マリアというよりマザーテレサ的存在。兄嫁の存在が作品上での唯一の救い。兄嫁もベスの敵だったらマジ救いがない。

ラストが、まるでりえちゃんの「湯を沸かすほどの熱い愛」のような展開でもあって涙涙。ひょっとして、中野量太監督参考にした?藁

もうさ、ラストの神父の言葉こそが世の中にはびこる悪の象徴だと思った。

一体、地獄って何?

なんのために宗教があるの?

そもそも信仰って何?

自分1人よければそれでいいの?

あの世でも区別という名の差別をするの?

アンタ、ベスの何を知ってんのさ!?

と言いたくなるくらい、神との対話と魂で結びついた夫との対話を忠実に、ただただ半身不随の夫を救おうと自己犠牲精神で娼婦に身を落としているベスに対して、地獄に落ちるって、マジでありえん!ついつい映画であらることを忘れてしまうくらい、神父の言動にイラッとしてしまった。


究極の愛、真実の愛は、常にその愛を試される。

自己犠牲も厭わないと思える相手に出会ったことありますか?それぐらい人を愛したことがありますか?ってことですよ。

ベスにとってヤンはそれぐらいの価値がある人間なんですよ。


どんな人間だって、狂気は内包している。ただ、出すか出さないかだけ。

確かに、世間一般論だとベスは統合失調症だよ。でもね、私に言わせれば、ベスは誰よりも穢れを知らない純粋な乙女なんだよ。誰よりもヤンを愛しているんだよ。純粋にヤンを救いたいんだよ。

気が狂ってるとか、妄想とかそういう時点じゃないねん。

神様との対話やねん。気が狂って見えるのは世間一般論。傍から見たら確かに妄想。でも今話しているのは見えない力との対話論です。あえてスピチュアルとは言わないけど、全くの別世界。

メランコリアもそうだけど、この世には科学や数式では証明できない目に見えない力があって、その力に贖えないことがある。病名だけでは解決できないものがある。


本当の悪とは何?本当の善とは何?

社会の常識とは、社会のルールであっても、人間の本質を捉えたものか?

自分は善と思った行為も、誰かにとっては悪であったりする。

自分の中に善と悪が両方潜んでいること知ってる?

自分の悪に気づかず、自分のことを棚に上げて他人の悪を好き勝手に裁いていないか?

都合の良い時だけ神様に頼って、都合が悪くなったら誰かのせいにしてないか?

神様との対話とは自分の内心との対話だということを知っているか?

めちゃくちゃ名作だったよ!

邦題を付けた方も天才!

原題の「Breaking the waves」(砕波?)とは異なるけど、

原題は、どんな高波も障害も2人の愛の前では砕ける、と私は解釈してます。

奇跡の海とは、映画「誰が為に鐘は鳴る」のラストの鐘と同じく、まさにあの2人を祝福する鐘の音でもあり、ベスの魂の音でもある。と解釈。

ぶっちゃけ、そこだけファンタジーだったけどね。

よく宝塚のトップさんが言っている、卒業を決める時に鐘が鳴ると同じだと思った。

誰かの、何かのメッセージ。守護霊さんか、自分の心の声なのかは分からないけど。


私にとっては、めちゃくちゃ名作でした。

ラース、ありがとう!と言いたい。











レトロスペクティブ2023 3日目

2023-07-22 00:48:00 | 映画
ラース熱が冷めつつありましたが、やっぱさ、ラース作品を観続けると鬱ぽくなってしまうから要注意やね、

「君たちは〜」を観て気分がリセットされたので、ラース作品鑑賞再開し、「ヨーロッパ」と「アンチクライスト」を観てきました。


「ヨーロッパ」は、ぶっちゃけ難しかった。そもそも “人狼” の意味を知らなかったから、意味を探りながら観てたので、余計頭がこんがらがってきた。

鑑賞後に人狼を意味調べ、また分かりやすく書かれたあらすじを読んだ上で感じたことを書きます。適当なことばかり書いているのでスルーしてください。

なんとなしに「crime of element」に似た、心療ドクターによるの催眠療法を行っているようなナレーションがあって、最後まで何を意図しているのか分からなかった。

ってうか、とてもラース作品とは思えないくらい、また1991年の作品とも思えないくらい、レトロな映像美があって古き良き時代の白黒映画を観てる感覚だった。音楽のセンスもピカイチ!クラシック調でめちゃくちゃ良い。サントラが欲しくなったくらい。

ちょこっとラースも出演しており、若い頃のラースはイケメン!藁

終戦直後のドイツを舞台に、ドイツを支配する戦勝者連合国のアメリカと、そのアメリカに歯向かうナチスの残党のようなテロ組織 “人狼” との狭間で自分の思想が試される主人公。

主人公は、ドイツ系アメリカ人で、第二次世界大戦で敗戦したドイツの復興のためにドイツの寝台車の車掌として働き始める。

鉄道会社の社長の娘で、元人狼の一員の女性との恋に落ちる。

連合国が推薦するフランクフルト市長の暗殺に知らず知らずのうちに加担していたり、恋人を守るために列車に爆弾を仕掛けたり、いつの間にか人狼に加担している主人公。

元人狼だったはずの恋人(今は妻)はまだ人狼の一員だった。またその彼女から、列車爆破をすんでに止めたことに対して愚弄され、それだけの原因ではないが自暴自棄となって列車を爆破する。車両ごと川に落ちそのまま亡くなって終わり。

ちなみにここで登場する列車は連合国の象徴的存在。人狼にとっては、映像から察するに、連合国に魂を売ったドイツ人やアウシュヴィッツから帰還するユダヤ人が乗っている列車。

ドイツ復興の架け橋になろうとアメリカからきたのに、利用されて、自暴自棄になって、結局何がしたかったのか分からない主人公を描きつつ、ヨーロッパの知られざる実情を伝えたかったのかなと思った。いずれにせよ、よく分かってません。

「アンチクライスト」は、ぶっちゃけ、グロい映像があるのでやめておこうと思っていたのですが、どなたかがTwitterでウィレムの役が受難のキリストを書かれているのを読んで、ホンマや〜とついつい納得してしまい、覚悟してもう一度観ることにしました。

確かにウィレムの彼役は、受難のキリストです。でも、私からしたら、非キリストの受難だった。

彼は妻の彼女の病気を治すために、荒療治で彼女が怖がっている森に行く。荒療治の時点でセラピストとして完全にアウト!

彼のカウンセリングは全く彼女のためになってない。自分が良いと思ったことを行っているだけで、全く彼女の心や意思に寄り添ってない。

彼女が子供に虐待していることに気付き、心が離れかけていたのも事実だし、同じ受難でも聖書のキリストとは雲泥の差がある。

ラストのウィレムを見て、助かって良かった!と思われた方がどれだけいるのか私は知りたい。

その件に関しては、私は全然、良かった!派ではない。

ウィレム演じる彼を通して、歴史を通して、国内海外問わず、男はいかに女性を食い物にしてきたかが窺える内容にしか感じなかった。

ラース作品の中では、一見フェミニズムから遠い作品のように見えるが、私にはこれもフェミニズム作品だと思えてならなかった。

これまで清楚なイメージしかなかったシャーロットの魂を売った演技を改めて見て、やはり、めちゃくちゃ素晴らしかった!

ついついお子さんや旦那さん目線でも見てしまったくらい女優生命を賭けた表現力に脱帽しかない。

ここからニンフォマニアックが誕生したであろうと言っても過言でないくらい表現力の数々に、カンヌ以外でも女優賞を獲ってもたいたかった。

ぶっちゃけさ、この作品を観たら、シャーロット演じる彼女が悪者みたいな感覚に陥るけど、

私からしたら、子供を虐待って、親もまた虐待を受けてきたケースがほとんどだから、親の愛情を受けず育った子供達の未来はまさに大人の彼女だったりするんよね。彼女の彼に対する愛の渇望や依存心はとてもリアルなものを感じた。

(親が)虐待の克服の仕方が分かららないまま育てられた子供が大人になって、虐待の克服の仕方が分かると思うか?ってことですよ。

自分のこと知らな過ぎなんだよ。


ラース作品は、常に極端に表現されているけど、現実問題としても虐待は減らないと思う。みんな愛に飢えた人間の姿をした獣。獣なのか人間なのかは、本人ですら本性は分からない。

虐待は個人だけの問題じゃない。虐待が繰り返されるのは個人因子だけでなく環境因子も原因があるから、個人だけ解決しても全体では減らない。

こういう書き方をすると語弊があるが、一種の社会現象みたいなものだから広い視野で原因究明していく必要がある。イジメも同じで、イジメる個人だけの問題じゃないんだよ。

だから余計な彼のセラピストのやり方が全くいただけない。イライラするだけ。荒療治は1番やったらアカンことやで。ラストの彼の開放感をとても喜ばしく思えない。

これが男の歴史なんだとまざまざと感じる内容だった。

そうそう、ラスト、顔にモザイクがかかった女性たちが山を登るシーン、初見では裸の女性が山から降りてきてたと思ってた。いやー、記憶のすり替えの怖さもまざまざと感じた。

今回、ラストの顔のモザイク以外はまさかのモザイクなしだったので、「ハウス〜」よりもリアルにグロかった。

でも、私も年をとったせいか、モザイクなかったのになぜか初見よりも衝撃度は少なかった。初見は、もう二度と観ない!と思ったからね。






君たちはどう生きるか

2023-07-17 00:53:45 | 映画
いやいやいやいやいやいや、めちゃくちゃ良かった!

っていうか、めちゃ導かれてるやん!?

これは間違いなくもう一つの「風立ちぬ」と言っても過言じゃないね。

ということで、

ぶっちゃけ書きますが、しのぶさんのインスタを見てなかったらこの映画の存在を全く知らなかったよ!ラース作品ばっかり見るとこだったよ!

っていうか、てっきりもっと後の公開だと思ってたから、まさか今やってるとは思ってなかった。

本来なら今日もラース作品を観る予定ではいたんですが、早くもラース熱から冷めつつあり…←まだ4作しか見てないやん!?藁

たまたま別の用事で出かけていたら、既にラース作品を観る時間に間に合わなくなったため、たまたま映画館がある場所に来ていたので、なんか面白そうな映画をやってないか掲示板を見ていたときにこの作品がやってることを知り、早速レイトショーで観てきたわけであります。

公開したばかりではありますが、ネタバレもしくはミスリードで感じたことを書きます。

私には、ありとあらゆものがメタファーにしか映らなかったので、ファンタジックなシーンもリアルな映像にすり替わって映って見えた。

最初にも書いたように、ファンタジック版「風立ちぬ」にしか思えなかった。

宮﨑駿監督はやはりファンタジー要素が必要だよね!と思いながら、まるで不思議の国のアリスのように穴(ではないが地下?)に落ちていく感じとかが、宮﨑駿ワールド全開で、ぶっちゃけ「風立ちぬ」より好きかな。「風立ちぬ」は監督には珍しくリアルな世界観だったもんね。

でも、この「君たちはどう生きていくか」なんてタイトルからして怪しかったし、最初の火事のシーンも私には空襲にしか見えなかった。

実は火事だったのか…と思わせつつも、父親の職業や映像から察すられるように、時代も含め戦時中なのは明らかなので、ペリカンやインコは私には戦闘機にしか見えなかった。

戦闘機だって操縦してるのは人間だもんね。命だもんね。

一見、輪廻転生モノ?と思わせつつも、子供は戦争させるために生まれてきたんじゃない!(母親は)戦争道具のために産んだんじゃない!というメッセージがビンビン伝わってきたし、

世界は1人の人間の手で簡単に滅ぶし変えることも出来るというメッセージも伝わってきたから、

見終わったあと、よりタイトルの意味が深く深く私の胸に突き刺さってきました。

主人公の男の子は、父親の跡を継いで製造工場で働くのか?それとも、世界平和のために生きるのか?はたまた、違う世界で生きるのか?は分からない。

タイトルは、明らかに男の子ではなく我々観客への問かけであるので、そういう意味では、映像内容と異なる重いタイトルを付けてきたな〜、さすが宮﨑駿監督!と思わざるを得なかった。

ぶっちゃけ、映像内容は「ポニョ」に近い。

私は、宮﨑駿監督といえばファンタジック映像と思っているので全然嫌いじゃない。伝わってくるメッセージは反戦だったので更に良かった。

声優さんも魅力的だった。木村佳乃さん(間違いなくナツコさん)としのぶさん(おそらく太ったお婆ちゃん)だけは分かったけど、あとの方は誰だか分からなかった。でもエンドロールで俳優さんの名前を見て、あの人もあの人も声を担当していたことマジ驚いた!全く想像もつかなかったよ。

お父さんの声は、池田秀一さん?と思ったくらいシャアーの声だった。誰だったのかエンドロールでも分からなかったけど、ええ声やった!

キムタクはインコの親分??

分かんない。

何度も書きますが、ラース熱が冷めつつなかったら絶対観てなかったよ!

って以前に、しのぶさんの舞台を観てなかったらインスタも見てなかったからね。ラジオでは番宣してなかったし。

これってマジ導かれてるやん!と思わざるをえない。それくらいいい作品だった。

でも、賛否両論ありそうやな。

追記:
お父さんの声がキムタクやったんやー!!池田秀一さんソックリ!

いつか、シャアのアフレコして欲しい!

レトロスペクティブ2023 2日目

2023-07-13 23:06:51 | 映画
初公開年以来の「マンダレイ」と初鑑賞の「イディオッツ」を観てきました。

正直、「マンダレイ」は、初公開当時DVDも買わなかったくらいイマイチだったので、今回は見送ろうかと思ってました。

ですが、早く特典のポストカード欲しいさで、途中寝てもいいや~気分で観たら、

めちゃくちゃ面白かった!

オチを知ってても、やはりラースのアイロニーが随所に散りばめられていて、コレ!コレ!この皮肉さが好きやねん!と半ば興奮状態で観てました。

そう、これ、ダブルオチだったことを完全に失念していて、もう一つのオチにマジ痺れた!

と同時に、ラース日本嫌いなんや~というのも伝わってきて、日本人ファンですがゴメンナサイという気持ちで最後まで観てました。

当初は、ビョーク主演の「ダンサー〜」でアメリカに行ったことがないのに製作したラースに対する批判によって、その反抗心で制作されたアメリカ3部作の1作目「ドッグヴィル」に続く2作目として制作された。本来はニコールが続投でグレースを演じる予定でしたが、スケジュールの都合で降板し、3作目は「ワシントン」というタイトルで3部作が完結する予定だったのも頓挫してしまったという曰く付きの作品。

ニコールのグレース降板は良しとしても(ブライス・ダラス・ハワードのグレースは文句なし!素晴らしかった!ぶっちゃけ、色んな意味でニコール降板して正解だったかも…)やはり、せめて3部作完結してしてほしかった。

ここからは、たくさん黒人という言葉を使っています。差別用語と分かっていますが、最初に謝ります。すみません。


ここで描かれているのは、既に70年前に黒人奴隷制度が廃止されたにも関わらず、今もなお(映画上ね)根強く残る奴隷制度に対して、ギャングの娘という立場を利用したグレースが、白人と黒人の奴隷関係を撤廃し黒人に自由を与えようと一緒に生活しながら、いい意味で奮闘する、悪い意味でお節介を焼き、最後に現実を目の当たりにするという皮肉たっぷりの物語です。

グレースがギャングの娘という立場を利用して善行為を行うこと自体が既にアイロニーがあり、そこに加えて、善き行いと思って振舞ったことが次々裏目に出る。

この物語で重要になってくるのが、女主人が書いた「ママの法律」というノート。

ここに書かれているのは、女主人の綿花農場で雇われている使用人達を性格ごとで分類し、農場での役割やルールが記載されている。どこからどう見ても自由の欠片すらみえない、奴隷制度そのものが書かれたノートである。

グレースは黒人に自由を与えるべく、開放すべく白人にも平等に働くことを命じる。

女主人所有の緑地帯の生い茂った木々で黒人達に個々の家を建てることを提案したり、多数決という民主主義の精神を教え、一緒に滞在しているギャングや白人を追い出す。

そして、黒人達に本当の意味での自由を与えた時に悲劇が起こり、現実を目の当たりする。

砂嵐によって綿花や作物、食料の被害が起こる。緑地帯が砂嵐の防波堤の役割を担っていたが、木々を伐採したことで被害が拡大した。

それはまだ始まりに過ぎない。

砂嵐で肺を患った女の子のために置いていた食糧を別の黒人女性が食べてしまったがために女の子は死んでしまった。

多数決という民主主義精神を植え付けたことによって、その食糧を食べた女性を銃殺することになる。グレースは生かそうとするが、それだと多数決で決まったことを反故することになり、嘘の民主主義を伝えることになるので銃殺は免れない。そして、復讐心を植え付けないために銃殺を実行するのはグレース本人であった。

グレースは、この黒人たちと衣食住を共にするうちに、ママの法律ノートに記載された、性格ごとに分類された中で優秀の部類1に入る男性を好きになっていた。

白人とギャングがいなくなったとき、2人は初めて交わる。その行為は愛の片鱗すらない儀式的な目合いであった。

目合いの翌日、綿花で得たお金が盗まれたことが判明する。黒人たちは、ギャングが持ち去ったと疑うが、盗んだのはグレースと目合った男だった。

ママの法律では、その男は酒も飲まない優秀の部類1に入っていたと思っていたが、最下位の最も質が悪くズル賢い部類7の人間だった。グレースは1と7を読み間違えていた。というか、頭もキレるし男としても魅力的だったから1だと思い込みたかったのだ。

これが1つ目のオチ。

2つ目のオチは、ママの法律ノートは、実は女主人が書いたのではなく、ママの直属の使用人だった男が書いたものだった。

70年前に奴隷制度が撤廃され、黒人に自由が与えられたが、どうやって生きていけばいいのかその指針、そのやり方は教えられていない。野放し状態だった。だから黒人たちが生きていくために、生きやすくするためにあえて法律を作り実行してきたのだ。

性格ごとに分類することによって役割と役目があり、そのことで秩序が保たれていた。緑地帯も伐採しない、綿花の種を埋める時期も決まっており、全てにルールと意味があった。

グレースはそうとも知らず、ただただ自分の善を行うために民主主義という名の自由を与えようとしていたが、実は余計なお世話に過ぎなかった。また、自分がいかに傲慢な人間だったかを証明することになった。

グレースは、この農場から立ち去る意思を伝えるも、新しい女主人になることを多数決で決められたため立ち去れない。運良く父親が迎えにくることになっていたが、時間に正確な父親は、定刻には去って行ってしまっていた。グレースが、騙した男を鞭で打っていたから。

なんとかその農場から逃げ出し、ワシントンに向かって終わり。

ぶっちゃけ、脚本としてはめちゃくちゃ捻りがあって、キーワードやキーフレーズ、キーアイテム効果が抜群で、計算しつくされていて伏線の敷き方がめちゃくちゃ素晴らしかった。全てが皮肉だらけ。

最初の黒人が鞭を打たれるシーンから既に計算が始まっていた。

善き行いが裏目に出ることは多々ある。ここでは、裏目に出ることが問題ではない。

自分の身勝手な思い込みと傲慢さが、秩序を乱し、結局は自分の首を締める結果となる。

民主主義とは何か?自由とは何か?を問う素晴らしい作品だった。

ギャングの娘の立場を利用し、その立場を放棄し父親と決別する日が来たと思ったら、父親にすがらないといけない状況に陥り…。

めちゃくちゃキレッキレの脚本にマジ唸る!時間も「ドッグヴィル」より短くて見やすかったし、どのシーンも伏線になっていて見応えがあった!

いやー、観て正解だったよ!


「イディオッツ」は、黄金の心3部作の2作目。

1作目が「奇跡の海」。3作目がビョークの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。

ラースの作品として初めて「ダンサー〜」を観て、めちゃくちゃ心が落とされたけど同じくらい感動して、レンタルで「奇跡〜」を観たら1週間無気力状態に陥った。だから、「イディオッツ」は今日まで観てこなかった、というか観る機会がなかった。存在を忘れてたというのもあるし。

今回、映画館で観させてもらって、これが「奇跡の海」より後だったことを疑うくらい手作り感があって、これがドグマ95のルールに基づいて作られことをパンフレットを読んで理解した。

「奇跡の海」のエミリー・ワトソンと「ダンサー〜」のビョークの演技が、あまりにも魂を売っかと思わすくらい深い闇がある演技に圧倒されたから、「イディオッツ」も覚悟していたけど、全然マシだった。

むしろ、テーマが明確だったから、とても考えさせられる内容だったし、描写的には確かに生々しさはあってそっちに気持ちが囚われてしまうことはあったけども、ラストに全てのメッセージやテーマが集約されていてぶっちゃけウルッときた。

知的障害者を演じながら、健常者からお金を恵んでもらったり、タダ飯を食べたり、プールを利用したりしてグループで共同生活をし、と同時に、健常者の障害者への偏見を探ったり窺ったりして、時には自分たちも試しつつ、本当のイディオッツ(愚者)は誰なのかを問う作品でした。

元々俳優さんが演じているのもあるが、知的障害者の演技がめちゃくちゃリアル。こっちとしては、リアル俳優さんがリアル俳優役でリアル知的障害者役を演じているようにしか見えなくて、現実との境い目が完全に消えてしまっていて映画であることを忘れてしまうくらいリアルだった。

ラース作品は、チャプター分けしているのが特徴的だけど、この作品はインタビュー形式で回想するという見せ方(ウディの「ギター弾きの恋」と同じ。実在の人物だと思って観てたらまんまと騙された…)だったということもあり更にリアルな世界として目に入ってきた。

主人公の女性は、明らかに闇をが抱えているが、どんな過去があるのかは全く分からない。ラストに片鱗を窺わせる、匂わせる設定にはなっているけども結局のとこは分からない。インタビューの意図も、犯罪?なのかも分からない。何か問題があったのだけは分かる。って感じ。

ラストに主人公の女性が愚者行為を演じたときのあの空気感こそが作品のテーマだと思った。

愚者を演じるという行為自体が愚者なのか?

社会不適合者が愚者なのか?

知的・身体障害者に対する偏見を持つことが愚者なのか?

親の言いなりになることが愚者なのか?

大好きな彼女が父親に連れ去られそうになるのを止めることが出来ないことが愚者なのか?

家族の前で堂々と愚者を演じることが愚者なのか?

ま、それも一理あるけど、

本当の愚者は、思い遣りがない人だと思う。

ちなみに、愚者とは知的・身体障害者のことを指しているのではないので誤解なきようにお願いします。


2週間も失踪していたのに、戻ってきた時に「生きていてよかった!」と言える気持ちが大事なんじゃないの!?

あの空気感が1番ゾッとした。と同じくらい救いがあって良かった。

人生には、乗り越えなくてはいけない壁があるが、どうしても乗り越えることができない壁もある。

環境に馴染めないなら、逃げるという選択肢は間違ってないと思う。戦ったところで何が生まれる。優越感か敗北感しかないやん。

優越感って大事か?自己満足と違うの?

敗北感は辛いで。負の感情が積み重なると人格崩壊するで。

自分の心を大事にしようや。と同じくらい相手の心もな。

ま、人のことは言えませんが…。

と思う作品だった。

「奇跡〜」も「ダンサー〜」も主人公が救われないのは悲しいけど、「イディオッツ」はまだ救われている方だと思った。

あんな環境出ていけ!って素直に思ったよ。

命より大切な学校も会社も、そして家庭もない。