続き…

2014-07-27 00:19:50 | 映画
私自身、本当の愛とか感覚では分かっているつもりでいるけど、実践はできてない。実践するにはもっと修行が足りないと思ってる。偉そうなこと書いてますが、実生活では常に自分に負けてます(汗)常に自分の課題を目の当たりにさせられてます。未だに克服出来てない。

この作品を見終えて、久々に“お試し”の言葉が浮かんだ。本当、ノアは試されていたと思う。

実は“ 残酷なまでの冷静さ”も浮かんだ。まさにノアがそうでしたね。ずっと大事だと思って書いてきたけど、本当に大事なのかぶっちゃけ悩んでいる…。時には大事だと思ってる。

この作品も、公開されてから長く、そろそろ終わるギリギリにやっとこさ観ることが出来ましたが、順番的にも今で正解だと思った。

旧約聖書に関係なく、人生観を考えさせられる作品でした。

きっと、旧約聖書に詳しい方がご覧になられると、泥天使(?)でどん引きすると思います(笑)ちょっとした「ロード・オブ・ザ・リング」の世界観が描かれていてビックリ!。

今日のまとめ:意味不明な粗筋を書いてますが、かなり私の解釈で書いているので、実際の内容とはイメージが異なってます。このブログを読んで映画を観る方はいないと思って書いているので悪しからず…。←めちゃ適当(笑)m(__)m


全然関係ないこと:書く適当な場所がないのでここに書きます。最近思い知らされることを。人間って、理性では善し悪しの分別は分かっているんだけど、本能という名の無意識においては、理性すら適わない。本人は理性では間違っていることを理解しているのに、本能が理性を制してしまう。どんなアドバイスも効果なし。を思い知らされております。本人がそれでいいならいいけど、だったら悩まないで欲しい。どんな恋でもいいから、ポジティブであって欲しいと願うばかり。どんな結果になろうとも、覚悟があれば怖いものはないと思う。

ホント、無意識はどうにもこうにも太刀打ち出来ないね。悔しいね。恐るべし無意識!お蔭で、また我が運命の戯曲の登場人物に更に理解が深まった。ホンマ、自分のことを分かっていないどうしようもない馬鹿な奴だということが分かった。ま、そこが女性視点だと母性本能をくすぐらせるくらい魅力的なんだろうね(笑)←意味不明な発言をお許し下さいm(__)m


「ノア・約束の舟」

2014-07-27 00:18:31 | 映画
下書きを書いていたら充電切れで全部消えてもうた…。たくさん書いたのに…(涙)ま、余計な事を書くな!ってことやな(笑)

ということで…、

意外と良かった!実は泣けた(笑)

私はクリスチャンじゃないので、旧約聖書も新訳聖書も詳しく知っているわけではないですが、私が想像していたノアの方舟とは全く印象が異なる内容でした。

改めてWikipediaでノアの方舟を調べたら、大まかなプロットと結末だけ同じで、後は監督&脚本のアノロフスキー独自の発想で描いていたと思う。

ノアって普通に善人だと思っていたけど、この作品て描かれているノアは善人とは到底言い難かった。

夢の中で神のお告げを見て(言葉を聞いたわけではない。あくまで映像)、洪水に備えて方舟を作る。

彼が見たお告げは、人類を滅亡させ、アダムとイヴが誕生する前の自然の状態に戻すことであった。

方舟には動物のつがいとノアの家族だけが乗ることになる。そして、今いるノアの家族の代で終わらせることで、人類滅亡を謀ろうとしていたのである。

あまりにも人間が傲慢になりすぎて争いばかりしているから、神に実直なノアが神に代わって人類滅亡を果たそうと躍起になっている。

ノアは人類を滅亡させるそのお役目しか頭にないから、後々家族と亀裂が生じる。

ノアの奥さんは、ノアを愛しているが、同じくらい子供達も愛している。奥さんは子供達の未来や幸せを望んでいて、死を待つだけの人生を望んでいない。

ノアには三人の息子がいて、長男には彼女がいるが、子供が産めない身体である。次男も彼女が欲しくて、傲慢な人間たち集落に探しにいく。女の子との出会いはあるが、いざ雨が降り始め洪水になる前に、二人で方舟を目指して森の中に入った時、女の子の足が罠に引っ掛かって身動きできなくなる。

その二人の背後からは、同じように洪水の難を逃れようと傲慢な人間達が方舟目指して追いかけてくる。

そこで、次男を迎えにノアがやってくる。次男は身動き出来ない女の子を助けたい。でも後ろから傲慢な人間達が追いかけてくる。方舟には傲慢な人間は不要だから、そこで、ノアは女の子を見殺しにして次男を方舟に向かわせた。

見殺しなんて超ありえないでしょう???

ついでに書くと、長男の彼女は子供が産めない。これはノアにとっては有利なことなのである。つまり子孫が生まれることがないから。

女の子を見殺しにしたのも、次男と万が一関係があって子供が出来ては人類滅亡が遅れてしまうから、子孫を残せる女の子は不要なのである。それくらいノアは使命達成に躍起になっている。

そこで、また問題が起こる。

長男の彼女は実は子供が産める身体になっていたのである。

なぜかというと、ノアには祖父がいて、いわゆる魔法使いまたは超能力者みたいな存在で、不毛な大地に森を作らせたのも祖父がきっかけだった。長男の彼女が子供が産める身体になったのも、ノアの奥さんが祖父に子供達の未来永劫をお願いしたから、祖父が彼女に奇跡を起こしたのである。

ということで、長男の彼女は妊娠したのである。

ノアにとってはこれは許されることじゃないから、生まれてきた赤ちゃんが女の子だったら殺すと宣言してしまう。

これで完全に家族に亀裂が生じる。

ノアは人類滅亡の使命しか考えてない。奥さんは子供達の未来を望んでいる。同じように、長男夫婦も生まれてくる赤ちゃんが男の子であれ女の子であれ育てたいと思っている。次男は彼女を見殺しにされたからノアに対して復讐心が芽生えている。

もはや洪水は二の次。絶体絶命の危機の中で家族の問題が物語のメインになっている。

人間には100%善人も100%悪人も存在するとは思ってない。でも、個人一人一人には善も悪も両方存在すると思っている。ノア自身も奥さんもそのことを分かっている。善人な奥さんも子供のためだったら人殺しをする覚悟はある。


確かにノアの考え方は間違ってない。人間は邪悪になりすぎたから滅亡させてしまうことも一理ある。それが神様のお告げなら意を全うしたい気持ちも分かる。

奥さんの気持ちも分かる。親が子供の不幸を望みますか?幸せが目の前にあるのに、いくら愛する夫のためといえども、死を待つだけの人生を望みますか?

結局、生まれてきた赤ちゃんは双子の女の子でした。ノアは使命達成のために殺そうとするが…。

人それぞれお役目があってこの世に生を受けているのは確かだと思う。

そのお役目が実はお試しだったりもする。自分は正しいことをしていると思っても、実は神様のいたずらだったりもする。

ノアは学ぶ。失いかけた愛する気持ちを。

何度も書きますが、人間には善悪ある。悪だけじゃない。善もあるわけだから、その善なる心を育むことも可能。

今の世の中ではまさに善なる心を育むことの方が遥かに難しいけど、決して不可能ではないですよね?

愛する気持ちがあれば全然不可能ではないと思う。


神様は人間に、本当の愛、真実の愛、無償の愛を学ばせることを第一目的にしているはず。本当に争い事なんて望んでないと思う。キリスト教に関係なくどの宗教も同じだと思う。なのに人間は欲や自分主義に負けちゃうんよね。

ノアは慈悲の心を取り戻す。相手を慈しむ気持ちも愛ですからね。

本当に、ノアは神様に試されていたと思う。神様は人類滅亡を言葉で言ったわけじゃなく、ノアが勝手にそう解釈したわけだから。ここ凄く大事だと思った。

私も、この映画を観て私が感じたままを、私も勝手に解釈したことを書いてます。

正しい、間違っているもぶっちゃけ自分でも分かっていない。ただ感じたままを書き残したいから書いている。