アメリカはオハイオ州、地図上の北東の端にダブリン(Dublin)という小さい町がある。町の写真愛好家が集まって写真クラブを作っている。5年ほど前に留学時代に世話になった家庭の子供さんの一人、ポール(今ではもう70歳近くになる)の紹介で一緒にミーティングに参加したことがある。真面目にカメラの使い方や写真撮影の技術などを研究しているグループだ。今はZoomで会議をもちいろんな州の人が参加できるようになっているらしい。Zoom会議の様子の録画を送ってきてくれた。写真を芸術的に画家のようなタッチのものに変化させる技術についての講演を録画したものだ。講義している人もまた50数年ぶりに見るポールの弟のデイビット(一線からは退いているものの東海岸ではそれなりに成功している写真家だ)。時代が変わって簡単に昔の友人に会うことができる。懐かしいと感傷に浸りながら講演を聞いていた。
“「いい写真を撮れなかった」とは被写体に近づけなかったということ (If your pictures are not good enough, you are not close enough. )”とはハンガリー生まれでアメリカの写真家ロバート・キャパの言葉である。「どんなものにも注意を払おう、そしてなんでも写真にとってみよう」とデイビットは言う。アメリカの広大な畑に捨てられたのだろうか錆びたピックアップ・トラックがある。その錆びた車体をデイビットの一眼レフはとらえている。その写真をPC使って明と暗、色合いを少しずつ変化させて抽象画のような写真を完成させる方法を彼は語っていた。
人間の目以上にカメラは物を見ることができる。今はスマホがある。カメラは精巧な機能を備えていてしかもいつも我々と共にある。いつでもどこでも簡単に“気付き”を写真に記録することができる。よし!僕もちょっと注意してなんでもスマホに収めてみよう。そして引き伸ばして額に入れて・・・などと考えた。写真に限らず、観察からは何かの学びや発見があるものだ。
“「いい写真を撮れなかった」とは被写体に近づけなかったということ (If your pictures are not good enough, you are not close enough. )”とはハンガリー生まれでアメリカの写真家ロバート・キャパの言葉である。「どんなものにも注意を払おう、そしてなんでも写真にとってみよう」とデイビットは言う。アメリカの広大な畑に捨てられたのだろうか錆びたピックアップ・トラックがある。その錆びた車体をデイビットの一眼レフはとらえている。その写真をPC使って明と暗、色合いを少しずつ変化させて抽象画のような写真を完成させる方法を彼は語っていた。
人間の目以上にカメラは物を見ることができる。今はスマホがある。カメラは精巧な機能を備えていてしかもいつも我々と共にある。いつでもどこでも簡単に“気付き”を写真に記録することができる。よし!僕もちょっと注意してなんでもスマホに収めてみよう。そして引き伸ばして額に入れて・・・などと考えた。写真に限らず、観察からは何かの学びや発見があるものだ。