学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

神社の石段は上るためのもの

2022-12-13 16:26:58 | 日記
 東大阪市、生駒山の中腹に由緒ある枚岡神社(河内國一宮)がある。近鉄奈良線の普通電車の停車駅、枚岡駅の改札を抜けるとすぐ目の前に参道への階段がある(一人の若者が座り込んで長時間スマホをいじっていた。尻を冷やすぞ!)。僕の家からは車で7〜8分で行けるので、大晦日や年始のお参りとは言わずいつでも出かけて、古典的に言えば静心(しずこころ)を楽しむことができる。木々に囲まれた境内の静謐(せいひつ)な空気が大好きだ。急に思い立って、そんな神社の雰囲気を写真撮影して楽しむために出かけてみた。先週の土曜日のことだ。ちょうど七五三のお参りにきた若い家族に出会った。男の子の羽織袴姿がなかなかの体(てい)をなしている。僕と弟もこの神社には七五三をはじめ、数えきれないほどのお参りをしてきた。拝殿への石段は歳をとった今は勾配がきつくて一苦労どころか五苦労(ご苦労さま)だ。最近は手すりを頼りに、登れるようになった。(秘密裡に毎日7,000歩の歩行訓練を励行している)
 足元だけを見つめて階段を登る僕の目に途中の石段のいくつかが、磨かれたようにツルツルと黒光りしている石があることに気がついた。どれほど多くの人々がこの石段を登ったことだろうか。前を行くあの七五三家族は子供を真ん中に三人手をつないで登っていく。お父さんもお母さんも足元がしっかりしている。最初のステップが大切だと、七五三のお参りは教えているように思う。一歩を踏み出さない限り上の拝殿、本殿を拝めない。年齢は無関係、人生ではいろんな場面で第一歩は大切な一歩だ。踏み出さなければ何も起こらない。「神社への階段を座るためのもの」と思っている人が上り切る喜びを知ることはない。

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