僕の家の横の車数台が入る小さな駐車場に畳3帖ほどの緑地がある。そこはちょうど四ツ角で学校帰りの子供達のほんの数分の休憩場、そこから子供達がめいめい三方向に別れて自分の家に向かう。僕が子供達の会話をよく耳にするのはちょうど彼らが学校を終えて変える時間だ。子供達はなぜか叫んでいるように大声で話す。だからその時間は或る意味で楽しみな時でもあるのだが。昨日耳にしたのは「おまえ、空気読まへんからアカンわ」の一言。彼らはすぐに走り去った。何名のグループだったのかすら分からないけれど驚いたのは“空気を読む”という言葉を小学生の誰かが口にしたからだ。今の子供はそんな言葉を使うことができるのだと驚いたのだ。
空気を読むというのは場の雰囲気を感じ取って使う言葉に気をつけたりすることだ。周りの人との穏やかな人間関係を構築するには欠かすことのできない気遣い、心配り、である。アメリカ人はそんな微妙な心配りはできない人種だ、などという人がいたけれど、彼らも空気を読むということは日常に行っている。英語では read the room という表現を使うらしい。直訳すれば部屋を読むということになるが、部屋、つまり場と捉えれば文字通り場を読む、つまり我々がいう空気を読むということになるのだ。…ということで、空気を読むという行為は人との調和を重んじるからだ。ただ「過ぎたるは及ばざるが如し」、気にし過ぎると自分を押さえ込み過ぎてストレスの原因になることも。一人で過ごす人が増えてきている現象はひょっとするとこんなところに潜んでいるのかも知れない。“察する文化”…疲れることも多いよなぁ。