どこ吹く風

旅のことを主に書く。

旅へのおもい

2007年04月08日 09時29分16秒 | 懐かしい旅の記録
 当面旅行の計画が無いので漠然と[旅]全般について書きます。

 阪急交通社からトラピックの4月号が送られてきた。春から連休さらに夏に掛けての案内が満載だ。でもこのシーズンの料金は高めなのでただページをパラパラ捲るだけ、それでも旅への想いが沸き立ってくる。

 世界は広くれ魅力的な所は多い、自然、街、美術館と数え上げれば切りが無い、でもそれらを手当たり次第廻ることはできないのでテーマを絞らざるを得ない。絞ろうがどうしようが今頃案内が来るのはゴールデンウィークから夏休み向けが多いので、料金設定が高いと思うのでチラチラ見るだけにしている。

でも旅に出たいな。
では何処へ? 
う~ん直ぐには出てこない。
行きたい場所はある、青蔵鉄道・チベット鉄道に乗ってラサへ行きたい。ラサで引き返すのではなくてカイラース山を一周したい。容易なことではないが夢です。カイラース行きを諦めれば夢ではなくて容易く行けるが、ただラサ往復だけでは物足りない。だから夢の部類に属する。

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 さてあるサイトに池澤夏樹が紀行文を書いていて今回はシャモニであった。シャモニは去年の夏に行った場所なので興味を持ち、かつ懐かしみながら読んだ。今様の話題地球温暖化を織り交ぜながらシャモニ風景主に氷河のことを書いている。メール・ド・グラスやモンタンヴェールは池澤夏樹が書いているように登山電車に乗り、ケーブルカーに乗り換えて氷河の洞窟を見て廻ったので、書いてあることがそのまま頭の中に浮かんだ。エギーユ・ドゥ・ミディも然り。

 私もその時の印象を書いた。しかしさすが文筆家は違う、同じ場所同じ景色を見て受ける感動は同じだと思うもそれを表現する力が違う。いや表面的に見れば同じ感動といえるが感動の受け止め方や深さが違うというのを実感した。
大作家に対して不遜な言い方であるが私はそのように本当に思ったのです。

 同じものを見ても見る視点が違う、深い洞察力と共に見ている。こうありたいものだと思った。見る視点とはどういうことなのだろうか、何を考えながら見るのかということなのか。自然を見るときはその風景だけで感動する、その感動を伝える時に自分の感情・印象だけでなく一歩引いてスケールを大きくすることが大きな違いだ。
池澤さんの文章を読み返してみると、山、谷、氷河、ケーブルカーなど普通の言葉がキーワードとなっている、私と同じじゃないと思うもこの後の広がりが違う。文章にの広がりを持たせるというのが如何に大事かというのを知りました。知らされました。さすが・・です。

 旅へ出たとき参考にしたいと思います。