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猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

Takamiyソロ 『復活バケーション!』  ~ いょいょ本編 ~ その2 とにかく楽しいポンポン!&EDM!!

2015年10月09日 | THE ALFEE、Takamiy
10/11に、修正&特に 「おまけ部分」 を大幅に書き加えましたので、もう一度お読みいただけますと幸いに存じます。  






2年ぶりとなる Takamiy ソロコンサート 
『復活バケーション!』 in パシフィコ横浜
 8/22、23


開場後のエントランスでの足止めや、まさかの機材トラブルを乗り越え、

こぉ~んなカンジで、まさかの  
ギターレスで 他人の持ち歌を 歌い踊りながら登場 

するという、観客の度肝を抜きつつ、 

熱狂的な新境地 でスタートさせた Takamiy   


でも、これこそがきっと自分の見たかったものなのだと思いつつ、 狂喜乱舞  したワタシ。 
           

もう、最初から ノリまくり、踊りまくり ました           

 と言っても、横揺れは迷惑だと思うのと、人前ではちょっと恥ずかしいので、曲に合わせて拳を上げながら縦にリズムを刻んでいるだけですが・・・  



曲は、 
メタルアレンジ 「ブルー・シャトウ」 (1967.3.15 ジャッキー吉川とブルーコメッツ 作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫(後に井上大輔))

「 千年ロマンス」 (2007年版のものを多分もっと激しくメタルアレンジしたと思われる) で、Takamiy の世界観を出しつつ、 

「誰よりもLady Jane」 (1989.5.31 BE∀T BOYS の曲 作詞:A.Meursault(麻生圭子) 作曲:T.Takamizawa)  へと続きます。

タカミーの振りが、ちょっとクスッてなりつつも、カッコいい   



君の背中に~ で、背中に手をやるしぐさ  クスッ

誰よりもレディージェーン で、お決まりの手を額にやるポーズは、客席のみんなも同じ振りをするようなのだけど、恥ずかしくて初めて見た暮れの武道館ではできなかったけど、今回はガンバッテやりましたよ  


そして、

 「エメラルドの伝説」(1968.6.15 ザ・テンプターズ 作詞:なかにし礼 作曲:村井邦彦)
 「恋はもうたくさん」(1967.11 ザ・ダイナマイツ 作詞:橋本淳 作曲:鈴木邦彦)
 「君に会いたい」(1967.6.1 ザ・ジャガーズ 作詞・作曲:清川正一)
 
と、GSソングが続きます。


「君に会いたい」 は、2007年に シングル 『千年ロマンス』 のカップリング曲として収録されており、
既に高見沢版メタルアレンジバージョンをCDやDVDでも聞いていて、そのカッコ良さに大好きな曲でしたが、  

「ブルー・シャトウ」、「エメラルドの伝説」、「恋はもうたくさん」 は、メタルバージョンを聞いたのは今回初めて 

特に、始めの二つはとても流行ったので、GS全盛期に私も聞いており、子どもながらにもなんとなく覚えているだけに

あの曲がこれに      

きゃー、かっちょいぃい~~~       


タカミーが、ソロコンでもいくつかGSをやってみたいと思っている、
とラジオで言っていたので、とても楽しみにしていたのだけど、

まさか、こんなに素敵になっているなんてぇ~  
 
☆*..。.o(≧▽≦)o.。..*☆

             


40年以上前の曲なのに、少しも古さを感じさせないどころか、最先端のノリに仕上がっていることに驚き、 
さすがタカミー、GS好きだけのことはあるなぁと関心もして。 

あの頃はやっていた 「GoGoダンス」(略してゴーゴー) は、子供だったのでテレビでしか見ていないけど、
まるで、ゴーゴーを踊りたくなるような曲でノリまくり  


そして、タカミーのMCをはさんで、
タカミーがこの曲と、それを作詞作曲した大先輩、 かまやつひろし さんのことをとてもリスペクトしているとわかる曲。 

 「フリフリ」 (1965.5.10 田辺昭知とザ・スパイダース 作詞・作曲:かまやつひろし)

フリフリ、とゆーくらいなので、そこはもう、フリフリしなくちゃね 

てんで、腰をフリフリ。   

腰は、周りに迷惑にならないように、とゆーだけでなく、恥ずかしいので、家で一人でならしちゃうけど、

人前ではゼッタイふりふりできないのですが・・・  

やっちゃいましたよ     


そして、やってみると楽しい。   

もちろん    THE ALFEE 担当ラジオ 『終わらない夢』 で、元歌を聴いていたけど、

Takamiy のメタルアレンジで、いっそうゴキゲンに仕上がっています   


そして、ここまで、ダンシング・ナンバー (Takamiy 流EDM) で、冒頭から一気に駆け抜け、


タカミーが、
「さあ、それでは  みなさん、準備してくださいね。」

というので、  ヤッター、ついにアレだ    と、みんな暗闇の中、バッグをごそごそ。

「あ、もちろん、やりたくない人はいいんですよ。強制ではないですからね。」
と、気遣うところなど、

ヘドバンをさかんに強要? (もちろん、ライブを盛り上げるためと、みんなで殻を脱ぎ捨てよう、という親切心からなのだが) してたころと比べたら

その思いやりに、 じぃ~ん・・・   

タカミー、大人になったなぁ~。   

( きゃー、日本を代表するロックミュージシャンでギタリストで作曲家の、61歳のちょー大人な方にゴメンなさい・・・ )


そして、みんなで ポンポン! を振りながら踊った

 「誘惑の太陽」、
 「恋の花占い」 の 楽しかったことと言ったら          

あきらめていたのに、前の人のを見ながら振ってみたら、結構覚えていて、なんとなくできたのと、

うろ覚えの箇所も、 みんなで振ればコワくない・笑 

恥ずかしいと思っていた “腰を回して回して~” もできちゃったし

一斉に振っている 一体感楽しさはハンパない です  


  キラキラ~      ワァ~~~      





そして、ポンポン!  始まる前にタカミーが、 「3曲続けて行ってみたいと思います」 と言ったのだけど、

え゛え゛え゛~     3曲ぅ~    

( 今回、シングルで新しく発表になったのは2曲しかなかったはずだから、聞いてないよ~  みたいな )


と、思っていたら、

 もう一つは 「FIRE」、

タカミーが初めて出したソロアルバム 『主義-Ism』(イズム-1991/6/12) の中の一曲で、
最初は3作出す予定で、一作目のテーマ “ロマンチシズム” で作っただけに、全体的にバラード調であったアルバムの中で、数少ないノリがいい曲 (他に Lonely Heart、Cherie の、11曲中3曲しかない) で、 
のちにネコタが、その年のツアーがDVDになっているもので見たら、ラストを飾ってものすごく盛り上がった曲でもあった
( ライブ映像を見たのは、特別限定盤・復刻DVDの出た 2012.9.10 頃であるが、ネコタは91年当時、タカミーがこの曲でTV出演して盛り上がった場面をリアルタイムで見てよく覚えている-後述-のだが )

ので、

最初のソロアルバムの中から、という意味でタカミーがこの曲を選んだのにも納得ができる。


もちろん、この曲も盛り上がって、      

なかなか家で一人で、でもなければ、ゴーゴーのように腕までフリフリできないものだけど(恥ずかしいから)  

ポンポン振るのだったら、自然にリズムに合わせて両腕をフリフリできるので、ノリやすくなるのです。   


いやぁ、ポンポン! はいいなぁ~。


 
 



私なんて、コンサートの間中 ずっとポンポン振っていたかったくらいだけど・・・

楽しいポンポン!ダンシング・ライブ  となった

第一部はここで終了しました。



と、
ゆーワケで、15分の休憩です・・・。     つづく・・・






 《 おまけ 》 ・・・の方が長かったりして・汗   


  タカミーの原点 『GS-グループサウンズ-』

 高見沢の高校時代 (1970年から72年) に相次ぐ外国のロックミュージシャン (バンド) の来日コンサートがあり、
レッド・ツェッペリン、グランド・ファンク、イエスなどの  “70年代ロックの洗礼” を受け (当時自分でもロックバンドを組んでいたので、そのいくつかはコンサートを生で見たという)、
世界観が変わった、自分の音楽の基礎を作った、などとこれまでさかんに言っていたが、


それよりも前の小学校6年生~中学2年生くらい  (本人談。1966年~68年くらい) にかけて、 
日本中を熱狂の渦に巻き込んだ 「GSの一大ブーム」 (音楽史的には1967年(昭和42年)初夏より1969年(昭和44年)春にかけてとされている) がおこり、
自分もその世界観にはまって、夢中でレコードを買い集めていた、という。

いわゆる大人気で流行っていたグループよりも、どちらかというと 「B級」 と言われるグループの方にむしろ惹かれていて、
お小遣いの中から何を買うか、というのは一種 “賭け” のようなもので、レコード店でジャケットや曲名などを見て、これは、と思うものを慎重に選び、当てた 時の喜びは言いようのないものであったらしい。(もちろんハズレもあったが、それはそれで聞いているうちに面白くなったようだ)

今までも、当時の誰も知らないようなグループの、誰も知らない曲のレコードを持っている、というのが、高見沢の秘かな自慢だったようだが、今回の自分的 “GSブームの再燃” により、高見沢の手によってそれらが世に出るやもしれぬ・笑。


( 音楽のルーツは、幼稚園のころから小学校にかけて4年くらいピアノを習っていて、そのおかげで兄所有で弟には 「接触禁止命令」 の出ていたギターをこっそり、見よう見まねで弾けたと本人は言っている。
また、小学生のころ、8つ上の兄に連れられて 『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964年、ビートルズ初の主演映画) を見に行き、色んな意味で衝撃を受けた、嬉しくて一日中映画の曲を口ずさんでいた、らしい。
また、1966年にはついにビートルズが初来日する。
日本でGSが流行ったのもビートルズの影響もあると思うが、高見沢が 「GS=バンド形態」 にハマって行った背景には、間違いなくビートルズという入り口があったと思われる。 )




 高見沢が初めて手にしたGSのレコードは、 『フリフリ』(1965.5.10 田辺昭知とザ・スパイダース、のちに ザ・スパイダース)

で、 “グループサウンズとして初めて世に出た” とされているレコードだが、たぶん、当時新しい曲として流行っていたのだろう、自分の誕生日に、友達が何人かでお金を出し合ってプレゼントしてくれたという。

( レコードの発売は65年5月10日なので、4月17日生まれの高見沢の誕生日後ということになるので、
おそらく、翌年 (66年、小6、12歳) の誕生日にプレゼントされたのではないかと予測される。
高見沢が、自分がGSにハマったのが、小学校6年生~中学2年生くらい  (1966年~68年) にかけてだと言っているので、話のつじつまがピタリと合う。 ) 


そして、この曲の、時代を先取りする曲の魅力、 「俺の自慢のロング・ヘヤー」「俺とエレキは恋人同士」 などという歌詞にも惹かれ、いまでもこの曲を 作詞作曲をした かまやつひろし のことをリスペクトしている高見沢だが、

その、肝心要のかまやつが、ジャケット撮りのときに遅刻したという理由で、事実上のスパイダース、デビューシングルなのにもかかわらず、かまやつが写っていないというのも、時代を表しているのか、本人も周りもよく平気だったなぁと、あまりにも面白い話だが (そんな逸話もふまえてネコタは最近このレコードをゲットしました 

また、B面の 『モンキーダンス』 (のちに「ミスター・モンキー」に改題) と、 『フリフリ』 は、
60年代当時若者の間で大流行した、両手を交互に振るしぐさが猿に似ているということから付いた “モンキーダンス” (ゴーゴーと同じようなものか) で踊りながら歌ってほしいという意味で、
ジャケットには “モンキーで踊ろう” という副題と、
メンバーの 堺 正章 と 井上 順 が、モンキーの真似をしており、曲の合間にもメンバーの手拍子や、かまやつや堺と思われる声で掛け声(奇声?) を発していたりして、若者心をくすぐりつつも、大人たちの反感をかったであろうことは想像に難くない・笑。


 『ブルー・シャトウ』 は、ジャッキー吉川とブルーコメッツが1967年に ヒットさせた曲で、グループの代表曲でもあり、第9回日本レコード大賞を受賞した。

ネコタは、小学校に入学した年に流行った、この曲の替え歌の方がむしろよく知っているくらいだったので、誰が歌いだしたものか不思議に思って今回調べてみたところ、

この曲がヒットした直後から、歌詞の各単語の語尾のところに「森トンカツ」「泉ニンニク」「かーコンニャク」「まれテンプラ(テンドン)」などといった(主として)食べ物の名前を付けた替え歌が大流行し、一種の社会現象となった。
『日清ちびっこのどじまん』で四方晴美(よも はるみ、TV「チャコちゃんシリーズ」主演でお茶の間の人気者だった子役。私も見てました。) が歌ったのが流行のきっかけとされる。
と、ウィキペディアに出ていました。

高見沢はこの曲をメタルアレンジして、今回のソロコンサート冒頭で用いているが、 
「森と泉に囲まれた場所に静かに眠っている青いお城」 のイメージが、 アルフィーのヒット曲 『メリー・アン』 にもつながっている (メリー・アンは、映画 『わが青春のマリアンヌ』 のイメージで書かれたことは有名だが、 『ブルー・シャトウ』 にも触発されたと聞いたことがある) 

つまり、アルフィーの原点でもあるということからだと思ったものだが、
今回のソロコンサート・パンフレット 『T-FASHION Vol5』 中の、ソロを復活させた理由などを語った 「ソロ活動復活! ロングインタビュー」 の中で、ブルーシャトーを歌いながら、中学時代、部活のバスケットに励んだ、と書いている。

が、私の中でそれよりも印象に強く残っているのはソロパンフを読むのよりももっと前の、確か去年くらいのラジオ (たぶん担当の 『終わらない夢』 だったと思うが、もしかしたら 『吉田拓郎のオールナイトニッポン・ゴールド』 かも) の中で、

『星のプリンス』 (ザ・タイガース、年不明) が好きで、 「ほし~のプリーンス、ほしーのプリーンス♪」 と歌いながらフリースローの練習をしていた
 
( ラジオ中で実際高見沢が歌った。高見沢は、ラジオの中でも、惜しげもなくたびたび曲を口ずさむことがある。よほど歌うのが好きなのだろう・笑。
86年ベイエリアでの10万人コンサート前にも、ホテルを出る際に 『長い髪の少女』(1968.4.1、ザ・ゴールデン・ カップス) を口ずさんでいるのがDVDに残されている。 )

と、聞いたことだ。

星のプリンス・・・    

まさしく、タカミーのことぢゃぁなぃかぃ・笑   

つまり、高見沢が無意識に好んで歌っていた曲こそ、まさに彼の未来を象徴するような楽曲であったのだ。


GSのもつ世界観、星、月、湖、お城、バラ、エメラルド、涙・・・などというような
少女漫画に出てくるような 「ファンタジーの世界」 は、当時の高見沢少年にドストライクだったようだが、現在でも歌詞に好んで用いるフレーズであるし、

そして、当時GSメンバーが着ていたお揃いの制服のような服装は、ミリタリー調あり、王子様ルックもありで、
GSのもつビジュアル系のルックスとファッションなども、高見沢の今日のスタイルの元になっていると思われる。



ついでながら、 「田辺昭知とザ・スパイダース」 の田辺昭知(-しょうち) は、のちに芸能プロダクション 「田辺エージェンシー」(THE ALFEE のデビュー当時の所属事務所。現在はグループ会社の個人事務所で当時マネージャーだった関口登が社長を務める「プロジェクトスリー」に所属) 社長となるその人である。

つまり、無意識に 『星のプリンス』 を好んで歌い、初めて手にした大好きだったEPレコードメンバーの会社所属のアーティストになろうとは、また、作詞作曲のかまやつひろしのバックバンドとして全国を回るなどということも、当時知る由もない高見沢俊彦少年であった。

まさに運命を感じるのである。    きらん…






 こちらの写真は、高見沢と坂崎幸之助が3週ずつ交代でコメンテイターを務めている 

BSジャパン 『あの年 この歌 -時代が刻んだ名曲たち-』(金曜夜11時~11時30分)

で、今年5月9日に2時間の “青春ソングスペシャル” という特番があったのだが、

そこで、おもむろに、高見沢が 「革のケース」 から大切そうに取り出したのは・・・







子供のころに集めたGSのシングルレコードの数々。

中でも 



高見沢が、青春ソングだと思っていたデビュー曲 『太陽の剣』 から 2作目の 『メランコリー東京』(ムード歌謡) へと、華麗なる転身? を図った、 ブルー・インパルス に衝撃を受けた (笑) といい、







この曲は、僕が歌い継いでいきたい、と言いながら、高見沢俊彦アレンジバージョンをスタジオにて初披露した。







 こちらは、 『高見沢俊彦のロックばん』 の中で、単独でGS特集をした時に持ってきた、高見沢自慢のお宝の数々を、番組HPに披露した時の写真。

その後、タブレット純を招いてGS談議に花を咲かせた回が2度あったが、ブームが自分の生まれる前で、全く未体験なのにやたらGSに詳しいタブレットに、 「俺より詳しい~・笑」 と、さすがの高見沢も舌を巻くほどであった。




 おまけ中の 「おまけ」 ・・・  Dancing Takamiy 七変化         


 

 こちらは、2013年FNS歌謡祭・夏の祭典にて、AKB48と 『ハート・エレキ』 をコラボするタカミー。

センター 小嶋 陽菜(はるな) と並んでスタート。





ギター片手に、曲に合わせて足を ギュィン、ギュイン   と折り込む姿が 
カッコ良すぎてシビレまくりぃ~       

そしてそれよりも、もっとたまげたのは    





AKBに負けず劣らず “踊るTakamiy の姿であった 

もちろん、振りや、タカミーが踊ることを発案したのは本人ではないが、

還暦王子高見沢俊彦躍らせてみよう 
きっとイケる(ウケる?)はずだ  

と 誰かが 判断したことは、間違いがない。


そして、その判断がマチガイでなかったことを我々ファンは、知るのである。
 
                     



そして、恐るべし     最後には、タカミーが見事センターを陣取って終わるのだ。  



ウィ~ン・・・ 

タカミーの左隣、ソックリさんは、
タカミーの衣装を着てエンジェルギターを持つ たかみな沢さん。(『新・堂本兄弟』レギュラーでタカミーとも仲良し、高橋みなみ さん)


 こちらは、2014年FNS歌謡祭・冬の祭典 にて。



『ようかい体操第一』 をAKB、気志團、ゴールデン・ボンバーらとコラボするタカミー。(手前、右端)

さすがに一緒に体操はせず、ギタリストに徹してはいますが・・・ 私としては、ぜひ一緒に体操してほしかったなぁ。



同じメンバーと、メドレーで 『ゲラゲラポー』 を。
  
AKBの衣装に合わせたのだと思うが、
このときタカミーが着ていた、ピンクで肩にピンクのファーがついている衣装が、ちょーカワイイ       

似合うんだな、これが。 (ギターもピンクだし)    

でもさ、良く考えたら60過ぎてピンクの似合うオッサンてどうなのよ・笑。     
( 私は55だけどピンクが大好きだから、タカミーがピンクのものを身に着けてるだけでテンションUP ですが   )




こちらは、N・Yヤンキースの田中奨大選手を客席に招いて、
モモクロの大ファンだという田中選手の登場曲となっている、 モモクロの 『 My Dear Fellow 』 をももいろクローバーZと一緒に披露しているところ。



曲中に、タカミーのギターの先っぽについていた金色の野球ボールを、取ったメンバーの一人が投げたボールを、



別の一人が客席の田中投手に向かって打ち返し、



それを田中が見事キャッチする、というような愉快でイキな、微笑ましいシーンも見られた。

モモクロちゃんにはタカミーが曲を提供しているというご縁 ( 『鋼の意志』 作詞・作曲:高見沢俊彦-2013.12.23 シングル 「ももいろクリスマス2013」 より) もあって、仲良し。

それにしても、
こういう、Younger(ヤンガー)でカラフル、華やかな場面に、還暦王子のくせして全く違和感なく溶け込み、似合うのがタカミーならでは。    

( まあね、60過ぎて “王子” と呼ばれること事態驚異ではあるが・笑。  



 ラストは・・・

今年8月1日のTV 『 MUSIC FAIR 』 にて、 アルフィーの売れない頃にバックバンドを務めたり、何かと面倒を見てもらったりして長く親交があり、メンバーが姉とも慕う研ナオコさん、
これまで歌番組などでの共演も多く、 『バズリズム』(7/31 放送) では、メンバーのお悩み相談にTakamiy が答える、という企画でいっそう親しくなった感のある 「乃木坂46」 と共演した  THE ALFEE。
 
乃木坂46の持ち歌 『おいでシャンプー』 の振りを、高見沢さんにセンターで、ぜひ “髪をなびかせて” 一緒に歌ってほしい、とメンバーの 白石 麻衣ちゃん (カワイイなぁ~。乃木坂でダントツ可愛いと思うわん) からのご所望で、

最初は嫌がっていたタカミーだったが、桜井の期待も大きく、研ナオコにも

「大丈夫、できる、できる」 (タカミーが不器用なのを知っているので、簡単な振りだから大丈夫、あんたにもできるよ、との意味)
と、勧められ

ついに・・・



じゃぁ~ん 



タカミー、きゃー、カワイイ    似合ってるぅ~     



途中、アルフィーのメンバーに 「笑うな 」 と声をかけるシーンも。  メンバーや研さん、大うけ。    

ちなみに、左からアルフィーの母校、明治学院大学の後輩にあたる 桜井玲香さん、タカミーセンター提案者の 白石麻衣ちゃん、タカミー、 この時披露した曲 『太陽ノック』 センターの 生駒里奈ちゃん、 ピアノの腕前がプロ並みと評判の 生田絵梨花さん、です。

みなさん可愛いですね。 (乃木坂の子はみんなお嬢っぽくてかわいい子が多いと思うワタシ。秋葉原と乃木坂の違いか・笑)



乃木坂メンバーも楽しそう。  終わると拍手喝さいの大歓声。



途中何度も 「えーっ」(それはダメでしょ) と、裏声で悲鳴を上げていたタカミー、終わったら恥ずかしさのあまりしゃがみこむ・笑。



番組進行役の恵俊彰や研ナオコ、アルフィーの他のメンバーからも、 「よく似合ってましたよ」 「全く違和感ない」 「オレ、メンバーの一人かと思ったもん」 などとからかわれ、

「似合ってないでしょ 」 と目をまん丸くするところもカワイイ。   



AKBや乃木坂のセンターをこの年で務められるのはタカミーだけ。   


とっても楽しい企画に、カンパイです           (これからももっとヨロシク 






※ ステージ写真はネット等掲載分を、TV出演分はTV画面を自分で写真に撮らせていただきました。  

※ 本文中特に明記のないすべての作詞作曲、アレンジは高見沢俊彦 
























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