猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

ありがとう、Aさん

2011年11月28日 | 友人、交友関係
大学時代に入っていたサークル、「児童文化研究会」の同期で、一番仲がよかったAさんが、約2年に及ぶ闘病の甲斐なく、10月31日の夜に亡くなってしまいました。



あとからご主人に聞いたことですが、ちょうどAが半年ほど前に、ケータイを水に落としてダメにしてしまい、連絡をする人がわからなくなっていたそうで、みなが訃報を知ったのは今月に入ってからでした。

それで、同じく同期の女子でWとIと連絡を取り合い、23日にお線香だけでもあげに行こうと話していたところ、同期の男子でA’とDも行きたい、というので、大勢で悪いと思ったけれど、総勢5人(同期のメンバーはAも入れて、男女同数の全10人いました)で、Aのおうちのある、房総半島の先っぽの方の町まで、お参りに行ってきました。



自宅のすぐ近くから、波が少なくて穏やかな館山湾の海が臨めるのんびりとしたところで、ここでAが、家族に愛され、おだやかで幸せな毎日を送っていたこと、支援学校の先生という、大変だけれどやりがいの持てる仕事にも就き、短かったけれども、精一杯生きたことなどが感じられました。

Aの遺影は、娘さんが二十歳のお祝いのときに撮った記念写真で、Aもとても気に入っていたものだということ。穏やかで清々しい、本当に幸せそうな優しい笑顔で、見ていると、ほんとにいなくなっちゃったんだなぁと、寂しい気持ちになりました。
祭壇を前にして、ご主人が探して持ってきてくれた、最初のお子さんが生まれたときに、Aがつたない指先で一生懸命刺した事をうかがわせるかわいい刺繍入りの、手づくりの布でカバーをかぶせた「アルバム」をめくりながら、愛情いっぱいの文字で埋め尽くされた、可愛らしいイラストカードが所々に挟まれた、きちんと整理された写真を見て、幸せそうなAの、家族への深い愛を感じたりしました。
お墓もすぐ近くで、もう埋葬されているというので、お墓へも行ってきました。遠くに海の望める、日当たりのよいとてもいい場所に建っていて、何より家のすぐ近くだから、ここなら寂しくないかもしれないなぁと思えました。


Aは治療のため、定期的に入退院を繰り返していたのですが、8月に入院して、10月31日に亡くなる直前の26日から、急に起き上がれなくなってしまうまでは、元気で、大好きな本を読んだり、与えられる食事や薬などのメモを、毎日つけていたそうです。それを娘さんが亡くなった後に見てみたら、病院の図書室で借りた、なんとかいう時代小説の第一巻を読み始めた、と書いてあったので、ご主人がその本を探して買ってきて、全4巻をお墓の中に入れてあげたそうです。

他にも、亡くなる少し前に尋ねてきたお義母さんに「いい人生でした。ありがとうございました。」と告げたという話。亡くなる当日の朝、もう、ほとんど会話もできなくなっていたのに、マッサージの人が来て挨拶すると、自分も「おはようございます」とはっきりとした声で返したという話。Aの生前娘さんが、病室の時計を見ながら「ここにいると時間が経つのが早いね」と話したことがあったそうなのだが、亡くなった後で見たら、ちょうど亡くなった8時40分頃の時間に時計が止まっていたという話。葬儀の直前に、係員が会場に赤い毛氈を敷いたところ、中から茶色の小さい子ねずみが飛び出してきて、会場に集まっていた人たちをぐるっと見渡して逃げていった話( Aは私たちと同じねずみ年なので、それは小柄なAの化身ではないかと家族で話した )、など、色んなお話をご家族の方から聞かせていただきました。

その中から、Aが最後まで前向きに、生きる意欲に燃えていたこと、ご主人をはじめとして、二人のお子さん(大学を出たばかりの娘さんと、大学在学中の息子さんで、行き会うことができました)お姑さんご夫婦など大勢の家族の愛に囲まれて、また本人も家族を愛し、最後まで家族を気に掛けて亡くなっていったことなどが伝わってきて、胸がいっぱいになりました。

他にも、病気で教職を一年間休んでいたのだが、その休暇期限が切れることになったので、更新するかどうか今年の年度始めに尋ねられたとき、「もうやめます」と言って、逆に学校から、本当に辞めてしまってもいいんですか? と聞き返されたという話。春に、近くにあるのだが、山の方なので行ったことがなかった、桜がきれいだといわれている場所へ、ご主人がAを連れて行ってあげたところ、「これが最後の桜かもしれないなぁ。今までありがとう」と言うので、「そんなこといってる奴に限って長生きするんだよ」とご主人がいって笑った話なども聞き、泣きそうになった。


Aは、自分で、何かを感じていたのかなぁ。

Aが生前、自分の心情を淡々と、だが、確かな目で書き綴っていてくれた、『児文研OBの掲示板』。
(掲示板を管理している同期のOが、Aの書き込みだけを拾い出して一箇所に整理してくれたので、それをプリントアウトして、ぜひ読んでもらいたかったので、ご主人にお渡ししてきました。書き込みは、病気になる前の2009年の3月と8月、そして明けた2010年の6月に自分の病気のことを伝えたことに始まり、今年の8月まで、退院してきては書き込む、という感じで、全部でA4で12枚分もありました。)

その、言葉のひとつひとつにも、「生きる意欲」や、毎日のあたりまえで穏やかな日常の中からこそ感じられる、「生きる喜び」に満ち溢れていたっけ。

人間、死ぬまで生きていくんだから。

ほんとうに大切な、ごく少ない人や物に囲まれて、シンプルに生きたいなぁ。

などというう言葉の中には、何かを悟ったような凄みさえ感じられて、私は身震いがした。

その、最低限必要な『人』の中に、果たして自分は入れてもらえているのだろうか・・・

そして、もしも私がAのような状況になったとき、もちろん、病後に初めて書き込んでくれるまで、治療中を含めて8ヶ月あったので、その間に色んな葛藤もあり、色んなことを考えたのでしょうけれど、それでもこんなに潔く、しかも前向きに、生きられるものなのか。



この日の白浜は穏やかに晴れて暖かく、みんなが来るからってAがお天気にしてくれたんだね、Aらしく、最後まで気を使ってくれて、と同期の仲間たちで話しました。

ほんとうに優しくて素直で、どうやったらこんな「いい子」が育つのだろう、と思うほど純粋で、心のきれいな人だったA。それでいて明るくユーモアにあふれ、一緒にいるととても楽しかった。
だから私は、Aには何でも話せたし、なんでも相談に乗ってくれるような気がして、私は大学時代から、卒業しても、彼女が結婚して遠くに行ってしまうまで、ずっとAに甘えてきたような気がします。
結婚してからも、時々手紙をくれては、今の状況や心情を報告したり、綴ってくれたA。だけど私は当時、自分の生きていくのに精一杯だったのと、Aの仕事の中身や子育てのことなどが実感としてわからなくて、Aにちゃんとしたお返事を書けていたのか、自信がありません。

今度の病気のことだって、Aがずっと、児文研の掲示板に書きつづっていたことを、私は一年も、知らずにきてしまったんだよ。

生まれて初めて、本当に心が許せる友に出逢えたと思い、かつて、あんなにAに甘えて頼っていたのに、お互い、とうに生きていく道が違ってしまったのだからと思い込んで、私は彼女が本当に自分を必要としてくれていたかもしれないときに、応えてあげられたのだろうかと思うと、自分のふがいなさや大人げのなさが、嫌になります。


でも、今年の3月に震災があったとき、海岸沿いに住むAを心配して、その時はもう、仲間から病気療養中だと聞かされていたので、そっちの心配もしつつ電話してみたとき、Aがものすごく喜んでくれたんだ。
それで、もしかしてAに嫌われてないかなぁとか、受け入れて貰えるかなぁ、という心配も吹き飛んで、本当に二人で、何年かぶりかで、心から楽しくおしゃべりができたのでした。

あの時は思いもよらなかったけれど、結局それが、Aと話したことの、最後になってしまいました。

Aの訃報に接して、驚きと悲しみで、毎日がつらくて、気持ちの整理ができなかった。Aとの思い出の数々、あんなことがあった、こんなことも、などと、30年近く前の楽しかったことなどを昨日のように思い出したり(仲間の家を泊まり歩いて、夜通し喋ったりしたよね。4年の夏休みに、千葉のT町にあるAの実家へ泊りがけで遊びに行ったときが、一番楽しかったなぁ。)、時々、いろんな後悔ばかりが襲ってきては、いたたまれなくなったりした。

だけど、あの時電話で話せていなかったら、私はもっと後悔していたと思うので、最後に電話で、楽しく話せたこと、それがせめてもの救いです。

神さまが与えてくれた、私への最後のお慈悲、ご加護なのかな、と思います。


こんな“お気楽なこと”を書いて、もしも病気のAが見たら、なんて思うかしら、とチラッと心配に思うこともあったけど、私のブログも読んでいるといってくれた。

そして、面倒くさい自分の現在の病状や色んな説明などしなくてすみ、本人も言っていたように、“気楽に”書きこめて、気楽な雰囲気で語れる『児文研の掲示板』に心情を綴ることが、Aの心の支えだったのかな、と思います。

Aの最後の書きこみは、2011年8月7日。入院の当日のようでした。文面からは、ご家族を思いやる気持ちと、そして同期の仲間からもらったお便りに関する、相談事へのアドバイスで終わっていました。
もちろん、これが最後の書き込みになるだなんて、私たちも、そして当の本人だって誰も思わなかったとは思うのだけれど、最後まで、ご家族や仲間を思いやってくれたことに、胸がいっぱいになりました。

Aにとって、かつての児文研の仲間は、ごく少なくていい、といっていた友人の中に入っていたのではないか、と信じたいです。



そして今回、同期の5人で集まって、Aのところに尋ねていけた。

それで気が済んだわけではないけれど、笑って?さよならできたから、これからは前向きに生きていきたいなと思います。
いつまでもメソメソ、グジグジしているようなのは、きっとAが好まないと思うし、そうしていかないと、最後まで精一杯生きたAに、申し訳ないから。

月並みな言い方になってしまうかもしれませんが、Aの分まで、みんなでがんばって生きて行こうね、悲しいことで会うのはもういやだから、これからは定期的にみんなで会おうよ、などと話しました。

行き返りの高速バスの中や、Dと落ち合った向こうの最寄り駅で5人でお昼を食べたり、帰ってきた東京駅で、残りの4人で軽く飲んだりして、色んなことを話しました。こんなに沢山喋ったのは、たぶん卒業以来で、4年間、一緒に苦楽を共にしただけあって瞬時に学生時代に戻れて、あの時とちっとも変わらない雰囲気で楽しく喋れたこと。だけど、お互い背負ってきた人生の分だけ、深く話せたことが、嬉しかったです。

仲間の大切さを、再認識できた一日でもありました。



Aさん、私たちに生きることの意味、そして人とのつながりの大切さを、身を持って教えてくれたのですね。

ほんとうに、今までどうもありがとう。

そしてこれからも、いつまでも私たちのことを、心の中で支えていてください。






おめでとう! 高橋、鈴木選手 アベック優勝 (NHK杯)

2011年11月16日 | フィギュア(高橋大輔等)



シーズン到来、久しぶりに登場! のフィギュアです。 



グランプリシリーズ第4戦目のNHK杯( 11月11日~14日 札幌 )で、高橋大輔選手と鈴木明子選手がWで優勝を果たしました。   

時間がなくて書けなかったのだが、それぞれ10月末の第2戦スケートカナダで鈴木は銀、高橋が銅メダルという好成績を収めていたので、今回は二人ともそれを上回る快挙であり、同時にグランプリファイナルへの進出も決めた。  




 特に鈴木明子は、26歳で初の同大会優勝。病気による中断があったとはいえ、まさに「遅咲きの大輪」。現在鈴木は、国内のトップレベルでは最年長らしいので、この年での快挙は、我々に勇気や力を与えてくれる。 


グレー地に黒い花の差し色が入った、華やかな中にも大人のセンス漂うコスチュームで、SP『ハンガリアンラプソディ』(リスト作曲)を、明るく、時に激しく見事に演じきり、冒頭では人生初という3回転-3回転をなんと試合で決められて、演技終了直後に思わず氷上でぴょんぴょん飛び跳ねるという可愛らしいしぐさも見せた。この時点で首位に立った鈴木は、翌日のFPでは、細かなミスがいくつかあったものの、何とか逃げ切っての優勝だった。曲はヨハン・シュトラウスのオペレッタ曲『こうもり』( 私はバレエで見たことがある)。淡い水色とグレーの混ざった優雅な衣装で、明るく伸びやかな表情で、可憐に舞い踊った。振付は、2009-10シーズン以来今季まで、高橋大輔のFPの振りを担当してきたパスクァーレ・カメレンゴ氏らしいが、これまで高橋の妖艶な振りばかり見てきたせいか、こんな明るい曲も振付けるのか、と思うほどに、まさにバレエを見ているかのように可憐で美しい振りに仕上がっていた。 

そのカメレンゴが、演技終盤で気分が高揚して、最高にノッてきたときの鈴木を見て、思わず「Very Akiko!」と叫んだことから、鈴木もこの言葉をたいそう気に入って、自分らしい演技をすること、すなわち「“ベリーアキコ”を目指したい」と、確かカナダ杯前だったと思うが、記者会見でも語っている。

私も、後半で会場一体となってノリまくり、はじける笑顔が炸裂している鈴木が大好きである。


初出場のバンクーバー五輪で8位入賞、初の世界選手権出場という快挙も果たした一昨年のシーズンだったが、その後、スケートとどう向き合うべきかを悩む日々が続いたという。しかし昨シーズンでは世界選手権出場を逃してしまうという、残念な結果に終わったことにより、逆に闘争心に火がついた。

そして今季、絶好調の滑りを見せているという、なんというパワーの持ち主だろうか。それが女子スケート業界では高齢に差し掛かっている26歳だというのだから、よけいにすごいと思う。

みなさん、今季、ノリに乗っているベリーな鈴木明子に注目しましょう!! 





 さて、次はおまちかね(?笑)、高橋大輔。 

高橋も、昨シーズンはグランプリファイナルで4位、全日本選手権が3位、世界選手権では5位という不本意な成績に終わってしまったが、それで闘争心に火がつき、なんとソチまでの現役続行宣言をしてしまう、という、ファンにとっては嬉しい誤算?が湧いて出た。

(しかし、昨年不調といっても、グランプリシリーズ初戦のNHK杯と続くスケートアメリカでは、いとも簡単に優勝したように見えたし、明けた四大陸選手権でも優勝しているので、そんなに絶不調、というほどでもないような気もするが、3大大会でタイトルを逃すとこうもダメージが大きいものなのか。しかも、グランプリファイナルと全日本選手権での不振は練習中の選手同士の激突による首のむち打ちのせいと思われるし、世界選手権の低迷もまた、靴のビスが飛ぶというアクシデントのせいでもあると思うのだが、世間は結果だけを見るし、高橋もまた、そんなことを言い訳にするような人間ではないから、そういうことになったのだろう。)



おそらく高橋大輔という男は、追われるより、追う方が闘争心が沸くタイプなのだろう。

今季は、スケーティングそのものを1から見直すということで、フランスに渡りアイスダンスのコーチに就いたり、噂によると( ファンサイト?みたいなものへのファンによる書き込みなので不確かではあるが )、バレエのレッスンを始め、あの、湯船につかることが嫌いでシャワーで済ませていた高橋が、なんと「入浴」して、その後ストレッチを毎日している( 彼が体が硬いというのは有名 )という。最後のストレッチというのは、本人も関西系のTVでの鼎談で、「 今、ストレッチ魔で、いつでもどこでも時間があるとしている 」といっていたので確かだろう。

はじめ、彼ほど表現力があり、それゆえ、言われなければ体の硬さなど、微塵も感じさせないようなスケーターが、何を今更バレエなど新しいことをやる必要があろうか( 下手するとぐでんぐでんになる恐れがあるかも? ← 失礼 )、と心配し驚いたものだが、確かに、動きに、伸びやかさとしなやかさが増したように思う。


今年5月に、昨シーズンするはずで、おそらく一作年のバンクーバー五輪と世界選手権での好成績による多忙のためできなかった、2008年に手術した際に膝に埋め込んであったボルトの除去手術をし、約一ヶ月ものブランクを乗り超えて、猛スピードで調整してきたのだろう。

それらのことをトータルで考えると、スケートカナダでの3位というのは、世間ではあまり評価されていないようだったが、私は表彰台に上れただけでも、すごい快挙だと思った。

そこにきて、カナダ杯から僅か2週間、今回のNHK杯での優勝である。

この、驚異の調整力は、高橋が怪我のリハビリ後にバンクーバー五輪を目指したときに似たものがある。

彼ほど、逆境に強く、それをバネにして、乗り越えようとするほどにパワーがみなぎっていくタイプのスケーターが、他にいようか。

しかも、ショートでの点数は自己最高、フリーと合わせた総合成績は今季世界最高(現時点)、歴代3位であるという。

鈴木明子ではないが、大変失礼ながら、この年で(25歳)これだけの好成績が出て来ようとは、誰が想像したであろうか。



『 現役続行宣言 』を聞いたとき、ソチまで目指してくれるのは、もちろんファンとしては大変うれしかったが、若手の追い上げなどもあり、正直、果たしてどこまでできるのだろうか、という不安を、少なからず感じてしまっていた。

何より、これから3年という歳月を、またしても五輪を目指して歩み続けるのは、気の遠くなるほどに、長くて、遠い。


と、思っていたら、ところがどっこい・笑。

当の高橋大輔は、「1から体を作り直すつもりなので、3年ではとても足りない。」と言ってのけた。

なんという男だろうか。

世界の頂点まで極めた人間が、また1からやり直そうだなどと、よくも思えるものである。

前出の鼎談で、「僕は自分の踊りが嫌い」だ、と言った高橋大輔。

そんな、世界中のファンがため息をつき、世界中の男子スケーターが目標としてきた、その、魅惑のステップ、彼だけしか表現できない妖艶な音の世界を、そんな風に言ったら踊りそのものがかわいそうではないか。

と、少し残念に思ったものだが、それはきっと、たぶん違うのだろう。

嫌い、なのではなくて、どんなに評価していただけても、まだ、「自分は満足できない」「もっと上が目指せるはずだ」と、いうことなのだと、今回の試合を見て思えた。

驚異の向上心であり、そしてそれが、彼のスケートの総てを支えている。



汗を光らせ、驚きや歓喜の表情を見せる、キスアンドクライでの高橋大輔が好きである。 

そして、笑顔で迎える表彰台上の高橋が、もっと好きである。

彼にはやはり、表彰台の真ん中や、エキシビションのフィナーレが、似合っている。


そんな明るくて華やかなオーラが、彼には付きまとっている。 



毎回、違うイメージの曲に挑戦して、観客をいい意味で驚かせ、裏切りたいという彼は、今回も素晴らしい! のひと言に尽きる曲を持ってきたように思う。


今季のSPは、vasの『 イン・ザ・ガーデン・オブ・ソウル 』。初めて振付を依頼したデイビット・ウィルソンに、高橋がずっと挑戦したかったジャンルの音楽として、エキゾチックな、中近東みたいな感じ、とイメージを伝えて、選んでもらったらしい。男性と女性のデュオで、美しくも妖しい女性ボーカルが一部途中で流れている。( 気になって調べてみたら、明確に歌詞がわかるボーカルは試合音楽には禁止されているが、アーとかウーみたいなのならいいらしいです。)そのほかは、不思議な楽器の音が流れている感じ。

その、不思議でなまめかしい感じが、高橋の体の中に入り込んで、とり憑かれているみたいで、いい意味でゾクゾクする。


FPは、エディ・ルイスの『 Blues For Klook 』。エレキギターだけで演奏され、抑揚が少なく盛り上がりに欠けるため、フィギュアでは難しいとされるブルースで、2009-10シーズンよりずっと高橋のフリーを振付けているパスクァーレ・カメレンゴが持ってきた曲だという。最初に聞いたとき高橋も「絶対ムリ!(笑)」と思ったそうだが、どうして、どうして、さすがのカメレンゴ。やはり彼の魅力を存分に引き出すことに長けている。この曲も、私は初めて聴いたときからゾクゾクとして、惹き込まれてしまった。たかみー効果からか、最近エレキギターの音の美しさに目覚めているのと、高橋の肉体からかもし出される抜群の表現力につられるのか、私には充分に抑揚も盛り上がりも感じられて見えた。

もちろん、高橋の、より大人としての魅力に磨きのかかってきたセクシーさは、ピカ一である。

会場からも、何度も黄色い「溜め息」が漏れていた。


そして、結果は前述したとおり。

特にこれまで彼が苦手としていたスピンのレベルが上がったり、演技点はフリーで音楽の解釈など3項目で9点台をマークするなどの高評価を得た。



「これでもか」と毎回新しい表情を見せてくる高橋大輔は、真の意味でのアスリート(挑戦者)であり、同時に芸術家であり、最高峰のエンターテイナーなのだな、とも思わせる。



( なお、今回の高橋の衣装は、ショート、フリーともに黒一色で、レースやスパンコールなどが、主張し過ぎない程度に施されているのみである。この、最近の彼にしてはごくシンプルな衣装は、余分なものをそぎ落とした分、体のラインを一層美しく見せ、また、曲のイメージにも合っていてなかなかよかった。これまでの彼の、派手やかな衣装もそれもまた、私は大好きなのだが、心機一転、イメージまで一新してみようという現われなのか。 エキシビションでは、黒のパンツに白いシャツという、クラッシックの音楽家たちがよくしているような感じの衣装で、これまた、私の好きな雰囲気なのである。 )




 それから、真央ちゃんの、何か吹っ切れたような、清々しい演技もよかった。( 総合成績は2位 )

SPの『 シェヘラザード 』( コルサコフ作曲 )の、青く美しい衣装からかもし出される、流れるような演技もよかったし( パンツスタイル、なかなか似合ってますね  )、昨年の出来が悪かったことから異例の再挑戦となったFPの『 愛の夢 』( リスト作曲。演奏はなんと私の大好きなユンディ・リー版でした! )も、その名の通り、ほんとうに夢のような世界を軽やかに、美しく愛らしく踊って見せてくれた。私の好きなラベンダー色のかわいらしい衣装も、本当に真央ちゃんに似合っていたし。

どちらの演技中でも、真央ちゃんがずっと笑顔だったのが印象的であった。

やはり、浅田真央には、笑顔が似合っている。

できれば、ずっといつの日も、真央ちゃんには笑っていてもらいたいくらいだ。

彼女の、伸びやかなスケートとこぼれるような笑顔は、本当に華やいでいて、見る人を幸せにする力を持っていると思う。





 フィギュアスケートはいつでも、夢のように美しい。 

古典ではなく、例えば現代バレエならば、時に芸術として、思想的で前衛的なものをも訴えたりするのに比べたら、フィギュアはいつのときでも、限りなく美しく、そして明るい。

それが、好きである。

日常生活の中で、どんなに辛く苦しい、悲しい出来事があろうとも、フィギュアを見ていたら、忘れられる。 

日常生活が、ときに辛くてしんどかったりするのだから、一時でもフィギュアや古典バレエのような、美しい「夢の世界」に遊び、しばし日常を忘れて、楽しんでみてもいいのではないか。     


そんなことを思わせる、女51歳の(?)、今日このごろ(笑)。




※ 上の写真は、NHKニュースでの祝賀インタビューに登場した、高橋、鈴木両選手。( 写真は動画をUPしているサイトのPC画面を撮らせていただきました。 )


お二人の、ひとつひとつ言葉を選ぶような、謙虚で誠実な姿に、また惚れ直しちゃいまシタ・笑。(*^^*)
やはり、あれだけのことを成し遂げられる方々というのは、「心根」が違いますね。さすがです。

NHK杯での祝賀インタビューは、女性は振袖姿が伝統なのかな? と思ってましたが、アッコちゃんはさすが大人の女性、体のラインが美しく生える、セクシーなワンピースでした。( 胸元にラインストーンが施してあって、ミニなんですよ。 )大ちゃんの黒いスーツと並ぶとよくお似合いで、お二人ともかわいらしくて、よかったです。  

祝賀インタビューなんかのときの、ホッと抜けた感じの大ちゃんも、私は大好き。  



下は、自分でTV画面を撮りました。


なぜこうなったかというと、気づくの遅くて、自分では最後の方しか録画できなかったの。   なのでインタビューはユーチューブで見ました。

せっかく大好きな二人の、アベック優勝だったのに、一生の不覚。 





発表会、その後・・・

2011年11月12日 | ピアノ・その他音楽
こんな話題ばかりで、興味のない方にはタイクツかもですが( アルフィー4連発よりゃ、マシか!? 笑  )、何しろ私にとっては( 大人になって再開してから )“ 初めての ”発表会だったので、

色々あって、              

まぁ、もう少しガマンして、お付き合いくだされ。   




その前に、先日水曜日の “ 打ち上げランチ ”は、楽しかったです。 


メンバーは、私とKさんと先生。

先生のお母さんは県内の遠方に住んでいらっしゃるので、発表会前日に来て泊まって、次の日先生が車で送っていってあげたそうで、せっかく初発表会に参加したのに、打ち上げランチには来られなくて残念でした。



ですが、代わりに? Kさん、あら、イニシャル同じだ、K2さんにしよう、が、来てくれました。
K2さんは、今度から先生のところでピアノを習いたいといっているそうで、発表会の日は、昼間用事で長野まで行っていたのに、間に合うように帰ってきて、全部見てくれたそうです。

年齢は、ご本人曰く「 70の手習い 」(ほんとはまだ、60代後半みたいですが、本人がそう言ってたの) だそうですが、子どもの頃、習いたくても習えなくて( その当時は、ピアノを習っている子どもなんてほとんどいなかったそうです。 )、自分の子どもは2人とも男の子だったので習わせられず、ずっと夢だったので、同居はしていないのだが孫が弾けるようになったこともあって、何年も前に、自分のためにピアノだけ先に買ってしまったらしいです。

それで、K2さんは先生やK1さんとは同じ「太極拳」仲間だったので、そのうちに先生のところでピアノを習おうか、というお話になったそうです。



それよりもっと面白いのは、K1さんの方は、元学校の先生だったので、その頃に先生と職場で知り合っていたそうな。それで、先生が3人目の子どもの出産を期に退職して、家にいたところ、K1さんから電話がかかってきて、「 自分もあと何年かすると定年退職するので、せっかくだから何か新しいことを始めようと思う。ついては、ピアノを教えてくれないか。」と、おっしゃったのだそうだ。

もちろん、先生はもともと音楽の先生だったから、ピアノが弾けることは知っていたのだと思うが、まだ、自分でピアノ教室を始めようか、などと考えてもいないときに、だそうなので、先生もすごくびっくりしたみたいである。

それから、K1さんにピアノを教えているうちに、私や先生が当時入っていたエアロに来ていた他の会員の方二人からも、「 子どもに教えてもらえないか 」と頼まれ、その後は口コミで人が増えていき、だんだんと今のようなピアノ教室へとなっていったみたいです。

なので、K1さんは、この教室の生徒さんの、第一号さんということになる。


すごいのは、まだ教室もやっていないのに、元同僚とは言え、先生に「 ピアノ教えてくれないかしら? 」と、電話したという行動力と、

もっとすごいのは、じきに退職するのだから、「 何か新しいことを始めよう! 」と思って、全く未経験のピアノをやってみようと思った、というところ。

もちろん、そんな風に思うからには、ピアノや音楽が好きだとか、前から弾いてみたいと思っていたとかあるのでしょうけど、私だったら当時50代半ばだったそうだが、その年で全く未知のものを始める勇気やエネルギーなんてあるかしら? と思ってしまいますね。



そのK1さん、さすがは人前に立つことも多いし、沢山の子どもや先生、父兄達と接してきた「 元先生 」だっただけあり、度胸も据わっているし、堂々としていて、K1さんも初めての発表会だったのに、全く上がっている感じもしなかったし、客席でも、先生のお母さんと和やかに歓談していて、楽しんでおられるように見えた。 ( うーむ、私と違って、余裕だな。  )

打ち上げランチでも、私に向かって、ニコニコしながら、

「(発表会)楽しかったねぇ~。  来年、何弾く?  」とな。


ひょっ・え~~~!!!  


わたしゃ、そんなエネルギー、ないですだ。    




とにかく、発表会に相当なエネルギーをつぎ込んだので、

終わったら、ものすごく疲れちゃって、ぐったりしてしまったのだ。 

そしてそれはだんだん、直後の充実感を越えて、翌日から極度の疲労感と虚脱感や不安感に変わっていき、 



あーあ、こんなに疲れるんだったら、もう来年は発表会出るの、辞めようかしら?

だって、楽しんで弾くのが目的なんだもんね。

こんな風に発表会前後でエネルギーを使いすぎて、ぐったりしちゃったら、本末転倒じゃん、とまで思った。 




理由は色々あって、まず、練習よりも全然出来が悪すぎたことが、ショックだったのと、くやしいのとで、 

もう終わったのに、あれから毎日『 SWEAT & TEARS 』を弾いている。

発表会が終わったあとに、うまく弾けなくて「 悔しい 」なんて思ったのも生まれて初めてなら、終わったのにまだその曲を弾いている、なんてことも生まれて初めて。

大人になって再開して「アルフィー」を弾き始めたら、今までのピアノ人生初めての、「 怪現象!?(笑)」が、次々と続いている。(笑) 

まあ、レパートリーがコレしかない、というのもあるし、もともとこの曲は大好きだから、発表会のことで落ち込んでいるのに、この曲を弾くと元気が出る、というのもあるが。

が、緊張感が取れたためか、はたまた、弾きすぎた?ためか、指が回らず、どんどん下手になっていくよーな・・・    


それから、服装や髪形も、よく考えた割には、イマイチ失敗だったかも。 

残念。



そうそう、一番気になったのは、近所のよく知っている子ども達の父兄が、私のことをどう思ったか、ということである。

なんつさーか、恥ずかしいし、多分に自意識過剰の被害妄想人間なので、「他人の目」というのは、ヒジュョーに気になるところなのだ。 

考えすぎ家も、てせすが・笑。



でも、発表会はまだ、来年なんだし、今から出るとか出ないとか、そんなこと考えなくても、とりあえず「 次に弾きたい曲 」があるんだから、それをやりましょう! てな感じです。

でもって次の曲はですね、しばらくは大好きなアルフィーのレパートリーを増やしていきたいので( アルフィーじゃないと弾かなくなる恐れもあるし  )

今度は、バラード系で


『 君が通り過ぎたあとに ~ DON'T PASS ME BY ~ 』( 1987年 高見沢俊彦作詞・作曲 ) で~す!!!


劇場版『 タッチ3 』のテーマソングで、大人気だった原作アニメの世界を忠実に再現した、切ないまでに美しい、究極のラブ・ソング。    

とにかく、詞が美しく、見事! としか言いようがないですが、

もちろん、曲も素敵です。


発表会前に先生に楽譜を見ていただいたところ、「 これなら直さなくても、そのまま弾けるんじゃないかしら? 」とおっしゃっていただき、

『 SWEAT & TEARS 』は、もとの楽譜をちゃんと見てないのではっきりとわからなかったが、CDを聞いていると、左手の伴奏の「 ここがいいのに! 」と思える軽やかなテンポのリズムが、先生が優しく作り直してくださった楽譜では、どうもなくしてあるということに気づいて、ま、弾けないんで仕方はないのだが、少し残念に思っていたので、

元の楽譜どおり弾けるなら、

う・れ・しぃ~~~ぃっ!!! 




ところで、K2さんは農繁期は野菜などをバリバリ作っておられるそうだが、かつて某地元大企業に務めておられたせいもあるのか、今は悠々自適の生活。色んなところに食べに行ったり、外国旅行などもなさるような行動派なのだが、韓流ドラマの大ファンで、ビデオとかもいっぱい撮ってるんだって。で、それをダンナがいないとき、誰にもジャマされず、一人でゆっくり見るんだそうな。( う~む、その気持ち、よくわかるぞ・笑。私も同じだ。  (^^)v )

「 夢は、韓国旅行だわ~。」 

とおっしゃるので、

「それじゃあ、いつか『 冬のソナタ 』が弾けるように、がんばりましょうよ!」と、他の3人で励ました。



ピアノ教室の大人クラスは、3人になった。

K1さんもK2さんも、それぞれバイタリティーがあって若々しい。

私も、こんな風に年を重ねていけたらいいなぁと思う。

いい目標、刺激になる。  



昼間から、ノンアルコールなのに、まるで入ってるみたいににぎやかだね~、安上がりの客だね~、  

などと、終始笑い転げた「 打ち上げランチ 」は、とても楽しかった。  

よく考えてみたら二人とも、初対面、もしくはそれに近いのに、このうち溶けようはなぜかしら? やはり、ピアノが弾けるようになりたい、という共通の思いがあるからなのかなあ。

普段のレッスンでは、お互い顔を合わせることはないのだが、二人のKさん、これからもヨロシクお願いいたします。 

私も、お二人に負けないように、がんばろうと思います。 




先生からいただいた、発表会を録画したDVD。
クリックすると動画が見られます。

↑ なんてのは、全くの大ウソ・笑。 

思ったよりも細かいミスが多いわ、間違えないで弾こうと思うあまり、詰まる箇所多発だわで、これ見てまた、よけい落ち込んだって・・・   



でも、せっかくだから、夫にムリヤリ見せたら、思ったとおり、終始ニヤニヤしながら見てるし、何もわからんくせに、早いだのつかえるだの、馬鹿にしまくるし、


ぐ・ぐやじいぃ~~~ぃっ !!!   


あやつは、ドーモ、人のことを 「 小バカ 」にするのを“ 生き甲斐 ”にしておる、よーなんですな。でもって、そういうときの冗談に限って、妙にサエまくっているので、ついおかしくて大笑いしてしまう、不覚の私、なのでシタ。 


まったくもぉ、くやしいったら、ありゃしない。   





発表会、終わりました!

2011年11月08日 | ピアノ・その他音楽


当日11月5日(土)は、残念ながら午後から雨になってしまいました。  

ピアノ教室は、は、ちょうど今年が記念で節目の、「 第10回目 」だそうです。


会場は F会館( 町の公民館 )大ホールで、演奏者と観客が同じフロアの、こじんまりとした、暖かな雰囲気に満ちています。( でも、その “近さ” が、逆にキンチョーするってことよ・・・        )


先生や、先生の娘さんたちが用意したという、温かい手作り風だけれど、お洒落でセンスのよさが伺わせられる 「 飾り付け 」に、心が和みます。


一緒に参加した 「 大人クラス 」のKさん( この日が初対面でしたが、客席も隣で、明るく楽しい方で、すぐにうちとけちゃいました ) が、始まる前に写真を撮ってくれました。

新調したストッキングは、写真だとわからないけど、地模様にダイヤ柄みたいなのが入ってる “オシャレな” ← 強調!!(笑) やつなんですよ。
グレーのワンピースに、レースのブラウスを羽織っています。

で、胸元には、全然写ってないケド  “ お守り ”に、『 たかみー・ローズ・スカルペンダント 』 が!! ← 強調!! (笑)

他にも、いつも持ち歩いている様々な自分にとっての 「お守り」 を二つ三つ バックに忍ばせてきました。




で、こんなに “ お守り ” を持っていったのにさぁ・・・・・ ( 持って行き過ぎたのか!? )


本番では、

失敗しまくりました・・・。 


きゃぁっ!!!   

はずかし・・・    

どーしよ!? 


     



けっこうキンチョーはしてましたが、フツーに出て行って、アナウンス( 先生の長女さん )の紹介を聞いているとき、目の前に、「 ビデオ担当 」の先生のご主人と、あと知ってる子のお母さんがいるのが目に入ってしまい、ちょっと恥ずかしいなあとは思ったけど、それで上がったという気はあまりせず、



一礼して弾き始めたんですが、

前奏のとき、 「 あれ? この音、なんか違ってる。変だな 」と思いながらも、弾きなおしてもわからなかったので、仕方ないからそのまま弾いて、

そういうのが2回くらいあって、

あ、また違う、やだな( もちろん、それまではちゃんと弾けていたところなので、なぜかわからず。なので、内心焦ってはいた。 ) と思いながら弾いて、

歌の部分に入ったあたりで、やっぱり変だから直そう、と思ったのに、正しい音がどうしても出てこないわけ。



一瞬、止まってしまって、アタマまっしろ。

あちゃー! と、思いましたね。

幸い、曲( 歌の部分 )のほうでも最初の方だったので、一呼吸して

歌の最初から、弾きなおしました。

ら、できた!  ( 内心、ほっ )



あとはもう、無我夢中( 笑 )


音が割れようが、つっかかろうが、なんかテンポだんだん速くなってるっぽい、と思おうが、

全部無視?して、

激しく、弾きまくり、

ジャ、ジャッジャ、ジャン。ジャーーーン!

と、一気に終わった。( 笑 )




ひょえ~~~。 


赤面・・・  



なんか、終わったあとの方が、ものすごく心臓がバクバクしてきた・・・。 




私の後に、先生と先生のご実家のお母様を含む大人3人が弾いて、すぐに第一部が終わり休憩になったので、見にきてくれた、やっちゃんと 「 バカ話 」 をして盛り上がって?いたら( 照れ隠し )、先生がやってきて、

「 あそこで、でも、よく持ち直して、ちゃんと続けて弾けたじゃないー。  」

と、安堵を隠し切れないようにおっしゃった。

もしかして、先生の方がアセッてらしたのだったら悪かったな・・・。 



本邦初公開・笑。 ピアノを確かに弾いている 『 証拠写真 』 です・笑。   なんか、キンチョーが伝わってきますね・汗。 ( やっちゃんに撮ってもらいました。 )

ねっ、客席と弾く人が、こんなに近いでしょ? (ドキ2・汗)



その後も、キンチョーが取れず、胸が苦しくて、いつも持ち歩いているフリスク、舐めたいなと思いつつも、第一部の休憩時間はやっちゃんと、第二部の休憩時間は、やっぱり見に着てくれたIさんとおしゃべりしまくっていたので、舐める暇がなく( 人の演奏中は、さすがに悪いと思って取り出せず )、第三部途中の休憩になって始めて、フリスクを口に入れることができたのでした。


あー、危うく死ぬトコだった・汗  ウソウソ・笑。




ですが、人の演奏はよかったですよ。

一部は小さい子、始めたばかりの子などが多かったので、演奏の中身よりは、その可愛らしさが微笑ましかったけど、

二部くらいからは、もう結構みんなうまくて、ほ、ほ~って感じ。


中でも △3姉弟妹( 以前同じ隣組の社宅に住んでいた一家の子ども達 )の一番上のお姉ちゃんが弾いた 『 愛しのクリスティーヌ 』、『 渚のアデリーヌ 』は、80年代の初めに、ピアノ界の貴公子 「 リチャード・クレイダーマン 」が弾いて大ヒットし、私も彼のカセットを買って、擦り切れるほど聞いていた思い出の曲だったので、涙が出そうなくらい、なつかしかった。 ( 今回始めて、これらの曲は「 セネベル 」という人の作曲だと知る。クレイダーマンではなかったのね。  )

あと、第2部のラストを飾った、先生の一番下のお嬢ちゃんの 『 Asian Dream Song 』( 久石譲 作曲 ) も、素晴らしかったです。さすが、先生のお嬢さんですね。

まだ保育園に上がる前だから、2歳くらいだったと思うけど、先生がエアロビにいつも連れてきて、そうそう、このF会館でやってたんだけど、その頃は元気いっぱいでちょっぴりお転婆さんだったのが、中学生の、すっかりおしとやかで、いいお嬢さんになって、って感じです。  )




あと、第3部は 連弾とアンサンブル。

ほとんどの子が、自分の曲の他にも連弾をやっていたので、すごいです。 


よかったのは、お母さんと娘のピアノの連弾に、お父さんがハーモニカを合わせて 木村弓さんの 『 いつも何処でも 』 をやったもの。

この□さん一家は、先生の地区の、まだもっと奥に住んでいて、おじいちゃんをよく知っており(残念ながらこの春亡くなったらしいですが)、お父さんの仕事柄、うちの店にもたまに来るからよく知ってたんですが、まさか、こんな特技があったとは・・・。
しかも、前から男前な人だとは思ってましたが、黒いシャツとパンツが細身の体によく合っていて、ほんとのミュージシャンみたいで、ハーモニカ吹いてる姿もカッコよかったです。
こんなカッコいい人がお父さんなら、さぞ自慢だろうなぁ、と幼き日のわが身を振り返りながら思ってしまいました。 

なにより、家族でこんな風に楽器演奏が楽しめたら、とても素敵ですよね。 


他には、先生のピアノと娘さんのヴァイオリンとのコラボで、葉加瀬太郎の 『 ひまわり 』( 今はやってないみたいだけど、お嬢ちゃんがもっと小さいとき、先生が毎週車に乗せて松本の教室まで通っていたのを知っているので、人事ながら感慨深かったです。 )と、

現在、地元中学で音楽を教えていらっしゃるという○○先生のフルートと先生のピアノとで、メンデルスゾーンの 『 「歌の翼」による幻想曲 』などもあり、ピアノ以外の楽器の演奏も聴けて、素晴らしかったし、中々楽しかったです。 ( ○○先生のは、10周年特別企画らしいですが )


もちろん、先生が演奏してくださった、ショパンの『 別れの曲 』は、流れるように美しく、大変感動しました。

やっぱ、ショパンはいいよね。いつか自分でも、その中でも比較的易しそうなの、一曲でもいいから、弾けるようになれたらいいなぁという、「 夢 」だけは持ち続けていましょう。  



当教室では、これまでも、子どもとご家族の方との連弾やアンサンブルを呼びかけて、やってきたようですが、中々いい企画だな、と思いました。

こんなところにも、子ども達も、ご家族も、一緒に音楽を楽しみましょう、という、先生のコンセプトが表れているように思います。





最後は、教室10周年ということで、10年間教室に通い続けた子供たち3人からの記念の 「 サプライズ企画 」 もあって、大変感動しました。

他の色んな事に興味が移り易い“子ども時代”に、10年もの長い間、一つのことを続けられるというのは、ものすごいことだと思う。



私は子どもの頃、10年も続けられなかったし、その間上達もしなかったけど、大人になり、こうやって再び鍵盤に触れることのできるようになった巡り合せと幸せに感謝しつつ、

この生徒さんたちができるだけ長く、あるいはもしも中断したとしても、生涯ずっと、ピアノや音楽を楽しんでいかれたらいいなぁと、そう願わずにはいられません。



10年前、7名の生徒さんで自宅レッスン室を使って開かれた、当教室の、かわいらしい、第一回目の発表会。

数年後には手狭になり、今の場所に移り、それでもできるだけ父兄の負担にならないように考えてきてくださった、先生。
その間、口コミで広がって、今では20数名を超える大所帯になり、よその学区の生徒さんも通って来ているほどです。

これもひとえに、先生の、温かくて素晴らしいお人柄があってこそだと思います。



スピーチの中身にも感動した挨拶の最後に、先生が 「私からもみなさんに、お花のプレゼントがあります。」 とおっしゃってくださいました。

まさか、そんなステキなサプライズがあると思わなかったので、おどろいて見ると、会場に飾ってあったお花、ピアノ後方と入り口のテーブル付近にあったもの、これ実は小さな花束の寄せ集めだったのですね。なんと心にくい、素敵な演出でしょうか。



それを一人一束ずついただいて、私の大失敗を除いては、私以外の大人の方二人も含めて、ほんとに、心温まるステキな音楽会だったので、幸せな面持ちで帰路に就きました。






右の可愛らしいのが、先生がみんなに下さった花束。包んであった紙はオレンジなどもありましたが、そこは大好きな「 紫色 」のものを・笑。

左は、なんとやっちゃんからも、お花のサプライズが。来ていただけただけでもうれしく、申し訳なかったのに、こんなにしてもらって、ほんとに悪かったです。
でも、とても嬉しかったです。( やっちゃん、ありがとう!!   )

お花って、差し上げるのも好きだけど、自分でもらうのも、すごくうれしいものですね。  



明日はいよいよ、『 打ち上げランチ 』です。  


( 私自身の参加した感想、反省? などは、その報告もかねて、そのときに。  )





いよいよあした・・・

2011年11月04日 | ピアノ・その他音楽
発表会、いよいよ明日になってしまいました。



なんか、落ち着きませんね。 

はぁ~。 


一応ね、だいたいは弾けるようになったような、気はする。

むしろ、最初のころのことを考えれば、我ながら、よくぞここまで(!?)弾けるようになったものよ、と思うくらいなのだが( って、先生もおっしゃってくださってます・・・ ) 

でも、どうしても、ところどころ細かなミスが出てしまうんだよね。

一度もノーミスでラストまで弾き終われたことがない・・・ 

それがどうも、ね。


しかも、私の場合、弾きながら心の中で歌ってるんで、歌詞を間違えたときがヤバイ。 

それは、同じ音の繰り返しなので、勝手に1番、2番、3番とつけてるんだけど、

その歌詞が、ごっちゃになってしまうこと。


別に、声に出して歌うんじゃないから、間違ってもいいじゃん、と思うでしょ?

ノンノン。


それが、歌詞に合わせて、ビミョーに音の切り方や音程が変わってるところがあるので、そこがヤバイわけ。 

聞いてる人はたぶん誰も知らないので、違ってることに気がつかないとは思うんだけど、自分で違った!とわかると、もーダメ。 

そういうときはパニクラないように、落ち着こうとします。


なので最近は、ゼッタイもとのCDは聞かないようにしてます。(これはせめて2番の歌詞だけでも頭から追い出すため)


あと心配なのは、突然のド忘れ? 

あー、おそろしや、おそろしや・・・ 

( どうか、起こりませんように・・・  )




ダイエットの効果が出て、始める前には着られなかった、10年前に買ったウールのワンピース( シンプルなグレーのノースリーブ )が着られるようになったので 

通販で試しに購入してみたやつ( 一つもいいのがなくて全部返品じゃあ~・汗 )や家中の服、とっかえひっかえ、ファッションショーしまくった服選び( なんかあるときは、いつもそうなのだが  )は、ようやく終着。
冷え性なのと、動きにくい( 運転や仕事柄 )ため、ふだんスカートというものをほとんどはかないため、靴選びもタイヘン。ストッキング( タイツ? )なんか、ちょうどいいの持ってなくて買いに行ったもんね。
( これらのものは、普段そういう場がないために、きちんとした服や靴をほとんど持っていないため、その「ない中から探す」のがタイヘンなのである・汗 )


モンダイは、スカートなので、座ってるときにきちんと膝がそろえられるかどうかってことよ・・・   

まあ、横向きなので、客席からは見えないとは思うが。 




家族は誰も見に来られないので、両親には、実家のピアノで聞いてもらった。



「けっこう弾けてるでしょ。あの○子が、良くぞここまで、と思わない?(笑)」などと、こちらからふってみる。

「はは。そーだねー。」と母。反応は、まずまずであった。

20何年ぶりかで、実家のピアノ弾いたよ~。 

今度、きれいにほこりを拭いて、調律もしてもらおうよ、ということに。

父と夫には、ムリヤリ聞かせたが( 笑 )思ったとおり、何も反応はなかった・・・。   

つまらん。


しかし、自宅の電子ピアノ、初めてヘッドフォンなしで、音を外に響かせて弾いたなぁ。

大人になって再開してから、家族に聞いてもらったのも初めてだが。

けっこうキンチョーした。 



でも、せっかくだから、誰かに聞いてほしいので、お友達に声をかけてみたら、二人とも来てくれるらしくて、ヨカッタ。うれしい。

一人は、アクアの友人 Iさんなのだが、彼女はKからわざわざ、たかみーのソロコンに行ってくれた人で、地元の、とある趣味でやってる人たちのバンドのコンサートに一緒に行ったり、カラオケにも行ったりと( 両方ともブログに報告を書きたかったが書けず・・・ )、なんか、音楽は好きみたいなのだ。


もう一人は、以前のアルコン報告でも登場した「やっちゃん」。

息子のM君と来てくれるって。  ( M君はピアノにちょっと関心があるらしいので、楽しんでもらえたらいいなと思う。 )

なにより、

『 SWEAT&TEARS 』の曲を知ってるの、たぶんやっちゃんだけだから  、ぜひとも聞いてもらいたいんだよねぇ~。



昨日きた、やっちゃんからのメール。

私の、「発表会前で不安なのと、ダイエットしてるから食べられなくてイライラしてるの」、というメールに対して、


>食べれないイライラは…
>SWEAT&TEARSにぶつけよう~o(^-^)o


だってさ・笑。

さすがは、やっちゃん。


この曲は、そんなような曲です。 




さあ、もうここまで来たら、

あとは、野となれ、山となれぇ~~~ 



がんばって、やるだけです。

( 終わったら、大人の生徒さんと先生の4人で、『打ち上げランチ』をすることになっているので、それだけを、楽しみに・笑   )




明日は午前中に、一人15分のリハーサルがあって、一端帰宅し、

夕方の5時から、いよいよ“本番”です。


みなさま、うまくいきますように、応援していてくださいね。