次の日は、朝5時に起きて、姉と一緒に朝風呂、朝ビールしたあとに風情のある町中を通って5分先の駅前あたりまで散歩、と決めて気合入れて楽しみにして寝たのに、起きたら真っ暗。景色も見えないんじゃつまらん、と、また寝て起きたらもう6時で、朝の露天風呂(さ、さぶかった・・・)入って温泉の楽しみ、朝ビール(なんとー!姉は飲まなかったので、一人でつまらん・・・)して、4人で朝食バイキング食べたら、8時半にはもう出発だったので、散歩の時間はなかった。がっくし・・・
そのあと、一行はお魚センターで買い物したあと、魚津へ。
「魚津埋没林」は、かつて片貝川の氾濫による土砂流出によって埋没させられた杉原生林が、その後氷河期の海面上昇により現在の海面より下になってしまっていたものが、2000年もの時を経た1930年、魚津港改修工事の際に海底で発見されたという、大自然の痕跡、奇跡である。特別天然記念物で、大小あわせて、約200ほどのスギが見つかっているという。
その一部が、「魚津埋没林博物館」に展示されている。(写真上)
この写真はイマイチであるが、入組んでゴツゴツした、ねじれ模様のような杉の大木は、とても神秘的。海底の中に埋まっている感じにしたのを、上から、水中から眺められるものもある。←粘土細工のようであった。(暗くてうまく写真に撮れず)
平成天皇が皇太子だった頃をはじめ、皇室の要人達が次々おとづれているらしく、パネルにして飾ってあった。
二階で、魚津のもうひとつの奇跡「蜃気楼」の美しく幻想的な映像と、蜃気楼のできるわけを説明したビデオを見たが、ちょぃむずかしくて、よくわからんかった。
ただ、ひとつだけ思い出したのは・・・
そういえば昔NHKの朝ドラのファンでもあったのだが、そのとき田中実のやった主人公の出身地が、確か魚津だったんだよなー、でもって、彼が仕事上の将来の夢を見ているんだけど、それがまるでふるさと魚津の蜃気楼のようだ(幻であり、叶えるのが難しい)、とか言ってたんだよな。魚津にいる優しいお母さん、顔は思い出すんだけど、あれはなんて役者さんだったかしら。
何より、そのドラマのタイトルと、どんな内容だったかを、一生懸命思い出そうとするのだが、ついに思い出せなかった。
で、家に帰ってPCで検索してみて、やっとわかった!
1990年上半期に放映された『凛凛と』だった。
物語は、大正時代にテレビ開発を夢見て魚津から上京した川原田政太郎(役名:畠山幸吉)の夢と希望と苦悩に、彼らを取り巻く人々の成長の軌跡を追った青春群像。幸吉の妻に荻野目洋子、その兄に野村宏伸、幸吉の友人で江戸っ子の粋、大工だか鍛冶屋のせがれに梨本健次郎、その父にハナ肇、という、とにかく朝から元気いっぱいの楽しいドラマだった。魚津の優しい母は長島暎子、はちゃめちゃな父はイッセー尾形であった。
ほんとに楽しいドラマだったなー。青年が夢を追う(川原田はのちに日本のテレビ界の第一人者となる)という設定がよく、「凛凛と」というタイトルもよかった。懐かしいものを思い出せてよかったわ。
それにしても、あー、すっきりしたぁー。パソコンて、便利だなっと♪(^o^)
博物館展望台より、立山連峰を望む。
反対側には富山湾。蜃気楼は見ることができませんでしたが・・・笑。
海と山、両方楽しめるなんて、魚津っていいところね。
その後、かまぼこ工場に行って製造過程の一部を見たり細工の実演を見たりして、お土産を。
東京の姉は、前回は塩尻まで戻ってあづさで帰って、電車に間に合うかエレーやきもきしたり、遠くなったので、今回はここから新幹線で帰ったほうが近いとのことで、ここでお別れ。サミシイ。
バスは一路、岐阜県白川郷へ。
3年前のノーサイ旅行の際もおとづれたのだが、そのときは雨で歩かなかったので、今回は期待。
お昼も、前回は飛騨牛みそ焼き、といいつつ、薄いお肉数枚だったのが、今回はバージョンアップして、3切れだったけど、霜降りの厚いステーキだったよん♪マンゾク。←写真とるの忘れた。(一日目の昼、夕は撮ったが、チープに見えたので却下・笑)
その後、世界遺産となった白川郷、秋の集落を、のんびりと歩きます。
今でも中に人が住んでいることを伺わせる、乗用車や洗濯物が見える。
この家は、裏に回ったら、屋根の吹き替え中でした。
めったにない、いいものが見られたと喜びつつ、いゃぁー、タイヘンだすなぁ~、こーゆーウチに住むのも、金かかってしょーがねぇー(あ、補助くらい出るんスかね?ほんでも、めんどー)とか、思い。
この家は、なんとー!
車庫までもが、合掌造り、かやぶき屋根。二階は倉庫かなんすかね。
こちらは、消防の消火栓。
景観を考えて、こーんな小屋に入ってあちこちに立っておりました。
かわゆいけど、いやはや、世界遺産に住むのは大変だにゃ、とほとほと感心ともタメイキともつかぬものをついた私です。
その後全員で記念写真を撮り(姉が入ってないよ~残念)、バスが中津経由でKにたどり着いたのは、夜の7時半頃でした。
前回の旅行で、私は体調が悪くてバスの中で寝てばかりいたんだけど、姉はびっくりするくらい、目が覚めると旅行中ずっと飲んでたんすが笑、今回酒に弱くなったとかで、二日目は全然のまず(新幹線では飲むと言ってましたが)なんか、ちょっぴりさみしく、つまらなかったわ。
みんな、年、とるんすね。
でも、この年になっても両親が健在で、こうやってダンナ抜きで一家4人で旅行に行かれるなんて、なんて幸せなんでしょう。
私も今回は体長がよくなっての旅だったので、とっても楽しかったです。
2,3年にいっぺん、とかいわずに、親が元気なうちにまた来年も行こうよ、と電話口の姉が言ったので、そーしよ~ねぇ~♪と答えた私です。
が、しかし、今回私達姉妹が49と51で乗客の中でたぶん最年少だが、両親は83と80でたぶん最年長。長旅だけに、元気に行ってきてくれるか、けっこう心配したりもした。二人とも元気で楽しそうでよかったけど、来年また旅行できるだけの体力があるかしらん、とか、ちょぃ心配。
子どもの欲目で、親にはいつまでも元気で長生きしてほしいと願うもの。
それでもこうやって、親が元気でいてくれること、快く出してくれる双方の殿方にも感謝、です。
おまけ。おみやげの数々。
左。富山限定の「ご当地キティーちゃん」。黒部渓谷を名物のトロッコでゆく、黒部ダム建設のいでたち(ヘルメットにつるはし)のキティーちゃん。
ついでに、真ん中はK限定のK駒に乗ったキティーちゃんと、知人にもらった浅草で買ったのに、なぜか埼玉限定「草加煎餅ドラえもん」の根付です。
左から、富山名物「ます寿司」(ぶり寿司がほしかったのに売り切れてた)、飛騨牛の昆布巻き(白川郷にて購入)、魚津名産「白えび」の釜あげ
「ごちそう玉手箱」というかわいい発泡スチロールの手提げ(写真奥)に入っていた、富山名物「黒かじきのこぶ締め刺身」(写真手前左)
と、変わりかまぼこ。
左より、あなご、しゃけ(一面に蒸したアナゴやしゃけが乗っていて豪華)、上にいって昆布巻きチーズ。
うに含有率90パーセントという「粒うに」(左)と、
おまけで、最近お寺の奥さんからいただいた、仙台の「七夕漬け」「仙台長なす漬け」。おいしそうです。下は、奥さんからの毛筆、達筆のおたより。
このほかにどこでも買える桜海老の干したのや、煎餅を3種類も、あと夕飯のおかずに飛騨牛のコロッケなんてのも買ってしまった。(^^;)
財布のヒモは、次第にどんどんゆるみ、行く先々で買っているうちに、サイフがすっからかんに・・・
うーん、明日から、どーしよ!?
そのあと、一行はお魚センターで買い物したあと、魚津へ。
「魚津埋没林」は、かつて片貝川の氾濫による土砂流出によって埋没させられた杉原生林が、その後氷河期の海面上昇により現在の海面より下になってしまっていたものが、2000年もの時を経た1930年、魚津港改修工事の際に海底で発見されたという、大自然の痕跡、奇跡である。特別天然記念物で、大小あわせて、約200ほどのスギが見つかっているという。
その一部が、「魚津埋没林博物館」に展示されている。(写真上)
この写真はイマイチであるが、入組んでゴツゴツした、ねじれ模様のような杉の大木は、とても神秘的。海底の中に埋まっている感じにしたのを、上から、水中から眺められるものもある。←粘土細工のようであった。(暗くてうまく写真に撮れず)
平成天皇が皇太子だった頃をはじめ、皇室の要人達が次々おとづれているらしく、パネルにして飾ってあった。
二階で、魚津のもうひとつの奇跡「蜃気楼」の美しく幻想的な映像と、蜃気楼のできるわけを説明したビデオを見たが、ちょぃむずかしくて、よくわからんかった。
ただ、ひとつだけ思い出したのは・・・
そういえば昔NHKの朝ドラのファンでもあったのだが、そのとき田中実のやった主人公の出身地が、確か魚津だったんだよなー、でもって、彼が仕事上の将来の夢を見ているんだけど、それがまるでふるさと魚津の蜃気楼のようだ(幻であり、叶えるのが難しい)、とか言ってたんだよな。魚津にいる優しいお母さん、顔は思い出すんだけど、あれはなんて役者さんだったかしら。
何より、そのドラマのタイトルと、どんな内容だったかを、一生懸命思い出そうとするのだが、ついに思い出せなかった。
で、家に帰ってPCで検索してみて、やっとわかった!
1990年上半期に放映された『凛凛と』だった。
物語は、大正時代にテレビ開発を夢見て魚津から上京した川原田政太郎(役名:畠山幸吉)の夢と希望と苦悩に、彼らを取り巻く人々の成長の軌跡を追った青春群像。幸吉の妻に荻野目洋子、その兄に野村宏伸、幸吉の友人で江戸っ子の粋、大工だか鍛冶屋のせがれに梨本健次郎、その父にハナ肇、という、とにかく朝から元気いっぱいの楽しいドラマだった。魚津の優しい母は長島暎子、はちゃめちゃな父はイッセー尾形であった。
ほんとに楽しいドラマだったなー。青年が夢を追う(川原田はのちに日本のテレビ界の第一人者となる)という設定がよく、「凛凛と」というタイトルもよかった。懐かしいものを思い出せてよかったわ。
それにしても、あー、すっきりしたぁー。パソコンて、便利だなっと♪(^o^)
博物館展望台より、立山連峰を望む。
反対側には富山湾。蜃気楼は見ることができませんでしたが・・・笑。
海と山、両方楽しめるなんて、魚津っていいところね。
その後、かまぼこ工場に行って製造過程の一部を見たり細工の実演を見たりして、お土産を。
東京の姉は、前回は塩尻まで戻ってあづさで帰って、電車に間に合うかエレーやきもきしたり、遠くなったので、今回はここから新幹線で帰ったほうが近いとのことで、ここでお別れ。サミシイ。
バスは一路、岐阜県白川郷へ。
3年前のノーサイ旅行の際もおとづれたのだが、そのときは雨で歩かなかったので、今回は期待。
お昼も、前回は飛騨牛みそ焼き、といいつつ、薄いお肉数枚だったのが、今回はバージョンアップして、3切れだったけど、霜降りの厚いステーキだったよん♪マンゾク。←写真とるの忘れた。(一日目の昼、夕は撮ったが、チープに見えたので却下・笑)
その後、世界遺産となった白川郷、秋の集落を、のんびりと歩きます。
今でも中に人が住んでいることを伺わせる、乗用車や洗濯物が見える。
この家は、裏に回ったら、屋根の吹き替え中でした。
めったにない、いいものが見られたと喜びつつ、いゃぁー、タイヘンだすなぁ~、こーゆーウチに住むのも、金かかってしょーがねぇー(あ、補助くらい出るんスかね?ほんでも、めんどー)とか、思い。
この家は、なんとー!
車庫までもが、合掌造り、かやぶき屋根。二階は倉庫かなんすかね。
こちらは、消防の消火栓。
景観を考えて、こーんな小屋に入ってあちこちに立っておりました。
かわゆいけど、いやはや、世界遺産に住むのは大変だにゃ、とほとほと感心ともタメイキともつかぬものをついた私です。
その後全員で記念写真を撮り(姉が入ってないよ~残念)、バスが中津経由でKにたどり着いたのは、夜の7時半頃でした。
前回の旅行で、私は体調が悪くてバスの中で寝てばかりいたんだけど、姉はびっくりするくらい、目が覚めると旅行中ずっと飲んでたんすが笑、今回酒に弱くなったとかで、二日目は全然のまず(新幹線では飲むと言ってましたが)なんか、ちょっぴりさみしく、つまらなかったわ。
みんな、年、とるんすね。
でも、この年になっても両親が健在で、こうやってダンナ抜きで一家4人で旅行に行かれるなんて、なんて幸せなんでしょう。
私も今回は体長がよくなっての旅だったので、とっても楽しかったです。
2,3年にいっぺん、とかいわずに、親が元気なうちにまた来年も行こうよ、と電話口の姉が言ったので、そーしよ~ねぇ~♪と答えた私です。
が、しかし、今回私達姉妹が49と51で乗客の中でたぶん最年少だが、両親は83と80でたぶん最年長。長旅だけに、元気に行ってきてくれるか、けっこう心配したりもした。二人とも元気で楽しそうでよかったけど、来年また旅行できるだけの体力があるかしらん、とか、ちょぃ心配。
子どもの欲目で、親にはいつまでも元気で長生きしてほしいと願うもの。
それでもこうやって、親が元気でいてくれること、快く出してくれる双方の殿方にも感謝、です。
おまけ。おみやげの数々。
左。富山限定の「ご当地キティーちゃん」。黒部渓谷を名物のトロッコでゆく、黒部ダム建設のいでたち(ヘルメットにつるはし)のキティーちゃん。
ついでに、真ん中はK限定のK駒に乗ったキティーちゃんと、知人にもらった浅草で買ったのに、なぜか埼玉限定「草加煎餅ドラえもん」の根付です。
左から、富山名物「ます寿司」(ぶり寿司がほしかったのに売り切れてた)、飛騨牛の昆布巻き(白川郷にて購入)、魚津名産「白えび」の釜あげ
「ごちそう玉手箱」というかわいい発泡スチロールの手提げ(写真奥)に入っていた、富山名物「黒かじきのこぶ締め刺身」(写真手前左)
と、変わりかまぼこ。
左より、あなご、しゃけ(一面に蒸したアナゴやしゃけが乗っていて豪華)、上にいって昆布巻きチーズ。
うに含有率90パーセントという「粒うに」(左)と、
おまけで、最近お寺の奥さんからいただいた、仙台の「七夕漬け」「仙台長なす漬け」。おいしそうです。下は、奥さんからの毛筆、達筆のおたより。
このほかにどこでも買える桜海老の干したのや、煎餅を3種類も、あと夕飯のおかずに飛騨牛のコロッケなんてのも買ってしまった。(^^;)
財布のヒモは、次第にどんどんゆるみ、行く先々で買っているうちに、サイフがすっからかんに・・・
うーん、明日から、どーしよ!?