猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

梅雨に入ったみたいですね

2013年05月30日 | その他 色々
ま~ぁ、びっくり!!!    


少しも、新緑の “いい季節” がなかったワン。  



さてさて、わたくしメは、まだ風邪も完全に治りきらんゆーのに、  

明日からまた2、お江戸さ、いっでぐるだ。


え゛ーーーー     ホンマでっか 

       

このっ、不良主婦メがっ。   


ひゃー、すぃまっせぇーーーん。    


今度は何しに行くかって 


えへへ。

帰ってからの、お楽しみ  でぇ~す。



そういえば・・・

風邪をひいてしまったせいで、また2、予定通りのブログもUPできてないし、

上京までにやらなくてはいけなかったことが、全てできなかったです。

エーン。         

がっくし。 



でも、仕方ないワ・・・。

帰ってから、考えよっと。  


みなさま、ネコタの風邪が悪化せず、無事、お江戸滞在を満喫できますように、 
祈っていてくださいね。  
( お天気、いいといいな。 )


みなさまも、よい週末をお迎えくださいませ。 


see you next week! I Love you…   
  
アザブジュバーン    ( ← タモリさん直伝!?フランス語風イントネーションで・笑 )








えへへ・・・

2013年05月28日 | その他 色々
長らくご無沙汰しちゃぃまシタが・・・  


ちょっとね、例の夏風邪でダウンしてました。   
( あ、完全に仕事を丸一日休んだのは、一日だけですけどね、午前中寝てたり、午後仕事来ても調子悪かったり、
ほーんと、死んでまんど。   )



今日はもう時間がないのと、店の、お菓子の値段付けと並べる仕事がまだ残ってるので、
とりあえず、ツナギのご報告?だけして、 

今日は消えます。 

また、明日? のご報告をお楽しみに!?  



みなさん、夏風邪をあなどっちゃぁ、行けませんぜ。   

でわ、でわ・・・。 

どらちの命日

2013年05月22日 | 猫・犬




なんか、急にあづくなり、体がダルくてヘロヘロですぅ~。

Kの場合、心地の良い春という季節がなくて、
つぃこの間まで寒ぃ寒ぃといっていたら、急に冬から夏になったみたいな感じです。

いきなり半袖着てますもん。   



でもって、よく店でPCの前で、店番しながら居眠りしてるんですが(睡眠不足をここで補ってるヒト )、
そのとき、昼間の暑さとはうって変わって、Kは夕方や夜はけっこう寒いので冷えたのでしょうね、

なんとーーー     

夏風邪を引いてしまいまシタ。   


この大事なときに、あぁ悔しい。  

ハークしょぃ、チクしょぃ、コンチクしょぃ。   
 

おとといの夜、ちょっと咳が出るかな?と思ったら昨日ははしっかり 「風邪の咳(胸をえぐるような深い咳)」に変わり、

今朝はそれがひどくなったので、例のインフルの時お世話になった、MYホーム・ドクター(笑)S医院へ行って薬をもらってきました。

せきやたんに 「よく効くよ」 と言って出してくれたのですが、漢方だけど、そんなに即効性があるものなのか? 心配だ。
( 新薬 → すぐ効く、 漢方 → 飲み続けることにより、じんわりと効く、 イメージ )


わかんないけど、言われたまま、今日の昼から飲んでます。

今、Kはまたインフルエンザが流行ってるらしぃですケド、幸い熱はなかったのでダイジョーブです。 
( インフルの抗体は2か月しか持たないらしいので、1月になったからと言って夏にならないとは限らないトコがコワイのだ。   )

でも、咳は出るし、ノドもちょぃ痛いし、なんとなくダルくて、おまけにあづぃから、

なんか、サイアク。  


( えっとね、ブログの間隔があいてしまったのは、S条から戻ってから、たまってしまった店の仕事を何日かかけて片づけていたせいもあります。疲れだけぢゃぁ、ないっすよ。   )



こうなったら、その漢方がほんとによく効いて、早めに治ることを祈るばかりです。

が、しかし・・・

フツー風邪ひいたら早めに休むってもんだが、いつものごとく夜更かししてるのだから、始末に悪い。 

昨日なんて、そろそろ寝ようかと思ってたのに、いきなりキッチンの引き出しを整理、掃除してしまったもん。 
↑ だってね、この間からキッチンを、小豆粒くらいのちっちゃな蛾みたいな虫がちょこちょこ舞っていてヘンだなぁーと思ってたんだけど、夕べパンやお菓子の材料を入れてある引き出しを明けたら、
使いかけの粉類の幾つかに虫の卵みたいなのが湧いてたり、その例の蛾の死骸とかが何匹かいたんだもん。 

ぎゃぁーーー    

これは、翌日に回したくないでしょ? 即、やるってもんでしょ?

そしたらね、2009年を筆頭に、2010年や2011年に賞味期限が切れている材料がいっぱいあった。   
なんで気がつかんかなー  ってカンジですが・・・ → もちろん、処分

一時期、手作り食品や健康食品にこだわってた時期があったのだが、最近はトンと、ブームが去ってたからなぁー。  
( てか、できれば色々と作りたいのだが、何分にも時間が・・・  )

そうなると、この引き出しは、 「開かずの引き出し」 になるのでシタ。  

それにしても・・・    反省。
  


     *   *   *   *   *




ところで、今日はどらちの一周忌です。

ソラシロが 「よいにゃんにゃん」(4月22日) に誕生日なのだけど、その2歳になった翌月の にゃんにゃんの日に、ドラちがお星さまになってしまいました。 

こういうことを言うと語弊があるかも、ですが、ドラちの場合、失踪後になついてくれなかったせいもあって、

まぁ、ゴンほどではない (きゃぁーーー、どらち、ゴメンね ) のですが、

でも、思い出すとやはりさまざまな後悔が・・・ 


どらちが懐いてくれなかったので、  「逆療法」 の意味合いも込めてソラシロを飼いはじめたのだけど、

それによって、少しはどらちが人間になついたかなぁーとか、どらちとソラチが仲良くなったみたい、 

とかはあったのだけど、

結局、体がデカくてつおいシロチが、そのうちどらちを、たぶん、なんだけどエサをとったりいじめるようになり、

最後の方なんて、気が休まらなかったのではないかなぁーと思う。

あの、やせ細って骨と皮だけになってしまったどらちや、さっき食べたはずなのに、しょっちゅうエサをねだっていたどらちのことを思い出すたびに、

ストレスにより、私たちがどらちの寿命を縮めてしまったのではないか、

という罪悪感に駆られるのだ。


なんとか、どらちになついてほしい、というだけでなく、

結局私たちは、居るだけで可愛い、満足、というネコではだんだんさみしくなってきて、

だっこしたりスリスリしたりできるネコが、次第にほしくなっていったのだと思う。

それは、はっきり言って、認めましょう。


まぁね、プラス “2匹” も飼うなどとは、全然予想外だったのだけど。


ただ、どらちはゴンと違って、最期を看取ってやることができたのが、せめてもの救いである。
( と思うと、どうしてゴンの最期を看取ってやれなかったのかなぁー、今思うと、充分予測がついたのに、という後悔も・・・ 


結局、人間て、どんな状況でも、後悔し続ける生き物なのかもしれませんね。

生き死ににかかわることは、全て。 どうしたって。



私たちにできるのは、毎日お墓参りをしてお線香やお花(たまに、おやつ)をあげること、
いつまでも、ゴンドラももちのことを忘れないこと、

あとは、ゴンドラももちのことを書いた作品を、いつか・・・  




夫が最近、庭に植わっている花を採ってきては活けているだけでなく ( 写真冒頭は芍薬(しゃくやく)、2番目のはお葬式で持ち帰った菊に青いスターチスが残っていたので、そこに白いマーガレットに似た花で勝手に生えてくる、をそれぞれ夫が活けたもの )・・・

なんとぉーーーー         

花まで自分で買ってきて、自分で花壇に植えてたよ。 

花を買ってきたから明日植える、という夫に、
「えぇー、センスのない花買ってきて、勝手に植えるの、やめてよね。 」 
(何年も前に一度あったが、夫はほんとにセンスも美的感覚もない、と私は思う。)というと、

夫曰く、「オマエなんて、ただ植えるだけでなんも世話をしない。去年も結局俺が全部、毎日水をやったんだ。 

「だってぇ、忙しくなると、つぃ忘れちゃうんだもん・・・ 

「・・・ 花だって動物だって生きてるのに、それを水を上げないなんて、そんな者に花を育てる資格なんてないわ。   俺が全部やるっ!! 」
だってさ。



ゴンモモのお墓の脇に、夫が植えた 「宿根ナデシコ」 と 「松葉菊」(ピンク): 写真右
左は、以前私が植えた 「芝桜」。


ゴンモモのお墓の後ろには、昨年さんど先生から頂いた確か 「オレンジの松葉菊」。

松葉菊は、“匍匐性(ほふくせい:横に這うこと)” で増える “宿根草(しゅっこんそう:毎年出てくる花)” の上に、花期が春から秋と長いのがウレシイ。


こちらが、ちぃちゃなドラチのお墓です。

好物のカニかまスライスとまたたびボールもあげました。



夫がハンギング・バスケットに植えた花。

私だったら、3種類くらいを交互に植えるとか、色や形、全体のバランスを考えるのだが、夫のは特に色とかがバラバラ。   
「バーベナ」 や 「日日草(にちにちそう)」 です。


「金魚草(きんぎょそう)」 のように、背の高いものはハンギングには向かないのだが・・・。  

まあ、夫が世話してくれるみたいだから、良しとしましょう。

今年は私、ほんとに余裕ないのだ。 からっぽだと恥ずかしいしね。

ただ、夫は水を上げるだけで、雑草を取らないのは、何とかしてほしい。 

その上、花が植わっていたポットや、それを運んできたいちごの空き箱など、出たごみをその辺に放ったままにしてあるので、
結局私が片づけたし・・・ 


でもさ、オモシロイのは、夫はこれらの花を、自分が勤めている焼肉屋さんの、同じ敷地内の隣に、同じ社長が経営している 「広場」 といって、食料、雑貨、花などを売っている店を担当している、

仲良しの 「小夏(ゴンの子ども)ママ」 のM子さん(60代中頃か後半くらい?)に相談しながら、いちいち名前を聞いて、ヘタな字でメモっては買ってきているところだ。   
(私なら見ただけでほぼ名前がわかるのだが・笑)

ゴンがいなくなり、話題のなくなった夫は、小夏の噂話を聞いたり、ソラシロの話題ももちろん、最近ではもっぱら、花の種類や世話の方法などを聞いては、
今まで通り毎日のように、空き時間に広場に行っては、盛りあがっているらしいです。 

ゴンが大好きだったSさん(母親世代)といい、夫は変な意味ではなく、オバチャンに可愛がられる?し、自分でもオバチャン好き(慕ってるという意味)みたいですよ。
兄弟が多くて、工場(自営の製造業)もしていて忙しかったから、あまり母親に可愛がってもらえなかった? からでしょうね、小さいころ。

私としては、面倒? 見てくれて、大助かり、でス。    あはは。
ソラシロの自慢話なんて、毎日聞かされて、ちょーウザイもん。  



こちらは、何年も前に私が植えて、毎年生えてくる芝桜。

家の前の小道の反対側には、写ってないけど、去年さんど先生から分けていただいた芝桜を、ずぅーっと植えておいたのだが、
ほとんど枯れてしまい、2,3株しか残らなかったの。 


玄関わきに毎年咲く、コデマリ。


見えづらいケド、右側の白いのが、上にある、マーガレットに似た花です。





最後に、我が家に残った 「にゃんども」 の写真をば。

S条に行っている間、ちゃんと頼んでおいたのに、なんとぉーーー  

ウチの父゛が、行った日の夜のエサを、忙しかったのでつぃやり忘れたらしく・・・    (翌日朝はやってくれたようだが)

ひどぉーーーいっ。  


お腹はすくは、おとーさんたち帰ってこないワで、ちょー心細かったんでしょうね。    

S条から戻ってすぐは、いじけたり拗ねたりで、私たちを遠巻きに見ちゃって、中々寄り付かないのですが・・・
2,3日たって、ようやく落ち着いたシロとソラ。 おとーさんに、甘える、甘える。 

ソラチは ふにゃんと丸まってるし (夫の手のあたりにあるのが頭)、
シロチは、腕、伸びきってます。(ダラン & しっか)  




どらち、ごめんね。ゴン、モモも。

これからもソラシロを可愛がって、二人と2匹で、元気にがんばって生きていくよ。

でも、ずっと、忘れないから。     





S条帰省

2013年05月18日 | お出かけ、レジャー、イベント等
ただいまぁ~。
行ってきました、S条。 



みなさん、ご心配くださっているとは思ったのですが、

ご報告遅くなってごめんにゃさい。  



まず義父(ちち)の容体ですが、
15日夕方に寄った時は、まだ入院3日目だったこともあり、
鼻から酸素の管を付け、しんどそうで、かなり弱っている感じもして、
食欲もあまりないみたいで、少し熱もあり、だいぶ心配しました。

ですが、16日の午前中に、義母と3人で見舞ったときには、
昨日よりは食欲も出て、熱も血圧も正常に戻り、昨日よりは少し元気になったように見えました。

看護士さんの
「○○さん、今日は昨日よりご飯沢山食べたね」の問いに、
「応援団(私たちのこと)がいるから」
と、はっきりとした口調で答え、逆にびっくりしたくらいです。

もともと痩せている義父ですが、さらに手足がやせ細ってしまい、かわいそうでした。
夫はせがまれるまま、義父の背中をさすってやりました。
私は、足をさすってあげたいような気もしましたが、少しためらわれたので、
帰りがけに手を握り、
「また来るから、お義母さんの言うことをよく聞いて、元気になろうね。
ヒラメのお刺身持ってくるから、一緒に飲めるようにがんばろう。」
と言いました。

何しろ、義母が来ないと食事しないみたいで、義母が朝から晩まで付きっ切りでそばにいて、
ご飯を食べさせたり、薬を飲ませたり、いろいろ世話を焼いてあげているらしく、
とても大変そうに見えました。



義父は、若いころの豪傑(酒豪+喫煙など)ぶりがたたり、私と夫が知り合った頃(28才くらい)にまず胃がんの大きな手術をして以来、
22、3年の間に、ありとあらゆる? 病気をしてきたのです。

その都度、なんとか治ってきたのですから、運が強いと言えるのかもしれません。


「また来るからね」
と言って、義母を置いて二人で帰ってきましたが、
そうは言っても、遠いので、そうめったに来られないのがもどかしいところです。

今回たまたまS条祭りの帰省時と重なったため、早くに二人で見舞うことができ、
義父も喜んでくれたみたいで本当によかったです。


少しずつでも良くなってくれることを、切に願います。 




     *   *   *   *   *


   

S条への行きがけに、夫が人の言うことを聞ず、ナビで迷っても人に聞こうとしないため、  、 
なんとー   結局一時間以上も道に迷い、ようやくたどり着いた 「斑尾温泉」 で、 

半露天風呂 (ちょぃ、イマイチ) に入った後、

「天ざる」 と 『○○○豚丼』(この○○○が姪っ子と同じ名前なので笑った。でも○○○は、ダイエットしてヤセてましたが) 
を食べたのですが、
たまたまケータイが自分撮りみたいになってしまい、2人とも直せなくて、写真が撮れなかった。 

後でよく考えたら、デジカメ持ってたんでした。 



帰りがけにいつも寄る、柏崎のおさかなセンターには、こんな名物?があります。

『サバサンド』、魚がイマイチ苦手なので、さすがに食べる勇気がありません。  

魚好きな人でも、食べたくはないか・汗 
多分、サバの竜田揚げを挟んであるのかな、と思うのだが、どなたか勇気ある人、ぜひチャレンジして、ご報告をよろしくお願いいたします。 


お土産物屋さんの2階にある 『ミュージシャン人形館』。
初めて、昇ってみましたが、ミニチュアの楽器を持った人形や動物たちが、これでもか、と並んでいます。(たぶん入場料無料)
いわれとか、聞いてみたいですね。

時間がなくて、ちらっとのぞいただけですが、ご興味のある方は、どうぞ。 



新井のサービスエリアは、なぜか、一般の飲食街への抜け道があります。

S条の実家でいつもご馳走をいただくので、行き帰りの、道中での食事は、たいていそばやラーメン、カレーなどの、軽い庶民派食べ物が食べたくなります。

『こだわりの味いちふく』 さんには、いたるところに、こんなものが。

えーっ!?  そんなヒト、おるんかい、ってカンジですが。 

あと、こちらのメニュー表も笑いました。  


上から、文字が切れてますが、「※当店の玉子は衛生上すべて温泉玉子を使っています。」

“衛生上” なのか? 

「日本1まずい頑固おやじのらあめん」
として、
ラーメンメニューが何種類か並び、最後に、

「※らあめんはあっさり系です、
 こってり系好きな人は注文しないで下さい。」とな。

余計なお世話だっつーの。 


“あらい名物”と銘打たれた 「温泉玉子付カレー丼」 は、レトルトっぽくてイマ3。
レトルトでも、もっとおいしいのはあるってもんだが、これは間違いなくク○レとかボ○の、一番安いレベルの商品(しかも甘口?)という感じです。

「しょうゆらあめん」 のほうが、そんなにあっさり系でもなく、まだおいしかったです。

また、食後にはこんなサービスが。

当店で食事をすると、コーヒーが、ホットでもアイスでも、100円ナリ。

が、ソフトクリームを食べたので、飲まず。

しわしわの券だったので、たぶん使い回してます。 



食器をしかるべき場所に下げて置くと、
厨房から、赤いバンダナを頭に巻いた、頑固おやじとは似ても似つかぬ男性が、すかさず店内に出てきて、そそくさと食器を片づけてました。 


う~む、コレハチョット、おもしろいかも。     載せました。 


 





 

母の日

2013年05月13日 | 生活・行事、季節のもの


昨日は母の日。

S条の義母の家と、行けばいつもみんなで食事したり泊めてもらう義妹の家に、
カーネーションの鉢植えをそれぞれ贈りました。



上の写真は、うちの母に贈ったもので、カーネーションではなく、私自身がバラが好きなので・笑。

お値段は、S条に送ったものより、ややお安いものです。

うちの母はねぇ、普段かなり親孝行している方だと思うから、いいの・笑。


昨日だって、午後買い物に連れて行ってあげたし。

買い物に行けば荷物を全部持ってあげるし。 

たまに、プチ・ドライブに連れて行ってあげたり、どこかに行くと必ずお土産(食べ物)を買ってきてあげるし、

夕飯に、母はあまり作らないハンバーグとか肉巻とか作ったときはおすそ分けするし・・・


これでもねぇ、意外と気遣いするタイプだし、優しいよ、私。 ← なんちゃって。自分で言うなっつーの。 


それで、お祝いにケーキか和菓子でも買おうかと思ったら、いいというので、午前中用事で伊那に行って買ってきた、菓子パンや調理パンなどを食べました。


こうやって、52歳になっても母の日を祝えることに、感謝ですね。




こちらは、自分のために買った、いちばぁーーーん安くてちぃちゃな、カーネーションの鉢植え。

飾ってから気づいたのだが(名前のカードがラッピングに埋まっていて見えなかったので)、
「プリティいちご」 という名前らしいですね、このお花。

うん、カワイイ。  


毎日、ソラシロかーさんとして、がんばって? ますからね、一応 「主婦」 だし。

誰もくれないので、自分へのプチご褒美。 




おかーさんの苦労も知らず、やんちゃなソラシロ。

コラコラ、キッチンカウンターなんざにのぼるなっつーの。 

しかも・・・

コレだもんよ。   


てめーら、(主に) 誰がエサやって、誰がトイレの片づけをして、誰がお掃除してやっとるいうんぢゃぁーーー!!! 

この、ボケ、カス、あほんだら        ← 何語? 





と、ゆーワケで・・・


あさって(5/15,16と)、S条へ帰省してきます。


ですが、義父が、もともと病気療養中だったところ、昨年の暮れ転んで骨折し、半寝たきりのようになっているらしく (その時は夫が一人で様子を見に帰ったが、思ったより元気そうだったらしいのだが)、
そこへ持ってきて最近風邪をひいてしまい、かなり弱っているらしいので、
ちょっと心配なのである。


その後電話で聞いてみたところ、義父は結局、病院で見てもらったらそのまま入院したらしいです。
でも、それでちゃんと点滴してもらったので、栄養も補給できるし、
これから色々検査したりしてもらえるので、家で寝ているよりはかえって安心です。


それで、義父のお見舞いがてら、夜は皆で集まり食事をするようなので、最初の予定通りに、S条祭りの日に合わせて帰省することにしました。



それでは皆さま、帰ってくるまで、ごきげんよぉ。  
  

( ソラシロの餌やりは、いつものごとくウチの父に頼みます。ウチはお陰さまで、両親ともとりあえずは健康でいてくれて、ありがたいです。 )





THE ALFEE 2013春ツアー “Gratefui Birth” ~ ちょー長い★補足 ~

2013年05月10日 | THE ALFEE、Takamiy
お待たせしましたっ!!   ・・・って、待ってにゃぃか?? 


間に色々入ったんでイマゴロですが、決めたものはやらないと気が済まないので・笑。ご容赦を。 (^^;)ゞ
また、調べて文章を作成するのに3日くらいかかったので  こうなってしまった・・・

ちょぉーーー、にゃがぃケド 、 よかったら、ゼヒ、読んでね。(^_-)☆ 



一、永遠のアイドル  THE BEATLES と THE ALFEE




まず、THE ALFEE 2013春ツアー “Gratefui Birth” のツアーポスターおよびパンフのデザインが、

THE BEATLES(ザ・ビートルズ) のアルバム、『 Revolver 』(リボルバー・1966年8月5日発売のビートルズ7枚目のアルバム) を模しているのではないか、という説もあるという件について。


こちらが、『 Revolver 』 のジャケットです。(サイトより借用。陳謝。クリック拡大)

似てるでしょ?



いささか長くなるが、このジャケットデザインと、アルバムについて、ちょっと興味深い事柄が出てきたので、以下、自分なりに調べて?、考えてみました。


以前、くれよん同期会午前中の部に来てくれた後輩のCが、スマホカバーに、この 『 Revolver 』 を使っていた件で、彼に、このアルバムが好きな訳を教えてもらいました。
( 以下、本文のまま掲載します。掲載許可済み )


★リボルバーはね、クラウス・ヴォアマンという人がデザインしたんだけど、それが秀逸なのね。モノトーンで、シンプルなんだけど、コラージュっていうのかな?!細かい写真が散りばめられていて、実はシンプルじやない。イラストも、髪の毛一本一本が丁寧に描かれている。あの手腕は憧れです。

あと、ビートルズの作品(曲)としても、実験的でありながら、美しくもあり、若さも残りつつ、熟した感もアリで、アイディアが豊かに詰まった、インパクトあるアルバムなんです。

もちろん、他のアルバムも好きなんだけどね。★


以前にも書いたが、Cは一期下だが、私と同じ1960年生まれ。
小学校5年(1971年)の時、一つ上の兄が友達から借りてきた、ビートルズのベストアルバムを一緒になって聞いているうちにのめりこみ、もっと他にもビートルズを聞いてみたくなった。

色んな人にたずねてみたところ、ビートルズ史上最高傑作だと言われている『 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 』(サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド-1967年6月1日に発売されたビートルズの8作目のアルバムで、後述) がいいのでは?
ということになり、お小遣いをためて、3000円近くするアルバムを買った。
それが彼が初めて自分で買ったレコードだということだが、以後、ほぼ全アルバムを借りたりしつつ聞きながら、レコードも少しずつ買いため、大学までには完全に揃えるほどにのめりこんでいき、今でも大好きだという。


ちなみに、同じ年生まれのネコタが生まれて初めて“自分で”買ったレコードは、トワ・エ・モアという、男女デュオの 『 虹と雪のバラード 』(1971年8月25日) というドーナツ版。
翌1972年に札幌で開かれる予定の冬季五輪に合わせて作られた大会テーマソング(河邨文一郎作詞、村井邦彦作曲)で、
1971年2月から3月までNHK『みんなのうた』の「札幌五輪のうた」のコーナーで流されていたのを聞き、いい曲だなぁと思ったのと、東京オリンピックは4才であまり記憶になかったので、自分がきちんと認識した初めての自国開催オリンピックへの多大なる期待もあり、レコードが出たときに買ったのである。


今でも大切にとってあるが、こちらはサイトよりお借りしました。

ふーん。同じ小5の時、ビートルズを聞き、しかも子供のくせに3000円もするLP盤を買っていたなんて、やっぱ都会の子はススンデおるのぉ。(Cの実家は横浜)ドーナツ盤は、400円だった。
当時の私は、ビートルズのビの字も知らずに、山深い町で野山を駆け巡り、「みんなの歌」を愛聴しているような、素朴で純情な鼻タレ児童であった。(鼻タレはウソですが)
そういえば、翌年の小6で合唱団に入ったのだが、幼稚園年長から中一までピアノも習っていたし、うーむ、なんて清く正しい正統派音楽少女。なんちゃって・笑。ウソウソ。



それはともかく、ビートルズと言えば、THE ALFEE の坂崎幸之助は、
『 Dear.Beatles 』という、THE BEATLES をこよなく愛するミュージシャンにより演奏される、THE BEATLES の楽曲を楽しむための、毎年一夜限りのコンサート (略して「ディア・ビー」) を開催するほどのビートルズ好きで有名だが、
このイベントにCも2回ほど聞きに行ったことがあるらしい。


以下は、Cの受け売りを、だいたいそっくりそのまま使わせていただくのですが・・・(^^;)ゞ

ディアビは、1995年に始まったビートルズ・カレッジというイベントが前身で、ディアビとしては2003年から始まった。その最初の年は、ビートルズの初期メドレーや、イエスタデイや愛こそはすべてなど、有名どころプラス、シブい選曲も入れつつのコピーコンサートだったようである。
Cが行き始めた最初の頃、正確には2006年に、来日40周年ということで、武道館コンサートの完全コピーを演奏した。
翌年は、ビートルズはライブではアンコールを絶対やらなかったのだが、もし、武道館コンサートでアンコールがあったら…というコンセプトで、一年前の続きとしてセトリが組まれた。
次の2008年は、ビートルズの映画…ヘルプとか、マジカルミステリーツアーとかをテーマに選曲。
そして、2009年に、アルバム「アビーロード」をレコード順にまるごと演奏しようということになり、その年以降、2010年ホワイトアルバム全曲、2011年サージェントペパーズの全曲、2012年ラバーソウルとミート・ザ・ビートルズときて、今年リボルバーとなってるらしいです。  
( Cよ、詳しく教えてくれて、ドーモありがとうね。さすが、ビートル・マニアだけのことはあるわぁ~o(^^)o )



以前にも書いたが、今年で11回目となるディア・ビーは、3月2日(土)渋谷公会堂にて開催され、 『 Revolver 』 の全曲演奏であったようである。(今年の演奏メンバーは杉真理、リッキー、上田雅利、伊豆田洋之、村田和人、小泉信彦、坂崎幸之助。以上敬称略)


1954年生まれの坂崎は、『 Revolver 』 発売当時(1966年)にまだ小学6年生。幼少期から大家族の影響で洋楽や邦楽、ポップスから演歌まで、あらゆる音楽とさまざまな楽器に親しんできたが、それでもこのジャケットは、小6の子どもには怖いと感じたらしい。
ジャケットだけでなく、曲目としてもあまり好きになれなかったので、「ビートルズに一体何が起こったのか」 と思い、それまで好きだったビートルズが、突然遠い存在になった気がした。
そしてこのアルバム以降の作品も、どうしても好きになれずに、これがきっかけでザ・フォーククルセダーズや、吉田拓郎などをよく聴くようになったのだという。
坂崎が、『 Revolver 』 以降の作品をちゃんと聴いたのは20代後半であったらしいが、ちゃんと聞いてみることにより、やっと理解できるようになったという。

それでも、ディア・ビーの全曲演奏として 『 Revolver 』 を手掛けるのには勇気がいり、メンバー間でも、「再現不可能」 と思ってずっと避けてきた感があったというが、ついに今年、それを実現。
無事に全曲演奏し終わると、「発表会のように緊張した」と、ほっとしたような笑顔がメンバー全員から溢れ、場内は温かい拍手で包まれたという。

( 以上、『 Aifee Mania 』 公式サイト、会員専用ページ掲載分を参考にさせていただきました。 )


という話を、Cにしたところ、
「『リボルバー』 や 『サージェント・ペパーズ』 は、ベスト盤でなじんだ人が聞くと、最初は、何これ?と思うかもしれない。僕も最初はそう思ったよ。」と。
Cが「リボルバー」を聞いたのがいつ頃だったかは忘れたが、中学までにはビートルズのアルバムのほとんどすべてを聞き終わっていたというから、同じ小学校、5、6年頃に聞いたとしても、坂崎がアルバムの存在を知った頃より、4、5年は後だったので、時代が変化している (60年代後半と70年代初頭の差) かもしれないし、もしも中学で聞いたとしたら、その年齢差は当然あるだろう。
あるいは、個人的な好みとも関係しているかもしれない。


いずれにせよ、Cにとっては、とても美しくて秀逸なデザインだと思い、スマホカバーとして愛用するほどのお気に入りのジャケットと、そして曲目だったのが 『 Revolver 』 だったようだ。



ところで、
THE ALFEE のメンバーのうち、特に坂崎幸之助が、大のビートルズ好きであることは、つとに有名であるが、
何を隠そう、リーダーの高見沢俊彦も、相当なビートルズ好きである模様。

小学生の頃、8つ上の兄に連れられて、ビートルズの映画を見に行き衝撃を受けた話はよくしているが、
『 She Loves You 』(シー・ラブズ・ユー-1963年8月に発売されたビートルズ4枚目のシングル)を初めて聞いたあと、嬉しくて 「一日中トロントロン言っていた」(曲のフレーズを繰り返し歌っていた)、という逸話を、本人がラジオで語っている。

本人いわく、「4年に一度ブームが来る(しか来ない)・笑」、らしいし、人前では演奏しないと決めているようだが、それは“本家”(坂崎)を立てるために、あまり公言しないようにしているともとれる。

( 2008年のソロコンサートDVDにて、高見沢は所有の “ビートルズの使っていたものと同じギター” を自慢げに手にしながら、上記のような発言をしている。
そして会場のみんなの声援に、最初は嫌がっていたが、ついに自身も好きだと言っていた 『 Yesterday 』 (イエスタディ) を演奏してみせることになる。
人前での演奏はめったにないと言っているだけに、貴重な映像と言える。

本人が拒否したのだろう、DVDタイトルには載っていないため、やっと探し出しました・笑。   )



ベスト盤でないアルバムとしては最新となる 『 新世界 -Neo Universe- 』((2010/3/10) の中に入っている 
「 リバプールから遠く離れて  」 という曲は、明るいタッチではあるが、まさしくビートルズへの愛着と敬意の込められたビートルズ賛歌であり、
その中でビートルズのことは、「 永遠(とわ)に変わらない いつまでも『4人はアイドル』 」として歌われている。

この曲に対して高見沢は雑誌の対談で 「これは坂崎のために作った」 と語ってはいるが、同じように「坂崎のために作った」 と語っていた 『 Musician 』 もしかり、他にも 『 My Truth 』 など、実は自分の本当の気持ちを歌にしながら、それをまさにオブラートに包むがごとく、坂崎に歌わせているのではないかと思われるものは、実に多いと思う。 ( ネコタの勝手な憶測だが  )



それで、『 Revolver 』 は、高校時代ロックにハマってロック・バンドを組み、アルフィーの曲の中にも途中からロックを投入し新境地を開いた、THE ALFEE のリーダーである高見沢が、もしかするとかねてより、気に入っているアルバムなのではないか、という憶測が生まれる。

ジャケットデザインも小6の子どもではなく、大人の目からするとお洒落で、いかにも彼が好みそうではないか。
それで、結成40周年を記念する年のツアーポスターに真似てみたとしても、何ら不思議はない。


実は、前出の、ビートルズ最高傑作であると言われる 『 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 』 のジャケットに酷似している 
『 THE BEST1997-2002 』 (2009/3/18) というアルバムがアルフィーにもあることからも、アルフィーがビートルズをリスペクトし、こよなく愛していることがうかがえるのである。

好きでなかったら、マネしませんからね。( また、こういうパロリは、おちゃめでアリと思う私です )



『 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 』(クリック拡大)


『 THE BEST1997-2002 』


また、高見沢俊彦がリスペクトしてやまない加山雄三とのコラボ・ミニアルバム 『 LOVE AGAIN 』 (-加山雄三 featuring THE ALFEE-2000/8/4) のジャケットも、ビートルズの『 Let It Be 』(レット・イット・ビー-1970年5月8日・ビートルズの13作目のオリジナル・アルバム)と、面白いように、瓜二つである。


『 Let It Be 』


『 LOVE AGAIN 』
冒頭に位置する、ジョンの場所には敬愛する加山、そして高見沢お気に入りのポールの位置で加山の隣というポジションに、ちゃっかりと自分が収まり、加山と坂崎はそれぞれに、ジョン、ジョージと同じ方角を向いているのが笑える。(高見沢と桜井は偶然か狙いなのか、本物とは逆方向だが)



そして、 THE ALFEE というバンド名も 
1974年のデビュー当時は 「ALFIE」 と表記されており、1979年に自作の曲 『ラブレター』 で再デビューした際は 「Alfee」、その後 『別れの律動(リズム)』(1982.11.21) からバンド名を 「ALFEE」 と表記変更、
1986年、シングル「SWEAT&TEARS」のジャケットから、グループ表記をALFEEから、現在の 「THE ALFEE」 に変更したとされるが、(う~む、長い変遷・笑)


これなども、ビートルズにも 「THE」 が付くことからと考えられまいか。

最も、彼らが音楽人生において、おそらく最初に強く影響を受け、あこがれだったという“グループ・サウンズ”(1967年(昭和42年)初夏より1969年(昭和44年)春にかけ日本で大流行した、楽器を弾きながら歌う音楽グループ)が、グループ名にたいてい「ザ」がついていたので、その影響と取れなくもないが。
しかも、アルフィーは母音で始めるため、「ザ」ではなくて「ジ」と言わなくてはならないところが、狙い通りになっていないという面白さがある。


そして、アルフィーのファンクラブである 「 Alfee Mania(アルフィー・マニア)」 という名前も、ビートルズのファンクラブ 「 ビートル・マニア 」 から来ているという説が濃厚である。


また、アルフィーの曲のタイトルなどの中にも、ビートルズのそれと同じもの、類似したものが数多く含まれることからも、その傾倒ぶりがうかがわれる。( MEET THE ALFEE、悲しみはぶっとばせ、ガール、愛こそはすべて、など )


話が長くなったが、つまるところ、THE ALFEE と高見沢俊彦 にとっての THE BEATLES は、
我々マニアにとってのアルフィーがそうなように、

永遠で唯一無二、最高な存在(NO1であり、オンリーワン、永遠のアイドル)なのである。




     *   *   *   *   *






二、THE ALFEE が、NO.1、オンリー・ワン であり、『世界一のバンド 』 たるゆえん



1、 活動歴40年の中で 「一度もメンバーチェンジがない」。 
( 本人たち弁。厳密にいうと、4人でデビューし、1年ほどで一人が脱退しているが、現在のメンバー3人は結成当時からずっと変わっていないのと、約一年ほどのことなのでこう言い切ってもいいと言えるだろう。)

2、 40年間で 「一度も活動を休止していない」。  
( これは、うそ偽りのない事実であり、バンドとしては世界でもほとんど例がないと言われている )

3、 「ライブ活動」 が活動の中心であるバンド      
1982年夏ごろより、毎年春(4月〜7月)と秋(9月〜12月)の、年2回のコンサートツアー(「春ツアー」、「秋ツアー」)を行い、全国を回っている。
そしてこちらも、1982年より30年間、「一度もツアーを休んだことがない」。 

年間平均でで60から70もの公演を行い、通算コンサート本数は、2013年4月6日の静岡を持って 2400回 に達した。
ライブ本数2000回超えは、国内のバンドとしては前人未到とも言われる。  

なお、2005年11月30日、埼玉・大宮ソニックシティにて通算2000本目となるライブを達成した際には、ビデオレターにて出演した日本プロ野球名球会の金田正一会長から、2000本ライブ記念として、 「名球会の公式ブレザー」 がメンバー3人に贈られた。
野球界以外で当ブレザーが贈られたのは初めて。


4、 数々の 「記録の樹立」  がある。


★「25年間連続」 で続いた夏のイベント       

1982年から夏の風物詩として大規模な野外(例外もあり)コンサートを実施、25年連続で開催された。
2007年から、近年の場所探しの難航を受け、野外イベントを一時休止、2009年8月8日、9日に開催された「YOKOHAMA PERFECT BURN」をもって、長年続けてきた夏のイベントを終了した。
( ↑ ネコタが行った、最初で最後の通称“夏イベ”。その後2012年7月に、さいたまの屋内にて一夜限りのサマーイベントが実施された。)


★1983年の 「メリーアン」 以降出た、総てのシングル (全47作) が、
 「連続でオリコン・トップ10入りを果たしている」 という、脅威の記録を更新中。  
これは、アルフィーファンは 
1.ファン歴が長い、
2.非常に熱心で、かつてはリクエスト活動、現在ではCDを熱心に買い求める、などの影響があると思われる。    
アルフィーの苦節時代を、自分たちが支えてきたのだという自負や、 
もともとライブ本数が多いうえに、ファンが各会場をハシゴするため、メンバーと数多く会うことにより距離感が近く感じられるのだろう、長年苦楽を共にしてきたのだという一体感、 
アルフィーがずっと休まずに活動を続けてくれていること、自分たちの住んでいる場所にまで来てくれる、ファンを大切にしてくれる 
などの感謝の気持ちが、全国に熱烈なファンを抱えているゆえんであろう。 


★関東地区のプロ野球フランチャイズ球場である、東京ドーム(1988年)、西武ドーム(2002年8月24日・25日)、明治神宮野球場(2000年8月12日・13日)、横浜スタジアム(1984年8月3日、1985年8月27日・28日・29日)、千葉マリンスタジアム(1993年8月21日・22日)を 「完全制覇」。 
なお、神宮球場は現在コンサート使用での貸し出しは行っていないため、この記録を破るのは今後不可能ではないかといわれる。

なお、メンバーは3人とも巨人ファンで、1999年4月2日、読売ジャイアンツの開幕戦 (東京ドーム、対阪神) にて、THE ALFEE が 「国歌斉唱」 に抜擢、担当している。(始球式は女優の水野真紀)


★武道館での公演数が2012年2月24日(ネコタ参加日)で、通算81回で、バンドとしては世界一、二を争っている。 
クリスマスの23日と24日という大事な日に、武道館公演を絶対に他に譲らないということができるのも、長年のキャリア、大御所たるゆえんである。     


5、 THE ALFEE  「初めて物語」 


★大規模な施設の 「こけら落とし公演」 が多い。
東京ドーム(1988)、パシフィコ横浜国立大ホール(1994)、東京国際フォーラム(1997)など


「_Days」 という呼び方 
1985年 横浜スタジアム にて行われた 「YOKOHAMA STADIUM 3DAYS 」 (1985年8月27日・28日・29日、動員90,000人)。
現在では、同一の会場で連続して公演が行われる際、「_Days」と表記されることが多いが、本公演がそのはしりといわれている。


「東京ベイエリア」 の名付け親 
現在、東京湾岸地域は一般に 「東京ベイエリア」 と呼ばれることが多いが、
これはTHE ALFEEが 1986年8月3日に 当時 「東京港13号埋立地」(現港区台場・江東区青海地区・品川区東八潮地区)と呼ばれていた、船の科学館近接の未利用地に特設ステージを設けて行った 「10万人(公称)コンサート」 のタイトルを
「1986.8.3 SWEAT&TEARS  TOKYO-BAY AREA 」 と称したことに由来する。


6、 数々の 「伝説のコンサート」  


★史上最高の 「10万人コンサート」 
上記の 「 SWEAT&TEARS  TOKYO-BAY AREA 」(1986.8.3) コンサート、

会場は、現在フジテレビの社屋がある隣附近。
当時は船の科学館しか存在していない 何もない所だったために、幅120メートル、高さ75メートルの巨大なセットを組み、10万人コンサートの名前にふさわしい規模となった。(10万人規模のコンサートは、当時としては史上最高の記録を樹立した) 

会場には公共の交通機関が存在しなかったため、数十台の都営バスを借り切って、営団地下鉄の東陽町駅及び木場駅と会場の間をピストン輸送。 終演は9時過ぎだったが、大人数の為、最後の客が退場できたのは、深夜0時をまわったという。
また開場時間は開演の6時間前に設定され、その間、春ツアーで使用したセットを組み、10組のコピーバンドが前座としてステージに上がったというのも、面白い試み。

※ そのほかにも、

メンバーがステージにて、観客を出迎える  コンサート

前出の1985年 「YOKOHAMA STADIUM 3DAYS 横浜スタジアム」 の際
3日目には開場時間からメンバーがステージに上がり、アコースティック曲を演奏し、観客を迎え入れた。
この前座ライブは20曲以上に及んだ為、一日の総演奏曲数は50曲を超えた。
かなり早い時間帯から演奏したため、1曲目の「過ぎ去りし日々」が始まる頃は、ほとんど観客がいなかった。
なぜなら、観客には事前には知らされずに行われたため、入場して驚く観客の姿が、当時のコンサート映像に残されている。
また、知らなかったがために、開演ギリギリまで外で時間をつぶしていて、この特別前座コンサートを聞き逃し、がっかりしたという観客も多くいたらしい。


オールナイト・コンサート

1987年に、「 SUNSET-SUNRISE 日本平ホテル MUSIC LAND-IN 静岡」(1987年8月8日・9日、動員62,500人)にて、オールナイトコンサートを実施した。
前年のクリスマスに、横浜スタジアムに設置した仮設テントでオールナイトコンサートをやる予定だったが、近隣からの騒音苦情が出たため、夜明け前に終了してしまった。その雪辱戦として急きょ決定したライブだった。

全体を3部構成にし、それぞれの合間には1時間の休憩が挟まれた。
このコンサートの模様は、ニッポン放送オールナイトニッポンが、日本平ホテルの一室から一部、二部ぶっ通しの特別番組として放送、休憩時間中には、メンバーが直接生出演をした。
前半は豪雨にたたられ、楽器に不具合が生じたりもしたが 、 三部に入るとほとんど雨が止み、夜が明けるころには富士山が顔を出した。 
最後は、このライブの為に作られた「Sunset Sunrise Kiss」を初披露。演奏終了後、メンバーはヘリコプターに乗って会場を後にした。    

なお、エンディングの退場の際、高見沢の靴が脱げてしまい 、 勢いでもう片方も脱いで客席へ投げ込み、靴下のままヘリコプターに乗り込んだが、着陸したのは雨上がりの河原であったため、靴のない高見沢は迎えの車まで桜井に背負われて移動した (「THE ALFEE HISTORY II」に、その際の映像がある) という、高見沢らしいオチのオマケ付である。  

( このような 「伝説のコンサート」 が生まれた背景には、バンド・リーダーである高見沢が、新しいもの好き、人のやってないことをやろう、というフロンティア・スピリットの持ち主であること、また、バンドの性格が、人を驚かせたり喜ばせることが大好き、などによるところが大きいと思われる。 )


が、なんといっても スゴイ (きわめつけな) のは・・・


ヒット曲がなくて武道館をいっぱいにした バンド

1982年、「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT -悲しみをぶっ飛ばせ!!」- 所沢航空記念公園(1982年8月6日、動員5,000人) によって、初の野外コンサートを実施したアルフィーだったが、
その最後の方で、感極まった高見沢が 「来年アルフィーは結成して10年になります。来年の8月25日(デビュー日)、何かやります」 と、企画すら起っていない状態にもかかわらず 「何かやります」 宣言をしてしまう。(1974年のデビューだが、バンドが結成されたのは1973年なので)

そして約束どうりの1983年8月24日に、「 OVER DRIVE-ALFEE 8.24 BUDOKAN- 日本武道館」 を開催する。
当日、会場に訪れた1万人の観客全員に、本人たちのプロモーションビデオなどが収録されたビデオテープ(VHS、ベータマックスともに5千個ずつ)がプレゼントされた。 (アルフィーの夏イベには、記念となるチケットが多い。ソノシート、バンダナ、オペラグラス、ビニールシート、ワッペン、ぺンライトなど)
終演後も席を立つ者が無く、アンコールを求める声が止まなかったが、会場に 「SINCE 1982」 の伴奏が流れ始めると(高見沢が舞台ソデで演奏したという説も)次第に静まり、遂には会場一体となって同曲を大合唱した、というエピソードが、「夢さがし アルフィー・高見沢俊彦物語」(渡辺芳子著:1983年CBSソニー出版)  で紹介されているうえ、この大合唱の様子はライブ・ビデオの冒頭に収録されている。
また、当時は、テープの投げ入れもOK、2階席にはファンが用意した、メンバーの巨大な似顔絵のついた横断幕が張られるなど、ファンと一体となったコンサートだった。
これらのエピソードは、アルフィーがファンとともに育ち、支えられて大きくなったという見事な証拠であろう。

( しかしながら、初の武道館なのに衣裳が自前だったこと、それからしばらくもそれが続いたことなど、当時ののどかだった様子などを、先日坂崎がラジオで語っていたが、それもアルフィーらしくはないか・笑。 )


そしてアルフィーが苦節9年の時を超え、 『メリー・アン』 というヒット曲を飛ばして、ようやく世に知られるようになったのは、実にその武道館コンサート後の、その年の秋頃のことである。(シングル発売は1983年6月21日)    





 THE ALFEE とは・・・

THE ALFEE(ジ・アルフィー)は、1974年8月25日にデビューしたJ-POPバンド。EMIミュージック・ジャパン所属。事務所はProject III(プロジェクト・スリー-田辺エージェンシーのグループ会社で1985年3月30日設立。社長はアルフィーのデビュー当初からマネージャーを務め、彼らを支え続けてきた関口登)。
なお、ALFEE (当時はALFIE) という名前は、デビュー当時の所属事務所田辺エージェンシーの社長である田辺昭知が、あるひぃ突然決めた、ということだが、真相は定かではない。
メンバーは当初、甘い感じのするこの名前をあまり気に入っていなかったようだが、次第に気に入り、もちろん今では大好きだという。


メンバーは、
桜井賢 (1955年1月20日埼玉県秩父郡荒川(現秩父市)生まれ、A型。ボーカル、ベース)
坂崎幸之助 (1954年4月15日東京都墨田区生まれ、O型。ボーカル、アコースティックギター)
高見沢俊彦 (1954年4月17日埼玉県蕨市生まれ、A型。ボーカル、エレクトリックギター、バンドリーダー、現在の THE ALFEE の楽曲のほとんど総ての作詞作曲を手掛ける) の3人で、
全員がボーカルを張れるという特徴がある。


元々は、明治学院高校に通っていた桜井賢が、高1の時、音楽好きのクラスメートと「コンフィデンス」 というフォーク・グループを結成。コンテストで入賞するほどの実力があった。
当時都立隅田川高校の生徒だった坂崎幸之助は、コンテストで知り合った別の高校の仲間とバンドを組んでいたが、高3の頃の解散により、顔見知りだったコンフィデンス・メンバーと親しくなり、仲間に加わる。
桜井と坂崎が、そろって明治学院大学に進んだ頃に、同じく明学大に進んでいた、明学高校時代に桜井とは別のクラスでロックバンドを組んでいた高見沢俊彦(桜井と高見沢は、高校時代より顔見知りではあった)と坂崎が知り合い、坂崎が高見沢を自分のバンドに引き入れたことにより、アルフィーの元となるバンドが生まれることとなる。
彼らが大学1年、19歳(桜井は18歳)のころ、1973年のことである。

このように、元々が、音楽が好きで、しかも気の合うことから友達になり、バンドを作ったといういきさつがあるため、彼らはずっと、本当の意味で仲が良く、世間のバンドにありがちな方向性の違いによる仲たがい、などということが起こらず、そのため、解散やメンバー入れ替えがなかったと思われる。

また、鳴り物入りでデビューしたものの、9年間もの間ずっと売れなかったり、ヒットを狙う曲がことごとくはずれ、狙ってない曲(メリー・アン)が予期せずヒットする、などの苦労が多かった  (他の不幸な珍事件に見舞われること数多く、列挙にいとまがないほど・笑)  ためか、人気が出ても溺れることがなく、「ステージの上で演奏すること」 こそが自分たちにとって最も幸せなことだ、と言いきっている。

40年という永きの間、一度も活動を休止、停止することがなかったのも、
1年で2度も全国を回ってコンサートをやり続けるという活動を地道に行えるのも、
苦節時代を含めて彼らをずっと支え続けてくれたファンをとても大切にしてくれていることも、

総ては、この苦節の9年間という修行の場があったからこそ、と言えるだろう。


また、メンバーの3人ともが次男坊、中流以上のごく普通の家庭、地方出身ではないなど、のほほんと育ったため、ハングリー精神に欠け、出世欲やサクセス願望も少なく、音楽で一発当てて有名になりたい、金儲けをしたい、故郷に錦を飾りたいなどとというよりは、
好きだから始めて、次第にのめりこんでいった音楽で、いつか身を立てられたらいいな、くらいの気軽な気持ちで始めた ( 一番早くからプロを目指していたのは坂崎ただ一人で、桜井と高見沢は、それにつられていった感がある。社交的であることも含めて、高見沢の前は、坂崎がリーダーであったことからも、それが伺われる ) ために、変な気負いがなく、挫折感も少なかったと思われる。

( のんびりしすぎでブレイクするのに9年もかかったという説もあるほどで、周りの家庭などの環境がそれを許したというのもあったであろう。実際、たった一人の脱退メンバーは、長男であったために、父の病気により家業を継ぐということでやめたらしいが、同じころ高見沢は、坂崎が早々と2年で、桜井も確か5年で大学を中退したのに対して、アルフィーと並行して8年間大学に通って(在籍して)いたという事実がある。そして今でも、バンドを長続きさせるためには次男坊がいいですよ、と3人でラジオで真顔で語っているほどであるから、夢を実現するためには、家庭などの環境が与える影響も、抜きには語れないところがあるだろう。 )

そして、もともとが仲のいい友達だったために、彼らの間にはお互いを思いやる気持ちがあり、つらい時にもずっと支えあって来れた、3人でいるだけで楽しくて、まるで学生時代の趣味のバンドの延長のようなノリで、苦労を苦労とも思わずに笑い飛ばして来れた (3人の弁)、 というのがあったと思う。 

そういうことも、長続きの秘密なのかもしれない。

ファンの間では、メンバー3人がとても仲がいいことに、楽しさや安らぎを覚えるのだが、
この、『 現代版・おとぎ話 』 のような世界は、まったくもって羨ましい限りである。  
 






※ 以上、事象的なことは、 「ウィキペディア」 等を参考にさせていただきました。
レコードジャケットは、全てサイトよりお借りしましたことを深くお詫び申し上げます。  
(自分では持っていないものがあるため)





端午の節句

2013年05月06日 | 生活・行事、季節のもの



昨日は、子どもの日であり、端午の節句でもありました。

ソラシロが我が家に加わってから、男の子ちゃんのお祭りも、ちゃんとやります。

ん!? 来る前から、こいのぼりとか、飾ってたっけ?

こいのぼりキティーちゃん(左端)と、ミッキーこいのぼり(右端)です。



真ん中の兜さんは、拡大すると、こんな感じ。こうすると、ちょっと立派そうに見えますね。

実はこれ、陶器でできたミニチュアなんですよ。



子どもがいないので 「こどもの日」 は大人になってからやったことはないため、自分も関係する?ひな祭りなどと比べたら、特にお祝いを意識することはないのですが、

たまたま昨日は日曜日の売り出しがあったので、午後4時からの “夕市”(タマゴが安い!) に合わせて、母と町内のスーパーへ行きました。


そしたら、子どもの日の夕方だったから、安売りになっていたので(100円引きだった)、つぃ、買ってしまいました。
ドラえもんも、かわいかったし。

でもね、ホントのこと言うと、「柏餅」ってあまり好きじゃないの、何の変哲もないから。

「桜餅」 やK名物の 「朴葉巻き」 は、それぞれ、桜の葉の香り(桜の葉の塩漬けは柔らかいし大好きなので、葉っぱごと食べます)、朴の葉の香りがして(こちらの葉は固いし、いくら何でも食べませんよ)、それがいいのだけれど、
柏餅は何の香りもしないので、葉っぱにくるむ意味もなければ、何の味もしないような気にさえなるの。

どなたか、反論あったら、してください。柏餅のここがイイっていうの。
聞こうじゃないの・笑。


なら、買うなよ・笑、ってカンジですが、そこはもう、季節ものなので。 


あと、こんなんも安くなってました。


140円のものが、半額の70円!!

5月5日の端午の節句に無病息災を祈りお風呂に浮かべる菖蒲。
菖蒲の強い香りが邪気を払い、疾病を取り除くという風習がもとになっていると言われています。


と、袋に書いてありました。茨城県産です。


蓋を取ったときに、どんな香りがするものなのかな?と期待していたのですが、書いてあるような 「強い香り」 は、全然しなくて、がっかり。


こちらは恒例? 「湯煙美人?・(ダイコン)おみ足」 デス。にゃはは。 




【 5月5日のソラシロ 】


昼間、なんかウルサイなぁ~と思っていたら・・・
はじめは、2匹して 「チュー太郎」(親指くらいの、ちっちゃなネズミのオモチャ) を転がして遊んでいたのだけど

玄関につる下げてある大きなおもちゃ(写真上部のピンクのひもでつるしてある白いもの)にも目が行った模様。
シロよ、あんたは重いから、ジャンプできんでしょーが。 


やっと静かになり、リビングの網戸(ロックをかけて明かないようにしている)越しに外を見つめるシロチ。・・・・・


ソラチは、寝室の廊下 (縁側で、我が家で一番日当たりがいいため、洗濯物干し場になっている) がお気に入り。
カーテンの陰に隠れているところを、むぎゅっ。 
私の手の大きさと比べると、顔がちぃちゃいのがわかるでしょ?
シロは、この倍あるもんね。 

この、華奢なところが、たまらなくカワイイ。 目もブルーでセクスィ~、でしょ? 



こちらは、レースのカーテンから覗いている部分を撮りました。

写真もそうだけど、ネコと接するときは、 「ネコ目線」 になります。

大学の児文研時代、子どもには、子どもの目線に立って接するように、とよく言われました。
これは、 「気持ち」 の上でのことも指しますが、何か注意するときは、しゃがんで、子どもの目の高さになって、目を見て注意した方が聞く、という意味もあります。

ネコと接するときは、「ネコ目線」 つまりは、床に這いつくばることを指します。

まだ、我が家にネコちゃんが来る前、横浜の友人宅にて、2匹(当時)のネコを発見した私は、嬉しくて床に寝そべって近づいたところ、
「そんなことする人は初めて見た」 とあきれられました。
そうなのかな? その子はしないのかしら? それとも、人のうちで、だからなのかな?

ま、毎日ずっといるんだから、もちろん、いつもというわけではないですが、
ソファーの上ではなく、床の上にいるネコたちにスリスリする場合は、こうなります。 



最近、おとーさんの左脇、および左ひざの上にアゴ、がMYポジションのそらち。
もう、シロチに遠慮しなくなりました。
その代り、シロチがいじけちゃって、籐椅子のところから、遠目にそんな二人の様子をうかがっています。 

ゴールデン・ウイーク中、無休で、毎日夜の12時過ぎまで働いている夫は、よく考えたらとてもかわいそうなのですが・・・、 
こっちも疲れてるんで、つぃね・笑。 気遣う余裕なし。 

それにさぁ、ソラもシロもおとーさんべったりなので、アタマきちゃう。 

でもって夫め、それをデレデレと鼻伸ばして、いちいち自慢すな。 



最近、自分の思い通りにならず、時に喧嘩も吹っかけてくるようになったソラチのことをおもしろくにゃいっ!! と思ってる風なシロチですが・・・
夜、気が付けば、このとおり。
おまたをダラリとおっぴろげながら、首根っこにしがみついている方が、シロチです。
やっぱり、ソラチのことが可愛くて仕方がないみたいですね。 


拡大図


左の小粒なほうがソラチ。
どんなにいじめられても、シロチが大好き。 


こんな姿を見ていると、それだけで顔がほころびます。  

つい、「寝た子を起こし」 たり、

「ぷたり(二人)だけでラブラブしてじゅるいぃ~。れーち(私のこと)も仲間に入れて?」と、しゅりしゅりします。 

夫も自分が寝る前にリビングを去る時、「チョラチロ、おやちゅみ・・・」とかしつこく何度も言って(あー、きもちわる  )、ベタベタしています。(ソラシロは絶対に人間と寝ないため)

キモチワルイので、ゼッタイ見ないようにしてます。 




そういえば、くれよん同期で音楽やってるFも、最初は、今は施設にいらっしゃるお父様の気慰めに、という理由だったみたいですが、ネコを2匹飼っているらしいとわかったので(可愛がっているようで、写メまで送ってきた)、

「やーね、一人暮らしの男がネコなんか飼ったら、一生ケッコンできないわョ。  」

といってやりました。



自分の、端から見たら気持ち悪いのは棚に上げて、(犬や)ネコにべったりな男って、どーよ!?  



( あ、ALFEEの幸ちゃんもネコ、いっぱい飼ってますケド、彼は他にも爬虫類とかもいぱい飼ってるし、また、意味が違います。と、思う・笑
Fとはそういうことが気軽に言いあえる仲なので。そういったら笑ってたし。
でもなー、幸ちゃんもタカミーと一緒で、この先結婚する気が全然しませんなぁー。
彼らは、音楽とケッコンしてるから。・・・ん!? ってコトは、Fもそうなのか? )




さてさて、ゴールデン・ウイークも終わり、昨日の夕方あたりから店もまた 「ドひま」 になりました。
夕べはほんと、ぐったりしてましたが、そろそろエンジンかけなきゃ。 



皆さまは、楽しくて有意義な連休をすごされた、またはゆっくりとお休みになれましたか? 

明日からまた、お仕事頑張ってくださいね。(^_-)☆




・・・そうか。来週はまた、15、16日とS条里帰りだなぁ~。  
それまでにやること、ちゃんとやっておかなくちゃ。

できるかな?





遅々として、進まず・・・

2013年05月04日 | その他 色々
みなさま、花のゴールデン・ウィーク、いかがおすごしですか? 

10連休、まではいかなくとも、昨日からの4連休、くらいにはなる方が多いのではないでしょうかね?



ネコタは、店が昔ほどの忙しさは ぜんっぜん ないものの、 
( 忙しくないから、普段どうりに午後から出勤だし )


まぁ、普段よりは配達補助、店売りが忙しいので、ちょぃグロッキーなうえに、

ブログにかまけて、たまっていた急ぎの用事(個人的なもの)を、毎日ブログを少しずつ直しながら、その合間に色々用事をしたりしていたら、あっという間に一日が終わってしまうのです。
( ブログ、いつものように、翌日大幅改定しつつ、毎日気づくたびちょこちょこ直してるので、よかったらまた見てくださいね。(^_-)☆ )

今日も、ブログの続きが書けそうにないので、ここらで場つなぎの言い訳をしておきます。(^^;)ゞ



思えば、アルフィー春ツアーに行く前に、たまっていたブログをすべてUPさせよう、と意気込んで、毎日UPしていた時期があり、ほぼ計画していたものは完了したのですが・・・

ライブから戻ると、今度はそれ関連のものをUPしなければいけなくなり (義務感ではなくて、使命感ですよ)、

終わりのない闘い (←おおげさ・笑 ) の日々は続くわけです。  


あ゛あ゛、づがれだ・笑。     ぼーーーーーっ。


たまには愚痴言ってもいいですかね? ( あ、しょっちゅう言ってるか・笑  )


大丈夫です。すぐに元気になりますから。    たぶん・笑



おまけに、石油ファンヒーターが手放せない、5月とは思えない、この寒さは、なんなんでしょうね? 
Kだけかも、ですが。  

しかも、毎日夜遅くて、ね、眠い・・・(いつものことか・笑) ← たった今、PCを前に、店にて爆睡。   (これもいつものことか・大笑い)



さてと、売れたものの補充でもしますかな。

では、またあした、か、あさってね・笑。  





THE ALFEE 2013春ツアー “Gratefui Birth” at 大宮:Takamiy Birthdayライブ ★ その2

2013年05月01日 | THE ALFEE、Takamiy
THE ALFEE 結成40周年記念・春ツアー “ Grateful BIRTH ”& タカミーBirthdayライブの 「その2」 です。



まずは・・・

 「Birthdayライブ★補足」

肝心なことを忘れてました。  

特別な演出(コンサート全体の)やセトリがあるわけではない、と書いた 「Birthdayライブ」 ですが、
でも、ちゃんと、コンサートの合間 (アンコール1の終わりの方) に、“Birthdayコーナー” というのがあり、

コントを含んだ特別出し物と、Happy Birthdayの歌、ケーキのろうそく消しがあり、楽しいです。



4月15日の幸ちゃんバースデイは、広島上野学園ホールで行われ、前日(同会場での2Days) と違って、出し物の後に、幸ちゃんボーカルの 「シンデレラは眠れない」 と、幸ちゃんがいいところを歌う 「恋人になりたい」 がありました。

また、出し物 ( みんなが楽しかったんだから、書いてもいいですよね? ) では、
「自分の誕生日では淡々としているが、人の誕生日だと一生懸命盛り上げてくれる」、というウワサの   タカミーが、なんと 「シンデレラ 」 の出で立ちで登場。(「シンデレラは眠れない」 へとつなげるためか?) 場内、黄色い歓声で湧きかえり、大盛り上がりだったそうです。  

( タカミーの場合、ホンモノの女性が嫉妬して落ち込むほどに美しいので、ステキなのと、かわいいのと、それにやっぱ、ウケるじゃん?  ]

なお、ファンでない方とご本人名誉のために言っておきますが、タカミーには女装の趣味があるとかそのケがあるとかは一切ございません。バースデイやイブのための特別企画では、皆が楽しめる企画として毎回タカミーが茶目っ気あふれる演出をしているので、今年はこれで、と考えられた企画の一つ。タカミーの見た目だけで判断、誤解されがちと思いますが、ご本人の中身は、至って男性的な体育会系、竹を割ったようなお方です。 )


4月17日のタカミー・バースデーでは、出し物で、幸ちゃんがバルタン星人、さくりんがエレキングの被り物を着て登場、会場が大いに沸きました。
で、その後、二人でウルトラマン(タカミー)を呼んだつもりが、なんと前日のシンデレラが再びやってきたので、4/15のみの演出だと思っていたメンバーも客席も、予想外の展開に本当に盛り上がりました。
きゃぁーーー  うれしぃ~~~いっ      

そして、幸ちゃんとさくりんが、あのいでたちのままで (だって、バルタン星人なんてあの爪?ですよ(^^;)) 弾きにくいギターを弾きながら、ノドもピチピチで歌いづらいのに、タカミーのたってのご要望に応えて、一生懸命に歌ってくれた 『 Mrs. Robinson 』 は、そのハーモニーの美しさとも相まって、忘れられません。

こんなにビッグな3人が、大真面目で、コントはおろか、被り物や変装(変身)? までしてくれちゃうサービス精神には、脱帽、です。
しかも、やってる本人たちも楽しそうなんだから、もーおかしぃやら、おかしいやら・笑。

タカミー、エラいっ     

さすが、サプライズ好き、快感なほどにウケるの大好き♪だという、根っからのエンターテイナー、クリエイター魂満載のタカミー (一見、らしくなぃデスけど・笑(^^;)) だけのことはありますね。(^_-)☆
何しろ、ライブのコント台本書き40年の実力  
ALFEEライブは、音楽のリハよりもコント練習に時間をかける?('◇';)というだけのことはあります。 


しかし私は、あの距離なら大丈夫かな、とオペラグラスを持って行かなかったら、最近視力が落ちたのか、前のコンタクト&眼鏡では、ちょっとぼやけがちで、あんまり細かい表情とかよく見えなくてすごく残念でしたが、
鮮やかなローズピンクのドレスと、華やかで美しい雰囲気は伝わってきて、すごくうれしかったです。
かわいらしい裏声にも、ゾクゾクでした・笑。(タカミーは、もともとが高いので、裏声は本当に女性みたいで、かわいらしぃ&イロっぽいのですよ。  『君はパラダイス』(83年)に入ってる部分なんて、サイコーです。)

オペラグラスねぇ、武道館は2階(武道館ではアリーナに対して1階と呼ばれる部分)で遠かったので持って行ったのだけど、なぜか周りで使っている人がほぼいなかったので、ちょっと恥ずかしかったの。でも、タカミーの姿をちゃんと見たかったから、時々使ったけど、今回は一階の前半分エリアだからどちらかというと近いほうだと思うのに、回りでオペラグラスを使っている人がものすごく多くて、なんだか損した気分に。 
あれって、別に通ぶる? 必要もないんだけど(自分が使いたければ使えばいい)、回りの目とか気にしてしまうのは、ナゼでしょう・笑。 

長野ライブのときは、ゼッタイもってくぞぉーーー。 

でもって、記憶からすっ飛んでたタカミーのMCを、今度はしっかり覚えてくるぞぉ~。 

だから、お願い、もういちど、シンデレラ、出てきて。  

( バースデイ特別企画だから、ムリだろぉなぁ~  だめならせめて、会報にお写真か、カンレキ記念 『珍場面DVD』 とかに、いかがかしら??)



そうそう、さくりんのお誕生日は、1月20日で、ツアー中ではないので、バースデイ・ライブが行われたことがありません。 
なんだか、かわいそうです。 
所属事務所の新年会で、毎年のように誕生ケーキが出て祝ってもらっているようですが(研ナオコさんのブログによれば)、ライブ中に、オーディエンスと共にステージの上で祝ってもらえるのとでは全然違うと思うので、

ツアー中でない時の単独コンサートが コストやセット などいかに大変かはわかりますが、

来年は、メンバー還暦だから、 (あ゛っ、さくりんは再来年だにゃぁ~。一生に一度でいいから・笑、カンレキ記念に) 

ぜひ、全員のバースデー・ライブがあるといいなぁー、と思います。 

また来年も、参加したいな。  

タカミーの還暦を、一緒にお祝いしたいです。  


だって、会場のみんなで 「Happy Birthdayの歌」 を歌って、タカミーがワゴンで運ばれてきた大きな特製ケーキ(残念ながら1Fでは表面が見えなかったので  マニアの写真を楽しみに)のろうそくを消してって、すごく暖かくて、幸せな気持ちになれるんですよ。 
        



大好きなタカミーがこの世に生まれたことを、心から感謝しつつ、
同じ気持ちを持った人たちと、ご本人と、一緒に喜び合うのって、なんてステキなのでしょう。    




     *   *   *   *   *



そして・・・

【 恒例? グッズ紹介 】   


“ 新世界~Neo Universe~ ”(2010年・春ツアー)同様、イラストレーター山根Yuriko茂樹さんデザインによる、今大会ツアーパンフ(ツアーポスターも同じもの)。
アルフィーのメンバーがこよなく愛するバンド、 THE BEATLES のアルバム、『 Revolver 』(リボルバー・1966年8月5日) を模しているという説もある。
なかなか素敵です。


下に写っている 「特効テープ」 は、今回は幸運にも前半分エリアの席で、確実に取れそうな場所だったのにもかかわらず、私はゲットできず (取れなかったショックと、自分のドンくささが二重に悲しかった ) しょんぼりしていたのがわかったのか、
もし、1本以上持っていたら分けてもらおうかなぁと、勇気を出して隣の人の方を向いた途端、まだ何もしゃべってなかったのに「あげましょうか?」と言って、1本下さった女性 (2本くらいゲットしていたみたいなので。かわいらしい方でしたよ) の、その優しさの込められた、特別な特攻テープなのです。(^^)v   本当にありがとうございました。 
6月に地元長野コンサート行くんですけどね、その時も取れる保証はないし、なんといっても、タカミー・バースディの 「記念テープ」、 やっぱ欲しいじゃないですか。


そういえば、前出の2010年春は、長野ライブがなかったので、神奈川県民ホールに出向いたのですが、3階だったので、もちろんテープなんて取れるわけもなく、
でも、その前のツアーの時、空から降ってくるのはゲットできなかったけど、通路側だったためか、床に落ちていたのを何本か拾えた経験から、落ちたテープが残っていないかと思って、コンサート終了直後に夢中で人の流れに逆行して、1階客席まで侵入。
すると向こうからテープを何本か抱えて歩いてくる、おそらく学校帰りであろう、制服を着た男子高校生がいたので、「1本もらえませんか?」と聞いたら、すぐに「いいですよ」、といって差し出してくれたのだが、よく見たら思いのほかイケメンだったので・笑、ちょっとドキッとして言葉を失い、 なんと 、 お礼も言わずに受け取ってしまったのだ。 
せっかくあげたのに、礼儀知らずのずぅずぅしいオバサンと思っただろうなぁー。あー、恥ずかしい。  
ずっと気になっていたので、この場を借りてお礼とお詫びを。 
てか、50を目前に控えて(当時)、男子高生にドキッとなんて、するなよなぁー、ってカンジですが・笑。  


左より、
・ピックセット:タカミー特別仕様ではないとしても、毎回デザインが変わり、美しいし記念になるので、やはりまた、買うことにしました。ピック収納専用ファイルまで、作ったんだから!! (葉書ホルダーにジャストサイズ) (^^)v
今回のは、ピックの一枚一枚に、メンバーの似顔絵が入っているのがお洒落でカワイイ。

・スマホ対応ストラップ:高見沢モデル  タカミー愛用ギターで私も大好きな「フライングA・RED&BLACK 」タイプなのだが、もったいなくて使えないワ。

・今回も大笑い 、 6回目になる、ツアーパンフ付録の 「メンバーによるトークCD」  
今回の特集企画は、アルフィーの誕生秘話で、高校時代の詳しいこととか、初めて知ることもあって、すごくうれしかったです。


前出の山根Yuriko茂樹さんデザインによる 「キャンバス・トート」。
買う気満々で行ったところ、会場で実物を見て、思ったより大きかったのと、内側の布のチェックの、黒でない部分がグレーだと思っていたところ白っぽかったので、お高いだけに迷ったのだが、結局買ってしまった。 

チェックの部分は巾着型になっていて、内側全体に貼ってあり、“ Grateful BIRTH ”のロゴと王冠がモノグラムになっていて、とてもおしゃれ。


トートの全面には、パンフと同じデザインのイラストが、黒地に銀色のような線で描かれていて、こちらもさりげなくておしゃれ。

でもね、結局、もったいなくて使えないのよぉ~。  どーしよ!?
キャンパス地って汚れやすい、ヨレ易い、擦り切れ易いし・汗。


写真上:ウルトラマン & THE ALFEE のコラボタオル第2弾。
今回は、アルフィーのメンバーが怪獣になってマス。右端より、エレキング(高見沢)、ピグモン(坂崎)、 バルタン星人(桜井)。
真ん中、ウルトラセブンのシルエットを挟んで、

左側には、第1弾同様、ウルトラ隊員に粉したメンバーたちが。(^^)v (下の写真、上)

写真下:ハンドタオル。“ Grateful BIRTH ”の王冠がちりばめられた上質のタオルで、甘くなりすぎない程度に二面に施されたレースが素敵(レース好きなので。しかもタオルでは珍しいと思う)。
色、デザインともに想像以上によかったので、カバー用と実際使う用に、もう一枚買おうかしら?と思っているほど。



恒例の、アルフィー銘菓、

★ラングドシャ  左:ホワイトチョコ&ティラミスの、クリームサンドクッキー

★ベジフィー  右:アルフィーのメンバー3人と、今回初めて、ドラム&キーボードのサポートメンバー2人も加えて、みなさんを野菜に見立てた、おなじみ 「さとうまゆさん」 のイラストがかわゆい♪おかきセット。 
 さとうまゆさんのブログに、ベジフィーのことや、タカミーバースデー・ライブのことなどが出ています。(^^)v 無許可のため、アドレスは貼れないので、検索して探してみてくださいね。(^_-)
その中にちゃんと、タカミーがイラストチェックする、という個所が出てきますよ。

( 今までのさとうさんがかかわったアルフィー関連のグッズ、ポスター、CDなどのデザインも、すべてタカミーチェックの部分が書かれています。チェックっていってもね、厳しいものではなくて、そういうものにもこだわる、という現れなので、私は逆にさすが、と思います。
そして、さとうさんのブログで製作秘話を読んでから改めてグッズのデザインを見ると、いっそう味わい深く愛着を持って感じられるのですよね。
さとうさん、イラストだけでなく、文章もとってもかわいいです。   )

でもね、このベジフィーが、久々に味てきには当たりはずれがあって、ちょぃイマイチ。ごめんにゃさい。  

売り場で、いつもお世話になってるやっちゃんにお土産、ペジフィーは可愛いんだけど大きくてかさばるから、よほどラングドシャにしようかな、と迷ったんだけど、やっぱりかわいくてらしいから、ベジフィーにしたの。
味だけで考えたらちょっと失敗だったかなあ、残念。 ラングドシャは普通においしかったから。
でも、かわいさとか考えたら、こっちだよね。そういうことにしよう。(^^;)
( 前回秋ツアーのやっちゃんへのお土産のチョコサンド・クッキー(ウエハースみたいでした)が、さとうまゆさんなんだど、3人の似顔絵とかと全く関係のない、フツーの花模様で、きれいなんだけど面白み?には欠けたので(失礼)、よけいにね。)





 そして、今回のイチオシは、ツアーパンフです。     



第一部: 今回は、ストーリー性はあまりない写真なのだけれど、どのページも、メンバーの写真の周りを、デザイン的なイラストが飾っており、ものすごくおしゃれな雰囲気に仕上がっている。  
このイラストも前出の山根Yuriko茂樹さんなのかなぁと思って、パンフの巻末、スタッフ紹介の欄をオール英語&ローマ字だったので、注意深く穴の開くほど探してみたけど、特に記載はありませんでした。 
どなたのデザインなのか、気になるところです。(写真が載せられなくて残念ですが)

もちろん、タカミーの普段着っぽい(といっても、ものすごくハイセンスでお洒落)衣装もステキです。 

インタビュー記事は、THE ALFEE の “誕生秘話” を、メンバー一人一人に聞いていますが、こういうエピソードはもともと大好きだし、特に誕生のころ、初期のころのお話は大好きなので、もっと沢山読みたい感じ。
ツアーパンフ、写真ばかりで、もっと読む部分が多くてもいいと思う (A4版で、一人1ページの、計3ページしかないもん。写真だったら、説明書きとかもあってもいいと思うな) けど、
読者の皆さんの意向 (パンフはなくて、CDだけでもいい、という意見もあるとか。え゛ぇーーー、うっそぉ!!! ) からするとこうなっちゃうのかしら?

あ、でも、写真集の要素があるから、あえて、なのかな。


そういえば、第一部の写真説明書き?というのは、少しあって、でも、英語なの。(英語のほうが見た目がオシャレだからでしょう)
なので、英語がほぼわからにゃい私にとっては、つまらないです。 
辞書を引くのも面倒だし、直訳だと意味が違うこともあるから、そのままになっている。
てか、英語だと思うだけで  拒否反応が。(数字と同じ拒否反応  ) 
いつだったか、英語だと思って読まなかったら、実はローマ字だったこともあり・・・

最近は、歌詞に出てくる部分だけは知りたいのでなるべく調べるようにしてますが、以前に出ていた曲に関しては、沢山ありすぎて面倒なので、未だ意味を知らない歌詞がけっこうある。 
ファンの風上にもおけないでしょ?    
最近になって発見したのだが、自分、たぶん誰でも知ってる初歩的な単語でさえ知らないし書けないみたいで  
中学や高校で、いったい何を勉強してたのかなぁーってカンジです。ああ、はずかしい・・・ 



第二部: これが今回 最大の  (ワタシてきには) お気に入りの

本邦初公開  (か、どーかは知らにゃぃケド・・・ 
THE ALFEE スタジオ・ワーク風景  デス。


例えば、何かの舞台なりステージをやるとしたら、自分は裏方は嫌で、絶対にそこに乗ってる方(表方・おもてかた)でないと嫌、しかも、その 「主役級」 でないと気が済まないタイプなのですが、  

物を書く立場として考えると、対象人物や事柄の 「裏(を覗くの)が好き」 です、やっぱり。

とくに、大好きな 「物づくり」 の舞台裏 (製作現場) がどうなっているのかは、一番興味がある。

アルフィーの、あのすばらしいサウンドが生まれる現場をやはり見てみたいですよね。

なので、今回の特集は、 ちょ~ぉ  ウレシかったデス。


ギターがたくさんあって、部屋全部が巨大ミキサーみたいな? すごい装置があって、楽譜や筆記用具 (しかも鉛筆!)  がさりげなく置いてある。

この、「楽譜」 と 「筆記用具」 というのは、
自分にとって 「原稿用紙」 と 「筆記用具」、 「画材」 と 「色鉛筆や絵筆、パステルなど」 と並ぶ、 
ゾクゾク・アイテム  です。

もっとも、今、原稿用紙なんて使うヒト、めったにいませんけど・笑。 ← ご年配の “文豪” の方は知りませんよ?

 楽譜もね、印刷したのではなくて、手描き、ってのが萌えポイントです。 
しかも、タカミーのオリジナル楽譜みたいで、たぶんご本人のバスケ、シュート・ポーズがシルエットになっているのみたいです。(ポイント拡大写真による)
以前は、スカルマークだったはずなので、変えたのかな、それともいろいろあるのかな?
前にも書いたんだけど、タカミーのオリジナル楽譜、売り出してくれたら、ゼッタイ買うのに。   
( 私はそれに 「音符」 ではなくて 「文字」 を書くのだけど・笑 ) ほしいなぁ~。 


きゃ~あ、タカミーが楽譜のチェックしてるぅ~。 

え゛っ  さくりんも楽譜、読めるんだぁ~。  
って、当たり前だっつーの。    ← でも、なんとなく、わかるでしょ? 

みんなで、音入れ? したり、ミキサーを前に打ち合わせ? してたり、
かっちょい~~~いっ   

でもでも、一番素敵なのは、なんといっても、  

きゃぁ~~~   

タカミーが、グランドピアノ弾いてるぅ~~~    
( しかも、タカミーの横向き全身と、グランドピアノ全体の映っている、見開き2ページの、豪華版、ですヨ。  )



タカミーが子供のころ、当時は嫌々だったみたいですが  ピアノを習っていたことや、
1991年の最初のソロ活動(ツアー)の時、ピアノを弾いていたのをTVで見ているので(その時はね、なんと白いピアノだったの。らしいでしょ?・笑)、
ギターほどではないとしても、弾けることは知っているのだけど、

やっぱり、ピアノが弾ける男性がすごくカッコいいと思っている私としては、とてもトキメク写真なのです。   

こちらでご紹介できなくて、ホント、残念ですが。


でもね、ちっちゃい(見えづらい)から、いっかなぁ~、と思って、スナップ集みたいなページを、チラッとご紹介。

この辺に写ってるのが、     “ピアノ・タカミー” です。 


と、ゆーカンジで、今回大のお気に入り、のツアーパンフでした。 (^^)b


今度はぜひ、タカミー個人の製作現場 (たぶん自宅とは別に、作詞作曲のためのスタジオ?か部屋を持っているらしいですよ) が、のぞいてみたいなぁ~。  




 そうそう、読むところが少ないと書いてしまいましたが、(自分が参加してなかった2008年春以前のものについては知りませんが)
肝心なことを、またしても忘れてました。 

今回は、巻頭2ページと末尾1ページに、日本経済新聞編集委員、吉田俊宏さんの THE ALFEE に関する論説 (巻頭は春ツアーに向けての、末尾は次のステージへの、はなむけの言葉のようなもの) が載っています。

そういえば、昨年の秋ツアーのステージ上で、タカミーが日経に載ったアルフィーについての新聞記事を
「いいこと書いてくれてるよなぁ~、まさにそのとうり・笑」 とかいって、嬉しそう & 自慢げに紹介してくれたのですが、日付がわからなかったので、店ではせっかく日経もとっているのに、探せなかったのです。   
(でも、今回のでそれが少し払拭されました。 

その時のご縁で吉田さんへ依頼が来たのだと思いますが、なかなか上手な文章で (って当たり前か? )、
しかもアルフィーの本質をとらえた、愛情ある、素晴らしい論説 (はなむけの言葉) だと思いました。

こちらも、40周年記念にふさわしい、豪華特別仕様になっていると思います。 


いいなぁ~、私も、そういうの、やらせていただいてみたいなぁ~。  

え゛っ!?、アンタのは、めちゃめちゃタカミー寄りで、 超ミーハー目線 だから使い物にならんワ  、ですって 

えへ、ごもっともで・笑。  



ま、こちらで、好きなよーに書かせていただいて、 書いてるだけでシアワセ  なのでいいです。 

↑ アルフィーに興味がない大多数の人を 全く無視 した、ちょー自己満足記事    







※ 長くなるので、いったん切って又続きます。  (まさか、こんなになるとは・・・