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猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

弥勒菩薩様に逢いに・・・

2017年03月23日 | お出かけ、レジャー、イベント等
 クラコンの興奮さめやらぬ、明けて3月13日、

と、ある所へまず参りまして (次の項目で書きます)


その後は京都へ。



あいにくの曇り空でしたが


京都駅前からバスに乗り、こちらへ行きました。



 太秦(うずまさ) 広隆寺。


広隆寺には、大好きな 弥勒菩薩(半跏思惟像)様 がいらっしゃるのです。



実は幼稚園の頃、
我が家に 『広隆寺の弥勒菩薩・仏頭』(石膏でできた美術の先生の制作物であったらしいが謎) が来て (※注)、私の部屋の隣にずっと飾ってあり、日夜拝んで大きくなったことから
(ちなみに偶然ではあるが幼稚園は仏教系、中学の時にはお寺主催の2泊三日の禅道会に毎年参加、中高の修学旅行で奈良、京都を尋ねて寺や仏像に夢中になったので、大学は万葉集ゼミ、その後も全くの偶然だが4年間お寺に勤務するなど、なぜか不思議と仏教とのえにしがある)

『広隆寺の弥勒菩薩』 というのは長い間の憧れ (中学の修学旅行で訪れたのは、弥勒菩薩でも中宮寺だったのでなおのこと) だったので・・・(二つ上の姉にとってもそうであったようだ)


2010年、平常遷都1300年の時、友人と奈良・京都の旅をした際、初めて長年の憧れ 『広隆寺の弥勒菩薩様』 にお会いできた時は本当に嬉しく、たいそう感激したものです。

この次お会いできるのはいつだろう・・・   

そんなことを思いながら小雨けぶる晩秋の広隆寺をあとにしたものであるが、 


特急と新幹線でkから2時間もあれば行かれるのに、京都及び奈良は自分にとって特別なので、

ふらりと立ち寄る場所ではなく、何か特別なときに、特別な思いで出かける場所であり・・・

行く機会を逃していた。


今回、人生2度目の大阪へ行くこととなり、めったに行かない関西方面に行くのだから、せっかくだからついでにどこか立ち寄ろう

まずは、2日目の昼間に、あそこだな。


3日目の帰る日には・・・

途中下車ができるなら、京都で降りよう。

自分、色々で疲れていたので癒されたい、

お寺や仏像を見てのんびりしたいな。


時間なさそうだから京都駅近くのお寺にしよう、と思って探したのだが、イマイチピンとこない。


そうだ  

ちょっと遠いけど弥勒菩薩様に逢いに行こう・・・     きらん


何かを成し遂げたとか、何か自分にとって特別なときにでなければ逢いに行ってはいけないような気がしていたけれど、

今、一番お逢いしたい仏様に、逢いたければ逢ってもいいではないか・・・


弥勒菩薩様に逢いたい     

逢って静かに向き合い、清らかな気持ちになりたい。救われたい。


という感じでした。








仁王様のいらっしゃる桜門をくぐり


講堂や太子殿を抜けて



梅の花? がほころび、

久しぶりに感じる境内の、穏やかな時間の流れに身をまかせると開放的な気分に。



弥勒菩薩様のいらっしゃる 「霊宝殿」 前は、心なしか神聖な静寂が漂います。




いよいよ、この階段を上った向こうに・・・


薄暗い殿の中には他の何体もの仏像が祭られており、弥勒菩薩様の反対側には大きな薬師如来像が三体。

はやる気持ちを抑えてそちら側から見ているうちに、もうじきお逢いできるのだと思うと感極まって涙がじわり。


そのせいか、実際お会いした時には、ゼッタイ泣いちゃうと思っていたのに涙は出ず、

ウルウルする瞳とこころで、じっと弥勒菩薩様と対話をさせていただきました。



慈愛に満ちたそのお姿を見ていると、不思議と清らかで素直な気持ちになれるのです。



何事にも代えがたい、弥勒菩薩様だけが持つ厳かで柔らかな空気。



最後にもう一度振り返って、次にお逢いできるのはいつだろうと思いながら霊宝殿を後にしました。






2010年に尋ねたときにいただいた 「ご朱印」 と、買い求めた2種類の絵葉書の中から、お気に入りの一枚を額に入れ、書斎に飾ってあります。





ちょうどパソコンのあるところの正面の本棚には、弥勒菩薩様のお顔写真、奈良・興福寺の阿修羅像お写真とミニ阿修羅像(立体)ほか、

自由の女神、鎌倉の大仏などの実像、アルフィー関連などこの数倍以上のスペースにゴチャゴチャと(笑)、尊敬するもの、好きなものが飾ってあります。


いつかここに、弥勒菩薩様の実像を飾るのが夢です。    

( どうせならちゃんとしたものがほしいので、ネットでも探しているのですが中々ないのと、あってもとても高価なので、時期をうかがっているところです。 )   


今回は、額に入れて飾ってしまったため、 「ご朱印帳」 に貼るためのご朱印をいただいて帰りました。

( 行くことがわかっていたのに、なぜに忘れるご朱印帳。直接書いてもらった方が重みが違うのに残念です。
あと、前回初めてお尋ねした時に、外の売店ではなく、弥勒菩薩様の御前に並べられて売られていたお守りを買って帰り大切にしていたのですが・・・
それを持ってきて、新しいものに買い替えてもよかったかもしれない、と後になって思いました。
残念ですが、今持っているお守りを大切にもう少しいていただくことにします。  )






帰りは京都市内を行きかう路面電車など電車を乗り継いで行ったのですが・・・




「太秦広隆寺駅」



駅のホームのすぐ向こうにお店や民家が建っている不思議な光景がありました。






駅のベンチに座っていた、イケメンの外国人と一緒の、昨日大学を卒業したばかりという可愛らしいお嬢さんに、京都に行きたいのだけれど、この電車の、こっち方面であってますか? と尋ねたところ、

「私たちもちょうど京都に行くんです。」 と、とても愛そうよく答えてくれたので・・・


お若い方に余り話しかけてもウザイおばさんと思われてもやだなぁと思い、距離を置きつつも、2回乗り換えがあって近くにいたため、時々また聞いたりしながら、結局京都まで、つかず離れず? ご一緒していただいちゃいました。

お嬢さんがお一人だったらずっとお話ししていたかもですが、私は英語がわからないし、彼は日本語がわからないようだったので、
私と彼女が話していると彼に悪いと思ったのもあり・・・。    


そういいながらも、聞くところによると、

お嬢さんは大阪生まれの大阪育ち、私が長野県から来たと告げると、長野にスキーによく行きますよ、とか、

日本に来て一年ほどの彼とはSNSを通じて知り合い、大学もそのような勉強をしていたので、卒業後は本当は旅行関係の仕事につきたかったのだが、
母が心配したので郵便局に就職する、3か月は研修がありその後どこに配属されるか、たぶん家から通える範囲だと思うがまだわからない、とのこと。

でも、本当はまだ旅行関係の仕事に未練があるのだとも。

私のような通りすがりのオバサンがあまり差し出がましいことを言うのも何なので、なんてお応えしたかはっきりとは思いだせないのだけど・・・

まずは今の仕事を頑張ってみて、でも夢を捨てずに頑張ってね、とかなんとか言ってお別れしたように思います。    


外国人の彼氏がいるくらいなので英語も堪能だし、明るく愛想もよく、好奇心旺盛で親切な人だったので、ツアコンとか通訳とか向いていそうかな、と思いました。

ほんとに、今どき珍しいくらい感じの良い子だったので、もっとお話ししていたいくらいでした。    


太秦へは 「映画村」 を見に行ってきて、今日はこれから京都で 「水族館」 に行くのだと言ってましたが・・・

若いっていいな       





夕方4時過ぎに、京都駅構内でやっとお昼。

柴漬けやちりめんじゃこ、大葉や削り節などの乗った和風の梅肉パスタでしたが・・・

思ったよりバターがきつくて(それもバターではなくマーガリンのような味)余りさっぱりしてなくて、ちょっとたんまりしたのと

なんと、大根おろしを載せてあった大葉が、おろしを外してみたら黒かった(腐っていたのだと思う)    

ので、残そうかと思ったけど、大葉は大好きなので、腐ってるものをお客に出すはずはないから、もしかしたら私が知らないだけでこれは食べれるのかしら (特に京都では) と思って食べてみたけど  

やっぱり苦かったです。(ちなみに家では絶対に食べません 


ものすごく損した気分になったのと、     
やっぱり 
「これってもしかして腐ってませんか? 私は家では黒くなった大葉は絶対食べませんけど、こちら(京都またはこの店)では食べても大丈夫なものなんでしょうか? それともこれは飾りで食べないものなんでしょうか? 私大葉大好きなので、食べたいし悪いけど替えてもらえませんか?」 と言って替えてもらうべきだったと、後で凄く後悔しました。

おまけに、
おろしを外せばわかるものなのに、腐ったものを出したということはわからない客だと甘く見られたのかしら?

それとも、あら、あの客腐った大葉食べたのね、よく食べられたわね、とあきれられてないかしら、と余計なことまで想像して、すごく悔しかったです。


最後にきてとても残念な思いをしましたが・・・   




京都、めったに行かないのと、せっかく行ったのだからと、
そして二泊もしたので悪いからと 「京土産」 もたくさん買って帰り、楽しい旅行でした。

( でも両親には、どこかへ行くと必ずデパ地下グルメのお惣菜や駅弁などを買って帰るため、夕飯になるので期待していたみたいで、お菓子よりそっちのほうがよかったかも、と、後で後悔しました。
ちなみに「赤福」は伊勢名物ですが親の大好物で京都にもあったので。 )



帰りは新幹線でたった30分で名古屋につき、ちょうど運よく5分の接続で特急しなのが来たため7時半頃にはもう店について? しまいました。

Kからたったの2時間。

京都って近いわぁ~。(とーきょよりも・・・  


ただし、早くついてしまったので(笑)、 疲れていたけど閉店まで店にいて少し仕事をしなくちゃならなかったので、
ちょっと損した気に。


( そして、エスカレーターで歩く人を通してあげるために止まって乗っている人が右側に立っていたり-信州や東京は左側に寄って立つので-、なんとなく馴染めない関西方面に、ちょっぴり東京が恋しくなった私です。 )



でも、とっても楽しい タカミークラコン & 関西の旅でしたよ~     


またいつか、必ず行きたいです。 





※ 注



幼稚園の頃に家に来た 『広隆寺・弥勒菩薩仏頭』。

なんでも美術の先生 (家は中学と高校の近所なのでどちらのかは不明) が広隆寺に行き、弥勒菩薩像に直接石膏をかけて固めて取ったものだからホンモノだ、と言ったそうですが・・・

子供心にそれはすごい  と思ったけど、
よく考えたら国宝の仏像に指一本触れられないものを石膏をかけるなんてできるわけはないので、たぶんその先生のデマ? と思われますが・・・

かなり良くできていると思います。

そしてこの仏頭は、二階にある私の部屋の隣の柱に飾られていたので、じっと見ていると厳かな気持ちになったり、何かあると拝んだりお祈りをして育ちました。

そしていつか、本物の弥勒菩薩様に逢ってみたいものだ、とずっと思っていました。

今でもそれは同じところに飾られています。


家は商売をしていて色んな人が出入りしていたのと、父が絵や飾るものが好きで、おまけに人が良く騙されるのか? あまり価値もわからず妙なものを買い込んでは二階の座敷の床の間を中心に別の部屋や中には押入れ行きのものなど、たくさん飾られていました。   

( 美術工芸品などの高価なものではなく、住んでるとこが山なのでタヌキやリス、鳥の剥製、木の切り株を磨いたもの、熊やカモシカの毛皮の敷物、知人が趣味で描いた油絵、どう見てもまがい品のような妙なもの、などです。 )    













はや10月・・・その1.両親の長寿お祝いの会

2016年10月05日 | お出かけ、レジャー、イベント等



皆さま、ブログのUPが滞っておりまして、大変申し訳ありません・・・    

9月、色々ありまして   

はっ と気づいたら、   

はや10月・・・   


9月は、前半、ちょっと脱力状態  だったのです。
( 8月中旬に、それまで2か月半賭けてきた、と、あるビッグイベントが終わったこと。
松商の 「取材」 がひところに比べてピークを過ぎ、一段落つきつつあり、終わりが見え始めたこと、など。 )

そうこうしているうちに、9月15日、おとーさんとジジとで山に行ったチビが戻ってこなくて・・・     

 いなくなって12日目の9月26日昼過ぎ、無時、我が家に戻ってきました。 (詳しいことは続編で)   
                     


 そんな中、数か月前から姉と二人で計画、準備してきた、
母の卒寿 (今年の9月21日で満90歳) と、父の米寿 (今年の6月9日で87歳となり、数えで88歳) のお祝いを、
9月24、25日に、東京方面から姉夫婦、上の姪の一家、下の姪夫婦が来て、私たち夫婦と両親を乗せて出向いた、諏訪湖の見える温泉ホテルにて合流、一泊して執り行いました。



夫は土日は仕事が搔き入れ時のため休めず、土曜の昼まで働き、
モチロン夫の運転で2時前にKを出て、伊那経由の高速を使ってなんとか約1時間で到着、
3時半からの 「諏訪湖遊覧船」(宿泊客には無料でついてきた) に間に合うねー、と、ほっと一息ついた、宿の一室で。

両親のために取った、ベッドのある和洋室に全員集合。(両親は遊覧船には乗らず)

戻ってから、 「貸切風呂」 を取っておいたので、母と二人だけで入浴。
( 通常は別料金だが、これだけ大勢で泊まった=各夫婦、一家で一室だったのでN家(申し込んだ姉の名字)で、合計5部屋頼んだことになるからか、一回は無料だった。トーゼン  )

本当は4時~50分間借りてあったのだが、遊覧船から戻ってきたりで時間が遅くなってしまい、着換えをのぞくと入浴時間が正味15分くらいになってしまったけど、母をお風呂に入れてあげることができ、
母は昨年人口大たい骨を入れてから浴槽の底にお尻がつけられくなったため、退院後に色々考えて、湯船に沈めるタイプのイスや風呂に取り付ける手すりなどを介護センターの人と相談しながら買いそろえたけれど、いざ入浴してみたら椅子に座ると足湯くらいにしかならなかったたため、
めんどうだし、結局シャワーでばかり済ませていてかわいそうだったので・・・
(シャワーなら肘かけ付の介護用ふろイスに座って自分一人で浴びられるし)

貸切風呂は他の人の目を気にせず入れて、自宅のふろより深くて、足踏みの段になっているところに腰掛けて入っても胸くらいは浸かれて、母も気持ちがいいと1年ぶりの湯船に喜んでくれたのでよかったです。

貸切風呂は2種類の木の浴槽があったので私も楽しみ、出たところで姉が大浴場から上がってきたため、母を頼んで
6時からの夕食にはまだ時間があったので、私はその後 「大浴場」+「諏訪湖の見える露天風呂」 にも入りました。
父は夫に頼み大浴場へ入浴。
姪の娘は、パパやジージ (義兄) と男湯に入ったのだけど、このホテルは湯上り所で風呂上がりにおちょこくらいのグラスビールとアイスキャンデーの無料サービスがあったので、そんなのを楽しみながら (母もちょっとなら飲めるのです・笑) みんなが出てくるのを待ち、その後は姉に母を部屋まで連れて行ってもらいました。 




その後のお祝いの宴会。



和菓子もおいしい Tやさんに頼んで、お祝いプレート付のフルーツタルトを焼いてもらいました。



お花は、お値段よりとっても豪華で大満足 


この、ケーキとアレンジのお花を当日取りに行ったり、バレないように車に積み下ろしたり、などが苦労しました。
そして、ホテルについてからフロントに預けて、遊覧船後に宴会の部屋にテーブルセッティングする時に私も立ち会ったので (事前にケーキやお花の持ち込みが可能か確認済み)、 貸切風呂に行くのが遅れてしまったのだ・・・。 

このお花とケーキは私たちと姉夫婦とで折半しましたが (両親のホテル代も一人分ずつ持ってご招待)、 手配を私がしたので、ちょっと大変でした。

ホテルは、私の地元なんだけど取るのはネットなので、当時忙しかった私に代わって、手配や交渉などは全部東京から姉がやってくれましたが。       




ケーキのろうそくを仲良く吹き消す。



姪たちから、お祝いに 「フォトフレーム(写真が勝手に動いて変わっていくもので、動画も観れる)」 をプレゼントされて喜ぶ。



こちらは、Rのパパの力作で、RとUの写真を使ったカレンダー、去年に引き続き、今年もいただきました。

可愛いひ孫の写真が毎月楽しめるこのカレンダーは母の楽しみの一つで、自宅寝室のベッドの壁のところに貼ってあります。



「フォトフレーム』 は、最初の設定が大変らしく、部屋の隅で姪二人で悪戦苦闘。
そのうちUが泣き始めたので上の姪が離れたところ、Rが 「Mおばちゃん、何やってるの?」 と興味津々。



昨年、母の入院中に生まれた下のひ孫、Uをだっこ。

私が、姉を指さして 「この人がお婆ちゃんなんだから、お母さんなんて相当年寄りだから、Uには化石みたいな (怖い) んじゃないの?」 と心配すると

「(顔を) 見なければ大丈夫だね~・笑。」 と言って嬉しそう。


※ Uに会うのは初めてかな、と思ったら、去年の夏に連れて遊びに来てくれてましたね。

その時の写真を8月のカレンダーに使ってくれてあり、中々いい写真なので、今年のカレンダーに架け替えたので、このページを出して部屋に飾りました。



髪を染めたばかりで若々しく映っている、Uをだっこして嬉しそうな母と、畑でRにキュウリを取ってみせる父。

これは 「Kのじーじ、ばーば編」 で、あげる人別のページがあるそうです。
(今年は来れなかったので特別ページは残念ながらはなかったかも)
そしてなぜか、作ろうと思い立った時がそうだったのか、10月から一年が始まるのです。


お祝いの宴席は滞りなく終わり、
その後両親の部屋で、子供を寝かすために来れなかった上の姪一家を除く全員が集まって、店から持ってきたお酒やおつまみで、少しだけ2次会。

父が、一昨年、母の米寿のお祝いで 「浅間温泉」 に泊まったとき 
(この時は上の姪一家がベルギー赴任中だったので、姉夫婦と両親、私たちだけでやりました) 同様、とてもご機嫌で、
年の割にはまた飲んで、しゃべって、楽しそうでよかったです。(母はベッドですでに寝てましたが)

お開きになってから、
部屋に戻ると夫が、朝も昼も食べてなくて、夕飯の 「ご飯(米)」 も、2次会で飲む予定だったから 「おかず」 しか食べてなくて (ほんとの呑兵衛は、お米は飲み終わるまで口にしないのです) 
腹が減った? から、ラーメンを食べに行く、とビックリ仰天なことを言ったのだが   

それもいいかも~、    とホテル近くのラーメン屋へ。

一応地元だからもてなす側だったので (姉夫婦に対して妹だし)、 私は最下座に座り、
みんなの飲み物の注文などに忙しくて (宴会の部屋と厨房が近かったので、電話より早いと思いいちいち頼みに行った)、 
実は1次会であまり飲んでいなかったし、一応出たものは全部食べたけど落ち着かなかったので 
(2次会も私の割にはそんなでもない)

ここで、誰にも気を使わず食べたラーメンと餃子 (水餃子と焼き餃子、ラーメンを一人前ずつ取って二人で食べる) が、
お腹は一杯だったけど、一番おいしかったかも。
( 以前にも書いたが、二人の仕事柄と田舎なため、ふだん夫と飲みに行ったり食事に行くこともないので、ちょっとうれしかったりして・・・
たぶん、昨年の下の姪の結婚式の前日、横浜に泊まった時以来なので、ナント  一年ぶりかもぉ~。 )

調子こいて、サワーを3杯も飲んじゃいました。    
( 夫はそれまでに散々飲んだから、さすがにここでは一杯しか飲めませんでしたが。 )


その後部屋に戻って夫は即イビキでしたが、私は寝支度をして1時半頃に寝たのだけど、
3時半に一度トイレに起きたら、めったにない、てか普段はありえないことなのだが、こともあろうに ナゼカ 色んなことが心配になって眠れなくなってしまい・・・    

でも、朝6時半に、睡眠時間2時間だったけど、昨日とは男女が逆になっている大浴場+諏訪湖オーシャンビューの露天風呂に、絶対入るぞ   と決めて楽しみにしていたので 「朝ぶろ」 に行き、

お部屋もオーシャンビューなのだが、夫が寝ていたので、
こっそり (夫は運転手なうえ、この日戻ったら昼からまた仕事のため) 部屋のベランダに出て、諏訪湖を眺めながら朝ビールしちゃいました。     

( 子供、孫たち4部屋は諏訪湖に面したオーシャンビューの和室、両親は和洋室だったので残念ながら諏訪湖に面してはいなくて、ちょっと向こうに見える程度でしたが・・・。お部屋は大満足でしたね。 )




その後、姉たちの部屋に行くと、上の姪の子ども達が親たちの入浴中に遊びに来ていたので、Uを初めてこわごわとだっこ。 
(赤ちゃんや子供をだっこするのに慣れていないため)

姉が 「Y子おばあちゃん」 で、
同居している ひいお婆ちゃん (義兄の母) も、大おばあちゃんは言いにくいから、同じように 「Sおばあちゃん」 と呼ばれているので・・・

私のことは、立場上はお婆ちゃんではないが、年齢的にはババなので、
でも、子供もいないのにいきなりお婆ちゃんとは呼ばれたくないから、 
「おばあちゃんは勘弁してよ~ 」 といって R子「おばちゃん」 (姪もそう呼ぶが ) と呼んでもらうことに。

この時のRとの色んな会話が、子供だけに大人がちょっと困惑するような素朴な質問を、素直にどんどんして来て、内心大笑いでした。   


その後、昨日の宴会部屋で朝飯をみんなで食べて、ホテルにて解散、姉たちは東京へ、私たちはKへと戻ってきましたが・・・

25日は、地区の敬老会で、町内の温泉旅館でお祝いがあったので、なんとかその時間 (お昼) に間に合わせるため急いで帰って、
両親は敬老会の会場へ無事送り届け、夫は仕事に、
私は、睡眠不足と、お祝いの会を終えた安心感と、みんなへの気配りと両親の旅先での世話焼き (これが一番大変だったかも~。同じフロアだけど、部屋が一つだけ離れていただけに) などから、ドッと疲れて、
帰ってくれば店は開けるのがしきたりなので、店番をしながら、たまにお客が来て起こされるんだけど、それ以外はPC前でドロの様に延々と寝続けました・・・     (どんな職場じゃぃ  


チビがまだ戻ってこない、実は内心では傷心の中でのお祝いの会だったんですが・・・、

姪たちもそれぞれ結婚してしまうと、中々みんなでは集まれない中で、みんな揃って集まれたこと、
両親ともそろって、こんなに長生きしてくれて、
そのうえ、母は昨年の大たい骨骨折に伴う二度の手術と4か月近い入院を乗り越えて、2人とも元気でいてくれることのありがたさ、   

そして、両親がとても喜んでくれたのでよかったです。     


+、個人的に私も、願わくばチビが帰ってきて安心してお泊り、だとなおよかったのですが、
大好きな温泉と、諏訪湖オーシャンビューと、お食事など楽しめて (めったにない、家族でのお出かけ)、

とにかく 

一年前、下の姪の結婚式前日、横浜のシティーホテルなのに温泉のあるところに泊まった時、
夫曰く、「朝ぶろ&朝ビールして、ホテルの朝食バイキング食べて・・・
と、めったにない、やりたいことを全部やらなくちゃ、と考えたら気になってよく寝付かれなかった」 らしい、   みたいに、

遠足前日の子供か  ってカンジですが、   

私も朝ぶろして朝ビール、という 「目標・笑」 もクリアできて、

そういう意味でも、よかったです。        あはは・・・       
     




 その2. 「チビのご帰還」 編へと続きます。









和光大学児童文化研究会50周年の集い

2016年05月22日 | お出かけ、レジャー、イベント等



 5月15日に、母校の教室にて行われたので行ってきました。

和光大学 (東京都町田市) は、1966年に開設されたので、大学の歴史とほぼ同じだけ児童文化研究会の歴史もあるのです。

1960年生まれの私が今年の9月で56歳になるので、まさに大学も児文研も今年がジャストで50周年ということですね。




お花紙で作る 「花飾り」、 子ども会や行事の時よく作りましたね。

懐かしいです・笑。






 『50周年記念式典』 実行委員の、左より、もうメンドーなのでサークルネームで書いちゃいますが、

55Lで同じ文学パートだった 「なつこ」(男、プリティー路線、年は一緒)、同じく55Eだけど年は同じで、もと児文研部長、全体運営委員会という所で一緒に仕事もした 「ちくわ」(おでん路線)。
( 数字は入学年、L=人文学部文学科、H=同学部人間関係学科、A=同学部芸術学科、E=経済学部、の意味です。
ちなみに私は昭和54年入学なので 「54L0521」 という学籍番号でした。05は文学科の5組で21番ということです。
昭和が終わった時点で年号は西暦表記となり、その後大学の学部が全く新しい名称に代わったため、かつての学部は現在は名称としては全く存在せず、表現学部やPなどという学部があります。 )

現役大学生のふたり、

この人は、私が一年の時に5年生だったのか、大学には5年行ったけどもう卒業していて、たまに顔だけ出したのだったかちょっと忘れたけど 「エイトマン」、 
そして大会実行委員長で、私が1年の時4年生で、もと児童劇団 『風の子』 団員、 現、NPO法人 あそび環境Museum 『アフタフ・バーバン』 代表の 「ターザン」。




現役生の二人。ういういしいです。女性は現在の部長さんだそうです。



エイトマン。 ほんとはエライ人なのだと思うけど、やんちゃな感じでした。
卒業以来ずっと、出身地で居住区の神奈川県E市役所に努めています。職員募集してました・笑。

彼の 「エイトマン」 のテーマソングに乗って踊るエイトマンはサイコーでした。



人間関係学科の 「梅原利夫先生」。
(1979年より和光大学人文学部・人間関係学科、教育内容論担当の助教授。現在は現代人間学部・心理教育学科教授)

なんと、児文研50周年と聞いて、先生の方から希望してきてくださったということで感激しました。

和光のカリキュラムは、違う学部や学科の授業でも希望すれば自由に受けられるという面白いシステムで、
子供の文化を研究したり、児童関係の仕事を目指す人が多かった 「児童文化研究会」 メンバーの特徴として、経済、文学、芸術学科在籍の人が人間関係学科の “教育関係の授業” を取るパターンが割合多かったです。

私も和光を受験するに当たり、 『入学案内』 を読んで、色んな学部、学科の授業が受けられるということに非常に魅力を感じたものですが、いざ入ってみると、それぞれの学科の専門色が強かったので (特に一番受けてみたかった芸術学科などはなおさら) 外部の人間が受けられる雰囲気ではなく、たぶん違う学科の授業は受けなかったと思います。

なので、梅原ゼミだった人や授業を受けていた人が多かったようですが、私はたぶんお名前くらいしか存じ上げていないように思います。スミマセン・・・。

きっと当時はお若くて、学生にとって親しみやすい感じだったのではないでしょうか。




この方は、 「和光同塵会」(同窓会のようなもの) の方だったと思いますが、お名前を忘れました。すみません。



 なんと、児文研一期生の方が来てくださいました。(名前忘れました、スミマセン

一期生ということは・・・もしかして現在67、8歳くらいということでしょうか?   見えませんね。



退職後、奉仕活動で 「けん玉」 や 「腹話術」 などをして回っているということで、会場で披露してくれました。  
(興味津々で覘いているの女の子は、児文研OBの子ども)



日本で唯一 「けん玉のできる“腹話術師”」 として、テレビにも出たことがあるみたいで、その時の写真をパネルにして持ってきて回してくれました。




現役生の 「活動紹介」。

マイクで説明してくれた彼は、今は卒業して大学院生みたいです。

当時は大学の上に一年制の 「研修科?」 がありましたが、今は 「大学院」 があるんですね。すごいですね。




 初期60年代から70年代卒業生。一人一人自己紹介と近況などを話します。



 我々、70年代から80年代世代が一番多く、

椅子に座っている後ろ姿の左から、エイトマン、タスケ(51E、もと劇団 『ふるさときゃらばん』、現 『ミュージカルカンパニーふるきゃら』 団員。本名を 「小山田錦司-おやまだ きんじ」 といい、最初冗談を言っているのかと思いましたが、ほんとの名前でした)、モース(52E、本名が貝塚だから)もこの世代。

写真に写っているのは 前列が一期下の55の人たち、後列は二期下の56の人たちで、
51、52、53、54ときて、自分達のあいさつが終わり私も席に着いたので、初めて写真に撮ったものです。

私の自己紹介の時、53Lで同じ文学パートのキタローが、私のことを 「今でも充分変だ」? とか、55Lで文Pのなつこが、話しが長いから 「早く巻くように」 と合図があったり、
キンチョーの場面なのに、ナゼカ、キンチョーがほぐれ笑いが起きる場面が。  
な、なぜなんだぁ~。         し、しつれいな。    
( 二次会でセシルが私のことを 「愛されキャラなんだよね」 と言ってくれ、どちらかというと冗談半分とはいえ叱られ、からかわれ、バカにされ? キャラだったから、思わず聞き直しちゃいましたが・・・、え゛~、ほんとにぃ~?  )

そうそう、何度も言ってますが、HNも使っている “ジャレ” というネームは、新入生歓迎合宿の 『命名式』 の時に、52Aのダバハが、私の 「喋っている雰囲気とかが猫がじゃれているみたいだから」 と提案し、3つくらいの候補の中から多数決で決まった、れっきとした? “さずかりネーム” であり、元々は児文研の 「サークルネーム」 なのです。 
  


 一番新しい90年代から現代。先ほども書きましたが、昭和の崩壊と共に西暦表記に。

世代的にお子さん連れや妊婦さんなどもいました。


会は、自己紹介の後、みんなで前に出て輪になり、ターザンが司会で、普段自分たちのグループが子供たちにやっている遊びの一種だと思うけど、
世代の交流を目指した 「あそび」 を取り入れ、和やかに遊んだり交流したり、話したり・・・


最後に、上世代希望の 『青い空は青いままで』 をコール付きで、(こちらは単純なスタンダードナンバーなので覚えていて歌えましたが)

私たち世代希望で 『僕のひこうき』 をステージ上で振り付きで歌いましたが・・・

振りも全然覚えてなかったし、歌そのものをもう、忘れてたって・笑。      

ショック・・・。    


でもなー、もっと私は歌を沢山歌いたくて行ったようなものなので、2曲だけで、ちょっと残念だったかしらん?


 教室内は 「飲食禁止」 だそうで、終わった後に、外のテーブルに軽食とジュース (アルコールも禁止みたいですね) が用意されていて・・・



こちらは、特製の 『祝・児文研50周年ケーキ』。 残念ながらもう切れ目が入ってしまってました。






左側のトルティーヤで巻いたサラダ巻みたいなのにマヨネーズをつけて食べるのが、意外とおいしかったです。
右はクロワッサンにハムやチーズを挟んだサンドウィッチ。

会費、1000円ですから(笑)、でも、午後1時から5時とビミョーな時間帯で、みんなお腹が空いてたからあっという間に空に。

何しろ、新宿から小田急線で最寄りの 「鶴川」 まで40分、駅から歩けば20分もかかるんです。
新宿で12時にコムと待ち合わせて、時間がなかったので電車の中で二人でおにぎりを一個ずつ食べて(笑)

鶴川駅で懐かしい顔ぶれに会って大騒ぎし、駅前、30年前とだいぶ変わって近代的になっていて、タクシー乗り場もちゃんとあったので(笑)、みんなでタクシーに乗って行きました。

時間があって歩いて行った人もいたみたいだけど・・・とてもそんな元気ありません。


ここでの交流が、時間決めてなかったけどダラダラ、ダラダラ過ぎ(笑)  教室内での式典だけは、時間で決まっていたのでちゃんと片づけも含めて5時で終わりましたが。

私は、ここぞとばかりに  出したばかりの自分の 
『電子書籍の宣伝チラシ』 を50部プリントアウトして持って行った ので、
「よろしくお願いしまぁ~す  ニコッ」 と言って 一人一人に手渡しました (情宣活動・笑) が・・・

最終的に80人以上の参加があったということで、帰ってしまった人もいたけど、若干足りなかったかもです。

みなさん、チラシは持って帰ってくれたみたいなのですが、まだ、どなたも買ってくれてないみたいです・笑。    

 スポーツノンフィクションにとどまらない、 ≪ 人間感動秘話 ≫ ですので、
みなさん   ぜひ、買ってくださいねぇ~      

『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』 Kindle版 680円 こちらで買えます  


 教室、大学外部の人間には貸し出すのが難しいところを、ターザンが一生懸命取ってくれたそうで、ありがとうございました。

昔は、もっと 「ユルイ大学」 だったのですが・・・時代とともに変わったんでしょうか。

オードブルにビールでも飲みながら、大騒ぎして歌を沢山歌う、お楽しみ的なのを想像していたので、ちょっと違ってましたが、

ここまで準備してくださった皆様、本当にありがとうございました。


次回は60周年?

今度は大学内でなくてもいいので (だって、遠いんだもん・笑) 集まりやすい広い場所で、飲食をしながら、沢山歌うのをぜひ、やりましょう。


 51の 「たきたて」(ご飯シリーズ) にシャッターを頼まれたので押してあげたら、撮ってあげるよ~と言ってくれ



階段下で撮ってもらいました。 (太ってて恥ずかしいですが 



そういえばご飯シリーズの方々(女性)、皆さんスマートになってて、56のタラちゃんなんて 「この方誰?」 思わずこっそり他の人に聞いちゃったほど、いい意味で面影が全くなかったです。(児文研とは思えぬほど・笑、垢抜けておしゃれさんで綺麗でした)

私のがよっぽどご飯シリーズだって・汗。

 坂を上ってきた学生達に目立つようにと、この階段を上り切った場所で、人形劇に使う人形やペープサートを持って、
みんなでギターに合わせて、振り付きのフォークソングを踊ったり歌ったりしながら、派手に新入生歓迎活動 (新歓) をしましたっけ。
(それが恥ずかしかったという人もいたが、自己解放と 「慣れ」 です・笑)

階段上の茶色の建物は当時のまま、階段途中に右手にある大きくて洒落た建物は、新しくできたものです。



 このあと、帰りはタクシーがないため、みんなでだらだら、だらだら20分もの道のりを駅まで歩きました。

途中、懐かしい建物もちらほらありましたが、
大学を背にして左の、30年前は畑や雑木林だったところにも、また右手の丘側にも、家がとにかく増えて、

まるで風景が変わっていました。

途中の 「新百合ヶ丘」 なんて、砂漠みたいで、駅の周りにはナンもなかったですからね、当時は。

しんゆり から 「小田急多摩センター」 行きという一駅だけの電車が出ていて、けっこう乗り換える人が多かったのですが、
こんな砂漠の奥に一体何があるんだろう、と、とても不思議でした。

当時から残っていたのは、大学坂下の 「東和楼」(とうわろう) という中華屋さん、 「かじのや」 という納豆を作る工場、
大学3年くらいの時にできた 「ショップ関」 というパンやお菓子を売る小さなお店、
そして当時、なぜか駅前ではなく、途中から出ていた、「職員と身障者の方 (和光大は身障者の方の入学を広く受け入れてましたので普通の学校より多かったと思います) 優先なので、普通の学生はなるべく歩くように」 と言われていたけれど、自分は歩くのが嫌で度々利用した “10円バス” 乗り場付近に立っていた 「赤荻(あかおぎ)酒店」、 くらいでした。

2年生くらいの時にできた 「甘味や」 さんと、子ども会に来ていた 「あやちゃん」 のお母さんが始めた、ヤギを飼っていたからついた 「ヤギや」 さんはもうなかったです。

当時、サークルの反省会などによく利用した 「黒鳥」(こくちょう) というご兄弟でやっていた喫茶店はもうないということでしたが、経営していた 「斉藤さん」 が名前と場所を変えて、どこかで喫茶店をやられているようでした。

駅前の、安いからよく利用した飲み屋 「万吉(まんきち)」、 喫茶 「野の花」、 お好み焼き屋さん、 喫茶「エメラルド」・・・

なつかしいけど、みんな今はありません。


あ、そういえば、中国在住なので、この日に合わせて二次会にやっと間に合った54A(同期)で文Pのオズ (その後は北海道の彼女の実家に寄るということで忙しい合間を縫っての参加でした。ちなみにご主人はアメリカ人です) が、大学後に進んだ研修科の時に住んでいたと思われる、線路脇の白いアパートがまだあって、

56A、文Pのフランクと、「きゃー、たぶんあれだよ~、残ってたんだぁ~」 と大はしゃぎしましたが・・・      

住んでいた本人がその場にいなかったので・・・正しいかどうかはわかりません。   


 そのあと、鶴川では大人数に対応できる適当な場所がなかったのか、町田まで出て、しかも駅からちょっと歩く居酒屋さんにて2次会、
入る前と出てからもだらだらダラダラしましたが・・・    

2次会も大盛況でした。


その後は3次会、 「お茶組」 と 「飲み組」 に分かれて、

 もちろん   私は飲み組ですが、駅前で軽く飲み、3次会が一番盛り上がったかもです。

参加者は、翌日が月曜日だったので、二次会にも出られなかった人が多かったのですが、3次会はさらに少なく

二次会から来た同期Eの 「はんぺん」(おでん路線)、56A 「フランク」(その美声から)、55Hの 「ビードロ」(長崎出身だから) と56の 「セシル」(男、プリティ路線)夫婦、 55Hの 「てんてん」(女、あちこち引越しをしたということから)、そして52Eの 「とっちり」(写真を撮るのが好きだったから) でした。 
(年は私が54Lですので、それを基準に計算してね・笑)

いやぁ、盛り上がったなぁ。      三次会が一番面白かったかも・笑。

ビードロとセシルはともに長崎出身ですが (全くの偶然で、お互い地元で知っていたわけではない) 結婚して、現在大分県湯布院町に住んでいるので、地震の時は大変だったみたいですが、とにかく無事でほっとしたけれど、
本人たち曰く、「50周年に出てくるまでは死ねない(笑)」 と頑張って飛行機で来てくれました。

現在も風評被害で、旅館業のセシルの痛手は大きいらしいですが・・・(ビードロは保母さん?なので大丈夫と言ってましたが)

4人子供がいて、大学や就職で東京に出てきている子供のところに、初めて泊めてもらうと言ってました。そういう年になりました。

子供が好きだから、ビードロさえよかったら、もっといてもよかったって。   


そういうのを聞くと、私はたぶん、本当の意味で 「子供好き」 なのではないかも、な気がしますが。   

今も、全然子どもと関係のないことをしてます。

まあ、そういう人も結構いますが・・・


 ただし、文学パート出身で今でもちゃんと 「書いている」 のだけが自慢  です。

たぶん、自分一人だけだと思う。

日本児童文学者協会と、信州児童文学会にも入れていただいているし。


確か自分が高校生くらいの時、新聞の質問コーナーに、 「童話作家になるにはどうしたらいいか」 という中高生くらいの読者の投稿があり、 
「童話作家になるためには、日本児童文学者協会と日本児童文芸家協会というのがあり、そこに入れてもらうのも一つの方法です。」 と書いてあり、当時自分の思っていたことと同じだったので切り抜いて大切に取っておいたのですが、

なんとなくそっちの方がカッコ良く聞こえたので、 「いつか自分も日本児童文学者協会に入りたいものだ」  と思ったので、

そういう意味では、子供時代の夢の一つは叶ったわけです。 
( そういえば53のカチンコが勤めていた縁もあったと思うけど、ちゃんと面接もして採用されて、たった一年半でしたが児文協事務局に勤務していたこともありましたっけ。もちろん会員などではない、20代のペーペーの頃のことです。 )

ただし、この協会に属するというのは一つの手段 (方法、肩書みたいなもの) であり、それが最終目的ではないので・・・

そして、自分の本当に書きたい文学は 「特に子ども向けではないのかも」 というのを、何年もかけてですが悟ったので・・・

そういう意味からすると、全然夢はかなっていません。   


大学を出てから、大学を出ても何もならない、むしろそれをことごとく否定せざるをえないような世界で生きてきたので・・・
(そういうことは往々にしてあることなのかもわかりませんが)

また、児文研でそれまでの人生180度くらい変わったけど、また、180度戻ってしまったので・・・   


それでも、

大学の4年間を和光大学で学び、児童文化研究会で過ごせたことは、かけがえのない時間であったと思います。


児文研で得たものは、
それまで個人主義だった自分が、集団の中で生きていく方法みたいなもの、そして  
何物にも負けない、あきらめない、不屈の精神    でしょうか?


その 「不屈の精神」 で、私は今、書いている作品に向かっているところです。




 おまけ・・・ 『賞状ファイル』 より



 大学3年の時に、サークル全体で打った 「児童劇」(2月公演)のポスターチラシ。(フランク:画)
劇パート以外の、全部員がキャストや裏方、台本、演出などをやり、大変だけど面白かったです。

この年(私が3年の時)は、ミヒャエル・エンデ原作の 『モモ』 より 『モモと時間どろぼう』。(モモ=コム)
2年の時は、松谷みよ子原作 『オバケちゃん』。(オバケちゃん=ビードロ)

この劇公演は私が大学1年の時に復活したもので、その年は、斎藤隆介原作 『天の赤馬』。
私は、主役 「ゲン」(男だが、2年生のドキがやる←女)の幼馴染でヒロインの “きよの” 役 を、実委の 「一年生のやる気を買おう」 という熱意だけでやらせてもらいました。

以来、主役はその年の一年生がやっている。




 ならなければ無用の長物ですが、唯一取得した資格でした。

が、今現在では、教員免許というものは10年に一度更新のための試験があるようになり、受けてないので、本物の無用の長物 (というか、有資格者としての効力がない?) になっちゃぃました。

でも、大学4年の時に出身中学でやらせてもらった 「教育実習」 は、大変だったけど楽しかったな。

その感動を後輩たちに伝えたいと思って、サークルに手紙を書いて送ったら、部室に貼ってあったので、可愛い後輩よのぉ~、と喜んで見たら、
ナントちくわが赤ペンで、たくさん 「誤字訂正」 してあったので、ちょー腹が立ちましたったら・笑。
今も昔も、おっちょこちょいというかあわてん坊なので誤字が多いです。 (自称 「誤字の天才」 と呼んでます・笑)



 大学の 「卒業証書」 および 「文学士」 称号認定証です。

「式典をやらない」 ことを一つの売りにしていた大学の、
入学は 「入学登録日」、卒業は、各クラスごとに教室での 「卒業証書授与」 でしたが、手渡されるとき先生に

「あなた方は今日から 『文学士』 です。」 と言われ、

「文学士かぁ~  」 と嬉しかったものです。




 こちらが、大卒証書よりも輝かしい   「卒児連証書」 で、たぶんなんですが、大学4年の3月の全国教育系学生ゼミナールか何か? で、全児連の後輩たちが用意してくれて、開いてくれた 「卒児連式」 にて手渡されました。
全国児童文化連盟は、全国の児文研や教育系学生の集まる会で、大学サークルの全国版。

全国の仲間というのは、短期間しか会わないため、たぶんいいところしか見えないせいもあると思うが
全国の会議に出てくるような人は、各大学でも力のある人が多かったので、皆魅力的で、楽しくて、けっこう全児連の活動に燃えました・笑。

大学2年の時に北海道が会場 (北海道教育大学主催) で、夏の大会が行われた時には、自ら進んで 「文学パート」 の 「議運長」 というものをやらせてもらいました。

仙台に行ったときに、大学サークルで来たときは会議がらみだったのでほとんど観光できず、と書いたのは、この、全児連サ代でのことで、

3か月ごとに開催会場 (大学) が変わっての 「サークル代表者会議」(通称:サ代) があり、夏の 「全国大会」 がありました。

他に全国教育系学生ゼミナールの3月大会と、その関東版の大会が12月にありました。(通称、全関教ゼミで、基本的には全児連とは別組織だったがダブって入っている団体は多かった)

前出のタスケは全児連の会長をしていたので、学生時代全国を飛び回っていて、今また、劇団で全国を飛び回っています。


卒児連式の時、自分が言った言葉は今思うとちょぃ恥ずかしいんですが、ちゃんと覚えていますが・・・いつか、またの機会があればお話ししましょう。

まあ、あの頃の若者特有の、純粋だったり、理想に燃えていた、でも、多分に頭でっかちで、地に足を付けていない学生の空想論にすぎない部分もあったかと、今は思います。

私は、闘士ほどではないけれど、やりだすとのめり込むタチなので・・・   

70年代後半から80年代初め、和光大学ではまだ、学生運動の火がかすかに燃え残っていた頃でした。
( 学生運動といっても60年代にテレビをにぎわしたような過激なものではなく、学生が対社会的な活動をすることを指します。 )


なぜ、今回このようなものを載せてみたかというと・・・

その後の人生で大卒であることが無意味な社会で生きてきたのと、実家に戻ってからは、自分が東京に行っていたことや大学を出たことは、近所の人はみんな知ってるけど、聞かれない限り自分からは絶対に言わないので (個人商店を営んでいるため特にお客様に対してや、近所の人などに対する礼儀と処世術のため。逆の立場だったらそういうことを言う人のことをやだなあと思うだろうから、自分が聞いて嫌だろうことは絶対言わないのです。ここでは、めちゃめちゃ言っちゃってますが・笑。反動 

そうだ、私、大学でてたんだわ、と思い出し、懐かしくなって載せてみることです。    




 10年前2006年に 「児文研40周年」 を開催した時に行かれなかったので、
その数年後の2012年、アルフィーの相模大野コンサートに参加した際に、大学3,4年の時に大野に住んでいたので、相模大野散策と大学探訪をしました。

相模大野は 「都市開発」 により、駅前が全く違う街並になっていて、面影が皆無、
そんなこととは思わず、住んでいたアパートの建っていた番地だけでも控えていけばよかったのに、それをしなかったので (そんなことをしなくても行けばわかると思い込んでいたので)、
せめて番地だけでもわかったら、ああ、この辺に住んでいたんだなって思えたのに、それすらもわからず、大変なショックでした。
     

仕方ないので、荷物を預けておいた宿泊ホテルに取りに戻った際、悔し紛れに
「自分が大学生だった80年初頭にここに住んでいたけど、全く変わってしまって何もわからなかった」 とボヤいてみたら、
偶然にも実家が相模大野だという女性スタッフさんがいて

「ああ、駅前のケーキ屋さんありましたね。ああ、その神社、ありました、ありました。」
などと話が弾み、本当にホッとしたものです。

私は当時からケーキが大好きだったのですが、
駅前にユーハイムともう一軒あり、特にユーハイム (バウムクーヘンが有名ですが、当時は生のケーキも売っていたんですよ。ダークチェリー・トルテとマロンのなんとかトルテというタルトがお気に入りでした) が大好きで、一つだけ買って、小さな紙袋に入れてもらっては帰ったことや、
もう少し歩いたところにも小さな個人でやっているケーキ屋さんがあって、4年のクリスマス頃に頼んでバイトさせてもらったこともありました。

あと、駅構内のオダキューOXでも、ばら売りしていた 「あぜつみ・草ちん」 というヨモギの香りの濃い草もちと、 「レーズンウィッチ」 という、バターたっぷりのクッキーにレーズンクリームがはさんであるのが大好きで、たまにひとつふたつと買って食べていました。

後年になり検索してみたら、『レーズン・ウィッチ』 は、鎌倉の 「巴裡 小川軒」 さんのもので、今でも販売されている銘菓でしたが、 『あぜつみ・草ちん』 というのはわかりませんでした。


アパート近くにあった神社と公園は、卒論が書けなくてしんどい時に行っては、鉄棒やブランコなどをしていました。

あの時初めて 「胃が痛くなる」 という経験をしました。


 相模大野に宿泊し、大野駅前探検をしたのちには、鶴川に行き、一人で大学探訪をしました。

その時に、大学周辺や校内、児文研などをカメラに収め、人物には 「掲載許可」 まで取ったのに・・・
当時、どうやって書こうか思いあぐねているうちに、ついに載せそびれてしまいました。

50周年に参加するにあたり、写真を見返していて、会が終わったら載せようと思っていたのに、戻ってみたらパソコンのフォルダーのどこを探しても見当たらないのです。      

それで二日くらいずっと、写真を探し続けましたが・・・
遂に見つかりませんでした。       

考えられることはただ一つ、右クリックして出るメニューの中の 「名称変更」 を押したつもりが、寝ぼけていて 「削除」 を押してしまったとしか考えられません。

それで、 「ごみ箱」 の中まで一生懸命探したのですが・・・遂にわかりませんでした。

エーン、エーン、エーーーーーン。                     


大ショック 


あのとき、BOXと呼ばれていた部室が、サークル棟の同じ場所にまだあって大変感動したのだけれど、
ドアが閉まっていて 『新入生歓迎会:於○○』 という張り紙が。

向かいのダンス部だという子たちにその場所を聞いて行ってみたら、数人のサークル員が。
自分は児文研OBだと名乗り写真を撮らせてもらい、掲載許可もちゃんともらったのに・・・   

もし、これを読んでいる後輩で、その時にコンパ室 (我々が在学中のそれとは別の場所) のようなところで、新入生歓迎のための 「なべ」 を作っていて、写真に写ったのは自分だ    

という方がいらしたら、ぜひ、名乗り出てください。


あー、惜しいことをしたなぁ。(いつか、もしも見つかったら載せますが・・・)


それにしても・・・

あの頃は、朝、登校すればまず部室に顔を出し、休講が出れば部室で暇をつぶし、お昼休みにも顔を出したり、もちろん放課後も入りびたり・・・
大学へはサークル活動をしに行っていたようなものだったから (でも、大学の授業もちゃんとそれなりには受けてましたよ)、

自分も周りもそんな人が多かったので、BOXに人がいないことなんてまず考えられなかったので・・・
ちょっとだけさみしかったです。


それでも、他大学では、けっこう廃部になっているというのに、
こぉ~んな地味なサークル活動を、細々とでも続けてくれている後輩たちには、とても感謝です。



和光大学児童文化研究会よ、永遠なれ           


今回会えなかった人も含めて、
みなさん、60周年にまた、ぜひお会いしましょうね。     



※ ついでに・・・
学部の編成し直し、増改築により、一部を除きすっかり様変わりしてしまった大学ですが、
当時のことを色濃く伝えているものがあり、私はそれをずっとお伝えしたく思っているのですが、

長くなりますのでまた今度・笑。


テメー、これでも充分なげーぢゃんよ       












  

端午の節句・・・その1.母と道の駅に出かける 

2016年05月06日 | お出かけ、レジャー、イベント等



 4月末から5月の初めにかけての連休中、普段は、ちょード暇なわが店も、ちょっとばかり忙しかったのですが・・・

5月5日は連休最終日で暇になったので、 「端午の節句(子供の日)」 なのですが、母゛を連れて、町内はずれにある道の駅に行ってきました。

午後だったので、残念ながらそばの試食販売などのイベントは終わっていましたが、晴れていたので、珍しく午後なのに 「御嶽山」 が見えました。

やや霞みがかってはっきりとはしていませんが、あのような忌まわしい災害があった事を感じさせないような、穏やかな表情で、ゆったりとたたずんでいます。


我が町で御嶽山の見える場所は “ここだけ”、 しかも、開田高原九蔵峠と比べたら、ほんの少ししか見えないのですが・・・    



このにように、 「木曽町で御嶽山が見える唯一の場所」 というのを売り物? にしています。



こちらは、 「御嶽教木曽大教殿」 (御嶽登拝の安全を祈願するための神殿) 。  



木曽川の対岸に見えます。



みなさん    ここは、観光でたまたま訪れた場所ぢゃぁ、あ~りませんことよ。



ネコタは、こぉ~んな、 山深いところ に 常日頃住んでおる のです。  
びっくりしてください・笑。     

 


子供の日でお天気も良かったので、家族連れでにぎわっていました。

こちらはホースで水を送る “作り物” の 「ミニ水車」 なのですが・・・

子供たちは大喜び。  こんなものでも風情があります・笑。


 田舎者なんですが、σ(^^;)

「道の駅」大好き人間 で、行くと色々買ってしまいます。
( 一番近くてよく利用する、旧隣村の日義(ひよし)の道の駅 「ささりんどう館」 なんて、スタンプカード持ってますもん・笑 )

この日は暑かったので、ソフトクリームを買い、母と二人で分け合って食べました。

母がこの間から食べたがっていた 「五平餅」 も買って、帰りにスーパーで買い物もし、ご機嫌みたいでよかったです。

昨日は 「母の日」 ではなく、一応 「子供の日」 なんですが・・・

まあ、本家帰りするから、大きな子供みたいなもんか・笑。

母は、歩くのは、ゆっくり、ゆっくりで、ちょっと世話も焼けるのですが、こんな風に近場なら出かけられるほど元気になって、嬉しいです。
その前の日には美容院に行ってカットとカラーリングもしてもらい、山んばが人間になった  っと言って大笑いしましたが  私が、 
少し若返ったように見えます。    やっぱり、お婆さんになっても、身だしなみはちゃんとね。    




 木曽名物 「五平(ごへい)餅」 は、小判型にご飯を平たくのばした餅を平らな竹の串に刺して、えごまやクルミの入った甘い味噌をつけて、もともとは囲炉裏で (今は専用の焼き器で) 焼いた、田舎の素朴な餅です。



買ったものは、味噌がほとんどついていなかったので、一つ上の写真右側に写っている 「ごへいもちのたれ」(五平餅の故郷なのでこんなものが農協系列のスーパーで売られているのです。) を塗って、温めて食べました。

美味しかったけど、これ一本で、ちょーお腹いっぱいに。




山村代官御用達の 「黒むしようかん」 は、明日いただきます。




熊本産の 「ズッキーニ」 も売っていました。 くまもんがスイカ持ってます。

熊本では、地震以来活動を自粛していたというホンモノの 「くまもん」(着ぐるみのキャラクター) が、子供の日に復活したという、明るいニュースも。

くまもん、やはり癒されますね。




地元や、上のように全国から届く “農産物が新鮮でお安い” ので、野菜好きとしましては、行くとつぃつぃ、ウハウハもんで色々買っちゃうのですが・・・

本日は大好きなフキ、シイタケ、そして 「乾燥なめこ」 も買いました。



干しシイタケのように水で戻さなくても、このままみそ汁などに入れて、すぐに使えるそうです。

これで1000円、 「お値段もいいですね~」 というと、 「何度も失敗して、やっとここまで創りあげた」、 とおっしゃるので、
ほー、それはすごい、と思って、つぃ、買ってしまいました。珍しいですしね。 


 そういえば、姉が来た翌日(4月19日) にも、姉と母を乗せて3人で、 「三岳(みたけ)の道の駅」 にも行ったんでした。   



その時に姉が買ったので私も試に買ってみた 「信州のお煮かけそば」。  今日のお昼に食べてみました。



8種類もの具材が入っていて、かやくも 「先入れ」、「後入れ」 の二種類。



信州では、七味唐辛子と言えば 「八幡屋磯五郎」(やわたや いそごろう) の七味付き。



お湯が、線よりちょっと少なめだったのでややしょっぱかったですが (だったら足せよってカンジですが・汗。だってぇ、もいちどお湯を沸かすの、メンドーだったんだもん。)       でも、Kは山国なので、つゆの味は濃いめです。

カップめんでこの味、具材の豪華さなら◎。 250円位しますけど、ナットクのお味です。

たぶん、どこの道の駅やS.A.ドライブインやホテル、旅館などにも置いてあると思われますので、

みなさま、信州にお立ち寄りの際は、お土産にぜひどうぞ。   


信州は、これからが 新緑のいい季節 です。    

どうぞ皆さま、 おいでませ信州     




※ その2.へと続く・・・









仙台に行ってきました!! その2. 急ぎ足・観光編

2016年05月04日 | お出かけ、レジャー、イベント等



中島君の取材は、仙台市内某イタリアンのお店で。

ふと見ると、 
ウフィツィ美術館収蔵の 「リュートを奏でる天使」(1518年 ロッソ・フィオレンティーノ製作・複製画) が飾ってあり、

この絵を見たタカミーが、これはギターになるなと思い、最初の “エンジェル・ギター” が生まれたということから・・・

タカミー誕生日の翌日だったので、何か運命的なものを感じてパチリ。


なぁ~んてね、チェーン店だから、系列店のどこにでも飾ってあるのかもですが。    


取材は中島君の仕事の、お昼休みを利用してだったので一時間で終わり、帰りの電車は、調べたところ14時半くらいのものと17時半くらいのとあって、14時半の方が接続がよかったので、何とかそれに乗って帰りたいものだと思い・・・
( 17時までいてあちこち見て歩く元気もなかったし、今回は一泊だったので私が頼んだわけではなく、本当に全くの偶然、たまたま18日の昼からから2泊3日で姉が実家に来ることになっていたので、早めに帰りたかったというのもある。  ) 

もう時間がないから、お土産だけ買って帰ろうかな、とよほど思ったが、

とりあえずホテルを出るときに、フロントで観光名所をいくつか聞いてきたのと




そして仙台、
たぶん30年ほど前の大学時代に一度行ったきり、しかも、サークルの会議で行ったのでほとんど観光してこれなかったので
( その時、東京では咲き終わっていたバラが6月に咲いていて、たしか広瀬川もチラと見て、若葉の季節だったので気持ちのよい街だなぁ~と思って感動したのは覚えていますが。 )

次にいつ来られるかわからない    
とりあえず、名所だけは行っとかなくっちゃ      


との思いで、駅前からタクシーを拾って、

「14時半の新幹線で帰りたいので、1時間で伊達正宗の銅像のある所とお墓? のある所を回って戻ってこれますか?」

と聞くと、なんとか間に合わせましょう    

と言ってくれたので・・・(その時の時刻は13時10分くらいだったと思う)

貸し切りなのでちょっとお高かったが、背に腹は代えられないと思ってお願いすることにしました。 


 


有名な伊達正宗の銅像がある場所は、 「仙台城址(青葉城址)公園」 内にあります。

見晴らしのよい高台で、仙台の街並みが見下ろせ、遠く、海岸も見えます。

タクシーの運転手さんが案内してくれて、津波のあったときのことなどを少し、話してくれました。




市街地を見下ろす、有名な 「伊達正宗公騎馬像」。



大河ドラマ 『独眼竜正宗』(1987年) の時には、道が1本建設されるほどの、大変なにぎわいだったといいます。

ネコタも、途中までは見てました。(なぜ途中から観なくなったかは、いつか書きます)

藤間 遼太のあどけない名セリフ、 「梵天丸(正宗の幼名)も、かくありたい。」

流行りましたね。




戦没者の 「忠魂碑」。



写真左上のように、塔の上に 「鳶」 がいたらしいのですが、東日本大震災の時にとれてしまい、そのままになっているそうです。

右の写真は、その 「鳶」 の姿です。 羽もリアルな荘厳な作りみたいです。




公園のわきには宮城県護国神社があり、ここからは運転手さんとは別行動で、私だけお参り。



熊本、九州地方の余震が早く収まりますように、東日本大震災の未だ復興途中な場所の復興が早くされますように、と祈りを込めて

そして、自分の電子書籍や取材がうまく行きますようにとの願いも込めて、手を合わせました。


ご朱印帳を持参し忘れたので、ご朱印の紙をいただいて (その場で書いてもらうよりも時間的には早い)、



時間がないから迷ったけど、 “性分なので・笑” ついでにやっぱり 「お守り」 も買って、



お守りは左の袋に入っています。(中身は秘密)   右は駅で買った、仙台のご当地ティーちゃん。

ほんとは 「おみくじ」 も引きたかったけど、 “時間がないから” ガマン・笑。




隣りの、 「青葉城下銘店館」 には、 「仙台七夕祭り」 の吹き流しが飾られていました。

逆光でうまく撮れず、残念。  中のトイレを借りて、タクシーに戻ります。



その後、城址公園の反対側の小山にあるという 「瑞鳳殿」 へと向かいます。 

                                                                     仙台藩祖伊達政宗を祀る霊廟(れいびょう)、伊達政宗公が眠る霊屋(たまや・死者の霊魂を祭ってある堂) とあるので、お墓みたいなものといってもいいでしょう。
 



こんな石段を登って行きます。 

ハァハァ、ゼィゼィ・・・       




ここから先は、入館料を払わないと進めません、と書いてありましたが



外から写真だけ撮らせていただいてしまいました。   

二代忠宗廟 「感仙殿」。   桃山建築 (復元) の煌びやかな建物です。
もちろん、中は、ホントは見たかったのですが、時間がなかったので泣く泣く断念。   

三代綱宗廟「善応殿」 は、その左隣にあるようです。




こちらも、外から遠巻きに眺めるだけ。   



こちらが入口ですね。   左上の白い建物は、おそらく 「瑞鳳殿資料館 」。




帰りは反対側の石段を下りていきます。

降りきったところで振り返ってパチリ。

心が落ち着き、魂が洗われ、よい気をいっぱい吸い込めるような、こういう場所はやっぱり好きです。   

ほんの少しでも、立ち寄れてよかったです。


そして、私のたっての希望で、 「広瀬川」 の見えるところに。



さとう宗幸(むねゆき)の唄う 『青葉城恋唄』 (1978年、星間船一作詞、さとう宗幸作曲) は、
仙台の街の美しい情景と切ない恋情を綴った詞が、さとうの優しい歌声とメロディーにのって、人々の心に響いて大ヒットした曲。

この曲が 「広瀬川」 や 「青葉城」 を全国に広めたと言っても過言ではないと思います。

井上ひさしの 『青葉繁れる』(1973年、文藝春秋刊)
(1974年4月5日~5月31日までTBSにてテレビドラマ化、同年9月21日に岡本喜八監督によって映画化) も、
仙台を舞台にした小説として有名で、当時話題作だったのと、友人が面白いと言っていたので自分も読んでみた記憶があります。

いずれも、私の中学から高校にかけてのころです。



美しい川面です。



橋の欄干。 




片側4車線ある、仙台市内のメインストリート。

ここで 「東北楽天ゴールデンイーグルス」 の日本一優勝パレード (2013年) や、 
荒川静香 (2006年トリノオリンピック) や 羽生結弦 (2014年ソチオリンピック) の金メダル獲得凱旋パレード などが行われたそうです。 




このあたりが、仙台市内で最も地価が高いところだそうです。


その他にも、
「ここは地震で壊れた後にホテルになったところです」
などと、運転手さんが乗りながらあちこち解説してくれたので、一人バスに乗っているよりは色んなことがよくわかってよかったです。

地震の時は自分もびっくりした、というお話をされていました。


震災から5年、仙台の市内は、今行って見てもその爪痕をほとんど感じさせず、都市部の復興の速さには目を見張ります。

一方テレビに映し出される未だ復興が進まない場所や仮設住宅、原子力発電など、
5年という歳月を経てもなお、震災の爪痕を色濃く残していることを忘れてはいけないと思いました。

特に、被害に遭われた方々の心の傷は一生癒えることはないのだということを、私たちは忘れてはなりません。



ほぼ一時間後の、14時ちょぃ過ぎくらいに仙台駅前に戻ってこれました。   

個人タクシーなので、毎日午後3時くらいまでしか仕事しないから、本日はこれで終わり、と言っていた年金暮らしのおとーさん、
「しめしめ、今日はいいカモが来たわぃ。」 と、私のタクシー代で、一時間で一日分? 稼いで、また、パチンコ行くのかな。   

と、ちょっとだけ思いましたが・・・

頑張って一時間で回ってくれて、どうもありがとうございました。

お土産も買えて、余はマンゾクじゃぁ~・笑。     





東北新幹線の帰り道。


買ってきたお土産の数々。



「牛タン」 の練り込んである名物 「笹かまぼこ」。   初めて食べてみましたが、おいしかったです。



仙台、山形銘菓 「ずんだ餅」 と 「萩の月」。



生の 「粒 ずんだ(枝豆)餡」、 がおいしいです。



やわらか、しっとりのスポンジの中にはカスタードクリームがたっぷり。




仙台と言えば 「牛タン」



厚切りなのに柔らかく、炭火焼の香りが とってぇーーーーもっ  美味しかったです。    

二段式のトレイの下は 「麦入りごはん」 で、牛タンの他のおかずも、左から牛肉の時雨煮(そぼろ)、しそ巻、南蛮味噌漬けなど、見た目は地味だけど、中身は高級。

自宅と親の家と2軒分買って帰りました。




「名物にうまいものなし」、とか言うけれど、これは掛け値なしでおいしかったなぁ~、
駅弁ではなく、ちゃんとしたお店のっぽいのを買ってきて大正解だったなぁ~    

と思ってよく見たら・・・

観光マップの裏にも載っている、有名なお店みたいですね。


これで、帰りも運よく、東京駅から松本直行のあずさに乗れたので、8時半くらいには家に帰ってこれました。

そして、ちょうど東京の姉が来ていたので、お土産もみんなで楽しめました。
( この日は仙台から戻ったばかりだったので、私は自宅で夫やネコと晩御飯を食べ、翌日は実家にてみんなで夕飯を食べました。 )


仙台、遠かったけど・・・
(特に行きは強風停車のため70分も余計にかかっちゃったけど)

そして、ちょー駆け足の観光巡りでしたが、

行ってこれて楽しかったです      


これも、タカミーのお陰かな     


美しい杜の都。

またいつか、ゆっくり行ってこられるといいなと思います。    
                                                                                                                                                   




 おまけ




最初に 「ご朱印帳」 を作ったのは、地元、善光寺さんにて。  赤いカバーが可愛い、やや小ぶりのものです。



お参りしたのは、この年の秋ツアー、長野アルコンの日でした。




こちらは、それから約一か月後、かなけんコンサートの翌日、鎌倉へ行ったとき、ご朱印帳を持参し忘れたため、 「鎌倉大仏殿」 にて購入しました。(左)   



(右)  比べると、善光寺のものが小さめなのがわかります。




右から 「高徳院」(大仏殿のある寺)、「長谷寺」、「鶴岡八幡宮」 です。




このように、 「ご朱印紙」 を購入した場合は、あとから “ご朱印帳” に貼っておきます。

鶴岡八幡宮も、宮城県護国神社もたまたま時間のない時だったので、ご朱印帳に直接書いてもらう (その方がありがたみはありますが) より、
あらかじめ用意された、ご朱印の押してある紙に日付だけ入れてもらう方が、時間的には早く済みます。



以前にも載せたかどうかは忘れましたが・笑

ご朱印帳に沢山ご朱印をいただいて、埋めていくのが夢です。


見ているだけで歴史の重みを感じ、なんだかご利益がありそうだと思いませんか?














姪の結婚式

2015年11月04日 | お出かけ、レジャー、イベント等
東京に住んでいる姉の下の姪Mの結婚式が

11月3日、横浜桜木町の 「伊勢山ヒルズ」(なぁんてトコがあったんですねぇ~) の、とあるチャペル&式場であり、

ネコタ家を代表して夫と二人で行ってきました。

前日は降ったり曇ったりでしたが、当日はお天気も良く、清々しい、さわやかな、まさに結婚式日和。   



最初に記念写真を撮るということで、新郎新婦は既に入場していて、チャペルに入った途端にMが私を見つけて嬉しそうに手を振ってくれ、途端に緊張がほぐれました。

なんでも、お式の出欠葉書に 「本当におめでとう、嬉しい、喜んで参加させてもらうね」 などというようなメッセージを沢山書いて投函していたので、Mがすごく喜んでくれたのだそうな。

その後二人は退場し、親族紹介。


チャペルは、祭壇のある前面がガラス張りになっていて、明るい陽の光を浴びた外の景色が輝いていて、本当にきれいでした。

その中を真っ白なタキシードに身を包んだ新郎がさっそうと登場。

入籍後、Kにあいさつに来てくれた時一度だけ会っており、その時からイケメンだとは思っていたが、式用のメイクをしたのだろう、一段と男前になっていて、
なんつーかまるで、TVに出てくる、まさしく “スター” のよう。  

よくぞまぁ、こんないい男が (おまけに人柄もよさそう) この年まで残っていたものよ、
と、失礼ながら心底? 感心してしまった。

それよりもびっくりしたのは、新婦が入口のところで最後の身だしなみチェックを母親(姉) から受け送り出されるシーンで、

やっとここまで来たか・・・とジーンとしてしまい、涙が出てしまった。

その後Mが、父(義兄) に手を引かれ、ウエディングドレスの裾を、上の姪の長女R に持ってもらってゆっくり入場してくる姿を見てまた涙。

壇上で神父様のお導きによって厳かに式が進む中で、本当に感極まって何度も号泣? してしまい・・・     

まさかこんなに泣くとは全く思ってなく、実に明るく気楽に参加していたから、我ながらビックリ。   


上の姪のYは、どちらかというと手のかからない子だったが、Mは下の子らしく、我がままだったり、行動が奇抜なところがあり、時にハラハラドキドキしながら見守ってきたものである。

でも、人懐っこくて愛嬌があり、表情や感情が豊か。

Uはたった一人で来たことは一度もなかったが、Mは一人だけでKに遊びに来て長く泊まったことも数回あり、
おばちゃん(私)も Kのじーじ も、もちろん、姪は二人とも可愛いし大好きなのだが、とりわけMを一段と可愛がっていたように思う。
 
大学受験のあたりから心配させられるところがちょっとあったものだが、卒業してもフリーターで、色々と案じていたところ持病があることがわかり、両親、特に姉はとても苦労して育てたと思う。

私は聞くだけで、それほど多くを知らないで来たが、本当に大変だったと思う。


このたび、それをすべて受け入れて、共に歩んで行ってくれる誠実なKさん (Mより11歳上で41歳だという) と知り合い、共に歩んでいくこととなり、本当によかったと思う。

お父さん子なので、このくらい年上でちょうどいいのだろうと思う。


厳かに式が終わり・・・



チャペルの外でライスシャワーの祝福を受ける二人。

    
上の姪の長女Rは終始ご機嫌    上の姪のY、次女のY2は赤ちゃんだけどお花をつけておめかし。




N家側の参加者親族全員。 
父方の祖母、両親、Yの一家、父の弟夫婦、母の妹夫婦(私たち)だけの、こじんまりとしたお式です。
弟にも妹にも子がないため、姪姉妹には本当に可愛そうなことだが、従兄弟というものがいない。
なのでKさんにはいると思うが、バランスを考えて呼ばなかったようだ。



ライスシャワーの後は場所を移してお食事会。     

移動の渡り廊下は、屋根つきの外廊下なので浜風が強く、丘の上の式場なので、遠く、おなじみ、コンチネンタルホテルやコスモワールドの観覧車が見え、なんだか懐かしい気分に。    

残念ながら海は見えませんでしたが、ロケーションもバツグンでした。   


職場関係や友人も呼ばない、両家二テーブルのみの、親族だけのパーティーだったので、長い祝辞や余興もなく、暖かく和やかに進みました。

      ケーキカット 


2人のところへ挨拶に      テーブルごとにお礼に来た二人と一緒のテーブルのメンバー

式の前に二人に宛てメッセージカードを書いて提出したのですが、途中それを新郎のお兄様が披露する場面があり、
だれが選んだのか、私のメッセージが読まれてびっくり。   
でも、残念なことに、名前は読まれなかったです。(せっかくだから言ってほしかったのにぃ~・笑)

あと、メッセージカードで 「初めてのデートはどこですか? 二人で行ったところで一番良かったのはどこですか?」 という質問があり、
実はこれを書いたのは新郎のお父様で、息子は何を聞いても一言もしゃべらないので、この際だから聞いてみた、とのことで、

お父様の質問に笑いが起き、やっと質問に答えた二人を前に、その場が和やかになったので、その時の司会のお兄様から、
「この際なので、二人に質問はないですか?」 とマイクを向けられ、ここは盛り上げたほうがいいのよね? と思ったのだが、とっさなので思いつかず辞退してしまい、
その後マイクを向けられたN家の人たちは、見たところ新郎のS家ほど陽気ではないらしく? それ以上続かなくて・・・、

あとから、一息ついてでも質問をすれば、その後出てきたかもしれないのに、とか、
ああ、あれを聞けばよかったな、こんな些細な質問でもきっと盛り上がったかもしれないのに・・・
などと、残念なことしきりに。    

どうせなら、メッセージカードに 「質問コーナー」 も載せてあればよかったのに、と思ったりしました。

( 余談ですが、お父様もロマンスグレーの男前でしたね。新郎のお歳からして、S家のほうが、同じ立場の人を比べると全体的に年齢が上でした。 )
  
 

お食事は、どれも洒落ていて、お味も、おソースも込みでとってもおいしかったです。
( 普通は、お式や食べるのに夢中でついとり忘れるのですが、義兄にカメラを頼まれたため、使命感から、ものすごぉーく、熱心に撮りまくりました。ついでに自分のスマホでもパチリ。 )

    
前菜とスープ             サザエのパイ包み、炎付き     パンとお魚料理    

    
口直しのソルベ           ローストビーフ        松茸ご飯と松茸の吸い物

ローストビーフは会場外で切り分ける前に、ブランデーでフランベして炎を上げるというパフォーマンス付きで、面白かったです。わさぴソースがさっぱりとしてお代りもあり、大満足のおいしさ。

  
マカロンとアイスデザート   ウエディングケーキ   




クライマックスには、二人のちびっこから新郎新婦に花束の贈呈。

新郎の妹の長男Sくんと新婦の姉の長女R。
2人とも4歳の同い年なのだが、Rのほうが8カ月お姉さんで、背も高く、向こうは四国から来たのに対してこちらはテリトリー内で、しかも女の子はおしゃまさんなので・・・、

この日、よそゆきのお洋服を着て、お子様ランチのごちそうを食べ、結婚式などという楽しくて晴れがましい行事 (ドレスの裾もち、ライスシャワー、出席者に独身女性がいないことからブーケトスの貰い手、最後の花束渡しなど役が沢山あったし、ケーキの食べさせ合いなど子どもウケしたと思う) に、ちょーゴキゲンではしゃぎまくっていたRは、すっかりSくんを取り仕切ってお姉さん気取り(笑)。
子供を飽きさせないようにと、式場から途中で絵本のプレゼントまであって読みあったり、最後にはすっかり仲良しになって楽しそうでした。
Sくん、おじちゃんに似て目がくりっとして、まぁ、可愛らしいお顔立ちのお坊ちゃんでした・笑。
( 妹はKさんにそっくり、他にKさんとはあまり似てないかな? 結婚20年になるというお兄様には、中学と小学校高学年くらいの男の子の二人がいました。 )

( 次女で8ヶ月のU2は、洒落た器に離乳食が盛られたものが出て、揺らせるベッドにも早変わりするベビーチェアーの上で、途中ぐっすりおねんね。あまりぐずることもなく、いい子で参列していました。 )


このあと、お決まりの新婦のMから両親へ宛てた手紙を読んで、二人からそれぞれの両親への花束贈呈があり、とても感動的でした。


バイクという共通の趣味で知り合ったという二人。 
( Mは病気になる前は自動二輪の免許を持つライダーで、連絡なしでいきなりバイクでKに来た時には、そりゃあびっくりしましたっけ。今は運転を控えているそうでほっとしてますが。 )

新郎の実家は神奈川県で、Kさんの仕事の関係から新居は横浜になりました。
( 妹さんは、ご主人の郷里なのか、仕事の関係なのか、現在は四国にいるということですね。 )

持病があり、定期的に医者に通っているので、姉たちは本当は都内の、Mの実家近くに住まわせたかったようですが、離れてしまったのでちょっと心配なようです。

そういう意味でも、これからも色々と大変なのかもわかりませんが、
とにもかくにも、こうやってよき日を迎えられ、本当に良かったと思います。


2人の前途に幸多かれと祈らずにはいられません。


それにしても・・・

夫と二人で出かけたのは変な話、2013年初夏の義父のお葬式の時以来。
その後も、地域の習わしで近所の葬式の手伝いなどでたびたび駆り出されるため、

結婚式っていいな~、と心の底から思いましたね。       


あとね、やっぱり子供がいると大騒ぎして、お相手とか疲れるけど、
「子供」 って未来が沢山あって、存在自体が明るいですからねー。

普段、家族は中年と年寄りばかりで、店に来る客もご近所も年寄りばかりだと、
なぁ~んとなく、茶色やグレーの世界 (笑) ってカンジなんですが・・・    
( おまけに人自体が少なくてうら寂しい山の中だし・笑。 )

子供がいると、色彩が明るい黄色やオレンジ、ピンクのような華やかな気分になりますね。


久しぶりのお出かけだったので、行く前から留守中の猫の心配、その他準備などでちょー疲れたけど、

帰ってみたら、二人ともいい子でお留守番してたみたいだし (ソラチのおしっこも順調に出てるし)


行きのバスは午後の便だったので、夫と遅いお昼の弁当食べながらビールを飲み、
桜木町の式場近くのホテルを取ったのだが (普通のシティーホテルなのに珍しく大、中浴場が地下にあるホテルを見つけたので)、夫は着くなり風呂に行き (私は食事から戻ってからシャワーで済ませた)

食事は表に出て久しぶりに居酒屋で、二人にしては珍しく、驚くほどたくさん食べ、そして飲み (居酒屋、大好き Kにいたら、仕事の関係や休みのないことなどから、二人で居酒屋にも行けないので)

朝は一人で泊まるときはコンビニのサンドイッチやファストフードで済ませるのだが、ホテルのバイキングを楽しみ、
時間があったので、地下の浴場で朝風呂して、風呂入ったらビールでしょ、ってんで式の前なのに朝から缶ビールを飲み、(その代り結婚式中はさすがにあまり飲めなかったが・笑)

あまりにも疲れたので式の後にみんなでお茶するというのを、私たちは辞退して新宿に早々戻ったので、京王のグルメパークの中華レストランで軽く食べながらまた飲み、
帰りの高速バスでも飲んで、と、   

とにかく、飲みまくった二日間でした。    

あはは・・・


そーゆー意味でも    一応夫婦ですしね、たまには二人で外出もいいかもね~。

人に合わせるのが本心では苦手なので、干渉もしない、独りが気楽な、わが道をゆく  O型同士夫婦なので・・・、 

たまにはね・笑。


と、ゆーのも、

行きのバスこそは、やっとここまで来てちゃんと乗れた安堵感、
久しぶりの二人での外出に、ちょぃウキウキ気分だったものの・・・

新宿着いたあたりから、道中、いつものごとく、多々喧嘩? しましたし、
( 私が夫の言動に対して一方的に腹を立ててたのだが、いちいち書いてる時間もなし、また長くなるので、そんなことにエネルギーを費やす気力もなし、なのでこのたびは省略しますが )

二日間ずっと一緒だったため、
帰りのバスん中では、イスに足を上げたり、両腕を頭の後ろで組みながら寝たり、人のこと考えずに人の方まではみ出して座ってるので、

ちょーーーードタマきて、肘で小突いてやったが直さず、私が迷惑してることにも気づいてない夫が
ちょーーーーウザくなってきたんで、      

( 高速バス、いつも空(す)いてるので、空(あ)いてる通路反対側の席に一人移動してもよかったんだけど、一応隣にいましたよ。バスの中だから、チューイするのも気が引けて怒れず。 )

二人いっしょは、このくらいが限度かもぉ~~~     





引き出物は、お洒落で可愛い式場レストランのプチ焼き菓子と、

   

ウエッジウッドのワイングラスでした。

ハートの模様に、クリスタルガラスのストーンが埋め込まれていて、お洒落かつ可愛らしいもので、大切に使わせていただきますね。



ちなみに・・・



2007年4月15日に結婚した上の姪の時には、ラベルに 「猫田○○様」 と一人一人の名前を入れ、
その下に 「 H & U ・ 2007.4.15 」 と記載されたシャンペンのハーフボトル (金箔入り)。 
空になっても、もったいなくて捨てられず、とってあります。



それから、ウエッジウッド 「ワイルドストロベリー」 の盛り皿でした。


お皿は模様のない方が好きなのだけど、「ミントン」 だけは柄が好きでいくつか持っているのですが・・・、
こちらは、Uたちのお祝いの品だと思うと、大切に使っています。

あの時も、やはり夫と二人で行って、せっかく代官山のオサレなハウスウエディングだったのに、
そして、お料理も今回のもよかったけどプラスしたくらいいちだんとよく、ケーキもウエディングだけでなくいろんなのが取り放題など豪華版だったけど・・・

自分は具合の悪いときまっ最中で、
行ったはいいけれど、職場、友人、恩師など招待客も多く、したがって長いスピーチ、友人の余興などがやたら長く感じて、
ああ、結婚式ってもはや、自分たち世代から子供たち世代のものになったのね、なんて思いながら (自分たちの遅い結婚式の後に出たのが、実に姪のUの結婚式だったのでなおさら)
体調のせいもあって式の間中しんどくてたまらなかったけど、
今回は元気に行ってこれてよかったです。    


そういえば、UのダンナのH君に、前から疑問に思っていたことを今回会った時に聞いてみたら・・・
立場的には自分がお義兄さんなんだけど、十近く年齢が上なので、H君はKさんのことを、くんではなくKさんと呼び、
KさんもH君のことをお義兄さんと呼んだことはなくて、H君と呼ぶそうです。

そして不思議なことに、UのダンナはH「君」 と呼ぶのに (UがH君のことを呼び捨てにしているせいなのか姉たちまでナント呼び捨てにしてるよ~。私はさすがに君付けですが)、
Mがそう呼んでいるからなのか、姉や私までが、Kさんのことは義理の甥や息子にあたるうんと年下なのに、さん付けで呼んでしまうのです・・・。

なぜだか、ふしぎ。



さておき、
Mの結婚式と、それに合わせたお出かけという 一大行事 が終わってやれやれ ・・・    

ちょーちかれたケド、でも、

日常生活のしがらみや何やかやからもしばし離れて、リフレッシュ   できたので・・・
( やっぱ、都会は華やかでいいなぁ~。  たまに行くから思うのかもしれませんけど。 )


さあ   明日からまた、頑張らねば          








 








江ノ電に乗って 『いざ、鎌倉!』 ~ 鎌倉文学館、鶴岡八幡宮編 ~

2014年12月23日 | お出かけ、レジャー、イベント等
長谷寺参りでめったに出ない 「大吉」 を当て、足取りもココロも軽くなった猫田さんは   るんるん

さいしょ予定にはなかったのだが、同じ長谷駅下車の近くに 「鎌倉文学館」 なるものがあるらしいと知り、
時間はたっぷりあることだし、せっかくだから寄ってみることにした。

ホラ、やっぱね、自称 σ(^^;) モノカキ、モノカキ…

文学館、寄らなくっちゃ    


てんで、今度は、長谷寺と反対方向にひたすら歩く。

途中、相模湾名物 「しらすネギトロ丼」 の看板があちこちに。

・・・おいしそう。

ちょうどお昼時。時間はあるから、食べちゃおうかな、とも思ったが、

ついでにビール 飲んでるとすっかり腰を落ち着かせてしまう恐れがある。
( 前日の “うにパスタランチ” がいい例  危うく2杯飲みそうになったのを心を鬼にしてやめておいたのだ。 )

この後、ナオミと会うことになっているので、その時に一緒に食べよう! そのほうが時間の節約 

ってんで、 「しらすネギトロ丼」 を心に残しつつも、またひたすら歩く。  


 閑静な住宅街の奥の方に、それはありました。



石畳の小道を上っていきます。



都会の喧騒を忘れるかのような場所で、前田家別邸だったころの門は今は閉ざされています。



通用門を抜け・・・



トンネルをくぐると



そこは別世界   



旧前田侯爵家の鎌倉別邸 (1890年頃に建築、1910年(明治43年)に火事により消失したが1936年(昭和11年)に洋風に全面改築) を鎌倉市に寄贈されたものを利用しているとのことで、国の登録有形文化財だそうです。

靴を脱いで上がるのですが、資料室として利用されている室内は静かでゆったりとした別の時間が流れているようで、とても居心地がよく、

ここ、鎌倉の地を愛して居を構えていたという多くの文豪たちの面影を、
直筆の原稿や書物、写真、添え書きの資料などを読みながら辿っていると・・・

つぃ説明文などを読みふけっちゃって、時間のたつのを忘れてしまいそう・・・。  

趣のある当時の本や、作家の手書き原稿や筆の短冊などを見ていると、

自分のやろうとしていること、 「電子書籍」 が、いかに味気ないものか、と思い知らされます。

「電子書籍」 は、なかなか出版物にはならないので、苦肉の策として考えたものとはいえ、

やはり、手書きのもの、本当の書物にはかなわない。

( とはいえ、30年近くもワープロ(現在はPCのワード)で原稿や文字を打つことに慣れすぎている私には、いまさら “手書き” になんて戻れっこないのだが。
てか、ワード以外で文章を書くなんて、今の私には、うっそぉ~   信じらんなぁーーーいっ  ですが。   )


それでも、私は 「本」という形態を愛しているので・・・

ゆっくりじっくり見ていると、本当に興味深く、楽しかったです。

大学時代に取っていたプロゼミ&ゼミの 『義経(ぎけい)記』 も、 『平家物語』 も、ここ、鎌倉の地で書かれたと知り、
何だか自分にとっての懐かしいものが、急に目の前に現れた感じでした。


そういえば、我が郷土の産んだ文豪、島崎藤村も最後は鎌倉に住んでいたのですよね。

馬籠(まごめ)にある “藤村記念館” には、彼の絶筆の場ともなった 「鎌倉の書斎」 と同じものが再現されている場所があるんです。

文人たちが始めた貸本屋 『鎌倉文庫』 や、「鎌倉カーニバル」 など、この地を愛してやまなかった文人たちの足跡がしのばれます。


一通り見てからもう一度、入り口付近にあった 「文人たちの居住区域を示した地図」 を見てみます。

高浜虚子は、長谷のお隣、由比ガ浜に住んでいたようでした。

祖父母が鎌倉に住んでいた時、近くに高浜虚子の家があり、祖父が年賀状か何かを出したところ返事が来た、というのを聞いた事があります。

Kに移り住んでからも出したことがあったのですが、その時は返事がもらえなかったそうです。

その話を聞いたときに地図で調べたら、虚子の句碑が 「材木座」 という所にあるらしいと分かったので、

祖父母は、もしかしたら材木座に住んでいたのかなぁーと思ったものでしたが・・・

句碑と居住区域は違うかもしれないので、祖父母の住んでいたところは由比ガ浜の近くかもしれません。  


そう思ったら急に、今度は是非、由比ガ浜を散策してみよう   と思いました。

長谷に来たついでに、と寄ったに過ぎない 「鎌倉文学館」 でしたが、思わぬところで “魂の故郷(ふるさと)” に出逢えたような気分でした。




思わず買ってしまった、文学館資料。 
左上は、文学館建物のしおりで、ステンドグラス風になっています。




地下の方で、鎌倉の地と、酒と食を愛した “ 無頓派作家” 山崎方代(やまざき・ほうだい)展をやっていたのでそちらものぞいてみましたが、なかなか良くて、句や味のある書などに読みふけってしまいました。





こんな風に俗世間や欲を捨て、気ままに、自由に生きられたらいいなぁと思いつつ、あらゆる誘惑、物欲に勝てない私には、

ずぇってームリだとも思い・・・   



庭からは、やはり遠く相模湾が望めるのでした。

今度は、バラの季節に来てみたいです。 庭園の薔薇は、とても見事だそうです。



文学館が居心地がよくて、思いのほか時間を費やしてしまったので、
よほど予定にあった 「鶴岡八幡宮」(鎌倉) へは寄るのは、今回はやめようか・・・

とも思ったのですが、次にいつ来られるかわからないので、イチかバチか、で、行ってみました。

 「鶴岡八幡宮」 は、源頼義が奥州平定ののち鎌倉入りをした後に建てられた八幡宮がもとで、その後頼朝の手によって整えられ、全国に八幡宮(八幡神社)を設置することとなった、いわば源氏の守り神。



大学に入った年にサークルの同期の仲間と遊びに、そして4年の時 「万葉集ゼミ」 の卒業旅行 (若かったので、北鎌倉をひたすら歩くお寺巡りでした) で 、それぞれ鎌倉に来たときに尋ねているので、今度で3回目ですが、

とにかく、新宿5時20分発の高速バスに乗って帰るために、

新宿までは定期があるという親友のナオミが、所用の合間を縫って途中T駅で乗車し、車中新宿まで付き合ってくれるということだったので、
新宿ランチの時間もほしいし、鎌倉駅に着いた時点で帰りの電車を調べ、この、3時9分発の湘南新宿ライナーに乗ろう!!(あとで3時12分初であると分かったが)と、ゆーんで

「鶴岡八幡宮」 まで最短距離、と銘打たれた仲見世のような商店街を、
ほんとはゆっくりお店を覗きながら歩きたいのを我慢して、鎌倉散策でごった返す人々のあいだをかきわけ、かきわけ、
文字通り “飛ぶように” 超特急で歩き、     

驚異の     参拝も済ませての往復で確か45分くらいで行って来ました。 






台風で折れた 鶴岡八幡宮名物の 「大イチョウ」 





この場所にあったころの 「大イチョウ」。
ゼミ旅行の時、この麓でみんなでふざけた面白い写真を撮りました。



たぶん、ですが、こちらが、移築再建された大イチョウ? (別物かも)



参拝殿 (本宮) は、さらにこの上にあるのです。    うえ~。

大急ぎで参って・・・ 境内でまたまたお守りなどを買い、



鎌倉といえば 「鳩サブレー」 でしょ   を買って、またまた、人をかき分けながら、飛ぶように来た道を戻り、  


なんとか、決めた時間の電車に間に合ったのです・・・  ヤッタァ~ 

しかし、ぐったり、ゼィゼィ・・・ 

途中、地元っ子のナオミがT駅で乗車してくれて、新宿までおしゃべりしながら電車に乗り・・・

新宿で小一時間ほどあったので、ナオミに付き合ってもらって、おそぉ~いランチを夕方に食べて、無事、5時20分発の高速バスに乗り帰路につきました。

ああ、 途中ゆっくりしすぎて、最後にちょー忙しかったケド      いつものパターンか・笑


「癒しと再生」 を求めて一人で巡った

鎌倉、 楽しくて、サイコーに いい旅でした。     




今回の “ショート・トリップ” で行ったところ。



「大吉」 の出たおみくじ、つぃ沢山買ってしまったお守りの数々(中身はヒミツ・袋だけにしておいてね 



長谷寺 「千手観音・お姿写真」 や、ありがたいお札など。(こちらも中身はヒミツです 



ご朱印帳を家に忘れてきてしまったので、記念の意味も込めて、大仏殿で新たに購入しました。



右から、「鎌倉大仏」の朱印、高徳院、長谷寺、鶴岡八幡宮 です。



こちらは、長野アルコンの際に善光寺参りした時に買ったご朱印帳と、善光寺さんのご朱印。
( 地元の人は、親しみと敬意を込めて “善光寺さん” と呼ぶのです )

この2冊が埋まるくらいに、沢山のお寺を訪ねてみたいです。

そのうちにゆっくりと、少しづつ・・・



 祖父母の住んでいたところや、高浜虚子とのことはうろ覚えだったので戻ってから、母に詳しいことを聞き直そうと思ったところ、

「どうだったかな、 興味がないから忘れた・・・」    

ですと。


そうね、そんなものかも・・・。  


でも、 わが心(魂)のルーツを求め いつかゼッタイに由比ガ浜探索、するぞぉ~~~     

名物 「しらすネギトロ丼」 も、今度は食べなくっちゃ     









江ノ電に乗って 『いざ、鎌倉!』 ~ 大仏、長谷寺編 ~

2014年12月22日 | お出かけ、レジャー、イベント等
みなさま    

ものすごぉーーーく、遅くなっちゃいまシタが、  

今頃、「鎌倉日記」 の掲載です。



さてさて・・・、

コンサート4日前に突然 行こう     と思いつき、
急きょ参加となった、11月26日アルフィー、カナケン・コンサートが大盛況で幕を閉じ、本当に、感動的で幸せなひと時を過ごした私ですが・・・、

翌27日は 「江ノ電」 に乗って “鎌倉散策” をするために、 「藤沢」 のホテルを取りました。

そのホテルはたまたま9時チェックアウトだと (通常はたいてい10時) 「早割り」 と言って1000円安くなるので、
ちょうどいいと思って早起きして、ゆっくりとお寺を巡ろうと思いました。



そして・・・朝起きたら、昨日の暴風雨とはうって変わり、予報通り晴れていて、ヤッタァ~~~      バンザイ 

「江ノ電」 たぶん初めて乗るので、ちょっとドキドキ・・・ 


普通、右側の緑色の車両なんですけど、この日のものは 先頭2両がオサレな 「ブルー・トレイン」※ でした。

ラッキー    

※ [ 10形 ] 1997年に登場したヨーロッパ調のレトロ・デザイン電車。

『江ノ電』 は、 「藤沢」 と 「鎌倉」 とを結ぶ  “路面電車” で、こぉ~んな感じで走っています。


こちらはサイトのものを写真に撮らせていただきました。


こちらは、サイトのものを印刷したものを着色して写真に撮ったもので、各所の電車における特色、が書かれています。

「江の島」 も、幼稚園の頃、平塚の母の従兄弟 (祖母の兄の子) に連れて行ってもらった思い出の場所 (もしかしてその時に江ノ電乗ってますねきっと。でも、その時の2,3の思い出は心に残っているけど電車の記憶はないの)  なのだけど、今回は寄れず、
それよりも、ここが “あの、サザンの「江の島」(あたり)かぁ~” みたいな。 

サイトの説明にもあるように、本当にこのあたりは電車のすぐわきを車や人が通っているのが見え、
わぁ~      ほんとに路面電車なんだぁ~   と、カンゲキ 

調べたときに江ノ電が海岸沿いを通っているらしいとわかったので、もしかしたら海が見えるかも、と進行方向(鎌倉)に向かって左側の席に座ったのだが、

果たして・・・  読みは当たり (上の2つのマップは帰ってから探し当てたもので、行く前は簡単な路線図しか見ていなかったのだが)

「鎌倉高校前」駅あたりから、目の前に、きらきらと青く晴れ渡った広い海原が広がっているのが見え、海のない信州人の習性として

うみだぁ~            と、ココロの中で、ですが(笑) 思わず叫んぢゃぃまシタ。

結構長い時間海岸沿いを走っていて大満足。

稲村ケ崎あたりからまた海が見えなくなると、ちょっとさみしかったですが・・・




目的地、「長谷」 駅に到着~    

柱に趣のある、なかなかレトロな構内です。

初老夫婦のご主人が電車をカメラに収めていたので私もつられて撮ったら、あとでそれがめったに来ない “ブルー・トレイン” だったとわかりました。



 まず、 「鎌倉大仏」 を見に 「高徳院」 へ。 
駅前の通りをただひたすら真っ直ぐに10分ほど歩いて行った突き当りにあります。


山門には、両サイドに一対の仁王像がいます。



実は、鎌倉の大仏さんは初めて見るのです。



近くで見ると、こぉ~んな感じ。 大きいです。 左手の方から裏を回ります。



大仏殿の中におわす奈良の大仏様と違って外に建っているので、ぐるりと一周でき、後ろ姿もばっちり拝めるのが面白いです。

お日様を背に受けて建つ大仏様は文字通り眩しくて、やはり神々しいです。



この、小屋の前で “拝観料20円” を払うと、

なんとー   大仏様の中に入れるんです     

薄暗い、人がやっと一人通れるくらいの階段を上っていくと・・・



この窓は、上の写真の大仏様の背中の部分についている、 「明り取りの開き窓」 なんです。

この空洞が、大仏の頭の部分でしょうか・・・ 



その、反対側。 たぶん、大仏の衣のあたり、ドレープがかったところではないかな、と。

皆さんも鎌倉大仏を見に行ったら、ぜひ、中にも入ってみてくださいね、おススメです。





「ご朱印」 を頂戴している間に、大仏裏手の方に回ってみました。 何かのお堂のようです。

この辺はもちろんKより暖かいので、今頃が紅葉の盛りみたいです。  

時間がゆっくりと過ぎていき、心が伸びやかに、穏やかになっていきます。  



こちらは、与謝野晶子の句碑です。





こんなものもありました。




ご朱印帳をいただき、お土産を色々と買って、今度は仏様の右側から前をじっくり眺めつつ、帰りました。



 お次は、こちらも初めての 「長谷寺」。

駅の方に戻る途中を、右手に曲がった先にあります。



山門。



「観音堂」 へは、こんな急な階段を上って行きます。



見事な紅葉。



観音堂入口

こちらには 「十一面観音菩薩」 様がいらっしゃいます。 ( 思ったよりも、とても大きな仏様でした。 )


( 購入した「お姿写真」より )

現生におけるあらゆる悩み事を救ってくださるのだそうです。  

心を込めて、しっかりお祈りしました。



その横の 「宝物館」 は、改修工事中でした。残念。



宝物館脇にあった仏像たち。



「経蔵」 から、外の竹藪を見る。


展望台からは、遠く相模湾が望めます。



明るく光る海に、心が清々しくなります。



ベンチに腰を下ろし、 折りたたみ方が複雑で開け方が難しかったので、ちょぃやぶけちゃったので半泣き状態で、悪戦苦闘の末やっとの思いで開けた (最後は不思議とするり、と解けた) 「おみくじ」 が・・・

な、な、な、なんとぉーーー     

大吉            

自分のこれまでの人生でも、一度か二度あったかないか、という 「大吉」 

中には、実は大吉はあまり良くなくて、小吉、中吉、または末吉などの方がよい、とされる言い伝えもあるみたいですが、

この、めったに出ない 「大吉」 が出たということと、書いてあった中身もとてもよかったので・・・

なんだか嬉しくて涙が出そうになりました。  

それで気を良くしてもう一度 「観音堂」 に戻って、

中で職員の方 (お坊さん) に聞いたところ、「よいおみくじは、持って帰って大切にしてください」
「お守りをたくさん持つとケンカするということはなくて、大切に扱い、最後はしかるべくところでお炊き上げなどしてもらえば、似たような効用のものをいくつ持っていても、悪い、ということはないです」

との答えに (まぁ、売れたほうがいいわけですから… ) またまた気をよくして、お守りや千手観音のお写真、お札などをしこたま買い込んじゃいました。

ついでに、親(店)へもお札や、夫への土産も買いました。



おみくじを広げたベンチより、「観音堂」 を望む。



「地蔵堂」。 大きなお地蔵様の下の方一面に、沢山のちいさなお地蔵様がびっしりといます。



山の方にもズラリ。



寺務所付近にある池。

こちらでも 「ご朱印帳」 を書いてもらいました。

ほかに 「弁天堂」 にも参りましたが、この、ご朱印帳を書いてもらうところが、「阿弥陀堂」 も改修中で登ったり下りたり、
お土産のお札などを買うのにも、一端出て土産屋にいいのがなかったので、もう一度観音堂まで戻り・・・

などと、石段を3回も昇り降りしたので、エレー疲れてしまいましたが・・・  私らしい      汗かいた。 


長谷寺では 「写経」 もできたのですが、もうかなり心が晴れ晴れしたので、またの機会でいいかな、と思い、

大吉も出たことだし、お札もたくさん買ったので、 ものすごく気分良く、 長谷寺を後にしました。    




長谷寺は、別名 「あじさい寺」 とも呼ばれるほど、シーズン中のアジサイがきれいだそうです。
そのころにまた、来てみたいですね。

アジサイの模様がワンポイントで入った、長谷寺の 「なごみ地蔵」 のストラップ (左で、沢山ある色の中から選びました) と、

大仏殿でしか手に入らないという、大仏の台座裏に、右の箱についているのと同じ大仏殿のマークが刻印された、大仏のミニチュア。 



その2へと続きます・・・。













newカーで、伊那にドライブ&ランチに行って来ました♪

2014年12月04日 | お出かけ、レジャー、イベント等
またまた 「鎌倉紀行」 の途中ですが・・・

夫の車が、たぶん11年ぶり (たぶん、というのは、元祖HPの、2005年の『にゃー語』過去ログを見ると夫の車は一昨年買い換えたばかりと書いてあったので、さかのぼると2003年とゆーコトになるため、今年2014年から数えると11年前ということね) に買い替えたので、

せっかく新車にしたばかりだし (日産の前の車が、人の車だから好きにすれば?とノータッチにしてたら、当時流行りだったワゴン車で人間は2人しかいなくて全然必要ないのに、なんと!!8人乗りのプレサージュになって、燃費は悪いわタイヤはデカくて自分で替えられないわで散々な目にあったくせに、まだ懲りずに夫は似たようなセレナに乗りたがっていたが、今回は大いに口を挟んで大反対したのでキューブになった。私はカッコいいし安いからノートにしてほしかったのだが。でも、だいぶ小さくなってタイヤも自分で替えられるし、燃費も悪くないしで、まあ、妥協しましょう)、
両親にも色々お世話になったので、そのお礼と買い替えた報告とを兼ねて、

私と母の誕生日ということで私の運転で二人だけで伊那へランチに行こうと思って延び延びになっていたのを、

昨日、newカーで初めて、もちろん夫の運転で、両親を乗せて、伊那へドライブ&ランチに行って来ました。    

父は、 「俺ぁ行かんで、留守番しとるわ。」 と言うかなぁーと心配していたけど、初めからけっこう乗気で、

めずらしく店を閉めて家族全員で 行って来ました。  (もちろん、一日休みにはしなくて、帰ったら店は開けたのですが ) 


最初夫の休みは火曜日の予定だったのですが、天気が悪そうだったので無理を言って昨日の水曜日に変更してもらったら・・・

なんとー  

伊那に着くころには めっちゃ晴れて   
小春日和のような、すこぶるゼッコーチョーのドライブ日和     

一昨日は吹雪だったので、昨日に替えてもらって本当によかったです。


まず、最近塩尻方面に全然いかなかったので買えなかった カインズホームオリジナルの 「おからのネコ砂」 (「おからのネコ砂」そのものはどこにでも売ってるんだけど、このカインズのおからが色といい粒子の大きさといいおしっこの固まり具合といい一番のお気に入りで、他のものは使いたくないので、こだわってます。 ) がもうなかったので、

で、よく考えたら、カインズって伊那にもあったので、せっかく来たから、まず真っ先にカインズに行って、ネコ砂6袋買いだめて、


それから、 「かんてんぱぱガーデン」 へ。


写真撮り忘れたので、パンフですが。

「かんてんぱぱ」 とは何を隠そう 

伊那食品工業が研究開発、製造販売している
 
「寒天」 (テングサ(天草)、オゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したもので、熱を加えて冷ますと固まる、ゼリーなどの材料。
動物性の 「ゼラチン」 と違って、植物性で食物繊維も豊富なことから近年、健康やダイエットなどによいと注目が集まっている。
気候の寒い信州は、昔から寒天製造が盛んなのです。粉末、棒状のものなど色々あります)

の登録商標、ブランド名で、けっこう全国に出回っているので、知っている人も多いかも?

「かんてんぱぱ」 というのは、たぶん、なんですが、1972年4月8日から1982年4月4日までNHK総合テレビで10年間放送されていた人気バラエティ番組 『お笑いオンステージ』 の中の人気コーナー、
「減点パパ」(当時好きな番組で家族そろって毎週楽しみに見ていた) をもじったものではないかと思われます。



元々は社員にはいい環境で働いてほしいとの願いから、会社の広い敷地に花などを植えて綺麗にしていたところ、外の人が伝え聞いて見に来るようになり、だんだん今の様になっていったらしいですが、



今では会社のほかに、一般の人が利用できる健康パビリオン、美術館、多目的ホール、レストラン、直営ショップなどが併設されたミュージアムになってます。

ウワサには聞いていたけど、初めて行きました。

この季節なので花も咲いてなくてちょっと寒かったですが、直営ショップで 「かんてん製品」 をいくつか買いました。

一通り見ていた夫がニヤニヤしながら 「ダイエットにいいじゃん。」 だと。 

ええ、ええ、知ってますよ、寒天がダイエットにいいことくらい。 


ゼリー型は持ってるけど、こちらは蓋がついているので便利と思い購入。
ドレッシングにも寒天が入っているらしいです。


こちらの 「蕎麦がき」 やスープなど、全てのものが 「寒天入り」 なのです。

沢山買ったからか、スープを二つ、おまけでくれました。  


そのあと、洋風雑貨などのお店 「サンフローラ」 ものぞきました。
お洒落でステキな商品が沢山あったけど高価なものばかりで今回は見送りました。

いつかまた、買い物目的で来てみたいです。


その後は、一番の目的、大芝公園内のレストランで天丼を食べに。



昨年の春に母と二人で来た温泉施設なのですが、その時は残念ながら休館日でした。
今回はちゃんと調べてお休みではない時を選んできたのだけど、両親とも 「温泉はいいワ」 とゆーんで、食事だけをしに。

レストラン 「パル」 という、温泉施設に隣接してある、別の建物です。


外にはデッキもあってお洒落。 外でも食事とかできるのでしょうか?

そして、前回私が 「ソースかつ丼」 で母が 「ざるそば」 を食べたとき、近くのテーブルの家族3人 (ご両親と娘さん) が食べていた "大きなエビが3つも乗っていた" 「豪華天丼」 を
今度来たら絶対に食べようね~、と言ってたのに、今年の春に来たらレストランが臨時休業で、その他教わったお店もことごとく店休日で、最後に入ったカレー屋さんがイマイチだったというのは以前書きましたが・・・

実は 「天丼」 だと思っていたのは 「エビフライ丼」 でした。



でも、おっきなエビフライが3本も乗っていて、豪華、やっと食べられて満足でした。母と私は、こちらを頼みました。



夫と父は、こんなおっきなカキフライが5つもついた、今の季節おススメ、と店頭のボードにも書かれていた 「カキフライ定食」。

どちらのフライも揚げたてでとてもおいしかったです。
みんなで 「おいしいね」   って言って喜んで食べてくれたのでよかったです。

でもね、言わなかったけど、夫とそれぞれのフライをひとつづつ交換して食べたんだけど、エビ1本とカキフライ1個では、カキ1個の方が少なくて損だと思いませぇん?
( 言うと、せこっ、とか、そういう発想だから太るんだって言われそうだったのでやめておきましたけど。 )



あと、おそばもちょこっと食べたかったので、「ざるそば」 を1枚だけ頼んで、4人で分けて食べました。

フライを食べた後に冷たくてさっぱりしていて美味しかったです。4人だから2枚でもよかったかも。


前回来たとき、やはり休館日だったので閉まっていた同じ敷地内の 「味工房」 という食べたりもできるお店で、食後のデザートに 「ラ・フランス」 のジェラートを母と二人で分けて (果肉入りでシャーベッドの様にさっぱりとしていておいしかったです)、夫は 「抹茶」 を食べ(父はいらないと言って食べなかった)、



そこで焼いているパンを少し買ってきました。

「きのこオニオン」、「よもぎ」、「チーズと胡麻のプチロール」 で、味は素朴で、まあまあ・笑。


それから、 「みはらしファーム」 へ行って、道の駅みたいなお店で何かないか物色。

食事を私たちがご馳走したので、母がお礼に何か買ってあげるよ、と言ってくれたので



大好きな 「山ごぼうの漬物」 と、おつまみ用に 「ガーリック味のポークウインナー」 を買ってもらいました。 


これだけあちこち寄ったけど、3時くらいには戻ってこれたので、戻ったらまた店を開けて営業しました。

お天気がとてもよかったのと、珍しく店を閉めて家族4人で出かけられたこと、

父はどこに行ってもすぐに店内のベンチに座って何処もほとんど見なかったけど、車の中では楽しそうにずっとしゃべってたし(しゃべってるのはいつものことだが)、

両親ともとても喜んでくれたので、よかったです。 


そして私も、両親とは最近ちょっとあったんですけど、昨日は親孝行できたし、そのせいなのかお出かけしたからなのか昨日は一日とても楽しかったし、
なんと言っても人の運転だとラクでいいわぁ~。 



 おまけ・・・



カインズでレジを待っていたら夫が見つけてきました。 キティーちゃんの車用の芳香剤。

きゃー、カワイイ       ってんで、

「私の車の分もほっし~~~ 」 と、もう一個持ってきてもらいました。

(ソラシロと同じ)白猫だから持ってきたかと思ったら、一応キティーちゃんだって知ってはいたみたいです。

これだけ家じゅうにミッキーやキティーちゃんのものがあって、夫のパジャマやトランクスまで

「これ、キティーちゃんのなの、カワイイでしょ?」 といっては強要している (というか、ヤダとも言わないので。たぶんね、どーでもいいんだと思います。まさか、気に入ってるってことはないと思うよ?(^^;)) ので、嫌でも覚えるか     (敵も洗脳されつつあるか・笑)




 でもね、昨日はそんなんですっごい元気だったのに、
これといった理由がはっきりとしないのに、どうも気持ちに浮き沈みがあるみたいで・・・ 

一昨日から電話もメールもスマホが不通になっていてネットも見れないのに昨日の夜気づいて、今日はショップが休みなので、明日もPCの先生が来てくださるから、午後まで不通なのが不安。   
( 一昨日の夜、ネットが見られなかった時点ではわからなくて、昨日一日メールも来なかったと気付かず。おとといの晩に気づいてたら、昨日戻ってからショップに行かれたのに・・・。昨日の夜になり、あまりにも変だと思ったら不通になってるとわかったの。 )  

あと、通販に頼んであった衣料品が、ことごとく合わなくて返品交換を繰り返しているのもブルーな一因なのかなぁ~。 
( アマゾンに頼んであった書物系は、今日届いたすべて◎ですが。  )

今お休みしているものをこれからどうしよう、と考えるとなんとなく気持ちが晴れないのもあり・・・ 

先月から、湿疹+あかぎれのような手荒れがひどかったのだが、最近は体がカユカユで蕁麻疹みたいなのが出るようになってきたのにもイライラ。 
( ストレスや疲労からくると思われ、薬を塗ったり飲んだりしてるけどなかなか治らないの。
以前なったのはちょうどHPを始めた2004年だから10年ぶりに来てしまった。 )

PCの先生も、一度来ていただいただけで、以降、何度も日延べになってしまったので、明日はやる気を奮い立たせるために是が非でも来てもらうつもりですが・・・   


まあ、ガンバリます。   エィエィ・オーーーーー   

気合だ、気合だ、気合だぁ~~~   
ぱちぱちパッチン    ゴンゴン




→ と思ったら、その後月の来訪者到来と判明。(PMSで体調、心調がよくなかったのね) 
でも・・・早くないか?  





そうだ! カナケンと鎌倉行こう!!! ~ しながわ水族館編 ~

2014年11月30日 | お出かけ、レジャー、イベント等
11月26日、Kを出る時も雨だったが、新宿に着いたら風もすごくてめっちゃさむっ。      

一気にテンション下がりまくるのだった。  

が、仕方ないのでまず、日暮里の駅近ホテルに寄って 「忘れてきた愛用のメガネちゃん」 に約2か月ぶりで遭遇。

嬉し涙にむせぶのでした。    

てか、電話して日暮里のホテルにメガネがあることが分かった時点で、「世の中も捨てたもんじゃないな  
これはなんか、私ってめっちゃツィてるのかも、って思いましたけどね。    


そのまま京浜東北線 (上野乗り換え) にて、しながわ水族館の最寄駅 「大井町」(大森でもいいのだが無料送迎バスが出るというので) 駅へ。

駅ビルの 「アトレ」 で遅いお昼。アトレって恵比寿のは知ってたけど、ここにもあったのね。

アルコンがらみで上京すると、グッズ買ったりするとなんとなく時間がないので、もっぱらファーストフードもしくはコンビニのおにぎりで済ませるのだが、
今回は少し時間にゆとりがあったので、お店の名前は忘れたが 「うにと小エビのペペロンチーノ」 とビールする。  

写真はうっかり撮り忘れたけど、小エビがいくつか上に乗っていて、たっぷりの生うにで和えてあって、一見、自分のよく知るペペロンチーノっぽく見えないのだが、めちゃめちゃおいしかったです。   

階下に下りる途中、Kにはない 『無印良品』 のお店が入っていたので、
つぃ、以前からほしいと思っていた白い容器がシンプルで気に入っている 「洗顔フォーム」 と、
最近では類似品をスーパーでもなかなか見かけなくなった 「うにクリームのパスタソース」(無印良品オリジナルで人気商品の一つだそう) を、せっかくなので3つも買って荷物を増やす・笑。
( うにのパスタ、本物の方をたった今食べたばかりなのにね。でも、うに大好きなんだもん。見つけたときに買っておかないと。 


と、ここまではよかったのだが・・・ 

水族館への無料送迎バス乗り場まで行って見ると、バ、バスがこにゃい時間だった・・・   

ロッカーが空いてなかったので荷物は預けられなかったし、
雨なのでなおのこと、バスでも15分もかかるような距離を “歩く” のは ゼッタイにやだっ     
(バスに乗るつもりで歩いての行き方調べてなかったし。だったらバスの時刻表も調べておくべきだったよなぁ~ 

と思いながら、ランチでゆっくりしすぎちゃったのか、余裕があると思い込んでいた時間もあまりなくなっていることに気づいたので、仕方ないのでタクシーに。  

バスだと15分くらいかかるところをタクシーでは10分ほどで着いたのだが、でも、ここ歩くと遠すぎだよ~。 

そして、道路に面した入り口から水族館のある建物までが、雨が降っていて荷物もあるのに、また遠すぎて・・・  

おまけにチケット1300円、高っ   八景島の3000円よりゃいーですけどね。  

しかーもぉ~~~ 

行はタクシーで910円も使ってしまったから、帰りはなるべくバスにしよう   と思い、帰りのバスの時間を聞くと

16時ちょうどが最終でたったひとつあるだけとな。   (17時閉館)
 
着いた時点で15時15分。ゆっくり見て1時間半はみておいてください、というのを超特急で回り、  

もぉ、おさかなさんどころぢゃぁないよ~~~  


でも、見ました。 あんま、キレイに撮れてにゃぃですけど・・・    こぉ~んなカンジです。

撮影禁止とは書いてなくて、皆さんも撮ってたんでいいのかなぁ~と。


おさかなの国へようこそ  


「海のトンネル」 とは、壁からドーム型の天井まで “すべてが筒状の水槽” になっていて、その中をくぐるように人間が歩けるのです。
※ 左端の人をご参照ください。


左上の天井のところを 「エイ」 がお腹を見せてゆったりと泳いでいます。


自分も、水槽の中にいるような気分になれます。  
  
写真撮るのに忙しくて、もう少し時間があったら、この中に浸りながら、ゆっくりとしたかったのですが。




お父さんが、水槽のおさかなと一緒に泳いでいる(笑)我が子を、必死でカメラに収めようとしていました。


「3時半から本日最終となります “イルカショー” が始まります」 と呼び込みが入ったので、せっかくなのでイルカプールで行われるショーを見に野外へ。

軒下の屋根付きの場所にベンチが並んでいたけど、水しぶきがかかると嫌なので、だいぶ上の方で見てましたが、
ショーは面白かったです。 

ジャンプしたり、バーを飛び越えたり、輪くぐりしたり、ボールを突いたり。    

メスのイルカちゃんとオスのイルカくんが一匹づついて、交互に芸を披露してくれるんですけど、思わず、
 
おっ、おぉぉぉぉーーー                拍手喝采。 

水しぶきは飛んできませんでしたが、あいにくのお天気だったので、ちょっと寒かったです。     


時間を気にしながらのショー観覧で、  
終わるや否や 速攻  雨の中を走りながら        無料送迎バス乗り場へ。 

これに乗れなかったら、帰りもまたタクシーなのは嫌だと思ったので、飛び乗ったときは ちょー、ぐったり  


その後、横浜についてから駅構内のドトールで 「アイスカフェ・モカ」 を飲みながら、コンサート開演までの時間調整をした分、水族館でもう少しゆっくり出来るとよかったのですが、

ここまではまぁ、なんとか予定通り? スケジュールをこなすことができました。  




いざ、カナケンコンサートへとしゅっぱぁ~つ  

そして・・・



11月26日、神奈川県民ホール (カナケン? ※注) でのコンサートは、 すっごくよかった  です。            
 
突然の思い付きでしたが、無理してでも行ってよかった   と思えたコンサートでした。  うるっ   
  


ですが、2014年秋のツアー、『GENESISⅡ』 につきましては、まとめて別の項目にて書きたいので、ここでは省略させていただきます。 

( 写真は カナケン・エントランスこの時期限定名物の 「クリスマス・ツリー」 )



つづく・・・


  


※ 神奈川県民ホール

通称「カナケン」 もしくは 「ヨコケン」?
どっちの呼び方が正しい、もしくは “ツウ”(ここでいうツウとは地元とかギョーカイみたいな意味ね) なのか、地元っ子のナオミに聞いてみたら、色んなコンサートホールに行く人が神奈川、もしくは横浜の県民ホール、という意味で略してそう呼ぶのかもしれないけど、神奈川県で 「県民ホール」 と言ったらあそこしかないので、地元の人はただ 「ケンミン」 と呼ぶそうです。
そういえば、長野の子も、今はホクト文化ホールになってしまった 「長野県民文化会館」 のことは、ただ 「ケンミン」 と呼んでて、さすが、地元の人は違うわね、カッコいいな  と思いましたっけ。
だからどっちでもいいのかも、ですが、私はなんとなくそのまま略して 「カナケン派」 です。

と、思ってさらに調べてみたら・・・

「ヨコケン」 とゆーのは、ですね、 なんとー   

>何年か前にタカミーがライブ中に 間違えて 「横浜県民ホール」(もしくは「ヨコケン」説もあり) って言っちゃってから、アルフィーファンの間ではヨコケンって 呼ばれています。
>(注:ヨコケンという呼び名はアルフィーファンにしか通じません…笑)

ということらしいです。

なぁんだ、そーだったのかぁ~。いかにもタカミーらしい逸話だけど・・・ 
まじめに本気で調べてソンしちゃったわ・笑。

でも・・・
私はその逸話は知らなかったので・・・ここでタカミーが間違えたから、とかアルフィーファンの間ではそう呼ばれていると言われても、みんながみんなそう呼んでるわけではなさそうだし、事実知らないファンの方もいらっしゃるようなので、私も急に 「ヨコケン」 とは、ちょっとはずかしくて (失礼) 呼べないかも、です。ごめんなさい。

ホール名、なんでも略すわけではないと思うけど、神奈川県民て書くとちょっと長いからではないですかね?「カナケン」ていう音の響きというか通りもよそさうだし。
長野県民をナガケン(チョーケン?)とか、ましてや松本県民をマツケンなんて誰も呼ばないですもん・笑。