猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

そんななかでも、息抜き編・・・(^^; (お出かけとその後の近況)

2017年10月28日 | その他 色々
6月頃からの母の点滴病院通いを含む看病や実家の食事の世話などをしながら、合間にちゃっかりお出かけもしました。

※とりあえずまとめてさっと紹介しますので詳しい内容ではないこと、頃合いを見てカテゴリー別に分けて掲載しますことをお許し下さい。   



まず、こんなことになると思ってなかったので

 6月27日に地元の文化ホールに、なんとドラムTAOが一昨年に続きまた来てくれるというので、やっちゃんと行くつもりでチケット取ってあったのですが・・・

まだ点滴を始めない前で状態もはっきりしていない時に、実は母が脚が腫れて感染症の疑いがあり病院通い中なので、もしも行かれなくなったらごめんなさいとやっちゃんにすぐに伝えておきました。

でも、結果毎日点滴に通院すれば大丈夫そうだと分かったので、ではせっかくだから行きましょうと決めたのが実に公演前日。   

場所が地元のホールだったので、晩ご飯の支度をしていくし、帰ってから片づけもするから、ほんの2時間ほど出てくるだけだから、と言ったら、
母も点滴に毎日通わせて悪いと思ったのか、思いのほか嫌な顔はしなかったので (父は元々私が出かけることに対していつも何も言わないけど、母が毎回けっこううるさいので、どこかに行くときにはものすごく気を遣うのです 

晴れて? 行ってきました。   




今、TAOは班体制で公演をしているらしくて、残念ながらお目当ての 江良拓哉さん はこのグループではなかったのですが、
( この中央の人が江良さんに似ていたので思わず間違えちゃいましたが、多分この方は普段はニコニコと可愛らしくて色白の、けっこう好きな
 生越 寛康-いけごしひろやす さんで、この日も大活躍、かもしれません )



      私が見始めてから後に入った若手?の、中田勝平(しょうへい)さんが中心メンバー並みに大活躍  
(この体制、すごっっっ。なんて身体能力高いんだぁー 

ほか、けっこう好きな新体操出身で、素晴らしいパフォーマンスと動きの綺麗な 山口 竜昇(-たつのり)さん や 笑顔が素敵で江良さん似の 山口 泰明(-やすあき)さん なども大活躍で、

例によって、団員さんたちが場内を練り歩くシーンの時に握手してもらいやすい通路側の、最上の席を取っていたから、そういう意味でもすごく楽しくて、幸せでした。          

母の看病で大変な時で、心配したりして気持ちも不安な時だったので、
すばらしい太鼓の音やパフォーマンス、メンバーさんの楽しそうな溌剌とした動きや笑顔に、ストレスや疲れも吹き飛び、本当にいい息抜きをさせてもらいました。       


終演後に11月にある松本公演のチケット販売をしていたので、やっちゃんとまたまた行こうねと約束して、その場で買ってきました。       
(そちらの方には多分江良さんも来ると思うので楽しみです。)


やっぱりTAOはすばらしい    大好きだぁ~      




グッズはリストバンドとメンバーサイン入り缶バッジを買いました。

バッジは買う時は誰のが入ってるかわからない仕組みで、開けてみたら中田さんのが当たりました。彼のこぼれる笑顔は素敵ですね。



開演前に、ツアトラの前でお互いを撮りっこ。

やっちゃんはとても面白くてユニークな人なので、
一緒にいるとずっと笑っていられて、会うだけですごく楽しくなれる人だというのもいいのです。      



 そしてそして・・・




7月2日には、アルフィー春ツアー 「春フェスタ2017」 名古屋ファイナルにも、なんと泊りがけで行ってきちゃいました。(名古屋も長野も特急で1時間半で行かれて近いのに、終演が9時ころになるので終電がなくなってしまうため、日帰りできないのです)     

(こちらもチケット取ってあったし、春のツアーは信州会場がなく、タカミー・バースデイコンもなかったため、名古屋ファイナル一本だけと決めてたから、これを行かないわけにはいかなかったので   

自分の価値観にないものを認めようとしない母なので、いつもコンサートに行くときは 「方便の嘘」 をつき、たまに東京が長野になったり、名古屋が松本になったりの場所の嘘も場合によってはよってはつくのだが

そのへんのことを詳しく書いているととんでもなく長くなるため、またの機会にということで省略します。

この日はちゃんと用があって名古屋に泊りがけで行ってくる、とは言ってあったのですが、
最近、なぜか何しに行くかを聞かないので (何故、何しに行くかいちいち、しかもいぶかしげに聞くかというのは、よくはわからないが、興味本位で無邪気に聞いている感じではないので、いつまでも子の行動を監視し、自分の支配下に置いておきたい故ではないかと思います)

うっかり嘘を考えてなかったら、直前になって何しに行くかと問うので、突然のことにうろたえて、つい 「コンサート」 にいくとホントのことを答えてしまいました    

案の定 「泊りがけでコンサートに行くなんていい身分だね。」 と嫌味を言われたが 「うんっ 」 と明るく開き直っときました。

まあ、TAOのとき同様、
名古屋に行く当日は昼頃に母を点滴に送り迎えしてから自宅に戻って着替えて出かけ、名古屋に一泊したら午前中で戻って、すぐに実家へ直行、母を病院に連れて行ったら
点滴は1週間が限度なので、昨日で一週間やったから、今日からはまた薬の服用に戻ります、と言われ、次回は水曜日の来診を告げられ、
とりあえず、毎日の病院通いからは開放され、ほっとして帰ってきました。

(母は足は腫れているけど比較的元気で食欲もあり、家の中では歩いて一人でどこへでも行けるから、つい病院でも杖をついて歩いて診察室に行ったら、絶対安静なんだから車いすに乗りなさいと怒られたので、正面玄関に車を付け、車いすを借りて乗せ、診察室前に運んだら車を駐車スペースに置きに行って、帰りはその逆で、と、そんな些細なことも毎日だとけっこう大変だった。)


アルフィーのコンサートは、
毎年春、秋のツアーで最低でも必ず一回は(ワンツアー・ワンライブ)、夏のイベントや夏限定のTakamiyソロがあればそれも必ず参加していて

行くとホントに楽しく元気になれるので、

今回も大音量の音楽に身をゆだね、キラキラ、ギンギンの3人を眺め、大好きなタカミー素敵   とトキメキ、
こぶしを突き上げ、踊り、コントやMC等にたくさん笑い、大好きな曲たちに励まされ、時に涙し、

幸せいっぱいで会場を後にしました。

そして、こんなこと言っては悪いけど、久しぶりにちょっとだけ、犬猫を含む家族の世話と母の看病から離れて、少しゆったりとした気分でホテルに一人お泊りしました。   



 夫がいよいよスマホにするというので、付き添いで(笑)
夫が休みの7月10日の朝10時きっかりにドコモショップへ行き、例の店長さんをゲット   
色々親切にしてもらいながら、スムーズに契約が進みました。

19日には半年ぶりくらいに松本の美容院へ。
普段はお出かけに合わせて月一程度でするマツエクを優先するため、自分でカラーリングすることができなくもない美容院はどうしても後回しになるのです。   


 で、オサレしてどこへ行ったかと申しますと・・・



じゃぁ~ん  

7月29、30日。 アルフィー夏イベ 「夏フェスタ2017」 in 横浜アリーナ     


今回初めてアル中さんのフォロワーさんたちに会ったので、オサレにも一段と気を配り(笑)気合も十分        


フォロワーさんたちと会って御挨拶したりランチを共にさせていただいたり、緊張したけどとても楽しくて、

でも、広い会場だったので思いのほか行き会いにくくて、御挨拶のお約束してたのについに会えない方がいたり・・・   

忙しい中でのプロフ付のお土産などの準備も含めて (おまけに重い) ちょっと大変でもありましたしたが(笑) 

初めての経験で色々と楽しかったです。




チケットや買い求めたグッズの数々。(DVD申し込み特典なども含みます)



何が出るかわからない、お楽しみカプセルの中身はその後トレードして、今はないのもあります。 

風船はコンサートラストに空から舞い降りてきたもので、しぼませて持って帰りました。

1日毎に違う色のリストバンド型ライト (ここ数年は形を変えつつ、ずっとライトです) がメモリアルグッズでついてきて、
開場で曲に合わせて一斉に点灯した時はとてもきれいで感動しました。          



 8月はお盆などもあるし、夏は店も全然暇なりにも多少は忙しいので、どこにも行かず精進しました。
(母の蜂窩織炎は治ったけど夕飯準備片付けなどの補助は続きましたし)



 そして、9月2、3日と今度はパシフィコ横浜で、
Takamiy のソロコンサート 『真夏の夜の夢 2017 -Night of Pacifico-』 があったので、またまた行ってきちゃいました。


毎回東京に行くときも、アルコンに行くときも冗談で 「え゛っ、また行くの?」 くらいしか言わない夫も

「ババがこんな時によく行けるな、せめて一日だけにしたら?」 と珍しく言われましたが、蜂窩織炎自体は完治し、赤みもひいたから、
それ自体は大丈夫なので、

むしろ、母の看病や家事の手伝いなどが約2カ月も続き、私自身が精神的に参っていたので、こんな時だからこそ行きたいのだと力説。
(てか、アルフィー、タカミー関係のことには近年になって、ツアー意外のコンサートはできる限り総て参加したいとの思いがあり)

夫はしぶしぶあきらめたと思うのだけど、今度は母が思いのほか機嫌を損ね、へそを曲げたようで
先月も2泊で横浜に行ったせいもあって、また2泊で横浜に行くというので、怒ってしまい、どうしてもよし、と言わずにずいぶん困りました。

私に毎日助けてもらっているので、いて当たり前なので、その私がいなくなると不安だというのはわかるけれど、
たぶんもう、半分子供に戻って我儘になっているのでしょう。

自分の意にそぐわない事にはダダをこねる、私が泊りがけで東京方面に行くのを前からよく思っていないので、それが顕著に出る、
などの理由だったと思うのですが

元気だったらいくらでも喧嘩したり、どこでもいいでしょ、とか何しに行ってもいいじゃん、とかいちいち言いたくないとか
遊びに行ってもいいじゃん、普通の人は遊びにくらい行くよ? うちは休みがないんだから、たまに休んだっていいじゃん、とか言えるのですが
喉まで出かかったのですが、これを言ったらいけない、とひたすら我慢。
(もともと、どこでもいいじゃんとか、なんだっていいじゃんとかいう物言いをものすごく嫌う人なので)

せいぜい、
休みもなく毎日仕事して、こんなに一生懸命看病したりお母さんのお世話をして夕飯の支度や片づけを手伝って、可愛そうだと思わない?
悪いけど、たまには息抜きというか、休ませてほしいよー、遊びに行くんじゃなくて用事があるんだから(ホントは遊びなんですけどそうは言えないので)
と、やんわり聞くだけに留めました。

だって、一通りのことは一応何でも自分でできるんですから、あとは精神的な問題だけなのです、たぶん。

それでも、ほとほと参ったのと、可哀そうにも思ったのと、また、これ以上怒らせると怖いので、ひたすらなだめすかして、最後は無言で寝室を出て強硬手段。

出かけました。


ちなみに、夏イベは、ツイッターというパソコンで文章を発表したり勉強する会があるのだけど、その 「全国大会」 で全国の仲間が集まって泊りがけで交流したり勉強する会なのだといいましたが、
ソロコンは、今度はその 「関東支部大会」 が、同じ横浜であるのだといいました。

学生時代からサークルの会議や大会で全国を飛び回っていましたし、卒業してからも同人誌などの文学の会で勉強会、合宿、会議などをずっとしてきたので
その方便が一番信じてくれて、しぶしぶ許してくれる、というか、それ以外の理由では今や出かけられそうにない雰囲気。

家族は皆、書くことは一応賛成も応援もしないけど、反対もできないから仕方ないとあきらめているようです。

変な話ですが、フォロワーさんたちと実際お会いして名前やご挨拶メッセージの入ったカード付のお菓子をたくさん頂いたので、
「これが全国大会で全国のみんなで交換し合ったお菓子だよー」 と実家で実際見せてみんなで食べてつじつままで合いました。   

全国からアル中が集まる大規模なアルフィーの夏のイベントが 「全国大会」 で、タカミーソロが 「関東支部の大会」 というのは、
ソロ=支部みたいなもんだから、かなり盛ってるけど(笑)あながち全くのウソでもないし
ホントに全国の仲間 (フォロワーさんたち) にイベント参加のついでみたいなものとはいえ、会うのだし・・・   
   

と、ここで、91歳の老母に嘘ついてまで出かけたいかね、と思う方のために・・・
それは、うちの母の怖さと、そのためにどれだけ私が大変な思いをしてきたか、40や50を過ぎてからもできるだけ母の機嫌を損ねないように日々気を使いながら生きてきたかを、本当に仲のいい友人はよく知っているのでわかってくれるのですが、他の方にはおそらく理解するのが難しいだろうかと思われるので、詳しく書いているととんでもなく長くなるし、申し訳ないけどまた別の機会にということで省略させていただきます。ごめんなさい。   

( そうはいっても前の回で書いたように本当に母のことは大好きだし、仲もいいほうだと思うことを前提に書いてます。親子なので未だに甘えている部分もあるし。
でも、母と娘というのは父と息子と同じで確執もあるものですし、色々どこの家庭にもあるような悲喜こもごもの、ちょっと強いヤツ? だと思っていただければ・・・。
だって、着てる服のことまで、特にお気に入りのものほど、いちいち変なの、とかみっともないとか言われてごらんなさい、やんなるわ~。  )





パシフィコは大好きなホールの一つです。



今年はホテルを友人とシェアしたのでお喋りに忙しくて(笑)写真撮り忘れたため、去年のものですが(逆に昨年は写真撮るもUPせず)



最近パシフィコでコンサートの際はいつも泊まるお気に入りのホテルの、オーシャンビューなお部屋から眺める横浜港は大好きなのです。

普段の様々なしがらみから逃れた、ゆったりとした時間が流れて、帰りたくなぁーい、と、ちょっとだけ思っちゃいました。   



二日目は何人かの友人たちと中華街へランチに行き、とっても楽しかったです。 

夜には二日間とも別のお店ですが夜景の見えるお洒落なダイニングで仲間とコンサートの打ち上げをしたり、
夏イベでご挨拶できなかったフォロワさんにお会いしたり、
特にお約束はしてなかったのに、夏イベでお会いしたフォロワさんに、偶然会場で遭遇してすごく懐かしいような、偶然だからとても嬉しかったり、
そんなことも含めて、とても楽しい二日間となりました。  




一日目に2時間半並んで買ったソログッズ。(DVD申し込みやその他の特典品なども含みます)

ソログッズは、ピンクや可愛いもの好きな私にとっては、スカルや黒とか、普段使わないとか持ち歩けない? 柄が多いのだけど    

カッコいいのと、そこはもう、Takamiy グッズなので(笑)、買わずにはいられません。毎回出た物、ほぼ全部買います。


今年はサポメンギタリストに初めて 鳥山雄司さん と 佐藤大剛さん をお招きして、お洒落で素敵なステージを展開したコンサートも含めて、

とても素敵な楽しく幸せな2Daysで、参加して本当によかったです。         

(こちらも、後日=たぶん来年、詳しく書かせていただきます)  



 翌日は、渋谷にある ESP Museum にて
高見沢俊彦ギター展 「Takamiy's Guitar Heaven」(2017.8.26~9.10) が開催中だったので、ここからは一人で、寄ってきました。





場所はESPクラフトハウス渋谷店店舗の狭い螺旋階段の上にあり、そんなに広くはないのですが

館内全て (階段を上ったところにあるこの看板の左右に2つ部屋があり、うっかりひとつ見逃しそうになったが、どちらもタカミーギターだけを展示) を高見沢ギターコレクションで埋め尽くす過去 最大規模での開催だそうで、
前回の開催の時は見れなかったので、とても感激しました。

(詳しい感想は後日付け加えさせていただきます。 大丈夫です。来年になってもちゃんと覚えていて書けるのが私ですので。ほんま、ほんま・笑 )




会場にて買い求めた、Takamiyコレクションのエンジェルギター・ポストカードとフォトスタンド。



タカミーが実際に使用しているという “ティアドロップ型” の小さなギターピックは1枚150円だったので、つぃいっぱい買っちゃった。    

以前何かの特典についてきたもの? と、スカルのデザインが少しだけ変わってました。   

表面がざらついているのは、滑り止め加工でしょうか。




会場では売り切れだったので注文してきて、後日送られてきた 

・「ギター展開催記念のキーホルダー」 (エンジェルちゃんの型取りがされているクリスタルとピンクの物)

・「記念ピック(+ピックホルダー)」 
(奥のブラックとホワイトの物で、こちらは “トライアングル型ピック” で、ツアーグッズにもなっていてよく見かける3方向が同じ幅のやや大きめのものです)


特にクリスタルキーホルダーは絵柄が彫刻の様にプレートを削って作られており、大変美しく、家パソのキーボードのところにお守りのように大切に飾ってあります。     



 ギター展に寄った後は新宿で親友のNと待ち合わせてランチを。

  

一昨年母の骨折入院中にも、アルフィーの活動40周年記念映画が封切られ、
記念プレミアムトークショー付試写会のチケットが取れた時 (プレミア上映会を見てきました!! 2015年02月22日 | THE ALFEE、Takamiy カテゴリー参照) にも上京を決意、
ランチを取りながら、積もる私の話(悩みや愚痴など)を聞いてくれたように

困っていると必ず優しく手を差し伸べ、話しを聞いてくれ、考える手助けや方向性を探るヒントをくれるので・・・
また、とてもおおらかでユニークな発想をする面白い人なので、会うとそれだけで笑顔になり大変楽しくなり元気になれるので

遠方だけど1年に一度は会いたい大親友でもあります。(今年は4月にも懐かしの女子会で会ったので2度目ですね) 

大好きなクリームパスタが食べられず伸びてしまうほど喋りまくってしまいました。    
(一つのことしかできないので喋りながら食べるという芸当ができないので、喋ると食べられないのです)

Nとは時々メールもするのですが、彼女自身の長い劇団生活や今現在会社を興して文字通り世界を股にかけて仕事をしているため、
私のやりたいことを本当によく理解してくれ、応援してくれているので、

困っている時には本当に優しいけど、仕事に関しては的確なアドバイスと時に厳しいことも言ってくれるので、
(苦楽を共にした同世代の30年来の友で心から信頼、尊敬しているので、彼女に言われることは大抵理解でき納得できる)

大好きなNに見放されないように頑張らなきゃ、と時々脳裏に現れては叱咤激励してくれる影武者でもあります。(笑) 
  


出かける前は母のあまりのごねぶりに、もうしばらく東京方面に行くのは諦めなきゃダメかしら、と思ったりしたものですが・・・

14年しか住んでいないので、今となってはKに戻ってからの方が長いのですが、

青春時代を過ごした思い出の大好きな街で、行くと本当に色んな意味で自分が解放されるので      

やっぱりたまに行かないとダメです。(今後も行きます・笑)



 中原監督率いる ウェルネス筑北高校野球部 の試合観戦にも何度か行きましたが、そちらは別項目にて書きます。     



 10月6日 ずっと前から観に行きたかった、
高校、大学の頃大好きだっさた、さだまさしさん のご子息で信州諏訪市出身の、佐田大陸(さだ たいりく-活動名は TAIRIKU) さん率いるインストゥルメンタル・アンサンブル・ユニット(ヴァイオリン×2とピアノ編成) 「TUKEMEN」 のコンサートが、なんと地元の文化ホールに来てくれたので、    

やっちゃんと行ってきました。



当日は何と土砂降りで、テンション下がりまくりだったけど、地元というのはホントに近くていいですね。   




内容は今年4月にリリースしたばかりのアルバム 『RECHARGE』 を中心とした全編オリジナルで、

曲も素晴らしかったけど、3人がみんなとてもカッコよくて、どの人を見ていいか迷うほどに斬新な演奏スタイルも含めてとっても素敵で、大変感動しました。                  


CDを買うと、終演後に握手会に参加できるというので、私はこちらを入手



若く躍動感あふれるツケメンならぬイケメンさんたち3人全員と握手してもらい、アンケート用紙にぴっちり感想も書き、

シアワセいっぱいで会場を後にしました。        


やっぱ生の舞台はいいわぁ~。   

また、ぜひKに来てほしいです。    

(詳しい感想は、後日きっと必ず書きますね)  





 ゴンの子どもで2007年生まれのチビが、生れたうちの我が家に再び戻ってきてくれて、また山での脱走劇からも丸1年以上が過ぎましたが

今年の7月7日の七夕の日に、無事10歳の誕生日を迎えました。      



誕生日の夜です。



ずっとあまりしつけを受けずに来たけれど、夫が今、一生懸命「おすわり」や「待て」を教えています。



最近、仕事が終わって夜帰宅後に近所を散歩する (ある場所を一周して帰ってくるだけの短いコース) ようになりました。

以前ゴンが生きていた頃に、朝はゴンが来て以来ずっと夫が毎日散歩してきたけど、途中からは、夜に私もゴンの散歩をし始めそれが日課になっていたので、

ふと、毎日大変な時だからこそ、気晴らしにチビの夜の散歩に行ってみようかな、と思ったことがあったのだけど、
あまりに日々疲れすぎていたのと、これをやりだすと毎日しなくてはならなくなるのと、
最近はずっと親のうちの食卓を片付けて帰るからただでさえ帰宅が遅くなるのに、この上散歩なんてしたらもっと遅くなるし・・・    

と思い迷ったのですが・・・

行き始めると、チビは毎日朝ちゃんと夫と散歩に行ってるくせに、夜の散歩も、そんなに喜ばなくても  と思うほど喜んで行くし、
チビは毎日私の出勤と同時に実家(店)に連れて行き、裏につないでおくのを、閉店 (私の帰宅) 近くなると、父がビスケットをやりつつ裏から店先に移すのだが、
裏でしてくれればいいのに、なぜか店先に来ると必ずしちゃって困ってたウンチも、店の前では全くしなくなり
(朝の散歩で一回、夜散歩で一回ずつするようになり、したがって、店の前にした自分のウンチを私が気付かずにいて取らないと食べちゃったりして困ったので、躾剤をエサに混ぜたりの工夫もしたけど、その必要もなくなり)、

なにより 

たった15分の散歩なのに、逆に疲れも吹き飛んで、気分転換になって実にいいので   (これが30分や1時間とかならできないけど15分だからいいのです)

チビも喜ぶし、店の前でウンチもしないし、私の運動不足解消の小さな手助けと気分転換にもいいので 一石三鳥       

朝には夫が仕事前に、雨が降ろうがヤリが降ろうが、雪が降ろうが、真夏の暑さにも負けず必ず毎日チビの散歩に行くので、

私は雨降りの日とよほど忙しくて時間がない日はお休みで、無理なくやってます。


もー、猫のソラシロもだけど、チビが大好きで可愛くて仕方ないので    いてくれるだけで幸せなのです。      



 それから、このスタジオに通いだしてもう3年くらいにはなるのでしょうか、ちょっと遠いですが、バレエのレッスンにも、
先生のお子さんがまだ小さいので子供が夏休み中の約一か月は毎年お休みになっちゃうのですが (もっともお休みなのは昼の大人クラスだけで夜の子供クラスはちゃんとあるそうですが)
日々が大変なときにはなおさら、またレッスンでは毎回落ち込みながらも(笑)、こちらも本当に色んな意味でいい息抜きになるので、ちゃんと行かれれば週一で入るレッスンを出れないときもあるので、月に二度程度は通い、

ほんとは毎日しないと意味がないのだけど (すぐ元に戻ってしまうため) 息抜きと自分自身を保つためにも、気が向いたときに寝る前のストレッチなどは細々と続けています。



最近は、たまに自宅でも少し気の利いた料理やお菓子なんかも作ったり、裁縫などもして、(たまに呟いてるのでそちらで見てね)
母の看護や補助などで毎日パニクリ状態で疲れ切っていた頃に比べたら、だいぶ気持ちに余裕が出てきたような気もするし、

夏の暑い頃と違って、涼しくなってきて母も体調がいいのか、たまに煮物などの料理をしたり、夕飯のお膳の用意と片付の最終チェックは私ですが、洗い物や冷蔵庫に残り物をしまうなどをしてくれるので助かります。

その間、店のことをしたりブログを書いたりとか自分のことができるので。
(ただでさえ親のうちの夕飯準備などに毎日追われている気がするの。そうすると自分のことができないし、自分のペースを乱される気がして・・・)


そんなこんなで、まあ、なんとかぼちぼちやっておりますので、皆さまご心配くださいませんように・・・。
















今年上半期(2/3期)の状況を省みつつ、誕生日に寄せて

2017年10月17日 | その他 色々



早、10月となり、今年もあます所3か月を切りました。    





 先月になってしまいましたが、9月26日に57歳の誕生日を迎えました。


気持ちの問題ではなく、実質問題として、もう若くはない。

元気に活動できるのもせいぜいあと30年くらいだなと思うと、ハッとするわけです。

もっと自覚して、日々を大切に生きていかないといけませんね。


そう考えると目先の小さなこと、くだらないこと? にクヨクヨしたり、うじうじ考えて前に進めないでいるのは非常に時間がもったいないわけです。




今年は4月から隣組の組長が回ってきて、雑務や、住んでる区域で色々あったり

ソラシロのおしっこ騒動で数か月落ち着かなかったこと、

それがもとで自宅の片づけをする羽目になり半年たってもまだ落ち着いていないこと、

5月くらいから、母の色んなあそこに行きたい、あれをやってみたい、ああしたい、などの言動に振り回されて大変だったけど

6月に母が 「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」 という感染症になり、この病気は人によって手や足、胴体など色んな場所へ出るらしいが母の場合は右のすね(ふくらはぎ)当たりが赤くはれて熱を持ち、炎症数値も高くなり入院を勧められたのですが

母が入院は絶対に嫌だと言い張り、
私も、一昨年前母が右大たい骨の骨折をして2度の手術と4カ月近い入院をした時に、母の希望で毎日お昼と夜の2度ずつ母の世話を焼くために病院通いし (約4カ月の中で病院に行かなかった日は私用のため出掛けた、たった二日だけです)、 戻れば父のご飯の世話を焼き、本当に良くなるのかという不安を抱えながらで、とても大変だったので (こんな時でも父は店を一日も休んでくれなかったし) 
そのことを思えば、1日1回点滴に通うだけで、家では両親一度に食事の心配をするだけだから、入院よりもまだ楽かもしれないと思えたので

一週間は毎日抗生剤の点滴の為母を病院に送り迎えし、その後は薬の服用で三日ごとの通院が週一となり、約一カ月近くかかったけど、

その間は、医者から入院しない代わりに絶対安静にして足を高くして寝て冷やしておくようにと言われていたので、
日に何度かアイスノンを交換し、それまで母がしていた実家の昼と夜のご飯を作り片付け(朝だけは簡単だしこれないのでやってもらった)、
閉店は夜9時半なのだが毎日10時過ぎに帰宅して、また自宅で今度は自分ちの夕飯の支度をして食べたら片付ける、
という生活を、店の仕事も2軒分の家の家事も1日たりとて休みなく続いたので、体力的にも精神的にもほとほと疲れ果て、ちょっと気も狂いかけました。    

母の入院中の父の食事の世話は、父が何が食べたいとも味付けがどうとも何も言わなかったので、自分で考えて勝手に用意すればよかったので
今思うとまだ楽でしたが、

母は幸い食欲もあり、足の炎症の他は自分でトイレや食卓まで歩いて行かれるなど比較的元気だったので、
母の欲しい食べ物や食材を聞いては買い物に出かけ、毎日何が食べたいかを聞き、母の希望に沿ったものを作ってあげましたが、
でもそれが逆に、私が自分の好きなようにはできない分、思いのほかストレスになりました。

また、父は何も言わなかったけど、母は自分で料理ができる分味付けもどうこう言われたし、毎日あれが食べたいとかこれを作ってちょうだいと必ずリクエストがきたし、
母が自分で作るのと私に作ってもらうのがどうも混同している感じの物言いには正直閉口する時があります。

夕飯に何かを料理するときはもちろん、ほとんど作るものがなくてもお膳の用意にけっこう時間がかかって自分のことが進まなかったり、
相手の食べ終わるのに合わせるので時間に追われている気がしたり・・・。

おまけに私にはとても使いにくい台所で、使いにくい古い鍋などを使い、好きでない柄の食器に盛り、なぜそんなことをするのかわからない母の流儀のゴミ捨てや台所のやり方に従い  これはあまりに無意味だと思うものはこっそり自分のやり方に変えたり、自分ちの使いやすい鍋を持って来たりしましたが 

それでも、元々はひとえに両親が使い易く安全なようにと、昨年一念発起して数カ月かけて台所や洋服など実家の大片付けをしておいたので、前よりは多少台所も使いやすくなったので、それが今思うと幸いでしたが。

別居で家が2軒あるようなものなのは大変ではあるけど、自宅に帰ると自分の好きな部屋で自分の好きに食事が作れることにホッとしたので、今更同居もできないと思ったり。

もっとも実家でご飯作って帰ると家でも又つくる気にはなれず、たまに自宅で作ったおかずを実家にお裾分けで持っていったり、実家で4人分のおかずを作って自分たちの食べる二人分を持ち帰ったりなどの工夫もしましたが、お互い食べたいものが違うので毎日というわけにもいかないし。

それでも、蜂窩織炎そのものは約1か月で炎症数値が正常に戻り腫れや赤みもひき、ほぼ完治したのでほっとしたのですが
たまたま夏の暑い盛りで、普通の人でも体がだるくて何もやる気が起きない頃なので、高齢の母にはなお堪えるらしく、
炎症が完治してからも母の欲しいものの買い物や、途中からは朝の他、お昼の用意もしなくても済むようになったけど、
依然として今晩何が食べたいかを毎日聞いてする夕飯の支度と片付けは続きました。(今もです)

最近やっと涼しくなってきて真夏よりも体が楽になってきたのか、たまに母が食べた物の食器を洗ったり、残り物を冷蔵庫にしまったりなどを前よりはやってくれる日もあるので、多少は楽になったかもしれませんが、その日の気分や疲れ具合によるので、
翌日のご飯を洗って炊飯器にセットしたり、他 「最終チェック」 があるので、両親が食べ終わるまでは店にいるため、やはり帰宅は10時過ぎることが多いです。
(雨天で父が畑に行かないと夕飯が早くなり、もう少し早く帰れるときもありますが、このあたりも父のその日の仕事具合に合わせるので、自分のペースが守れなくて大変です。)

しかも何度か言ってますが、家の店には 「店休日がない」 ので店の仕事は毎日あるし、介護というか親の手助けにも主婦の仕事にも基本休みはないので

毎日というのはやはり大変です。
毎日家と自宅の往復をするだけで息抜きになることはほとんどないので(笑)、ちょっと息が詰まりそうな時もあるけど    
(  たまの息抜きについては次回に書きます。 )

それは今に始まったことでもなく、この何もない閉塞的な田舎の地に住み、信用だけがすべての個人商店をほぼ休みなくやっていること事態がストレスなので

世の中には、私が感じるストレスを一つも感じることなく一生を終える人もいるだろうかとは思いますが、人は人なので
それが私の人生というか、別に好んで自らが選択したことではないけれど、それなりにいいこともありますし、特に環境を恨むことはあまりないです。



そして私は、なんだかんだ言って両親のことがとても好きなので、そして自分で言うのもなんですが優しい気持ちも持ち合わせているので
大変なことがあってもあまり逆らうこともなく、できるだけ親の意向に沿うようにと何くれとなく世話を焼き、手助けができるのだと思う。
あと子供もいないから、100%親にかかりきりになれる (なってしまう) のだとも思うし。

父は6月で88歳、母も9月で無事91歳になれましたし、
介護は綺麗ごとではないので、やったことのない方には想像できないと思いますが、(ここには書けないいろんな苦労や感情があります)

この年で両親ともに健在で、寝たきりや痴ほうなどの重度の介護はなく、
おまけに二人とも自分の身の周りのことはできるし、未だに店のこともやってくれていているので(父は畑仕事もやる)、
とてもありがたいことだと思っています。
(母はたまに洗濯物を干したり昼ごはんには何か簡単なものを作ったり、病院や用足しのついでに月一程度は、もちろん私がサポートしますが、自分でカートを押しながら買い物もできます)

こういう生活になって数カ月が過ぎ、状況が変わることはなさそうなので、多少気持ちが慣れてきた? のもありますが。(笑)

これからもっと大変な、本当の介護が必要になったらどうなるかは、やはりその時になってみないとわからないので
今は日々を感謝しつつ、

こういう大変な状況だからできない、ではなく、

将来もしかしたら、と思うと、今やらなければできないことを今のうちにしておかなければ、という方に気持ちを切り替えなくてはいけません。





 両親の結婚記念日のあった5月に、東京の姉夫婦、上の姪一家を交えて、母のご所望の 「ダイアモンド婚式」(結婚60周年) の食事会を近くの日帰り温泉でやりました。

父が手にしているのは私たち姉妹が送った両親の似顔絵、母が持っているのは姪たちからのお祝いの品の夫婦塗り箸です。

母が蜂窩織炎になったのはこれからあとですが、今は元気にしておりますのでご安心くださいませ。




 今年はその他に何と言っても、
始めはブログや電子書籍の宣伝に少しでもなればと思い、1月に Twitter (ついでにLINEも) と2月には facebook も初めたことが、
結果としてやや本来の目的から逸れ、図らずも自分の日常生活に良くも悪くも多大なる変化と影響を与えたことは否めません。

頁を作ったり、その世界に慣れるまで時間がかかったり、のめり込むあまりに振り回されたり、予想外に人間関係に悩んだり? 
そんなことにもかなりの時間のロスに結果としてなってしまいましたが、

これらのものによって沢山の得たものもありますし、この文明の利器をこれからうまく使えるように、前向きに考えたいです。






 遠方のお友達が、お誕生日当日に着くようにと、わざわざ宅急便でプレゼントを送ってくれました。

お誕生日プレゼントなんて、もう何年ももらったことがなかったから、その心遣いが凄く嬉しかったけど、

中身も、私が猫なので(笑)、ハロウィンチョコの入ったネコポットや九谷焼の歯ブラシスタンドなど猫にちなんだものと



自作の? 世界に一つしかないフォトブックが、何と言っても一番うれしかったです。

ケーキ型のカードの向こうから Takamiy も 「オメデトー」     





 そして、たまたま誕生日のころに、 
『Takamiyソロ活動25周年記念』 の、ラベル別各250本限定のサンマリノ共和国との共同開発・発泡白ワイン 「スプマンテ」 Takamiyバージョン が

なんと2本とも当たりました。          

このワインは、
コンサート当日に会場でのみ、1日目はブルーラベル、2日目はレッドラベルのみの予約販売受付をしていて (申し込みは1人1本しかできず、確認の為チケット裏にチェックを入れられました)、

申し込んでおいたものが抽選に当たれば、後日代引きで商品が送られてくるというシステム (あくまでお金を払うのは申込者です) で、
フォロワーさん情報によりますと、両日(2本)申し込んで2本とも当たった人は少ないみたいです。


なので、
これはきっと縁起がいいから、

大幅に遅れてしまいましたが、現在取り組み中の 『松商物語第三部』 を、タイムリミットの年内に必ず書き上げ、

その時まで取っておいて、スプマンテを開けてお祝いできるようにしたいと思いました。       



 ツイッターとフェイスブックの導入により、ブログへのUPも減ってきてしまい、
約9年続いたブログですが、いづれはやり方も変えていったほうがいいのかなぁなどと漠然と考えております。



作品が書きあがるまではブログも減るかと思いますが、たまにツイッターなどを覗きつつ、猫田の安否確認なぞしてやってくださいませ。(笑)

Twitterアカウント @jarejare7    です。


ツイッターやらない方でもネコタのつぶやきやRT、私が押したいいねだけなら、ここへ行けば覗けます。

呟き緩めですが、宜しくお願いします。