猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

新年、その3 ・・・ 書くこと、『松商の本』発行延期のお詫びなど

2019年01月05日 | 松商、中原監督 関連



 新年から連チャンでブログをUPしておりますが・・・

店は3日から営業、

仕方なく、毎日いやいや在庫調べをしながら、終わってからブログを書いております。   
(在庫調べはちまちま3日に分けてやり、今日やっと終わった)


 2017年からツイッターとフェイスブックを始め、

言葉が短く写真など簡単にUPできることなどから、すっかりブログが減ってしまいましたが 


 2017年6月に母が 「蜂窩織炎」(ほうかしきえん) になり、入院を勧められたけど通院だけで治した時に

絶対安静と言われていたため、
私が親の家の夕飯を作ったのを機に、

病気が治ってもずーーーーーーーーーーーーーーっと親んちの夕飯を作り続ける羽目になり 
(帰宅して今度は自宅の夕飯も作っているため、日に2度も夕飯を作り、これが意外と時間に追われている、疲労とストレスが蓄積する)   

その他、両親ともに高齢なので (母が92歳で父が89歳) 二人とも元気で店などもやってくれているのですが、

前よりいろいろ世話が焼け
特に母はなまじ元気なので、自分でできるつもりになり、買い物を頼まれたり、買い物行けばいちいちついて回って世話を焼き、帰ると私が親の冷蔵庫に詰めたり、結局やらない、できないので、私が手伝ったり尻拭い?することになる時もあり、食べたいものを作ってあげなければならないなどの台所の世話のほか、

両親とも私を頼るので、色々言動に振り回されることになるのだ。 

それがけっこう負担になったり、普段の日常生活でもけっこうストレスになるのに


昨年は、暮れから一月にかけて父が鼻血をしょっちゅう出しては止まらなくなりそのたびに病院へ行ったり
(数年前にはやはり母がそのようなことがあったが、大丈夫と言われてもそのたび心配になる)、
1月に父が配達先の階段から転げ落ちて救急車で病院に運ばれたり
(幸い頭を5針縫っただけで血も止まり、他にレントゲン、CTでも異常なく意識もあり元気だったので帰宅、その後抜糸、3カ月たっても特に何もなくてひと安心したり)
6月には母が体調崩して夜救急車で病院に行くと急性腎盂炎(-じんうえん)とわかり10日ほど入院したり(その後元気になり退院)

二カ月に一度眼科や内科など病院に定期的にかかっている父は運転して一人で行って来るが、

母は長い距離を歩くのに大変なため、病院には私が付き添い車椅子に載せて移動するのだが、昨年はその他にも眼科(3か月に一度)、整形(半年に一度)、耳鼻科、皮膚科、婦人科(半年に一度)とけっこう世話になったので・・・付添にも忙しく、
秋には膀胱炎のちょっとひどいのになって血尿というより出血があったので、内科に2度行き婦人科も受診して大騒ぎしたり、

その他、母が耳鼻科で耳垢をとって貰った時に耳がちょっと炎症を起こしているというので耳の差し薬を約一か月、爪水虫の薬を数か月、毎晩私が注してあげてた時期もありましたし、

とにかく、病院付添や薬を注すのだけでも結構忙しかったです。
秋には風邪を引いた父が、寝ているうちに体調が悪くなったから救急車を呼んでくれというので慌てて付き添い病院に行ったところ、少し検査したが特にひどいことはないから帰ってもいいと言われ、安心したような、心配だから一晩くらい置いてほしかったけど戻ってきたり、
その後は普通の風邪と同じように回復したのでよかったのですが。

なので昨年は両親合わせて3度も救急車のお世話になり、そのたび大慌てで大変な思いをしました。
(特に自分は次女で、のほほんと甘えて育ったため、ドーンと構えれなくて、気も小さいし頼りがいないので余計に負担が 
こんなとき、夫がいてくれてよかったなーと思ったりします。両親の性格を一番知ってるのは夫なので、よくわかるので、愚痴なんかもよくこぼしちゃうし。)

まあ、年が年なので仕方ない部分もあるし、いつ何時何があっても不思議ではないと思っていなくてはならないのですが、

それでも二人とも回復して、年の割には元気になり普段の生活を送れてますのでほんとうによかったです。   


今年はどうか何事もなく、両親ともに元気で、穏やかに過ぎて行ってほしいと願うばかりです。      



が、そんなこんなで年の前半は心労が絶えず、疲労とストレスがけっこう極地で発狂寸前でもありました。  

            



『松商物語第3部』 の執筆もそんなわけで中々思うように取り掛かれなかったのですが、

そちらに集中しようとすると今度は、調べ物をしたり頭を切り替えるような別の長い文が書けなかったというのもあるけど、


日々そのようなストレスと疲労が蓄積していると、

そうすると自然と自信もやる気も喪失気味になり、ブログを書くどころではなかったというのもあります。


そんなことを書き始めていたら延々長くなって、暮れのご挨拶がUPできなかったのですが・・・

色々書いていると、つぃ癖でダラダラ長くなって、面白おかしく書こうとしても、どうしても愚痴っぽくなるので、

いや、これは違う    

と、3回くらい書きなおしてたら、時間切れとなってしまいました。     



 でも、新年になったので、気持ちも新たにブログを書いていたら、あら不思議。

なんだか元気になってきた、じゃぁ、あーりませんか     

そうか。

やっぱ、書いてないとダメなんだな、私。 


しかも、ちゃんとした作品とは別に、ブログみたいなお気楽な日常や心情を綴ったものの存在が大きいことに気づきました。    


大袈裟に聞こえるかもわかりませんが、自分が自分でいられること、

自分の存在価値のようなものが 「書いていること」 で証明され、救われるんです。


これはもう、理屈じゃない。


 2000年だから、もうかれこれ19年も前 (40歳、結婚して6年目くらいの時) になるが、

所属するサークル拓の同人誌 『あける』 に載せた1ページエッセイ何年分かを拾い出し、 『りんごちゃん便り』 というエッセイ集をまとめたことがある。

ワープロ原稿をコピーしホチキスで留めただけの簡単なもので、

その前年発行の 『あける13号』 に載せた自伝的小説を友人知人に送りつける(笑)にあたって、近況報告のお便りみたいなつもりでまとめただけなのであるが

その 「あとがき」 に、こんな言葉が書いてある。



いつかまた、書きたくなる日が来るだろうと思っていた。

不思議なもので、どん底のときにはとても書く気力など湧いてこないが、幸せな時にも、書こうなんて気は起らないものである。

いうなれば、どん底から這い上がろうとするとき(精神的にはやや上昇しつつあるとき)、

あるいは、一見平穏な日々の中にも、不満だの苦しみだのが充満していて、それに打ちひしがれることなく、なんとかしなくてはと立ち向かおうとしているとき、

書きたい、

という強い衝動が沸いて来るものではないかと、私は思う。  (原文ママ、読みやすくするため改行だけしました)



まあ、今回は、ブログを書いてなかっただけで作品の方はちゃんと少しずつではあるが書いていたので、全く書かなかったわけではないが
(そう思うと逆に、あの精神状態でよく書けたものだと思わなくもないのだが 

その時の心境にちょっと似ているのだろうかと、古い文章を思い出した。



 在京時代に、現在は会員となっている 「日本児童文学者協会」 という団体の事務局員として働いていたことがあるのだが

その事務局長の 藤田のぼる さんが、

「書く人には二通りあって、若い頃に早くから芽が出る人、年を取ってから書き始めて芽が出る人」

二通りがあるそうだが

「若いころからずっと書いていて、長くやっていても芽が出ない人というのは、たぶん素質がないと思うので、あきらめたほうがいいかもしれないね」

と言っていたことがある。


当時私はまだ20代前半だったので、半分は他人事? のように聞いていたにすぎなかったが、

今ならさしずめ、 どっきぃ~ん     

である。     



 でも、今さらもう後戻りはできないので、私はおそらく、これからも書き続ける。


書きたい気持ちに理由などはない。


そこに 「書きたい材料」 があって、

「書きたい気持ち」 があれば、延々死ぬまで人は書き続けられる。



傍から見たらきっと馬鹿げた、滑稽に見える行為かもしれないが


続けられることもまた才能ではないかと思っているので、

私はこの行為をやめることはないだろう。



 尊敬する元松商学園高校野球部監督で、現日本ウェルネス高校筑北キャンパス野球部監督の 中原英孝さん が、

松商野球部の寮に、こんな言葉を記した紙を貼っていた。


「報われない努力はない。

努力すれば必ず報われる。

報われないのは まだ努力が足らない からだ。」




(1992年、猫田撮影。書籍にも載っています。白黒なのでわかりづらいが、やや色の変わっている文字の部分が本当に赤ペンで書かれていた。)


この言葉は不肖私メの座右の銘の一つとして、くじけそうになったときに思い出させてもらっているが、


 ほぼ18歳のころから物書きを目指してきたので (子供のころから物を書く人になりたかったが、ちゃんとやり始めたと言えるのがこの年)  

その間の挫折は数え切れず、何度もくじけてきた。


そのたびに起き上がってきたので、自分はそうとう打たれ強いと思っている。



また、しつこいのも取柄で

だいたいから15年もたってから 「その年、その時」 でなければ誰も見向きはしないという

タイムリーさを要求される 「高校野球部」 の話を本にしようだなどという酔狂な人間は、私をおいて他にはいないと自負している。



と、こんなことは、年が明けて強気になっているからこそ書けるのだが   


 秋の終わりに、 「松商の話の第3部ですが、年内に仕上げることができなくて、おそらく来年の春頃になってしまいます」


という事情説明とお詫びを書いたハガキを、かれこれ25年も前からずっと、いつもお世話になっていて大好きな 高橋強子(つよこ)さん (H3高橋巧君のお母様で、ブログにも時々登場する方で、たびたびお手紙のやり取りをしている) に書いて送ったら

こんなお返事をいただいた。



来年の2月でも3月でも楽しみに待っています。

第一号の発行の時は何年待ったでしょうか。

諦めずにずっと待っていたことを思えばチョロイものです。



読んで、思わず泣けた。   


1作目の本の時も、強子さんは私に本を出すという決心と、その背中をそっと、だが力強く押してくださった 「恩人」 なのだ。
(詳しくは本文にてご紹介させていただくつもりです)
   


「ハガキを手帳になんてはさまないでよ。恥ずかしいじゃないのよ~。

私が強子さんにいただいた手紙を、いつも手帳にはさんでお守りのように持ち歩いてるんですと書いたら、最後にそんな言葉で締めくくられていた。



昨年試しに使ってみた 「バレエ手帳」 が、大きくて持ち歩くのにやや不便だったことと、
たぶん対象の子供に合わせたのだろう、月曜始まりのため使いづらくて、

今年手帳を、もう何年も愛用している日曜始まりの小さいタイプの物に戻してしまったので、ハガキは持ち歩けなくなったが、

代わりに店のパソコンのところの、ベアーちゃんの陰で文章は見えないように隠して(笑)はさんで飾ってある。(写真冒頭)


「玲子さん おハガキありがとう 


の文字だけが見え、私を優しく励ましてくれる。







 2019年の “運試し”



有難い 「アルフィー招き猫大明神」 の 「おみくじ」 は、今年は幸ちゃんネコで 「小吉」。






 私がお願いすると、自分も買うついでだからと、いつも嫌な顔一つしないでグッズを買って来てくれるありがたいお友達が、

暮れの武道館で売り出されていた記念フラッグを両日2本と、そして 「あるふぃー絵馬」 を私の希望通り3枚買ってきてわざわざ年内に送ってくれた。


裏には、欲どおしく(笑)3つの願い事を書いて、しかるべき場所にこっそりと隠し置いた。




 昨年、30年来の大ファンであるバンド THE ALFEE のリーダーであり、バンドのほぼすべての楽曲の作詞作曲を長年にわたって手掛けている

敬愛する、大好きなお方である 高見沢俊彦さん が、

一昨年から昨年にかけて約半年にわたり 雑誌『オール読物』 に連載した作品をまとめて昨年夏、一冊の書籍として刊行した。

作家になりたいというのは、ちょっと驚いたことに、実は子供のころからの夢だったそうで、彼の数々の文学的、一編の物語風な歌詞同様、

作品も、いわゆるタレント本、ファンは確実に買うから売れるだろうという憶測をはるかに超えた素晴しい出来栄えで、正直、失礼ながらも大変驚いたものだが



本のおまけでついてきた、彼の言葉による 「しおり」 の文面が心に沁みた。




(写真は 「愛蔵版」。筆名は 髙見澤俊彦。

「通常版」書籍には、ネット販売6書店での購入特典として全6種類の栞がついており、表が髙見澤氏の写真、裏には『音叉』の本文よりそれぞれ印象的な一文が添えられていた。「愛蔵版」のみが髙見澤氏自身の言葉によるものである。)



THE ALFEE の方々は、今年で全員が64~65歳となるが、生意気を承知で言わせてもらえば、

還暦を過ぎてから、その活動の場や、人間としての幅を広げたように思う。



彼らを見ていると、年を重ねるのも悪くない、還暦も怖くないと思えます。


私も還暦まで、なんとあと1年半となってしまいましたが   

その準備期間を有意義に過ごすため、


負けずに頑張りたいです。      




 そんなわけで、松商の本、第3部の関係者の皆様、

発行が大幅に遅れていて大変申し訳ありませんが、

春の発行を目指して


最後のラストスパート、頑張ります。

(現在H3をほぼ書き終えたので、あと半分くらいでしょうか。)



どうか温かい目でお見守りくださるよう、ご理解ご協力を頂けますとともに、


応援のほど、よろしくお願いいたします。   



 パソコンの待受けは、気合を入れるために第3部の表紙を、そして一昨年の忘年会の写真も飾ってあります。(写真冒頭)













新年、その2

2019年01月04日 | その他 色々



生まれてからこの方元日しか店の休みがなかったのを、昨年、親を説得してやっと2日まで休むことにこぎつけたので、

今年はもう一歩進んで3日まで休もうよ~ 

と言ったのですが・・・

母の 「3日まで休むことないわ」 のひと言であえなく玉砕      


ま、この押し問答は今に始まったことではないので (店が年中無休なのもそんなわけなのでして)

あきらめ、

せっかくなので時間を有効に使おうと、


2日の日は午後から家の中のいろいろ、普段できなかったことをやりました。


大晦日にどっちかの猫がソファカバーにおしっこたれちゃったので (最近前よりはましになっては来たけど、時々粗相? マーキング? してくれるので  

それらを洗濯しがてら、布団カバーの衣替えなどをしました。



 3年前柴犬のチビが我が家にやってきて、真冬の “厳寒”期 に可哀そうだからと “玄関” に入れたことによる、たぶん焼きもちからだと思うのだけど

ソラシロのおしっこスプレーやマーキングに悩まされ 「おしっこノイローゼ」 になったので、      


その対策の一つとして、リビングのソファー二つと、

使ってもいない 「無用の長物」 であり、今や猫の 「おしっこまり場」(信州弁で、おしっこを「する」ことを「まる」というのです)
 
と化している廊下のマッサージチェアには、完全防水のソファカバーをかけ、


寝室のベッドには、撥水加工してあるベッドカバーをかけているので、

季節ごとにお気に入りのミッキーの布団カバーを少しずつ揃えて、かけ替えるのを楽しみにしていたのだけど、

ベッドカバーをかけたら見えないからすっかりどうでもよくなっていて、最近ではとんと掛け替えなかったりカバーも付けなかったりしたのだが



 昨年秋から 「秋用カバー」 をかけるのを復活したので、

この日は頑張って 「冬用カバー」 につけ替えました。





普段はクリーム色のベッドカバーをかけてるから見えないのだけど、温かみのある色と、

パイル地なので、肌触りも良くて、綿と違ってひんやり感がなく暖かいのです。


奥が私で、猫のおしっこ対策の一つとして床の間を利用した 「押入れクローゼット」 から変更した、ルーバー調の組み立て家具の 「クローゼット」 も、悔しいけど夫に手伝ってもらってやっとこさ、完成 
(夫のクローゼットはその右隣の押入れを利用したもの、その他に組み立てのロッカーダンスが3つ、玄関に一つ、書斎に一つクローゼットがあります。
古い日本家屋の一部改築のため、収納スペースがやたらと多いのと、古いだけにそこを利用した模様替えや、古さを感じさせずにそこでいかに快適に暮らすかの工夫のし甲斐があるのだ 

ベッドスカートと、枕はしないので “飾りの”フリルカバー枕、ネコ脚コンソールと 「姫系」 してます。      


落ち着いたらベッドも 「姫系」 に変えたいです。



 それから、洗面所のタオルかけが、何度つけても外れるので、違うものに交換。

上の長いものは、元々はつっぱりカーテンポールだったもので、弱いので、真ん中にも支えを入れるのに片側しか外れなかったので付け替え、      

やっと完成したかと思ったら、洗面台の三面鏡キャビネットの扉が開かなくなって付け替え、   

そんなことをしていたら、タオルかけだけで一時間以上かかってしまいました。    

おまけに、正月でやっと治ったと思った右おやゆび腹の手荒れが、ドライバー回し過ぎてまた荒れまくってしまったの・・・      

電動ドライバーも買ってあるんですが、ついやりやすい昔からのねじ回しが好き。      




でも、とりあえず、まあまあの出来栄えに満足。

“ホテルライク” な洗面所を目指しているので (笑) タオルは白、タオルかけも一応オサレで高級そうなの? を使ってたのですが・・・   

これでよしとしましょう。

下二つは色つきのがヘアドライタオルで、バスタオルは髪を乾かすまで濡れて冷たいから肩にかけてるタオルです。  意味わかる?

その手前に見えているステンレスのパイプは、洗面所で髪を乾かしたりする時に座ったり脱衣所の衣類置きにもなる椅子のアームです。

下のタオルかけにかけてあるピンクの袋は、今はヒミツの、と、あるものが入ってます。 (いつかお話しします )  




こちらが夫のバスタオルで、お風呂場 (右手奥) から近いところで、洗濯機にマグネットのタオルかけにかけています。  



 これだけやっていたらけっこう夜になっちゃって   




暗がりの玄関通るたびに、何かくれるかと思ってチビチ君がお座り。

かわいい。     




リビングでは、ソラとシロが寝そべっていて・・・穏やかな時が流れて


シアワセ            


完全防水のソファカバーの上に、更におしっこシートも敷いてるから・・・ちっとも穏やかじゃないけど        


でも、おうち大好き人間なので、


こうやって家にいて、のんびり家事なんかをしてるのが幸せなのです。     





 すっかり 「物置」 と化している6畳間ですが・・・

ここも暮れの荷物やらいろいろ置いてあったのを “これでも” 片付けました。    


一応バレエのレッスンバーと鏡、ポアント用のリノリウムを敷いているのです。(ポアント履けないけど理由があり)   

鏡の向こうに写っているのが、上の方で書いた 「別名・おしっこまり場」 となっているマッサージチェアです。

わかりづらいけど、右手のクリーム色のフリルがついているのは手作りのカバーのついたベンチにもなる、45ℓのゴミ袋がすっぽり入る 「ゴミ箱」。

白いボックスは 「愛用の工具箱」 です。(笑)


カーテンは、普段お出かけできないので、ここを 「アジアン(ハワイアン)リゾート風」 のお部屋にしたかった時に買ったもので、ちょっと浮いてます。(笑)

いつか窓から坪庭か海の眺められる、家に居ながらにして温泉またはリゾート気分の味わえるおうちに住むのが夢です。(笑)


その他にも、いちいち書くほどではないけど、気になっている家の中のちょっとしたことをして、掃除機かけたりお風呂を洗ったり満足~の一日でした。    



極めつけは夜寝る前に、初“セルフネイル”に挑戦しましたが・・・    

そちらの方は Twitter にでも UP しますね。        

 

日常に追われ、疲れ切っている? と心もすり減ってきたりしますが、      
  

いつも、持ち物、着るもの、住む場所、そこに置くものなど、自分の 「好きなもの」 に囲まれて暮らしていたい。

その 「好きなもの」 とは、ブランドとか高価なものでは決してなく、お気に入りのものや、自分の感性、便利にあったものです。


そして、

普段の何気ない生活を楽しみ、慈しみ、タオルかけを取り替えるような小さなことに喜びを感じていられるような、

心豊かな、いつでも、そんな自分でありたいものです。    






※ その3へ続く。










あけましておめでとうございます。

2019年01月03日 | その他 色々



旧年中は色々とお世話になりました。

大晦日に一年の締めくくりの記事を書いていたのですが、時間がなく、UPできませんでした。

どうもすみませんでした。    


去年も一年間色々ありましたが・・・ 


両親、私達夫婦、ソラとシロ、チビ、皆揃って元気に年を越せたこと、感謝します。




晴れた、穏やかな正月でした。









Twitterやフェイスブックに簡単にUPできるので、ブログが減ってしまいましたこと、お詫びいたします。

本年も変わらぬご愛読のほど、どうぞよろしくお願いいたします。    







   
元日は、夫の作ってくれたお節を食べながら、飲んでダラダラしました。       



黒豆、田造り、紅白なますは母の手作り。

普段は以前より料理をしなくなってきた母ですが
(両親の夕飯は一年以上前から私が作ってあげている。帰宅してから今度は自分ちの夕飯づくりと一日に二度夕飯を作っている私 )、

正月料理は自分で作らないと気が済まないようで、私も一緒に買い出しに行ったのですが、材料を買った時点でまずびっくり、

本当に作ったので、なおびっくりしました。      


だし巻き卵、茶わん蒸し(M茸入)などすべて夫作。揚げ物も出来合いではありません。

年取りの夜は4人で食卓を囲むのですが、元旦は両親と子供世帯は別々に過ごすので(店も休みます)、

同じものをすべてお重に入れ、両親の元にも暮れのうちに届けてあります。

それぞれの得意の正月料理を交換し合います。


他に冷凍のM茸の入ったお雑煮などです。

奥は夫の故郷、新潟名物 「のっぺ」 です。


夜、人けゼロの神社に初もうでに行った帰りに、実家に寄って

年賀状と、暮れから元旦にかけて母が少しずつ完成させた 「お煮しめ」 をもらって帰りました。


  

こちらが母の作った品のいい(笑)お煮しめ。

物忘れや、前より確実に老いを感じるわけですが、92歳でこれだけ作れれば大したものですよね。




※ その2へ続く。