猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

ゴンの子めぐりツアーと元善光寺・その2

2009年05月27日 | お出かけ、レジャー、イベント等
我が家のとゆーかオットの車のナビは古い。
K谷と伊那谷を結ぶG峠が開通し、平成の大合併があったのは、車を買ってからなので、ナビには入っていないのよー。
よって道に迷い、伊那に入ってからなんかゼッタイ遠回りしたって感じで高速に乗り、まぁ、飯田についてからは迷わず元善光寺へ。(写真は石段の上り口にある看板)


話に聞いていた急な石段を手すりにつかまりながらヒーヒー言って上った向こうに、お、おーっ! 燦然と輝く回向柱が。
なんか、写真がみんなボケボケでんな~。許されて(^^;)

御開帳中とあり、ひっきりなしにバスツアー客が乗り入れ、参拝客もあとをたたなかったが、長野の善光寺さんと比べると、信じられないほど人が少ない。回向柱の周りも誰も並んでなくて、ちょい待ちですぐに触れた。


これは、ちょっと信じられないほど周りに人がいないですが、偶然いなくなっただけで、ほんとはもっといましたよ~。けっこうみなさん、柱に触ってるところを写真にとってました。(ちゃんとこの前に柱に触れてお願い事もしてお参りはすませてからです)

それからご本堂の中で先祖供養のお線香(一本百円なり)を上げ、前立ち本尊とご本尊様におまいり。畳を上がったところでは話に聞いた名物(?)ご住職様の法話をやってましたが、そうゆっくりもしていられないので(オットは休みだが、私はできるだけ早く帰って店に出なくてはならないため)、上には上がらずに帰ってきた。ちょっと残念だったけど仕方ないです。

境内で健康を祈願する「まめ成就」(豆菓子)と、人気でそこ一軒しかないためもあってかすぐに売り切れる、創業百有余年「吉丸屋」の名物『座光寺・元善光寺まんじゅう』(座光寺とは元善光寺のある地名・なんでも元善光寺の尼僧が作り売り始めたまんじゅうだそうな)を、15分の焼き上がりを待って根性で買う。
それにしても、この界隈には土産物屋が、すぐ出たところに一軒(中に入ったが長野の善光寺と共通の土産やどこにでも売ってる土産しかなかったので買わず)と、少し道を降りたところのこのまんじゅう屋の2軒しかなかったが、ご開帳以外ではなんか静かで人通りも少ない、山奥のお寺(ってKの人間に言われたくないってか?)とゆー感じがしました。
ご開帳は7年に一度。開催期間たった2ヶ月。それ以外は、どうしてるんでしょうねぇ、このおみやげ物やさんとか。(いらぬお世話か?)

帰りにインターのある、話に聞いた松川名物「ごぼとん丼」(ごぼうと地元産豚肉を煮込んだものを乗せたどんぶり)を食べて行きたかったのだけど、急に行くことに決めたため案内を忘れてきて、町中をちょっと探したのだけど食べ物やさん自体が中々見つからなくてあきらめる。残念。(なんか、飯田も松川も山奥の何もない田舎町だなぁーと思う。って再びKの人間に言われたかぁないよね・笑)

途中のパーキングエリアで、名物でもなんでもない、どこにでもあるようなフツーの炊き込みご飯とおそばのセットを食べ、オットは帰ってからビール飲んでゆっくり食べたいからといって、伊那谷名物「ソースカツどん」弁当を買って帰りました。そのパーキングは、他にソースカツサンドとソースカツむすび(天むすのようにカツを巻いたおにぎり)を売ってたので、それもお土産に買ってきた。


左から「まめ成就」「座光寺まんじゅう」「ソースカツサンド」見えにくいがその上が「ソースカツむすび」


とゆーわけで、元善光寺突然ツアーは無事終わりました。
今年は初詣に二回も行ったし、善光寺と元善光寺ご開帳にもお参りしたし、S条祭りで八幡様へも参ったし、そうそう黒猫大明神も行ったし、きっと、いろいろいいことがあるに違いない、と思っている。

それにしても・・・
私って写真ヘタだなぁー。なんでこうしょっちゅうボケるかなぁ。これじゃ使えねーよ。
(でも、他にないので載せます(^^;)

ゴンの子めぐりツアーと元善光寺・その1

2009年05月26日 | 猫・犬
「なんか飯田に元善光寺というのがあって、長野だけ参っても『片参り』とかいうらしいよ。でもってそこはあまり混んでないから、たぶん回向柱にも触れると思うよ。」と私が言ったら、オットもその気になったらしくて、急遽オットが休みの昨日、元善光寺いってきました。

そしたらさぁー、オットがもちろんゴンもつれてくから、ついでにゴンの子供達のところへも寄ろう!とな。私は高速使っても飯田まで片道2時間もかかるらしいから、そんなとこ寄ってる暇ないよー、やだよー、って一端は言ったんだけど、でも、ゴンちの体の心配もなくなってほっとしたことだし、モモがいなくなってからというものの、ゴンの子供達(モモコの兄弟ね)が、一段と可愛くいとおしく思えるものだから、せっかくなので行くことにした。
ゴンの子供達はみな、オットがここは、と思う自分の親しい人たちにくれてやったので(うち2軒はオットの職場の近時)、オットはたびたび会いに行っているが、私はめったにいかないせいもある。


で、行きました。

★まず、北斗(オス・写真上)とゴンのお母さんのルルのいるNさんち(町内)へ。車で家の前まで行くと北斗が番犬してて、吠える、吠える。
が、私達の姿を見たとたん、出ました!宙吊りになって両足をバタバタさせて、よろこびのポーズ。よくモモも、そして若い頃のゴンもこうやって宙吊りになって喜んでたっけ


大好きなNのじーちゃんからおやつをもらおうと待っているゴン。もー、じーちゃんにぴったりよりそってます。


ゴン、じーちゃんに、甘える、甘える。
左は母親であるゴンのお尻をかぎたくて(なぜに?)追い回しては嫌がられている北斗。
左端の後姿はゴンの母親のルル。年取ってしっぽがたれさがってます。


★続きまして、オットの職場のほんの隣近所のようなところにあるので、しょっちゅうおじゃましているという、Tさんちのチビ(メス)のところへ。
もー、末っ子でうちにいるときも甘えん坊だったが、Tのじーちゃんたちに甘やかされて、ますますわがままになった?チビは、前に行ったときもそうだったんだけど、今回も案の定、私達を見たら、もう興奮して「うれしっこ」(うれしいとしてしまうオシッコのこと。大人になるとやらなくなる)しちゃいました。
で、やっぱり母であるゴンのお尻を追い掛け回し、ゴンは嫌がって逃げ回り・・・
わいのわいのやってるうちに、めずらしくばーちゃんが家の中から出てきた。
なんでも、モモも含めた4兄弟の中で唯一「お手」ができないチビに、毎日休み時間にお手を教えに行っているオットは、しきりにその成果をばーちゃんに見せようとするのですが・・・
興奮してるものだから、できない・・・
やっとのことで、ほんのちょっとの「おすわり」と「お手」を披露して満足げ。


Tのばーちゃんとしゃべる、某相棒。おっさん、鼻の下のびきってまっせぇー。
チビはもー、うれしくて腕に抱きつきまくる。うーん、モモもよくやったなぁー。デレデレして耳までのびきってます。


★最後は長女であり真っ先に生まれたMさんちのこなつ。
やっぱり大喜びで迎えてくれて、ゴンちのお尻を追い掛け回して、ゴンに嫌がられてました。犬って子どもの方ではいつまでも覚えてて甘えたがるんだけど、親はある程度になったら、子供をうっとうしがるんですね。オモシロイ。


なんとー! こなっちーは、娘さんのYちゃんが買ってきてくれたパラソルの下にいました。暑いから、日よけだそうです。ここんちも家族みんなで可愛がってもらって、すごーく甘やかされてます。でも、しつけも行き届いていて、みんなの中でいちばんしっかり、きれいなお手ができるのよ。ゴンでさえ上手にできはしないのに(^^;)


と、ゆーわけで、元善光寺に出発する前に、そのたび子どもに追い回されて充分疲れてしまったゴンと、時間をかけてしまった一行は、いざ、元善光寺ツアーに出発で~す。
つづく・・・

ゴンち、よかったね~。これでひと安心だよー

2009年05月24日 | 猫・犬


先週の金曜日、オットが仕事が遅番だったのでゴンをつれて松本の動物病院まで行ってきた。「フィラリア予防の注射をしましょう」というハガキがきたので、今までそんなのしたことはなかったけど、去年悪性腫瘍の除去手術したところが心配なので、ついでに見てもらおうと思ったのだ。

で、結果から話すと術後これだけ時間がたっても(約8ヶ月)再発してないので、たぶんそこはもう大丈夫ではなかろうか、とのこと。

ああー、よかったぁー。
胸をなでおろす。
あれからゴンはとっても元気だったけど、取りきれなかった細胞まで浸透しているかもしれないというガンが、もしも知らないうちに全身に回っていたらどうしようと、いつもなんとなく心配していたのだ。
これで一安心である。
やっぱ、ガン予防に毎晩ヨーグルトに抹茶と蜂蜜をたらしたものを食べさせてたのが効いたのかな。

ゴンよ、モモの分まで、ずっとずっと、長生きしてね

すごいぞ! ヤッタね。名将・中原監督!!

2009年05月20日 | 松商、中原監督 関連
やりましたねぇー。

長野日大監督就任4年目にして、早くも古巣・松商学園との夢の(?)対決。

きのう5月19日、春季北信越高校野球長野大会準決勝にて、長野日大は松商学園を6対7と競い勝ち、北信越大会の代表権を獲得しました!!!

これは、今日のスポニチ20面(裏表紙)。

デカデカと載ってます。「長野日大」の見出し左横写真は中原監督。

なつかしい、満面の笑顔です。




↑ こちら、左の新聞は信濃毎日新聞。やはり、大きく取り上げてます。


ふふふ、ウッレシィ~ぃっっっ!!!


やっぱ、中原監督はスゴイです。

今日、決勝戦を佐久長聖と戦って、惜しくも4対9で敗れてしまいましたが、それでもかつての弱小チームがここまで成長して、3季連続長野県代表にまでなったのはたいしたもの。

しかも、因縁の宿敵(?)、小尾松商に初対決にして勝利は、きっと中原監督を応援する誰もが、心の中でガッツポズ、いや、大きな声でバンザイしたことでしょう。
(いえ、松商も応援してますよ。でも、それ以上に中原監督の大ファンで応援してるのですから、ま、このさい、しょーがないです。ゆるちてね、松商ファンの方々m(_ _)m)


注目の一年生からエースの加藤幸宏くん(現在2年)は、k町出身。
家がお店屋さんで、おばあちゃんちがうちの近所で、ちっちゃい頃はよくひとつ上のお姉ちゃんとうちにおやつを買いに来たなぁー。姉弟そろってこまっしゃくれてて、かわいかったよぉ~。

その後松本シニアに進み、この間送迎会に行ってきたグランセローズに入団した松本匡礼くんのお母さん(元同級生のk子ね)の、「仲原監督の元でやらせろ」っていう勧めで、日大に進んだのよ(k子・談)。
で、一年のときから活躍してるんだから、すごいなーと思います。


加藤君も中原監督もこれからがますます楽しみですねぇー。

ぜひ夏も甲子園、行ってほしいです。

注目、ですよ。


がんばれっ!!!



PS.松商の池井くんもK町出身で2年生です。
代打で出たみたいですね。彼も知り合いの息子さんでよく知ってるのだけど、礼儀正しいいい子ですよ。
来期はレギュラー目指してがんばってほしいですね。

もう一人Kから松本シニアに通っていた同学年で荒木大輔君という、かのピッチャーと同姓同名の子がいて(お父さんがファンで同じ名前をつけたらしい)彼は東海大三に進んだのです。
会ったことはないけど、お母さんと昔○○仲間でした。

それぞれ進む高校は違ったけど、3羽ガラス、がんばってほしいです。










今年も行ってきましたぁ~

2009年05月19日 | お出かけ、レジャー、イベント等
年に一度の里帰り、ダンナの実家、新潟県S条市へ、5月14,15日と(毎年S条祭りにあわせて帰省している)。

今年は7年に一度の善光寺ご開帳の年なので、どうせ長野は通り道だからと寄っていく事に。もう、善光寺近づいたら道路が一時間待ちという大渋滞に。回向柱だって触るのに2,3時間待ちと聞いていたので、こんなとこで1時間もはまってたらたまらんわ、とダンナが機転を利かせて道をそれた駐車場へ。そこからあてずっぽうで歩いていたら、参道を通らずに本堂の方へ出てしまった。
するとすぐそこに、前立(まえだち)本尊(善光寺のご本尊の前に立つ仏様で本尊の分身と言われている)の右手とつながっているという『回向(えこう)柱』が、すくん、と立っているのが見える。なんだ、そんなひとだかりじゃないじゃん、と思ったのは甘くて、それは柱に触れられる人数は限られていて、皆さん順番に並んでいるから周りはスッキリしているだけのことで、では、列に並ぼうかとさかのぼっていくと、行けども行けども列の最後尾が見当たらない。
その長い列を見て、
「どーする?なんか、こんなに並ぶのやんなってきた。」
「やめよう。」
と、オットが即答。
回向柱の写真だけ撮ってきました(^^;)。

善光寺のご本尊様は、決して姿をお見せにならない、絶対の秘仏なのだそうで、本尊のお姿を写したご本尊の分身である前立本尊さまが、7年に一度だけお姿を現すというのが「ご開帳」なのだそうな。おー、なんか、まわりくどいな。てか、すごいもったいぶってるな・・・(とかいったら、仏様に対して失礼か)
で、その前立ち本尊の右手とつながっている回向柱に触れることで前立ち本尊様とのご縁が結ばれるという、ほんとに長~い、道のりなのです。
この長~い道のりを、これまた長~い行列を作って柱に触れようと待っている人たちというのは、すごい根性の持ち主だなぁーと感心したのです。でも、なんでも、すごいご利益があるのだそうな。オット曰く、「みんな(柱に触れてる時間が)なげーよ。これじゃぁ進まんわけだよ。百くらいお願いしてんじゃねぇかぁー?」

代わりに、その前立ち本尊様を間近で拝めるというご本堂参拝(ちゃんと500円とられる)は20分待ちというので、そのくらいだったら待てるからと、並びました。途中、体の悪いところをなでて治してもらうという「びんずるさま」の体をなでて祈願する。
と、ここまでのことは、帰ってから資料を見て調べたのでわかったことで、事前学習しなかったため、行ってるときは何がなんだか意味がわからず、とにかくご本尊様を間近でおがんだわぁー、と満足して、前立本尊様のお姿を見るなどということまで、考えが及びませんでした。てか、眼鏡忘れたし。

回向柱には触れられなかったけど、ミニ回向柱のお守りを売っていたので買って帰る。一番小さいので1000円なりを、自分ち、Kの親のうち、S条の妹の家、両親の家、兄の家となんと5本も買ったので、えらい出費に・・・でも、これで7年間も前立本尊さまがお守りくださるのだから、安いもんだ。ありがたや、ありがたや。

それが、これです ↓



それから、帰り道の途中でなにやら小さい回向柱のようなものを飾っているところを発見。見ると「釈迦堂」とな。この柱は何なのかなーと思いつつも、ご本尊の回向柱に触れなかったので、ここの柱に触ってくる。


行きには通らなかったので、帰りは仲見世を通る。お寺参りには、こういうところを通らなくては風情がないというもの。途中ソフトクリームを買ってなめる。帰りは何度も道に迷う。そのたびオットはあてずっぽうで行こうとするので、私がその辺に立っている整備の人に聞く。なんでこーゆーとき、人に聞かないかなぁー、それが一番手っ取り早くて間違いがないのに、とイライラする。
やっとのことで駐車場にたどり着き、車に残していたゴンと再会。待たせてごめんねー、と誤る。


その後、松代まで戻る。
ここには、例の「黒猫大明神」さまと温泉があるのだ。
何年も前に、友人に連れて行ってもらったところ。その後、本の出版お礼とドラち御帰還お礼に行ってなかったので、ぜひとも行きたかったところだ。
ナビがあるので簡単について、お堂に参拝。
それから、向かいの温泉旅館にて、日帰り入浴。なんとー!350円とメチャ安。年季の入った玄人好みの温泉は、ぬるめの鋼線。長湯して湯治するのによさそうなお湯だった。平日だったせいもあってか、客は私一人。貸切り気分を楽しむ。そして帰り際、宿のご主人にダメモトでもと、黒猫大明神の由来を聞いてみる。と、果たして・・・ご主人はお堂を管理している人なのでした。び・び・び、びつくり!!!そして、なんとー!!中も見せてもらえることに。このお堂のことを「とうげの旗」のスポットに載せたいので、写真をいっぱい撮らしてもらう。由来とか詳しいことは、そこに書くので、今はヒミツ。


↑ これが黒猫大明神のご本尊様です。

車中、聞いてみるもんだなぁーと本日の収穫を喜ぶ。
と同時に、あ、あれも聞くべきだった、これも・・・と聞き忘れを発見し、こんなんじゃダメじゃあーん、帰ってから電話しなきゃ、あん、調べなきゃいけないこともいっぱいだわと、アセル私でした。
それにしても、この記事は次の次の号(11/30発行)に載るやつで、その前に9/20号に載せる記事の締め切りが迫ってるのに、場所も決まってるのに、まだ取材の交渉もしてないよ~(^^;)・・・行ったついでだったので、こっちが先になっちゃいマシタが、行ったついでに済まそうなんて根性からして取材する姿勢が足りないわけでして。せっかく編集の人が作ってくれた名刺も忘れてるし・・・反省。しっかりしなくては・・・


さて、5時過ぎにS条の自宅に着き、みなで歓談しながら、山海の珍味に舌鼓を打つ。S条の父は去年食道がんの治療のため8ヶ月くらい入院していたが、やっとよくなり、なんとそのあと今年の2月に自転車に乗っていて転倒、骨折でまた2ヶ月入院していたそうだが、すっかりよくなって、元気そうで安心した。
姪は中学3年になり、おじちゃんとお祭りに行ったりする年頃ではなく、友達と行ってしまい、9時過ぎに帰宅。おじちゃんとしてはちょっとさみしかったかも。
でも、姪に喜んでもらいたい一心で平日なのにタラの芽を採りに行き、おじちゃんの揚げた方が上手い、といわれ、持って行った先の妹の家で揚げてたよ~。で、期待通りみんなに喜んでもらって満足のオットでした。


次の日は、時間が空いたので八幡様まで歩いてゴンつれてお祭りを見に。
行ってみたら往復で1時間以上も歩いてつかれたぁー。(でも、帰ったら体重が1キロ減ってた♪うれしい→二日で元に戻りましたが(^^;))まぁ、でも、久しぶりにお祭りもいけてよかったです。昼頃、たくさんのいただいたお土産を積んで岐路に。

途中、来るといつも寄る米山のお魚センターで色々買い込み、海岸でゴンと遊びました。去年はモモもいたのになーと思うと、ちょっと寂しかったけど。


このあと、途中のパーキングで遅いお昼を食べ7時過ぎに帰宅。
懐かなくて触れないため置いていかなくてはいけなかったドラちは、思ったよりいい子してましたが、父に頼んであげてもらったエサを全然食べてなかった。なんかせめてもの抵抗かも。
ゴンは疲れたのか、帰ってからぐったりとして玄関のサークルの中で丸まってたよ~。このサークルも持っていったのに、S条でも行き帰りの車の中でも、ほとんどねんねも伏せも、お座りさえもせず、ずっと立ったまま車のシートの間からじっと前方を見ていたゴン。
今年からモモがいなくて、この場所、自分が独占だったから気分よかったかな?


一大行事も終わり、しばらく平穏な日常生活に戻ります。(今年は5月始めに2泊3日で姉夫婦が遊びに来てたので、実家の掃除やらご馳走作りやら、よけい忙しかったワ~
ふぅ・・・

急に暑くなったぁ~

2009年05月11日 | 生活・行事、季節のもの
数日前から急に夏になったみたい。
ついこの間まで春の、いい陽気だったのに・・・。
連休後半は雨で、むしろ肌寒かったのに・・・
なんか、だるくてヘロヘロですぅー。
したがって、やる気ナシ。

今週の木、金とS条へ年に一度の里帰りなので、なんか落ち着きません・笑。
水曜日は持っていくお土産を買いそろえたり、実はあることに初挑戦なので、こんな忙しいときにめんどくさいけど、行って来るわ。

それまでに、先日かって来た花の苗を植えてしまいたいと思っているのだけど、なんか暑いし、やだなぁー。一日で終わるかしらん。

写真は、オットが先月から玄関の松ノ木の枝に仕掛けている夏みかんです。
「聞いたらさ、この辺じゃみんなりんごやミカンを庭先にぶるさげて、鳥の餌付けをしているらしいよ。OOさんも、××さん(職場の人、ね)も、みんなやってるって。おもしれーからオレもやるかな。」
この辺の人はみんなやってるってか?・・・まさか。
んなハナシ、わたしゃ聞いたことありません。
だいいち、鳥にタダくれてやるために夏みかん買ってくるの、もったいないじゃないか。

が、しかし・・・買ってきました。仕方ないので。
嬉々として翌日から、枝に夏みかんをぶるさげているオット。
どーでもいーけど、踏み台を使ったら元のところに戻しておいてよね。扉を開ければ開けっ放し、なんかを出したら出しっぱなし。「戻す」という発想がこの人の頭からはどーも、欠落してるよーなんですね。

よって、私がいつも、尻拭い・・・ううん、ハラがたつ。

は、ともかくとして、果たして・・・

鳥さん、きました♪
見事、皮と袋のスジだけ残して、きれいに中の実だけを食べるという、起用さ。
「確かに来ている形跡はあるんだけど、オレ、一回も姿見たことねーんだよなぁー。」
鳥のさえずる声を耳にすると急いで外に飛んでいくみたいだけど、いつも逃げたあとだって。私は食べてるトコは見たことないけど、一回、姿は見たもんね~。
大きな、黒い野鳥みたいな鳥だったよ。

ふふん、鳥の餌付けかぁ。
ま、やってみれば、ちょっとオモシロイかも。
夏みかんくらい、くれてやるワ。←太っ腹なワタシ。
イナカタルライフ、満喫。

自然と触れ合う→豊かなきもち。


↑ その、松ノ木の下に生えている「寒つばき」の夏咲きは、今が見ごろです。
名前が示すように、冬と春と年2回咲くのです。
年に2回も咲くなんて「一粒で二度おいしい」的な、なんておトクな花なんだぁ~と思って何年も前に買って植えておいたものが、ここまで大きくなりました。
手入れしないのに、よくだなぁー。
ちなみに、冬もちゃんと咲いていたかは忘れたので、今年の冬が注目ですな。
花後に剪定しないとだめかなぁー??



↑ ん??
どらちが、ついに?

じゃぁ~ん、これはドラちにとてもよく似た、ゴンもモモも大好きだった、近所のSさんちで預かっていてすっかりおばさんに懐いてしまった猫のミーコですが、いよいよ親せきのうちに帰るかも、と聞き、きのうあわてて見に行ったのです。

ひとなつっこいというか、やっぱ猫好きは向こうでわかるのかなぁー。
だんだんなれてきて、なでたり抱っこしたりできました♪
写真は、ムリヤリ感、おーいにありますが・・・(^^;)  「むぎゅ

それにしても・・・久しぶりに猫にスリスリできて、うれしかったわぁー。


家に帰ったら、ウチの懐かない猫が、まだ早いのにお昼のカリカリ(おやつ)を求めて、ひょっこりリビングに姿を現しました。
なにか、感じるものがあったのかな~。
動物は、勘がいいから。

ふふ、懐かなくても、ウチの猫もかわいいぞっと♪♪

嶋田真理子さん

2009年05月06日 | ヘルス&ビューティー
嶋田真理子さんは、1980年代に20代だった私の、愛読ファッション雑誌『non-no』の専属モデルだった。
二十歳で当時まだ珍しかった「メイクアップ・アーティスト」の嶋田ちあきさんと結婚。その花嫁姿と初々しい新婚ライフがノンノの特集記事に載っていて、私は特に嶋田さんのファンではなかったが、おいしそうな手料理や編み物、DIYで可愛くリフォームしたキッチンなど、私の憧れる生活があったので、私はそのページを切り取って長いことスクラップしていた(当時私は気に入ったページを集めてノンノのスクラップブックを作っていたほどだ。結婚に対する憧れもあったので、有名人の着てみたいウエディングドレス姿特集とか実際結婚した有名人の結婚スナップ特集なども綴じていた。その中には手塚里美、真田広之夫妻とか京本政樹夫妻とかのちに別れちゃった夫婦が何組かあったよ~)。

何年も前のことだが、大地真央が表紙で特集されていた『エイジレス・ビューティー』というメイクの雑誌を本屋さんで見つけたのだが、その本は嶋田ちあき監修で巻末の方のメイク・モデルが嶋田真理子さんだった。
相変らず、美しくて若々しかった。子育ても一段落して、また、仕事に復帰したのかな、と思った。いずれにしても、幸せオーラで輝いていると思ったものだ。


さて、それからまた何年かたった現在の私。
パソコンで何かについて検索していたとき、ふと思い出して「嶋田真理子」で検索をかけてみた。
果たして・・・出てきました!
「ビューティーライフ・アドバイザー」という肩書きで、驚いたことに自分が若い頃はうんと下だと思っていた嶋田真理子さんは、なんと私とたった3つしか違わなかったのだ。
元モデルで、オットは昔から、そして現在も時代の最先端を行くトップ・メイクアップ・アーティスト、若々しくてキレイであたりまえではないか、と思うものの、45歳にしてこの若さは脅威ではないか、と思った。

多分、自慢話なんだろ~な~、と思いつつも、その若さと美しさのヒミツを知りたくなった私は、さっそく彼女の本を3冊、購入してみた。
そして・・・私は、驚くべき事実を知るのであった。


20歳で当時をときめくファッション界のリーダーと結婚、その後も順調に来て、またモデル界に復帰、かと思いきや・・・
真理子さんは23歳で原田病という原因不明の難病にかかり、何年もほとんど寝たきりの生活だったらしい。その後30代になってからも白内障や静脈瘤など体調不良は続き、おしゃれをしたいとか、再び生き生きと暮らせるようになったのは、なんと38歳になってからだったらしい。
15年も体の不調が続いていたのだという事実。その間、死にたいという彼女に、たとえ寝たきりでもいいから愛する人を失うほうがもっとつらい、と仕事で疲れて帰ってもずっと看病し続けたというご主人の献身的な愛もさることながら、多少元気になって洗濯物を干しながら、「ただシンプルに元気になりたいなぁー」とだけ思っていた日々、私なんかとてもとても、が口癖で、最近まで着るものもメイクも一人では決めれず、夫に任せきりだったこと、ファッションの最先端にいる夫を持ちながらも、ほとんど夫とはそういう話しをしてこなかったこと、など、想像もしてなかった色んなことを知るのでした。

へーえ、自慢話かと思ったら全然ちがうんだぁー。
それどころか、15年も体調が悪くてオシャレする気力もなかった人が、よくぞここまで、と思うほどに見事な復活をとげ、今を生き生きと輝いているという事実。

38歳からの再出発。
「人は何歳からでも美しくなれる」
「もう年だから、というのは言い訳」
という言葉は、病気を乗り越えた嶋田さんだからこそ、説得力がある。
ちなみに、子育てに一段落して仕事復帰かと思ったら、嶋田夫妻に子どもはいなかった。真理子さんの病気とは関係なしにできなかったらしいが、今では二匹の犬を飼っていて、二人が子ども、といっている。子供がいなくて犬を飼っている有名人は多いが(イチロー、シャランQのまこと、森絵都、江國香織など)、立場が似ている人というのは、やはり共感を呼びやすい。


その真理子さんが出した二つの本、『きれいは楽しい』と『おいしいねっ!』は、もともと料理好きだった彼女が、自分の健康というより、ある日、このままいったら、この人死んじゃうかも、と危ぶんだご主人の健康を立て直すために、必死になって研究し、努力して編み上げた「体に良くて」「おいしい」お料理のレシピ集なのだ。
乾物や、豆など、古臭いと思っていた食材が、実はとてもおいしくて賢い、しかも便利な食材だったことや、「玄米を食べているから多少のことがあっても大丈夫」と思える、一日一度は食べるという玄米、体にいいオイルの話、などは、実は嶋田さんの著書から興味を得て手に取った本です。


きれいは楽しい!
まさにそのことばは、病を乗り越え、生きる気力や喜びを見出し、おしゃれして、自分がどんどんきれいになっていくのは楽しいことだ!
という彼女の、実に深い実感のこもった言葉として私には受け止められた。

今、心も体も健康を取り戻してきて、やる気と気力がみなぎってきたことへの喜びをかみしめている毎日。
私も、体の中から健康に、美しくなりたいなと思う。


ところで、嶋田真理子さんの新婚ライフの特集記事、もうずいぶん前に処分してしまったけど、とっていたら貴重な財産だったのになぁーと、今思うと残念です。他の別れちゃった有名人もいるウエディング特集は別としても・・・笑。

ちなみに、嶋田真理子さんは『mcシスター』というファッション誌でデビューしたようですが、その雑誌、中3のときに東京、長岡と引っ越してKに来たクラスメートが読んでいたので、なんか都会の香りがして私も読み始めたという、中3から高校にかけての愛読誌でした。お洒落でハーフのモデルさんが多くて、アメリカンスクールとか都会の風景は憧れでした。たしか、雑誌掲載の洋服の型紙も載っていて、手作り大好きだった私にはとても嬉しかったように記憶してます。(ほとんど作らなかったけど・笑)
でも、彼女は私より3つ下なので私が愛読していた頃は、まだ同誌のモデルさんにはなっていなかったということですね。ちょっと残念かな。でも、なんか「つながり」を感じたりして。