猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

『夢 希望となる』・・・中原野球、新天地にていよいよ始動!! テレビ信州 1/23放送

2016年01月30日 | 松商、中原監督 関連



お待たせしました                


日本ウェルネス高校信州筑北キャンパス開校記念特別番組
『夢 希望となる』        製作 テレビ信州

が、1月23日(土)放送されました 




 昨年、9月25日  



信州 筑北(ちくほく)村に、日本ウェルネス高校信州筑北キャンパスが開校しました。



日本ウェルネス高校松本キャンパスから、蹴球(しゅうきゅう)部20人が筑北キャンパスへと移動してきたそうです。



 それに先立ち、8月10日には、第1回オープンキャンパスが行われ・・・



主に野球部を目指す生徒が、見学、説明会に訪れました。



野球部は、
これまで32年間の監督生活で11回甲子園に連れて行った経験を持つ、名将中原英孝さんが監督就任に決まりました。

学校、村など、周囲の期待も大きいです。




 東筑摩(ひがしちくま)郡 「筑北村」 は、人口4600人ほどの小さな村。



ですが、長野市と松本市の中間に位置し、どちらからも通いやすいという利点を持ち、高速インターも近いそうです。
最寄り駅は、JR篠ノ井線 「西条駅」。



小学校の廃校舎を改築したという日本ウェルネス高校信州筑北キャンパスも、駅から徒歩2分と、便利な場所にあります。



教室は明るいガラス張りで開放的。

タイケン学園 「日本ウェルネス高校」 は全国に9つのキャンパスを持ち、様々な資格が取得できる通信制の高校 (他に専門学校、大学もある) ですが、

とりわけ筑北キャンパス “スポースコース” は、「週5日の登校制」 で、午前中は学習、午後に部活というシステムを取っている点が完全な通信制とは異なり、通常の高校生活に準ずる感じ。



食堂やトレーニング室も完備、ゆくゆくは野球部の寮も完成する予定です。




 既に松本キャンパスから移動してきた蹴球部が活動しており、



フットサルでは、県大会3連覇など、優秀な成績を収めているそうです。








 学校では、練習にとどまらない、農作業の手伝いなども通じて、若者の少ない村の人たちへの手助け、交流、
そして 「食育」 「人間形成」 も目指します。



泥にはまった軽トラを引き上げる手助けや



農作業の手伝い



助かりますねぇ~、と村民も大喜び。



いち早く入校している蹴球部による 「田植え」





「稲刈り」



筑北村は 「ハゼかけ米」 の産地なので、刈り取った稲の穂を 「ハゼ」 に架ける作業もします。



コンバインを使った、手作業での 「脱穀」 も生まれて初めて。



稲の穂を投入すると、ワラとモミに分かれて出てきます。



モミの入った米袋を、一俵ずつ軽トラに運び入れるのは、慣れないだけに一苦労。



元Jリーガーの、伊藤雅範 蹴球部監督も、地域一体となった教育に期待しています。




 こちらは、既に入学が決まっている野球部でしょうか?

今日は初めて、モミを 「精米」 しに出かけます。近所とはいえ、学校から歩いていくのは、ちょっと大変?



重い袋を交代で持ちながら、やっとのことで 「コイン精米機」 のある場所に到着。



モミを投入して



機械の中から精米された白いお米になって出てくるのは、感動的です。    




出来上がった 「新米」 を自分たちで研ぎ



炊飯器に投入。


見事    ホカホカの、おいしそうな 「ごはん」 になりました        



ボリューム満点で美味しそうなおかずと一緒に、いただきまぁ~す。



自分たちが手伝って作ったお米だと思うと、おいしさも人一倍。



気持ちいいくらいに、見事な食べっぷりですね。   




 また、ウェルネス校の体育館を利用して、夜間に村山キャンパス長が、村民を対象とした体操教室を開いたり





スポーツなども行われ、村民の健康づくりと交流にも役立っています。




 活動歴25年という村の有志で作る吹奏楽団 「ニュージェンタース」 では、中原監督はじめ野球部首脳陣に直談判で頼まれて・笑

応援団を持たない同校の、応援の演奏を買って出てくれました。

   



「ウェルネス高校応援歌」 を団員が編曲、この日が初見だということでしたが、見事な演奏でした。



高校時代応援部だったので楽しいですよ、と団員。他のメンバーさんたちも楽しそうに語ってくれました。
応援も、バッチリです。   


このように、村民との交流を図りながら、村民も一団となって野球部を応援してくれています。







 野球部は、 「本城グラウンド」 と、
練習試合もできる、スタンドやナイター設備も整った 「やすらぎスポーツ公園野球場」 の、二つを拠点に活動するそうです。



「オープンキャンパス 野球練習会」 には、甲子園への夢や希望を抱いた、沢山の生徒が参加し、急きょ回数を増やしたほどです。







長野日大野球部監督を退任して1年、再びグラウンドを駆け巡る喜びに、中原監督の声にも一段と力が入ります。







自らボールを打ち、



体を使った指導に、思わず熱もこもります。





ボールや選手の動きを追う、真剣なまなざし。

これが素敵なんですよね。



選手の潜在能力や弱点など、一瞬にして見抜けるのは、天賦の才と長年の英知のたまもの。



それでいて明るく、豪快。



一から作り上げる中で、いい意味で旋風を巻き起こしたい、と力強く語ります。




 関川芳男 築北村村長は、松商学園高校で中原監督の一年後輩。

「70歳ということで始めはちょっと心配したけれど、私より若いくらいです 」 と太鼓判。




中原監督をサポートするのは、
軟式野球で長野県国体選抜チーム監督を務めたこともある 内山義彦コーチ と



「中原監督がやりやすいようにフォローしたい」



選手の兄貴的存在、若さあふれる 等々力 匠 コーチ。




練習会の終わりに、選手を集めてあいさつ。



いいか、一回でうまくなろうと思うな。   ひとつひとつの、地道な積み重ねが大事なんだ。

熱血漢溢れる指導も、ずっと変わりません。




指導を受けた選手たちは、「甲子園に行きたい。3年連続出場して、その先に優勝をつかみたい」



「このチーム」 で甲子園に行きたい、などと、早くも連帯感溢れる夢を語ります。




スタンドで見守る地元の方々の視線も熱く





早くも期待に胸が膨らみます・・・。




中原が、新たに拠点とする、ウェルネス筑北の 「監督室」。



ノートやスクラップが趣味だという マル秘戦略の数々に





見た目の豪快さとは裏腹な、ち密で几帳面な文字が並びます。





一から作る学校での、まったく新しい野球部のかたち・・・。

人として最低これだけのことはできる、そういうものを身に着けて卒業させたい、

そう語る中原の言葉は、恩師島岡吉郎の、野球よりもまず人間、という教えにも通ずる。





だが、その先に見えるのは、甲子園であり、力強い 「中原野球」 のちから。

監督室に掲げられた、ひときわ光を放つ、一枚の写真。

これはおそらく、1991年、春夏の甲子園を沸かせ、石川国体にて、ついに全国の頂点に立った時の監督胴上げだろうと思われる。

ピッチャー上田、キャプテン辻、4番岡元らの笑顔がのぞく。

ネコタも開催地金沢に駆けつけて応援、共に勝利の喜びを分かち合いました。


その当時の、かつての教え子からも、新天地に赴く中原監督へ、

「目指せ甲子園 」 などのエールが、続々と送られている。






新天地で、熱血漢溢れる 「中原野球」 よ、再び花開け・・・。





以上、放送に使われた写真と逸話をもとに、ネコタが若干の手を加えて脚色しましたので、

順番や解説などは、放送内容と必ずしも一致はしませんことを、お詫びとともに付け加えさせていただきます。  

写真は、テレビ画面より撮らせていただきました。   



 番組の提供は




 筑北村のコマーシャルより・・・














美しい自然に満ちた、信州築北村。

あなたもぜひ、立ち寄られてみてはいかがでしょうか?




 ウェルネス高校 信州筑北キャンパス CM。










番組途中で何度も流れましたので、

応援する企業はこのほかにも数多くございましたことを付け加えさせていただき、お詫びに代えさせていただきます。



















色々ありまして・・・

2016年01月28日 | インテリア&DIY、ソーイング等

( 正月飾りを片づけた後、早くも 「節分」 飾りを出して、季節の暖簾は 「寒椿」 に。残りの1月いっぱいこれを掛けます。 )



さてさて、長らくご無沙汰してしまいましたが・・・    

信州 および 出身者の皆さま 

中原監督のテレビ、ご覧になっていただけましたか 


いやぁ、よかったですね~    


そのことについて書こうと思っていたのですが・・・



母が、金曜の朝、鼻血が出てなかなか止まらなかったとかで、その後は落ち着いていたのだが、夕方になってまた出て、止まらなくなったので、
夜の6時半くらいだったでしょうか? あわてて父が地元のK病院の緊急外来に乗せていきました。

一時間も待たされたけど、 
「鼻血自体は、特にほかのことと関連しているわけではなく、止まればさほど心配するものではない」 とのことで、
ちり紙やガーゼなどで栓をして、止まるまで鼻の付け根を30分位押さえているように、

心配なら、火曜日に耳鼻科を受診するように (K病院の耳鼻科は、火曜日にしか先生が来ないので) と言われ、帰ってきました。

今現在は止まっていること、
また、脳や心臓などの血管、他の病気などと関連して鼻血が出るわけではないと聞き、少しだけ安心はしたのですが、

翌日の土曜日、午前中にまた鼻血が出て、今度もなかなか止まらないというので、昼頃に再びK病院の緊急外来 (土日は休診のためこの時間でも緊急外来になってしまう) に、やはり父が乗せて行ってきて、戻ってくるまで気が気ではなかったけど、やはり同じようなことを言われて帰ってきました。

また、翌日の日曜日には、朝また出たけれど、言われたように鼻栓をして鼻の付け根を押さえていたら今度はわりあいすぐに止まった、
30分というので手が寒くなってくるし疲れた、などと言ってましたが、それまでの何回かよりはすぐに止まったということだったので、少し安心し、
鼻血が出た後は体調もすぐれないらしく、また病院に行ってきたりすると疲れるので横になっていたりしましたが、
幸いそれ以外では、割合元気みたいで、「無理しないで寝てれば?」 というのに、寝てばかりいてもなんだから何かしなきゃと思って、などと自分から食事の支度をしたり、
食欲もないというほどでもなく、ご飯やおやつなどもそれなりに食べていたので、ちょっと安心し、

そういえば病院で、ストーブ等で空気が乾燥すると鼻の粘膜が渇いて鼻血が出やすくなると言ってたなぁー、と父が言うので、
では 「加湿器」 を買ってこよう  と、善は急げで、父に近くのホームセンターへ行って買ってきてもらい、寝室にセット。

その後も一日ずっと出てなかったので、もう治ったのかな? と少し安心していたのですが、夜の9時ころに夕飯の用意をしようとベッドから起きようとしたらまた出た、とのことで、

とにかく、
病院で、医者に大丈夫と言われても、専門外だし、こうも頻繁に出て、しかもなかなか止まらないとなると、心配しない方がおかしいわけで・・・   

地元にはK病院しかなく、耳鼻科が火曜しかない、というので、火曜日まで待てないよ~  と憤慨したものですが・・・

よく、血液をサラサラにする薬を飲んでいると、ちょっとした傷で出血しても血が止まりにくい、と聞いたことがあったけど、母はそういう薬を飲んでいるわけではないが、
ひょっとして、血圧を下げる薬のせいなのだろうか? でも、そんなのは何年も前から飲んでるしなぁ~、

そういえば、昨年の9月末、玄関の上り框から落ちて右のすねを切ったときも、血が止まらなくなったと言ってたっけ?

考えられるとしたら、まさか骨密度を上げるフォルテオ注射のせい? (な、ワケはないよなぁ~ 

両親は、納豆を毎日一人で一パックずつ食べているようだから、そのせい? (血液をサラサラにする薬を飲んでいる人は上記理由で納豆を食べてはいけないらしい)

などと色々考え・・・気をもみ、気が気ではない日々を送りました。


昨年、骨折による手術、入院から何か月もたち、やっと体調も良くなってきたかなぁと思ったら、
秋ごろに気の緩みからか、部屋を真っ暗にしていたせいもあって玄関から落ちて足のすねを切り、何カ月たってもなかなか治らず週一~隔週での病院 (外科~形成外科) 通い、
脛も治りきっていないのに、今度は尋常でない?鼻血の出方と、

なんでこうも、次から次へと、色んなことが起きるのかなぁ~      

と、ちょっと切なくなりましたが・・・(しかも、ようやく電子書籍に向けて頑張ろうとしていた矢先に)

でも、これが 「年を取るということ」 であり (若く元気な時には起きなかったこと、考えられなかったようなことが起こるもの)

私などより、鼻血が出た、当の母の方が、もっと心配だし、切ないし(不安な気持ち、家族に迷惑をかけて悪い、など)、体もしんどいんだろうなぁー  

と思うと、私がこんなことを思ってはいけないんだ      

と思い直して、


とにかく、このあとできるだけまた鼻血が出る事もなく、早くよくなって、早く火曜日にならないかと祈りながら、火曜日の耳鼻科の受診日を待つことにしました。   

幸いなことに、日曜の夜に出た後は、月曜、火曜の受診するまでの間には鼻血が出なかったのでちょっとほっとしつつ、

やっとのことで耳鼻科の先生が来る、火曜午後の受診日に。


先生は、今まで2度かかったことのある、「メンタリストDaiGo似のイケメン」 ではなかったのでちょっと残念だったが、 (イケメンだから、というだけでなく、意外にもユーモアがあって親切だったのと、2度見てもらったから慣れてるような安心感があったから)

やはり、緊急外来で見てもらった時のように、
・鼻血自体は、何か別の病気などと関係があって出るわけではないので、鼻血が出たからと言ってそれ程心配することではない、
・30分は大変だから、15分くらいでいいので、もし出たら鼻栓を詰めて鼻の付け根を押さえているように、

というアドバイスと、念のためカメラで見てみましょう、と言って、胃カメラのような、黒い管の先にカメラのついたものを鼻の中に入れて診てくれました。

カメラに映し出された映像をその場で見ることができたので、ちょっと怖かったけど私も見てみましたが・・・
へーえ、鼻の中ってこんな風になってるんだぁ~ (胃カメラと違い、母は場所が 「鼻」 だけに、その映像を自分で見ることはできないけど、できれば自分でも見てみたいだろうなぁ~などと思いつつ)

意外にも、きれいなもんだなぁ~、先生も、「出血の跡はうっすらとしかわかりませんね、今現在はきれいな状態です。」 とおっしゃり、

カメラが通っているときに直接見た映像を写真に2枚撮ってあり、診終った後、母にそれを見せながら先生が同じようなことを説明してくださいました。

つまり、もう止まっているので、今のところ問題はない、とのことで、
最初の緊急外来の時に聞いてきた、 「鼻の粘膜を焼いて血を止める方法」 というのは、今、出ている状態なら考えられるが、止まっているのでする必要はない、とのことでした。

そらまぁ、そーだわなぁ~。   

それでもまだなんとなく不安というか、堪能しなかったので、
「あまりにも頻繁に鼻血が出たことと、出たらなかなか止まりにくかったのですごく心配なんですけど」 とか
「出てる時に来ればちょうどよかったんですけど、いざ見てもらう時になったら止まってるのでうまい具合に行かない」
「火曜日まで待って来い、と言われたけど、その火曜日まで時間があったので心配だったんですけど・・・」
などと食い下がってみたけれど、

先生は特に不安を和らげるようなことも言ってくれなかったし、火曜日しか受診できなくてすみませんねぇ、とも言ってくれず、
やっぱり堪能はしなかったですが・・・、

それでも、鼻の中の写真を見た感じでは、しっかり止まっているように見えたし、
鼻の専門の先生の言うことなので、緊急外来で見てくれた先生の言うことよりは信用して、

一応、安心? (ちょっとだけホッと) して帰ってきました。

この日は、ちょうどイオンの 「火曜市」 で、卵が安くなる4時からのタイムサービス (夕市)  があり、
ここ最近は、隔週で 「形成外科」 の受診日にもなっているので、病院帰りにイオンに寄ったりしているのですが、

今回は病院での受診が、あまり待たされずに早く終わったので、いったん家に戻り、30分ほど休んで、母も行くというので出直しました。

その日は火曜の夕市で買い物もできたし、その後心配していた鼻血は出ていないので・・・    

もう大丈夫なのかなぁ?  (これだけは、止まったと思っていると出たりするので、何とも言えないけれど)

あんなに頻繁に、沢山出てんだけど、一応、止まった (治った) 感じもするので、
あれはなんだったのかなぁ~ (何が原因で、どうして出たのかな) ???  などと、母も私も思っています。

そして、先生は因果関係はない、とおっしゃってましたし、そうだろうとは思うのだけど・・・

不思議なことに、あれほど母の両足がむくんでいた (むくみは何年も前からあり、色々検査してみたがこれといった原因がわからず、そのための弊害もなかったのでそのままになっていたのだが、脛を切ったあと、傷口がふさがらず、皮膚がなかなか再生できないのは、むくんで血の巡りが悪くなっているせいもあるのかもしれない、と言われたので、両足に一本ずつ長い包帯を巻いて、少し圧を加えていた) のですが

それがちょうど鼻血が出た後に、まるでそのせいみたいに、むくみがすっかりとれてなくなっていたのです      

あれほど、何年もむくんでいたのに、
包帯巻いても、少ししかむくみがとれなかったのに・・・   


なので、
まさかそんなはずはない、とは思うが、鼻血によって悪い血を体外に出したのでむくみもとれたってことかもよ~、
よかったじゃん、などと母には言いました。

そんなはずはないと思うし、鼻血をあんなに出す必要もなかったと思うけど、そう考えることにすればラッキー みたいな。


姉には、日曜日くらいに連絡してあったので、姉なりにネットなどで調べてくれたところによると、
年を取ると、血管も弱くなったり硬くなったりするので、鼻血も出やすいのかも、ということでした。

今のところ4日くらい出ていないので、もう治ったのかなぁ~と、ちょっと安心はしていますが・・・


そんなわけで、火曜日は今年初めて (先週は吹雪で運転が心配だったため自分が休み、その前の週は教室が急きょ休みになったため)、 早起きして伊那までバレエのレッスンに行ったついでに伊那のカインズにも寄り、
帰宅したら、時間がなかったのでご飯も食べずに病院に付き添った (病院での待ち時間にコンビニのおにぎりを食べたけど)、というハードスケジュールで疲れたのと、
あと、もともと自分は心配性なので、母の鼻血が出てからの何日間か、ものすごぉーーーく  気をもんで精神的にも疲れたのと、もう大丈夫かな? という安心感とで、

2日くらい異様に眠くて、疲れて元気が出ず、ボーっとしてました・笑。


ホントのこと言うと、松商の皆さんからのアンケートが戻ってくる (今月末が締め切り) までの、待ち時間を利用して、実家の片づけを少しでもしようかなぁ、と思っていたのですが・・・

気分的にそれどころではなく、   

でも、母を心配しながらも、こんなこともしてました。  (想像力を使う、書くことはできなくても、手だけは動くので・笑)


 テレビのある、玄関あがってすぐの四畳半ほどの茶の間 (台所の隣の部屋) に廊下があって、今まで物置になっていたのを、
それまで、トイレなどに行く通り道として利用していた8畳間が両親の寝室になったので、その廊下を片づけて通り道にしたので、通り抜けしやすいようにと、廊下についていた戸を外して取ってしまったので、冬は寒い  と文句を言われたので・・・

カインズで見たらものすごく高かったので、ネットでその3分の1くらいの安いのを見つけて、やっと取り寄せた木目調のアコーディオンカーテンを付けたところ、



天井が高くて、ご覧のように下がすいてしまったため、    



このように、寸法を測り設計図? を描いて、段ボールを切り、 (これは、店の事務机です)

吊るしたまま足そうと思ったらできなかったので、はずして、2度失敗して (この時実は癇癪を起したのだが・笑)、
3度目にやっと出来上がったのが、



 コレです。 

幅に合わせてカットした段ボールを、木目のカッティングシートでくるみ、カーテンの折り込み部分 (ミゾになっているところ) は、シートが破れないように丁寧にはぎ合わせながら、1枚1枚貼ってつなげていったという、苦心の作  です。   

はぎ合わせたところがデコボコしてますが、まあまあ、それっぽくなったでしょ  

ちゃんと隙間隠しと、風よけにはなってるので。





 あと、店から上がってすぐの、茶の間にもなっているところの玄関わきは、母が退院して帰ってくる頃までにだいぶ片付けはしたのだが、
それでもまだ若干置いてあった、配達などに使う袋物や、お客にあげる景品 (貰い物のタオルやBOXティッシュなど) を、
コタツを出して夏より部屋が狭くなったため、玄関に物が多いと歩きにくいのと、また転んだりしかねないため、思い切って全部店に移動したので、

このサイズのカラーボックスを買ってきて組み立て、
引きだしになってた方が物も入るし取り出しやすくて便利だと思ったので、それは自分で作ろう  と思って、
商売柄段ボールや空き箱は物置にごろごろしているので、
目検討でこのくらいかなぁ~と持ってきてあててみたら、500缶ビールの空き箱が、縦横の幅がドンピシャの寸法だったので、
それをちょっと切ったり貼ったりして、製作しました。        
 こういう、空き段ボールを使ってのBOXづくりや工作は、母子2代にわたって得意なのです。   
( もともとがDIY好きなせいもあるが、生れたときから 「空き段ボール」 が見近なところにいつでも、掃いて捨てるほどあるため ) 




横から見るとこんな感じ。

奥が私のPCスペースで、
それまで、このカラーBOXを置いた場所にあった、A4サイズがちょうど入るくらいの 「小引き出しチェスト」 は、PCテーブルの下に置いて、完全私物化 (引き出しに入っていたもののうちで、大抵は自分のものだったが、店で使う 「小のし紙」 とかは別の場所に移した) しました。   





 こちらは、だいぶ前に取り付けた、寝室の外にある廊下の 「手すり」。   この場所にあると便利だという母の要望で。  
右のドアは、左が洗面所で、右がトイレの入り口。  奥のガラスが付いたのは、外へ続くドアです。  

長い一本の手すりを、この長さにカットしたのだけど、意外にも切るのは楽だったけど、
木が硬かったのか、形が丸いため作業もしづらく、バーに留め具をネジで取り付けるのが、ちょーエラかった。     (この時も癇癪を起した 



洗面所のドアを開けると見えるのは・・・



タオルかけにもなる、もう一本の長いバーを取り付けました。  (奥に見えているのがお風呂場)

右足脛の傷を、毎日お風呂場で石鹸をつけて洗い流したほうがいいというので、その手当を始めたところ、
母が浴室から出入りする際に、タオルかけを手すり代わりにしてつかまるので、もともと、手すりより弱い素材だから折れでもしたら危ないと思って、タオルかけを外して、

何年も前にお大工さんにもらって、バレエ用のバーにしようかなぁーと思いながら結局使わなかったので、自宅の物置に置いてあった手すりを、持ってきて付け替えました。
( 同じ長さのものがもう一本あるので、どこかに付けたいのだが、狭い家なので今のところ漬ける場所がなくて残念。)

我ながら、アイデアの良さ? と DIYの腕前は、大したものでしょ?    と、自画自賛しつつ、強要・笑。     

  

まだ、押入れの戸を付け替えようと、あと4枚、同じアコーディオンカーテンを買ってあり、両親の衣類の整理もしたいし、
他の場所も、行動範囲が狭く限られてきた両親のために、なんとか使いやすく、便利に過ごしてもらいたいので、
そういう意味で片付けたいところが色々ある (だいたい使ってもいない無駄なものが多すぎるのと、そのため配置も悪いので狭いのであって、もっと整理したらずっと使いやすく便利になると信じているので、両親に快適に過ごしてほしい一心で) のですが・・・

なんか、ようやく延び延びになっていた片づけを再開しよう      
と思い立った頃は、例年になく暖かかったのだが、

その後大雪が降り、急に寒くなってきちゃったので、寒い中でやるのはヤダしなぁ~ 

どうしよう・・・


とりあえず、はやく気持ちを立て直して、
電子書籍に向けて、気持ちを切り替えなければ        


皆さま、長らく更新なくて、ご心配おかけして、どうもすみませんでした。   




 おまけ・・・



6畳のマッサージチェアーの上と、



リビングのイスの上で、カーテン越しに、窓の外を眺めるソラシロ・・・




こちらは、テレビで 「ネコの生態」 特集番組を見ていたら、

ソラシロも仲間だとわかったのか、ぢっと見てたよ~。    
















 



中原監督がTVに出ます!!

2016年01月20日 | 松商、中原監督 関連



中原英孝監督と 「日本ウェルネス高校信州筑北キャンパス」 のことが、テレビで放送されます         

日本ウェルネス高校信州筑北キャンパス開校記念特別番組
『夢 希望となる』

製作 テレビ信州
放送時間 1月23日(土)午後4:00~4:55



2015年9月、東筑摩郡筑北村に新しく通信制高校が開校しました。
それは高齢化が進み若者の姿が見られなくなった村に、未来へつながる夢が大きく広がる出来事でした。
そして創部が予定される野球部の監督が、県内を代表する名監督・中原英孝氏だというニュースに村は喜びにわきました。
すでに高校生と村民との交流の場が見られるようになっています。
番組は新設校のキャンパスからあふれる未来への希望で活気を取り戻した村の姿を追いかけます。

(ナレーション)稲葉陽子アナウンサー


※ 以上、番組紹介文は「テレピ信州」 サイトにUPされていたものを、写真は同サイトのものを写真に撮らせていただきました。    



実は、昨年12月に中原監督の家にお邪魔し、お話を伺わせていただいた時に、既にこのテレビ放送のお話が決まっていて、

なんでも、中原監督のことをずっとテレビ信州さんが追っていたそうで、
「話題ばかりが先行していないかとヒヤヒヤしてるんですが」   
と、監督は豪快に笑っていらっしゃいましたが

どうしてどうして、
充分話題にするに値するビッグニュースだと、放送を楽しみにしていたのです。


そしてテレビ信州さんと言えば・・・

10年前にも、1991年の甲子園活躍から15年、あの時の選手達は今どうしているのだろう? という番組を制作、放送してくださいまして、
(2006年3月18日(土)放送 テレビ信州トクバン'06 
『野球、人生、そして夢の続き~センバツ準優勝メンバー15年目の挑戦~』)


たまたま、その前年の3学年忘年会に自分が取材にお邪魔した時に、テレビ信州さんもいらしていて、会場にいたどなたかから聞いたのでしょう、
同じ時期に、自分たちと同じような? ことをしている (信州を感動の渦に巻き込んだ91年の活躍から15年後の選手たちを追っている) 人がいる、というので私自身に興味を持ってくださったようで、
なんとわざわざKに来て私のことまで取材してくださって、選手たちの特集番組なのですが、ほんのちょっとですが、私の活動までテレビで紹介してくださったのです。

生れて初めて、しかもまさか自分がテレビに出るなどとは思いもよらなかったので、そういう意味ではちょー恥ずかしかったのですが、
同じ月の10日にすでに発売になっていた自分の本の宣伝になったと思うし、
高校時代のクラスメイトで、元信濃グランセローズの松本匡礼(まさひろ)くん (松商学園高校から松本大学、高校で中原監督の教え子) のお母さんK子がテレビを見ていて、以降、中原監督と何度か会うきっかけを作ってくれたりなど、

テレビに取り上げていただけたことは、たまたま取材に出かけた会場で、たまたまそんなことになるなんて、自分はなんてラッキーなんだろう、と思ったものですが、
結果、色んな恩恵にあずかることができ、とても感謝したものです。 



ツイている、といえば他にも、電子書籍は、本当は去年の春頃にスタートさせるつもりだったのですが、たまたま年頭に母が骨折、手術、約4か月も入院しまして、そのため、自分も心身ともに疲れ切ってしまい、電子書籍どころではなくなり、半年くらい何もできなくなってしまったのですが・・・
(その後、母や周りが落ち着き、少しずつ書く中で自分を取り戻していくのにもまた、半年ほどかかってしまいました。)

その間に一昨年夏に長野日大監督を退かれていた中原監督は、昨年9月からウェルネス高校監督就任が決まり (本格的な活動スタートは今年4月から)、
昨年のシーズンオフには上田佳範君も新天地、横浜DeNAベイスターズの一軍外野守備走塁コーチ就任が決まったのです。


10年前の書籍発行の時にも、その一年前から中原監督は松商野球部から長野日大へ移られた直後でしたし、
上田君も、そのシーズンから長年プレイした日本ハムファイターズから中日ドラゴンズへの移籍が決定した直後でした。


まさに、その時々で 「ジャスト・チャンス」 な時での発行になっているなぁ~ (自分、予期せぬ結果として、結局はとてもツイてるなぁ~) という感じ。   

そう思うと、人間、何が幸いするかわからないもので、

つまり人生、七転び八起き 災い転じて福となす 

といえるかもしれませんね。



まぁ、私のことはさておき・・・    


信州にお住まいの方は、ぜひ今週土曜日夕方4時から、テレビで 中原監督の新たなる挑戦 を見て、応援してくださいね。     
(県外に住んでいる方は、ぜひご実家やお知り合いの方などに録画をお願いしておいてくださいね 









近況など

2016年01月14日 | その他 色々
間が空いてしまってすみません・・・ 


 世間的3連休を使って、 松商野球部H3メンバー の人たちと連絡を取っていました。
(忘年会でケータイ番号を聞いていたので、電話して趣旨を伝え住所を教えてもらい、アンケートを送付するという方法で、
全24名のうち、忘年会にてアンケートを渡したのが12人、参加していなかった人のうちで、連絡先不明の方2人以外の10人すべてのメンバーと連絡が取れ、アンケート+電子書籍化の趣旨などを送付することができました。
ご協力くださった方々、ありがとうございました。)

今はケータイがあるのでだいたいすぐつながり、また、小口君が前もって確認を取ってくれたいたメンバーがほとんどで話しが早く、スムーズに進みました。    

あとは、H4、H5メンバーの方にお願いして、今、試合ビデオを探してもらっているところです。
 古いことなのでビデオがあるか、また、それをDVDに移してもらわないと見れないため (当方にデッキはあるが二度テープが切れたので、テープの劣化かデッキの劣化か見るのに不安があるため) ちょっと大変ですが・・・
よろしくお願いしたいです。   

下級生の方はお名前とお顔が一致しない人がほとんどなので・・・
これは一人一人会ってお話をお聞きしないとだめだなぁーと思ったり

そうなるとH3の皆さんとも、できるだけ個別に会ってお話を聞きたくなってくる。

でも、10年前とは自分も店番を頼む親も状況が変わってきているので、それだけの時間と体力があるのか、慎重に考えないとだめかも。(情熱だけで突っ走っていたころとは違うので。(^^;)ゞ)
 でも、気持ちは、できれば皆さん一人一人に、じっくりと話を聞きたいなぁ~。    

あと、電子書籍化する  原稿をUPする作業を自分でするため、その手間も考えないとならないのと
また、関係者、その他、これから連絡を取る方 (機関) もいるので事務、実務的なこと、      

そして一部に 「電子化」 もいいが、できれば 「書籍」 にしてほしいとの声もあり (PCやスマホなどをやらない人もいて) うーむ、と思ってしまった。
 「電子書籍」 にする目的は、単に書籍にならないからだけではなく、様々なメリットを考慮してのことなので、 「電子化」 には絶対にしたいから、
それと並行して、新たに書き加える部分だけに関してだが、非売品の身内にだけ配る小冊子を作るという手もあるかも。

など、考えることがいっぱいあって、毎日そればかりを悶々と? (笑) 考えている。   


 と、ゆーワケで、 アルフィー関連の昨年書き残した記事 を書き終えてから、松商に、と思っていたのだが・・・

それ書いてる余裕がなくなったので、誠に申し訳ありませんが、電子書籍発行が済むまでお待ち頂けたらと思います。   

3月10日発売予定なので、うまくいけばその後春ツアーが3月31日から始まるのだが、それまでの間に書けるかもしれないのだけど・・・
(いつも、こういうのの予定って遅れちゃうからなぁー。守られたのは、ほんとの本が出たときだけだなぁー、あれは動かせなかったので、ずれ込んだ分、最後の方がキツかった・笑)

でも、必ず、記事にしますので       



 御嶽海(西前頭10枚目)、
今場所から 初めてまげを結って 初場所に臨み、千代鳳を倒して白星スタート。



1月11日 「市民タイムス」



2日目は注目の一番、同じ学生相撲出身のスピード出世力士、遠藤と対戦して勝利し、翌日は佐田の海を相手に3連勝めを上げましたが・・・
(1月12日 「市民タイムス」 隣りは、偶然にも松商ナインについての記事でした。 

4日目は高安に、今日5日目は正代に連敗してしまい、幕内力士の壁の厚さを感じます。(御嶽海はやや小柄なので)


昨年11月の九州場所で8勝7敗と辛くも勝ち越した御嶽海ですが、
初場所も勝ち越せるように、毎日応援していますので、

ぜひ、頑張ってくださいね。   




 前回の記事が意味深? だったので、ご心配くださった方もいらしたかもしれなくて、どうもすみませんでした。

上記理由で、 これからブログ記事が減る と思いますが、どうかご了承くださいませ。

ネコタがんばりますんで応援、よろしくお願いいたします。         

( でも、前回の様に頑張りすぎ、消耗しすぎて終わったらガックリくるといけないので・・・ 
張り切りすぎず、腹八分目で、できる範囲で頑張りますね。    )




昨年初めの、骨折手術入院から約一年たった母ですが、なんとか順調に来ていまして、
昨日、13日に整形に行き、レントゲンと骨密度も計りましたが、約一年フォルテオという骨密度を上げる注射をしてみて、背骨と右大たい骨の骨密度は数値が少し上がりました。(右大たい骨は平均よりやや下でしたが、背骨は平均値をやや上回ってました。)
骨密度は普通は年とともに少しずつ下がっていくものらしいので、上がったということは、やはりフォルテオ注射のお陰、その威力は絶大なのです 

このままフォルテオがうまく行って、骨密度が上がり、骨折しにくくなってくれると嬉しいです。

実際に骨折をした1月4日、骨折しているとわからずに一週間過ぎ、いよいよ動けなくなってしまったので救急車で運ばれたのが11日、そして最初の手術をした13日も何事もなく過ぎていき・・・

体力も89歳なのでそれなりに、家事や店番しているとき以外では寝ていることも多いですが、退院した頃よりは元気になってきた感じで
(食事やお茶は台所で普通に食べているが、それ以外でもたまに茶の間で新聞を読んだりテレビなども見ているし)
ほんとによかったです。

ご心配いただいた皆様、どうもありがとうございました。   







 久しぶりに仲良く一緒におねんね。 ソラチを枕にするシロチ。 

   

左:これなんて最初、シロがソラチを抱え込んでましたが・・・ 今は同じ格好してます・笑

こいつら見てると、ほぉ~んと 癒されますねぇ~。    

この 「手」 よ・笑   キャワイイ   











春の七草、粥ならぬ・・・!?(^^;)ゞ

2016年01月08日 | 生活・行事、季節のもの
 春の七草粥とは・・・ 

毎年1月7日(人日の節句)に春の七草を入れて炊いた粥。
また、1月7日の朝に食し、新年の無病息災・豊年を願う行事のこと。
「菜粥」、「薺(なずな)粥」とも。新年の季語。
正月疲れで弱った胃腸を労わる意味合いもあると言われる。  (以上 「はてなキーワード」 より)


そうですね、

つまり、新年の無病息災・豊年を願うために、「春の七草」 が入っていればいーのです 

( 我が家では2日から営業、ゆえ、正月料理で胃腸を弱めている暇も、餅の食いすぎ+正月のごろ寝で太ってるヒマもなし  違う意味では年中太ってますが・・・    アセアセ… )


と、ゆーワケで、今年は何日もあまって、しまいには食べたくなくなる 「粥」 はやめて、



じゃぁ~ん   



「春の七草シチュー」 にしてみましたぁ~      


前もって買っておいた、スーパーで売ってる 「七草セット」 を、量が多かったので母と半分ずつに分けたのですが (もちろん  母は粥を炊きましたが) 

緑色を生かしたかったので、 スズナ(カブの実)、スズシロ(ダイコン) は刻んで、他のシチューに普通に入れる野菜 (ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ) と一緒に煮込みましたが、
(昨日は冷凍してあった鶏肉を解凍して切るのが面倒で、鍋用の鳥団子を半解凍のまま入れました)

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、それとカブの葉っぱの部分は刻んでおいて、火を止めてから入れてほんの少しだけ混ぜたら余熱で温めただけなので・・・

ご覧のように色鮮やか、     
でも、ちょぃセリ臭さとか強かったですが・・・  

まぁ、おいしく食べられました。 (クリームシチューなら大好きなので何日残っても平気)



今年は、自宅近所の家に新年早々葬式ができ、
そういう経験のない方々には理解が難しいと思うが、隣組で寺に手伝いに行かなければならなくて、そのことで人間関係でちょー疲れること、本当に腹の立つことなどがあり、
( 以前より、ちゃんとした理由のもとにその制度そのものが理不尽であるのだが、輪をかけて悔しい出来事が他のことと関連してあったため) 
立ち直るのに時間を要したのですが・・・

それらを書いているとどんどん長くなり、書いている間怒りが収まらなくて、結局自分のソンになるので、

ふと思い出した愛読書の 「あとがき」 の1節を書いてみます。



彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。   


( 『69 sixty nine』-集英社刊  あとがきより、原文まま。   1987,4,20  村上龍 )




くやしいけど、それを 「今は」 顔に出したり、言葉にはせず、


最後に、笑って死んだほうが勝ちである 

笑って死ぬために、日々頑張ろうと思った。



明日からの3連休が、ある意味勝負である。     



読者の皆さま、新年早々ワケわからんこと言って、ごめんなさい。   



ネコタ、元気にガンバリまぁ~す    









新年、明けましておめでとうございます

2016年01月03日 | 生活・行事、季節のもの



昨年は12月に入った途端にうっすらとですが初積雪、大晦日から降り出してなんと、元旦錚々雪かきしなくてはならず(家の前と店の前) ナキー  でしたが (元日しか休みがないのに雪かきをしなくてはならないのは、とてもヅライのだ)

今年は雪のない穏やかなお正月、嬉しかったですねェ~      

               





生協で頼んだ新春のお花、切り花は活けるのに面倒なため、ことしは 「アレンジメント」 にしてみました。

思ったより小ぶりでやや華やかさには欠けますが・・・

ピックは、今までに持っていたものを刺してお正月らしさを出しました。     




さっそくソラチがくんくん・・・。     
 一度目はダメだよ~と言ったら降りたのですが、二度目はメンドーで放っておいたらデンファレ一個食いちぎりやがった     

右の方にある紫の欄みたいな花ね。  ・・・デンファレ、好きなのに。    




恒例   夫の正月用お節。

海老とホタテのフライ、タコぶつの唐揚げは、私が衣付けを手伝いました。(カニ爪コロッケは生協の衣付きのものをただ揚げただけ→味はイマイチ)

手前の小さいお重のものは、黒豆や紅白なます、田造りなどの縁起物で、母が作ったものを前日にもらってきたもの。

今年は餅つき機での餅つきはエライといってしませんでした (鏡餅、切り餅共に既製品を購入) が、正月料理を作るなどかなり元気になった母です。
( 料理は好きみたいでよく作ってますが、たまに気持ちだけ空回りする時があり、ちょっと周りが手がかかるときも。  )

夫の作る 「だし巻き卵」 は美味しいです。

正月にはやっぱり  日本酒でしょー。但し、熱燗ではなく冷酒で飲みます。今年は 『厳寒水』 を職場でもらったのでラッキー。


夫は隣村の 「焼肉屋」 に勤務する “料理人” なのですが、毎年店は31日と1日が休みなんだけど、
今年は30日の夜、年明け2日からの営業のための仕込が多くて午前2時過ぎに帰ってきたため、31日の休みの日に色々できなかったようで、
なんとか元旦の昼頃までにこれだけ作ってくれて、夜に、恒例の新潟名物 「のっぺ汁」 という煮物と、お雑煮を食べました。

母のお節や雑煮の味に慣れていたけど、20年も食べてると、夫の味に慣れてくるんだな 

え゛っ   セリフが変だって?

毎年、お年取りと正月のおせちを全部作ってくれる夫には感謝です。 

ああ、ありがたや、ありがたや。   


昼頃、毎年大晦日に入る暇がないため、 「元日の朝ぶろ」 をしてお料理を食べながら飲み、その間に洗濯を2回して干して、

年賀状、私は大晦日の深夜に書いて元旦に出したので、向こうには届いてないと思うけど来たのを読み、

ちょっとウトウトしたけど、調理器具などの片づけものをしたら、あっという間に夜7時からのラジオ、 三輪明宏の 『薔薇色の日曜日スペシャル 愛の手引書2016』 に今年はタカミーがゲストで出たのだけど、 の時間になったので聞いて、

夫は3時間くらい夕寝をしてたけど、私はする暇がなくて、ラジオの後は何してたかなぁー、今日くらいパソコン開くの辞めよう、と思ってたけど、習性で開けちゃったので、見てたのかなぁ~、

9時過ぎに夫を起こして、恒例、 「夜の初詣」 に出かけ・・・
( 田舎の神社なので、神殿には明かりがあるが、駐車場や道とか真っ暗、参拝客ゼロの時間だが、一年で一度の休みに人に会いたくないのでちょうどいいのだ。   )

夫がコンビニに寄るというので、あのドケチの夫がなぜかお賽銭は毎年出してくれるので (一人100円だが・笑) 財布を持っていかなかったので、
珍しく夫のおごり  とぱかり私も降りて、ハーゲンダッツ、遠慮しながらだが、ちゃっかり2個買ってもらっちゃったのだ。  ( ああ、小市民・笑 ) 


その後戻ってから、やっとのことで部屋に掃除機をかけ、晩ごはん。

その後は、なんとなくダラダラと過ぎてゆき・・・


そんな感じで “一年に一度の休み、元旦” は終わっちゃいました。




くつろぐチョラチ。



チョラチくんは、お節のにおいに くんくん・・・

シロチは何食わぬ顔で寝てます。




毎年おんなじ? 生協で買った玄関お飾り。

表札は 「ミッキー&ミニー」




傘を掛けるフックもミッキーなのです。
( 左端が先日中原監督に持ってきていただいた普通の雨傘。真ん中のは日傘です。 )



そして・・・

あけて1月2日から実家の店を開けているので、ご出勤。

行ったらもう、両親が 「在庫調べ」 をしてました。

在庫調べは、ホントは12月31日(月末) にするのですができないため、正月二日から数日かけてやるのが我が家のしきたり。

昔は、正月は町内のどの店も4日からだったけど、うちだけが2日から開けていたため、ちょー忙しかったものだが、
今では元日からスーパーもコンビニもやっているので、うちなんか開けてても客はあまりないのだが、

在庫調べのため “どうせ働くのだから店を開ければ少しは収益になる” という親の考えに従っておるわけです。

ほんとは三が日くらい休みたいものだと毎年思いますが、
今年は書くことで元旦から (厳密に言うと暮れから) 色々考えてるため、お休み気分が薄く、例年ほど登店拒否にはならず・・・ 


私も在庫調べの担当部署(笑) があるのだけど、ちょぃおサボリしてて、

昨日は 「新年のご挨拶ブログ」 をUPしようと思ったのだが、元日に夕寝しなかったせいか1日眠くて、
起きよう、起きようと思うのに、意に反してPC前で爆睡・・・。  

やっとのことで、書いてなかったけどくださった方々 
(記憶では毎年書いているのに、なぜか年賀状が 「昨年もらったもののBOX」 の中に入っていなかったので住所がわからず出せなかった人が多かったのだが  よくよく考えたら、あとから来た人の賀状をきっとBOXに入れ忘れて、別の場所にあったのかと思う。それしか考えられない ) のお返事年賀状 (夫と共用、個人の、合わせて15枚くらいあった) だけは書いてポストに投函。

ブログは途中までしか書けなかったの・・・    エーン


よほど家に帰ってから書こうかとも思ったが、新年早々、書斎にこもって夜中に前日の日付でUP 
とゆー、 “苦行” は避けたかったので(笑)

皆さんには、2日に会いましょう   と言っちゃったので、ご心配くださってる方もいるかなぁーとは思ったのだが、
ムリして今日中UPする必要もないか、と

夕べは風呂洗いとトイレ掃除をして、

“1年の計は元旦にあり” と言うし、来週からバレエのレッスンも始まることだし、と思って、
風呂前に 「倒れるだけで腹筋 ワンダーコア~ 」 を100回 (暮れに 『KinKi Kidsのブンブブーン』 を見たせいもあるけど・・・ 
そして風呂から上がったらストレッチとダンベルをほんのちょっと、ホントーに ちょー久々に復活  しました。

あはは・・・    


それから、さっぱりメニューの夕飯を食べ、

食べながら NHKの 「ヒストリア・真田幸村特集」 を見ました。 


みなさん 

今年の大河ドラマは 三谷幸喜脚本の 『真田丸』        

信州・上田が舞台 (の一部・幸村出生の地) なのです。


昨年は、大好きな幕末の、これまた大好きだった吉田松陰、の妹、文(井上真央)のお話で、
大好きな伊勢谷友介が松陰、大沢たかおが松陰の親友でのちに文の姉の夫となり、その後文の夫となる小田村伊之助(のちに楫取素彦-かとり もとひこ)を演じていて、(文の最初の夫は松陰の開いた「松下村塾」塾生で幕末尊王攘夷の志士、久坂玄瑞)
最初は一生懸命見ていたが、母の看護などで心の余裕がなくなり次第に録画だけして見れなくなったので・・・  消さずにカセットに移してとってはあるが

今年は、 見るぞぉ~     

信州が舞台なので・・・みなさんも、よかったら見てくださいねっ     
 



以前はNHK出版で出している 「NHK大河ドラマ・ストーリー」 がお気に入りでしたが、(昔はそれしか出てなかったせいもあるが)
最近は 「前・中・後編」 と分かれていて、そんなに買いきれないので・・・

店頭で色々出ているガイドを見比べてみて、今年は “ゆかりの旅ガイド” が充実している、というので 「ザ・テレビジョン版」 にしました。




真田幸村出生の地であり真田家本拠地のあった、信州上田。

いわゆる 「東信」(とうしん) 地区 ※注 は、Kからは電車だとすごい大回りとなり、同じ県内なのに非常に行きづらいため、めったに行かれない土地。

ですが、ちょっと行ってみたいような気分に。  しかも 6月にはアルコンが上田に “初上陸” するらしいし。



こんなんもできるみたいですよ?



赤兜が有名な幸村。

実は、あまり詳しくないので・・・     勉強しなくちゃ、ですね。 (でも、たぶんする暇ないから、テレビ見て知る 



てな感じで、

今日も1日店でしたが、途中町内のスーパーに買い物に行ったり用足しをしたり・・・

なんとなく、過ぎていきました。

まあね、今日までは 世間様は正月なので・・・

明日から色々始めようかなぁー
 
( と、思っていたら、新年早々自宅の方の近所に葬式ができてしまい、6日なのだけど手伝いに行かねばならないのだが、よりによって “厨房フルコースの寺” なのでかなり気が重いよ~  
住んでる区には4つの 「隣組」(各組7軒程度) があり、1,2組が道路の上の組、3,4組が下の組、ということで上と下の組で葬式の出席や手伝いを分けているのだが、偶然にも実家が1組で自宅は4組。せめて同じ組とか同じ道上だけ、道下だけに固まって居住してるとよかったのだが、母はもう手伝いの役はできないため、結局私が、自宅と実家、両方の組で手伝いをやる羽目になっているのだから、たまらんぜぇー。
しかも、この区は、ナント子供や若者が皆無の、私たち世代が一番年下の年寄りばかりなのだ・・・。一生葬式手伝いの恐怖?に怯えながら散々上世代を送り出してあげて、いざ自分たちの番になったら送り出してくれる人が誰もいないとゆー、とても損な役回り。 ) 

 
一応、書くことの段取りは、元日の夜から色々考えてみた結果、
こう行こう     と、 「構想」 は決定したのだが、うまくいくといいな。   


でも、
今年こそ 「ブログのスリム化」 を目指そう   と決めたのに・・・   


ああ、またしても・・・           


みなさん、こんなネコタですが、また1年、お付き合い、ご愛読くださいますよう、よろしくお願いいたします。    





PS. 今晩は洗面所の掃除をするかなぁ。
( 結局暮れにできなかった小掃除を、年が明けてから毎日少しずつやってはいる・笑。 親のうちの片づけはどうしよう・・・  )





※ 注1.長野県 (信州) は面積が非常に広いため、大きく分けて 
・北信(ほくしん)
・東信(とうしん-上田はここに入る)
・中信(ちゅうしん-ネコタ居住区は地図で言うと南っぽいが、なぜかこちらに分類)
・南信(なんしん-諏訪の方がよほど中信ぽい位置にあるのだが…) という

4つの区域 (地方) に分けて考えられることが多く、それぞれが “独自の文化” を持っている。
(悪く言えば、敵対している向きも無きにしも非ず   

一例としては、信州名物 「おやき」 は、今でこそ長野県中で売られていて、あたかも “信州の” 名産品とされているが、あれは元々は 「東信」 地区の名物だったので、ネコタは大人になるまで、長野県内にそのようなものが存在することさえ知らなかった。

このような地域区分が存在している県はおそらく日本中探しても信州だけと思われる。

不思議の国、信州 なのだ。

奥が深いぞ      


▼参考までに・・・

《 長野県の10分割区分 》

■青系色:北信地方(水色:北信地域、青:長野地域)
■黄系色:東信地方(黄色:上小地域、薄黄:佐久地域)
■赤系色:中信地方(オレンジ:大北地域、赤:松本地域、ピンク:木曽地域)
■緑系色:南信地方(薄緑:諏訪地域、抹茶色:上伊那地域、黄緑:飯伊地域)