猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

無事、退院しました

2015年04月26日 | その他 色々



ご報告が遅くなりましたが、母は先週木曜日、4月23日に無事退院しました。  

応援してくださった皆さま、どうもありがとうございました。 

まだ本調子ではないため、家にいても食事を取るとベッドで横になる日々ですが、そのうちによくなってくれると思い、気長に様子を見ます。

とりあえず一人でトイレにも行けるし、寝室から台所までご飯も食べに来れるし、
頭も、家に帰った翌日は変なこと言ってて心配しましたが、昨日は元に戻ってて、ボケてはないみたいなので 

おおむね元気だし、よかったです。

( 昨日今日と、なんとー 
店にたまっている記念切手の処理を父がどうしてもやりたいというので、まだ本調子でないのにベッドに横になりながら手伝ってたほどです。 )


23日は帰り道でコンビニに寄り、母もおぼつかない足取りで降りてみて、お昼に 「とろろぶっかけそば」 と 「筍の土佐煮」 をおかずに選びました。

朝のみそ汁だけは自分で、昨日今日と作ってみたそうですが、 「作ってみたら(体が)エラかった。」 とのこと。
母は、毎日3杯分ずつのみそ汁を作るのだそうです。(朝の自分と父の分、昼は母はパンを食べたりするので昼の父の分)

食べたいものがあるということは元気な証拠だと思うのですが、
昨日は夜、茄子とピーマンの素揚げが食べたいというので作ってあげました。

今日は昼にラーメンが食べたいというので、昼の12時半と1時に配達があったので、父の帰ってきた1時ころ材料を買いに行き2時近くなってしまったけど作りました。

病院で嫌になるほど白いご飯と、白身魚の煮つけ、和え物を食べたので、今まで食べてなかったものが食べたいそうです。

夜は残り物を食べるから作らなくていいとのことでホッとしていますが(笑)、当分の間、私がしなくてはならないだろうから、
そして、父と違って、母は要望 (注文) が多いので、ちと面倒かしらん?  

なので今のところ、毎日病院に2度、決まった時間に行かなくてはならない、ということからは解放されましたが、
あとのことは? さほど変わりません。  かえって、母に気を使う分、増えてる? かも。

でも、毎日の病院通いから解放されたのは大きいです。
一日に二度、しかも食事の時間に合わせて行っていたから、何しろ、時間に追われてましたから。  

行けばいったで、母に気を使い、同室の人たちに気を使い、看護士さんに気を使い・・・   

もう、病院行かなくていいのはラクだなぁ~。うれしいなー。  


家の中の片づけは、22日のベッドが入る直前まで8畳間の片づけに追われていて、当日、配送組立業者が時間より早く到着してしまったので、時間まで待ってもらってどうにか間に合わせたので、エレー疲れちゃって、  

並行して冷蔵庫の中のものを処分したりして整理し、ついでにトレイとか洗って全部綺麗にしたので、それも疲れちゃって、   


おまけに母が帰ってきてしまったので(笑)、台所はもうこれ以上やるなとか言われ、 

早速衝突しましたが・・・   

衝突するだけ元気になったという証拠? 


いつか母のこと、 「腐っても鯛」 だって言いましたけど、

前言撤回かも?  

お魚はね、いくらもとが鯛でも、腐りかけてきたらそれなりにした方がいいです。

老いては子に従え   というではありませんか。

世話していただく人に、ある程度任せるくらいの気になってくれなくちゃね、世話する人(私)が大変です。


もっとも、こちらも疲労がかなり限界来てたんで、ちょっと片付けは中休みしたつもりで、明日からまた、台所以外を頑張るかな。 

何しろ、どこもかしこも、大変なことになってるんで。  

台所以外でも、やることは山とあるのです。  

( じぶんちも、片付け途中でとんでもないことになってますけどね。 )


当分どこへも出かけられないし、何かする気も起きないので、親の家の片付けに燃えます      



※ 冒頭写真は、退院祝いに買った 「アリストロメリア」。   日持ちするのと華やかなので。
台所の出窓に飾りました。



写真は、病院での最後の、4月の 「季節食」。
家の片づけをしていたら遅くなってしまい、行ったら母がもう食べ終わってしまっていたので写真に撮れませんでした。
桜の葉と一緒に蒸したお魚と、新じゃがのジャーマンポテト、そして 「よもぎまんじゅう」 です。
(饅頭のみ、かろうじて残っていたのでパチリ




夫の運転だったので、退院の朝、病院へ向かう途中、車内でパチリ。 この川の向こうに病院があります。



病院からの帰り道、家の近所の、檀家になっているお寺の枝垂桜を見に、夫が車を近くまで回してくれました。 車窓からパチリ。



家のお隣さんの、見事な枝垂桜。 でも、ここ数日ですっかり葉桜に。 



同じく、お隣さんの駐車場の桜で、向こうに見えているボロ屋が、親の家です。  
( 何年も前に外壁だけ張り替えましたが。 )



私が、午前中あまり家にいないので、シロチがさみしがって、すぐに膝の上に乗りたがり、困ります。  

おかーさん、お化粧したらもう、店に行くんですからね、ジャマちないで。 

チロチ、ダメだよぉ~。    ダメよー、ダメダメ・笑。



ぬいぐるみと一体化する、ふてぶシロチ



この日は、私のソファーに置くクッションとムートンを、昼間はソラチのおしっこ対策でよけているのだが、
夜みたらシロチがのっかって気持ちよさそうにしていたので、さすがにかわいそうになり、違うものを持ってきて使いました。




庭のムスカリが咲きました。 ムスカリって大好き。  



ドラチのお墓前のチューリップが咲き、花活けには八重水仙を夫が飾りました。



ゴン、モモコのお墓。 雑草だらけですが・・・  



昨年の秋、剪定してもらったツル薔薇も、芽が出てきました。


やっと春らしくなってきました。    

玄関に花を植えたくなる季節ですね。  



なにはともあれ、こうやって母が無事に、元気になって、やっと4カ月ぶりに我が家に帰ってきてくれて本当にうれしいです。       

長かったなぁ~。

よかったなぁ~。 

バンザイっ           


読者の皆様も、本当にご心配をおかけしてしまい、応援もしていただき、嬉しかったです。
ありがとうございました。

ひきつづき、気長に見守ってやってくださいませ。  







※ 「Takamiy お誕生日」 記事、写真など、大幅追加しました。
ちょー、ちょー、ちょーーー      長くなってしまいましたが、 
よろしかったら見てくださいね。   

てか、昨年UPしようと思ってとっておいた写真、沢山すぎるので極力減らして載せたのだけど、やっぱり 「タカミー・シストリー」 において外すのにはもったいなく、思い直して載せます。 (^^)v
あと、巻末に【補足】と【おまけ】が。







一日外出からいよいよ退院へ・・・

2015年04月20日 | その他 色々
昨日は朝の9時半に病院に母を迎えに行き、夜の7時までをうちで過ごす、仮退院の日でした。
( 時間は希望で選べる )

仕事前の夫の車で迎えに行き、途中少し買い物をし (母は降りなかったけど)
家についたら、なんとかステップを置いた玄関の上り框を上って家の中へ。

まず仏壇に線香をあげ、その間に店の客が来たので私はずっと見てあげられなかったけど、
一人で杖をついて廊下を歩き、まずトイレにも行ってみたそうで、
トイレに一人で行かれたのがうれしそうでした。

それから父と母とでお茶を飲み (父は昨日の朝早起きして畑の消毒に行ったのでお腹が空いたらしく、ご飯前なのに饅頭やあんころもちをバカスカ食ってましたが)

その後は、使っていないベッドを2階から降ろしてあったので (このベッドは姉が高校時代に使っていたのだが、スプリングが悪くて腰が痛くなるので普段使いはしないことにしているもの)

 そして、

世の中には、 根性を出せば何とかなることと、    

いくら根性を出しても理論的や物理的にダメなものは駄目である      

ことの二通りあると思うが、

紫檀の卓袱台は根性で一人で2階へあげられた私も、

ベッドはどう考えても物理的にムリだ (ベッドの横幅が縦にしても横にしても階段のある空間を通らない) 

ということを悟ったので、仕方なく自宅に6角レンチを取っりに戻り、 本体一部を解体して下へ下しました。(もちろん一人で)

あー、余談が長かった    


でまあ、ベッドを出してあったから、お昼まで母はそこでひと眠りし、

お昼には母の希望で 「鍋焼きうどん」 を作ってあげ、
それからまた、3時半頃のおやつまでひと眠りし、ほんの少しおやつを食べたら、また夕飯までひと眠りし、

の繰り返しでしたが・・・


でも、その間に色々家の中を歩いてみて、母の入院中に、店の前の雨よけのひさし (以前はビニールテントを貼ってあったところだが、破れた個所があり、取り替えるついでに今度はタキロンの屋根にしたもの) を直したばかりだったので、靴を履いてそれを見に行ったり、

もちろんすべて左手で杖をつきながら、右手は家の中のいたるところにつかまりながら、ですが、

こちらの方が、母がどこか行こうとするたびに、

「どこいくの?」 「何するの?」 「何をしようと思ってるの?」 などと、しつこいくらいに聞きまくったほどでしたが、

本人はいたって平気でいろいろ試してみたようで、そして

色々歩いてみたらできたので・・・ 

それが自信になったのか、

仮退院と退院が決まったころは、 「体力にも自信がないから大丈夫かねぇ」、 などと言って、あまりうれしそうでも帰りたそうでもない感じでガッカリしましたが、

一時帰宅をしてみて感覚がつかめたせいか、こうなったらなるべく早く帰りたいと思ったのか、

「じゃあ、ベッドが入ったら次の日に帰ってくるかねぇ。」 と言ったのでびっくりしつつも安心しました。  


そして驚くことに、

冷蔵庫の中のものを整理してほしい (見ないで捨てろ) とか、
あの、自分では引きだすことのできなくなった “木製の重くてでっかい米びつ” は、使いやすいものに替えてほしいとか、

なんとかそのうちには台所ができるようになりたいから、 
(ゴチャゴチャすぎて何から手を付けていいものかわからないほどだけど、もしも整理できるのなら) 使いやすく整理してもいい 

と言ってくれたことです。   
( 私も、洗濯や片づけなどはしてあげるつもりですが、たまの店番と、別居で嗜好も違う 「ご飯だけはやってほしい」 と切に願っているので。 )

それまでは、これが使いやすいんだから勝手にするなと、かたくなに拒んでいたので 
(両親とも昔の人だから物を大切にする、というだけでなく、現役なので頑固)

う、うれしいよぉ~~~   

              


なので、

明日また、夫に休みをとってもらっているので、できるだけ今日中にいらないものを整理して、クリーンセンターに捨てるものを持って行きたいし、

22日(水)にベッドが入り、翌日23日(木)、病院で朝飯をとったあとに母がいよいよ退院してくるので、

もちろん、母に聞きながら処分するものもありますが、それまでにできるだけ家の中を、母が行動しやすいように整理したいので、

これから3日間、集中してお片づけをガンバリまぁ~す   


そんなわけで、一日食べては寝て過ごし、夕飯はやはり母の希望でコンビニのサンドイッチを少しだけ食べてまた病院に戻って行った母ですが・・・

こうやって退院のメドもつき、
今日行ったら、退院したらコンビニでお昼ご飯を買って帰ろう (今度は自分で降りて選ぶもよう) などと自分で考えて楽しみにしているみたいで、

こんなに歩けるようになって元気になれて 
うれしぃよぉ~~~
 

             





さてとっ       ブログで報告も済ませたことだし、

6時の晩御飯に合わせて再び病院行くまで、お片付け、お片付け・・・     


みなさんも、応援よろしくお願いいたします。    






Takamiy お誕生日  その1.

2015年04月18日 | THE ALFEE、Takamiy
昨日、4月17日は、 Takamiy こと、 THE ALFEE の 高見沢俊彦さんの お誕生日でした。

おめでとうございました 

                    


なんとー     

61歳になられました。



( 『smart 5月号』宝島社 2015.3/24発売 より。自身も愛用しているブランド 「 Roen(ロエン) 」 の特集記事にて )

こぉ~んな若くてカッコいい61歳は、そうはいません。      きゃーーー 


これからも、若々しくてカッコいい、それでいてチャーミングなタカミーでいてください。      

これまで2013年大宮、2014年横浜と二度Takamiyバースデーコンサートに参加させていただきましたが、
今年は、バースデイ当日にコンサートがないので、たぶん、なのだけど、バースデーコンサートはやらないのかなー、と。  

でも、できることなら毎年、タカミーのバースデーを一緒にお祝いしたいなぁと思うので、
当日にコンサートがなくても、近い日のコンサートでバースデーをやってくれるか、
あるいは、なるべく、誕生日当日に必ずコンサートを入れてくれるか・・・

メンバーも私たちもどんどん年を取ってくるので(笑)、真面目な話、あと何回一緒に祝えるのかなーなんて、 
( そちらは大丈夫でも、こちらの諸事情とかがね、色々と。 )

そのへんのとこ、よろしくお願いいたします。   



 さて、昨年、タカミーが還暦を迎えたときに載せようと思いつつ、ついに載せそびれてしまった写真などを、今年しかチャンスがないのでガンバッテ載せますね。   



まず年頭に、 『Takamiy生誕60周年記念チョコレート』 が、パリのチョコレート専門店 「ムッシュゥ ショコラ」 とのコラボ商品として、TBSラジオ 954ショップから完全受注制で限定販売されました。

前年の12月より注文受付開始で、2014年3月中旬ごろに届きました。



わざび・塩プラリネ・カプチーノ各4粒ずつの12粒入り。 
「塩プラリネ」 はちょっと甘すぎて、意外にも 「わさび味」 がおいしかったと記憶しています。
「ムッシュゥ ショコラ」 は日本人ご夫婦の始められたお店なので、日本の味を生かしたのかもしれません。



リボンとチョコのイラストはタカミーのデザインで、可愛くて食べるのがもったいないくらい。

けっこうお高かったのですが、記念なので2箱注文。1つは冷凍保存しておこかと思ったら、生チョコで室内の温度が関係するためお早めにお召し上がりくださいとあったので、冷凍では風味が落ちるような気がして、もったいないから毎日一粒ずつ、ちまちまと食べました。
一日一粒の贅沢、至福のひと時でした。  

空き箱やおリボンは、記念に飾ってあります。 



まずはこちらから・・・







当時放送されていて、タカミーもレギュラーだった 『新堂本兄弟』 をあげて、タカミーの還暦お祝いをしてくれました。    

いつもは、後ろの方にいるコメンテイター? の一人なのですが、この日は主役 
しかも放送30分を丸々タカミーのために費やしてくれて、とてもうれしかったです。 



真っ赤なバラの花束をもらい、真っ赤な還暦ケーキのろうそくを吹き消す。
タカミーの横顔と、口元が可愛らしいです。  



60歳になったという実感はないけど、幸せだね。 



だって、スタッフがみんな、赤いTシャツ着てるんだよ   とカンゲキしながら客席を指さすタカミー。



この時スタッフが着ていた “タカミーの顔とギターがプリントされた赤いTシャツ”(おそらく非買の特注品) がすごく欲しくて、
のちに 『TVガイド』 誌に載った、この時のバースデイ特集記事についている応募券を貼って送ると5名にプレゼント という企画を知り、根性で10冊買って送りましたが、当たらず・・・  
あ~あ、販売してくれたらよかったのになぁ~。


 
観客は 「赤いサイリウム」 を持って盛り立てます。





気の置けない番組メンバーたちがタカミーをからかいます。
その、大物なのに親しみやすいところが魅力。 かわいいお人なのです。  

「赤いちゃんちゃんこ」 をプレゼントされ、最初は嫌がっていたが、 



「わかった、じゃあ着てやるよ 」   



おもむろに上着を脱ぎ、鍛え抜かれた60とは思えぬ肉体にメンバーからも感嘆の声が・・・
私もちょっとドキッ。 



さあこいっ   とぱかり、構える・・・。


                             
ちょっとおもしろかったのは、長袖ブラウスについているフリルが上着の袖から覘いているのだとばかり思っていたら、そのレースは実は上着に縫いつけてあり、中のブラウスは長袖ではなく袖のないものだったこと。   



こっちはカンベンな、と拒否った 「赤い烏帽子」 と、タカミーの脱いだ上着をふざけて着こんだ堂本剛と、 「赤いちゃんちゃんこコンビ」 でツーショット。



60歳にしてこの毛量は奇跡だと、みんなからホメられ、嬉しそう。 (この笑顔がステキ 



堂本光一・・・ こういうのは結婚式のときとかにやるんですけど・・・



高見沢さん、結婚してないんで。 「うん。」



の、問いに即ざに   (わはははは…)



きゃー、  かっちょいいぃ~~~   

こーゆーコトは、美形でモテて、なおかつ才能もあってっていうタカミーが言うからこそ、かっちょいーのよね。




1954年4月17日、埼玉県蕨市に高見沢家の次男として誕生。 兄とは8つ違い。



と、こぉ~んなカンジで、タカミーの 「シストリー」(光一が 「ヒストリー」の 「ヒ」のことを「シ」と言ってしまったため・笑) が語られていきます。

白黒写真てのが、時代を表してます。 ちなみにσ(^^;)も、出生時~幼稚園頃までは白黒。



ナレーターはこの人・笑。 

出生から幼稚園、小中学校、高校と進みます。



6歳のお誕生日カードには、昭和35年の文字が。   
 
( ネコタの生まれ年なので喜ぶ・笑 しかし、なぜ生まれた日が17日と30日? と両方書いてあるのか不思議。 )





やはり、幼少期より美形ですね。 



地元、埼玉県蕨市の小学校、中学へと進学。



中学時代はバスケットに明け暮れ・・・




タカミーは、中学時代から、モテモテだったそうですよ。やっぱり・笑。





中学時代の恩師 (担任の恩田先生) の証言。

恩田先生の登場には、タカミーもビックリ  ( タ「先生、若いなぁ~。」 )



でも、



ただ、



キャプテンとして挑んだ中3のバスケットの大会で、優勝候補だったのに自分の判断ミスで負けてしまったという、
「あの時の落ち込みようが、今でも忘れられないくらいに印象に残ってますね」。


そんな挫折から逃れるかのように、



高校は家から遠い、東京の明治学院へ。

一昨年前、忙しい自分のために、 “自分の日程に合わせて” 高校の同級会を開いてくれたので、30年ぶりに参加してみたらとても楽しかった   と事あるごとに嬉しそうに語っていたタカミーでしたが・・・

クラスメートの方々も、その後興味を持ってくださってアルフィーのコンサートに行かれたりしたのでしょう、そんな話題にも触れつつの、 
 
明学インブリー館に、かつての同級生たちがこんなに沢山集ってくれて、タカミーの当時のことなどを次々と証言。(暴露?笑)



さすが明学卒だけあって、皆さんオシャレで紳士なナイスミドルさんたちだと思いましたが、
一人一人の当時の写真も並んで小さく出てましたが、皆さん港区周辺の都会のボンボンて感じ。
蕨のことを田舎だって言ってましたもん・笑。 (そうなるとさくりんの地元秩父や、ましてKなんて最果ての地? 笑)









これは田舎とゆーより、見かけによらず、ちょっとだらしなくて物事に意外とこだわらないタカミーの性格のような・・・ 





バンドの練習に一時間たっても来ないから、もしやと思って電話してみるとまだ家にいたり・・・(みんなと違って来るのに一時間以上かかるのに・笑)

当時から大物ぶり? を発揮していたようです。  

( ※ ついでに、学生服でギターを弾いてるという、タカミーの貴重なお写真。きゃーすてき   )



ミッションスクールなので



当時から、ハイトーン・ボイスが目立ってたみたいですね・笑。



高校時代のタカミー、可愛いです。



高校は当時は男子校。 でも、近くの女子高生から大モテだったようで・・・







なんと、当時から 「追っかけ」 がいたという、スター並みの人気。     

でも、ご本人は・・・



家に帰ってみたら、制服のポケットに手紙がいっぱい。  誰? この人、みたいな。
( フツー、家に帰る前に気づきそうなもんだが・・・超、鈍感・笑。   )



西川貴教や光一に 「バレンタインの、チョコなんてない時代ですもんね」。
 
タ「あったよ   」 
 
樽美酒研二(ダルビッシュ -) 「あんこ」 ですか?

などとからかわれ・・・





光一 「みんな、祝う気持ちでいっぱいだね 」   



シストリー後半、3人が出会う大学時代からプロデビューしてからは、この人がナレーター。



タカミーより、二日前に還暦になりました。





この頃のさくりんは素顔。二枚目さんですね。サングラスしない方がいいのに。



タカミー、優しい顔立ちで女の子みたい。



研ナオコさんやかまやつひろしさんのバックバンドをしたり、ライブハウスで演奏したりの 「下積み時代」 が9年続きました。

売れ出してからは周知のとおりなので、省略・・・。



でも・・・
これなんて、人のよさそうな、その辺のおにーさんみたい。(カワイイけど・笑)



今となっては想像できない     おとなしめのタカミー。

どちらの写真も、髪は黒いし (長いけど・笑)、 スーツ着てますしね。



2003年4月、タカミー49歳の年に堂本メンバー入り。

( つまりは壮年期の大切な11年間を、この番組とともに過ごしたとゆーコトですね。 )  







そして、もともと持っていたものかどうなのか、番組を通して、次第に天然キャラが花開く・・・

( ファンとしては、その 「天然キャラ」 が゛可愛くてたまんないですが・笑 )



ハワイで 「ドッキリ」 バースディを仕掛けられたことも。    

両端が、赤いスタッフTシャツのタカミー顔プリントの絵柄です。    


 さらに、還暦を祝ってタカミーにプレゼントが・・・



これはウルトラファミリーのうちでも、



限られた6兄弟しか持つことができない、しかも、



駆け付けた 「ウルトラ・ファミリー」 からも祝福。









タカミー、大興奮   (「これはうれしいぞ~」って2回言いましたもん。

周りのメンバーも、こんなにプレゼントを喜んでもらって、嬉しそうに祝福します。






これでタカミーの子供のころからの憧れ、ウルトラファミリーの仲間入りです。

このマントは、その年の春ツアー、冒頭でタカミーが着用、みんなに披露されました。



 そしてついには今年初め・・・、



円谷プロ公認、制作のショート・ムービーで、ついにホンモノの 「ウルトラマン・タカミー」 になってしまいました。

タカミーはウルトラファミリーに数多く楽曲を提供、親交が深いだけでなく、
ほんとに昔から大好きで詳しい (特撮好きとしても知られる) ので、
タカミー、ウルトラマンになる  という企画は、円谷プロからの粋なプレゼントだと思います。

( 『激突バトル! ウルトラマンタカミー』2015.1/28 ユニバーサルミュージックより発売 ) 


 シストリー・ラストも、なかなかいいです。



まず恩田先生。

そして高校時代のクラスメート達から、次々とタカミーヘメッセージが。

中でもバンド仲間の一人は・・・、

ロックミュージシャン、ブルースミュージシャンにとって60歳はまだまだヒヨッコ (まだまた充分イケるから)、



との、激励の言葉をいただきました。

そして・・・この二人からも。




タ「小さくて見えねーよ・笑」







バンドリーダーとして、いつまでも長生きしてください。 

タ「あなたもです・笑」







あはははは…

いつもの様に笑わせつつ、ちょっとほろっとさせてくれて・・・


オーラス 



じゃれあう若き日の3人。





3人で歩いていく線路のレール越しにタカミーの台詞とテロップが重なり・・・  

何度でも繰り返し見たくなるような、感動的なタカミー&アルフィー・シストリーだけでなく、



タカミーがみんなに愛されているんだと番組メンバーもしみじみ。 

見終わったタカミーも、(僕だけじゃなくて) メンバーのことにまで触れてくれてありがとうございますと、感慨深げだったのが印象的でした。





ラストは、 「堂本ブラザーズバンド」 とのセッションで、
この日は、バンドメンバーではなく、 “主役” として、思い出の名曲、 『ROCKDOM-風に吹かれて-』 をタカミーが熱唱しました。



1983年、当時はまだ周りに何もない、13号埋立地と言われていた現在のお台場 (現、東京ベイリア付近) で
“史上初の10万人を動員” して行われた、アルフィー夏のイベント。
 
( ちなみに、 「東京ベイエリア」 というのはタカミーが名付けたのです。 )



ラストは、このコンサートのために作られた 『ROCKDOM-風に吹かれて-』。

『ROCKDOM』 というのは、 「ROCK」 と 「Freedom」 から成る造語 (こちらもタカミー作) なんだそうです。 



この日が初披露だったので、まだ誰も聞いたことがなかったはずなのに・・・

最後のほうでは、サビの部分を、観客みんなが一緒になって歌いだし・・・
曲が終わったあとも、繰り返し、会場に集まった10万人で大合唱。

その、コールに包まれながら、コンサートの象徴、 「大階段」 をメンバーたちが駆け上っていきます。 



この時の情景も、歌声も、
30年たった今でも、メンバーが心の奥に焼き付いて離れない、忘れられない思い出になっていると語っています。

( ああ、願わくば、自分も、その10万人の中の一人でいたかった。  )



10万人がリフレインした、その 「サビの部分」 を、スタジオで熱唱するタカミー。

スタジオでもリハでも “いつでも全力投球” なタカミーが大好きです 


そして、タカミー還暦バースディコンサートの模様です。



普段は、タカミーが幸ちゃんの誕生日を盛り上げるために、毎回趣向を凝らす “余興” なのですが、
みんながキャーキャー言って喜び、大ウケだったから気を良くしたのか、
大サービスで、昨年は、なんと  自分の誕生日にも登場した、 「シンデレラ」。

今年は、卑弥呼の弟、 「ヒミヒコ」 になって登場。
またもや、黄色い歓声が沸き起こります。 
( 俺にはそんな趣味はない・笑、というタカミーですが、これだけ歓声を浴びると、まんざらでもなさそう。  
何しろ、メンバーがみんな、観客が喜ぶこと、面白いこと、そして歓声とウケるのが大好きですから。  )



そのイロっぽさに? さくりん、思わずドキドキ    



前年の 「シンデレラ」 同様、可愛くて大ウケ・笑。  

しかも、還暦男子でまさかの 「ツインテール」 だし。  


と、打ってかわって、ご本人? の登場 







還暦☆電飾タカミーに きゃー   

この格好で歌った 『真赤なウソ』 と、
タカミーが還暦バースデータオルを振り回しながらステージをかけまわり歌った 『Stand Up,Baby -愛こそすべて-』 は、
会場でもマフラータオルが揺れ、大変盛り上がりました。   

ちなみに・・・







こちらはその前年、ソロにて初?電飾を披露したタカミー。

曲は 『Fantastic Love Metal』。
もともと大好きな曲だけど、電飾がちょーカッコよくて、ステージを所狭しと駈けまくるタカミーにシビレまくりました     



その後、みんなで 『Happy Birthday』 を歌い・・・



ケーキのろうそくを吹き消すタカミー。 長い髪を抑えて・笑。



ケーキは、還暦バースディ・コンサートの開催されたパシフィコのある横浜にちなんで、
マカロンでできたマリンタワーやコンチネンタルホテルなどもあり・・・、
ギターに60の文字などの乗った、手の込んだ凝ったデザインです。



こちらは、コンサート終了後に、楽屋にて乾杯。 



楽しそうです。



 『FNS夏の歌謡祭』 では、「気志團」 と 「One Night Carnival」 をコラボ。





冒頭 「俺んとこ こないか?」 のキメ台詞でノックダウン。 
きゃー   行く、行くぅーーー      







真っ赤な 学ラン(長ランというのか?) に身を包み、ステップ? を踏みながらギュインギュインとギターを掻き鳴らすタカミーにゾクゾク、きゅう~ん。      







真ん中は郷ひろみさんですが・・・、
後ろの方でさりげなく? ギター弾いてたはずのタカミーの方が、間違いなく目立ってましたね・笑。



曲中、「みんな知ってるかぁ、高見沢さんこう見えても、今年還暦ですからぁ~」 と綾小路翔。



その言葉に、思わず、ふっと笑みが漏れます。



カッコ良すぎます。   
( 普段はサングラス、あんまり好きじゃないんだけど・・・カッコよく決まりすぎててシビれます )



ふっふー、ふっふー



最後のキメポーズが一歩遅れるところも、タカミーらしい  

あと・・・、やっぱりちょっと体硬そうです・笑。 (唯一の弱点?) 




この日のために、 「白い学ラン」 をとスタッフからは希望されたらしいが、タカミー側は 「赤を用意しました」 とな。 

真っ赤な学ランの方が背目立つし、タカミーらしいですが、偶然 “還暦色” でもあり。

腕の腕章には 「鷹美偉(たかみい)」 背中には・・・



「高見沢還暦上等」 とあります。

私物ということは・・・?

と期待していたら、見事、秋ツアーで披露してくれ、 「One Night Carnival」 の前奏が流れただけで歓声が、  
真っ赤な学ランで登場したタカミーには大歓声が湧き起こりました。    



さらに2014年秋ツアーでは、



客席でもチーフを振って思いっきりノル、 『CRIMSON KISS』 が登場。

一度 “ツアー初日” というものを味わってみたくて、40周年記念だから 昨年の秋ツアーで初めて “初日”越谷 に参加した時のこと。
タカミーがこの曲の時、ギターネックの先端に赤いチーフを付け、嬉しそうに登場した時は、その大歓声とも相まって 「えー!?、何、何???」 状態でしたが、客席で揺れるチーフを見た時は、それを知らない(持ってない)自分がなんだか置いてきぼりを食らったようでもっとさみしかったけど・・・(もちろんチーフのない手を振りながらマネしてノリノリで踊り?ましたが・笑)
まだ誰もやる曲を知らないはずの 「初日」 にもかかわらずチーフ持参の人がいたのには私も驚いたけど、その赤く揺れる波にタカミーも 「おおっ」 って感じで指差して、すごく嬉しそうでした。

( そういう “もしも” の時のために、やってもやらなくても、その曲でしか使わない、つまり 「通の人」 しか知らない小物を常に持ち歩いているファンがいるそうです。
初日で誰もネタバレしていない時に、もしもやってくれた時に、ちゃんと持っていたら 「ヤッタァ~」 って感じですごく嬉しいですもんね。ご当地ソングや初日には、そういう楽しみもあるのかもしれません。 )

クリムゾンチーフ、何年か前のツアーでこの曲をやった年だと思うのですが、暮れのコンサート (今でいう“ファイナルシリーズ”) で、武道館と大阪会場で参加者にたぶん無料で配られたみたいですが、もちろん持っていなかったので、
次の長野会場でのコンサートに参加する際、 「絶対に自分も赤いチーフが振りたい」 と思って、赤なら何でもいいと思い、ネットで自分で振りやすいサイズと情報では当時のものは木綿だったようですがシルクにして購入、当日振りながら踊れたときは、すっごく嬉しかったです     



そしてそういう要望が多かったのか・・・、
ファイナルツアーとなる12/23,24武道館と29日大阪城ホールにて、 “復刻版クリムゾン・チーフ” が会場限定発売されました。
写真は、会場で実際振り回した物とは別に、もう一つ記念に保存用で一枚買ったものです。 

40th記念ロゴ付で、袋には “40年目の情熱チーフ” と書かれたシールが貼ってあります。  

もちろん 会場で 「ホンモノ」 が振れた時の喜びは、格別でした。      

( この年のクリスマスは、武道館のみの限定発売として、他に 『聖夜-二人のSilent Night-』 の時だけに使う “赤いクリスマス・グローブ” が販売され、会場で手にはめて振りができたのも、同時に嬉しかったです。 
  コレです  

この曲はイブにしか歌わないため、その一曲だけのために販売されたのかと思うと、その 『特別感』 たるや、  きゃーもんです・笑 
コンサート歴の浅い自分は、こういう “限定グッズ” を今まで持ってきていないので、「復活販売」 はすんごくウレシイです  これからもヨロシクお願いしまぁ~す    
あ、この年のクリスマスグローブは「復活」ではなく、グローブとしては「新発売」だと思います。以前でていたのは、星形の手にはめて振る物? でしたので。 )

※ 『CRIMSON KISS』 は、アルフィーの既存の曲をダンスミュージックにアレンジし直し、歌詞も英語化して収めたアルバム 『the ALFEE MEETS dance』 が作成された時に 『白夜-byaku-ya-』 が英語化され収録されたたもので、ノリノリになれてとても楽しい、何度でも踊りたくなる曲です。 アレンジも素敵です。 




※ 以上、主として上記TV番組、Alfred 発売のライブDVDの映像より、自分で写真に撮らせていただきました。




 長すぎるので、 「おまけ」 はこの下に    その2. とししてUPします。合わせてご覧いただけますと幸いです。








Takamiy お誕生日  その2.

2015年04月18日 | THE ALFEE、Takamiy
                            


 バースデイ特集、その2.は 【 おまけ 】 で・・・ 

可愛くてちょっとお茶目、チャーミングなタカミーと、
ステージ上で見せる 「カリスマ性」 とのギャップに “萌え萌えきゅんきゅん”      



 まずは、お昼の情報バラエティー 『ヒルナンデス』 にて。



話題の原宿のスイーツ・カフェで 「うさ耳」 をつけたり・・・



「ブライス・ドール」 に夢中



それまでに4回の放送があった (タカミー出演は全5回) が、『男だけで行っちゃうんです』 コーナーで、女性に人気のスポットへ男だけで侵入、
その店の女性スタッフが選ぶ “彼氏にしたいランキング” でまさかの3連続最下位となり、罰ゲームを連発していたタカミーだったが、

ブライスドールへの着せ替えを、ロケ参加者4人で競う “コーディネイト対決” で 



自身を投影したコーディネートをチョイス、名付けて 『代官山のディスタンス』。



見事、初優勝を果たして、ご満悦 



さすがミュージシャン   発想がそこに来るのね。
いいなぁ~。 私にも作って    
 
( あ、でもね、タカミーが Felix the cat に提供した 『Felix the Rock』 という曲を、実は秘かに自分のテーマソングだって思っているワタシ。   えへへ…   )



タ「これちょっと、買って買えろっかなぁ~」  


さらには ・・・

  

  




ステージでのカリスマ性きらめくこの人が・・・、 
( 『天河の舟』ツアー 2007.12/24 in武道館 「終わりなきメッセージ」 を熱唱。
この時のタカミーはカリスマ性がさく裂していて、ちょーカッコいいのです  )


(真面目な顔で) へーえ、あっそう、ふ~ん・・・



ぎょい~ん      

最下位の罰ゲームで、渾身の 「原西ギャグ “驚く人”」 を初披露。  

「何のマネですか?」との、つるの剛士の問いに

  嬉しそう・・・   

“一兆個のギャグを持つ” と自負する原西孝幸のファンだという高見沢は、 「原西ギャグ」 を

    


くじけそうな時 想い出して
僕の愛を… ALWAYS

と、『ALWAYS』(作詞作曲:高見沢俊彦) で優しく囁いてくれるタカミーですが・・・

それよりも 

落ち込んだ時思い出すと、めちゃめちゃ笑えて元気になれます。   

 ぎょい~ん  


これからも、ギャップ萌え、   

その容貌に反した、おちゃめでキュートな王子様 でいてくださいね。 


還暦+1歳のタカミー に乾杯        





※ 特に記載のないものは、TV、DVD画面、サイト掲載写真などを自分で写真に撮らせていただきました。 




【 補足 】



 『激突バトル! ウルトラマンタカミー』 (DVD)

「役者だけには手を出さないと決めている」
(のめり込むタチなので音楽に専念するため、またそれを本業とする人たちの領域を侵さない、などのためにおそらくオファーが来ても断ってきたのだと思う) がモットーの高見沢俊彦が、
これまでの60年の生涯の中でおそらく2度目となる (一度目は主題歌を担当した縁で 1989年『将軍家光の乱心 - 激突 メイキングビデオ』 で天草四郎役を好演)、 “役者魂!” をさく裂させて挑んだ、本格的アクション・ショートムービーで、
映画のメイキングを見ると、単なる遊びではなく、高見沢と円谷プロがいかに 「本気」 でショートムービーの製作に挑んだかがよくわかり、
「タカミー、子供のころからの “ウルトラマンになりたい!” という夢が還暦にして叶ってよかったね」、 と胸が熱くなります。  うるっ 

また、ウルトラファミリーがコンサートにサプライズで登場して盛り上げた、
『ウルトラ・ソング』のステージ だけを集めた特典映像にも注目 
自分も、そのほとんどを実際に見てきたのだと思うと感慨深いです。 

ファンでなくても一見の価値あり。 



  『ウルトラヒーローソング列伝』 (CD)

また、高見沢俊彦がこれまで “ウルトラ・ファミリー” に提供してきた楽曲だけを集めたCDも同時発売。

中でも、 歴代ウルトラ楽曲をつなぎ合わせて壮大なスケールでまとめ上げた 「ウルトラマン組曲サーガ」 は必聴の価値あり。
他にも、ショートムービー中挿入されていた 2曲の “クラッシック調のインスト” がドラマチックでよいです。





リーフレットやCDデザインには、ショートムービー撮影時のものが使われています。


※ いづれも、2015.1/28 ユニバーサルミュージック




  THE ALFEE AUBE 2007 『天河の舟』  Live at BUDOKAN Dec.24

2007年12月24日に日本武道館にて行われたクリスマス・イブのライブの模様を収録したDVD。(Alfred製作販売)

タカミーのカリスマ性がさく裂する、上記 『終わりなきメッセージ』 ほか、



中央花道を生かした 『SWEAT & TEARS』



オーラス 『Rockdom - 風に吹かれて - 』 など、必見のステージが満載      

タカミーのこの時の衣装、
ワッペンやバッヂが沢山ついた赤いチェックのジャケット (安全ピンで無造作に留めただけの黒いスカルの腕章と切りっぱなしのような後ろの裾がツボ )、
ハートやチェックの布などが、パッチワーク風に沢山継ぎ当てられたジーンズなど、ちょー可愛くてツボりまくってます。   かなりのヒットで、大好き。  自分でも着たいくらいです・笑。

他に、大好きな 『Good Times Boogie』 『100億のLove Story』 『天河の舟』 『Going My Way』 『Pride』 などが盛りだくさん。

そしてなんといっても、私が初めて聞いて感激した 『THE ALFEE SINGLE HISTORY VOL.VI 2002-2008』 (2009.3.4)  に収められている 「ライヴヴァージョン」 の 『Going My Way』 は、リーフレットに記載はされていないが、内容的に見てこの時のものであることに間違いない  と確信した時は、衝撃的に感動しました。     DVDの方が後に買ったので。

また、その年により、イブらしさが特にない時もあるのだが、この年はクリスマス感も一杯、コントも面白くて、なんといっても大好きな 「中央花道」 のある、ゴキゲンなDVDなのです。   

( 自分は参加していないのが唯一残念ですが。 まだ、アルコン復帰する前年のもので、今から8年前の、メンバーの若々しいステージが楽しめます。  )




【 おまけ 】



今年、61歳のお誕生日は・・・

『Kinki kidsのブンブブーン』 にて、キンキの二人にバースデー・ツアーをプレゼント   してもらい・・・

60歳までしか乗れない絶叫マシーンには、2回もチャレンジしつつも雨天運行中止のためついに乗れなかったけど、サイコーのお誕生日になったと思います。

写真は山梨のとあるワイナリーにて、テイスティングしつつ乾杯 

ワインにも詳しいタカミーです。



と、ある温泉旅館にて、祝いの膳を堪能。
キンキの二人に、ワイナリーにてサプライズでプレゼントされた 『ウルトラマンタカミー・ワイン』 を開けてご満悦。  

ここでも、花束の贈呈やプレゼントなど、温かいお祝いのサプライズが続き、タカミー、カンゲキ     


キンキの二人とは25歳という年齢の差を超えて、 仲良し  
( 何しろ、 『堂本兄弟』 で11年もレギュラーだったのは看板の Kinki kids 以外ではタカミーだけですもんね。他の、どの “堂本メンバー” よりも、一番長くキンキの二人と一緒にいるのだと思います。 )

キンキのお二人さん、これからも、仲良くしてね。  
 

『Kinki kidsのブンブブーン』 には、今年初め2回にわたり出演。今回のものと5月3日放送のものと合わせて、タカミーの出演 (ロケ) は、4回目になります。 
( 関東で日曜午後1時30分からフジテレビ、放送時間は地方により異なります) 

キンキの二人がゲストの行きたいところへ一緒に行っておもてなしをする、という番組ですが、今後も楽しい企画に期待しています。 


( 上2つの写真は 『ザ・テレビジョン 2015.NO.16』 より )





※ その他の写真は、上記TV番組、Alfred 発売のライブDVDの映像より、自分で写真に撮らせていただきました。   









ようやく桜が・・・

2015年04月16日 | その他 色々


4月に入ってから一度、まるで初夏かと思うほど暑い日があり、 

その夜にあわててマイヤー毛布とシーツをしまい、布団カバーやパジャマを春向きのものに変えたり、急に着るものが冬物から春になったりした日があったけれど、

それ以降はまた、少し肌寒い日が続く、春の遅いKだったが、

病院へと続くK川べりや駐車場当たりの桜が、ようやく咲き始めました。  




左に写っているのはやはり春の風物詩の黄色い花木で、レンギョウか?



反対側の道路。


ですが、病院は町はずれの方というか、我が家からすると南の方角に当たり、我が家付近の方が病院のある地区より若干寒いのか、



店のお隣の枝垂桜はまだ半分くらいがつぼみのまま。

自宅の近くの学校付近の桜も、まだ半分がつぼみでした。  

なので、また、満開になったらUPしますね。


正月早々から足が痛く立てなくなった母が、骨折とわかって入院したのは1月初めで、まだ寒い冬でしたが、
それから厳寒の2月を過ぎ、春になり、
まさかこんなに長く病院にいるとは思いませんでしたが・・・

こうして桜が咲き、遅い春のおとづれに心もほころび始めたころ、

皆さまにも随分とご心配をおかけしましたが、その後少しずつ順調に、でも、その前の状況からするとみるみるうちに回復してきた母は、お陰様でようやく退院のメドがつきました。

退院は来週20日~25日までの間のこちらの都合の良い日時に、

それに先立ち、今週中に、退院後にどのように生活できそうかを、一度自宅に戻って体験してみるという、 「外出(外泊)許可」 が下りました。

母の場合、人口大たい骨を埋め込んだので、この骨は丈夫で痛みもなく、かなり歩けるようになるという利点があるものの、

脚を90度以上曲げたり内側にひねったりすると脱臼する恐れがある (脱臼した場合は簡単にははまらないためまた手術になるらしいので、それだけは避けたい) ため、脚の可動域が狭まり、

そのため、床(畳) の上に寝たり座ったり、ということができなくなる、つまりはイスとベッドの生活になるので、

退院後に自宅でどのように過ごせそうかを、入院中の事前に体験してみる必要があるみたいです。


リハビリは毎日順調に進み、歩行器が2本杖になり、1本杖になり、

手すりのついた階段を上り下りしたり、杖をまるで持たない状態でほんの数歩だが歩けるかやってみたり、
今日はつえを使ってリハビリ室の外へ出て、舗装したところ、砂利道、坂になっている個所などを歩いてみたそうです。

私は、一度娘さんにもリハビリを見てほしい、と言われたので4月8日に見ただけですが、その時は片手固定バーで歩き、片手杖での歩行に初挑戦しましたが、ちゃんと歩けたのでびっくりして、すごく嬉しかったです。   

その後は、母から毎日リハビリの様子を聞くたび、日に日に進歩するさまが著しく、驚いたり喜んだり。

こんなに歩けるようになれると思わなかったので、本当にうれしいです。

この分だと、外出や買い物もできるかも   と喜んでますが・・・


その他のその後のことを話しますと、

あくる4月9日には、今度は姉と下の姪が日帰りでお見舞いに来て (下の姪はこのたび結婚したので、式はまだですが、その報告がてら来たのです)

そして11日の土曜日には母の担当看護師さん (前担当だった人が辞めた? とかで、もう少し落ち着いた年齢のほんとに信頼できる人に代わって内心ホッ。以前の担当の人は、いいと思ったのは最初だけで次第に信頼できなくなってきていたので) から、

昨日の 「回診」 といって、週に一度担当医師二人が見ている前で、患者さんたちが順番にリハビリの成果を見せる時に、母を見た医者(せんせい) が、来週あたり一度ご自宅に戻る外出をしてみて、その翌週には退院できそうだと言うことでした、

とのお話がありました。

え゛っ   まじっすか 

やったー、バンザイ       


が、嬉しいのと同時に・・・

看護士さんに、いろいろ準備があるから、急に退院とか言わないで、少なくとも一、二週間前には教えてくださいね、と頼んでいたのだが、

その通り2週間前に言ってもらったわけだから、看護士さんは 「十分余裕がありますから」 と言ってくれたけど、

こっちとしては、退院までの準備は、端が思っているよりも 相当時間がかかるので・・・    


何しろ、今まで両親が寝ていた部屋は6畳にさらにタンスなどがあって狭くて、とてもベッド2台は置けないため  (この際なので父もベッドで寝てもらうことにしたので) あいている8畳間をこれから寝室にする予定でいるのだが (この部屋が一番トイレにも近く便利だし)、

その部屋は、姉たちが来た時に大勢で食事するのに利用する部屋なので、普段はお恥ずかしながらこんななので・・・

 

まず、この2台のテーブルを二階の物置になってる8畳間に上げ、ごちゃごちゃしてるものは片付けて、

その他にも、
とにかく家の中のいたるところが、この写真のようにゴチャゴチャ余分なものが無造作にありすぎて歩きにくいうえに、母が転びでもしたら大変だから、

退院後の母が少しでも歩いたり行動しやすいように、ゆくゆくはリフォームする部分もあると思うけど、
まずは必要最低限のステップや手すりなどを付けるために、

家中の、少なくとも主要生活部分を徹底的に片づけたいと思っていた ので・・・
( 例えば、食器など、使っていないものを整理したら今の3分の一以下に絶対になると思う。でも、食器は母に聞かないと処分できないから勝手にはしないが、いちいち聞いていたらできないガラクタ、ちょー古いものなどを母が帰ってくる前に処分したいというのもあり。  )

その量はハンパなく、何から手を付けていいか、一時はパニック状態になりましたが・・・  

そしてパニくって手伝いに来てほしい!と姉に電話したら、まずはベッドを手配すべきでしょーというので、
なんとか両親とも相談しながらベルメゾンの通販でベッドを2台決めて14日に手配して (22日には入るというのでホッとする)

その日の午後から夜にかけてモーレツに片づけたら、  ここまでに   



ある日、母とちょっと衝突したことから、同じ件を巡って家でついにブチ切れて父と大喧嘩 (私が一方的に怒りまくっただけだが) したことがあったのだが、
夫とも2日続けて大ゲンカしたのでドタマ来て、テーブルは一人で2台とも根性で自力で2階へあげました。
( 紫檀でできているので頑丈で重く大きいので、また、階段は急で天井も低いので余計に上げづらく、途中テーブルごと階段から転がり落ちそうになったりしましたが。  昔から  “火事場の馬鹿力” のヒト )

あとは、奥のタンスなどをどけてカーペットを敷けばOKなのですが、それをどこへ持っていくかなど、考えることはまだまだあり、

これから両親が2階へは上がらずに生活できるように、なぜか2階にある洋服ダンスやタンスを下したり、押入れを片付けてクローゼットにできないかなどと思ったりすると、2間分もある押入れ (半分以上いらないものばかりが、だだくさに詰まっていてもったいないから) も整理しないとなー、とか。

ですが母から、祖父母の代からあって今はほぼ使っていない古い下駄箱は処分していいと言われたので、下駄箱2台と引き出しなどの粗大ごみ (+自宅で処分したいと以前から思っていたガラスケース) などをクリーンセンターに持っていくため、どうしても父のワゴン車を使う必要があり、

仕方ないので夫との戦線は一時休戦し、てか、私が折れて、拝み倒して、昨日の午前中にクリーンセンターまで行ってきたので、だいぶ片付きました。 

昨日の午後と今日と、疲れちゃったのとほかの用もあったので片付けはあまりできませんでしたが、
まだ、母の仮退院の日までにすること、その後退院までに片づけてしまいたい箇所が山ほどあるので、
夫には来週、週一の休みをベッドが来る日までに取ってもらうことにし、それまでは又一人でコツコツと片付けようと思います。  


何しろ、製造中止になった 「昭和の赤チン」 が未だに現役の家なので、

どんな状態か想像するに難くない、

いや、 絶対フツーの人には想像できないほど、すごいことになってる家なので・・・

今まで、自分ちのこともあるし、やりたいこともあるので実家の片づけには目をつぶり見ないふりをしていましたが、

てか、何か言うともったいないから捨てるな、まだ使える、これで十分、勝手にするな、の一点張りでケンカになるので口出ししなかった、
とゆーのも大いにあったのですが、

こうなってくるとだんだん両親もそうせざるを得なくなってきているっぽいし (今まで嫌だと言っていたベッドに寝る、と言い出したのがいい例)

いい機会だから 徹底片付けするモード満開 です     


何より、母に快適に過ごしてほしいのと、
せっかくここまで回復できたのだから、できることなら、ゆくゆくは母にもまた、ご飯を作るのと店番くらいは、少しはできるようになってほしいので、

でないと、両親とは別居で店もやっているため、店休日もなくて今の状態がずっと続いたら、私の身が持たないので・・・  


私の明るい未来のためにもガンバルのです。  


あ、それで 母の仮退院というか一時帰宅ですが、一泊か泊まらずに帰宅か選べたのだけど、母が泊まらずに病院に帰るというので、朝食後から夕食までの日帰りで、今度の日曜日の4月19日に、

そして退院は、22日にベッドが入るから、それ以降の23日から25日までの間のどれか、ということに決まりました。  


母はまだ体がだるくてすぐ横になりたい、本調子でないからといって、今退院しても・・・と不安そうですが、
担当看護師さんが言うのには、(術後からしばらくの)今までが大変だったから不安なのはしょうがないですよ~。でも、一度おうちに帰って過ごしてみたら違うかもしれませんよ。 

と言ってくださったので、

母は一時帰宅と退院を目指して、

私は片付けを、 また明日からガンバリまぁ~す           



ベッドを決めて手配したり、片付け前パニくってたり、その後は片付けに集中してしまったので、みなさんご心配くださっていたのに、報告が遅くなりましてすみませんでした。  

そんなことですので、ご安心くださいね。

よかったら、一緒に喜んでいただけると嬉しいです。   






   



春になりました・・・その他(ネコタ)近況

2015年04月07日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)



術後一カ月がたち、だいぶ元気になってきた母のことを書いてから、早一週間がたってしまい、

既に4月・・・

お陰様で母は順調に回復しております。

リハビリも、歩行器から2本杖となり、片手バーとなり、
最終的には1本杖で歩くことを目標に置いていると聞き、本当に嬉しい限りです。 


ですが、母の入院も3か月になり、再手術後は日に2度病院に通っているので、本当に時間がなく、
おまけに疲れ切っている。

読者の方や友人は、介護している方が体を壊してしまったら元も子もないので休んでくださいね、
と言ってくださって、お気持ちはとてもありがたいし嬉しくて、

そうできるものならしたいのだが、

そうはできないから困ってんのよ~~~   

               

( 母は私を頼りにしているし、父は店を絶対に休まないし  さしたる理由がないので言っても文字通り 「話にならない」 ので、Kに戻ってからこれまで今まで幾度となく言ってきてケンカ腰になったことさえあったが、もうあきらめて、めんどくさいからそのようにしている
夫はこんな状況でも家のことを何も手伝わないし  腹が立つので、もういう気もなし、めんどくさいから何も考えないことにして自分でやり、腹もなるべく立てないようにする。 )


こんな状態なので、トイレの便座があったかくならなくなった事件、
TOTOのお客様センターに電話したら、松本の下請け会社の人がすぐ飛んできてくれて、見たところ、

結局、便座の故障と、壁についているリモコンではなく、うちのトイレは蓋の開閉や流すのなどがフルオートなのだけど、その、トイレの中に入っているセンサー部分の故障だとわかったので (そういえば、何もリモコンパネルをタッチしていないのにいきなり脱臭がかかったり、ある時は知らずにウォシュレットが作動して、廊下が水浸しになったことがあったっけ  普通ウォシュレットというのは、人が便座に座らないと作動しない仕組みになっているらしいです。ふつうはその段階で故障だと思いそうなもんだが、ど~してかなぁー、知らずに触っちゃった? で済んでいた。病院行く前の、朝の忙しい時だったせいもあり・・・)

一日でサクサク直りました   

が、みなさん  

トイレの洗剤ですれけどね、 「サ○○ール」 などの “酸の強い” 洗剤を使うと、蒸発した酸がトイレ内部まで入り込んで、中のセンサーなどの部品を錆びやすくさせるそうです。  サビると結局故障の原因に。 なので、 「トイレ○oク」 や 「トイレマ○o○リ○」 などのスプレー式の洗剤が一番いいそうです。
それを聞いて、我が家も親の家も同じトイレのオートセンサーなので、あわてて使ってた「サ○○ール」は処分して「トイレマ○o○リ○」 に替えました。
オートでなくても、ウォシュレットなどの機能のある、つまりはセンサーモーターを使用しているトイレの人は、ぜひ気を付けてくださいね。
酸の強い洗剤は、元々は陶器で出来た昔からある単純なつくりの便器の黄ばみなどを落とすための強力洗剤なので、現代のハイテクトイレには向かないのですね。 


と、説明が長くなったけど、それ以外では、

電気屋さんに乾燥機を入れてもらったのだが、(20年間、いまどき乾燥機のない、珍しい家であった。親のうちにでさえあるのに・・・ 冬場は、洗濯物を干してある廊下にストーブを入れて乾かしていた。そうすると、ハンガーにかけて干したままで乾燥できるので、そのままクローゼットにしまえて便利だったから、ちゃんと理由があるのです)

そのお陰で取り払った棚 (物入れのキャビネット) がずっとそのままだったり、例のキッチンの冷蔵庫周辺も、まだ途中のままだし、

色んなものができずに、まだ途中のままなのだ。


病院に行く時間は、10時が11時になり、最近では12時ちょっと前に行けばいいので、朝ちゃんと9時に起きれば、毎朝ほんの少しは家のことができるはずなのに、

また、何かやるためにもう少し早く寝て早く起きるという手もありなのだが、

何しろ疲れてしまって朝起きられないのと、ヤル気もないのと・・・

ただでさえ夜ご飯が深夜なのに、片付けものをしたら、こんな時だけになおのこと 「自分の時間」 というものもほしくて、

そうしていると知らずにつぃ夜更かしになり、単純に睡眠が足りなくて起きられなかったり・・・

いやはや。


( それで洗濯や、先日は急に暑くなったのでマイヤー毛布などを片づけて春用の布団カバーに替えたりなどは、夜にやってます。 )


本当は、カラーリングやエクステにも行きたくて、早起きすれば行って来れるのだが、行く気力と元気もなく、


実はピアノは、昨年の発表会後から少し考えるところがあってお休みをいただいているのだが、
バレエの方はやる気満々? で行くつもりであったのだが、10月~12月クールの時に9回のうち結局一度も行かれなくて、今年に入ったら母の入院でまたしても行かれず、


ストレスと疲労のため、どうしても食べる方に走るので、ダイエットはできないから、
せめて 「ストレッチ」 と 「プチ筋」 (「プチ筋トレ」(友人の造語)の略で、腹筋とダンベルをほんの少しで、ストレッチと合わせてもトータル15~20分程度のものですが、毎日続ければしないよりはいいと思っているのと、そのくらいでないと続かないというのもあり・笑。もちろん自己流です) だけでもしようかと、
最近になってやっと母の状態も落ち着いてきて気分的に楽になったので、一応風呂上がりのご飯食べる前に毎晩やりはじめている。
(よほど疲れているときは無理してやらないのを鉄則としているが ※) 

でもこれは、ダイエットというよりは、母を見て、こんなにつらいんだったら自分が年を取ったときに、大たい骨や股関節などの骨折だけはしたくないと思ったので、
しかも、骨粗しょう症は遺伝するらしいし、
おまけに、私が母くらい長生きできたとしても、その頃にはタバコもお酒もやる夫はもういないかもしれないし、私のような優しくて気の利く(笑)? 娘もいないので、頼れるのは自分だけ。自分の体は自分で守らなくては、とゆーんで、

この、何かを続けることの不得意な、サプリでさえ採るのが面倒な私が、カルシウムなどのサプリを採るようになった (写真冒頭。右は、だいたい10年に一度くらいのスパンで到来するアレルギー系のひどい肌荒れに、昨年秋頃から悩まされているのだが、医者にも行って軟膏と飲み薬も処方してもらったが、そのほかに漢方薬と、肌荒れに効くと言われたビタミンEも飲むようにしました。たまに飲み忘れますが・笑) のと、

少しでも運動して筋力を落とさないでいたいものだ (軽い運動を持続することは骨折予防になるので) と思ったせいもある。


あとは、自分が自分でいたいというか、自分らしくありたいから、せめてものプライド?

母ではないが、 「腐っても鯛」 ※(注) でいたいと思う。

( 母はこんなになっても、TVは朝のニュースくらいしか見ずに、毎日新聞の連載や本を読み、声が出なかった時はまだ麻酔が残り意識も体の具合も不十分だったのに、ノートに筆談でしっかりと自分の考えを伝え逆に驚かされたり、そして元気になってきた最近では、何と  持って行った筆ペンでのし紙を書いてもらったり、店の帳簿の計算までしてくれているのだ  
その、お婆さんなりの品格と威厳は、我が親ながら見習いたいと思う。 )

以前は書斎に行ってカセットで音楽を流していたけど、今は面倒だからリビングの片隅でストレッチをしているので、
最近ウォークマンにバレエレッスンCDなどを入れたので、そんなのを聴きながらストレッチしていると、優雅な、ゆったりとした気分になれます。        
( 車の中と、台所仕事や家事などの時は、ひたすらアルフィー聞いてますけどね、毎日。)


が、信じられないことに、

な、な、な、なんと~     

脚が90度くらいしか開かないよぉ~~~   
( 普通なら160~70度くらいは開く )

でもって、今までならちょっと無理すればできる、もしくはせいぜい4,5日で回復  170度くらいいけて、「脚抜き」 も 「カエル」 もOK  のはずが・・・
 
あまりにも痛くて ちょっとの無理もできない

てか、

ぎゃーーー     ま、股が裂けるぅ~~~      


こ、こんなことは、ほんとに何年もストレッチしてなかった時以来だよ~、エーン。 まさか、ね。 

上記 ※印 を信条としていたら、その、無理してやらないという鉄則が、意外と、自分で思っていた以上に、かなり長いことストレッチしてなかったってことなのね。  
( それでも昨年夏まではワンクールに数回ではあったがレッスンに行っていたから、その前日~当日にはアリバイ的にストレッチしてたので、足はつったけど開脚くらいはできてたから、まあまあと思っていたのに・・・ )


よく、バレエは 

「レッスンを一日休むと自分にわかり、二日休むと周りにわかり、三日休むとお客さんにわかる」 という有名な言葉がありますが
これは日々のレッスンをおろそかにしてはいけない、どんなに一流のダンサーでも、毎日のレッスンを怠らない、ということを見事に言い表しています。

( 余談ですが、どんなに一流のダンサーでも、いきなりセンターにいくのではなく、まずストレッチなどのウォーミングアップ、地道なバーレッスンから必ず入る、ということとも同じです。 )

「ストレッチは、一日休むと振出しに戻る」 ので、なんとか毎日できるといいなぁーと思います。


ついでながら、体が固くて今からストレッチを始めようとしている方がいるとしたら、

「石の上にも3年ストレッチ」 という、ことわざを用いた言い伝えもバレエ界でよく言われていることですが

毎日休まずコツコツと、3年くらい頑張らないと柔らかくならないので、あきらめずに頑張ってくださいね。
( エラそう・笑。そっくりそのまま、おめーに返すよ、ですね。   )   


あ、あとね、美しい首筋を目指して “ネックホルダー” ( 『ちょっといいこと♪』2009年11月12日 | ヘルス&ビューティー カテゴリー参照。 だいぶ下の方に出てきます。   ) も最近また、復活してます。   







 バレエやフィギュア雑誌などを出している 「新書館」 企画販売のバレエCDより、お気に入りの

作品集より 『レ・シルフィード(ショパン曲) / パキータ(ミンクス曲)』 (写真右。両方とも曲も作品も大好き ) と、

左は 『ワガノワ・バレエ レッスン用ピアノ曲集 ヴァリエーション ※ レッスン』 。

特に上記は、大好きな “ピアノ” で奏でる (外国の有名なバレエ学校などはもちろん、元いたユニーク・バレエシアター-現バレエスタジオHORIUCHIもそうでしたが、ちゃんとしたスタジオでは、レッスンは専属ピアニストによる生ピアノ演奏で行われます) 華やかな 『ヴァリエーション』(踊り手がひとりで踊る独舞、ソロのことで、『パ・ド・ドゥ』(男女2人の踊り手による踊り) と共にダンサーの技術を誇る、華やかな見せ場となっている) の曲を集めたものなので、どれも馴染みの多い曲ばかりだし、否が応でも気分が盛り上がります。   

レッスンCDやバレエ曲集は色々持っているので、機会があったらまたご紹介しますね。   





 一番の癒しは・・・ 
キッチンカウンターのソラチ ( ソラチの顔のところにあるのは夫の手です。撫でてます・笑 )


のび~るチョラティ~ 


少し前の写真ですが、バスタオルの陰から顔を出して、脱衣所のストーブに当たるソラチ


きゃわい~いっ   

ソラチの体の下にある青いのは、インナースキャンで測った自分のデータをメモするノート。
ダイエット中や普段でも、いちおう毎日計ってつけていたが、こんな時だけに面倒でサボリがちに・・・。 


シロチ(左)の体に顔をうずめるソラチ






【 用語解説 】

ことわざ

「腐っても鯛」 (クサってもタイ)

高級魚の代表である鯛は、傷んだところで、それでも下魚よりは価値があると言うことから、高級なものが、多少悪くなっても、何らかの価値があること、特に、家柄がよかったり、昔業績を上げ評価されている人が、落ちぶれたところで、やはり気品があったり、役に立つことを言う。

と、「ウィクショナリー日本語版」 にはあります。

ま、うちの母はそこまでではないんですけどね。あの時代の女性としては、一応高学歴で元教師だったということ。そして、母方の祖父母ともにまあまあの家を出ているので書かせていただきました。  
ましてや自分なんて元々、深山に細々と流れる渓流の雑魚(ざこ)ですから、プライドと願望の入り混じった、およそのニュアンスとして取ってやってくださいませ。