
最終日となる昨日、10月12日(月)に行ってきました。
最終日で祝日だったので、そこそこ賑わっていました。

入り口から入ってすぐのエントランスには、美術館シンボルともなっている草間弥生さんのモニュメントが。

展示室の案内図をもらいました。 (右上のものは「入場券」を重ねて写しました)
館内は入り組んだスペースになっていて、それぞれが個室のようで順番に見て回れる感じ。
わかりづらいですが、案内図の、白い部分が展示スペースです。
鬼籍に入られた有名人の 「GOD」
存命のきらびやかな 「STAR」
ディズニーランドや歌舞伎役者たちを切り取った 「SPECTACLE」
大相撲やダンサー、ヌードなどの 「BODY」
そして、東日本大震災後の被災した方々を撮った 「ACCIDENTS」
の、5つのテーマに分けられて展示されていました。
写真には表示がないので、案内図と照らし合わせて、誰の写真というのを確認します。
遠くがよく見える度の強いコンタクトを入れていったので、近くの細かい字が見えづらく困りましたが・笑。


とにかく、圧巻でした。
まず、パネルが大きい。

最初から重いのだが、 「GOD」 は、すでにこの世にいない方々の、文字通りの神、神の領域に達しているという意味の 「GOD」 を映し出す。
穏やかな表情の優しい渥美清さん (1973年撮影、1996年68歳で没) や、
“100歳100歳” で一世を風靡した 「きんさん ぎんさん」 (1999年撮影、成田きん さん、双子の姉。2000年(平成12年)1月23日、満107歳で没。蟹江ぎん さん、双子の妹。2001年(平成13年)。満108歳で没。) にはホッとしたものだが
作家三島由紀夫は、割腹自殺 (1970年(昭和45年)11月25日、享年45歳) ニュースが、子供ながらに衝撃的だったけど、肉体改造に励んだとされる鍛え抜かれた体が衝撃的なほど圧巻。(1969、70年)
三島文学はほとんど読んだことがないけれど、彼がもしも幅広い価値観が当たり前になっている雑多な今の時代に生きていたら、また違った生き方ができたのではないか、とも思ったりする。
( 最も、芥川龍之介、太宰治、川端康成など近代日本で自殺した小説家は多いので、何とも言えませんが。)
夏目雅子さん (1982年撮影、1985年、白血病のため作家伊集院静香氏と結婚後わずか一年で27歳で亡くなったのは衝撃だった)
大原麗子さん(1988年撮影、難病を患い、2009年、ひっそりと亡くなっていた。享年62歳) の、輝くような美しい写真も。
こんなにきれいで魅力的だったのに、亡くなってしまったんだなー、と改めて思う。
すでにこの世にいない愛すべき家族の写真を壁にかけ、仏壇の前で微笑む美空ひばりさんも、そちら側の人になった。(1989年52歳で没。撮影されたのはその亡くなった年である。)

個人的に興味を引いたのは、美しく清らかな吉永小百合さん(1988年)、若き日の美しき田村正和(1973年)、デビュー当時のまだ少女だったあどけない満島ひかりちゃん(1997年)、同世代のアイドル、セピア色した栗田ひろみさんが懐かしい(1972年)。
ローザンヌで賞を取った二山治雄君もいました。(2014年)

その他に、ディズニーランドの写真集も出している氏の、ディズニーキャラクターたちの写真が並び・・・
ミッキーとミニーにキスされ嬉しそうな 「シノラマン」(ご本人) の写真だけは、篠山さんではない方が撮ったのだわよね、と思い、
シノラマンは絶対ディズニー好きだわね



続いて、歌舞伎役者の写真が沢山並びます。
篠山さんは、歌舞伎役者の写真集も多いのですが、あでやかな坂東玉三郎(1988,2000,1999)
凛とした片岡仁左衛門(2006,2008,2011)ももちろんいいが、
一番興味を引いたのは 『口上』 の写真。(2006年)
中村扇雀、中村勘三郎、七之助ら6人が口上を務める、その後ろ側から客席を撮ったもので、役者さんたちが振り返った瞬間をとらえている珍しいもの。
普段見られない構図と、その場所から見える歌舞伎座の客席、満員の人の群れや桟敷席、花道、天井からつるされた提灯までが輝いていて、
そこに集まった人々が、これから始まる舞台に期待に胸を膨らませ、固唾をのんで、口上に聞き入っている、その息吹が満ち溢れていて、何度も何度も見入ってしまいました。
不思議の国の、 “元祖・美少女” 後藤久美子さん、もよかったな。

ほんとうに若々しくて綺麗で、穢れを知らないみずみずしさだった。
当時の流行りの人、カルメン・マキ(1969年)さんや、中でも黒柳徹子さん(1968年)にはびっくり。
そして圧巻は、やはりバレエダンサー、 VLADIMIR MALAKHOV (ウラジーミル・マラーホフ、3枚1998年) の、鍛え抜かれた肉体。
無駄なところの何もない、そぎ落とされた筋肉の美しさは、もはや芸術です。
バレエダンサーでは他に MANUEL LEGRIS (マニュエル・ルグリ、1999年) もありましたが、こちらはなぜか、カタカナで読みが書かれてなかったです。
一番すごかったのは壁一面に広がった、1995年の 『大相撲』。
国技館の、土俵を中心に、全力士と、行司や呼び出しまでを含めた全てのスタッフまで入れて撮った写真。
土俵上には左に貴乃花と、ちょっと名前が出てこないのだが当時の理事長?か誰か偉い人、そして右に曙という当時の両横綱。
東と西の力士たちが土俵下に連なるのだが、若乃花は土俵下にいるので、まだ横綱前なのか?
武蔵丸、貴闘力、先日亡くなった貴ノ浪、遠く小錦の姿も見える。今の力士は知らない人ばかりだが、当時の、知っている力士が沢山いる。
そしてその数、数えきれないほど。こんなに沢山いて、上位に上るのはほんの一握りという、とても厳しい世界。
そしてこれだけの人たちを一堂に集めて撮れるのは篠山紀信ならでは。
その人数たるや、まあるい国技館が歪んで見えるほどで、ちょっとクラクラしそうである。
御嶽海は、これだけの相撲界にあって、今どの辺にいるのだろうか。 そして、どこまで登ってゆけるのか。
その御嶽海の写真も、小さいながらも特別展示されていました。
稽古中のものだろうか、息遣いの聞こえてきそうな、力強いよい写真でした。

写真家として、東日本大震災を “なかったことにはできない” と乗り込んだ、被災地での人々を写しだしたいくつかの写真。
よく、写真に撮らせてくれたな、というのが正直な気持ちだったが、
相手が篠山紀信だったからなのか、事実(真実の姿)を撮ってほしいと思ったのか、何をか訴えたかったのか・・・
がれきを前に所在無げに佇む老夫婦。
壊れた墓地を前に茫然自失の老婦人。
寂しげな幼い兄弟や、今にも泣きだしそうな若い母と子の姿が胸を打つ。
でも、それでも生きていくんだ、そんな力強さを感じさせる中年夫婦。
何だか見ていて涙が出た。
ちょっといたたまれなくなって部屋を出たが、
出口に掲げられた、篠山さんの暖かくてユーモラスな 「あとがきのようなメッセージ」 に救われた。
『写真力』
写真は時代を映し出す鏡。
音楽にも同じような力が宿っているが、写真を見ると、 「ああ、あのときこんなことがあったな」 と、その頃の時代が鮮やかに蘇る。
写真にも、力強くも気高い、そんな力が込められている。
おそらく 「人間」 を撮ることの好きな篠山紀信の力は、 『人間力』 でもあると思う。
特に、「大相撲」、「ディズニーランド25周年」、「歌舞伎口上」 に見る 『人間力』 は、
そこに生きている人々のすべてを包み込み、私たちに壮大なスケールで訴えかけてくれる。
篠山紀信、写真家生活50周年記念で全国を回っている展覧会ですので、あなたの街のお近くで開催されましたら、ぜひお立ち寄りください。
写真ファンでなくても、一見の価値があると思います。
( ただし、展示写真は場所によって若干異なるかと思われます。 )
展示室外には、氏のこれまで出した写真集の年譜が、写真説明入りでパネルになっていたが、読むだけでもどれも興味深かった。
ミュージアムで販売していた 「写真展展示写真集」、高かったので買わなかったけど・・・買ってくればよかったかな。


同じチケットで見られるということだったので、せっかくなので拝見しました。

壁いっぱいの細かなデザインやカラフルな平面と、やはりカラフルで摩訶不思議な立体の、個性的な作品が並び、
いくつかの個室に分かれている迷路のようで、面白い造りの不思議な空間ではありましたが、
たった一人で入った (偶然他の観客がいなかったため) 鏡の部屋とかは、ちょっと怖くて、目が回りそう。



シャンデリアのお部屋はきれいだったけど、どこから出ていいかわからなくなり・・・
一番最後に、係員の案内で30秒限定の一組ずつ入るという本当の完全個室は、皆さん並んで待っている時に、 「注意事項」 の紙が回ってきて、最後の一文に “気分が悪くなったらお申し出ください” とあったので、え゛っと思っていると、
いよいよあと一組、という時にドアを開閉する際にチラッと内部が見えたのが、やっぱり「総鏡張り」 みたいなお部屋にデザインされた模様が浮き出でいて、ホントに気分が悪くなりそうな気がして、入る自信がなかったので、あわてて辞退させていただきました。


ちょっと私には理解の難しい作品が多かったかもしれません・・・。ごめんなさい。
外に出て気持ちを落ち着けたときに、もう一度飛び込んできたもの。

3階から、2階企画展示室を見下ろしたところ。
写真展シンボルでもある、元ビートルズのジョン・レノンと妻オノ・ヨーコさんの大きなパネルが目を引きます。
1980年11月17日に発表された、ジョン・レノン&オノ・ヨーコのアルバム 『ダブル・ファンタジー (Double Fantasy)』。
そのときのアルバムジャケットを篠山紀信が撮影したのだが、アルバム発表とともにその写真も大きな話題を呼んだので自分もよく覚えている。
『ダブル・ファンタジー 』 は、
息子ショーン・レノンの育児に専念していたジョンが、5年間の主夫生活を終え、音楽業界に復帰する記念すべき作品となるはずであった。
ジョンにとって5年ぶりのスタジオ録音アルバムで、妻ヨーコとの共作。それぞれが収録曲の半分ずつを作曲し、対話しているかのようにほぼ交互に収録されている。
だが、発売から間もない12月8日にジョンが射殺されてしまうという事件が起こり、世界中に衝撃を与えた。そしてこのアルバムが事実上ジョンの遺作となってしまう。
( この訃報もあって全英・全米で1位を獲得し、1981年度グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞しているのだが・・・。 )
ビートルマニアほどではなかったが、普通程度にビートルズは好きだったし、それでなくてもなぜこんなことが? と衝撃的な事件だったから、今でもよく覚えている。
当時私は大学2年生で、学校帰りに、当時はまだ走りのころだったコンビニに買い物に寄ったら、店内にずっと流れていた 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」 が切なすぎて胸に沁みた。
だが、そんな喧騒を忘れさせるかのように、
35年という月日は物語を幻想のように昇華させて、まるで 「神話」 となるがごとく、穏やかにたたずんでいる。

2階より、一階入場券売り場付近を見下ろす。
松本市美術館、まつもと市民芸術館からすぐのところですが、今回初めて行きました。
( 別のブースには、「市民ギャラリー」などもありました。 )
また、いい展示が来れば行ってみたいです。
このあと遅いお昼を食べて、夕方からは、まつもと市民芸術館へと出かけます。
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