猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

さよなら、ミニカ  こんにちわ、モコ♪~室内などを一挙公開!?~

2009年10月31日 | J’s Favorite
9月のアタマに車を変えた。

実は、8月のお盆前にぶつけてしまったのだ。しかも、止まっている人の車に、バックして、ガチャン・・・あちゃー!
相手の車は乗用車で車体が高く、ボディーも頑丈だったせいか、幸いにもリアバンパー角のちょっとした凹みですみ、しかも保険で全額保障されたが、私の愛車ミニカちゃんはリアドアーが丸つぶれ、こっちのが重症だった・涙。
しかも・・・もう16年も乗るってるので車の価値が10万しかないんだって。修理代は、もっとかかるのだが、車の価値分しか保険は出ないらしい。で、色々考えたら11月には車検だし、ナビもないので、思い切って買い換えることにした。

免許をはじめて取って初めて買った、愛車のミニカは、ちっちゃくてかわいくて、狭いFの町中でもス~ィ、スィ、小回りがきいて、結構気に入っていた。スポット担当になって、ナビがすごくほしくなったが、こんなことでもなければ、まだもう少し乗っていたかもしれない。お金もないし・笑(^^;)
が、コレも何かの縁と思い、替えました。
さすがに処分するときは、ちょっと寂しい気がしましたけどね。写真はくるまやさんにもうあるのをわざわざ撮りに行ったもので、もうナンバープレート(覚えやすい2303だった)もはずされてて、ほんとさみしかったよ~。
この車に乗って、いろんなとこ、行ったなぁーなんて。

新しい車は、日産の新型モコ。
9月のはじめに来ました。
前のミニカが、当時の決まりでバンでないと業務用の許可が出なかったため、フォードアも、パワーウインドーも総てあきらめて、ルーフスポイラーだけオプションでつけてもらったのだけど、今は、そんな決まり、もうないんだって。
なので、生まれて初めてのフォードア、後座席も落ち着いてゆったり(でも、だれも乗らんが・(^^;)の高級感ある室内、パワーウインドー、UVカットガラス・・・
と、私にしては、ちょー「高級車」で(軽だけど)、満足度100%!!!
もう、手でくるくる回さなくても、窓が開くのね・涙←いつの時代じゃ・笑。
しかも・・・
新型はキーレスエントリーで、鍵を指さなくてもロックの設定、解除、エンジンもかかるという、ちょースグレもの。
なんて便利なんだぁー。
しかも、録音できるオーディオがついていて、CDを車の中に持ち込まなくても、録音しておけばいつでも聞けるのよ♪←アルフィーの持ってるCD総て入れました♪♪♪ナビ、オーディオに関してはオットの車よりすすんでるぞっと


フロントには、自分の好きなマスコットを両面テープで色々貼ってます。



右サイド・例の「おうちでごはん」に入っていた超ミニミニ・キティちゃん。3体。
「キングキドラ」・・・「アルフィーってひとつの胴体から3つの首が出ているキングキドラみたいって言われてるよね~。と昔アル友に教えてもらって購入。以来車の守り神として、先代から唯一引き継がれて君臨してます・笑。これだけは、はずせないっと♪



中央 右 もう何年も前、郵便局の若くてハンサムな職員さんから「お年賀代わりに」といただいたキティーちゃんの貯金箱♪ 友人の家にも同じものがあったが、私のにはハートがついてるのよ。ふっふっふ 
となりは「おうちでごはん」にはいってたミニキティーちゃんとアジアン雑貨ショップMALAIKA(マライカ)で180円で見つけた、かわゆいねこのマスコット。



中央 左 ちょうどここにぴったりの大きさのミッキー&ミニーを探していたところ100円ショップにて発見。狂喜しました・笑。こんなに可愛くてひとつ100円なのよ。しかもちょうどいいサイズで、まさにあつらえたみたい♪



全体図は、こんな感じです。とっても可愛くって、運転していてもしあわせ 
ただし、ついマスコットを見てしまい、ちょぃアブナイかも? 気をつけナクッチャ。
写っているナビ兼用オーディオに入ってるのは、もちアルフィーです!




家のカギ、自動車のキー&リモコン、店のシャッターなど、必要な鍵を総てぶる下げたキーホルダー。
じゃらじゃらと重い。かさばる。
が、一緒にくっつけておかないと、どっちか忘れるため、newカーにして鍵が大きくなってリモコン分が増えて益々厄介になったけど、一緒にしているもの。
でも、大好きなミッキーと、クロネコヤマトと、アルフィーマニアの会員NO入りプレートがついているので、持っているだけで気分がウキウキする、happyなキーです



おまけ。
ミッキーのステンレスボトルはこのまま飲めて、大きな氷も入って、ドライブのお供に欠かせません。
それから毎日持ち歩いている、愛用の新しいデジカメもミッキーのケースに入れてます。

※ 上記の3品は、ベルメゾンの「ディズニーカタログ」で入手。しかも、キーホルダーはプライスダウンで手に入れたというスグレもの。v(^_^)v ラッキ~♪


と、ゆーわけで、最初のうちはなんか人の車に載ってるみたいで落ち着かなかったけど、2ヶ月も乗ってやっとなじんで、自分の車らしくなってきたのです。

町でルーフスポイラーのついた水色の新型モコを見かけたら、それは私です。←って、ウソです(^^;)

ドリーム・ジェネレーション

2009年10月26日 | THE ALFEE、Takamiy
ちょっと最近、ものすごく落ち込むことがあった。

次の日、ずっとアルフィーの曲を聴いていた。

心に沁みる。


だが、すぐに元気が出るということはない。

ふと思い出して、昔そろえた“アルフィーマンガ”『ドリーム・ジェネレーション』(吉岡つとむ作 少年画報社刊 全9巻)を読んでみた。


お話は、アルフィーの3人が高校時代(桜井と高見沢は同じ明学、坂崎は都立)、それぞれの音楽をやっていくうちに知り合いになる。

そののち同じ明治学院大学に進んで 「コンフィデンス」 という4人組のグループとなり(知ってる?アルフィーって昔は4人だったんだよ。もう一人は二枚目のシングルを出してやめたの。)プロデビューする。

が、数々の困難が待ち受けている、        

・・・というのを、

笑いと涙と感動で描いた
アルフィー青春真っ盛りの頃の、 たのしぃーいマンガ  なのである。    


いつもながら、オ、オモシロイ・笑  

笑える、楽しい。心が晴れ晴れとする。    

9巻通して3回くらいは泣ける。      

元気が出る。頭を使わずに読める。  


これ読むの3回目くらいだと思うけど、忘れている事件?も沢山ある。 

読んでいると、つぃつぃ時間を忘れる。

3日くらいで一気に読んでしまった。

早く続きが見たい、という気持ちと、えー、もう後残り3巻なのぅ~? 
みたいな、終わってしまうのが残念みたいな・・・ 

で、終わってしまった。

でも、なんだか、尻切れトンボの終わり方なんだよなぁー。 

作者の吉岡つとむ氏が言っているように、その後のアルフィーを描くには、まだ自分があまりにも未熟であるからにして、もう少し腕を磨いて、いつか必ず続きを、といいつつ、終了。

続きはまだ、ない。
(2004年に幻冬舎コミックスから復刻版が出て、その巻末に特別付録?としてその後を描いたのがちょっと入っているようだが、買ってないので、なぞ。調べたらまだ出ていたので、今度買おうっと♪)

やっぱ、次こそは、とヒットを狙いつつもいつも外して、ようやくヒットになった『メリーアン』と、
そのヒットの前に宣言して決定していたという前代未聞?の武道館コンサートまで描いてくれなくちゃぁ!!!  


続きは、『OVER DRIVE』と『夢さがし-アルフィー・高見沢俊彦物語-』だなぁー。

二冊とも20年前くらいに出た本で当時偶然手に入れたものだが、世間ではすでに絶版です。うひょひょ。 

これをもっているっつーのは、もんのすごい自慢ですっ!!!

アルフィーマンガも、だけど。

もちろん、すでにとっくに購読済みだが、また読んでみたくなったのだ。





が、しかぁーしっ。

こんなのを読んでるバヤイぢゃぁないのだ、ぢつは。
はっきしいって。

やることが、たまっておるのよ。 

ブログも写真がいっぱいたまってるし、何より!
本家の『にゃー語』が、なんとぉー!まだ7月のままじゃあなぃかぃ。

おぃおぃ・・・。

11月20日くらいまでには来年の合評会に向けて、いよいよ長編を書いて完成させることになっておるのダ。 
↑ これに関しては、まだもう少しダラダラと遊んでいたい気もするのだが、せっかくお金を出して東京から講師の先生(ぢつは拓の仲間なのだが)を信州にお呼びしてやる合評会に、自分の作品がなかったら、すんごくもったいないじゃぁなぃかぃ。

てなワケで、無理にでも?課してやるとですよ。

なので、しばらくは『禁アルフィー』にして、がんばらねば。 


ほんとは、早くそれを書いちゃって、年が開けたらHPに『アルフィーのページ』を作るのが夢なの。

うーん、早くやりたぁーいっ。(諸事情あり、結局そのページは作れませんでしたが・笑)



うずうずするぅー。




こちらは『Alfee Mania』というファンクラブの会報で、春ツアー「confidence」(写真左上)と「夏イベ」の報告(写真右上)を載せた特集号です。

どちらも行っているので、ページをめくると、あのときの記憶がよみがえる・・・ 

にまぁ~ 


夏イベについては書きたいことがいっぱいあるので、今はやめておきましょう。
また、トンデモナク長くなるので・汗。


でもって写真下の2枚は、前にも載せたけど、アルフィー『SINGLE HISTORY VOL.VとVI』のCD。 
(犬バージョンと猫バージョンです←3匹が、それぞれ3人の特徴を現しているっぽいいぬとねこになってるのダ。かわゆい、おもろい)

この中のねこバージョンCDの2枚目、
『Dear My Life』、『Lifetime Love』、『Wonderful Days』から『Going My Way』と続く歌が、とってもイイ。

すばらしぃっ! 勇気と元気が出る。 

まさに、ワンダホー!!!   

沁みる・・・  泣けるとですよ。


そして、なんだ、なんだ、この新しくて清々しい曲は? 

と思っていたのが、なんとー!『明治学院校歌』デシタ。

作詞は、同じく明学出身で私が尊敬する偉大なるKの作家、島崎藤村なの。 

どうりで、昔っぽい言い回しだと思った(が、この古い言葉が逆に現代には新鮮に感じられる)。 

しかし、藤村が「ゆけ! たたかえ!」などとゆーよーな、カゲキな言葉を使ったりするものだろうか?

それではまるで、たかみーじゃぁなぃかぃ?笑。 

で、曲のアレンジはアルフィーがしているらしいけど、こんなシャレた校歌なのか?
それとも、アレンジでこんなに新しくなるものなのか?

元歌を聴いてないのでわかりませんが・・・とにかく、気に入った!


このあたりの曲を車で最近、ずっと聞いとりまス。

特に『Going My Way』サイコー!   


今、コツコツと昔のアルフィーのCDを集めてるんですが(カセットやLPでは持ってますよ、“CD”でほしいのよ)、
高いので月2枚と決めて今月からはじめたのだけど(DVDもあるし、一体いつ制覇できるのかしらん?
今月みたいにシングルも発売になると←しかも最近のお決まりでいつも3パターン出るのよ。
カップリング曲はそれぞれ違うし、もちろんジャケットも3種類で、ファンとしてはどうしても3枚買うことになる・汗←ウ、ウマイっ!(商戦が)、よけいに出費が・・・)

でも、やっぱ、再デビューの頃のアルバムって、バリバリフォークやんか。

く、くらい・・・

なので次は、『Going My Way』(同曲が収められた同名のアルバムで2003年発売)をゼッタイ買おう!


ふっふっふ・・・

でもさぁー!!!

ぢつはっ!! 

11月7日は、アルコン秋ツアー、松本公演なんだよねぇ。   

もち、いくわよっ。  

席はちょっと申し込むの遅かったせいなのか、前回よりは後(しかもサクライブロック・失礼)だけど (当たり前じゃ、前回がよすぎたんじゃわぃ、とゆーのに、このころはまだ気づかず。ごみんなしゃぃ。)

うっれしいなぁーーー

またまた、アルフィーに会えるよ。 

しかも、もうすぐ。

それを励みに、がんばろう♪ 


うっ、やっぱり長くなってまった・・・ 



 お・ま・け。(^_-)☆



じゃぁ~ん! 

これがウワサの!?『THE ALFEE BOOK』です。

アルフィーのデビューからを追い続けた写真満載のヒストリーブック。

私はネットの古本屋で「1~3」、4がなくて「5」の4冊をゲットしました。

これを見つけたときは 狂喜乱舞。  

たぶん昔ファンで今はそうではなくなった人が手放したのでしょうが、

あなたのいらなくなった夢、私がもらいます        って感じかしら?

やっぱ一番面白いのは、結成当時の「1」と、不遇の「2」あたりですな。

「3」くらいから私もマニア会員となり、知っている映像が・・・



こちらは「5」と、夏イベ10周年を記念して出た、夏イベ10年の軌跡『永遠の夏』。

 これはタイムリー? に新宿の本屋さんで見つけ、当時ゲットしたもの。豪華箱入り。

うーん、歴史の重みを感じますなぁー。

こういう本もそろえたら、相当なもの(金額が(^^;)。全部は無理だなぁー。

でも、本は絶版になっちゃうから、本が先、かなぁー??


いゃ、イカイ、イカン。またしても禁断の木の実に手を出してしまった。

ぶるぶるっ。←頭を振る音。  

アル中(アルフィー中毒のことですよ、念のため)だからなぁ。  

アルフィーは麻薬だ・笑。  







こう見えても私は

2009年10月23日 | ヘルス&ビューティー
自分の年を隠したり、偽ったりしたことがない。
聞かれれば、いや聞かれなくても、はっきりということができる。
1960年生まれの、49歳だと。

この年齢に見合っただけの自分になれているかという自信は全くないが、
私は自分の生まれた年、過ごした青春、生きてきた時代、というものに、誇りを持っている。
この時代に生まれなかったら感じなかったこと、見なかったことがたくさんある。
時代とともに、生きてきた。
その“時代”を共有しているかどうか、というのは、私にとって根源を同じくするかどうか、ほどの大きな意味を持つ。

なので私は、年をとることに対して不安もなければ、現在年をとっていることに対する不満もない。体力の衰えもあんまり感じないし、年をとったからといってがっかりもしていない。(もちろん、少しでも若々しくいたい、という美容やファッションに対するアンチ・エイジングの心くらいは持っているが)
年上の、先輩達に憧れることはあっても、年下の若者達をいいなー、と思っても心底うらやむようなことは、全くない。
だって私にとって、年をとっていることは、全然悲観することではないからだ。

むしろ、その辺のガキ(若者)には負けへんでぇー、ぐらいの気持ちでいる。
年をとっている分、こんな私でもなにかそれなりに得ているもの、身に付けていられるものがあるだろうと思っているからだ。

この自信、強気さは、どこから来るのか。

いや、ちょっと前の私は、全然自信がなかった。
年をとっているのもいやだった。
それまでの私は、回り道こそすれ、それも総てが財産。歩んできた道を後悔などしたことは一度もなかった。
いつでもやりたいことに満ち溢れていて、「退屈」という文字は、私の辞書にはなかった。
それが、病気になったとたん、人生は灰色になった。
生きていることさえが不安定で、不確かだった。
それまでの人生、総てが後悔だらけ。
できれば10年前に戻ってやり直したいくらいだった。

が、病気が治ってみると、そんなことはまるで最初からなかったかのように、消しゴムできれいさっぱりと消え去ってしまった。
むしろ、病気になる前より、元気になった気さえする。
他人や環境をうらまず、自分を悲観したり卑下したりもせず、なんだかラクに生きられるようになった。


そう考えると、うつ病とは実に怖い病気である。
一見普通の人のように見えるので、周りは気がつかずにいてしまう。

音楽家加藤和彦が自殺してしまったが、彼の卓越した才能や時代を先取りしてきた繊細な感覚などが悲劇をもたらしたという人はいるが、普通の人だってうつ病になる。
そして、それまでどんなに前向きでエネルギッシュに生きていた人からも、生きる気力や活力や、自信や楽しさや、人生の輝きを奪ってしまう。
加藤和彦の悲劇は、彼が特別な才能を持ったがゆえにおこったことではなくて、彼がうつ病という病になったこと、そしてそれを、なぜかはわからないがうまく乗り越えられなかったことにあるのではないか。
同じ病気を患った私には、そう思えて仕方がない。

ついでながら、うつ病を患った(または患らっている)人の名誉にかけて言うが、うつ病ってべつに、弱い人間がなるわけじゃあないから。

でも、なってしまったら、無理しないで休もう。できれば仕事、特に制作とか創造にかかわることは絶対にしないほうがいい。考えが浮かばないどころか、自分にはもう才能がないのだと思ってしまうからだ。
周りにもできるだけ理解して、甘えさせてもらおう。
そうして、どれくらいの長い付き合いになるか、皆目見当もつかず、本当に治るのかしらと不安になると思うが、それでも、無理してでも、希望を捨てず、絶対に治ると信じることだ。
そして、気長に投薬治療(←これは病気治癒の絶対条件です。薬だけで総て治るわけではないが、薬を飲まずして治ることは絶対ない、と断言できる)と、そして自分にとってネックになっている心の不安、病気を誘引したであろう要因を探し出し、少しずつでも解決してラクになる方法を見つけ出そうとすることだ。
今は、自分のしてきたこと、生きてきたこと総てを否定したくなり、これから生きていくことさえつらいほど自信も希望もなくなったりするけれど、そうさせているのは総て病気のせい。そう思っている自分は、ほんとの自分じゃないからね。

愛読しているブログ『うつとねこのてろてろ生活』(←リンクの許可を得てないので自分で探してください。人気のブログだから検索してすぐ出てきます)で、ブロガーのきちゅーさんも言ってるけど、「死ぬなベイベー!(21.9/28)」だよ。
絶対に。


そして私は・・・
この先どんなつらいことがあっても(愛する家族を失ったりしたらわかりませんけどね、それ以外では)、
もう二度と絶対にうつ病にはならない、となぜか強く確信している。
てか、やっと乗り越えたんだから、二度となってたまるかって、そんな感じかしらん?

そういえば・・・

2009年10月21日 | 店の仕事など
こんなことも、しとりました。



菓子の袋詰め作業です。
これは、菓子の山が次第に小さくなっていって、半分くらいになって、写真に納まる規模になったところです。



これは出来上がった“菓子袋”@500円×50人分、です。
壮観ぁ~ん!!!
これだけ作るのに、袋つめだけで、一人で一時間以上かかった。
その前に何日もかかって店から運び、問屋から注文して、ちまちまと準備し、母が計算し、袋から出してひとまとめにして、などという気の遠くなるよーな!?作業があるのす。

みなさん、子供の頃、遠足や運動会のとき、ドキドキしながら開いた、学校から手渡されるお菓子の小袋、覚えてませんか?(いつの時代かよ?)
その、楽しい菓子袋の陰には、お菓子やさんの、こーした、涙ぐましい夜なべの努力があったとですよ。←夜なべはウソです・・・(^^;)

ちなみに、この菓子袋は、地元K地区のH神社のお祭り(10/13)で、子供みこしを担いだ子供へのご褒美です。

そーいえば、菓子袋で思い出したんですが、いつかのキティーちゃんの『おうちでごはん』シリーズですがね、このあいだスーパーで見たら800円もしてませんでした。
いっこ395円なり。
どーして800円もするって思い込んじゃったのでしょうね?
アホかいな。
でも、5600円もつかったんじゃなくて、ヨカッタ。
7個で2800円、してないもんね。
てか、とんでもない勘違い。家計簿つけない、以前に、金銭感覚のモンダイか・・・(^^;)
計算できないっつーか・・・


そうそう、そのあと一週間ほど風邪引いてました。うがいしたりして毎日予防してたのにね、一瞬の気のゆるみが、風邪を招く?
でも、ノド痛かったり鼻水が出るだけで、体はいたって元気だったので、精力的に毎日活動してました。そしたら、やっぱり無理が?たたったのか咳もひどくなって微熱が出て、週末ダウン。医者に行って、丸二日寝込みました。
熱にうなされながら、加藤和彦、なんで死んじゃったのか。坂崎さん(ALFEE)がかわいそうじゃなぃかぁー、と思ってました。ずっと。
うつ病と自殺についても、考えていたよ。
つづく。

K田高原ドライブ

2009年10月20日 | お出かけ、レジャー、イベント等
なんだか、エレー、ご無沙汰しちゃいましたよっと・笑(^^;)

あのあと、ちょうど伊勢湾以来の大型台風が来るとかで大騒ぎしてる頃、ですが(^^;)←結局こなかったっすね・笑、上田小学校に、個人購入用のチラシを相談しながら作成して100枚印刷して持っていったり(10/8)、週末、突然東京から下の姪がなんとー!バイクでKに来て、次の日開田に遊びに行こうねぇーと約束してたのに、また突然帰りやがって・怒、大騒ぎ。

がっくりしてアタマきたので、うさばらしに?母と二人だけで開田へドライブに行ってきました(10/11)。
そういえば9月の22日にも、前日誕生日の母と、26日誕生日の私を祝って?開田へドライブ&できたばかりの道の駅風特産品売り場&レストランへ出かけていたのでした。(話題の地元産、豪華・三岳牛のステーキ2500円なり、を食してみたが、んまかった♪←しまった、写真がにゃい・・・(^^;)

そん時は曇っていてオンタケ山が全く見えずがっかりだったけど、この日は見えた!



が、オンタケ山て、雪をかぶっていてこそ、美しいもの。
雪のないオンタケって、なんだかものたりにゃい・・・(^^;))))



展望台へ降りて行く途中に見える、シラカバ林。
うつくしい・・・すがすがしい。



少し坂を下りたところにある「九蔵峠(くぞうとうげ)展望台」。お天気もよく、見晴らしは、上々。



展望台より、遠く「西野(にしの)」を見下ろす。
しん、として静か。
心が落ち着く。

たまに落ち込んだとき、車を飛ばして?ここへ来る。
大地の静けさ、山々のぬくもりに癒される。


その後、もと来た道をすぐ下らずに、さらに抜けて岐阜県境まで行ってみた。
ふもと?に戻ってから日義のGというおそばやさんでお昼を食べる。
うーん、そばの香りが豊かで、かなり、おいしいかも。
が、写真はナシ。
どーも私は、よそへ行って食事の写真を撮るのがニガテ。
さんざん待って、出されたらもう、食べることしか頭にないのか・苦笑。

いゃぁー、見るほうは私のチープでお粗末な手づくりの食卓なんかより、うんまいよその豪華食卓の方が、よほど見たいだろうにねぇー・笑。

長くなったので、つづく。

リオデジャネイロ

2009年10月03日 | その他 スポーツ
その言葉が読み上げられたとき、一瞬、まさか、と思った。
マドリードの方が圧倒的に有利だと思っていたからだ。
もちろん、応援はしていたけれど。

昨日(厳密に言うと今日だけど)の深夜1時50分、2016年のオリンピック開催国が決定した瞬間だ。
沸き起こる歓声。抱き合う人々。
サッカーの王様、あのペレが、同胞の肩ごしに涙を流しているのが見える。
その姿はまさに感動的だった。
会場にいた要人達は、肌の黒い人がほとんどだ。

初めての、南米での開催。
すばらしいことだ。

幼い頃から歴然としてあったもの、ベルリンの壁が崩壊して、レーニンの銅像が倒されるなんてことが、まさかあるとは思わなかったように、アメリカで初の黒人大統領が生まれ、自民党が与党でなくなり、今度は南米で初のオリンピックが開催される。
歴史は、たしかに動いているのだ。
現地で沸き返る人々や、涙を流す会場の人たちを見て、こちらも涙があふれて仕方がなかった。

日本は、いいのだ。
東京、札幌、長野と、もう3つもオリンピックを開催しているじゃないか。
いちども開いていない国で開催をするほうが意義がある。
個人的には、今オリンピックどころじゃないでしょ、という思いもある。
さすがに、車椅子に乗った選手が肩を落とす姿には涙が出たが。

今度が3度目のトライであったという。
リオデジャネイロに決まって、ほんとうによかった。

それにしても、かつて選考の様子がこれほどまでに大々的に放送されたことはあっただろうか? 
なんでも、どんどんお祭り化されてくるなぁー。それが、いいことなのか、どうか。
確かに、歴史的瞬間を見るようで、それまで無関心同様だった私がカウントダウン的にTVにかじりついて、ドキドキしながら見ていたのだから、こんなこともあってもいいかも、ですが(^^;)ゞ