猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

松商・取材関連ニュース・・・その2

2016年04月25日 | 松商、中原監督 関連
 3月27日より好評発売中  

 「電子書籍」 (Kindle版)   
  『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』 ¥680
      クリック

山国からやってきた無名の風雲児が並み居る強豪を次々倒し、紫紺の優勝旗まであとひとつ。
そんな松商ナインの手から、なぜ勝利は零れ落ちたのか・・・。
ここまでチームを導いたエース上田が、自らの手によって無念のライトフライ落下を招くに至るまでの心理に迫りつつ、
松商ナインの強さと魅力に迫る1991年の快進撃に、その「15年後」を生きる彼らの姿を追った第二部を収録。

控え選手も含めた全24選手の肉声を拾った著者渾身のドキュメンタリー。

野球やスポーツファンにとどまらない
人間を愛する、すべての人に贈る珠玉のストーリー です 


 お陰様で、発売より約1か月になろうとしていますが・・・
当ブログご愛読者の皆さま、もうお買い求めいただけましたか?     


まだの方は、ぜひ買ってくださいね       よろしくお願いいたします。   

    

そして・・・

 緊急予告 

「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)  
この夏発売 予定  

( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」  です。 )


さてさて・・・
 『25年後の選手たちを追う旅』 (ネコタの取材日記    



 取材第二弾は、
ちょうどその前日に仙台に行く用があったので (後述)、 4月18日(月)に仙台にて 中島尚彦君 に会っていただきました 

いやぁ、よく喋る。ハッキリものをいう。
中島君の物言いは25年前に会ったときは高校卒業直後で余り気づかなかったけど、
10年前には北海道だったのでさすがに会いに行かれず(北海道で遠いのに・笑)電話で一時間くらい喋ってくれて、一応は知ってはいるつもりだったけど・・・

ネコタ、たじたじ・・・
あはは    脱力笑い?

でも、おもしろかったですよ。ところどころ失礼なんだけど(笑)、大笑いしながら聞いてましたもん。

42年間一度も本を読んだことがないから、出ても読まないけど、と豪語する 中島君、   
メールとかいっぱい来てしつこいから仕方なく、らしいですが(笑)、よくぞ会ってくださいました。
ありがとうございました。   



 第三弾  は

4月23日(土)、こちらに行ってきました    






長野オリンピックスタジアムにて

  

こちらの大会がありました。




辻利之君 が監督を務める 信越硬式野球クラブ と 東芝 との試合がありました。



試合は残念ながら、強豪相手に7回コールドで負けてしまいましたが・・・


終わった後に、辻監督が出て来るのを控室入口辺りで待っていて声をかけると

「いけね、忘れてた 」     

オィオィ、つじくぅ~ん・・・(いやぁ、さすが大物・笑。試合に集中するあまり他のことは忘れちゃうのですよね。)    

そして、応援者などの偉いさんと思しき方々と何やら対談し、その後は荷物を車に置きに行って来るとのことで

気持ちのいいほどの太陽のもと、待ってましたよ~。  取材の時の番狂わせというのはよくあることなので、こういう時の待ち時間は全然気にならないのですが、

試合の合間に球場で、というのは辻君の希望だったのですが、
あいまってものは落ち着かないから、今日は今日として、また別に出直してこようかしら? などと思いはじめ




考えてみたら、こういう所でのんびり? することもふだん全然ないもんなぁ~私。たまにはいいかも、みたいな・・・。   



昨年完成したという、サッカースタジアムが隣接します。

AC長野パルセイロ・レディースが、なでしこリーグ1部に昇格したため、今、J3の男子 (AC長野パルセイロ) よりも圧倒的人気らしく、
明日もここで試合があるとのことでした。



右端のドーム型のものはトイレ、真ん中の施設は調べたけど何かわからず。

ここは南長野運動公園といって、野球場の他、体育館、屋内プール、陸上競技場などが点在する、総合体育施設なのです。

写真に撮り忘れましたが、公園の一角には1998年の長野冬季五輪の時に使われた 「聖火台」 も移築、設置されています。


ほどなく、真っ赤に日焼けした辻君が戻ってきたので、出直してきましょうか? というと、それも悪いからと、
再びスタンド (屋根つき内野席) に戻り、次の試合に時々目を見やりながらの取材となりました。

向こうの方には辻君のご子息も観戦に来ていて・・・
10年前は、お姉ちゃんの下で甘えん坊だった5歳の少年は、父の後を追うように野球少年になっていて、絵に描いたような素敵な親子のツーショット写真が撮れました。    

辻君、お忙しい合間を縫っての取材、ありがとうございました。     



 それから、タクシーをすっ飛ばし     
( 運動公園は最寄り駅は特急だと一つ手前の 「篠ノ井」 だったのを10年前一度行っただけだったので忘れていて、長野まで行ってしまったら、タクシーで20分もかかり、大幅ロスをし、行ったら試合がすぐ終ってしまったのだが、    
帰りは長野駅前で待ち合わせだったため仕方がなかったのだ。 )

1時から長野駅前で、同じ長野組の 荒井敏幸君 の取材をしました。

ネコタはこの日、取材なのになんと  筆記用具を忘れ   忘れないように、他の、必ず持っていくものの隣に、ちゃんとボールペンの黒と赤と置いておいたのになぁ~。   
( ペンケースは持たず、たいていあらゆるバッグにボールペンを1本入れておくのだが、この日は初卸しのリュックだったため、まだ常備してなかったため。 )

しかし・・・なぜ、必要のないウォークマンや日よけのスカーフを持って来て、
絶対にないと困るもの、物書きにとって命の綱を忘れるか・・・。     

取材者が筆記用具を忘れるなどと言うのは大恥なのだが、仕方ないので球場では、幸い辻君が 「都市対抗野球出場記念ボールペン」 を持っていたので借りたけど、荒井君は持っていないということで、買いに行ったのだが、
駅前では売店がすぐに見当たらなかったので、荒井君は30分くらいしか時間がないというので、急ぐあまりに  とっさに見つけた駅の交番でボールペンをお借りしたのでした。さすが交番、親切ですよね。 
( もちろん、ちゃんとお返ししましたよ。その後は時間があったため、駅ビル地下の 「無印良品」 にて、ボールペンを購入。 )

荒井君は10年たっても相変らず気配りの行き届いた誠実なお人柄で、この後も仕事があるのだと、お忙しい合間を縫って時間を作っていただきまして、どうもすみませんでした。    
  


 最後は、下級生としては第一号 の H5 池本昌弘君 に会ってもらいました。

そもそも、静岡県在住の池本君に、静岡に行くのは難しいので、名古屋に出てきてもらい、愛知県在住の他の二人と一緒の日に取材できないか、と聞いていたところ、

たまたま4月の22~24日に、長野で開催される社会人野球大会の偵察に行きますよ、とのことで、では、長野在住の二人と一緒の日に取材させてもらおう      と、いうことになりました。


池本君は、この日は長野県営球場で、午後の試合2つを偵察するというので、終わった後に待ち合わせたのですが、時間がかなり空いてしまったので、その間にちょっと買い物したりして (長野には東急があり、私の好きなブランドのリフレクト、アンタイトルも入っているのです。  ちなみに松本にはパルコがあります。) 時間をつぶしました。

池本君はH5のキャプテンなのですが、何と言っても笑顔が素敵な、話しかけやすい感じの人。
下級生の第一号に偶然ですが池本君と当たり、少し緊張がほぐれました。(下級生の方に取材するのは今回が初めてなので、向こうもそうだと思うれけど、緊張はこれまでに何度も会ってきたH3のメンバー以上なのです。)
おまけに話術にもすぐれ面白かったです。

長野には2番目の兄がいて待ち合わせているとのことで、もう少しお話が聞きたかったのですが、少し残念でした。


池本君もお疲れのところお時間を割いていただき、どうもありがとうございました。   



 これで 5/37 

残り、32人となりました     


なお、取材の順番に特に意味はないのですが、たまたまネコタがそちら方面に行く用があったりとか、メールなどのやり取りから偶然決まったり、どちらかというと遠方の人から埋めていく感じです。(近くの人はいつでも会えそうな気がして)

物語での重要性とか、そういうのとは特に関係はありませんので、
これを読んでいる該当者の方々、まだ取材依頼がないからといってご気分を害されたりしませんよう、よろしくお願いいたします。   

そして、今後のご協力を、ぜひともよろしくお願いいたします。   



 ネコタの 「25年目の選手たちに出逢う旅」 は、ゴールデンウィークは除き (本業の店があるので出かけられないのと、対象の方々もお忙しいでしょうから)

まだまだ続きます             


がんばりますので、読者の皆さま、応援よろしくお願いいたします。   
 











くまもんの故郷

2016年04月20日 | その他 色々
「くまもん」 の故郷が、いま大変なことになっている。

先日、大好きなくまもんを見つけると、つい買ってしまう・・・
と書いた3月14日の夜、それからわずか一時間後の午後9時26分、熊本県益城町を中心に、九州地区を大きな地震が襲った。

本当に、まさかの思いだった。

あくる日、度重なる余震の続く中、地震関連ニュースを気にしつつ、深夜、テレビを見ていたら、
16日午前1時25分、地震が再び熊本県熊本、阿蘇地方を中心に、そして九州全土を襲った。

のちに、16日未明に起きた地震は14日の 「余震」 ではなく、16日に起きた 「本震」 の 「前震」 が14日の地震であり、
Mj 7.3 は1995年(平成7年)に発生した兵庫県南部地震(阪神大震災)と同規模の大地震である、などということがわかってきたのだが、

あの時は何が何だかわからずに、なぜ、こんなに長く余震が続くのだろうか、とか
短期間にこれほど大きな地震が続いて起こったことはかつてない、などといった不安に襲われたものである。

そんな中で、17日は以前より外出の予定があったため、このような非常時にとは思ったものの、予定変更できなかったので出かけて来ました。(後で書きます)

戻ってからは、これも以前からの予定で、18日~今日の午前中まで東京から姉が来ていたので、ブログの間が空いてしまったことをお詫びいたします。


大変遅くなってしまいましたが

このたびの熊本、大分を中心とする九州地方の地震で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしますとともに、
被災された方々へ、深くお見舞い申し上げます。

家や近しい方をなくされた方々、今まだ救出作業の続く中、余震におびえながら、避難所や車中で夜を明かされている方々、
ライフラインの復旧、支援物資の遅れなど、様々な不安や不便な状況の元で日々を送られている方々のお心はいかばかりかと思うと、本当に胸が痛みます。


東日本大震災より5年、未だ復興途中のさなかにこのようなことが起ころうとは、だれも思わなかったでしょうし、

明日は我が身、火山列島日本では、本当にいつ何時、どこで何が起こるかわからないものだなぁとつくづく思いました。

地震に限らず、ふだんより災害に対する準備を、皆が心がけないといけないかもしれません。


未だ続いている余震が、一刻も早く収まり、被災された方々ができるだけ早く、今より少しでも安心して落ち着いた日々に戻れますように・・・

救出、復興作業が一刻も早く進みますように・・・

そして、このような地震や災害が、できることなら二度と再び起こらないようにと心から願います。



何もできませんが・・・

くまもんのふるさとが、早く元気になってくれますように。   


その願いを込めて 「くまもん特集」 を載せます。



 
初めて 「Think Bee!」 のバックを買ったのは、 「くまもん」 とのコラボバッグ、2014年2月のことでした。 「オモテ」

 
「ウラ」。   さりげなく、くまもんがいるのが可愛いです。     お洒落な 「くまもんキーホルダー」 付きでした。



だいぶ前のスーパーでの九州物産展だったと思いますが、 「くまもんふりかけ」 を発見。
思わず買っちゃったけど、可愛くて開けられないって・笑。 結局飾ってあります。



同じく物産展にて、日本酒と梅酒のワンカップセット。中身を飲んだらグラスとして使えると思い買ったのですが・・・
梅酒 (真ん中) は空になったけど、日本酒は冷蔵庫で冷やしたままになってます。    右は、くまもんの後ろ姿。




こちらは、もっと以前に買った 「春巻き」 に貼ってあったシールを可愛いので取っておいたものですが・・・
熊本の工場で作られているなんて、すごいですね。はるばる信州まで来てくれて、ありがとう。


あと、以前にも載せましたが・・・


2015年正月に買ったお重型の弁当箱 (駅弁フェアーで熊本の焼き肉弁当の入っていた入れ物)  も、大切に保管し、たまに使っています。
こちらは、 「ひな祭りの散らし寿司」 (親へのおすそ分け用) を入れました。


  
先日載せた 「きくちの新ごぼう」 と


「畳協会」 のステッカー。



こちらも、たぶん以前にも載せた、2015年、スーパーで偶然見つけた、宇城市の 「サン・フルーツ」 空き箱も、まだとってあります。





日産フェアー、2014年にもらった 「ハロウィングッズ」

  
くまもんの 「フリースひざ掛け」 です。


くまもん、早く元気になって、こんな風に笑ってね。





以前の写真を探していたら、ブログ未掲載のこんなものが見つかりました。



2014年9月27日に起きた御岳山噴火後に、地元木曽の産業、観光復興を願って作られた 『つながろう、木曽』 のキャッチフレーズ入りの、地元の温泉の素です。

この時は、直接災害の被害を受けたわけではないのですが、災害現場の地元という立場に初めてなり、色んなことを考えさせられました。


何かあったときにこそ、人間の真価が問われるものなのかもしれません。




その年の秋、まさか御岳山が噴火するとは夢にも思っていなかった2014年1月、地元を舞台にした初めてのテレビドラマの放送に湧きかえっていました。

題字下に描かれている、雪を抱いた美しい山が 「木曽御嶽山」 です。





四季折々の変化と、それを織りなす豊かで美しい自然の溢れるこの国に生まれて・・・

災害と隣り合わせなのかもしれないけれど、

そこで生きていかなければなりません。



私は、日本が好きです。












桜便り・・・

2016年04月14日 | 生活・行事、季節のもの


 ようやく桜が咲きました・・・。



基本、休みがないので 「お花見」 に行ったことがなく (今まで55年生きてきた人生の中で、お花見に行ったのは、大学を出てすぐの年に入った会社の人たちで 「上野公園」 にお花見に行った、その一度か二度? だけです。楽しかったなぁ~)

もっぱら、隣の家の桜をタダ見させてもらってます・笑。




 郵便局の人に、ちっちゃなカラーポストをもらいました。私の選んだのは、ピンク。

向こうに見えるのは、お菓子の袋などを利用した 「手作りマグネット」 です。レジの横に貼ってます。




 シロまくらをするソラチ。



きゃーん。

ソラチ、ちっちゃくて可愛すぎ。   

ソラチは最近 “我が家のギガちゃん” (ソフトバンクCM) と呼んでます。
でっかいシロが “おとーさん犬” です。      




 先週のくまもんに引き続き、こんなんもありました。

  

くまもんがついていると、つぃ買ってしまいます・・・。


 そういえばつい最近、こんなものが我が家に届き・・・。



これは、もしや???



やったぁ~         

しかも、生協の 「佐渡のコシヒカリ」 は初めて買って、袋についていたシールの応募券を、たった一回応募しただけなのに・・・    



いいお肉なので、何に使おうかな 

って言ったら、夫曰く 「考えとく」 だってさ。

以前さぁー、頂きものの 「但馬牛の味噌漬け」 を母からおすそ分けでもらった時、中々焼いてくれないので 「もう、私が焼くよっ   」 って言ったら

「そりゃ、但馬牛に失礼ってもんだよ」 だってさ。   

どっちが失礼よっ。         






 Think Bee! の日替わり占い。一位です。バンザイ     





 ヤフーの 「ウイークリー心理テスト」。   これが先週ので、



今週はこちら。


う~ん、言えてますな・笑。       



が、しかし・・・

 『毎日の○○診断』 の、 「お子ちゃま度診断」 は 



お子ちゃま度60%どちらかと言うと「お子ちゃま」です。もう少し精神的に成長した方がいいかも……?


なっ、なっ、なっ、なぬをぉ~~~    



 アナタも、 Let's トライ      





御嶽海の写真集が出ました!!

2016年04月12日 | 御嶽海、相撲


『御嶽海 入門1年』 信濃毎日新聞社 発行  



裏表紙   


2015年2月12日 出羽海部屋入門初日からのドキュメントで、
その後のすべての取り組みが解説付きで載っており、土俵外での様子やオフショットなど、貴重写真も満載。   

彼を応援する地元民や巡業先、観客などの様子も生き生きと描かれています。




 応援する人の中には、知っている人もちらほら。   

 御嶽海にほっぺをなでられている写真の子は、御嶽海と同じ上松町在住ですが、母親の実家がうちの近所で、お母さんの子どものころからご家族全員のことをよく知っているのですが、 
叔父(母の弟) も元相撲部、おじいちゃんは相撲の審判をするなどの “相撲一家” で、
自分も隣町にある御嶽海の母校 「福島中学 (この4月より合併に伴い木曽町中学) 校」 に通い相撲部に入っています。

福島中学校は全国優勝の経験を持つ、相撲の名門なのです。
O君、ぜひ頑張ってほしいですね。      

そして色んな写真を見ると、御嶽海は子供好きで、後輩たちをよく可愛がっているようですね。

 価格は、こんなに写真が沢山載っていてオールカラー上質紙、1000円とお手頃なのも魅力です 


御嶽海ファンの皆さま、ぜひお買い求めください。   





 5月場所を見に行った方から、お土産をいただきました。 伝統の重み、かっちょいい 『日本相撲協会』 の袋。




関取手ぬぐい。

どんな絵柄か知りたいのですが、もったいなくて開けられません・笑。




オマケでこんなものも。

あと、番付表もいただきました。





 こちらは、とある知り合いの方から頂きました。



松林モトキさんの 『絵番付』

 たぶん、御嶽海は、この赤丸・矢印の人だと思います。



そして、なんと、私の名前入りなのです。       

モトキさんのサインも入っています 


嬉しいです。家宝にします・笑。

どうもありがとうございました。    

  









4月になりました!! ~ 松商・取材関連ニュース その1~

2016年04月07日 | 松商、中原監督 関連

※ 信州の桃の節句は古くは4月3日なので、3/3~4/3まで 「お雛様」 を飾ってました。
  4月の暖簾タペストリーは 「夜桜に月見酒をついばむ鶯」。ピンクのお花はabnの方がお見えになったときに買った鉢植え、水仙は夫が庭から取ってきて活けました。   Kにも、遅い春のおとづれが。   



皆さん、大変長らくご無沙汰してしまいました。   

電子書籍がいよいよ発売となり、ほっとする間もあまりなく、まず、真っ先に選手、関係者に 「発売開始案内はがき」 を書いて送り (数が多くて大変…)
 
その後、写真を使わせていただいた新聞社、知人、種まき系、とハガキを送ったり、メールをしたり・・・
( それぞれ対象者によって微妙に文面を変えたので、ハガキは3種類作成した。)

その間に、電子書籍だからできるのだが、文をちょぃ直ししたり、色々やること、考えることなどもあり、
日々、バタバタ・・・   

この何日か、PCのキーボードをたたきまくり、ハガキのあて名やコメントなど字も書きまくり、
肩こり、右腕筋肉痛、右手が腱鞘炎予備軍てカンジです。       


ほんとは、まだ通知を出す方がいらっしゃるのだけれど、そして、電子書籍関係で手直ししたい箇所も色々とあるのですが・・・
ブログがあまりにも空いてしまったので、ひとまず置いといて、近況なぞを。


 3月29日(火) 夕方6:15~放送の 『abnニュース』 に出させていただきました。

abn 長野朝日放送が、1991年3月29日に開局したということで、同じこの日、
甲子園春のセンバツで、初戦を、 ピッチャー鈴木一朗 (現マイアミ・マーリンズ、イチロー) を擁する 「愛工大名電」 に競い勝ち、
そこから “松商学園の快進撃” が始まった・・・。

( ちなみに、春のセンバツでは “あのイチロー” の 「甲子園で活躍してプロ野球」、 という夢をうち砕き-オリックスは4位指名だったが、ちゃんとプロに進み、その後の日米通しての大活躍は周知のとおり-、
夏の甲子園では “あのゴジラ松井秀樹” と対戦し敗れたものの秋の国体では勝利し、番組中も 「一番怖い投手が上田さんだった」-松井は一期下- と松井に言わしめたのが、上田投手である。 ) 

というストーリーを、当時や現在のインタビューを混ぜながら、エース上田佳範選手中原英孝監督
私の本の表紙の写真にも使わせていただきましたが、それを撮った 「フォトスタジオ金森」 の金森達夫さん、そして不肖わたくしメなどの証言? も交えて、
実に感動的にうまくつなげて作ってくださってあり、

特にプロになってからの上田君の心情など、あまり知らなかったこともわかり、とても感動しました。
私は思ったより沢山出ていて、もー、恥ずかしいやら。     (不細工だし

電子書籍のいい宣伝になっているとよいのですが・・・。




※ 一つだけ違っていたのは、こちらから居所を探して押しかけた? わけではなく・・・  
みな、ランニング中の上田君を偶然お見かけしたり、情報を耳にしたり伝えていただけたので出向いて行ったものなどで、
いずれも、国体で知り合った他の松商ファンのお友達と一緒で、まだ、本格的な取材ができるかどうかも分からなかった頃のこと、
そしてこれらの写真は “24人のチーム全員が主役” をポリシーとする著書の中には1枚も載せていません。 
( 私は書き手でありクロコに徹しているため。
ついでながら、書中唯一自分も写っているものは 「3学年忘年会」 の時の集合写真で、それも自分の入っているものといないものの2種類あったので、私は自分の写っていないものを掲載しようとしたところ、当時の担当編集者だった方、全面的に信頼していた敏腕で、野球にも詳しく大変お世話になったのですが、その方が、まあ著者の写真が一枚くらいあってもいいでしょう、と写っている方を推してくださったため、それならばと、名前は表記せずに載せたのです。 )

取材中も、 「一番のお気に入り写真はどれですか?」 と問われて、一番左の、選手がみないい笑顔で写っている 『国体優勝写真』 を挙げたんですよ。
( 番組の趣旨からちょっと外れるので選ばれず、残念でしたが… )

ですが、なぜここに最初で最後の 「本邦初公開」 したかというと・・・
いやぁ、25年も前は30歳で、私も若かったなぁ、と (当たり前ですが・笑) 感慨深く思って載せてみることです。     



 翌 3月30日(水) H4の 成澤 洋君 が、
前からお願いしていた試合ビデオを持って、たまたま仕事でKに来る用事があるからと、わざわざ寄ってくれました。

小口康生君 も3学年忘年会にてベタ褒めしてましたが、
成澤君、まだ2回しか会ってないのに、初めてお会いした時から本当に親切でいい人です。おまけに明るくて話しやすい。    

仕事の途中というので、外の駐車場 (といっても家のではなく、近くの公の建物の、ですが・笑) で話していたんですが、思いのほか話が弾んで長くなっちゃって・・・
寒いやら、お茶もお出ししないやらで、ホントすみませんでした。  

それなのに帰りがけ、 「寒い中、すみませんでした」、 とこっちの言うべきセリフまで言っていただき、
成澤君、わざわざ届けてもらったのに、なんて 礼儀正しくていい子 なんだぁ~。           

( それから H5の 桐原康高君 もお忙しい中試合ビデオを探して送ってくれました。 どうもありがとうございました。  ) 


4月2日(土) abn 朝9時半からの 『ザ・駅前テレビ』 に
元松商学園H3野球部キャプテンで 現信越硬式野球クラブ監督 の 辻利行くん が、出ました    

なんでも、 『ザ・駅前テレビ』 は2006年 (私の本の出た年) 放送開始、今年で放送10周年を迎えたそうで、
abn 開局は1991年 (松商学園の快進撃のあった年) で今年25周年だし、
なんてつながりが深いんだぁ~   とびっくりしました。   


25年前の4月3日センバツで、準決勝・対国士舘戦に中々点が取れず緊迫した状況が続く中、背番号15を付けた 青木崇くん が、ベンチから伝令に走って、選手のみんなに告げたひと言は?
のクイズ、もっちろん  私はわかりましたよ。      (試合は、1対0で松商が勝利、決勝進出を決めました ) 

 見逃した方、
答えは 拙著書 第二部(快進撃から15年後のH3の選手たち24人全員の姿を追ったもの) 「青木崇の場合」、 に書いてあります。    ぜひ、ご覧になってみてください。



 4月3日(日)、『25年後の選手たちを追う旅』 (第三部 として夏ころに刊行予定 
 
取材第一号  として、岡元直衛くん に会ってもらいました     
  
実は岡元君、10年前に 『15年後の選手たちに出逢う旅路』 でも、取材第一号だった人。
なんというか、偶然ですが、感慨深いものがあります。

彼は新潟なので、中間の長野あたりでお会いできないものか、ついてはそちらの都合に極力合わせるので、とかねてより打診していたのですが、
今回は看護師の奥様の仕事の関係で急に休みが取れたからと、急きょ安曇野一泊家族旅行を決めてくださり、遠いところをわざわざ来てくださって、
私が車でも行かれる松本の地での取材となり、もうありがたいやらで恐縮してしまいました。(それなのにいろいろお気遣いもいただきまして本当にすみませんでした。  ) 

理恵さんとは10年前もメールのやり取りがありお会いしてもいるので、今回、その後生まれたお子さん3人も含めて、またお会いできたのがとてもうれしかったし、
いい取材ができて、今後の とてもよいスタート が切れました。   
岡元君一家の皆さま、どうもありがとうございました。          (ご本人に掲載許可をいただいています)     



 次は、皆さんたちの番 です 

これで、 1/37 (一応、取材対象として挙げさせていただいている選手の方の総数)
残り36人  となりました。

対象の選手の皆さま、どうぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。   

( 取材の模様は、随時お伝えいたします    )





昨年末お邪魔させていただいた 『3学年忘年会の写真』、 
H3はもちろん全員知っていますが、下の学年は、まず顔と名前を一致させたいと思い、
成澤君にお願いしてH4、5メンバーのお名前を書いてもらったものを、店のPC前にいつも置いています。



 予告 

「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)  
この夏発売 予定  

( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」  です。 )




そして、選手、関係者、およびブログ読者の皆さま、発売中の 「電子書籍」   
  『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』
よろしかったら ぜひ、買ってくださいねぇ~        


 2006年発行の ≪ 書籍と違うところ ≫
1.巻頭口絵 カラー写真のうち1枚を (ちゃんとした理由のもとに) 入れ替え。
2.中口絵 モノクロ写真、個人所有の写真に限り カラー化 
3.書籍発行に間に合わなかった亀田コーチの箇所に 「追記」。
4.著者 「電子書籍化に寄せて」 のあとがき。
5.第三部予告文、広告。

 その他、書籍での誤植訂正3箇所は、10年目にしてやっと訂正することができたので、積年の後悔が晴れて、とにかくホッとしており、
特に3、4は、全く新しく書き加えた部分ですので、書籍ですでにお読みいただいている皆さんにもぜひ読んでいただきたいです。      




 

 見栄 張子 さんで玄関に飾ったお花。  
桜はまだですが・・・ようやくKにも、遅い春のおとづれを感じさせてくれます。    




 寝ながらポーズをキメるシロチ。



 のびのぉ~び、でろりんソラチ(手前)   シロチのあんよの位置にも注目 


    

 前回は、ぐずぐずしていて、お祝い? し損ねたので・・・

とりあえず、電子書籍発売開始までこぎつけられたお祝いに、たまたま行ったスーパーで、ちょっといい信州牛が半額セールだったので買ってきて、夫に焼いてもらいました。
( 付け合せも。一応仕事が料理人なので、メニューによっては、私より上手なものは完全に任せてるのです。 )

深夜までやっているファミレスやチェーン店の居酒屋などのない田舎なのと、二人とも夜の遅い仕事なので、こんな時 (疲れてるので作りたくないのと、こんな時くらい祝杯を挙げたく) なのに外食もできない 
( 私に休みがないせいもあり、仕事が終わると個人営業の居酒屋はどこもラストオーダーの時間だったりもう閉まってるし、飲むのでタクシーになるのも、歩けない距離ではないだけになんだかもったいなく、かといって歩くにはちと遠い。おまけにどこに行っても知ってる人に会うので気も休まらない  結果地元では全く飲みに出かけなくなった) のって、

なんだかなぁ~。      とほ。

あ、ちなみに写真は一人分ではなく、これを二人で食べるのですよ、念のため。
他のおかず (野菜料理) もあるし、お肉も含めて、全体的におつまみ的な感じなので、そんなに1つの量をたくさん食べることはないのです、夜は。


ついでに、夫の提案で、親の家にもほんの少しおすそ分け。



≪ Think Bee! 日替わり占い ≫ は・・・



 3月28日



 3月29日。   たぶん・・・












面白いもの発見・笑

2016年04月07日 | THE ALFEE、Takamiy
 取材に向かう車中で見つけました。



畳協会ですって。 くまもん大好き  可愛い。




 信号待ちの時に、ふと見ると・・・   ん      場所は 松本市 『高宮』 ですが・・・

幾度となく通っていたのに、今まで気づかなかったけど 



「a」 を取ると、なんと      『Takamiy』     


きゃー      
こんな身近なとこにいたなんてぇ~・笑。             

テンション、めっちゃUP              


・・・ほとんど ビョーキ ・ 笑。