猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

義父の一周忌

2014年06月28日 | 生活・行事、季節のもの



今日、6月28日は、S条の義父の命日、一周忌です。

早いもので、あれから一年たったのですね。

5月のS条祭りに帰省して見舞い、その後峠だからと言われて駆けつけ、最後のお別れにと出向いて、ひと月半ほどの間に三往復した去年の今頃のことを思い出します。


豪華な祭壇の前で、子ども達4人と、嫁や孫までが別れを惜しみ大泣きした、いいお葬式でした。

その日は義母と兄弟妹5人で食卓を囲み、大家族もたまにはいいものだと思った、
あの夜が最後の賑わいでした。


その後諸種の事情があり、一周忌は法要はせず、義母と義弟が二人で住む家 (義父の家で、義妹家族とは別の家) だけで坊さんを呼びお経をあげるということで、納骨も延期するとの知らせを受け、夫は帰省しないと決めました。

せめて納骨だけでもして、早く義父を楽にさせてあげたいと思うのですが・・・。

この辺の事情 (どちらかというと向こうの事情です) については、申し訳ありませんがこちらでは書けません。

ただ、よほどの事情であると汲んでいただければと思います。




夫が、庭の花を新しく活け直し、神棚にろうそくをともしました。

お義父さん、S条や私たち家族のことを、どうか見守っていてください。  



     * * *   * * *




昨晩になり、やっと元の仲良しさんに戻った二人です。 

私の腰痛も、おかげさまで今日はだいぶいいです。





一難去って、また一難・・・Σ( ̄□ ̄;)

2014年06月27日 | 猫・犬
またまた長らくのご無沙汰、すみませんでした。  



今週の月曜日、

ソラチが入院した時に、元気そうだけど、この際だからシロチの血液検査もしてもらおう、と言っていたのですが、

おしっこもうんちも毎日ちゃんと出て食欲もあるし、何より元気なので行きそびれていたのを、
思い切って行って来ました。

シロチの下腹がちょっとポッコリと膨らんで垂れ下がっていたこと、


最近冷蔵庫の上に登れなくなっていたり、ソファーのふちにべったりへばりついているなど、
体が重くてしんどそうな感じもしたからです。



私自身が腰痛でしんどい時に頑張って出かけたのだけど、 

シロチがキャリーの中で、おしっこだけでなく途中うんちまでしちゃって、 
大変な思いで病院までたどり着いたのですが・・・

(もちろん、してしまった時点で即刻車を止め取り除きましたが。おしっこまみれはともかく、うんちまみれになったらとんでもないですからね。 
幸い止めたところが酒屋さんの前だったので、手を洗わせてもらったり、うっかり用意してなかったウエットティッシュやビニール袋、そして使い切ったために補充のBOXティッシュなども買えました。)


まず体重を測るなり、 「だいぶ重いですね」 と先生。 (ソラチは4キロなのにシロは6キロもあった  )

そして心配していた下腹の膨らみは、触るなり 「脂肪ですね。」

ガンとかじゃなくてよかったぁ~  

ひとまずほっとしたけれど、念のため血液検査もしてください、と申し出る。

結果が出るまで30分待って、呼ばれたので診察室へ行きました。



恐る恐る検査結果のデータを見ると、

なんとGPTとGOT(肝機能を表す数値) が著しく高かったのです。  

「脂肪肝ですね。」 と先生。  
ガーーーン    

コレステロールと中性脂肪も高く、要するに 太りすぎ なんですと。

お・おーーー         嫌なコトバぢゃ・怒   (他人事と思えぬ)  


とりあえず、 「肝機能をよくする療養食」 を1か月与えて再検査し、数値の改善がされなければ薬を飲ませることになるので、一か月後に連れてきてください、と先生。



ああ、一難去ってまた一難、とはこのことよ。

何もなければ安心するのだからと、安心料だと思って出かけたシロチの病院だが、

思わぬ結果になり、大ショックであった。 


ショックというのは、シロチが脂肪肝 (病気の一歩手前) だったこと。

(先生が言うのには、脂肪肝の段階なら治療で治るそうです。でも、治療せずに放っておくとやがて肝硬変になり、肝臓ガンになる恐れもあるそうで、その辺は人間と同じで怖いのです、肝臓は。)

それから、ソラチとシロチ、両方とも 「療養食」(値段が高い) を与えなくてはならなくなり、

なんだか、とんでもなく高いネコになってしまったことの、両方です。 


ですが、物は考えようで、

何もなかったらバンバンザイで、それが最もよかった場合の結果だけど、

何かあるのに知らずに来て、ある日とんでもないことになってしまうよりも、

今わかって、早めに治療すれば、悪くならずに済むのだから、早くわかってよかったのだ、ということ。



でもねー、そのあとがもっと大変で、

ソラチが 「結石用の療養食」 をすぐに食べてくれたので、
シロチも食べるものと疑いもしなかった 「肝機能改善の療養食」(あとからそのフードの会社のHPに行って説明書きを読んでわかったのだが、その餌は肝機能改善ではなく、単なる肥満解消と防止のためのエサであった。シロチの場合、まだそこまで重症ではないのだろうと思い、少し安心したような、なんだ違うぢゃん、とおもしろくないよーな ) をほとんど食べてくれなかったこと。

そして、シロチが病院から戻ると、なぜか留守番のソラチがシロチを見るなりまた う・う~っ! と威嚇して、近づかない。


その間に、一回、ソラチのおしっこ (以前は少なめのおしっこを一日に何度もしていたのだが、次第に一度の量が多くなって朝晩2回ずつ位になり、最近ではたぶん、健康な猫と同じ朝晩1回ずつしかしなくなったと思う。) が、お昼まで一度も出なかった時があり、

昨日まで順調に、血尿もない、健康そうなおしっこをたっぷりしていて、しかも食欲もあったネコが、

たった一晩で結石が詰まるはずはない、 

と思いつつも、そういえば、ソラチがソファーに上ったのでおしっこするかな、と思ったら、
してるポーズだったのにしてなくて、あれっ?と思ったことを思い出し・・・

まさか、また詰まった? と思うと気が気ではなく・・・  

夜帰宅して、おしっこのしてあるのを見てホッとしたこともあり。

実は先週土曜日にホームセンターで、室内トイレをもう一つ買ってきて、その中にシートを敷いてソファーに置き、そこでしてくれるようになったら、徐々にずらして、ペットシートの敷いてあるトイレでしかおしっこをしないようにはできないものか、
そうなれば、もう、ソファーの上にペットシートを敷くこともなくなるのではないか、と期待していたのだが、
一向にそこではせずに、ソファーに敷いたペットシートの上でしかおしっこをしない “親の心子知らず” なソラチだったのだが、

もー、ソファーの上でもどこでもいい?から、とにかくおしっこだけはちゃんと出してね、と願う母であった。  



一向に療養食をあまり食べないシロチに困り果て (食べなければよくならないから)

ふと思い立ち、ソラチは結石用の餌しか食べてはいけない (他の餌を食べると療養食の効果がなくなってしまうからだそうで、シロの餌を食べないように、うんと気を使っているのだ) のだが、
シロは肝機能改善の療養食以外の餌を食べてはいけない、とは聞かなかったので、K動物病院の先生に電話で相談したところ、 

やはりそういう理由からだと思うが、最初は元食べていたエサと療養食とを半々に混ぜて出してもいいので、とにかく少しでも療養食を食べさせ、
慣れてきたら、徐々に元食べていた餌の割合を減らしていく方法で与えてくださいとな。

それでちょっとだけ安心したのだが、ソラチの時もそうだったが、K院長は、なるべく薬を飲ませるよりも食事療法で、という方針なのだろう、(ペットフードの会社とつるんでいるのか、とたまに疑ったりもするが・笑。いや、ちょっとはあるかも)

こちとら、食べてくれない餌にイライラするよりも、手っ取り早く注射でも薬でもしてもらって、早く結石を溶かしてほしい、早く肝機能の数値を下げてほしい、  と思うのに、

あくまで、食事で治す、という方針みたいなので、仕方ないのである。  



それで、試しに、元食べていた餌と療養食とを半々に混ぜて (シロチの場合はちゃんと計って決められた量だけ) 出してみたところ、

た、食べたぁ~~~           


もちろん、一皿綺麗に全部、とはいかないが、ま、量的に食べ過ぎよりゃいーだろう、(ほんとは数値を下げるためには決められた量の範囲で、できるだけたくさん食べてほしいのだが、少しでも食べれば、まあ安心) 

と思うことにして、

あとは、ソラとシロがお互い人の餌を食べないようにと、餌を出したらほぼリビングを離れないようにして見張り、
どちらも必ず残すので、猫が餌鉢から離れたら即刻食器を下げ冷蔵庫に隠す、というように神経を張り巡らし
( ソラがシロのエサを食べるのは厳禁だが、逆だとシロが食べ過ぎになるので)

あ゛~、二匹飼ってると、こーゆーとき、大変なのよね、と思いながら、

ソラチのおしっこチェックと、使用済みシートの片づけ&セットし直しをし (二匹いるのだが、ペットシートではソラが、ネコ砂のトイレではシロしかしないので、その点の区別はつきやすい  リビングには、ペットシート専用のフタ付きの小さめのごみ箱も買った。 )、

人間のトイレに置いてあるネコ砂のトイレの片づけもし・・・(シロのおしっこと、二匹のうんち。ソラは、ウンチはネコ砂トイレでするので助かる。ウンチをリビングでされたひにゃぁ~  )、

ああ、づがれる・・・      

おまけに夫は、これらのことをほぼ人に任せきりなうえに  
シロの肝機能数値や、肥満や、中々療養食を食べないこと、ソラが半日おしっこをしなかったことなどについて のーてんきで楽天的過ぎて 

ダイジョーブ、ダイジョーブって、テメーがそう言ってタカをくくってて、

ゴンドラ、モモコのことで大丈夫でなかったことが、
過去、どれだけあると思っとんぢゃぁ~~~       

そうしておいて、ネコ草を一生懸命育てて悦に入っていたり (いつか話します)
二匹が俺を慕って(ソファーの隣りに)来るんだよー、    と自慢するので

ああ、ハラタツ、イライラするぅ~~~      




ソラの餌(左)と、シロのです。


病院から戻り、思うように食事できないつらさからか、あまえぼになったシロチ。


まだ、元通りべったり、とはいかず、離れている二人。夫のベットのふちにいるソラチは、新種の場所。


キャワイイ。 


日々大変ですが、コイツらがいなくなったら生きていけないので、 

ソラシロかーさん、頑張ってるのです・・・。   きらん…



     * * *   * * *   * * *   * * *   * * *




と、ここで自分の体調について書こうと思ったら、時間切れ、閉店となりました。

一向に腰痛が治らないので、今日ちゃんと? MYホームドクター・近所のS医院にも行ってきたし (行ったからといって特にどうなることでもなかったが。ただ、鎮痛剤とシップ、そして膀胱炎ぽい症状もあったので抗生剤をもらってきただけで、注射は打ってくれなかったの。)

おとといから、体をなるべく冷やさないように心掛け、夜更かしもなるべく避け、禁酒し、間食を制限 (夕方に一度だけにしてほんの少しにする。あとは今迄みたいにのべつまくなし食べない) 、食事も軽いものを適量にするなど、自分の考えられる食事や生活などの改善をしつつ、ダイエットも兼ねて療養中? ですが・・・

なかなか完全にはよくなりません。  
ちょっと今日はいいかな、と思っていると、そのうちに悪くなったり・・・  エーン  なぜ 

昨日は、どうしてもその日しか取れなかったので、ピアノのレッスンをお休みさせていただいて、
4,5日ほど前から就寝前にかけているメガネが壊れてしまい、よって寝るまでコンタクトが外せず色々と不便なので、塩尻の眼科 (最近近視の度数も進んだので視力検査と使い捨てコンタクトの処方もしてもらう) とメガネ屋さん、ついでにカラーリングなどを兼ねて松本方面まで行ってきましたが、

美容院で色の定着を待って座っているとき、冷房を弱めてもらい、ひざ掛けを2枚借りて腰に巻いたり膝にかけたりしましたが、腰痛があまりにも痛くて死にそうになりました。 
(移動するとき我ながらスゴイ格好だと思うと内心泣き笑いであった。 )

その後シャンプー台に行って姿勢を変え、シャンプーしてもらっている間にウトウトしたらたらだいぶ治まりましたが。

あと、運転中とか、このようにパソコンの前に座りっぱなしとか (さっきもソラシロのことを長々と書いていたら痛くて発狂しそうになったので、店の奥で少し横になり15分ほどウトウトしたらだいぶ治りました   でもその間に閉店時間になったので、ビールの補充だけして帰ってきました)、
同じ体制で座りっぱなし、というのがよくないらしいですね。 

今日医者にも、座ってばかりいないで歩きなさい、と言われましたが・・・  


このダルさ、きもぴの悪さ、時々ブルーな気分、などはPMSっぽい気もするのですが・・・

日曜日には出かける予定なので、なんとしても治したいです。   




その後、ネコタの腰痛はどうなったかと皆さんご心配くださっているといけないと思い、帰宅してソラシロのエサやりなどを済ませ、
ご飯の支度はそっちのけで (笑・どうせたいした物作らないし ) ブログを書きました。 

なので、そこそこ元気しとりますし、どうぞご心配くださいませんように。 ねっ  












今度は腰痛・・・(^^;))))

2014年06月22日 | ヘルス&ビューティー
皆さま、激動の天変地異に撃沈    

後、長らくのご無沙汰、どうもすみませんでした。  



ようやくだいぶ元気が出てきて、今後の予定や計画もおぼろげながら思い描けそう  

とハリキッテいた矢先、


昨日の午前中は近場で日用品の買い物したりしてゼッコーチョー、
午後にはペットの皮むきをしてブログもUPしようと意欲も満々だったのに・・・、
午後から、なぜか突然の激変、ひどい腰痛が襲って・・・    

自分、中高生の時器械体操をやっていたせいで、十代のころから腰痛持ちなので、
そんじょそこらのカルイ腰痛くらいではちっとも驚かないのですが・・・ 

今回はそんじょそこらの腰痛ではないのでして。  

座ってもいられない、鎮痛剤飲んでも痛い、痛すぎてきもぴが悪く食欲があまり湧かない (おー、いいコトぢゃん ) 意識がモーロー   etc、etc…

( 昨日は夕方、鎮痛剤を飲んで仮眠をとったら少し良くなったのでコメントなどを書き込みました。
よくなったり戻ったりの変化があるので、書き込みなどで決して無理はしてませんので念のため。 )



まぁ、こうなった原因は、あれもこれもと思い当たるフシが無きにしも非ず、ですが、  

せっかくバレエのレッスン、最近張り切っていたのですけど、今週はおとなしくお休みすることにして、
できるだけ早くよくなるようにガンバリ?ます。 (って、ナニを  


色々原因について長々と書いていたら腰痛がひどくなったので、簡潔に書き直しました。  

あはは・・・


でも、まさか書いてることや心労?ストレスではないとは思う。

ストレスからくる暴飲暴食、なんとなくダラダラ夜更かし、軽い腰痛なのに休まなかったレッスンやストレッチ、プチ筋、
ビールケースなどの重いもの運び、Kは梅雨の時期に朝晩がハンパなく冷え込む=冷え、などかなぁ~、
ひどくしてしまった原因は。  

あとなー、このダルさ、きもぴの悪さはPMSに似ているが(PMSでも腰痛になったりするし)、
自分、一週間前に終わったばかりで、もう次のPMSが巡ってくるとは、まさか思えぬが・・・



まぁ、腰痛は常日頃からある持病なので、腰痛ごときで辞めていたらナニもできにゃいワ、
といつも多少の無理をしていた若いころと違って、

いまは50代のオバサンなんだから、
年寄りの冷や水にならないよう、以後、気を付けたいと思います。    



皆さまも、お気を付けあそばせ。  

( てめー、ネコタのアホじゃないんだから、 ばかみたいな 無理なんてすっかよ     )

と、天の声が聞こえるぅ~。     


お・お・お~~~   ムンクの叫び。         



 


ローザンヌ大賞の二山君を見に伊那へ・・・(白鳥バレエ学園発表会)

2014年06月17日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)



6月15日(日)、同級生Aiくんのお葬式の後、

伊那に、あの、今年2月にローザンヌ・バレエ・コンクールで大賞を取った二山治雄君 (プログラム左上切抜き部分) が賛助出演するというので、
『白鳥バレエ学園・伊那教室』 の発表会を見に行って来ました。

( 二山君は、現在17歳の高校生で月曜から金曜までは、主催者の塚田たまゑ先生の家に下宿しながら長野にある 「白鳥バレエ」 の本部でレッスンを積み、土日は松本の実家に戻って、たぶん松本教室でもレッスンして月曜の朝に長野の高校に出向く、という生活なのです。 
「白鳥バレエ」 は、長野県内各地に支部があるので、ローザンヌから帰国後、本部のある長野はもちろん、松本や伊那などでの発表会賛助出演や凱旋公演がありました。 )

13時からだったので、オープニングに少し遅れましたが、
そのあと、延々17時までやったので (発表会なので、それぞれの見せ場があり、全部で三部構成だった)、
充分堪能できたのですが・・・



パソコンのことで疲れていたし、Ai君が亡くなってショックだったので、行くのをやめようか、とチラと思ったりもしたけど、行ってよかったです。



だって、発表会という予想を遥かに上回って? 

バレエは、感動的に素晴らしかったです。   

さすが、ローザンヌほかの賞に多くの入賞者を出す白鳥バレエだけあって、発表会なのにレベルは高いし、

二山君も、こんなに出て大丈夫かしらん?と思うほどたくさん出てくださって大満足でしたし ※注   

久しぶりに見た、バレエの発表会は、
大抵どこの発表会でもやるような 「ヴァリエーション」 や 「パ・ド・ドゥー」 (第一部・バレエコンサート) があって、

華やかなのと、たいてい知っている曲ばかりなので、懐かしかったり嬉しかったりして、本当に楽しく、

あー、やっぱりバレエっていいな、と思いました。   


他に、第二部に、信濃の民話より創作されたという、和風創作バレエ 「飯綱姫流物語」、

第三部は 「コッペリア」 より第3幕と、ちょー長かったけど、内容も盛りだくさんでした。



色々詳しく書きたかったのですが、諸事情で、簡単なご報告までということになってしまいましたが、

二山君のことは、またいつかどこかでもうちょっと詳しく触れられるとよいです。


ごめんなさい。  






※ パ・ド・ドゥー・・・バレエ作品において、主役級の男女2人の踊り手によって展開される踊りで、作品中の最大の見せ場で、物語のクライマックスであることが多い。

男女二人が登場し、一緒に踊る序章の部分である 「アダージョ」、「男性ヴァリエーション」、「女性ヴァリエーション」 (各一人ずつで踊る高い技術を誇る見せ場)、二人一緒に踊る華やかな 「コーダ」 の4部構成からなっている。

※ ヴァリエーション・・・発表会などで踊られるものは、上記男性又は女性のソロパート、またはパ・ド・ドゥーの中の一人で踊る部分の抜出し。


どちらも、技術を誇る見せ場で、高度なテクニックが必要なため、また、曲が短いので、一人、または二人の成果を見せる発表会にうってつけの作品でもある。

なので、 「全幕物」 を見ていなくても、発表会でおなじみのため、パ・ド・ドゥーやヴァリエーションの曲 (場合によっては踊りの中身も) だけははよく耳にし、知っていたりする。




 この日の二山君の出演演目

 オープニング (全員)

 第一部 バレエコンサート
・「グラン・パ・クラッシック」 より、ヴァリエーション (ソロ)
・「ラ・バヤデール」 より、ク゜・ラン・パ
  ソロル(ソロ)

 第二部 創作バレエ 「飯綱姫竜物語」(全三場)
 第二場 ゆうやけの飯綱 祭りの宵
・光りの精(ソロ)
・忍者の踊り(男性6人のコールド(群舞)の一人)

 第三部 「コッペリア」 より第3幕
・戦いの踊り(グラン・パ・ド・ドゥーのひとつ前の、男性8人のコールドの一人)
・コーダ(第三部出演者全員のうちの一人)

オープニングとコーダを覗いても実に5演目に出演しており、そのうちソロは3つも。  

こんなに出ていただいて、きゃー    もんでしたが・・・

いくら17歳でも、だいじょーぶかしらん・・・と。  

ローザンヌで賞を取った 凱旋(+お礼奉公?)と、この年の秋からアメリカへ一年間留学が決まっているのでその壮行を兼ねてだと思います。

普通はこんなに出ませんからね。

でも、お安いチケットで沢山見れちゃって、ちょーお得&贅沢、満足  でした。



 補足ですが、第二部創作バレエ、6人の群舞の中にいても二山君は遠目からでも目立つのですぐわかったのですが、

さすがに第三部の8人のコールドでは、皆さん似たようなお顔立ちでよくわからず、え゛ー、二村君、どこどこ とアセりました。     

ですが途中でハッと、  

そうだ   顔ではなくて脚を見ればいいんだ   

と気づきました。

案の定、二山君の脚は誰よりも 付け根から180度に開いて いて、 
膝の入り具合も筋肉のつき方 も、他の生徒さんより 群を抜く美しさ             

一発でわかっただけでなく、何でそれにもっと早く気が付かなかったかなぁ~、と悔やまれるほどに美しかったです       


 皆さんも、バレエを見に行かれたら、ぜひ男性も女性も 『美しい脚』 (「足」ではなく「脚」です) にも、注目してくださいね。      

ただし、バレエをよく知っている人 (できれば体験者だとなおいい) でないと、その脚の美しさ (一般のただ細くてスラッとしたのとは全く違います) も、
その技術がいかに素晴らしい (大変なこと) かも、本当の意味ではわかりにくいのが難点なんですが・・・。

残念だなぁ~。    













天変地異!?で脱力、疲労('◇';)))))・・・身の回りに起こった様々な出来事

2014年06月16日 | その他 色々
ブログの空白期が続いたので気になって・・・


ここらで、中間報告なぞを。

6月13日の金曜日、この日は一昨年亡くなったゴンの子どもの、モモコ (享年1歳11か月、2008年没) の命日だったのですが、
パソコンの先生に来ていただきました。


HPの方にはチラと書いてあるので、ご存じの方もいらっしゃるかとは思うのですが、

書く方のことで、今度新しく始めようと思っていることがあるので、そのことについてだったのですが、

今回は一時間のお昼休みを挟んで、なんと  7時間みっちり やって、 

そのことについてやり方を先生に習いつつ、間に交渉事がいつくかあったので電話したりしたのだけど、

この日は、ことごとくそれらがスムーズににうまくいったので、  


これはきっとモモコが応援してくれているに違いない   

などと思って気をよくして、とにかくガンバリました。 


明けて土曜日。

この日は多分一日、前の日の続きで準備をしていたと思うのです。

夕方電話がかかってきて、中学の時の同級生だったAi君が昨日亡くなって、今お通夜で、明日お葬式だというのです。


ショックでした。Ai君はどちらかというと仲が良かった人で、
私がKに帰ってから2,3度、Ai君自身は名古屋に住んでいたのに、わざわざ地元に戻って同級会を主催してくれたりして、
何度かみんなで会って楽しいひと時を過ごしていたからです。

中学のころは、今、地元で家業を継いで神主さんになっているM君とつるんで、ちょっとお茶目ないたずらをするような悪ガキ?でしたが(でも、二人とも頭は良かったんですよ)、
大人になって会ったら、話の分かる面白い人でした。

それで私は日曜日は昼から出かける予定があったのだけど、そっちは多少遅れてもいいからと、
11時から町内のお寺で営まれたお葬式に行って来ました。


Ai君は、小学校は別のところでしたが、その頃喘息もちで学校を休みがちだったと聞いていたのに、
中学のころは一度も喘息が出なかった、それほど学校が楽しかったんだ、と大人になってから聞いたのですが、

それとは関係なしに、2006年ころから何度かがんの手術や闘病を繰り返していたようでした。
今年2月にはなんとお父様を亡くされたばかりで、そして独身だったので、お葬式も地元で、喪主はお兄様がされていましたが、

お兄様の最後のご挨拶を聞くほどに、自分はそんなこと、ちっとも知らなくて、何だかしんみりとしてしまいました。
自分がKに戻ったころ以来なので、かれこれ20年近く会っていなかったことにもびっくりしました。

でも、絶対に泣く、と思って出かけたのに、なぜか涙は出ませんでした。
中学のころのことや、大人になってから同級会で会った時のことを色々思い出しました。

自分は、服装や好きなことの趣味からくる印象とは違って、性格は全然女っぽくないので、もちろん大人になってからですが、男子の方が気が合ったり喋りやすいところがあるのです。


お式が終わって、祭壇に掲げてあった、Ai君は4月にお誕生日だったので54歳になったとのことですが、
そのとき入院中だったんだけど、病院のスタッフの方が誕生会を開いてくださったのだと、スナップ写真に皆さんの寄せ書きがしてある色紙を見てきました。

照れ笑いを浮かべて恥ずかしそうにしている姿がAi君だなぁーと思って、
遺影に向かって、「ごめんね、今日はこれで失礼するね」 と挨拶して、お浄めのお食事はせずに帰りました。


そのあと午後からは、今年2月にローザンヌ・バレエコンクールで大賞を取った松本出身の二山治雄君が9月からのアメリカ留学を前に、
出身の 『白鳥バレエ学園・伊那教室』(他に松本と長野に教室があり、二山君は長野教室に在籍)  の発表会に賛助出演するというので、以前からチケットを取ってあったので、
がんばって伊那文化会館まで見に行ってきました。

( 簡単ですが、別項目にて書きます。 )


そして発表会はとても素晴らしく、とても幸せな気持ちで帰ってきたのですが・・・、  


運転しながらKが近づくにつれ、なんだか、気持がまた、 どっよ~~~ん  としてしまいました。

そして、そうだ、今日はワールドカップの日本の試合だったワ 、  と思いだしたほど。


もう、今朝からハードスケジュールでそれどころではありませんでしたし、

この数日間、Ai君が亡くなったことだけでなく、色々あったので・・・


今、アルフィーのこと以外で、毎日とっても楽しみに見ている NHK朝の連続TV小説 『花子とアン』 (自分は朝ではなく、夜に録画を一人で見て楽しんでいるのですが) は、
いちいち気持ちが痛いほどわかるので(今度書きます)、  
ほぼ、毎回のように見ながら涙しているのですが・・・、  

金曜日には、花子の大好きな おじぃやん が死んでしまうし、
花子のことを小学校からずと好きで、陰日向なく花子とその家族を見守ってきた、幼馴染の 朝市(あさいち) は、花子への気持ちをついに告げることなく、

「でぇじょうぶだよ、一生懸命やって勝つことの次に大切なのは、一生懸命にやって負けることじゃん 」 と言って、
花子が女学校を卒業する時に残りたかったけど、戻って来ざるを得なかった郷里の甲府を出て、再び東京に行くことを応援するのです。

・・・号泣                   



そして実は、土曜の夜に、突然アマゾンのアカウントが取り消される、という事態が発生し、     

自分、1,2年ほど前に JASRAC(日本音楽著作権協会)の異議申し立てということで、gooから自分のブログの一時閉鎖をされた経験がありますが、
( 自分としては、作詞者の名前を明記すれば歌詞を引用してもいいと思っていたのだが、gooの規約によると、たとえ一部分でも引用は認めないとのことでした。
自分としては意味があって載せたことですし、自分の考える儀礼は尽くしたつもりでしたので、反論したい気持ちは充分ありましたが、自分の運営するHPではなく、gooの場所を借りて運営しているブログ、という立場上、その決まりには従わなければならないとわかったので、泣く泣く当時書いてあったものについては、歌詞の部分を全文削除しました。 → その後の文に関しては、また若干書いてはいますが。 )

まさか、自分に著作権というかあるものの権利を有しているもので、このような憂き目にあうとは、 ビックリ  
( 事務的なミスも含めて思い当たることがなきにしもあらず、ですが、細かいことに関しては自分にもわかりかねる部分があるので、詳しくは省略させていただきます。 )


ブログの一時閉鎖の時にも相談に乗ってもらった親友のナオミは、
パソコンを通じてする仕事 (従兄妹のようにパソコンそのものについて詳しい仕事ではなく、パソコンを使ってするクリエイティブな仕事のこと) に詳しい企業家なので、

出版や著作権など、権利のことなどにも詳しいのだが、


>ネットの世界にはネットの世界のルールや取り組み方があるから、
>その洗礼を受けた、と思っておけばよいのでは?
>郷に入れば郷に従え。

と、メールをくれました。


土曜深夜に、しかるべき処置を含む再申請をしておいたからか、昨日の夕方、伊那から戻りその日初めてパソコンを明けた時には、既にアマゾンのアカウントは回復はしていたんですけど、

緊急事態で動揺もしていたので、ナオミと電話でも少し話して、落ち着いたんですが、(今の私、ナオミとコムがいなかったら生きていけないと思う  

グーもアマゾンも、頼まれた人が機械的な仕事をしているだけなので、
感情的にならず、相手は人間ではなく機械だと思って事務的に事を進めた方が早いよ、と教えてくれたのですが・・・



確かに、自分のしていることに関してなんらかの異議申し立てを受ける、というだけで大変ショックなことではあるのですが、

自分、ブログ閉鎖やアカウント取り消しで、生きた心地がしないほど、ものすごくうろたえるなんて、
こんなにネットに依存して生きていたのかと、わかったこともまたショックで・・・。 


私のように感情的で、しかも気の小さい人間には、機械的とか、事務的ということは苦手なのだけど、

これも夢に近づくための手段なので・・・


でも、そんなこんなで、ここ数日ですっかり、 グッタリ疲れ果ててしまい・・・    


アマゾンを使ってやろうとしていたことは、少し焦っていた感じもするので、

焦らずにゆっくり、しっかり万全にした状態で始めること、と悟りました。


高い授業料だったなぁ~   とほっ。




そんなわけで、皆さまへのご報告というか、お知らせは、まだ少し先になりますし、

ちょっとブログの普通の記事も書く気力がにゃいので 
(っつってる割には、 テメー、いつもとおんなじで書いてることがなげーぢゃんよぉーーー )   



また少し、お休みいたします。    ゴメンナサイ・・・

皆さん、こんなネコタに愛の手を    





バレエ発表会の会場を出たところに持ち帰ってもいいというお花の束がたくさん置いてあったので、いただいてきました。


こちらは、庭に咲いている、その名も 「バレリーナ」 という名前のバラ (中央が少し白くなっている一重咲きのバラです) と、
いただいた花束で折れてしまった部分、青いデルフィニューム (大好き) とピンクのカーネーション (左端の一輪で、こっちのが見た目バラみたいだ・笑) を、
一緒に小さく活けて、キッチンの出窓に飾りました。


父が、旧隣村の果樹園で育てている 「さんらんぼ」 が、ちょうど今、盛りです。

高いところになっていて父゛では獲れないので、夫が獲りに行ってきました。



どんな時でも、一番に心を癒してくれるのが、ソラシロの存在です。  


見ているだけで可愛いんですけど、( よく、寝た子を起こす。・・・だって、かわい~ぃんだもぉーーーん  )

ぎゅぅ~   スリ2、チュッチュ   ベタ2  
時に かじかじ  可愛いがゆえ  


特に帰宅直後など、猫なで声で甘えさせてもらってます。   







近況など

2014年06月11日 | その他 色々


6月9日は、父の85歳の誕生日でした。

誕生日と父の日を兼ねたお食事会。

いつものように夫の手料理で、なんか毎度おなじみですけど、
和風ステーキ(おろし・にんにく醤油ソース)野菜添え、大根サラダ、
そして 「やっぱ刺身はいるなぁ」(父はおさかな全般がダメで特に刺身は全くNGなのでお肉にしたのだが、夫は魚好きの刺身大好き人間) と夫が自分で買ってきた鯛の刺身に、暮れにS条から送ってきた生タコの刺身を冷凍しておいたもの

そのほか、ウドの酢味噌和え(父が何年も前に山から採ってきて畑に植えておいた、元々は野生のウドなので、歯ごたえがあり香りも強くて買ったものより断然おいしいです)やワラビなど。
それから、父の大好物の 「冷奴」 は欠かせません。 (写真左下隅。さいの目に切ったものを生醤油で食べるのが大豆の味が生きて一番おいしいのです。←私もそれが一番好き


両親とも、柔らかくておいしいお肉だと喜んで食べてくれたので、まだ元気かな、と思ったり。   

この先も二人そろって、少しでも長く元気でいてくれたらと願います。 



近所の人が昨年、自分の畑でうまく育たなかったから、とくれたらしい 「イチゴの苗」 が、さすが父ですね。

今年見事に、次々となり、嬉しい悲鳴?です。 ← 人に差し上げたりしても食べきれない。子どもの頃ほど苺大好きでもなくなってきた私。(おやつはフルーツより、甘いお菓子と調理パンなどの方がよくて、夜はデザートより酒じゃ(笑)の、女子とは思えぬ。だから太るのか?)  

もっぱら夫が、毎朝 「いちごミルク」 にして (ミキサーにかけて私が作るのだが、仕方なく)(^^;) 飲んでます。
イチゴは、何もかけずに “素” で食べるのが、一番おいしいのになぁ~。



庭のバラの花が、色々咲き始めました。

こちらは人に差し上げたプチ・アレンジ。

ですが、つる薔薇が伸びっぱなしで剪定したり留め直したりしたいのに、時間がにゃぃ・・・  

夫は水を上げたり切って飾ったりはしても (ついでに人にあげて自慢もするが)、 草取りや剪定、つる薔薇の留め直しなどはやってくれません。 

先日やっと、玄関のベルフラワーとドラセナを大きい鉢に植え替えました。



 癒しのネコたち


窓辺を2匹そろって覘く。 右の小さいほうがソラ。

ソラチ、二度目の注射の持続期間が過ぎましたが、とりあえず今のところ血尿もなく、元気してます。
あいかーらず、ソファーのペットシートにおしっこする以外は。  あきらめの境地。  


仲良し。 右のひっくり返ってるのがソラ。 かわいぃ~。   


最近、キッチンカウンターに寝そべるようになったソラ。


甘えてきます。    う~ん、きゃわいい。 


ある日の午前中、出かけていて戻ってくると・・・ 

さっそくシロチが焼きもちを焼いてソラチの場所を横取り。 


なんとなく、気まずい二人。・・・・・


気が付くと、少しずつ寄り添うようになって・・・ 


最後には、この通りです。     べったり。 


しかし・・・

この上で朝やお昼の 一人ご飯食べてるし 調理台補助にもなってるし  
お化粧したり、夜のPCチェックとかもしてる万能テーブルなのだが、
神経質なヒトにはありえん風景だわな。 ぎゃー、ネコがネコが・・・って・笑  

こーゆーのを 「クソもミソも一緒」 といいます。 (ちょっと違うか・笑)


でも、ソラシロはねぇ、きれいなんだよ。   

なぜなら、 かわいいから。    全くの主観的見解。

これが、外を歩いたり地べたに寝そべったりしてるという理由で (80%は) 犬だったらやだけど・笑。 デカイし。 

そーゆー猫も、玄関のタタキを、たまにゴロンゴロンしてます。  やはり 根が猫派。  

あ、でも、さすがにリビングの二人でご飯食べる方のテーブルの上には、ゼッタイに乗らせないですが。
どこが違うんぢゃ、と言われそうだが、暗黙の不文律・笑。

ただし、キッチンシンクの調理台には、いないときにこっそり上ってるみたいです。仕事から帰ってくると毛がついてるのでわかる。 


それにしてもきちゃないテーブルだにゃぁ~     あのあと、片付けてすっきりしました。
放っておくとどんどんきちゃなくなるので、こりゃイカン   と思ったら片付ける。




さてさて、

アルフィーの 『名誉卒業関連』 の連載?記事ですが、やっと 「本編、実際の訪問編」 に到達、

実はこの後まだ 「番外編1、2」 を予定しているのですが (え゛っ  まだあるの? 

ちょっと時間がないので、中断。
( 他にもUPしそびれている記事がわんさかあるのだが、 キリがないので。
永遠に終わらないと思うし。   )

今週末の土、日をめどに始めたいことがありまして (延ばし延ばしになっていたPCの先生にも今週金曜日にやっと来ていただけるし) もちろん、書くことに関することですが、そのことに集中して邁進いたします。 


なので、ブログもそれまでお休みさせてくださいね。 

完成しましたら、皆さんにもご報告できることです。 
楽しみにしていてください。
 

頑張りますので、応援よろしくお願いいたします。 







カルミナ・ブラーナ 6月8日 於:伊那文化会館

2014年06月10日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)



有名な曲だし、壮大なスケールの冒頭がCMなどにも使われたことがあるので、絶対に皆さん、一度は耳にしたことのある曲だと思うのですが・・・

大好きな合唱組曲 (世俗カンタータ) 『カルミナ・ブラーナ』 の公演に、

習っているカルチャーセンターのバレエ講座に、
時々来て一緒にレッスンをしているCさんが出るというので見に行って来ました。


今、Bというカルチャーセンターの 「大人バレエ講座」 で教えてくださっている、
M先生が主催している 「バレエ・スタジオU」 で、
子供たちを教えているというCさんとHさんが、たいていいつも私たちのクラスでレッスンを一緒に受けているのですが、

大人クラスの受講生は現在私を含めて4人なのだけど、みな初心者なので、
CさんやHさんのような方がいらっしゃるととてもいい見本と刺激になるのですが、

中でもCさんは見るからにバレエダンサーな体形と雰囲気、技術を持っていらっしゃるので、見ているだけで幸せな人です。 

そのCさん、昨年12月に二人目のお子さんを出産されたのですが、9月か10月頃まで一緒にレッスンしていて、
今年の4月からの講座をもう一緒に受けています。 

( キャリーに入れた赤ちゃんを一緒にスタジオに連れてきたり、なんと置いて来たり・・・  )

す、すごい・・・  



それはともかく、伊那の一般から募って作られた公演のための合唱団、公演のための舞踊団、そして伊那の市民オーケストラによる “手づくりの演奏会” ということで、

過去にメサイア(ヘンデル)、第九(ベートーヴェン)、レクイエム(モーツァルト、フォーレ) などを合唱と演奏、
今年の 「カルミナ・ブラーナ」(オルフ) で第10回目を迎えるそうです。


「カルミナ・ブラーナ」 大好きな曲なので、すごく、すごぉーーーく楽しみにしていたのですが・・・、

初めて行った伊那文化会館 (後でわかったのだが、習っているカルチャーセンターのすぐ隣のような場所であった) 駐車場がわからなくて、何度もぐるぐる回って、やっと止めた場所は会館から凄く離れていて、

やっと着いた時は精根尽き果ていていて、席も自由席だから満杯で、どうにか空いてるところを見つけて座って、
ほっとして、初めて部台を見たら 

舞台上にオーケストラのセットが乗っていて、まず驚いた。   

ガーン、オケが乗ってるぅ~ 

てことは・・・

バレエが主役ぢゃないんだ・・・  

私の見たバレエが中心の舞台 (2000年3月26日 東京文化会館大ホールにて上演された、佐多達枝 演出・振付 オルフ祝祭合唱団(のちにO.F.C)公演のもので、大好きな堀内充さんが出ていたので見に行き、大変感動して、O.F.C の大ファンになった) と違って、

「オーケストラが主役」 だったこと、

しかも、カルミナは短いからと、第一部にオーケストラだけのベートーヴェンの演目が急きょ加わったそうで、それがプログラムに全く載っていなかったため、

第一声の曲が流れてきたとき、

えっ、えっ          

カルミナブラーナ、冒頭から入ってない?     

(にしても、大好きで何度もCDを聴いた曲だから、全く聞き覚えのないフレーズであるはずがないと思うのだが・・・)
 
と、ゆーんで、まずアセッて、面食らった。      

( あとで、別の場所で見ていたらしい、ピアノ教室のさんど先生に聞いたら、全く違う曲だったとわかって、さすがはピアノの先生だと感心したり、プログラムに載っていなかった不親切さを恨んだり・・・ ) 

そして、途中、ちょっとウトウトしちゃった。(^^;)) 


楽しみにしていたバレエは、オースケトラセットの前に 「リノリウム」 というバレエ専用の床材を貼ったわずかなスペースだけで、すごく狭くて踊りにくそうだったうえに 

なんとオケの舞台を引き立てるための舞台装置?(演出)なのか、上手床に赤いバラの置物(造花)まで置いてあって、さらにスペースが狭くなっていたこと  

などが、かなぁーーーり  残念で、わたしゃ内心怒りさえ覚えたが 
(おまけに駐車場を案内する人が、いる意味がないくらい不親切なうえに失礼極まりなかった。私は初めてで全然場所わかんない人なのに   余りにも腹が立ったので、終演後にたまたま、6月16日の白鳥バレエの発表会チケットを同会場で取ったので、つぃ、話のついでに会館の人に文句を言ってしまった。)



それらを度外視? すれば、「おお、運命の女神よ!」 の大合唱からスタートするくだりは体中がゾクゾクするし、

とにかく、一時期繰り返し聞いていた大好きな合唱組曲だったから、また、合唱自体が好きなので、本当によかったです。


Cさんは、相手役の若い男性がリフトするシーンもあったためか、ご本人は産後のストレスで痩せたと言っていたけど、
私が思うに、頑張ってダイエットしたんじゃないかなー、

元々スリムなのに、しばらくぶりにお会いしたらいっそう細くなってて、びっくりしたけど   

相変らずウットリするような踊りを見せてくれて、すごぉーく素敵でした。   

一緒のスタジオで習っている方だと思うと、いっそう素敵に見えて・・・   


後で聞いたところによると、最初はもっとバレエの出番がなかったので、Cさんが文句を言って、あれでも、増やしてもらったのだそうですよ。


やっぱり、伊那フィルハーモニーが主役で、合唱が中心の舞台みたいで、
Kからも、さんど先生の入っている合唱団の二人が毎週伊那まで通って出演されたらしいので、

(  それ自体はとても素晴らしいことで、何もなくて聞いたら、それだけで感動する話です。
そして伊那フィルには、さんど先生の合唱団代表のK先生ご子息で、合唱団のピアニスト、指揮者のご兄弟も出演されていたので ) 

そんなこともあって、さんど先生は共通のお友達と見に行かれていたのですが・・・

そして、知り合いが多く参加されていたのと音楽が中心なので、かなり満足されたご様子でした (演奏だけでなくて、バレエ「も」あったのが、花を添えてよかったねーって) が・・・


ワタシ的には、そんなんで、大変失礼ながらも、ちょっと物足りなかったかなぁー。   




“手づくりの演奏会” ということで、ロビーには、客を送り出した後にすると思われる打ち上げの席が準備されており、それはそれで、とても温かい雰囲気でした。

音楽会の趣旨も素敵ですしね。


来年の演目は 『くるみ割り人形』 だそうですが、レッスンの時にお聞きしたら、Cさん、早くもクレームをつけていたので・・・ 

( プログラムをよく見たら、バレエ部分の演出・構成はカルチャーで教えているM先生、ダンサーも、主としてスタジオUの生徒さんのようでした。
持ち回りなのか、来年の担当は同市内の別スタジオ中心みたいです。
バレエってねー、スタジオや先生間で、いろいろある世界よ。  )


さて、見に行くのは、どうするかな。   










THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編2. いよいよ聖地巡礼・その2 ~

2014年06月07日 | THE ALFEE、Takamiy
今回、自分でも ドびっくり    の、
ちょー長いっすので、本当に申し訳ございません・・・

どうぞご覚悟の上ご覧いただけましたら、幸いに存じます。  






アルフィーのジャケットやパンフなどに出てくる、明治学院のチャペルは、だいたいこの角度から撮られているので、
チャペルにはこの石段を登って行き、登りきったところにチャペルの入口があるものと思っていたのだが、


行ってみるとハテサテ 、入り口がどこにあるのかよくわからない。  

急いでるのに、もぉーーー   と、しばしその辺をぐるぐる回って、かすかに聞こえてくる音楽を頼りに、それらしいドアをそぉ~っと開けてみる。

入ってみると、もちろんもう礼拝は始まっていて、TVで見た、木でできた茶色の重厚な椅子に何人かが座って、パイプオルガンの演奏を聴いていた。みな、手にプリントされた白い紙を持っている。

空いている椅子の一つに腰を下ろして、近くの男性にコソコソっと聞いてみる。

私「その紙はどこにあるんですか?」
男性「入口のところにありましたよ」(自分の入った入口のところにはなかったと思いつつ、どうやらそれは反対側らしいと気付く。)
「持ちに行ってきてもいいでしょうかね?」
「終わってからの方がいいんじゃないですか?」

終わってからじゃ意味ないよ~ 、 と思いつつ、(礼拝の邪魔になるから)それもそうだと思ってあきらめる。


 どうやら皆さんは、パイプオルガンの方を向いて、演奏を聴いているようで、そちらの方向には、TVで見た卒業証書を授与した壇上らしきものは見当たらなかった。

座っているのは女性が4,5人と男性が一人、ほとんど終わりころになって地元民と思しき?初老の男性が入ってきた。

演奏が終わるとオルガンのパイプの下がっているあたりがバルコニーになっていて、奥のドアを開けて女性が1人出てきた。
女性は今演奏された演目(トッカータ ヘ長調BWV540)と、次に演奏される演目(コラール「おお人よ、汝の偉大なる罪を悲しめ」BWV622)の紹介をしてくださった。いずれもバッハである。

どうやら、本物のパイプオルガンを奏者の方がちゃんと演奏してくださっていたのだ。

贅沢ぅ~ と思いながら、演奏に聞き入る。

聞いていると厳かな気分になり、心が洗われていくような気持ちになる。

チャペルのクラシカルで重厚な内装の、天窓から差し込む柔らかな光までもが、まるで絵画のようで、清らかなオルガンの音色によく似合う。 


青春の多感な時期に、こういう場所で宗教音楽をいつも聞いていたとしたら、その人の人間形成にもきっと、深い影響をもたらすのだろうなぁーと、

十代の頃、この清廉で荘厳な調べを聴きながら育ったタカミーのことを想った。 

厳密にいうと現在のパイプオルガンは、パイプオルガン全盛期である17~18世紀、バッハの時代の音色を再現するというコンセプトと工法技術のもと、12年の歳月を費やして2009年に完成した (現存していたもののリニューアル) ということで、設置場所もチャペル内の反対側になったということですので、彼らが聞いていたものとは全く同じではありませんが、その前身のパイプオルガンではあるようです。

今でこそコンサートができるほどの規模の大ホールを持つ大学も珍しくないですが、あの時代にパイプオルガンがあったなんて贅沢というかお洒落ですね。 (注:1)


礼拝は、演奏が終わった時点で終了、最後にお話をしてくださった本学オルガにストの長谷川美保さんと、この日パイプオルガンを演奏してくださった池尾靖志さん(キリスト教研究所客員研究員)が出てきてお辞儀をしてくださったので、拍手のお礼をしました。 


 立ち上がって振り返ってみると、ちょうどパイプオルガンとは反対側の場所が、
TVにも映っていた、アルフィーの面々が卒業証書を受け取った講壇 (正面舞台、2006年に創設当初の姿に復元) になっていた。


ああ、こっちが正面だったのね、とわかったのと、あの時の舞台だわ   と思うと、
こげ茶色の演台も、アールがかった天井の白壁も、眩しく、神々しく見え、感激もひとしおでした。


これです!!

写真は、NHKBS 『歌のあとさき特別編』 を写真に撮らせていただいた時のものです。


この写真で、メンバーの座っている後ろの方に見えている四角いBOX型の固定椅子が、礼拝堂作り付けのもので、
メンバーも座っていて、写真ではその左横に映っているのが、一脚ずつの稼働椅子です。

私たちがパイプオルガンの演奏を聴く際に、講壇には背を向けてオルガンの方を向いて座ったのですが、
その座った椅子というのが、こちらの稼働椅子でした。

もしかして、メンバーの (タカミーの) 座った椅子かも  なぁ~んて思うだけでも嬉しかったです。 



 と、長々書きましたが、
これらのことをものの数分の間に考えて、サッと見ただけですぐにチャペルを後にし、
私の入ってきたのとは反対側の出入り口 (でも、今思うとあの時の正面になるわけだから、後方から入ってきてよかったぁ~ってカンジですが・笑) のところで、大学礼拝 (チャペルアワー) の日程が書かれている 『チャペル週報』 と、本日4月18日の演目 (曲目や内容の簡単な説明) を書いたプリントの二つをいただきました。

週間日程表を見ると、今週の月曜から木曜までの4日間が聖書と讃美歌、金曜日は 「音楽礼拝」 となっていて聖書とオルガンを聴く日だったようです。

聖書のお話を聞き、一節を一緒に朗読するのには間に合わなかったので、残念でした。

でも、途中からでもパイプオルガンの素晴らしい演奏を聴かせていただくことができたので、偶然選んだ日とはいえ、とてもラッキーでした。  

讃美歌も歌ってみたかったです。



 やはり、礼拝に参加させていただいてよかったな、チャペルの中も見られたし、 
と、感慨深く、また厳かな気分になって外へ出て、入口の所に立っていらした職員の方に聞いたトイレ (3号館という半円形のような形をした建物の中にあった) へ行きました。

トイレはとてもきれいで明るくて、なんと、トイレも手洗い水道もすべて全自動でした。   
す、すごい  さすが、明治学院。
( って、今は大学のトイレってみんなそうなのかな? おととし30年ぶりに母校の和光大学に行ったんだけど、近い人なので、その時もトイレに入ったけど、忘れてしまったわ。きれいだったことは確かでした。 )



 それから真っ先に、電話で教えていただいた、チャペルの裏手にあるという 島崎藤村の書いた 「明治学院校歌歌碑」 を見に行きました。


こちらです。  下の方に、 「1937」 と校歌碑の建設された年(昭和12年)が刻まれています。
かすかに読み取れるでしょうか?


藤村直筆によるもので、この校歌は大好きなので、拝見できてとても嬉しかったし、感動しました。(注:2)



 そのあと、3号館反対側に建っていたのですぐにわかった、文化財の 「明治学院記念館」 と 「インプリ―館」 を眺め、写真に撮らせていただきました。


左が 「インプリ―館」。1889年ころの木造建物で、学院で教える宣教師たちの住居だそうで (1964年の道路拡張によりこの地へ移築) 都内における宣教師館としては最古のもので、建築物としても日本国内で一、二位を競う古い建物だそうです。

右が 「明治学院記念館」。 小チャペル、歴史資料館、事務室が入っています。(同じく1964年にこの地に移築)

私が大好きな島崎藤村の 『桜の実の熟する時』 の中には、この建物の描写とこの中にある図書館に主人公 「捨吉」(すてきち、藤村のモデル) が足しげく通っていたことなどが書かれているそうです。

私は家に帰ってから、歴史資料館で頂いてきた 『明治学院文化財ガイドブック』 を読んで、それでこのことを知ったので
( 自分がこの小説を読んだのは高校時代なので、そのような記述があったことは既に忘れてしまっていたので )

エーン、見る前に知っていたら、そういう気持ちで見たのに・・・  ぐすん。

と思ったことです。




 写真を撮った後で、ふと振り返ってみると、チャペル入口 (TVでも卒業式の看板の立ててあったこちらが通常の出入り口のようです。私が正面だと思っていたのの反対側ということですね) のあたりに、
まだ先ほど、とても親切に礼拝の中身やトイレについて教えてくださった女性が、男性職員の方とお話しされながら立っていらっしゃるのが見えたので、

お話が終わって男性職員が立ち去るのを見届けてから、それでも、と思って尋ねてみました。
チャペル内は、やはり写真に撮ってはだめですよね?と、親切なお方だったので、つぃ聞いてしまいました。

そして、そんな事を聞いているうちに・・・、
こちらに見学に来る前に電話で問い合わせてみたのですが、個人で楽しむ程度のスナップ写真位なら撮ってもいいとのことでしたが、ブログなどには載せたらだめでしょうか、
と、電話で聞いときゃよかったなー  的なことを、つぃ成り行き?で聞くことになってしまい、
すると、

「個人でやっているものでもブログに載せるには許可というか申請書のようなものがいるんですよ。」
と言われ、

一瞬、じゃぁ写真はあきらめよぉかなぁ~  と気弱なことが頭をかすめた半素人根性むきだしの甘ちゃんな自分に、

いゃ、ここでひるんではいけない、せっかくだから写真は載せたい、
曲がりなりにも、自分は物書きの端くれ (のつもり) だよ?
こうなったら、申請書でもなんでも書きましょぉ   

と、こうなる前に電話で確かめとくべきでしょー、なことなのに、秘かに燃えました。   

( ちょっと補足しますと、ちゃんとしたものに載せる事を前提とした正式な取材でない限り、何かについて関係各位に電話等でお訊ねする時など、
自分が書いているとか言うと、何となく大袈裟になってしまい面倒なことになるため、極力何かについてお聞きする時も個人が趣味でやっているブログということにする (ホントにその通りですし) か、
たいていの場合はブログに書くということも伏せて、ただ一般的な質問だけをしたりするようにしています。
意識は別として自分はプロではないというのもあるし、手続きが面倒ということではなく、あくまで、特に必要のないことはさらりと済ませたいだけなのです。
それが今回のやり取りで、ちょっと変な感じになってしまったので、誤解されませんようにお願いできればと思います。 )



 それでは、その申請書を書いて申し込みたいのですが、と言うとそばにいた若い女性職員の方が、それなら私がご案内しますよ、とおっしゃってくださって、
職員の方について、明治学院記念館の中に。

「1階は歴史資料館になってますので、よかったら後でご覧になってくださいね。」(親切ぅ~)
「はぃ、そのつもりです。 

自分の出た小学校や高校にもあったような、支柱に丸い木の玉が付いたような、ちょっと懐かしさを覚える黒光りした古い木の階段を上っていくと、
二階に、先日電話でお話しさせていただいた 「学院長室」 が。
( キャー、ドキドキ・・・    )

と、思ったら、会議のため留守をしているという張り紙が。

仕方がないので、遠方なので帰宅したら学院長室に電話をして聞いてみて、申請書を郵送してもらって、記入して送り返すことにします、と申し出ました。


そして、ついでに 
「ベルシバ」 という名前の学食のようなものが昔あって、何か高校と大学の間みたいなところに建っていたらしいんですけど、今はもうないと聞いたんですが (総てネットや雑誌等による情報。来る前に色々調べた)、どのへんかわかりますか?
と聞いてみた。

そして、実はこちらの学校を出られたアルフィーのファンで、先日の名誉卒業式に当たらなかったので、一度学校に来てみたかったので、いい機会だからと尋ねてみたのですが、
そのベルシバという学食にメンバーがよくたむろしていたと聞いたので、せめてどの辺にあったか知りたいんです。(おずおず・・・)

「ああ、そーなんですかぁ? ニコッ。 でも、残念ながらよくわからないです・・・。」

そうですか、それは残念です。仕方ないですよね。
では、資料館見せていただいて帰りますね、とその感じのいい女性とは別れたのですが、


 歴史資料館をいろいろ見ていたら、なんと  

先ほどの女性が入ってきて、 「ベルシバ、わかりました 」 とおっしゃるではないですか。 

そうして、窓のところまで行って
「あのあたりに10号館という建物があるんですけど、ここからはちょっと見えにくいかと思いますけど、ここをこう行くとあるので、
その建物の入り口のあたりが少し広くなっていて、どうやらその辺だったのではないかということです。」

と、外を指さしながらとても親切に教えてくれるではないですか。

「うわぁ、ありがとうございます。嬉しいです、行ってみます 」  
感激で胸がいっぱいになりながらお礼を言いました。

名誉卒業式に申し込むにあたって、明学みたいな格調高い大学、私なんてとてもとても行けやしないわ 

なんて思ったりもしたけど、  

明治学院の職員さんたちみなさん、 なんて親切なんだぁ~  
                    

( さすがは、アルフィーの3人の出た大学ですね。(^_-)☆ ) 



歴史資料室には島崎藤村関連のものもある、と聞いていたように思ったのですが、
私の勘違いか見落としか、特にそれらのものがあったようには感じられなかった気がしますが、

明治学院の建物を、1890年、1950年、1985年、2008年の頃のものに再現したというミニチュアの模型が飾ってあって、それが一番面白かったです。

こちらは、持ち帰った 『明治学院 歴史資料館』 というハンドブックの中に載っていた、その模型図の載ったページを写真に撮らせていただいたものですが・・・(もちろん、実物を写真に収めてなんかいませんので念のため)


 1890年頃、島崎藤村の学んだ頃の明治学院風景だと、模型のところにも書いてあったので

 うわぁ~、これがそうなんだぁ~   と見入ってしまいました。

『桜の実の熟する時』 に描かれている、当時 “煉瓦造2階建”の建物 だったという現在、明治学院記念館となっている建物は、
おそらく写真右手の方に並んでいる、校庭の反対側手前の、緑の屋根に茶色い建物がそれっぽいです。(1950年ころから現在は二階部分は白いペンキ塗り)

まだ、校庭や中庭などが広くて、緑が多い感じですよね。

藤村がここで勉強したのだと思うと、感慨もひとしおでした。  


そして、もう一つの注目は・・・

 1985年ころの学院風景で、時代別4つの模型の中では、一番アルフィーのメンバーが通っていたころに近いものです。(高校入学の1970年~一番長いタカミーで1981年まで在籍)

かなり現在に近くなってきていますが、現在よりまだ建物が少なく、高校の校庭と思われるものがあり、中庭も広いのと、

なんといっても嬉しかったのは、「ベルシバ」 のあたりにあった、アルフィーがよくたむろしていてギターなどを弾いていたらしいというベンチのあった場所が再現されていて、屋根の隙間から学生たちが座っているところまでがわかったことです。 

うわぁ~、ベルシバだぁ~   アルフィーだぁ~      

と、勝手に、ベンチにいる人々をアルフィーのように思いこんで、ニコニコしながら何度も何度も見入ってしまいました。   

模型としても当時に一番近いので、アルフィーのころの歴史を感じるのに一番でした。


この写真で、手前の緑色の屋根 (記念館とインプリ―館) の横にある白い小さな建物、
から延びている赤い屋根と水色の屋根の、どちらかがアルフィーがたむろしていたベルシバの外ベンチを覆うように立っていたテント型の屋根だと思います。


こちらはチャペル (右手前の緑の屋根) の裏手、左奥に広がる 「明治学院高校」 の白い建物と中庭あたりと思います。

この中庭で、高1の学園祭の時、タカミーがド派手な格好で真っ赤なエレキをかき鳴らし、ものすごい高音で歌を歌っていたのでびっくりして、  
ゼッタイこういう奴とは友達にならないタイプだと思ったと 
同じく高校から明学に通っていたのちの桜井賢は語っています。 

その後高3の学園祭でも、アルフィーの前身であるバンド、コンフィデンスに加入したばかりの、当時都立隅田川高校に通っていた坂崎幸之助も、
明学の学園祭を見に行って (おそらく、コンフィデンスの学園祭の出し物に参加しに行ったのでしょう) 中庭でロックを演奏する高見沢を目撃しているそうです。

その時の第一印象はあまりよくわかっていません。(二度目に、二人が大学に進学してから再会?した時のことはよく聞きますが)
どんな印象を持ったか、ぜひ知りたいです。



そんなこんなで、当時の島崎藤村とアルフィーに思いを馳せ、  
「ご自由にお取りください」 と書かれた学院資料などをいただいて (ちょうど入館する時に退場される方一人と入れ違っただけで、見学者がほかになく、1人でゆっくりじっくり見られたというせいもあり)、
ホクホク顔で資料館を後にしました。   



教えていただいたので、さっそくベルシバ跡地らしき場所を訪ねてみました。

 写真右手奥にちいさく見える白い建物 (10号館) の辺が、学食(カフェ) 「ベルシバ」 のあったあたりと思われます。



その前にあるベンチ広場が、アルフィーのたむろしていたと言われるベンチ付近かなぁーと思われ、
当時は、赤いコカコーラかなんかのベンチだったそうです。

しばし感慨にふける。  

このあたりから、ちょうど奥の方の学院創設者のヘボン博士の胸像を見に行こうと思っていると、
向こうの方から戻ってきた人が一人、また、胸像を見入っている人が一人見えました。 (時間は前後するかもわかりません)

さきほど、チャペルの中で一緒に礼拝に参加していた方々で、ひょっとしたらアルフィーファンの方かもしれないと思っていた、まさにその方々でした。

タカミーのバースディ・コンサートに泊りがけで参加して、翌日に明治学院を訪ねてみよう、だなんて私と全く同じことを考えている地方の人だろうなぁーと思うと、
なんか嬉しいような、ちょっとこそばったいような気分でした。   


 1863年、明治学院の前身となる英語塾を横浜にて開校し、のちに明治学院初代総長となる J.C.ヘボン氏(学院創設者) の胸像。
3号館奥の、大学側校舎の方の中庭の正面にあります。

この辺まで来たら、大学の校舎の方は学生さんたちが大勢いる感じだったし、入りにくそうだったので、行ってみなくてもいいや、と思ってやめました。
だいたい、主だった見たいところは見られましたし。 

ここでもう一度トイレに行きたくなったので、3号館のトイレに入りましたが・・・ 


 あとで 『歌のあとさき』 の卒業式の場面をもう一度見直したら、この3号館 (こちらも大学の建物だそうですが) が写っていたので、びっくりしました。

ちょうどタカミーが3号館 (後ろの建物) の前を通って、卒業式の行われるチャペルに向かおうとしているとき、


在校生の一人がタカミーに駆け寄りサインをせがむのだが、タカミーがこれに応じてくれ、嬉しそうにしている少年と、それを少し抑制?しようといている警備員が写っていましたが (ギターを抱えているので音楽少年だと思われるが、まさか、作ってないよね?  書いたりとかしてると、何でも疑ったり深読み、裏読みするクセがついててゴメンなさい・汗)、

二人の遥か後ろの方に見えているのが、ヘボン博士の胸像のある大学前広場だったので、
なんとなく、大学を見に行ってからTVを見ると、今まで見過ごしていた箇所が、あっ、あそこだぁ~  
と思えてうれしかったです。     
 



最後に、明治学院高校の校舎と思われるところをしげしげと眺め(右手の白い建物)、
少年時代にここで学んだタカミーのことを想いました。   きらん…

左手の木立の中、街燈の後ろに見えるのが島崎藤村の校歌碑です。


当時、タカミーが学園祭で熱唱していたという中庭は、厳密にはわかりませんでしたが、このあたりなのかなぁーと思いを馳せました。


 こちらは、明治学院のサイトに載っていた学院マップをコピーし、自分で着色したものを写真に撮らせていただきました。 

小さくてわかりづらいですが、ピンク色の部分が、今回尋ねさせていただいた建物の数々で、青い部分が、旧中庭近く (左手ですが実際は先ほどの写真のように、現在はA明治学院高校前の、図でいうと窓のついた建物のたっているあたりかもしれません) と、 右手ベルシバ跡地 (E10号館あたり) の、ベンチ付近です。
図の、右手写ってない部分が、主に大学側の敷地になります。


 
 このあと、行きはタクシーで、しかも気をもんで景色見るどころではなかったので、
帰りは 「ああ、タカミーもここを歩いたんだなぁー」 と思いながら、品川駅まで歩いてみることも考えたのですが、

たぶん当時とはずいぶん面影も変わっていると思われたし、色々見たり想いを巡らせて (遅刻して大騒ぎ、大走りもしたし ) ちょっと疲れちゃったし、

ちょうど駅の方に向かう都営バスが、学校の門の真ん前に止まるらしく、学生が待っていたので、バスに乗ることに決めました。 

バスが思いのほかすぐに来たので、そういえば門のところを撮っていなかったワ  と思い出して、振り返りざまにあわててとったので、学校のプレートもよく見えず、変な写真ですが・・・ 



さらば、憧れの明治学院、聖地巡礼の旅。   
 

大学には、だいたい2時くらいまでいたでしょうか、バスの中では、このあたりをタカミーが通ったんだなぁーと
おそらくあの頃よりは、すっかり近代的な街並みとなったであろう白金を見ながら、
満足感と疲労とでぐったりとシートに座り込んでいました。   
 







【 注 】
1. この他明治学院には、ほぼ1904年制のもので大正時代の礼拝に使われていたという、2段手鍵盤と足鍵盤、19ストップの大型リードオルガンもあり、明治学院120周年を機に修復され、現在は明治学院記念会内の小チャペルにあるそうです。現在演奏できるオルガンとしては国内では最大で最古のものだそう。( 以上学院のサイト、「明治学院文化財ガイド」 参照。ガイドブックには写真付で紹介されています。)

2.島崎藤村作詞の明治学院校歌・・・これについては少し詳しく書きたいので、長くなりますので近々別の箇所に書きます。すみません。  

その他
 明治学院 「大学礼拝」(チャペルアワー)
学期中毎日 (白金キャンパス、横浜キャンパスともに) 学内チャペルにて 12:35 ~ 12:55 に行っているもので、
オルガンの前奏から始まり、聖書に基づくメッセージ (奨励) を聞いて、心を落ち着かせる時間です。
どなたでもご参加いただけます。(クリスチャンか否かは問いません)

と、明治学院大学のサイトの説明には出ています。
大学在学生及び職員などの大学関係者外の一般の方の参加ができるそうです。

アルフィーのメンバーがたむろしていたとうわわされる、学食(カフェ) 「ベルシバ」(ベール・シバ) について。
その後、大学校友センターに問い合わせたところ、名前の由来は、地名の 「芝」 ではなく、聖書の創世記に出てくるアブラハムの住んでいる地名 「ヴェール(ベール)・シバ」 から来ているようです。
ただ、キャンパス内にあったのだけど、外部の方の経営しているカフェだったので、それ以上の詳しいことはわからないとのことでした。 (なので、 「マスターの名前説」 も、ご本人のジョークとは断言できないかも・笑)
ちなみに、通称は 「ベル・シバ」 と皆さん呼んでいたようなので、 「ベル・シバ」 でいいとのことです。



【 補足 】
 明治学院訪問に関するブログ掲載について

帰宅後に学院長室にお電話にてお聞きしましたところ、先日電話に出てくださった女性職員が対応してくださって、
個人のブログ程度であれば、わざわざ申請書を書いて申し込まなくとも良いとのことでした。
写真も載せても大丈夫ということでした。

今までの自分のやり方ですと、ブログの対象になった方に内容を読んでいただいて間違ったことや書かれて困ることが書いてないかなどをチェックしていただき、申し出があれば直す、という方法を取っていましたので、明治学院様の方にもそのようなことをお願いしましたが、
沢山ある個人のブログをいちいち管理しきれないということだと思うのですが、個人のブログに関しては特に申請も検閲も意見もしないということでしたので、
あとは書いた本人の良識に任せるということだと判断させていただきました。

せっかくですのでブログのタイトルはお伝えしておきましたので、目を通していただけると嬉しいなとは思いますが、
私が心配していたような、大学の内部に関してここまで詳しく書いちゃっていいのかなぁー、みたいなことに関して、特にいいとか悪いとかの回答が得られなかった (内容に関して関知しないということ) ので、それも自己判断に任せていただけるものと解釈させていただきました。

 キャンパスマップや文化財の写真などはすべて 「明治学院のサイト」 にも載っているものですので、自分で写真に撮ったものを特に公開してはいけないものではないと思いましたので、このままブログに掲載させていただきます。

内容に関しましては、不明だった点は質問して直したので、間違った内容は書いてないと思いますし、
大好きな島崎藤村とアルフィーに関することなので、つい熱が入り詳しくなってしまったものとして、学院様、読者の皆様にはお許しいただければと思います。 






当学院歴史資料館にあり、持ち帰り可能だったので、
憧れの明治学院の資料ですので、喜んで全部いただいてきてしまいました。 


本ブログは、これらの資料 (特に「文化財ガイドブック」「歴史資料館」ガイド等) と、明治学院サイトを参考にさせていただきました。重ねてお礼申し上げます。


右の 「島崎藤村の写真入りのものは、長野県小諸市 (藤村が教員として赴任していた町で、藤村第2の故郷、こちらにも藤村記念館もあるところ) と明治学院との協働連携事業について紹介しているリーフレットです。

藤村の生まれ故郷のKよりも事業が盛んなようで、羨ましいです。


※ 写真は、全てつたない腕ながら自分で撮りました。  
TV画面や資料に掲載されていたものに関しましては、転載ではなく、資料を写真に撮るという方法を取らせていただきました。(出どころはその都度明記)




   リキ入って、自分でもビックリ   の、ものすごく長くなってしまいましたが、 
こんなにも長いものを、ここまで読んでいただきまして、どうもありがとうございました。    


また、明治学院大学にてお電話で対応してくださったり、校内で案内をしてくださった職員の方々には大変お世話になりました。
ご親切にしていただきましてとても嬉しかったです。 
この場をお借りしましてお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。 








THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編2. いよいよ聖地巡礼・その1 ~

2014年06月05日 | THE ALFEE、Takamiy
なんだか、間にちょこちょこと違う記事が入っているため
(アルフィーの話題ばかりが続くと人によっては辟易するかもなぁーという配慮だけではなく、事情があり次の記事をUPするまでの間が空くなぁというときに、 「ツナギ」 で入れておく、という意味もあるのだが、姉が来たり、店の仕事が忙しかったりで、思うように進まないこと、多々あり) 
このシリーズの文章、どこまで書いたか、何が書いてあったか、書いた本人でも忘れていて、また読み直したりして、さらに遅くなっているのですが・・・  こーゆーのを “悪循環” という・笑。





さて、アルフィーの名誉卒業式ご招待に当たらなかった私だが、

当たらなかったけど、当日同じ時間に明治学院に行ってしまおうかな~、と思いつき、
大学サークルの後輩、コムに相談してみたところ、もうちょっと考えてみてね、と言われて、即刻思いとどまった、

という話を前回書いた。



その時のコムのメールに実はもう一つ書いてあったことがあって、それは

「 私たちの出た和光と違って、普通の大学は門のところに守衛さんがいて、部外者が自由に出入りしたりできないと思うの。 」

ということだった。 
( と、ここでいきなり大学名がW大からほんとの名前に変わったのだが(笑)HPにははっきりと出身大学名を書いてあるし、アルファベットと漢字の混ざった伏字にするのが、だんだん面倒になってきたからで、これからはわかり易くほんとの名前で行きます。宣伝も兼ねて。 ← なんの!?・笑 )
 

そうだ   忘れていた   

和光大学というところは、ちょっと変わった大学だと以前書いたが、その中でも特に面白いのは
・入学式、卒業式などの 式典はやらない。
・「地域に開かれた大学」 を目指しているため、校門がない。 など・・・  ※(注:後述)


そう、つまり、普通、大学 (とは限らず学校という所) には校門がある。
そして、校門には守衛さんがいて、外部の人間が簡単に学内に出入りできないようになっている。( 特に女子大などは厳しいと思う )

というのを、あまりにも和光の方針に慣れていたため、すっかり忘れていたのである。 


前回、名誉卒業式ご招待には当たらなかったけど、当日同じ時間にこっそり行っちゃおうかな、と思いたった時、

でも、「中に入れなくても外で待っているだけでもいいから、同じ時間を共有したい」 といくら自分では思っていても、
当たってもいないのに行くのは、 当選した人やスタッフに、ずうずうしい人だと白い目で見られるかも。
それよりも、当選してないんだからこんなとこにいられても困りますと、きびしく追い返されちゃったらどうしよう。  
都内とか、近場の人ならいいけど、 遠く信州のKくんだりから4時間もかけて行って追い返されたりでもしたら、時間とお金がもったいなさすぎるし、何より、悲しすぎる・・・。 


と、自分でも迷ったのだが、コムの言うのは、

そんなことより以前に、大学の敷地自体に外部の人間がそう簡単に入れないのではないか、ということであった。

「もし、学外 (校門の外) でもいいなら話は別だけど。」

 うーむ、どのくらいの広さのキャンパスかはわからないけど、せっかく行くんだから、チャペル内はあきらめても、校門の外ではちょっと悲しいよな。
せめて、学内の、チャペルのそばの外、くらいにはいたいものである。


まあ、そんなことも考えてはみたものの、結局、
大学に迷惑がかかったり、何より、もしもそのせいでアルフィーが悪く思われたりしたら嫌じゃない?

のコムのひと言で、即刻行くのを断念した私なのだが、



そのとき、名誉卒業式当日には行かれないとしても、
 
ずっといつか行きたいものだと思いながら、なかなかその機会がなかった(思い立てなかった)、
アルフィーと島崎藤村のふるさと 「明治学院大学への聖地巡礼」 には、

いい機会だから、 近いうちにゼッタイに行こう    

と、固くココロに誓ったのである。   



そうだ   名誉卒業式という、素晴らしい行事には行けなくて本当に残念だけど、

もしも 「聖地巡礼」 という目的のためだけについて考えたなら、名誉卒業式のように、時間や場所、行動範囲が限定されている (おまけに他のファンの方も大勢いる) 時よりも、

自分の好きな時に 1人(または二人) で行って、好きなだけ見たい場所を見て、好きなだけ感慨にふけってくるほうが、どんなにいいかしれない。

それだけ自分にとって思い入れの強い場所なので、
訪問するというだけで考えたら、そのほうがむしろ、いいではないか 

( そうだわ、神様は私に、単独の 「聖地巡礼」 をさせるために、私を名誉卒業式に当ててくれなかったのかもしれない。 
思い込みの激しい自分は、ついには、そんなことまで思って、この秘かな計画に燃えた・笑。  )


そして、 「学校」 というところは、
なぜか外部の人間が行くのにけっこう勇気のいる場所であると自分では思っているので、

そんな風に 「ゼッタイに聖地巡礼に行くワ 」   きらん…

と決意したものの、やっぱりちょっと勇気が出なかったので、


名誉卒業式ご招待には落選したけど、当日同じ時間に明学に行っちゃおうかなぁー、
・・・でも、やっぱしやめる。
その代り別の日に明学を訪ねて 「聖地巡礼するわ」 と落選した3月17日、その日のうちに決めて、

「ついてはコム、学校ってところに一人で行く勇気がないので、その時にはよかったら付き合ってね?」 

と、予約まで入れた。  


さすがは長年の付き合い、心得たものかコムは、 「はいはい…(^^;)」 のタイトルで、

行くときには、学内に入れるかどうか、せっかく遠くから出かけて、行ってみたら中に入れなかった、というのでは悲しいから、事前によく調べておいてね?

ちなみに、外部の人間が確実に自由に学内に入れるのは、 「学園祭」 の時と 「オープンキャンパス」 の時です。 

と、昨年、一人娘が大学受験するにあたって、何校かのオープンキャンパスに付き添ったという経験のあるコムは言った。

さすが物知りである。



さんざん経験者コムに脅され? すっかりピビリまくった自分であるが、   

いくら自由に、簡単に大学に入れるとはいっても、目的が違うので、学園祭の時だけはなんとなく嫌だと思ったので、

とりあえず今年度の 「オープンキャンパス」 の日程を明学のサイトで調べてみたが、日程的に行けそうになかったうえに、
やはり、明学を受験する人のために設けられている、説明や体験を兼ねた受験生のための行事に、自分が行くのは変だろう、と思った。


やはりここは大学の窓口に、事前に目的をきちんと伝え、学内を見学できるか聞いてみた方がいいだろう、と思った。


それで、できるだけ早いほうがいいと思ったのと、自分の場合は “上京したついで” の時になるから、

聖地巡礼の日は、タカミー・バースディコンサートの翌日、4月18日にしよう、と決めた。    



それで勇気を出して明治学院大学に電話をしてみる。  

そちらの大学に入学を希望する者でも、その保護者でもなくて普通の一般の人間だが、大学の見学などはできるのかというのを、まず総務課に聞いてみたところ、

明治学院には、礼拝堂 (チャペル)、 明治学院記念館、インプリ―館などといった歴史的建造物 (文化財) があり、それを見学したいということであれば、
都の東京文化財ウィーク期間 (毎年11月上旬) の3日間、文化財内部を一般公開 (建物内部に入れる)  しているので、その時はどうか、とおっしゃってくださったので、

実は、そちらの学校を出られたアルフィーのファンだが、先日の名誉卒業式に当たらなかったので、せめてメンバーの方が出た大学がどんなところか、前々から一度訪ねてみたかったので、
いい機会なので思い切って見学に行けたらいいと思っただけなので、文化財の建物は特に中に入れなくても、外から眺めるだけでいいので、
自分の予定する日に大学を訪ねて、キャンパス内を歩いたり、建物を見たり、写真に撮ったりなどできないでしょうか、と聞いてみる。
 
総務課でも二人の職員の方に代わったのでその都度同じようなことを説明しなくてはならなかったのだが、
そういうことならと、最終的に 「学院長室」 につないでくれ、そちらの女性の職員の方が色々と親切に対応してくださった。  

( そうか、最初からアルフィーのファンだっていえば話が早かったのかな、と今これを書いていて思ったのだが )、

その方がおっしゃるのには、明治学院では毎日12:35 ~ 12:55の時間で 「大学礼拝」 というのを行っていて、地元住民の方など一般の人間も参加でき、しかもチャペル内にも入れるので、
もし時間内にいらっしゃれるのであれば、そちらに参加されるというのもいいかと思います、とまで言ってくださった。
( 門の守衛には 「大学礼拝に来た」 と告げれば中に入れるとのことだった。 )


文化財ウィークの一般公開日ではなくて、タカミーが大好きだったという憧れの明学チャペル内にまさか入れて、
しかも 「礼拝」 も体験できる などという、こんなチャンスを逃す手はないと思ったので、  

キリスト教の 「礼拝」 って過去に一度も参加したことがないので、どんなことをするのかなぁーと、ちょっとドキドキものではあったが、

その時間帯に合わせてキャンパス見学に行こうと決め、その日を心待ちにした。  


( 学長室の職員の方には、他に当学院を卒業された小説家の島崎藤村のファンでもあるので、藤村ゆかりのものがないかも聞き、キャンパス内を写真に撮ってもいいかというのも確かめておいた。
写真は、どこかに公開するということではなく、スナップ程度のものを自分で見て楽しむ程度であれば、在校生を撮ったりしない限りは撮影してもよい (詳細は後述) とのことであった。

また平日の授業のある時間帯にお邪魔するということで、大学にご迷惑がかからないように少人数でひっそり見学させていただくということや、何日に、どのくらいの人数 (自分一人か友人との二人) で見学に行く予定であるということも、誠意をもってお伝えしたつもりです。

他に、大学礼拝時にチャペル内に入れるだけでなく、明治学院記念館の中にある 「歴史資料館」 は常時一般公開されているとのことだったので、そちらの見学も楽しみにした。

もちろん、事前に大学のサイトに行って下調べをし準備も万端、 
キャンパス内のどこに何があるかの 「キャンパスマップ」 と、大学にどうやっていくかの 「アクセス方法のページ」 をプリントアウトして、聖地巡礼の際に持っていくのも忘れなかった。  


※ 一緒に見学に行ってくれるはずだったコムは、少し前からご実家のお父さんの検査などで病院通いに付き添っていたので、無理しないでねと言っていたのだが、私が上京する前日に緊急入院されることになり、なおのこと行けないことが確定したので、けっきょく自分一人で行きました。 ) 



     
     * * *   * * *   * * *   * * *   * * * 




さてさて、そのように

4月17日に、タカミー生誕60周年記念バースディ・コンサートと、翌日にはいよいよ明治学院大学への聖地巡礼という、 二大ビッグ・イベント  にドキドキしながら上京した私ですが・・・

タカミー・バースディコンサートは、先にも書いたように素晴らしく感動的にお祝いすることができました。


次の日、
コ○○○○○○・オーシャンビュー  なお部屋から眺める、たゆとう春の海と、
左の眼下に見下ろせるパシフィコ前広場の、あそこに何時間も並んでタオルをGetしたんだなぁー、コンサート素敵だったなぁー、などと思いながら、昨日の喧騒の幻影 (祭りのあとの静けさ) とに別れを告げ、

いざ、 「聖地巡礼」へとしゅっぱぁ~~~つ 


まず、最寄りのみなとみらい駅から横浜まで出て、あとは東海道本線に乗れば学校のある品川までは1本、電車での所要時間は約30分だが、途中の移動も入れて約一時間、
品川駅からバスに乗ってもいいが、もし歩いて大学まで行くとしたら徒歩17分、とあるので30分くらい余裕をみて約一時間として、合計で約2時間もみれば余裕だろうと、

12時少し過ぎに大学に着く見当で、10時ちょい過ぎにはホテルを出たと思う。

横浜駅で東海道本線に乗り換えるとき、反対の藤沢や茅ヶ崎方面行きに乗らないようにと気を付けて、ちゃんと品川、新橋、東京行き、という方に乗ったつもりであった。

運よく座れたので 、そのうちに眠ったりしてしまったが、目が明くたびに駅名を確認しながら注意深く乗っていたつもりである。

そのうちに、相模原、橋本、という駅名を見たときは、ちょっと変だなとは思った。
八王子みなみ野を目にしたとき、さすがにヤパイっ  と思って隣りの男性に 「この電車はどこ行ですか?」 と聞いてみると、「八王子行ですよ」 という。

え゛ーーー、やっぱし ガーーーン     

つまり、東海道本線だと思って、横浜線に乗っていたのだ。

自分、大学の3,4年のころ大学 (小田急線鶴川駅) 近くの相模大野に住んでいたので、
実家に帰省する時には、それまではいつも “新宿から” 中央本線特急 「あずさ」 に乗っていたが、
隣りの町田駅から横浜線で八王子に行き、そこから 「あずさ」 に乗った方が近かったので、いわば通いなれた電車だったのだ。
途中の駅名にあれ!?変だなと思ったのはよく知っている名前だったから。


今、東海道本線と横浜線の路線図を見比べてみても、横浜駅から直通で八王子まで行く電車はないはずだが (横浜線の最寄駅は「新横浜」なので)、 
乗り換えもしないで、どう間違ったら横浜線になど乗れるのか。    
それとも、たまに直通電車があるのかな。
これを書いてて思うのは、途中の駅で八王子近くなんかじゃなくて、もっと早くに気づけよってカンジ?
でも、利用していたのは30年も前のことだからね、かなり忘れちゃってるよ~。(途中寝てたし) 


まあ、そんなことはともかく、その時は考える余裕など、もちろんなく、  
「自分では横浜から東海道本線に乗ったつもりで、遅くとも12時半少し前までに品川に着かないとならないのだ」 というと、

とにかく八王子まで出てしまって中央線で新宿まで戻り、山手線で品川まで行くしかない、と隣の人も言うので (自分より少し年配の、とても親切でジェントルマンな方だった。そして、よく眠っていたから、それもいいんじゃないですか?  とも言われたが・・・ じょぉーだんぢゃぁ、ないよぉー )


そーだよなぁ、それしかないよな、 とほっ  
せっかく、余裕で着くハズだったのにぃーーー     

エーン、自分、なぁーんでいつも、こーなるかなぁ。      


ってカンジで、あとはもぉ、ひたすら アセリ 、乗り継ぎの構内を走り 、間に合うようにと祈り 

品川駅についてみたら、なんだ、来たことあったじゃん (おととしの夏、新横浜でフレンズ・オン・アイスを見た後に品川プリンス・新館に泊まって、翌日新幹線で静岡まで行ってタカミー・ソロコンに参加したのだ。何かとタカミーがらみの品川) と思いながらタクシーを飛ばし、

乗りながら、ここ、歩いたら相当遠いじゃん 、と思いながら、
あ゛あ゛あ゛ーーー、もう、完全まにあわにゃい・・・    とココロの中で泣き、


門のとこにいた守衛さんに大急ぎで 「大学礼拝」に参加しに来ました と告げ、 
 


おおっーーー    

目の前には写真やテレビなどで何度も見た 憧れの明治学院のチャペル が、
どっ・どっ・どぉーーーん  と厳かに建っていたのでした・・・  





と、感慨にふけるマもなく、石段を駆け上り・・・  

・・・えっと、チャペルの 入り口ってどこだ      アセ、アセ・・・








 THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編2. いよいよ聖地巡礼・その2(最終章) ~  へと続きます。








今日から6月・・・

2014年06月01日 | その他 色々
ぎゃぁーーーっ!!!  


どーしよぉ     


計画が、計画が・・・   



おまけに、つい最近までストーブを愛用していたのに・・・、

トツゼン35度の真夏日   


あづすぎて、ぐったり・・・   



どーしよぉ   

にわか扇風機回して、アイスで涼を取るも、

アセッてるわりにゃあ、 
なーーーんもヤル気がわきませぬ、日中。  
( 午前中は色々、家のことはちゃんとしましたが )

特にPC回り、熱こもってアヂィんだよねぇ~。 




そういえば、クイズの答えをば。 


親の家の中にある、古くて珍しいもの、さて、なんでしょうか。

【 1 】

これは、わかりますね? 

 「箱階段」です。階段の段差を利用して、引き出しや戸棚がついていて、階段が物入れにもなるというスグレものです。 
ただし、階段は段差が大きく、年と共に上り下りがしんどくなります。 

子供のころはここを飛ぶように昇り降りしてましたが・笑。  

【 2 】

ヒント:食べ物を入れるものです。  「米びつ」 です。


今は、家族が両親の二人だけなので、少量ずつおコメの袋に入ったまま、他にもち米なども入れているようですが、
子供のころは4人家族で、直接普通のお米が沢山入っていました。

 【 番外編 】・・・ 食べ物を入れるものなので、この中には、当然入ってはいけません。(米がじかに入っていたので、なおさらです)
子供のころ、面白がって入って遊んでいたら、母に叱られました。  

そのとき、私が母に言った一言とは、なんでしょうか? 「じゃあ、○○○○○る?」

 「じゃあ、アイスくれる?」 です。

1回目、母に注意されても私が出なかったので、業を煮やした母が 「アイスあげるから出なさい」 と言ったんだと。

数日後、再び米びつに入って遊んでいた私が、再三注意されてもなかなか出なかった時に、母に言ったそうです。
味を占めたので、またアイスをもらおうと思ったんですね。
子どもですね。(今じゃデカすぎて、尻も入りませんがね。←ウソウソ、尻くらい入ると思うよ、さすがにやったことはないけど。)

昭和40年代は、アイスは今のように日常茶飯事で食べられるものではありませんでした。冷凍庫なんてものもなかったし。
私の家はお店でアイスを売っていたため、普通の子どもよりは手に入りやすい環境にありました。
なので、子どもの教育上?お菓子を簡単に食べられないようにするための、我が家にしかない決まりが色々ありました。

子どもの頃、姉はおとなしくて言いつけをよく聞くお利口な子供だったそうですが、
元気でお転婆だった私は、よく言えば好奇心が旺盛で大人は困るらしいことをしてみたり、口が達者で減らず口をたたいたりしたようです。   

うーむ、 三つ子の魂百まで。   

( 他にも、幼少期の逸話は多々ありますが、またいづれご紹介しますね。先日の、危うく屋根から落ちそうになった事件の詳細についてもまた今度ね。えっ!? 知りたい??? )

【 3 】



さあっ  どうだっ。

1階の天井 (つまりは2階の畳の下) についているもので、2階で使うものです。
ヒント:たぶん、寒冷地ならではのものです。

 「掘りごたつ用の灰受け」 です。

掘りごたつは、畳の下に灰受けを掘り、その上でマメタンを燃やして暖を取る炬燵です。
畳は、掘りごたつに合わせて、正方形に抜ける小さな切り取りがありました。 ← わかるかな?

地上から出ている部分は、電気こたつと同じ式の形のものです。暖かい部分が上についている(電気)か、下にあるか(堀炬燵)の違いですが、
寒冷地はマメタンを燃やすくらい強い火が必要ということですが、電気こたつが出る前の炬燵は、みな、マメタンだったと思います。

ちなみに、2階で堀炬燵は、私が知っている限りでは使ったことはありません。
2階だとマメタンや灰の始末などが面倒なため、電気のストーブやこたつを使っていました。




さてさて、

突然の真夏日にぐったりですが、信州 (K) のいいところは、夕方になると涼しくなることです。

でもその頃には、もうあまり時間がありません。  



昨日も書きましたが、でも、また明日から頑張りますね。   

応援していてください。