トーキョー・リゾート、第一日目、
まず、同期会ですが、
W大児童文化研究会 (児文研) の同期、「くれよん」 の会は、男女5人ずつの10人でしたが、昨年Awが亡くなり、Oが外国在住のため、全部集まれても8人なんですが、7人集まりました。
すごいでしょ、この結集率。 v(^_-)☆
まず、23日の集まりに、関東だがやや遠方で、朝の早い食品製造業を営んでいるために、Dが昼しか参加できないとわかったため、急遽 「昼の部」 も作ったので、 「夜の部」 と両方参加の、Ap、I、と私は、ほぼ一日一緒にいたのですが、
一期下のCと二期下のコムにも連絡、付き合ってもらって、6人で、
もぉ、30年のブランクがうそみたいに、終始笑い転げ、レストランでも電車の中でも、大騒ぎ、
ほんとーに楽しかったです。
まず、11時半に、JR上野駅、上野公園口改札に集合、
最初は上野動物園にでも行こうと思ったのだが、先にお昼を、とゆーコトで、
なんと、お昼を食べるためだけに 、 入館料600円払って(女子はDのおごり) 「国立科学博物館」 内のレストランへ。 (Dのおススメなの・笑)
これは、科学館展示物にちなんだ、名物 「恐竜の足跡」 型のハンバーグです。(Dと一期下のCが頼んだ。)
私たちは、とろ~りオムライス(セット)を。
並んで待っている時間と、食べている時間、近所迷惑も顧みず、異様に盛り上がり、
Dが3時までしかいられないというのに、ほぼ、待ち時間とレストランでしゃべくりあっているだけで、時間が終わってしまった。
★同期 「くれよん」 メンバーと、一期下のC、二期下のコムです。 ( 以下写真総て、ご本人掲載許可済みです )
昼の部は、Dを入れてくれよんは4人しか集まれなかったので、ちょぃさみしかったので、急遽ケータイアドレスを知っていた二人に頼んで来てもらいました。
( コムとは、昨年『新堂本兄弟』公開収録で一緒になって以来、夏にも会ったりして、たまに連絡を取り合う仲で、翌日も一緒にお芝居を見る約束で、くれよん同期会のあることは 前々から知っていた。Cは、年賀状に、「コムとはたまに会っているみたいだから、今度来るときは連絡ください」とあったので、私に会いたいのだ、と勝手に解釈した・笑。コムとは同じ文学パート、Cとは全体運営委員会、というので苦楽?を共にした仲でもあります。子ども会パートだったので、IやApとも仲良しだし。)
後列左からAp、C、D。 外見はDが一番変わってないです。頭が単細胞だからか。
在学中、よく 「Dとジャレの幼稚園ゲンカ」 と言われていたが、ってコトは、私も・・・。( ちなみに 万葉集ゼミでも、 「Oくんとネコタの幼稚園ゲンカ」 と言われていた私って一体!? )
前列左からI、コム 科学博物館の中庭で。
前列真中が私ですが…。 ひょっ、えぇ~~~
なんと福々しいのでしょうか。
実はIとコムは、「ご飯(す○○)シリーズのあだ名」 で、学生時代はぽっちゃりしていたのです。
それが、すっかり逆転しちゃって・・・
Iなんて、苦労が多くてやつれちゃった?のか、私の半分、しかないよ~。 ( でも、本人は真面目なんだけど、ちょーおかしい“I節”は、健在。 )
ってコトはさぁ、私は苦労が足りないってコトか。
でもね、ちょっとだけ言い訳すると、ゆったりと裾が広がっているコートなせいもある、と思うの。
ここで、Dは時間だからと、そそくさと帰ってしまいました。 Dよ、ゴメン。
ああ、なんのための600円か、女子の分まで出してくれて。
もったいないので、館内を少しだけ見て、その後は上野公園内をぶらぶら。
お天気がよく、真冬のKと全然違って、Kからしたら春のように暖かくてよかったです。 ← 幹事の行いがいいからか。 えっへん。
回りを整備中の 「西郷さん」 も、やっと探し当てました。(^^)v お上りさんなので、記念撮影。
もちろん、初めて見たワケぢゃぁ、ないっすよ。美術館や劇場があるので、上野公園、たまに来るし。でも、西郷さんは30年ぶりかも!?
( Cが、西郷さんの連れている犬が 「忠犬ハチ公」 だと言って私をだまそうとしたが、ふんっ、 いくら私でも、そんくらい知っとるわぃっ。 )
その後、夕暮れの客でにぎわう 「アメ横」 通りをそぞろ歩きながら、せっかく御徒町まで一駅進んで、 「夜の部」 待ち合わせの東京駅まで行こうとしたのに、
なんと 私が、上野駅のロッカーに荷物を預けていたのをすっかり忘れていて、Cやコムに言われて思い出し、仕方ないので電車で上野まで戻って、再び東京駅へ。
その間、Cに、子どもたちを呼んで児童劇を上演した2月公演の際、大道具に「L字型金具を買ってきて」と頼まれた私が、「L字型のねじ釘(フックみたいなやつ)」を買ってきた、という在学中の逸話を思い出して聞かされた。本人も覚えがないのだが、本当に、私のことなのか? (^^;)
そういえば、当時、部内に後輩を中心に 「隠れジャレ・ファン」 なるものがいたらしいのだが、これは、ジャレのファンなどと、恥ずかしくてとても言えないから、「隠れ」だったらしいのだが、なぜ、私のファンだと恥ずかしいのか、意味不明である。
本当にファンだったなら、堂々と名乗ってほしいものであるが。
さて、「夜の部」 には、Ab、F、Wが加わることになっていたのだが、ここで帰る予定のCとコムも、くれよんに会いたいからと、その他のメンバーが来るまで待っていてくれました。
待ち合わせた、東京駅北口改札の構内。 美しい。
修復された 「東京駅」 外観。 どこがどう変わったのか、わからにゃい・・・。
ここから合流した、後列左端 Fと、右端が、Ab。
Abは、帽子をかぶっていたら、30前とちっとも変ってなかったです。体形だけでなく、理論家で上から目線?なため、ややハスに構えた性格も・笑。(なんたって、ブチョーさん、ですからね。)
Cが持っていてくれているのが、モンダイのロッカーに忘れてきた私の手荷物。 人に持たせている私。 ( ←これで2泊分の荷物だぜぃ。我ながら、ちっさ。 でもね、重かったんだもん。 鞄自体が、取っ手が革でできていたりして、素材からして重いの。)Cが持つ前は、手荷物ゼロのApがずっと持っててくれました。(^^;)ゞ
そういえば、時間が長いと思って大きいサイズを頼んでしまったために、お店で飲みきれなくて道すがら飲んでいたスタバの空きカップは、途中から、気がついたらコムがもってくれていたなぁー。
きゃぁーーー、ごめんなさいっ。
皆と別れた後、「ったく、ジャレだよねぇー。ジャレだから許されるんだよねー 」などとCとコムで話たらしぃっすが (同じことをかつてイズミの同期にも言われたなぁ~・汗)、くれよんからも、ジャレは昔からヘンだった、変わってない、といわれる始末・・・。
( 変だな。私、大学くらいまでは、すごくまっとうでまじめな、ごくフツーの人でしたよ。年とともにだんだん変になってきたかも、とゆー自覚は、なんとなくはありますが。(^^;)ゞ )
いや、決して人見知りではなく、初対面の人ともすぐに打ち解けやすいのではあるが、
典型的 「内弁慶」な私は、児文研や、拓とか東京時代の古い児童文学関係 ← 信州の会では新しいし、上の人が多いのでそんなでもないが、イズミ時代の仲間とか、そういう自分のテリトリー内だけでしか自分を出せない、逆に言うと、そういうところに入ると、普段の生活であまりにも自分を抑えて生きているため、とたんに昔に戻ってジの出る私、なのでシタ。(^^;)ゞ ごめんね。
地元とかでは、すごく常識的で、「いい人」なんですよ。閉鎖的な田舎で、個人商店やってますから、常に下出に出て、お客や地域の人を立ててます。ホントです。
くれよんのメンバーだけで。 後列左より F、Ap、Ab 前列左より I、私
( ちなみに、私の服装は、ワンピースをチュニック風に着ているので、下にはズボンを履いてまス。ちょー冷え性なので、真夏以外のスカートのみ、は、ずぇってームリ・笑。 )
宴会をした、丸の内オアゾ (真中奥の丸いビル) と、
仲通りの並木道のイルミネーションが右手に見えます。
このあたりは、近年とても美しく、ロマンチックな街に変身したみたいですよ。
最後にビル内で合流したW。(後列左端) 不手際があり、合流が遅れてしまったの、ごめんね、W。
Cとコムとは、ここで別れました。 前列の二人です。
( こういう時に背後でイタズラをしかけたくなる私。Cのツノはまだ準備中でシタ・笑。 )
二人のおかげで、より一層盛り上がり、本当に楽しかったです。
どうもありがとう。
お料理は、
普段は、話に夢中になるあまり、食いっぱぐれるからイマイチ苦手だけど、大勢なら鍋でしょってことで、「博多水炊き」、などを含むコース料理で、
高級な? 「フグの唐揚げ」 もつきました。
水炊きとか、よく考えたら私って、鳥さんの煮たの、あまり好きじゃなかったけど・・・、
最後に、コラーゲンたっぷり ( ←ここが女子にはうれしい ) のスープを使った 「鳥雑炊 or うどん」 が出て、半分ずつ頼みましたが、雑炊、ちょー、おいちかったデス。
一応、私が司会を買って出て、一人ひとりの近況報告をし ( 今回、参加できなかったHとDのことを伝え、Oはメールでお便りと写真添付をしてくれたので、お便りはその場で読み、写真はまわし)、
そのたびに、大笑いしたり、脱線したり、時に、いい意味でしんみりと聞き入ったり・・・
中には30年ぶりの人もいたけど、そんなことはちっとも感じさせなくて、
やっぱり、4年間、苦楽をともにした仲間なんだなぁー、と改めて思ったり。
( ほんとにね、365日、朝から晩まで一緒にいる、みたいな感じで、大学には部活をしに行っているみたいでした。朝、大学に行くと、まず部室に寄ってから、みたいな。あのころの部室=BOXと呼んでましたが、って、いつ行っても誰かがいましたね。子ども相手のいろんな活動や行事をしたり、勉強会や会議みたいなのがあったり、時に口論したり、今じゃ考えられませんが、みなさん、異様に議論好きでした。←私も、ね・笑、喧嘩したり・・・。 )
やってるときは無我夢中でわかんなかったし、卒業後は忙しさにかまけたり、もう、児文研のみんなとは住む世界が違うのだと思って、ことさら懐かしんだりしなかったけど、
改めて、その重さと価値みたいなものに、気づかされた感じです。
(これも、亡くなったAwが、身をもって教えてくれたのかな。)
このあたりのことは長くなるから、いづれ、ちゃんと、ね。
ほんとは、2時間の飲み放題コースだったのだけど、Abいわく、「土曜のオフィス街なんて、客がいなくて暇なんだよ」、のか、次の料理はちっとも運ばれてこないし、ラストオーダーとかもなかなか言わないから、
結局6時に始めて9時までいて、
最期に、来年からはどうしよう、と言うことも決めて( ここ、重要 )
他の人にまかせると永遠に開かれなくなる恐れがあるからと、仕方ないから多分私が半永久幹事で( 今回、不手際もあったけど誰も文句言わず←いわせねぇ・笑 、皆さん、よくここまでやってくれたとホメてくれましたね。ヨカッタ。 )、
もう、往復はがきはメンドーだから、一斉メールにさせてよ、と言ったのに、なんとー、ケータイメールをもってない人( I、Ab、D←ショートメールのみ )がいたり、
どっか、オサレな、トーキョー新名所でやろうよ、と言ったのに、横浜育ちの千葉県( 東京近郊の都市部 )在住のくせして、Iは、地下鉄ってよくわかんないし乗れないから、もっと東京や上野みたいな単純な場所にしてよ ( え゛~っ K生まれの現在K住人の私でさえどこにでも行けるのに )、とか言われ・・・
でも、もしかしたら来年は、泊りがけで某温泉、になるかもしれません。
皆さん秋がいいって言うけど、ALFEEのコンサートで最初に予定を組む幹事が、秋はツアーで忙しぃんだヨネ。
さて、どーなる!?
( 二次会もありましたが、あの辺て店がなくて、駅ビル内の店は早く閉めるため、探してるだけで時間が過ぎ、やっと見つけた小さな居酒屋 ← の方が、我々らしい・笑、に入ってからは、一時間もなかったかも。残念でした。 )
そうそう、在学中より音楽活動をしていた( 主に作詞作曲。たまに自分でも歌う ) F ですが、
数年前から台湾に活動の場を広げ、現在そこからCDを出したりしていて、
今回、最近出したCDや、彼が地元に一時的に戻っていたころ発表した曲、大学在学中に作った曲などを抜粋して集めたCDを、タイトルのコピーとともに、わざわざ参加人数分作って持ってきてくれました。
「くれよん」 の会の歌(学年会ソング)、というのもあって、入学したころFが作詞作曲した、とてもいい歌も入ってます。← 各学年ごとに会の名前がついていて、学年会ソングがあった。
これが、一人一人にくれたCDと、曲目のコピー。 Fよ、ほんとうにありがとう!!
( いままで、色んな曲をご紹介いただいていたのに、ブログに載せられずにいて、ゴメンなさいね。 )
何十年もずぅ~っと同じ夢を追い続け、それをちゃんと形にしているFの姿には、私も励まされます。
来年は泊りがけで、たぶんカラオケOKの宴会場になるだろうから、みんなで 「くれよんの歌 」や、懐かしの児文研ソング、 いっぱい、いっぱい、心行くまで、うたおぅね。(^_-)☆
早めに連絡するから、アジアのちょっと近い国に転勤になるらしいOも、基本的に土曜昼しかダメと言うDも、そして日曜夜しか休めないという夜勤勤務のHも、
来年こそは、きっとね。
トーキョー・リゾート、その②へ、続く。
まず、同期会ですが、
W大児童文化研究会 (児文研) の同期、「くれよん」 の会は、男女5人ずつの10人でしたが、昨年Awが亡くなり、Oが外国在住のため、全部集まれても8人なんですが、7人集まりました。
すごいでしょ、この結集率。 v(^_-)☆
まず、23日の集まりに、関東だがやや遠方で、朝の早い食品製造業を営んでいるために、Dが昼しか参加できないとわかったため、急遽 「昼の部」 も作ったので、 「夜の部」 と両方参加の、Ap、I、と私は、ほぼ一日一緒にいたのですが、
一期下のCと二期下のコムにも連絡、付き合ってもらって、6人で、
もぉ、30年のブランクがうそみたいに、終始笑い転げ、レストランでも電車の中でも、大騒ぎ、
ほんとーに楽しかったです。
まず、11時半に、JR上野駅、上野公園口改札に集合、
最初は上野動物園にでも行こうと思ったのだが、先にお昼を、とゆーコトで、
なんと、お昼を食べるためだけに 、 入館料600円払って(女子はDのおごり) 「国立科学博物館」 内のレストランへ。 (Dのおススメなの・笑)
これは、科学館展示物にちなんだ、名物 「恐竜の足跡」 型のハンバーグです。(Dと一期下のCが頼んだ。)
私たちは、とろ~りオムライス(セット)を。
並んで待っている時間と、食べている時間、近所迷惑も顧みず、異様に盛り上がり、
Dが3時までしかいられないというのに、ほぼ、待ち時間とレストランでしゃべくりあっているだけで、時間が終わってしまった。
★同期 「くれよん」 メンバーと、一期下のC、二期下のコムです。 ( 以下写真総て、ご本人掲載許可済みです )
昼の部は、Dを入れてくれよんは4人しか集まれなかったので、ちょぃさみしかったので、急遽ケータイアドレスを知っていた二人に頼んで来てもらいました。
( コムとは、昨年『新堂本兄弟』公開収録で一緒になって以来、夏にも会ったりして、たまに連絡を取り合う仲で、翌日も一緒にお芝居を見る約束で、くれよん同期会のあることは 前々から知っていた。Cは、年賀状に、「コムとはたまに会っているみたいだから、今度来るときは連絡ください」とあったので、私に会いたいのだ、と勝手に解釈した・笑。コムとは同じ文学パート、Cとは全体運営委員会、というので苦楽?を共にした仲でもあります。子ども会パートだったので、IやApとも仲良しだし。)
後列左からAp、C、D。 外見はDが一番変わってないです。頭が単細胞だからか。
在学中、よく 「Dとジャレの幼稚園ゲンカ」 と言われていたが、ってコトは、私も・・・。( ちなみに 万葉集ゼミでも、 「Oくんとネコタの幼稚園ゲンカ」 と言われていた私って一体!? )
前列左からI、コム 科学博物館の中庭で。
前列真中が私ですが…。 ひょっ、えぇ~~~
なんと福々しいのでしょうか。
実はIとコムは、「ご飯(す○○)シリーズのあだ名」 で、学生時代はぽっちゃりしていたのです。
それが、すっかり逆転しちゃって・・・
Iなんて、苦労が多くてやつれちゃった?のか、私の半分、しかないよ~。 ( でも、本人は真面目なんだけど、ちょーおかしい“I節”は、健在。 )
ってコトはさぁ、私は苦労が足りないってコトか。
でもね、ちょっとだけ言い訳すると、ゆったりと裾が広がっているコートなせいもある、と思うの。
ここで、Dは時間だからと、そそくさと帰ってしまいました。 Dよ、ゴメン。
ああ、なんのための600円か、女子の分まで出してくれて。
もったいないので、館内を少しだけ見て、その後は上野公園内をぶらぶら。
お天気がよく、真冬のKと全然違って、Kからしたら春のように暖かくてよかったです。 ← 幹事の行いがいいからか。 えっへん。
回りを整備中の 「西郷さん」 も、やっと探し当てました。(^^)v お上りさんなので、記念撮影。
もちろん、初めて見たワケぢゃぁ、ないっすよ。美術館や劇場があるので、上野公園、たまに来るし。でも、西郷さんは30年ぶりかも!?
( Cが、西郷さんの連れている犬が 「忠犬ハチ公」 だと言って私をだまそうとしたが、ふんっ、 いくら私でも、そんくらい知っとるわぃっ。 )
その後、夕暮れの客でにぎわう 「アメ横」 通りをそぞろ歩きながら、せっかく御徒町まで一駅進んで、 「夜の部」 待ち合わせの東京駅まで行こうとしたのに、
なんと 私が、上野駅のロッカーに荷物を預けていたのをすっかり忘れていて、Cやコムに言われて思い出し、仕方ないので電車で上野まで戻って、再び東京駅へ。
その間、Cに、子どもたちを呼んで児童劇を上演した2月公演の際、大道具に「L字型金具を買ってきて」と頼まれた私が、「L字型のねじ釘(フックみたいなやつ)」を買ってきた、という在学中の逸話を思い出して聞かされた。本人も覚えがないのだが、本当に、私のことなのか? (^^;)
そういえば、当時、部内に後輩を中心に 「隠れジャレ・ファン」 なるものがいたらしいのだが、これは、ジャレのファンなどと、恥ずかしくてとても言えないから、「隠れ」だったらしいのだが、なぜ、私のファンだと恥ずかしいのか、意味不明である。
本当にファンだったなら、堂々と名乗ってほしいものであるが。
さて、「夜の部」 には、Ab、F、Wが加わることになっていたのだが、ここで帰る予定のCとコムも、くれよんに会いたいからと、その他のメンバーが来るまで待っていてくれました。
待ち合わせた、東京駅北口改札の構内。 美しい。
修復された 「東京駅」 外観。 どこがどう変わったのか、わからにゃい・・・。
ここから合流した、後列左端 Fと、右端が、Ab。
Abは、帽子をかぶっていたら、30前とちっとも変ってなかったです。体形だけでなく、理論家で上から目線?なため、ややハスに構えた性格も・笑。(なんたって、ブチョーさん、ですからね。)
Cが持っていてくれているのが、モンダイのロッカーに忘れてきた私の手荷物。 人に持たせている私。 ( ←これで2泊分の荷物だぜぃ。我ながら、ちっさ。 でもね、重かったんだもん。 鞄自体が、取っ手が革でできていたりして、素材からして重いの。)Cが持つ前は、手荷物ゼロのApがずっと持っててくれました。(^^;)ゞ
そういえば、時間が長いと思って大きいサイズを頼んでしまったために、お店で飲みきれなくて道すがら飲んでいたスタバの空きカップは、途中から、気がついたらコムがもってくれていたなぁー。
きゃぁーーー、ごめんなさいっ。
皆と別れた後、「ったく、ジャレだよねぇー。ジャレだから許されるんだよねー 」などとCとコムで話たらしぃっすが (同じことをかつてイズミの同期にも言われたなぁ~・汗)、くれよんからも、ジャレは昔からヘンだった、変わってない、といわれる始末・・・。
( 変だな。私、大学くらいまでは、すごくまっとうでまじめな、ごくフツーの人でしたよ。年とともにだんだん変になってきたかも、とゆー自覚は、なんとなくはありますが。(^^;)ゞ )
いや、決して人見知りではなく、初対面の人ともすぐに打ち解けやすいのではあるが、
典型的 「内弁慶」な私は、児文研や、拓とか東京時代の古い児童文学関係 ← 信州の会では新しいし、上の人が多いのでそんなでもないが、イズミ時代の仲間とか、そういう自分のテリトリー内だけでしか自分を出せない、逆に言うと、そういうところに入ると、普段の生活であまりにも自分を抑えて生きているため、とたんに昔に戻ってジの出る私、なのでシタ。(^^;)ゞ ごめんね。
地元とかでは、すごく常識的で、「いい人」なんですよ。閉鎖的な田舎で、個人商店やってますから、常に下出に出て、お客や地域の人を立ててます。ホントです。
くれよんのメンバーだけで。 後列左より F、Ap、Ab 前列左より I、私
( ちなみに、私の服装は、ワンピースをチュニック風に着ているので、下にはズボンを履いてまス。ちょー冷え性なので、真夏以外のスカートのみ、は、ずぇってームリ・笑。 )
宴会をした、丸の内オアゾ (真中奥の丸いビル) と、
仲通りの並木道のイルミネーションが右手に見えます。
このあたりは、近年とても美しく、ロマンチックな街に変身したみたいですよ。
最後にビル内で合流したW。(後列左端) 不手際があり、合流が遅れてしまったの、ごめんね、W。
Cとコムとは、ここで別れました。 前列の二人です。
( こういう時に背後でイタズラをしかけたくなる私。Cのツノはまだ準備中でシタ・笑。 )
二人のおかげで、より一層盛り上がり、本当に楽しかったです。
どうもありがとう。
お料理は、
普段は、話に夢中になるあまり、食いっぱぐれるからイマイチ苦手だけど、大勢なら鍋でしょってことで、「博多水炊き」、などを含むコース料理で、
高級な? 「フグの唐揚げ」 もつきました。
水炊きとか、よく考えたら私って、鳥さんの煮たの、あまり好きじゃなかったけど・・・、
最後に、コラーゲンたっぷり ( ←ここが女子にはうれしい ) のスープを使った 「鳥雑炊 or うどん」 が出て、半分ずつ頼みましたが、雑炊、ちょー、おいちかったデス。
一応、私が司会を買って出て、一人ひとりの近況報告をし ( 今回、参加できなかったHとDのことを伝え、Oはメールでお便りと写真添付をしてくれたので、お便りはその場で読み、写真はまわし)、
そのたびに、大笑いしたり、脱線したり、時に、いい意味でしんみりと聞き入ったり・・・
中には30年ぶりの人もいたけど、そんなことはちっとも感じさせなくて、
やっぱり、4年間、苦楽をともにした仲間なんだなぁー、と改めて思ったり。
( ほんとにね、365日、朝から晩まで一緒にいる、みたいな感じで、大学には部活をしに行っているみたいでした。朝、大学に行くと、まず部室に寄ってから、みたいな。あのころの部室=BOXと呼んでましたが、って、いつ行っても誰かがいましたね。子ども相手のいろんな活動や行事をしたり、勉強会や会議みたいなのがあったり、時に口論したり、今じゃ考えられませんが、みなさん、異様に議論好きでした。←私も、ね・笑、喧嘩したり・・・。 )
やってるときは無我夢中でわかんなかったし、卒業後は忙しさにかまけたり、もう、児文研のみんなとは住む世界が違うのだと思って、ことさら懐かしんだりしなかったけど、
改めて、その重さと価値みたいなものに、気づかされた感じです。
(これも、亡くなったAwが、身をもって教えてくれたのかな。)
このあたりのことは長くなるから、いづれ、ちゃんと、ね。
ほんとは、2時間の飲み放題コースだったのだけど、Abいわく、「土曜のオフィス街なんて、客がいなくて暇なんだよ」、のか、次の料理はちっとも運ばれてこないし、ラストオーダーとかもなかなか言わないから、
結局6時に始めて9時までいて、
最期に、来年からはどうしよう、と言うことも決めて( ここ、重要 )
他の人にまかせると永遠に開かれなくなる恐れがあるからと、仕方ないから多分私が半永久幹事で( 今回、不手際もあったけど誰も文句言わず←いわせねぇ・笑 、皆さん、よくここまでやってくれたとホメてくれましたね。ヨカッタ。 )、
もう、往復はがきはメンドーだから、一斉メールにさせてよ、と言ったのに、なんとー、ケータイメールをもってない人( I、Ab、D←ショートメールのみ )がいたり、
どっか、オサレな、トーキョー新名所でやろうよ、と言ったのに、横浜育ちの千葉県( 東京近郊の都市部 )在住のくせして、Iは、地下鉄ってよくわかんないし乗れないから、もっと東京や上野みたいな単純な場所にしてよ ( え゛~っ K生まれの現在K住人の私でさえどこにでも行けるのに )、とか言われ・・・
でも、もしかしたら来年は、泊りがけで某温泉、になるかもしれません。
皆さん秋がいいって言うけど、ALFEEのコンサートで最初に予定を組む幹事が、秋はツアーで忙しぃんだヨネ。
さて、どーなる!?
( 二次会もありましたが、あの辺て店がなくて、駅ビル内の店は早く閉めるため、探してるだけで時間が過ぎ、やっと見つけた小さな居酒屋 ← の方が、我々らしい・笑、に入ってからは、一時間もなかったかも。残念でした。 )
そうそう、在学中より音楽活動をしていた( 主に作詞作曲。たまに自分でも歌う ) F ですが、
数年前から台湾に活動の場を広げ、現在そこからCDを出したりしていて、
今回、最近出したCDや、彼が地元に一時的に戻っていたころ発表した曲、大学在学中に作った曲などを抜粋して集めたCDを、タイトルのコピーとともに、わざわざ参加人数分作って持ってきてくれました。
「くれよん」 の会の歌(学年会ソング)、というのもあって、入学したころFが作詞作曲した、とてもいい歌も入ってます。← 各学年ごとに会の名前がついていて、学年会ソングがあった。
これが、一人一人にくれたCDと、曲目のコピー。 Fよ、ほんとうにありがとう!!
( いままで、色んな曲をご紹介いただいていたのに、ブログに載せられずにいて、ゴメンなさいね。 )
何十年もずぅ~っと同じ夢を追い続け、それをちゃんと形にしているFの姿には、私も励まされます。
来年は泊りがけで、たぶんカラオケOKの宴会場になるだろうから、みんなで 「くれよんの歌 」や、懐かしの児文研ソング、 いっぱい、いっぱい、心行くまで、うたおぅね。(^_-)☆
早めに連絡するから、アジアのちょっと近い国に転勤になるらしいOも、基本的に土曜昼しかダメと言うDも、そして日曜夜しか休めないという夜勤勤務のHも、
来年こそは、きっとね。
トーキョー・リゾート、その②へ、続く。