猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

お待たせしました! 桜です!!

2011年04月29日 | 生活・行事、季節のもの



昨日の言葉を借りれば、


信州Kでは、今、やっと桜がさかりです。

が、寒いです・・・(^^;))))



それはそれは見事です、とか言ったよーな気もしますが、全くの大嘘つきで(^^;)ゞ、

「まあまあ」キレイです。

だって、よそ様の「名所」と比べたら、ね。


しかも・・・

写真、あいかーらず、ドヘタ、だし・・・




ほら、ね。


期待していてくださった皆さま、ごめんなさい。

えっ!? してないか・・・




これなんか、すごいよ。

わかりづらいけど、なんと、「梅」と「桜」が一緒に来てますからね。

(梅はフツー、もっと早くに咲くものだが、Kは寒すぎて咲けないのダ・汗




ゴンの散歩の途中、近くを流れている、かのゆーめーな、「K川」。

最近よくふる雨のため増水しているが、普段はもっとチョロチョロとしか流れていません。川の始まりの方だから、ね。

これが太平洋に注ぐ頃になると、もっと大きな、ゆったりとした川になります。

その、源流の方、ですね。

流れも、急。



今日は曇っているが、晴れた日には、このあたり、ちょっと気分のいい光景です。



が、しかぁーーーしっ!!!


4月も末だとゆーのに、この寒さは、ナンなんだぁーーー???





それにしても・・・、

昨日の世界フィギュア、男子フリーは・・・・・ 

もう大ちゃん、気の毒すぎて、演技中涙があふれて止まらなかった。 

なんでこんなことが、おこるかなぁー。

もー、がっくり・・・  


でもって小塚君の銀メダルと、「がんばろう!ニッポン」の日の丸で、また泣いて・・・  


詳しいことは、また、帰ってから書きますが・・・


ん!?


帰ってからぁ???


えへへ。


明日は、待ちに待ったアルフィーコンサートが長野であるので
行ってまいりやす。

でもって、アンコールを最後までしっかり聞いてると、ビミョーなトコで終電間に合わないので、いつもそうしているように、長野の“飲み友達”のお家にお泊り、なのね。 (高速、乗れないヒトだし(^^;))



そのあとは、5月の2~4日まで姉達家族が遊びに来るので、

長野から戻った1日、2日と、例によって実家の大掃除と買出し。



2日置いて、5月8日には、「スポット」の6月20日号の取材を朝、早よぉから。(つっても、地元、なんですけどね。→午後には伊那へ移動してそこでも取材。)

帰ったら、即、原稿書き。→写真選び、校正、などなど・・・。

↓ なんたって、他の創作物とかは割付まで終わってるらしーですから。(いつも直前にならないと腰が上がらないヒト→今回は、地震があったもんだからさぁーーー。って、言い訳。



そして、その週末14日あたりには、たぶん、夫の実家の新潟県S条に、年に一度の里帰り。(毎年「S条祭り」にあわせて帰郷)

なぜ、たぶんかとゆーと、今年はその日が土日とかぶるので、飲食業の夫は、ヒジョーに休みづらい、てか、ほんとは休めない状況なのだが、日にちをずらして行った年に「どらち大脱走!」事件があったため、縁起を担ぎ、二度とずらしたくない、ノダ。




さてさて、どうなりますことやら、ね。



と、ゆーわけで、


しばらく、あんまり出てこれないかもわかりませんが、ご容赦を。



怒涛の(!?)2週間を直前にして、


明日はアルコンで、思いっきり発散してくるぞぉ~~~!!! 




   *   *   *



大ちゃん、気を落とさずに、元気出してね。

大丈夫。まだ、終わりじゃないから。





「おひさま」

2011年04月28日 | その他芸術(舞台、映画、TV等)



みなさん、4月から新しく始まった、NHKの朝の連続TV小説

『おひさま』

ご覧になってますか?


信州、安曇野(のちには松本も)が舞台、なんですよ。



雪を抱いた、壮大な北アルプス、

清らかな水の流れ、

一面に広がる、そば畑・・・



本当に美しくて、心が洗われるような風景が、広がっています。




主人公は須藤陽子(井上真央)。

10歳のとき(昭和7年)、病気の母の療養のため、二人の兄と共に、一家5人で、東京から安曇野の地に、引っ越してくる。

第一週目は、陽子の少女時代で、美しい安曇野の風景と、病気の母を支える3人の子ども達が健気で、涙をそそる。

やがて母(原田知世)は死に行くのだが、「陽子の陽は太陽の陽。女の子は太陽だから、つらいときこそ、笑うの。」という言葉を、陽子に残す。
そしてその言葉は、ずっと陽子の生きる支えとなる。


成績も優秀で勉強好き、将来は学校の先生になりたいという、仲良しで陽子の憧れのクラスメート、田中ユキが、貧しさゆえにその夢をあきらめ、小学校も途中でやめて名古屋に奉公に行くという事件を通して、陽子は始めて社会の中にある不条理を知るのだが、のちにユキの夢を自分が叶えたい、という思いに変わっていく。

そして、教師をする傍ら、松本の老舗そば店に嫁ぎ・・・、という人生を歩むようなのだが、新しい時代を切り開いていく、たくましい女性像や、次第に戦争へと突入していく社会背景などが描かれていく。




その時間、ギリギリ起きてはいるのだが、先にどらちやソラシロの世話をしないといけないため、実は「録画」で見ているのだが(昼の再放送もうっかり忘れるし)、めずらしく夫も興味を持って二人で見ていて、撮りだめしていたのをまとめて見たりして、やっと毎日の放送日に追いついた感じである。

最初の方などは、主人公の陽子と、やたらとうちの母の人生とダブる部分があった。



母は大正15年(昭和元年)生まれなので、大正11年生まれの陽子より4つ下である。

母はKで生まれたので、自身は引越しや転校の経験はないのだが、前にも書いたように、大正10年に、祖父母は長姉を伴い、鎌倉からKに引っ越してきた。

ここでちょっと説明すると、祖父は松本の造り酒屋に生まれたが、「次男坊」だったため、親せきを頼り上京。その親せきの営む貿易関係の仕事をしていたという。
一説によると、貿易船のコックをしていてハワイまで行ったが、立場上上陸はしなかった。が、浜で泳いで遊んだという。
大正時代のことなので、ほんとなら、けっこうすごい。

で、どのように地元育ちの祖母と知り合ったかは知らないが、仕事の関係上で鎌倉に居を構えていて、俳人の高浜虚子の家の近くであったという。

それが、実家の母親が次男坊かわいくて「店を持たせてやるから帰って来い」というので、帰る準備をしていたのだが、その間になんと実家の母親は亡くなってしまう。
約束が立ち消えて途方にくれているときに、だれかが、「酒屋をやるならKにいくといい。Kの衆(しゅう。人々、という意味の信州弁)は酒が好きだで、Kで酒屋をやったらいいワ。」といったので、それで祖父も、もちろん祖母も知らないKの土地に移り住んできたというわけだ。


とゆーわけで、わたしゃ酒屋をやるんならKがいいぞ、と勧めた人を怨むぞぃ。

そこから猫田一族の、Kでの奮戦記がスタートするのである。



なにしろ、今と違って、「よそ者」を受け入れない時代である。
祖父母も、母たち姉妹も、そのことで色々と苦労したようである。(詳細は話からそれるので、今は書かないが)

なので、『おひさま』での「よそ者」の陽子たちがとっても受け入れられてる感じにはちょっと「うそでぇー」と思うが、
そこは、まあ、ドラマなので・・・


それでもって、3人兄弟の末っ子の陽子(兄が二人。母も3人姉妹の末っ子)が、その後女学校を出て、のちには先生になるべく、「師範学校」というのを出るのだが、陽子の亡き母は、「これからの女性は強くならなければいけない。“女のくせに”という人にはケンカをしても向かっていっていい。お母さんが許す。」と陽子に言っていた。

ウチの母も、小学校の頃成績が優秀で、担任に勧められたというせいもあったらしいのだが(当時は、小学校を終えると、まだ女学校に進むものも少なく、たいていは高等小学校というのを2年行くくらいであった)、3人目になり、Kに越してきてだいぶたち、経済的にもゆとりが出てきたので、上の姉二人は誰も行っていないのに、一人だけ女学校に進んだのである。
そのとき祖父は、「これからの女性は、学問を身につけないといかんでな」と言ったらしい。

当時、女性が社会進出をするとしたら教師くらいしかなかったので、地元のK高等女学校(のちに私も出ることになるKH高という女子高=当時、の前身)を出たあと、松本女子師範学校に進むのであるが、
あの時代は、小学校以上の教育は男女が別々だったので、女子は4年生の高等女学校、男子は5年生の中学校。
師範学校だと、長野県は、男子が長野師範学校、女子は松本女子師範しかなかったので、ドラマ中の陽子が進んだのも、おそらく松本女子師範に違いない。と思うと、なんか嬉しいものがあるのだが、



が、しかぁしっ!!!

あの制服はモダンすぎて変だよ~。
母によると、女学校のセーラー服は当時からそうだったが、「白い襟」というのはなかったらしいし、学校帰りに毎日のように「飴や」に寄るというのも、TV中で簡単なことではない、とは前置きしているものの、1銭(100銭で1円)あれば飴玉が10個買えるという、甘いお菓子でさえ珍しい時代に、「不良」はもとい、飴屋に寄る経済的ゆとりと社会的背景はありえないだろうと思われる。

なので、時代考証は母の世代より若い方が担当しておられるようだが(NHKのドラマストーリー参照。が、考証人の年齢の表示はないため、「見た目」からした憶測。)、ちょっとアヤシイ。


あと、農家の子で陽子に片思い中のタケオがあまりにもデフォルメされた田舎の人になってるとか、幼少時代の長兄春樹(中川大志)は、成績優秀で優等生な雰囲気がよく出ていて、おまけにまじめな感じのハンサムで好感が持てるが、中学卒業後に旧制松本高校(作家、北杜夫も出たところ、ですな)に進んでからの春樹(田中圭)は、ちょぃ3枚目入ってて、陽子の親友の一人である、同じ女学校の真知子が一目ぼれするようにはあまり思えなくて、ミスキャストだよなー、とか。
小さい頃はわんぱくで一人だけ田舎の子どもみたいだった次兄茂樹(渡邉甚平)のが、地元農学校に進んでからの方が(永山絢斗)カッコいいぞ、とか、色々あるけど、



まぁ、とにかく、オモシロイのなんのって。(脚本:岡田恵和(よしかず)が、いいのか?)

毎日、笑い転げている。

(こんなきゃぴきゃぴした女学生のお話、おもしろいかしら?と思って時おり夫の方を見ると、敵もニコニコと楽しそうに見ているのでびっくりだ。ま、昔の古いお話とか、歴史モノは二人とも好きですからね。)


井上真央ちゃんが、目がくりっくりしていて表情豊かで、とにかく、かわいい。

親友の、当時としてはススンデル女、の筒井育子(満島(みつしま)ひかり)、地元のお嬢でしとやかな美女、相馬真知子(マイコ)との3人の掛け合いも、楽しいし、かわいいし、明るい。


ドラマは、春樹の松高時代の友人の川原功一(金子ノブアキ)に、陽子が淡い初恋の想いを抱いたり、真知子が親が決めて会ったこともないとはいえ、いいなずけがいるにもかかわらず、春樹兄さんに惹かれてしまうなどの、恋のオハナシもありーの、

笑い転げながら、時おり、ホロリとさせられるような「ええ話し」もありーの、


今週なんて、いよいよ出生のヒミツが明らかに・・・

ぢゃぁ、なくって

母と父の秘められた恋と、よく知らなかった母の身元が明らかになるという、

またまたオモシロイ展開に。



私の注目株は、陽子が想いを寄せる川原を演じている金子ノブアキですな。

子役からロックバンドのドラマーを経て、最近また役者としても活躍中というが、若いのに、戦争に対する考え方とかがしっかりしていて、役者としても骨太、芯がある感じ。(前出、ドラマストーリー参照。大河ドラマと朝ドラは、気に入って見出すと、たいていドラマストーリーを買い、人物相関図とか出演者の詳細、スタッフの制作秘話、などを見るの、大好き
春樹曰くボンボンなのに「不良」という役どころと、イケメン風なのもちょっといいし、満州に渡って挫折して帰国、という、役柄の設定も見どころ。
陽子とは、どうなるの?という、今後の展開にも注目、です。



あと、安曇野、松本の自然にも注目、ですよ。



ドラマでは、東京在住のちょっと日常生活に疲れている主婦、原口房子(斉藤由貴)が、車を運転中に、ふと流れてきたカーラジオの、

「安曇野では今、真っ白なそばの花が一面に咲いていて、それはそれは美しい光景です。なんだか、人生っていいなぁという気持ちになります。」

というお便りを聞いて、ふと思い立ち、そのまま安曇野まで行ってしまい、そこでふらりと立ち寄った「お蕎麦屋さん」←見た目は全然喫茶店の女主人(現在の須藤陽子で若尾文子)で、手打ちそばに舌鼓を打ちながら、女主人の昔話(幼き日の陽子の思い出)を聞く、という方法で展開するのだが、


まあ、この、春先の安曇野の美しいことといったら!!!


昔、東京にいるとき、やっぱり安曇野を舞台にしたTVドラマ『あの日の僕をさがして』を見ていて、ドラマのラストに映し出される、雪を抱いた北アルプスと安曇野の風景をバックに流れる、ギルバート・オサリバンの「TOMOORROW,TODAY」を聞いては、泣きたいほどの郷愁に浸っていた思い出がある。

ドラマは1992年の4月から6月に放映されていたもので、その年の年末に私は帰郷するので(このドラマを見て郷愁に駆られたから、ではないですよ。全く別の理由です)、帰郷直前に見ていたわけなのだが、しかし、なぜかドラマの内容は、ヒロインが惹かれる昔の恋人で主演が織田雄二だったことも含めて全く覚えていないのだが。(仙道敦子と現在の恋人の大鶴義丹の記憶しか(^^;))


他にも、1996年には松本の高校を舞台にした青春群像『白線流し』とかね(←見てないけど、なんと、私の本の舞台でもある松商学園高校がロケ地だったんですよ(^^)v)、ご記憶にある方もいらっしゃるかも、ですが。


とにかく、美しいですよ。

柔らかな5月の風の中、目に映る緑色に芽吹く木々を背景に、はるか向こうの山々は、まだ雪を抱いているさまは、

心がふわぁーっと解放されて、

美しすぎて、涙、でます。

まだ帰った頃で一人のとき、今夫になっている、当時はまだ東京にいた人物に、ああ見せてあげたいな!と思ったもん。

↑ ↑

お・おーーーっ!!!

今じゃコケ生えちゃってますが、まだ初々しかった頃のこと、ですな。




ま、そりはともかく、ですが(^^;)ゞ



信州の自然は、いいですよ。


癒されます。

ぜひ、皆さんも(都会に住んでいる人もいない人も)、

生活にちょっと疲れたな、と思ったら、

信州の壮大な、あるいは素朴な自然に触れに、


車を飛ばして、あるいは電車やバスに揺られて、



おいでませ、信州!!!  (^_-)☆




(関東、関西、両方面からのアクセスが可能な立地条件だから、来易いと思いますよ。(^^)v)


 信州では今、「がんばろう日本!信州元気宣言」を発表! 


長野県各地の旅館やホテルに宿泊すると、宿泊料の一部が、義援金として、被災地の復興支援に寄付されます。


詳しくは「がんばろう日本!信州元気宣言」(口コミ情報)

または、

「がんばろう日本!信州元気宣言」(長野県公式ホームページ) へ、どうぞ。





春の雨

2011年04月22日 | 生活・行事、季節のもの
寒いですよ、Kは、まだ。

海抜1000メートルのK田高原なんて、先日、雪が舞ってたらしいっす。


ひょっ、え~~~!!!   


正直、まだ石油ストーブが、手放せないですもん。



明日は、地区のお花見です。←私は行きませんけどね。(父゛が行く)




お隣さんの「枝垂桜」は、まだ五分咲き。(後ろは隣の豪邸)



お隣さんの駐車場の桜。

こっちは、八割がた咲いている? 

(向こうに見えるは我が家(実家)のボロ屋。築90ン年?の、外壁だけ治してありやす。



いつもゴンを散歩させている、ご近所の学校の桜も、まだ五分くらいでした。

咲いたら、UPしますね。それはそれは、見事ですから。 (^^)v♪

お楽しみに~ (^_-)☆

本日のワンにゃんこ3

2011年04月20日 | 猫・犬


ごんちを枕に、眠るソラち。  二人は、仲良し!?


夫曰く、我が家の動物達の順位は、

1、どらち
2、シロ
3、ごんち
4、ソラ

だ、そーだ。


ソラは、シロと兄弟なのだが、ソラの方がシロよりもサイズが小さく、体重も1キロくらい少ない。
たぶん、お星様になっちゃった、ゴンの子どものモモコがそうだったように、兄弟でもあとの方に生まれたため、アニキ?のシロには、アタマが上がらないんだと思う。(モモコはそうとう気が強かったから、負けてなかったですけどね・笑(^^;))

(ソラシロの兄弟は全部で4匹くらい生まれてるらしいので)


それで、ソラは、シロに対していろんな面で遠慮があるため、ストレスがたまったり、可愛がってもらいたいくせに自分から積極的にいけないため、「いじけぼ」(いじけている、という意味=ネコタの造語)になる、などの症状が出て、それで、ときどき、おしっことかうんちを、トイレじゃないところでしちゃうんだな。

これがそらちが、超世話の焼ける“問題児”だって言ってることの、具体的な中身なんだけど(が、内容に関しては今回も詳細は省く・笑)


どらちは、捨て子だったので、想像なんだけど、たぶん生まれつき「超女王」のうえに、未だ懐かないため、一番コワイ(^^;))))

しろちは、そんなわけで、そらちより上をいっている。



ゆいいつ、“犬のいい”ゴンだけは、「平和主義者」のため、誰に対しても怒らないし、友好的。

だからソラも、安心して?近づけるのだ。


ほら、ね。


うわぁーーーん。


これぞまさしく、夢にまで見た、犬とネコの“仲良しおねんね之図”





こちらも・・・

うわぁーーーん。  


2ヶ月の逃亡の末、我が家にムリヤリ連れ戻してはや3年、

その間、まるで懐かないくせに、タダめしだけくらっとるっつー、“ふとどきもの?どらち”


ついに、「足で、こんなにさわっても平気。全然、逃げない、之図」

あ゛っ。

↑ この、きちゃなぃ足は、私の足ぢゃぁ、ないっすよっっっ。 

我が家にもう一人だけいる“人間”の、オトコの癖して靴のサイズが25センチしかない人、のです(身長は170センチちょぃ←本人;談)。(私でさえ24センチもあるとゆーのに・身長157センチで


(ただし、手では触らせない、コタツテーブルの下でないとゼッタイ逃げる、など、未だ不可解な面も併せ持つ・汗)←戻ってきたら“ネコ(人)が変わったようになって”全然さわらしてくれなくなった哀しいネコなのです、どらちは。



ソラシロを飼いだした事で、どらちも少なからず影響を受けているようだ。

夫のいう「逆療法」が、効いているのか?



ま、いずれにしても、

超、世話が焼けるけど、


超、癒し系の、我が家の天使(!?)ちゃんたちです・・・ 






Happy Birthday !! Dear Takamiy ☆

2011年04月17日 | THE ALFEE、Takamiy
今日、4月17日は、アルフィーの高見沢俊彦さんの、お誕生日です。

            

 おめでとうございます!!!  




大好きな『桜の実の熟する時』(作詞作曲:高見沢俊彦)という曲の中で、


「君」と唄われているのが、もしも、私たちファンのことだったとしたら、

私たちは、世界一幸せもののファンだなぁー、と思います。



だから私はこの歌を、そっくりそのまま、高見沢さんに捧げたいと思います。

私にとっての高見沢さん(アルフィー)とは、まさしく、この曲に表わされているような存在なんですね。



そこにいて(存在して)くださるだけで、感謝です。



これからも、その背中を、ずっと追いかけていきたいなぁーーー。


  





90年前のお雛さま、50年ぶりに日の目を見る!?

2011年04月15日 | 生活・行事、季節のもの
東京ではもう桜も散ったみたいですが、春の遅い信州では、やっと昨日、県内では早い方の南信地区の「高遠(たかとう)の桜」(←有名)が開花宣言したようで、

寒いKに至っては、お花を拝めるのは、まだ、もう少し先になりそうです。




そんなわけで、春の遅いKでは昔から、桃の節句は1ヶ月遅れの4月3日、端午の節句も6月5日に行うという風習があった。

それが、近年、全国チェーンのスーパーの広告などにより、ひな祭りも子どもの日も、全国区と同じになってきた。


「今年はお雛さまでも飾ろうか」、珍しく母がいい、私もブログのネタ用にちょうどいい(?)と思っていたところだったので、3月中に飾るつもりでいた。
(と言っても、母は提案するだけで、お雛さまを探すのも飾るのも、全て私一人、の仕事なんですがね・笑。(^^;))

ところが、ぐずぐずしているうちに3月11日に地震が起こり、とてもそんな気分ではなくなった。


それでも、と思い、3月末になってようやく、松本の人形店へ「ひな段」を注文。

子どもの頃、母が、小さなダンボールを組み合わせて、高さがちょうどになるように、それはそれは苦労して「ひな段」を積み上げたものであるが、

今は市販の組み立て式の「ひな段」というものがあるので、もうそんな苦労はしたくないから、思いきって買うことにしたのだ。

「ひな段」が届いたのが3月31日で、それより数日遅れて、サービス品の毛氈(もうせん・段に敷く赤い布のこと)が届き、「うつわ」の方は、万全。




ところが・・・それよりも、もっと大変だったのは、


その後の「“ひな”を求めて三千里」、のほう。



何しろ、最後にお雛さまを飾ったのは、もう、30年以上も前なのだ。

一体、どこにしまってあったっけ?



母が、自分の子どもの頃に飾ったお雛さまも、どこかにあったはずだというので、せっかくなので、それも飾ろうということになった。

母の子ども時代のお雛さまは、母の一番上の姉(大正7年・1918年生まれ)が生まれたときに揃えたものなので、単純計算しても90年以上はたっているということ。

昭和33年(1958年)に姉が生まれてからは、新しいお雛さまたちが、我が家に登場したので、古いほうのお雛さまは、完全に50年は日の目を見ていない(風にも当たっていない)ことになる。




古いほうのお雛さまは、店の倉庫の二階の奥に、桐の箱に入っているという。


が、まず、そこにたどりつくまでが、大変。

倉庫自体、色んな、いらないものがどんどんたまって、その場所に踏み込めないほど、物やゴミ?があふれているので、いらないものを片付けつつ、進むこと、二日で、やっとのことで、桐の箱を発見。


終わったときには、手だけでなく、顔まで、まっくろくろ。

まるで、マンガのようであった。 




さて、90年前のお雛さまの入っていた桐の箱は、意外と早くに見つかってやれやれ、と思っていたら、


簡単に見つかるはずだった「私たち姉妹のお雛さま」のほうが、

探したんだよぉーーーーー。  


こちらの方は、家の二階の押入れの中にあると母が言うので、2間(にけん・ふすま4枚分)ある押入れの、モノをどかしつつ、探していくのだが、これは、と思った箱二つは、どちらも、ハズレ。

その間、私や姉の小学校の頃の図画や作文が出てくるわ、ランドセルも見つかるわ、母の教員時代(結婚する前)の古いノートの束や本、教え子の作文の束まで出てきたのには、たまげた。


が、肝心のお雛さまは、どこを探しても、ない。

もしや、記憶違い?

二階にある、他のすべての部屋の押入れも開けてみるが、ほとんど布団や着替えばかり。


ない。


これはもう、どこを探しても、ない。


まさか、姉が持っていった?

電話してみるが、お内裏様が御殿の中に入っている、ちいさな「御殿雛」だけは持っていったが、大きいのは知らない、とな。


翌日になって、もう、ココしかないかも?と、「まさかあるはずない」と思って手をつけなかった、引き物の積み上げてある場所を手前から崩していったら・・・

一番奥に、それらしい箱を発見。

やっとの思いで、そいつを引っ張り出し、開けてみたら・・・


果たして・・・、


お雛さまでした。

もー、涙でそうだった。  


30年以上のうちに、どんどん手前の方に荷物がたまっていったのね。


子どもの頃は、ずいぶん大きいと思っていた、お雛さまの入っている「ウイスキーのダンボール箱」(酒屋なので、物の保存箱は、たいてい大きくて丈夫なウイスキーや養命酒の空き箱を利用)は、大人になったら小さくなっていた。



4月3日のひな祭りにあわせて、前日の4月2日から探し始めたお雛さまが、

ようやく見つかって飾れたのは、4月6日のことであった・・・。


あ、あ、あーーー、ちかれた。



     *   *   *   *   *



さてさて、まずはじめに、


50年日の目を浴びていない、90年前のお雛様は果たして・・・???


いやぁ。さすが。

桐の箱って、スゴイね。

全体が大きな桐の箱に入っていたんだけど、お雛さま本体も、それぞれが種類別に小さな桐の箱に入っていて、釘も外れかかっているほどに、年月を経ているのにもかかわらず、中のものはしっかりと守ってくれている。


虫も食っておらず、カビてもなく、多少埃っぽいのと髪の毛がちょっとヘンな以外は、

それはそれは、美しいお姿が、登場したのでした。



なんか、写真が、ボケボケですが・・・



(上の段)お内裏様の「立ち雛」

な、なぜに、男性(左)の方が、こげに、ちっさい!?  
女性上位か?(笑)←なんとなく、立っているせいか、勇ましげな、女性。

(下の段)三人官女?

よく見ると、左の2体一緒のものは、左が女性で、右は男性なのだ。




こちらは、ごく普通のお内裏さまと、三人官女。よく見ると、お雛さまのお着物の、布の質が、私たちのお雛さま(新しいもの)より、いい感じがする。(祖父一家は当時鎌倉に住んでいたため、そのあたりで買ったものか。)霧の箱には「高級雛人形」の文字が。

立花(左)と桃(右)は、なんと紙でできてます。


面白いのは、下の段の「侍女が『狆(ちん)』のような犬を引っ張っている」人形。
以前TVドラマ『坂の上の雲』で、秋山兄弟が下宿している旧旗本の「おひい様」(のちの兄の妻)が、ちんを飼っていたことからもわかるように、古くは、このような愛玩犬を飼えるのはお姫様やお嬢様であり、女の子の憧れであったものと思われる。(今では「ちん」て、見かけなくなりましたね。)

母が『ハイハイ人形』と呼んで「これこれ、あったの!?」と目を細めた「赤ちゃん人形」(左2体、陶器製)と、布製(右2体)の、これも赤ちゃん人形か?
一番右の布製のものは、なんと、右から2番目の人形を見て、母が自分で手づくりした人形、らしい。(作ったのは大きくなってからみたいだが)

お雛さまとは直接関係ないが、一緒に飾っていたらしい。

後方の、布製の箱は、推測だが、当時としては美しい箱だったので大事にしていて、一緒に飾ったものではあるまいか。






こちらが、30数年ぶりに出てきた、私たちが子どもの頃のお雛さま。(写真ボケボケ

昔の事なので、お内裏様は松本の父方の伯父、三人官女は横浜の母の叔母、五人囃子は平塚の母の伯父、随身(ずいしん-右大臣、左大臣)と仕丁(しちょう-三人上戸)は町内の親しくしていた林さんという小父さんから、などというように、
色んな親せきなどから少しずつお祝いにいただいて、そろえたらしい。
(姉の持っていった「御殿雛」も父方のもう一人の伯父にもらったもの)

たんすやお膳などのお道具は、母たちのものをそのまま使ったそうだ。

横浜の母の叔母と平塚の母の伯父というのは、祖母の兄妹で、4月7日生まれの姉の初節句(生まれた翌年になる)の頃、祖母の一周忌でKにきていた。実をいうと、祖母の亡くなった日に姉が生まれたのですよ。祖母は孫の誕生を楽しみにしていたが、ちょっとのところで間にあわなかったのです。

大叔母と大伯父は町内のおもちゃ屋さんへ行ってお雛さまを選んでくれたそうだが、大叔母が官女を見て「こんなのしかなかった」と残念がったそうであるが、言われて見れば、官女の着物はモノがイマイチ。自分のところにも姉より2つ3つ上の孫娘がいた(私たちの「はとこ」にあたる人)から、比べてのことなのか、Kの田舎のお店で買ったのが、ちょっと不満だったのかな。




<全体図>
90年前のお雛さま(向かって右)の後ろに掛かっているのは、「お雛さまの絵が描いてある“掛け軸”」で、やはり同じ頃の年代もの。それぞれ違う絵で2本ある。


新しい方のお雛さまに飾ってあるガラスケース入りの人形は、向かって右が「藤娘(ふじむすめ)」と「道成寺(どうじょうじ)」(左)で、やはり頂き物。
この頃から欲深かった私は、人形が大きくて着物が華やかな「道成寺」が自分の人形で、小さくておとなしめの「藤娘」が姉の人形だと勝手に決めて、そのとおりにした。下の子の常で、我がままで聞かない子であった・汗。



「ひなご膳」
母は、30年ぶりにお雛さまを飾ったのが、よほど嬉しかったらしく、翌日の4月7日は祖母の命日であり姉の誕生日なので、いそいそと和菓子を買いに行って(もちろん私の運転で・笑)供え、
またその翌日には、桜ご飯や澄まし汁,煮物などを作って供えた。

お膳は、祖父が生前、人寄せのためにと10膳そろえた「脚つき膳」を、初めて出してみたとのこと。
このお膳を使うことなく、祖父は祖母より一年早い、昭和32年1月5日に亡くなっている。
(祖父はその日、祖母の実家である平塚の大叔父の家に泊りがけで年始に行った帰りで、塩尻駅で、東京方面から乗って来た電車を乗り換えて、K方面行きの電車を待っている途中、駅のホームで倒れて亡くなったのである。 今で言う卒中だろうと思われる。祖母が長いこと病気で寝ていたのだが、祖父の方が先に亡くなってしまったらしい。)



今回、お雛さまを出してみることによって、この家に息づいている、ご先祖様たちの思いにも触れることができたようで、大変嬉しく、感慨深いものがある。


来月の連休に、姉夫婦と、姪夫婦が子どもを連れて遊びに来るので、せっかくなので、その時まで飾っておいて見せてあげるつもり。


もう、「桃」も「端午」も、この際、ない・笑。



それにしても、今回、お雛さまを出すついでに出たいらないもの(ゴミ)を、私の軽に一杯積んで、もう2回もクリーンセンターへ捨てに行ったが、まだ全然片付かない。

一生かかっても、ムリかもね。


ふあぁ~~~。   




はっと気づいた、我が店内の様子・・・(^^;)

2011年04月12日 | 店の仕事など
震災から一か月が過ぎ、
はっ と気づいたら、店がとんでもないことになってました。



写真は、《 祖父の代から使っている店のタバコケース 》

震災の影響で品物が入ってこなくて、ガラ隙きになってしまった。  

注)この、ガムテでの補強は、私がやったんぢゃぁ、ないっすよ。
私だったらせめて、透明なやつとか,黒いガムテにしますね。



こちらは、震災の影響で、品薄 アーンド 店員(私)のヤル気のなさとで、

《 売る品物がほとんど並んでいない、カップラーメン陳列棚 》 



これなんか、もっとすごいよ。

店員がブログにかまけていて、「はっ」と気がついたら、売るものが何にもなくなってしまっていた

《 お菓子の陳列棚 》  

気がついたのが土曜日の夜で、お菓子は毎週金曜日の昼までに注文〆切りの、月曜配送(食品は同じく金曜〆の土曜配送)なので、


げ~っっっっ!!!


これから、まるまる1週間、このガラ隙き状態が続くのでした。  


とほほ。 



アンタ、ちゃんと本業、やりなさい・・・ちゃんと     




地震から1ヶ月・・・文学(言葉)にチカラはあるか??

2011年04月11日 | 本・文学・取材等
悪夢のような地震から、早1ヶ月も経ったなんて、うそみたいです。

あの日を境に、世界が変わってしまいました。


ちょうど2001年に起きた、アメリカでの同時多発テロのときが、そんな感じでした。

あの年は、7月に個人的にショックな出来ごとがあり、ようやく立ち直りかけてきた頃に、テロが起こった。
犠牲になった方に知り合いがいたとか、ニューヨークのあの場所に思い出があるとか(全く行ったことはないです)、そういうことはなかったのだけれど、ものすごくショックで、あの日を境に世界が変わってしまった。

(では、1995年1月の阪神淡路大震災のときはどうだったかというと、あの年は3月に地下鉄サリン事件もおこって最悪の年だったんですが、本当にごめんなさい。あの地震のとき私、たぶん新婚さんだったんです。(1994年10/30に結婚。←忘れてたけど、ダイエット始めた日って、結婚記念日だったよ~。 今、これを書くにあたり思い出した。オィオィ、そんなこと、忘れるなってか!?)ショックの度合いが他の2つに比べて、なんとなく少なかったように感じるのは、色々考てみたら、それしか思い当たりません・・・。オハズカシィ)



この一ヶ月、なんか、ブログを書きまくってました。

第一の理由は、なにかを書いてないと不安だったから。

まるで憑かれたみたいに、書いてましたね。


もう一つの理由は、こんな私のつたない文章でも、読んでくれた人が、もしかして、少しでも元気になってもらえたらいいなぁと、おこがましいかも知れないんですが、思っていたせいもあります。



震災で直接被害に遭われた方々の悲しみは、たぶん、例えようもないほど深く、私のように被害にあってもいない人間には、到底たどり着けないであろう場所だとは思うのですが、なにか、痛みを、ほんの少しでも分かち合えないか、と思ったし(でないと、あまりにも申し訳ないから)、

家やご家族をなくされた方たちの深い悲しみには寄り添えなくても、

御幣のある言い方かもしれませんが、もう少し被害の少なかった方たちや、同じように直接被害には遭っていなくても、震災で心を痛めている方たちとかだったら、

もしかして、もしも間違ってココを読んだときに、何か感じてもらえることもあるかもしれない、などと思ってみたりもしました。
(すごく、失礼な言い方だったら、申し訳ありません。)



それで、文化、芸術のチカラ、音楽のチカラときたら、

そう。

文学(言葉)には、チカラはあるのか・・・・。



それはもう、あると信じてなきゃ、やってませんよね。



私は、なにか演じられるわけでも、曲や詞が書けるわけでもないし、絵も描けない。

スポーツで元気付けてあげたり、漫才で笑わせてあげたり、歌ったり演奏して励ましてあげることもできない。

人前で演説したり、何かを説いたりできるわけでもないし、何より被災地に行ってお手伝いすることさえ、色んな事情で、できない。



とてもおこがましい言い方かもしれないんですが、そういう意味では、

自分なりに、言葉を紡いでゆくことしかできないわけですから、それをやるしかない。

少ない思考回路と、つたない文章能力とをフル稼働させて、一生懸命、言葉を捜す。



文章は、わかり易いことが一番だと思っているので、珠玉の言葉が紡ぎだせるわけでもなく、私のやっているのは「文学」などというほどのものではなく、ただの「文章」なのだが、

それでも、人の心に、もしも届くものがあるのだとしたら、

それは自分の生き様とか、気持ち、なんじゃないかな、と思ったりする。


そういうものは、ごまかしが効かないから。


でも、だからこそ、難しいんですよね。

もろ、出てしまうから。





これからも、自分のようなものに、なにができるかわかりませんが、

それでも、書いていくしかないのだろうな、と思う。


それしか、できないから。


そして、それだけが、自分の生きている証しのような、気がするから。


そうして、願わくば、それがただの自己満足とかに終わってしまうのではなくて、


少しでも、人の心に届くようなものであればいいな、


と、願っています。






音楽のチカラ・・・ファン心理2 

2011年04月09日 | THE ALFEE、Takamiy
「3月30日に、何か宣言があるらしいから」


そう、情報が入ったのは、確かその前日くらいの、差し迫った?とき。

一体、なんの宣言かしら? と思いつつ、ドキドキしながら、それを待つ。



当日は、朝からソワソワしていたんだけど、午後、店に来てから、いつものように、自分のメールとネットとブログ(編集)などを行ったりきたりする合間に、なんか、そのことは忘れちゃってて(^^;)、ごくフツーに、アルフィーやたかみー関連のサイトも、ときどきチェック入れつつ、過してました・笑。



夕方ごろになって、マニアのサイト「ニュースコーナー」に、

『4/7サンシティ越谷市民ホール公演〔延期〕のお知らせ』

という項目を発見。


ああ、やっぱり・・・、初日は延期なんだわ。


と、思いながら、フト3人の写真の下を見やると



《THE ALFEEよりファンの皆さまへ》というコーナーを発見。


いままでの、《ファンの皆様へ》(例の地震直後にUPされたもの)というのに、わざわざ「THE ALFEEより」、という項目が冠さっているではないか!!!

つまりは、「出どころ」がはっきりとしている、ということ。



これは、なんかある、



と思い、逸る気持ちで、クリックしてみる。


果たして、

- 「THE ALFEE Neo Universe 2011「I Love You」TOURに関するお知らせ -

となっている。



ああん。

もしも、「春ツアー中止のお知らせ」だったら、どうしよう?

ドキドキしながら読み進める。



はじめに、被災されたファンの皆様へとして、今までに感じたことのないほど、丁寧で心のこもったお見舞いの言葉がある。

(そうなの。待っていたのは、この言葉。)

そこでもう、うるっとなっちゃって、あとはもう、はっきしいって、何が書いてあるか、わからないほど、ドキドキしっぱなしの、涙、流れっぱなし。

  


ああ、やっぱり、アルフィーのみなさんは、ちゃんと、じっくりと、慎重に考えていてくださったんだわ。

少しでも、疑ったり?して、ごめんなさい。

こんなにも、心のこもった、温かくて誠実な思いで綴られている。

アルフィー名義になっているけど、これはまさしく、リーダーである高見沢さんの思いに他ならない。


あまりにも興奮して、感動して、何かいてあったか覚えてなくて、大ちゃん時みたいに、あとでもう一回読み直しに戻ったくらいです。



内容を要約すると、結論として、「春ツアーは行う」と言う決定と、
そこに至るまでの過程と心情、今後に対する決意、皆さんへの呼びかけなどが綴られており、




以下、本文中で特に共感した部分を書いてみると、


※ ツアーの是非を「慎重に」協議してきたというところ。

だから、決定に時間がかかったのね。


※ 自分達が“今やるべきこと”を、「自問自答」しながら、「ミュージシャンとして、この世に生かされ」たどり着いた結論が、これだったということ。

なんと謙虚な言葉、真摯な姿でしょうか。



※ 個人的にも「震災前と震災後では歌への取り組み方はあきらかに変わった」というところ。

なんかは、すごすぎる・・・


当時で、地震から半月くらいしかたっていなくて、私みたいな人間は、まだ、どうしていったらいいものか迷い、考えあぐねているときに、既に歌への取り組みが変わったと、はっきりと言い切れる意志の強さは、尊敬ものです。

だって、それまでの高見沢さんの、歌や曲への取り組み方からして、私が思うに、はるかに常人を超え、既に「神の域」に達してるんだよ。

このうえ、なにを、更に「姿勢や思想」として変えるというのか。




それから、個人的に義捐金を寄付するのは簡単だが、あえてそうするのではなく、コンサートやグッズの売り上げを義捐金に充てるというところ。

会場に義捐金ボックスを置いて、

全国のファンのみんなと一緒になって、

「頑張ろう、ジパング!」の精神のもと、

支援の輪を広げていこうとしているところなども、すごいと思う。



そしてラストの、

今こそ、「あきらめない夢は終わらない!」この精神の下、今後ともライブ活動は出来る限りやり続けて参ります。

のところで、それまでも、言葉の端々で感じてはいたのだが、

これを書いたのは、“間違いなく高見沢さんだ!”ということがわかってしまう。


だって、これは高見沢さん個人のテーマであって、アルフィーのテーマではないから。(*^^*)



なので、スタッフさんとかが代表して書いたのではなくて、

高見沢さんご本人の、本当の肉声で聞けて、嬉しかったです。



と、ゆーわけで、やっぱり高見沢さんもアルフィーも、私の思っていたとおりの、ご立派で、素晴らしい方たちで、本当によかった、と、

やっと安心できた、感動の夜でした。




     *   *   *   *   *



モバイルの、「Menber's Room」は、4月4日から再開されました。




この日、桜井さんの「心のことば」は『歌』。


歌には、傷ついた心を癒したり、荒んだ心を穏やかにしたり、元気や勇気を与えたり。

そして、聴く人にも歌う人にも同様に心を豊かにしてくれる、不思議なパワーがある。

間もなく始まる新しいツアーで、もう一度そんな歌の力を噛みしめながら、正面からぶつかっていきたいな、と思っています。(筆者、要約)


と、とてもいいことが書かれていました。(なので、「カルピス」の一件は、許しましょう・笑)




以前、高見沢さんの『ロックバン』でも、「たかみーボイス」の“グー・ランキング”によると、

「落ち込んだときに自分を元気付けてくれるものランキング」で、

5位の本やマンガ、3位の友人からの電話やメールを上回っての

堂々、第1位に、「好きな音楽」が、輝いたそうです。



これは言えてるな、というのを、私も身を持って実感。

アルフィーの曲やライブが、まさにそれ、なんだけど、



音楽は、ジャンルの好みこそ、違いはあれども、
「音楽が嫌いだ」って人には、会ったこと、ないですからね。



音楽のチカラって、すごいです。




音楽のチカラ・・・ファン心理1

2011年04月08日 | THE ALFEE、Takamiy
昨日、待望の、アルフィー春ツアー、4月30日、ホクト文化ホール(長野)公演のチケットが届いた。

チケットが届いたと言うことは、開催されると思っていいのよね?

やっと、一応、胸をなでおろす。

(が、その夜遅くに、再び仙台を中心として震度6の余震があったと聞き、凍りついた。このような状況のときに、直接的にはあまり関係ないことを話題にして、申し訳ありません。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げつつ、今後の予定もございますので、最初の予定通りの記事を書かせていただきますことを、お詫び申し上げます。どうぞ、ご了承ください。m(_ _)m)




実のところ、ツアー初日は4月7日(越谷)だというのに、延期のお知らせが入ったのが3月30日だったので、私はそれに行くわけではないのだが、一体やるのかどうなのかというのを、人事ながら気を揉んでいた。

それでよほど、マニアに問い合わせてみようかとも思ったが、当事者ではない(直接的には困らない)んだし、まぁ、絶対何かしら連絡はあるはずだから、ここは信じて待とう、と思った。


が、その、待っている時間というのが、とんでもなく、長い。



このことに関しては、こういうブログのような場で言ってもいいものかどうか、とても迷ったのだが、その、あとに続く話が重要なので、やっぱり書きます。

これも、熱狂的ファン心理のなせるわざ?と思い、あきれながらも、さらりと読んでいただければ、幸いです。

そーなんです。


ファン心理とは、半分、狂ってます・笑。(^^;) 



   *   *   *   *   *




あの日、アルフィーの安否がわかって、嬉し涙を流したのが、地震から一夜明けた3月12日の夜。

その後、モバイルの『Menber's Room』(前にも言ったが、メンバーそれぞれがテーマを持って、それについて語っているコーナーで、桜井賢の「心のことば」←桜井さんが興味を持ったコトバの意味やルーツを探るもの、坂崎幸之助の「動物ランド」←自宅で沢山飼っている、ネコをはじめとするペットの紹介、高見沢俊彦の「高ミシュラン日記」←グルメなたかみーの食べ物紹介、からなる)で、

最初に言葉を発したのは、月曜日更新(14日付)の桜井さん。桜井さんに限らず、よく、前日の夜中とかに見ると、既に翌日分がUPされていることが多いので、最近はよく、前日にチェックしたりしている。
なので、13日夜中に訪問してみる。



地震直後だっただけに、メンバーの方々が、何を言ってくれるのか、

心が折れかかっていたので、励ましてもらいたかったんでしょうね。

しかも、桜井さんなんて、「心のことば」だよ?

これはもう、何か勇気や元気付けられる言葉を言ってくれるに違いない。


焦がれるような思いで、ページを開けたのでした。


ら、


お題は「カルピス」。


え゛!?


一瞬、目がテンになりました。(;_;)


しかも、「今日はホワイトデーですね。」にはじまり、地震については、ひとっことも触れておらずに、ラストは「♪はるよ来い!はーやく来いッと!♪」で、終わっているのである。

 え゛っ、え゛~~~!!! 

な、な、な、なんなんだぁーーー???

  



そりゃぁね、前日の『ファンの皆様へ』のコーナーにおいて、既に「THE ALFEE」として、地震のお見舞い等について、書いてくださっていますよ。

全く、触れてないわけではない。

そのコーナーで、アルフィーとしての礼を尽くしているのだから、「Member's Room」では、今までどおり、それぞれのテーマに沿った内容で更新するのが、プロの仕事に徹する、ということなのかもしれない。

アルフィーとしての見解=リーダーとしてのたかみーの考え、意見である、と私は思い込んでいるので、


たかみーのことだから、何か考えがあってのことだろう。

と、ひたすら、たかみーを信じる。←ファン心理。

絶対、悪くは思わない。

と、ゆーか、思いたくない。


なので、ひたすら、信じる。


でも、


地震から、2日後、だよ?


悪いけど、ホワイトデーなんて気分じゃないし、

春よこい? 


こんなひどい災害があって、よくもまぁ、能天気に。(失礼)


と、思ってしまった。


これが、桜井さんの、アルフィーの、たかみーの考え方なのだとしたら、


正直ちょっと・・・、


悪いけど、がっかり。




でもまぁ、こっちの思うとおりにしてくれないから、とガッカリするのは、自分本位の考え方だよなぁ、とも、思ってみる。


世間では、地震の翌日からもう、色んなアーティスト達が、励ましの言葉や、復興にかけるチャリティーの言葉などを、口にする。


それがどうこうと言うのではなくて(考え方は人それぞれなので)、アルフィーのみなさんは、慎重派なんだ。

すぐに発言したり行動するのではなく、きっと、これからどうするかを、じっくりと考えてくれているんだ。

かえって、それは、とても誠実ではないか。


とも、思ってみたが、でも、スポーツ選手や他のアーティスト達のすばやい反応を見るにつけ、アルフィーはどうするんだろう、と思って、信じているだけに、何かしてほしい気がして、だんだん心配になってくるのも事実。



翌、火曜日夜(16日付)には坂崎さんが、いつものように飼い猫の一匹、「ハクビン」について、いつものように、のほほんと語ってくれている。

私も猫が大好きで飼っているから、このコーナーも大好きで、ちょっと心が和んだ。


そうか、これだったのかも?、と思う。


さりげなく、今までどおりのことを書くことで、地震とはいい意味で関係のない、普通のお話を読むことにより、しばし人の心を和ませる。

という意図があるのかな、と思って、

これがアルフィーのやり方で、アルフィーなりの思いやりなのかも、と、ちょっと思った。



で、18日(金曜日付)のタカミシュランを、楽しみにして待っていたら、前日の17日夜にはUPされなかったので、そうか、地震後で、たかみーの気持ちも沈んでいるのかな(そういえば、たまたま先週のタカミシュラン「黒みつとろり」が3月11日付でUPされた、その日の夕方に、あの地震は起きたのでした)、と思って、正規の18日まで待つことにした。

が、18日になっても、朝から、一向に更新されない。


で、その日の午後くらいになって、マニアのHPにて、このような状況下をふまえて、「Member's Roomの更新をしばらく差し控える」、ということを知る。


なあんだ、とがっかりしつつも、私と同じようにメンバーの対応にちょぃがっかりした他のファンの方から、抗議?のメールでもいったのかしら?と、チラ、と思ったりもした。←そんなこと怖くて、自分では、言えない。(^^;)←ココで思いっきり言っちゃってまスが。(^^;))))))


仕方ないか、さみしいけど。

やきもきしてるより、いいか、とかも、思い。



その後、newシングルの発売延期、各会場のチケット販売方法の変更、などのことが、順にHPやモバイル上で発表になる。

チケット発売方法変更、とゆーことは、発売はするんだから、ツアーはやるのだろう。

とも思ったが、ツアーをやめます、とも、やります、とも報告されない。


いっそ、どっちか、ちゃんと言ってくれれば、一応ナットク?するのに、


一体、春ツアー自体が、できるのかしら?

という心配は、何も宣言されないだけに、いつまでたっても解決しない。


初日は、もうすぐだと思うと、だんだんそれは、やきもきとも、イライラとも、つかない感情へと変わっていく。



その間、さすがに13日は放送されなかった(たぶん)、TBSのたかみー担当ラジオ番組「ロックバン」が、20日に放送されたと聞く。←うっかり、やってないと思い込んで聞き逃してしまった。
でも、昔と違ってナマじゃなくて、2週分くらい録りだめしてるらしいので、次週に期待するも、今度(27日)は、気づいたときには終了2分前だった。
   



それで、なんかもう、やきもきしているうちに、だんだんと、失礼ながら不信感?みたいなのがつのってきちゃって、だんだん気ィ狂いそーになってきて←イッちゃってるファン心理の一つ

その後、3月30日に、何か宣言があるらしい、と言う情報が入った。



教えてくれた人は、なぜそのようなことを知っているのか不思議だったが、
それではと、ひたすら「30日の“何らかの”宣言」を待つことにした。     


 ・・・つづく。