7月17日 『信濃毎日新聞』スポーツ面 より
1991年、松商学園高校硬式野球部を春のセンバツで準優勝に導き、
2005年より就任した長野日大野球部に於いて2008年春の選抜でベスト8、2009年夏の甲子園大会でベスト16入りを果たした、
名将・中原英孝監督が、このたび長野日大野球部を退任されることになりました。
今年度の夏の甲子園長野大会にて、長野日大はシード校として15日2回戦、対 地球環境高校に登場。
9回裏に地球環境のサヨナラ打で6―5で敗退した、その結果を受けての発表であったようです。
ちょうど中原監督が60歳になる年に、長年にわたり好采配を振るってきた松商学園野球部から長野日大へと転任、
一から創りあげた日大野球部を、約10年にわたって指導し、強豪校へと成長させました。
松商学園高校野球部の、1991年の甲子園での活躍を15年にわたって思い続けた、自拙著書 『松商学園1991年の快進撃~球児たちの15年~』 が、松商学園の所在地である松本市の郷土出版社さんより出版していただいたのが、2006年3月のこと。
15年の思いの込められた著書を、大好きな中原監督に、郵送ではなく直接お届けしたいと、
就任2年目の長野日大野球部 (長野市) に、91年当時松商野球部主将だった辻利之君の奥様で、同校卒業生でもある恵里さんにご案内していただいて尋ねました。
監督はとても喜んでくださって、豪快な “中原節” も健在だったけど、持ち前の明るさとサービス精神で、私や同行した辻君のお子さんにまで気を使っていただき、
大監督なのにちっとも偉ぶらない気さくさと腰の低さに、改めて感動、感心しました。
その時、同野球部の部長だった先生が、私とは初対面だったのに、野球部員全員に読ませたいからと、本を50冊も買ってくださったのにもビックリしました。
即決の、その場での現金払い (本は後から郵送) で、さすが、お金持ちの私立校は違うものだ、と感心しました。
その後中原監督とは、
2009年2月に、高校時代の同級生 K子のご子息で松商野球部出身の松本匡礼(まさひろ)君が、松商学園高校の系列の松本大学を卒業と同時に 「信濃グランセローズ」 への入団が決まった時に、
その壮行会にK子が呼んでくれ、そこで松本君の恩師である中原監督も出席されていたので、お会いでき ( がんばれ!松本君 2009年02月12日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー 参照 )
2011年に、我が町で中原監督の講演会が催された時も、K子に誘ってもらって、監督控室に講演前の中原監督を訪ね、再びお会いすることができました。
もちろん、講演も素晴らしかったですが、控室で、5年前とちっとも変わらない快活でお元気な中原監督にお会いでき、談笑できたことが忘れられません。
( 『白球の青春、夢に向かって』 中原英孝監督・講演会・in K 2011年02月20日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー 参照 )
ちょうど本が出た直後くらいに、91年当時の松商野球部選手たちの姿を追った地元テレビのドキュメンタリー (なんと私もチラッと出ているのです・笑 (^^;)ゞ) で本の存在を知ったK子が家に怒鳴り込んで?(笑) きて、
「ネコタがそんなことしてるなんて知らなかった。本ちょうだいよっ!!」
と言われた時には本当にびっくりしましたが、それ以上にいいことがあったものだと思います。
まさに、K子さまさま。
中原英孝監督は、1968(昭和43)年から、母校の松商学園高校野球部で、2期、通算22年間監督を務めた後に長野日大高野球部を9年間指導。
2校で春夏通算11回の甲子園出場を果たし、県内の監督では歴代最多の14勝を挙げているという。
69歳という年齢から後進に道を譲った (同校野球部現コーチの小竹大助氏、44歳が監督を引き継ぐ) ということであるが、
「一から築きあげた日大野球部で、一つの形を作ることができ、喜びも味わった。
だが、悔しさもある。」
という言葉からは、やり残した思いや、まだ野球を続けたいという思いが伝わってくる。
世間ではこの年齢をどう見るのかはわからないが、中原監督を1991年から見てきた私は、
監督がどれほど野球が好きか、夏の太陽の暑い、そして気持ちの熱いグラウンドが大好きかをよく知っている。
今後についてはまだ白紙だということだが、
監督の熱血漢溢れる 「中原野球」 が、どこかでまた見られることを願ってやみません。
だから私はまだ、中原監督に 「お疲れ様でした」 とは言いたくないのです。
私が、少し前から取り組もうとして頑張っている “文学に関係するあること” というのは、
皆さんを驚かせたくて黙っていたのですが、
長ったらしくて面倒なので、この際だから言っちゃうと、
アマゾン・キンドルから電子書籍を出そうと思っているのです。
その、第一号はもちろん、
私にとって現在唯一の書籍となっている作品である 『松商学園1991年の快進撃~球児たちの15年~』 にするつもりでした。
とりあえず、版元である郷土出版社さんから電子書籍化の許可はいただいてあるので、
これから監督や選手にお知らせをして、また、その8年後の姿を、少しだけ教えてもらおうと思っているところでした。
諸事情で中々準備が進まないでいましたが、 (レイアウトなども含めた編集作業をすべて自分でやるので、実務的なことも含む。電子書籍をUPするための技術は結構難しいのです。)
中原監督退任のニュースは、その背中を押してくれたのかもしれません。
PS.
これをご覧になっている松商野球部 「H3のメンバー」 の方がもしもいらっしゃいましたら、ネコタにメールください。
特に宮下君、音信不通だった何年前かに、突然 「女の子が生まれてメロメロ」 とメールをくれてすごぉーくびっくりしつつも嬉しかったのだけど、またそれっきりですが、読んでいたら知らせてくれないかなぁー。
アホの猫田は、昨年初めだったと思うけど、ケータイの不要メールを整理しようとしていて操作を誤り、来たメールの全削除ボタンを押してしまい、電話帳登録していない色んな人のアドレスがわからなくなっているのです。 ・・・・・ ・・・・・
( そのガラケーは、どうやら2009年1月に買っていて、もう7年もたつのに、未だにスマホに変えられずに迷っています。 )
注:一部、信濃毎日新聞、上記記事を参照させていただきました。
91年の松商学園
長野県民としてあれほど熱くなった甲子園はありませんでした。
また個人的にもあの松商で従兄弟が出場しておりまして甲子園まで連れて行ってもらった事を覚えています。
その後を追った本が出ているなんて初めて知りました。
早速明日本屋さんに問い合わせしてみます。
そして、当時のことを未だにそんな風に思ってくださっているなんて嬉しいです。
本が出たのは2006年で、長野県じゅうの本屋さんで売られていたはず(残念ながら全国流通ではありませんでしたが)なので、今回初めて知ったとのお書き込みにちょっとびっくりしつつも、
新聞広告も出していただいたし、本と自分のことがいくつかの新聞で取り上げてくださって写真入りの記事にもなったけど、まだ、充分知られてはいなかったのだなぁー、そういうこともあるのだなぁと思いました。
早速明日本屋さんに問い合わせてみます、というお書き込みは大変うれしかったのですが、
あの本はおかげさまで1年もたたずに完売しまして、でも残念ながら増刷されなかったので、その後本屋にも出版社にも在庫が全くありません。(これは、出版社の在庫がなくなった時点で、私が各本屋に卸してあった在庫分をかき集めてもらい買い取ったので確かです)
その後、私の手持ちの分もなくなり、どうしても必要な時は自分で書いた本なのに、アマゾンとかで中古品を買い求めているという、不思議な状況なのです。(^^;)
(郷土出版さんのHPに行きますと本の紹介は載ったままですが、在庫はないはずです)
ですので、もしお買い上げくださるなら大変申し訳ありませんが、中古品を探していただけますでしょうか?
定価より安くなっているものはほぼ自分が買い占めたので(笑・といっても数冊ですが)高いものしかなかったらごめんなさい。
カラー写真は当時の資料を基に自分で一生懸命探したものですし、球史に残るいい写真もいくつかありますので、できれば本物の本を買ってくださると大変うれしいです。(*^^*)
電子書籍にした場合、写真の使用料がもう一度かかると思われ(もちろん自腹なので)使用できるものが限られますので、全く同じ本には仕上がらないことが予測されます。
電書化は、当時全国販売されなかったこと、完売して二度と流通されないことが、あの本にかけた情熱からすると自身でもったいなく思い、その打開策として考えました。
このようなお書き込みを見ると、ちょっと今中断してしまっているので、なんとか頑張らなくては、と思えますね。
Apple の iBooks のほうは現時点ではよくわからないので、いずれ検討させていただきますね。
(なにしろ、アマゾン・キンドル1つでさえ手こずっていますので。電書化というのは色んな技術がいるので、思ったより簡単にはできなかったのです・・・(^^;)ゞ)
お書き込み、大変うれしかったです。ありがとうございました。
練習試合や練習などを見に行くと自分のような者にも偉ぶる事もなく気さくに挨拶をしてくれ親しみやすい方でした。
自分もこの書籍の事初めてしりました、早速紀伊国屋さんのネット通販で注文してみましたが送られてくるかどうかわかりませんが楽しみに待ってみます。
まとまりのない文章で申し訳ございませんか、これからの御活躍お祈りいたします。
練習や試合を見に行かれるくらいなので、野球がお好きなんですね。
中原監督の魅力は、なんといってもあの親しみやすさ、そして大監督なのにちっとも偉ぶらないところですよね。私もそういうところが大好きです。\(^o^)/
書籍をネットで注文してくださったとのこと、ありがとうございます。
私、前回のコメントで、現在中古しかなく、残っているものは高いものしかないかも、の様な事を申してしまいましたが、私の利用しているのとは違うサイトでも何か所か売られているのを発見、そしてそちらは定価だったかもしれません。
在庫がない場合は注文を入れた時点で「現在お取扱いできません」などと出るはずなので、注文できたということは在庫があるのだと思いますので、楽しみに待っていてください。(*^^*)
まとまりがない文章だなんてとんでもない。コメント、嬉しかったです。読んだら感想など書いてくださるとうれしいです。
現在、電子書籍化への取り組みが遅れているのですが、こういうコメントを拝見するたびに、頑張らなくては、と力になります。o(^^)o
ありがとうございました。
中原先生の退任は本当に残念ですが、再びユニフォーム姿になって、甲子園!!を期待しています。
卒業した後も本当に気さくに話をしてくれて、長野日大の監督になった時も、みんな応援していました。
今の高校生は、当時の快進撃を知らない世代ですが、また甲子園で暴れてもらいたいと思います。(もちろん中原先生が監督で)
書き込んでいただきましてありがとうございます。
(どなたなんだろうなぁー(*^^*))
毎年監督とゴルフに行って泊りがけで忘年会をするのですよね、確か3期合同で。私も本の出る前年(選手たちのその後の15年を取材している時)の忘年会に呼んでいただき、一緒に写真を撮ってもらったものが本の中の写真の一枚になりました。あの時いらした方なのかなぁー。
そうなんですよね。1991年の快進撃を知らない子供が高校生になるほど年月が経ってしまいました。
でも、ほんとに中原監督にはまだまだ現役でいてほしいですよね。私も気さくで偉ぶらず、明るい監督が大好きです。
そんな監督の姿や、あの時のことをもっとたくさんの人たちに知ってもらいたいから、電子書籍化したいなと思ったんです。
今、諸事情で大幅に遅れてしまってますが、こういうコメントを見るたびにありがたいなぁーと思うとともに、頑張らなくては、と自分に喝を入れてます。(^^;)ゞ
お書き込み、ありがとうございました。
平成3年メンバーの1人です。
今月の24日(土)に松商野球部OB会に参加してきました。
平成3年メンバーは5名が参加…
中原先生と一緒に壇上へ上がり挨拶までさせていただきました。
もう24年も経ったのかと改めて年を実感…
2次会で猫田ジャレさんの話になり、久々に覗いてみました。
連絡を取ってるメンバーもいるみたいですね…。またお会い出来ることを楽しみにしてますm(_ _)m
音信不通の男ではごさいませんが…失礼しました。
そうなんですか。24日、つい先日の土曜日ですね、松商野球部のOB会があったんですね。そして、2次会で私のことが出たなんて嬉しいというか恐縮です。(^^;)皆さんにお会いしたかったなぁー。
昨年暮れの3学年合同忘年会もね、実は行きたかったんですよ~。
岡元君は毎年年賀状をくれるのですが、林君が何年かぶりでくれたので(笑)懐かしくて電話して、実はあの時の本を電子書籍にしようと思っていて皆さんに会いたいから、近々48会を開いて呼んでくれないかなぁ、なんてお願いしたんです。
それと前後して中原監督にも電話を入れている最中に、ブログに書いたように母が骨折で緊急入院しまして、監督と林君には今外出できないのでちょっと待っててくださいね、とあわてて連絡をしたんです。
何と申しますか、いい年をして恥ずかしいのですが、母が入院して精神的にも肉体的にもちょっとメゲているというかグロッキー状態でして、外出できないでいる時に色々と下準備できるとよいのに、何も手につかなくて。(^^;)
そんなわけでいつになることやら、ですが(母の退院のメドも立っていないですし)、必ずあの本を電子書籍にしますので待っていてください。
そしてするからには、2006年から9年後の選手たちが今どうしているかを少しでもいいので書き加えたいので、できる限り皆さんにお会いしたり連絡が取れればいいなぁと思っているのです。
H3のメンバーとは、なんか離れられない運命にあるようです・笑。
コメントくださったの、誰かなぁーって想像してるんですが、よろしかったら個人的にメールいただけないでしょうか?(アドレスを忘れていたらHPのコンタクト欄から行かれます)
私、宮下君のこと書いてしまって反省してるんですよ、他のメンバーの方が連絡しにくくなるじゃないですかねぇ・笑。
これを読んでいるメンバーの方、どなたでもメールいただけると嬉しいです。どんなことでも構いません。
こんな場で言うのもなんですが、落ち着いたらこちらからも必ず連絡しますので、どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m
でも、お名前は内緒でも書き込みとっても嬉しかったですよ。(*^^*)
こんな状態の時なので元気をもらえたし、頑張れって励まされた気がしました。皆さん達に早くお会いしたいので頑張らなくてはね。p(^^)q
ありがとうございました。