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猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

5、6月の出来事・・・その1.(堀内完先生のこと、イズミの同期会など)

2016年06月28日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)
いやぁ、みなさん     またまたのご無沙汰、どーもしーませんでした。     


なんか、5,6月は取材が立て込んでまして、ブログを書く余裕が・・・     

いつか時間ができたらカテゴリー別に分け、もう少し詳しく書き加えたく思いますが、とりあえず、全部まとめて簡単ですが、ご報告だけチラッとしますね。



 5月20日、かねてより療養中だった、大好きな堀内完先生 (ユニークバレエシアター主催、イズミ・ミュージカルアカデミー講師、舞踊家、演出家、振付家) が、誠に残念なことにご逝去されました。85歳でした。

翌朝真弓先生からご連絡をいただき、イズミではナオミが同期に連絡、お香典をまとめてくれました。

ナオミとユカ (二人ともユニークにも行っていた) が同期代表として、西麻布の妙善寺にて23日に執り行われたお通夜に行ってくれました。
私もお通夜か告別式のどちらかにできれば駆け付けたかったのですが、既に決まっていた取材等の日程的にどう考えても無理とわかり断念。

そういうと、ナオミは 「完先生もクリエイターだから、きっと書くほうに専念しろ、と言ってくれると思うよ」 と言ってくれて、少しだけホッとしました。


>よいお通夜でした。

>夕暮れ時の境内は、ダンサーの皆さんが多いから、お焼香を待つ列も姿勢の良いこと!

>屋内の読経は外には聞こえにくかったけど、水が流れていたり、空が綺麗だったりして、時間が長いとは感じなかった。


との報告を受け、なんだか情景が見えるような気がしました。

お香典はアカデミー専門部10期生で13人の申し出があったそうです。

私は、自分のようなものが差し出がましいかとは思いましたが、何かせずにはいられなくて、そのお香典参加の他に個人的にお花とお線香をお送りしました。
注文の仕方を間違い、お通夜には届かず、告別式での到着になってしまったのですが・・・

完先生に差し上げるお花が、華やかな公演用のものではなく、このようなお花だったことが悲しいです。
でも、明るい完先生にお贈りするのだからと、気持ち、明るめのお花も入っているものを選びました。


完先生との思い出は尽きないので、また落ち着きましたら改めて書き加えさせていただきたいと思います。




 1986年3月22日、専門部10期生の卒業公演にて。 (於:水道橋・労音会館・RNホール)

真ん中の、グレーの背広に茶色のシャツの方が、総監督を務めてくださった 堀内完 先生、その右隣茶色のスーツが いずみたく 校長先生 です。

最前列右端、石岡先生、その隣のミュージカル論の 風早美樹(みき)先生、みなさん故人となられました。
完先生の左二人隣りが、今でも尊敬する大好きな真弓先生。

当時25歳だった私も、どっかにいるはずです・笑。  ちょー恥ずかしいけど、青春のひとコマ?

   

 90年12月27日、ユニークバレエシアターでのクリスマスパーティーにて完先生と。(右は真弓先生)

私はミュージカルやダンスは全然ダメな落ちこぼれだったので、
もちろんダンサーとしてでは全くなくて、むしろそうだったからこそ、違う意味で変わり種というか面白かったんでしょう (当時から書いているようなこともお伝えしておりましたし)、 可愛がってくださったんだと思います。


完先生、
出版した時に本をお送りしたら、立派な漆塗りの箱に入った祝電をくださったこと、東京からKまでかけてくださったお電話、お手紙、決して忘れません。

その続きを書くために、今、一生懸命取材しているんですよ。

出来上がりを、楽しみに待っていてくださいね。



 そんな折、5月29日に、1986年にイズミミュージカルアカデミーの専門部を卒業して、2016年の今年で “卒業後30周年” ということで、同期会がありました。



私は行かれなかったのですが、後日写真が届き、本科だけでやめたり、専門部の期がズレた人なども含めて14人が参加したそうです。

ほか、アニキ的存在だった生徒のお世話係の 柳(やなぎ)さん、ダンスの 内御堂真弓先生、本科の音楽の 河崎美智子先生、そしてそのご主人で演技指導の 保(たもつ)先生まで来てくださって、
保先生はなんと、御年90歳だそうで、お元気そうで何より、お会いしたかったなぁ~。

実は最初、写真を見ても誰だかわからなかった人が4人いて・・・そのうち2人はわかったけど、最後までわからなかった人がいました・笑。

みんな、いい具合に年を重ねて、立派な中年女性になりました・笑。


この次いつあるかわからないけど・・・次はぜひ行きたいなぁと思います。

あさよちゃん (写真右手前)、いつも同期会を率先して開いてくれてありがとう。

そして今回は行かれなかったので作成した、自分の 「近況と電子書籍発売案内を書いたチラシ」 をみんなに配ってくれてありがとうね。










内御堂真弓先生☆Love(手作りプレゼント) + 「ユニークバレエシアター」 のことなど

2015年11月18日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)
 「自宅片づけに、プチ燃え・笑」 記事から独立させました。   




 「自宅片づけに、プチ燃え・笑」 しているとき、色々片づけたり、制作したものの一つ、
東京にいるとき、尊敬していて大好きな、ダンスの真弓先生 (女性です) に差し上げた、手づくりの 「きつねのタオルかけ」 と 「ティッシュBOXカバー」・・・、
ちゃっかり自分用のも作って愛用していましたが、 ※ 写真は下に

タオルかけは実家で使い、もう 「けつねさん」 のお顔もボロボロだし、フックがはずれかけたり、中のゴムやひっかける紐のところが伸びきってしまったのでよほど捨てたいところだったけど・・・

物を大切にする親なので、 「修復」 を試みてみました・・・。

ボロですが、一応不便なところは治りました。   

( 後ろに写っているのは、別のタオルかけですので、念のため )   



 真弓先生にも差し上げて、自分の分もちゃっかり作った 「けつねさんシリーズ」 の、

 タオルかけと  ティッシュBOXカバー

汚れたり色あせてますが、もっときれいなピンク色に、イエローのバイアステープで縁取りがしてありました。

ティッシュBOXカバーについているのは、ちっちゃな 「けつねさん」 のぬいぐるみマスコット (市販品) です。 かわいいでしょ? 
( ティッシュBOXは、今でも書斎で愛用しています。 )

先生がちょっと 「けつねさん」(かつての愛読漫画家:陸奥A子命名? キツネさんのこと) に似ているので(笑)、
 「けつねさん」 シリーズのKのお土産 (クリップやその他) なんかも色々プレゼントしました。


あと、



 1985年、ユニーク・バレエシアターの発表会で、真弓先生が 「ロッカ バイ カルメン」(ビゼー曲、マックラーレン編曲、堀内完振付) の “カルメン” を踊られた時には、とても感動したので、終演後にフェルトでちっちゃな 「カルメン・マスコット人形」 を作り、

写真のように、先生が黄色の衣装を着ていらしたので、真弓先生には、マスコット人形も、黄色のドレスに赤いバラ (自分のには、赤いドレスに黄色のバラ) を頭につけたのを作って贈りました。


 その翌年、86年に発表会でやった 「ジャズ・ミサ曲」(デューク・エリントン ジョン・コルトレーン編曲、堀内完振付) を、明くる87年の公演にて再演した時だと思うのですが、
一度でいいから、大好きな真弓先生に “カーテンコールの時に” 何か差し上げてみたい    と思い立ち・・・



お花ではありきたりだから、ここは、意外性を狙って、妖艶な先生の雰囲気とちょっと違う、可愛い人形を贈ろうと思って、抱き人形を製作、

わざわざ前方の通路側の席を取って、そんなことを思いつく割には小心者なので、ドキンチョーで心臓バクバクもんでしたが、カーテンコールの時にお渡ししました。

先生は多分、喜んでくださったかとは思うのですが、ちょっと戸惑ったみたいで・・・  
ほんとに何年もたってからようやく、やっぱり意外性を狙うよりもここは、華やかなお花をお渡ししたほうがよかったかもなぁー、と反省した次第です。

 2000年のユニークバレエシアター公演で、主催者で尊敬していて大好きな堀内完先生が、 『パウル・クレーの一枚の絵』 (武満 徹 曲) を振りつけられて自ら主演された時、
クリスマスパーティーでのお楽しみとかではなく、ちゃんとした舞台でダンサーとしては既に引退されていた完先生が自分で踊られたのを見たのは、後にも先にもその時だけだったと思いますが、
やっぱり勇気を出して、カーテンコールの時に、今度はちゃんと花束をお渡しして、とても喜んでいただけたのがいい思い出です。

カーテンコールで舞台上の方に何かを差し上げたのは、たぶんこの2回だけだと思います。大好きで尊敬する先生方たちなので、勇気を出してぜひ一度は、と思ってやったのだと思います。

完先生の息子さんの堀内充さんも大ファンでしたが、出られた舞台は、新国立劇場などの大きい場所の他のバレエ団などの公演が多かったので、カーテンコールで差し上げられる雰囲気ではなく、楽屋にはいつも必ずお花やプレゼントなどを持っていきましたが、カーテンコールで差し上げたことは、記憶が確かなら多分一度もないかと思います。 )




 こちらは、ちょーバズカシイですが・・・  

後日、真弓先生のおうちに、イズミ同期で、ユニークにも通っていた仲良し4人組で遊びに行く機会に恵まれ、その時に差し上げた 「タオルかけ=先生のはフックが赤」 と 「ティッシュBOXカバー」 がお部屋にあるのを見つけて大喜び  

みんなが、 「ネコタはこんなものを作って贈っちゃうんだからスゴイよ~」 とホメて? くれたので・・・

記念に一緒に写真を撮りました。

真ん中が今でも大好きで尊敬している、美しい 真弓先生、 先生と私が手に持っているのが、けつさねさんのティッシュBOX、
今でも親交の深い、ブログにも時々登場するナオミが頭の上に載せているのが、けつねさんタオルかけです。

憧れの先生の髪形をまねて、髪をソバージュにして、おでこ丸出しのポニーテールにしてました。 
( 先生の様にカラーリングはせず、この時はおろしてますが。あと、この髪型、先生なら似合うけどね…
他にも、真弓先生の着ている洋服や靴なども、まねて似てるのを着たりもしてましたね。真弓教信者でしたから・笑。 )

真弓先生はじめ、みんなお顔が小っちゃくてカワイイ (私の上のトモコは専門部卒業公演の主役、右隣ナオミは重要キャスト、真弓先生の右隣、宝塚ファンのユカもサバサバした好きなタイプの子でした) ので、私だけ鉢がばかデカイのが、なおのこと恥ずかしい・・・
あと、大きなヘアリボン、上の写真でもしてますが・・・
80年代とか、当時流行ってたものって、今見ると、ちょーバズイですよね。     


あ、でもこの時、先生の寝室のベッドボードに、カルメンの時に差し上げたマスコット人形が吊るしてくれてあったのを発見し、
ダブルで、ちょーちょー、ちょぉぉぉーーー   嬉しかったですったらぁ~      


しかし、大好きな方に何かを “手づくり” して差し上げるの、昔から好きだったんですね。
( これは、母譲りで、自分が手作りが好きなためと、手づくりしたものは、きっと相手が喜んでくれるに違いない、と勝手に思っているからで・・・ )

でもね、同じ手作りでも、チョコとか石鹸なら消耗品だからなくなるけど、こういう 「モノ」 として残るものって、自分も子供の頃、今思うと贅沢だし、ヒジョーに申し訳ないのだけど母の手作りに対して若干思ってたことだけど、 「手作り=貧乏くさい」 と思う人もいるみたいだから、どうなんでしょうね?  

いつだったか、フィギュアのアッコちゃんのブログに、ファンからプレゼントされたという、買ったみたいに上手な、手作りのアッコちゃん人形 (衣裳もアッコちゃんの着ていたものを忠実に再現) が載っていて、
自分がかつて大ちゃんに贈った、大ちゃん衣装を着た 「スケート・ベアー」 と比べて、あの時は、苦労して作った事も手伝ってか、まあまあうまくできたかと自己満してたのに、全然上をいってる人の作品を見て、ちょー恥ずかしかったですが・・・    

自分では作ったこと、差し上げたことに満足してても、相手には大してうまくないのに、悪いから捨てるに捨てられないとか、困ることもあるかもですね~。

( 自分も、お礼とかで手作りの固形物=残るもの、をいただいたことが何度かあり、いただいたときはそのお気持ちが嬉しかったものの、実はちょっと趣味と違って、ゆくゆく困ったこともあったし・・・
真弓先生にさし上げたという、当時は最大級の出来事でも、何十年とたてば、タオルかけとティッシュBOXカバーはまだかろうじてとってあるけど、カルメン・マスコット人形は多分、もうないと思うし・・・ )



 一応ね、昔の写真を探してみたらあったので、オマケで載せてみました。  




上が、1986年、ユニークバレエシアター公演にて 「カルメン・再演」

下が、カーテンコールの時にお人形を差し上げたときの舞台 「ジャズ・ミサ曲 再演」 です。


真弓先生、

もう舞台では踊られてませんけど (舞台芸術学院他で教えてはいらっしゃる)、 踊りに美しさやドラマ性、風格、気品があって大好きでした。

そして、踊りも素敵でしたが、なんといっても美しくて細くてカッコよくて、
踊りやポーズ一つとっても、何気ない動作でも色っぽくて女らしくてたおやか、妖艶でカッコいいのに、性格やしゃべる口調などは反してサバサバと男?らしく(笑・サバサバした女性が大好き)、
物事の本質をよくとらえられている頭の良さ、判断力を供えもち、プロとしての厳しさがあるから、時としてきついようなバッサリとした物言いをするのだけど、深いところでは、本当の意味で優しくてあったかい、そんなお人柄が大好きなのです。





※ 故いずみたく先生の親友だった
 堀内完先生 は、私の通っていた当時、いずみたくミュージカルアカデミーの演出家、振付家であり講師。ユニークバレエシアター主催。貝谷 八百子(かいたに やおこ)バレエ団出身の元バレエダンサー、日本を代表するミュージカル演出家、振付家。(日本におけるミュージカルの先駆け的存在)
確か私の父より一つ下だったと記憶しているので、おそらく1930年生まれで、山梨県出身だったと思う。一時期、山梨で教鞭をとっていたが、夢を捨てきれずに上京したとどこかで読んだ記憶がある。
完先生は上級クラスでしたが、一時期、初級バレエを教えてくださっていたことがあったので、そのときに教えていただいたのがいい思い出です。厳しい中にも明るくユーモアがあったので、とても楽しいレッスンでした。
( 現在は御病気のため 「バレエスタジオHORIUCHI」 として、ご子息の 元と充(双子)、林かおり さんの3姉兄弟が主催、指導に当たっている。
ついでながら、完先生の奥様で堀内3姉兄弟の母でもある秀子先生も、もと東勇作門下のバレエダンサーで、ユニークバレエシアター教師。秀子先生にも習ったことがありますが、私の母と同じ1926年生まれで、ご実家は銀座のおせんべい屋さんだったという。
ちなみに秀子先生ご自身も双子の妹さんがいて、幼少期、二人でバレエを習っていたらしい。双子は遺伝するってホントみたいです。
完先生も秀子先生も、よく考えたらうちの両親とほぼ同じ年なのに、そうとは思えないほど若々しくて、当時は珍しかったバレエをやっていらしたことにビックリします。 )

 内御堂真弓先生 は、東京都出身のダンサー、振付家、ダンス教師。宝塚音楽学校卒、宝塚歌劇団を経て、ユニークバレエシアター団員で講師 (完先生の愛弟子)、 イズミでもダンスの講師で、私たちは2年間、イズミで真弓先生にダンスを教えていただいていました。年齢は、確か私より11歳上だったと記憶しています。
ユニークにも通っていたので、他の先生のジャズやバレエのほか、真弓先生のジャズクラスを取っていた時もあります。



 ※ 自分史と照らし合わせた ≪ 付記 ≫

・1984年4月、大卒二年目、23歳の時に、OLをしながら、夜間にいずみたくミュージカルアカデミーに入学。

その年の8月、ユニークバレエシアター、堀内元&充のニューヨーク留学凱旋公演を見る。
演目は 「卒業記念舞踏会」 と 「ペトルーシュカ」 で、
生まれて初めて、生でバレエの公演を見て、バレエってこんなに楽しいものだったのか、と心底感動して、バレエに開眼するきっかけとなった。
この時から充君のファンになったのだが、堀内兄弟、19歳の時で、よく 「充くんが19の時からファンなのぉー」(シャレ) と言っている。

・イズミ、本科の卒業を経て2年目の専門部が始まるころ、ユニークバレエシアターにも通い始める。
( 50の手習い!? (^^;) ピアノのお稽古 ~ 補足編  ~  2011年07月24日 | ピアノ・その他音楽 カテゴリー参照 )

その年の7月、ユニークの発表会で、本科のころから大好きな真弓先生の踊る姿を 「ロッカ バイ カルメン」 にて初めて見て、ものすごく感動する。  カルメンマスコット人形を作って贈る。 

・1986年、3月にイズミ専門部を卒業。
卒公に向け準備をしていく中で薄々気づいていたのだが、4月から新たに開催される、いずみ先生が無償で指導するという 「いずみたくパフォーミングアーツ」 を受験するも落ちてしまったこともあり、ミュージカルの道を断念するが、
専門部卒公前に辞めていた仕事も、その後OLに復帰していて、ユニークでの真弓先生のクラスは昼間だったので受けられなくなり、
真弓先生に会いたい一心で、イズミの一期下の専門部のダンスレッスンは夜だから、それだけに通わせてもらったり、ユニークにも通い続け、未練がましくその周辺をうろついていたので・・・

その年の5月くらいのユニーク発表会にて、真弓先生が 「ジャズ・ミサ曲」 を踊られているのも見たし、その年の10月の同公演にて 「カルメン・再演」 も見ている。

・1987年5月、ユニークも3年目となり、初めて発表会に出させていただく。
昼間の仕事に復帰していたから、仕事後に夜のレッスンに週3位で通っていた (たぶん、バレエ2のジャズ1位だと思う) うちの、ジャズクラスを担当していた二人の先生のうち、Y先生の振り付け作品で出させていただきましたが、
ナオミ、トモコ、ユカは、真弓先生のクラスを取っていたため、真弓先生の振り付け作品に出させてもらえて、また、みんな一緒で心強そうで、すごく羨ましかったです。

また、この年のバレエ小品集に、大好きなショパン曲の 「レ・シルフィード」 があり、ジャズよりもバレエに気持ち的にのめり込み始めていたので、
大人から始めてまだ数年なので、とてもバレエで発表会に出る実力などないとわかりつつも、もし、バレエのクラスしかとっていなかったら、仕方ないから? バレエで出させてもらえたのかしら、と後悔した。
( 発表会に出る出ないは個人の意思で自由に決められたが、どんな演目に誰が出るか、というのは取っているクラスや実力などを加味して、先生方が決めてくださることだったので。 )

その年の8月には、ニューヨーク・シティ・バレエに入団した、堀内元君の 『帰郷公演』 があり、 「ジャズ ミサ曲」 も再演されたので、その時に、カーテンコールで真弓先生に手作りのお人形をお渡ししたのかと思われます。

・88年ころに、ニューヨーク留学を終えた充君が帰国、バレエ色が強くなり、ジャズの真弓先生はユニークでは出演されるより振付に回り、
同じころイズミの講師を辞められたこともあって、真弓先生ファン待望のご自分のスタジオを開設 (現在は閉鎖)、 
91年に完先生の振付、演出のもと、初の単独リサイタルを開きます。
リサイタルは翌92年にも行い、もちろん、両方とも見に行き、大変すばらしくて感動しましたが、
真弓先生はその後、ダンサーとしては舞台に立っておられないと思います。


自分は、ユニークには、1991年の、まだ31歳になる前くらいまで通っており、
その後も、シアターの発表会や公演は毎年、92年暮れにKに戻ってからも、充君の踊り見たさに、しばらくは上京しては見に行っていたと思います。(充君の出演される他の団体の公演は、もちろん














スタジオUの発表会

2015年11月02日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)
 11/1記事から独立させました。

 10/31、午後から、コレ行ってきました。 



習っている先生の主催されているバレエ・スタジオの発表会。

辰野町民会館、初めて行ったけど、割と行き易い道で、しかも1時間と、思ったよりも早くついて、ほっ。
( 2時開演なのに前日の夜更かしと疲れがたたって、起きたら11時57分だったんだもぉーーーん。 
40分くらいで速攻支度して、時間ないから一瞬辞めようかと思ったけど、せっかく先生に、よかったら楽屋に来てくださいねって言っていだいて、お尋ねするのに手ぶらではいけない   と思って、お祝いを兼ねた差し入れというか手土産に、一人ずつクッキーのちっちゃな包みを3人分、買いに町中まで戻り、車をすっ飛ばして  開演10分前くらいにつきました     ナビさまの、お陰です       ) 





「発表会」 などというものは、出ている子の身内か、でなければ、私の様に習っている人でもなければ、あんまりおもしろいものではないのですが・・・  

習っている立場で見れば、それなりに面白かったですよ。

M先生のスタジオ発表会、初めてだったのでどんなか見てみたかったし。

 
一番よかったのは、チラシの写真に写っている子ですね。

写真は 「エスメラルダ」 で某コンクール優秀賞を取ったときのものらしいですが、
なぜこの子がチラシ写真に使われたか、踊りを見て納得しました。

この日踊ったのは 「ダイアナとアクティオン」 より、ダイアナのヴァリエーション。

年齢が小さいから、というよりは、まだ始めて日が浅いのでしょう、トウシューズは履いていませんでしたが、脚は上がっているし、ポールド・ブラや全体の動きがとてもきれいだし、表現力もなかなかでした。

他にポアント (トウシューズ) で踊ったお姉さま方や、受賞歴のある生徒さんも他に3人ほどいたけれど、ダントツでしたね。


逆に、ポアントを履かなくても受賞して、この演技、というのは、凄いかもです。

名簿の顔写真を見ると、おとなしそうでやや地味な感じなのに、ステージでは華やかで優雅、キラキラしていたところもスター性ありです。


この分だとすぐにポアント履けるようになると思うので・・・

いやぁ、2年後の発表会が楽しみだなっと。   


あとは、男の子の生徒さんが、小学生の先生の息子さん、一人だけだったみたいなので・・・
もう少し増えてくれると嬉しいですよね。


スタジオとしてはもしかしたら、歴史が浅いのかもしれなくて、これだけの大舞台をやったのはすごいと思います。


レッスンは今週は祝日でお休みだから、来週、先生にいろいろお聞きするのが楽しみだなっと。  



そして・・・

もしかしたら私が出たかもしれない   演目ですけれどね、

やだもー、大人の生徒さんつったって、先生クラスの二人以外は高校生が二人と、大人はたぶん一人だけで、しかも20代か30代?

私なんて、とても出られたもんじゃなかったです・笑。

カルチャー教えてるCさんが60代の人もいるって言ってたのは・・・あれはなんだったのでしょうね 

それも今度聞いてみなくちゃ。   
 聞いたところによりますと、それはスタジオUではなく、Cさんが教えに行っている 「カルチャーのクラス」 ことなんだそうです。










大人女子のカラダ改造計画・その2・・・バレエ仲間と初ランチ + 家トレまでの道のり

2015年09月25日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)


皆さま   お待たせしました     


大人女子のカラダ改造計画・その①・・・なぜか再びバレエ(^^;) を、2014年3月21日 にUPし、
その後、3月23日に 「バレエの補足」 を書いてから、一年以上が経ってしまいましたが・・・    
 
やっと 「続き」 の更新です     



 伊那のカルチャーでやっている 「大人バレエ」 の講座(M先生のやっている、バレエスタジオUのクラス)、通い始めて今年で3年めになるのですが、

その3年間ずっとやめないで、固定メンバーの様になっている人は、Uの違う講座や子供クラスを教えている先生レベルの二人 (CさんとHさんも、M先生の火曜午前中の大人クラスを受けているのだ) 以外は、

初心者レベルの、私、Aさん、Yさんの3人だと、やっと最近分かってきたのですが、


なぜ、今頃わかったかというと、レッスンを受けに行ったらさっさと帰ってくるので、更衣室で着換えながらちょっと話すくらいしか接点もなく、ひょっとすると名前すらもうろ覚えであった。


それが、と、あることをきっかけにアドレスを交換し合ったことから、今度ぜひランチしましょう、ということになり・・・

それからは、とんとん拍子で今日の日が決まりました。

場所は、伊那のウエストビレッジという、お洒落なお店が集まっている一角にある、フレンチレストラン。


おしゃべりに夢中で、うっかり写メを取り忘れたと、帰りの車中になり初めて気づいたのですが・・・  

私とAさんが 「キッシュ・プレート」 で、メニューを見た時は色んなものが楽しめそうだったので決めたのだけど、
来てみたら、ランチセットメニューすべてにつくというパンとサラダを除けば、キッシュ、カボチャのポタージュ、一口大のさんまのマリネ、どれも小さめで、ボリューム的にちょっと物足りなかったです。  

盛り付けはとてもおしゃれで美味しかったんですけどね。
( まぁね、キッシュは元々がそれだけでメインって感じのものではないので・・・ )

Yさんの頼んだ 「そば粉のガレット」 の方が、ガレット (クレープみたいなもの) の中にチーズがはさんであり、チラッと見た感じでは大きな厚切りベーコンが2枚と半熟な感じの卵が丸々1っ個乗っていて、ボリューム満点でおいしそうだったなぁ~。  

そっちにすればよかった。     散々迷った挙句、人の食べてる方がいつもおいしそうで後悔する人。




デザートはこちらで、美味しかったです。  



ま、そりはともかく・・・

おしゃべりは楽しかったですよ~。

初めてのランチだから、自己紹介? 的に、出身地やお仕事や、3人とも主婦なのでご主人とのなれ初めや、そんなようなことをあれこれ聞きだし大さわぎ。

2年近くほとんど話してこなかったけど、二人とも気さくでおもしろい? 人たちでした。
( もっとも、3か月で5回程度しかレッスンに行かず、お互いに出る日がぶつからなければ、会える日はもっと減るので、接点が少なくて当たり前なのだが )


お二人とも経歴やお仕事が、ちょっと普通ではない(笑)のですが、書いていると長くなるのでそこは省略して、


 そもそもなぜ、今頃になり突然メアド交換をしたかというと、

3か月ほど前、突然私が、2年に一度あるという、スタジオの発表会が、今年10月末にあるのだけど、それに出たい  と思い立ち、

「一緒に出ましょうよ。」 と、お二人に声をかけたことがきっかけなのだ。


結局、今からでは、色んなことがとても間に合わないし、余りにも無謀だ   

と、よく考えたらわかったのでやめて、


よしっ    こうなったら2年後の発表会を目指そう     

と、考えを変えたのだが・・・。


あの頃は、母の入退院でテンパってて、ちょっと頭が変? で

実は今だから明かすが 「木曽義仲火牛太鼓(-かぎゅうだいこ) の会」 に、もうちょっとで入るところだった。 (※注1)



AさんもYさんも、バレエ歴はそれほど長いわけではないのだが  (大人になって始める) それぞれに、ダンスや踊りの経験、発表会の経験などもあるらしいので、

子供が小さいとか夜に出られない、伊那以外の場所へは通えない、など、自分と似たような家庭の事情もあるが、

2年後ならきっと大丈夫   (子供が大きくなっているから)


「今日の食事会はね、実はこれから2年かけて、発表会に出ましょうって洗脳するための第一歩なの・笑。」

と、別れ際にクギを? 刺しときました。    



 なぜ一緒に出ようかと誘うかというと、一緒の方が心強いから、という以上に、

もしも私達3人が出ることになれば、先生レベルの二人と合わせて、火曜日午前中のクラスだけで1チームできるので、普段のレッスン時間を使って発表会の練習ができるのだけれど、

もし、例えば私しか出ない場合は、他のクラスの方たちと一緒でやっと1つのチームができるわけなので、
私が別の場所のクラス (おそらく辰野町の夜のクラス)、 へレッスンに行かなければならなくなるので、それはかなり不可能=発表会には出られなくなるということなので、

私が発表会に出るためには、火曜午前クラス全員が出ることが、自分にとっては不可欠なのです。



ま、2年たつということは、自分も57歳になっているということだし、家族や、同じクラスの人たちや、その時になって本当に出られるのかどうかはかなり未知数ですけど、

気持ちは、出るつもりで頑張りたいと思います。  


事実、2年後の発表会に出ようと思ってから休まなくなったというか、今まで3か月で5回 (のチケット) を超えたことがなかったレッスンに、+料金で2回出ることになったり

あとはねぇ、
レッスン中の 集中力や向上心が、まるで違う  のが自分でもわかるの。


毎日のストレッチもサボることがほとんどないし。


なので、2年後の発表会までにヤセることが目標です。

あと、痩せれば発表会に出られるわけではなく、できないパができるようになったり、
自分の場合、もう少しアンドゥオールして、脚力を付けるのも目標。



 なので、先日ご紹介した、例のコレが、けっこう役に立つのです・・・。



左が

 倒れるだけで腹筋、ワンダー・コア~   

右が 「レッグマジック・サークル」。



 そもそも、なぜこのようなマシーンを購入するに至ったかと申しますと、


① 2013年にバレエの体験レッスンを受けたあと、トレーナーの方についてもらい、同じカルチャー内のジムで、今の状況や何のために筋トレしたいかを聞いてもらい、試にウォーキングマシーンをやってみる。

② 同じトレーナーが、食事指導もしてくれるというので、同料金(1時間2千円)で、カルチャー外で時間を作ってもらい、①と同じように相談を受ける。


 かねてより、自分に合ったメニューを考えてもらいたい、効率的で信頼できる個別指導を受けてみたいと思ったのでついてもらったのだが、そして、とても感じの良い女性トレーナーだったが、

そもそも自分は、明確な目標を持ってそのために指導を仰ぎたい、など特別な場合を除けば、
人にとやかく言われるのが苦手なタイプだった ことを思いだしたのだが、2度目以降がなかった。



 1年間バレエのレッスンをしてみたが、何しろ3か月で5回を超えない (それ以下のことも) 程度しかレッスンしてなかったので、当然ダイエット効果はなく、体力の衰えも改善されなかったので、

バレエのレッスンと並行して、やっぱりジムへも行こう   

と思い、

③ 一年前にも実は目につけていたものの、考えて入会しなかった、伊那のショッピングモール内の 
Cという 「女性専用サーキット・トレーニング・ジム」 に思い切って入会した。
2014年の1月~5月くらいまで、冬の雪道や、途中ソラチの病気などを克服しつつがんばって通ってみたが、


・12種類のマシーンを30秒ずつ順番に回るのがせわしなく、次の人が来るので急かされている気分になる、
ひとつのマシーンの時間が短く、楽なので、トレーニングをやっている=効いている実感がない、
途中何秒かに一回脈拍を計るのもうまく計れず、ストレスに、
総て考案されたプログラムに沿って、場内放送で動く、飲み物は水以外はだめ、など決められた感が強い、
など、トレーニング内容が “自分には” 合わなかった。 
( 最も効果的なプログラムとして考案されたらしいので、合っている人もいるかとは思いますよ。 )

・ジムのスタッフがやたら明るくて元気がいい、通っている他のメンバーの人との交流はなくてラクだったが、年配者ばかり、というのも自分に合わず。
・ショッピングモール内にあったため、ついでに買い物しちゃったりの浪費も。

などですが、一番のネックは、

・一ヶ月何度通っても一律6千円位の月謝制だったが、自分の場合遠くて週一程度しか行かれなかったため損だったことと、

・そのジムは12種類のマシーントレーニングを2周して、最後ストレッチをして、30分で終わる、という 「空き時間利用のお手軽さ」 をウリにしていたのだが、
ご近所に住んでいれば一日おきに通い、家事や仕事の合間に30分、て感じだったら続けられたのでしょうが、

自分の場合、たった30分のために片道50分もかけて伊那に通うのが、時間的にも金銭的にもかなりのロスである


と、薄々思っていたところ、知人に

「もったいなぁ~い 
それだったら、 レッグマジック・サークル買って、家で好きな時にやる 方が 全然トク ですよ~。」


と言われ、一発で決心。



 ジムは退会して、まず、レッグマジック・サークルを夏ころに買いました。

ところが、届いた翌日からひどい腰痛に襲われ (今度は腰痛・・・(^^;))))  2014年06月22日 | ヘルス&ビューティーカテゴリー参照)、マシーンを使うどころでなくなったのですが、

販売元 「ショップジャパン」 に電話して、 当時キャンペーン中だった
“二週間の使用記録を付けて送るだけで、現金5千円キャッシュバック” のお試し使用期間を伸ばしてもらい、
半月ほどで腰痛が治ってから早速チャレンジ、  

普段そのような記録を付けるのは苦手なのだけど、 「5千円キャッシュバック、キャッシュバック」
と唱えながら、頑張って二週間続けて、記録も付けました。    


やってみてまず、その日のうちから二の腕と脚がひどい筋肉痛に。  

今まで、ステップ、エアロバイク、ダンベルなど、何をやっても効いている実感がなかった (なのでステップやエアロバイクは結局人に譲った) のですが、

こんなに 効いてる実感があった   のは初めて  

これはいいかも、

ってんで、筋肉痛、結局お試しの二週間ずっと続いたかなぁ、を抱えながらも毎日コツコツと。


結果、二週間で体のすべてのサイズが2~3センチ減ったのです    

ヤッタァ~       


そして、ちゃんと5千円も、後日銀行口座にキャッシュバッグされました。



でもね、みなさん   

このマシーン、テレビを見ながらラク~にスイスイ  というのがウリですが、あれは嘘です・笑。 

全然ラクではありませんよ~。

こんなにキツイとは正直思わなかったです。  
脚だけでなく、体を支えるためのバーを握る腕まで痛いんですもん。  

でも、自分の場合、(ヤル気モードにスイッチさえ入れば) やっぱり体育会系なのかな? 

筋肉痛になる=効いている  効果がありそう、と思えたからこそ、しんどくても続けられました。 


つまり、ラクして痩せる、だなんて夢のようなことは、たぶんゼッタイありえないのです   


ですが、

自分、そのうちにだんだん忙しくなったり疲れたり、色々で、次第に年内のうちにレッグマジックをやるのが遠のいてしまいました。



 「倒れるだけで腹筋、ワンダーコア~  」 に至っては、

レッグマジックサークルだけで、脚だけでなく、お腹も凹むという触れ込みだったんですが、

普通の人ならきっとこれ一つで大丈夫かと思うんですが、


私の場合、

今よりはもちろん痩せていたのだけど、ナゼカ子供のころから お腹だけは出ていた ので・・・

そして
うちの父も母も、二人とも痩せているのにやっぱりお腹だけは出ているので、たぶん 「家系」 だと思う (※ 注2) のですが、


とにかく、レッグマジックをやったくらいでは絶対へっこまない自信があるほど、

尋常ではないほどお腹が出ている       ので・・・


「倒れるだけで腹筋、ワンダーコア~  」  も併用しよう       

と、TVCM見ていて決心しました。


こちらの方は昨年12月に買ったのだけど、まず、すぐに組み立てなかったこと、
組み立ててからも1回試しにやってみただけで、そのまま放置してあったんですが、


今年になって、つい1カ月ほど前から始めました。

最初は一回につき50回のものを、細切れで4セットで1日200回   を目標にしたのですが (腹筋などは一度にやらなくても細切れで一日トータルで何回、というふうでも効果があるらしいと聞いたので)、
でも、そういうやり方だと、けっこうやるのをうっかり忘れるので、

今は一回で100回を1セット (時間的に5分と掛からない) として、できれば一日3セットを目標  に (このくらいならできそうかと) やってます。 


マシーンを使わずに自力でやった方が苦しいので効いていそうだけど、自力だと一回につき50回が限度。

でも、ワンダーコァならそれよりは楽に100回はできるので、回数多くできる点に限れば、よいです。

そして、
生まれて初めて 「お腹の筋肉痛」 になっているので、

効いているんではないかなぁ~と。  


これでもっとお金があったら、 「スレンダートーン」 という、巻くだけで腹筋 

とゆーのも買ってみたいですが・・・

けっこう高いのと、楽して痩せることはありえない (それなりにキツいトレーニングをしなければ筋肉は育たない) と思うのと、
体につける粘着パッドが1か月くらいしか持たない消耗品らしいので、不経済だから買うのをやめました。

もちろん、他の二つのマシーンと併用して、ですが、
ほんとは、どれだけ効果があるか試してみたい気持ちは山々なのですが・・・  


レッグマジックの方の、2週間お試しでキャッシュバック・キャンペーンが終わったら、ウエストや太もも、2の腕とかのサイズは計ってない (インナースキャンでの数値はもう何年も前から毎日つけてますが) のですが、

なんとなく、太ももとウエストが引きしまったような気がするのと、レッグマジックをやるようになって多少脚力もついたのか、
バレエのレッスン中、サンジュマンやエシャッペのようなパが、以前より若干きつくなくなり、嬉しいです。 
( といってもまだまだですけどね。前がとんでもなかっただけで。 )


食事も以前よりは気を付けて、
体重、体脂肪が数キロ、数%減、内臓脂肪も1つ減って6になるなど、多少効果は出ています。


食事で気を付けているのは、

・朝起きてすぐにワンダーコァ100回やってから、 「プロテイン・ウエイトダウンと明日葉粉末」 を水に溶かしたものを飲む
( 明日葉はセルライトを予防するので毎日とってると以前GACKTが雑誌で語っていた )
・食事はまず野菜をたくさん食べてからタンパク質ものを食べる。
・ご飯は玄米、パンもなるべくなら白くないものを心がける。
・豆腐、納豆を多く食べる。
・「かんてんぱぱ」 の雑炊やリゾット、スープ、おからなどをなるべく取るように心がける。
・毎日、亜麻仁油とココナツオイルを摂る。
・大好きなアイスクリームの代わりに、冷凍フルーツを半解凍したものに 「ケフィア菌」 で作る手作り 「豆乳」 ヨーグルト と市販の無脂肪ヨーグルトを 10対6 で混ぜたもの (牛乳ヨーグルトの酸味も少しほしいため) をかけて混ぜて食べている。  大好きなフローズンヨーグルトのようになって、ちょー美味。

などの他は、野菜を多めにとか、そんな感じですかね。


今回はメンドーだったから本は読まずに、今までやってきたことを思いだし、 「我流」 ですが、

4カ月で10キロ減、などと 無理な計画は立てず、
2年後の発表会までには痩せる、を目標に
気長にチャレンジ
   します。   


( 前回、2011年の、 『ネコタ4か月ダイエット奮戦記』 の模様は、

・もうじき終わるよ!? ダイエット!! その①(終了日まで、いょいょカウントダウン!) 2011-02-16 ヘルス&ビューティーカテゴリー、
・もうじき終わるよ!? ダイエット!! その②(本日いょいょ終了日!?) 2011-02-18  同上
・< 満期終了!! > 一応終わった!?ダイエット(ダイエット・その③) 2011-02-24  同上
・一生続くよ!?ダイエット?? (ダイエット報告・ファイナル!!) 改訂版! 2011-03-02  同上

で、ご覧いただけます。合わせてお読みいただけますと幸いです。 )



 一応、マシーントレーニング? と一緒に、毎晩風呂上がりにやっているストレッチは、

一応バレエのためのストレッチで、足の甲を出したり膝を入れるためのストレッチや、
普通の開脚の他に、左の股関節が自分の場合内側に入る癖があって、それを開く訓練をしているのですが・・・

その左脚のアンドゥオールのためのストレッチをすると、
なぜか左よりも 右の 股関節 と 右 大臀筋 (私は略してケツ筋と呼んでいるのだが) の方が痛むので、
そして、多少の無理をして開いている (そのくらいしないとできるようにならないと知っているからで、その点は長年やってきてわかるので大丈夫なのです) ので・・・、

そんなこともあって、毎日の全身筋肉痛がハンパないのです。  

左脚股関節を開く努力は、例えばレジ待ちなどで並んでいるとき、洗い物をしているときなど、立っているときに気づいたらなるべくするようにしているし。
( その立ち方をすると、自然とお腹とお尻を閉めるようにできているのです。 )



 中高生のころから内に入る癖のあった左股関節 (※注3) を開き、アンドゥオールする (足を5番に入れる) こと、

 子供のころから出ていたお腹を引っ込めて、 
タカミーのようなスリムなお腹、腰回りを目指す  こと、

は、50代中盤となり、ほぼ、 無謀な目標 と思えますが、  



不可能を可能にする       



を目標に頑張りますんで、今後の動向を楽しみに   していてくださいね。  



 運とか才能ではなく、こういうことは、続けてさえいれば確実に変るのでは? と信じているので、ひょっとすると・・・ 



( 「愛と筋肉はお金で買えない!」 がモットーの “筋トレ大先輩” タカミー王子が以前ラジオで、 「ダイエットでくじけそうになったらオレのことを思い出せ!」 と言ってくれたので、それを指針に私もガンバリまぁ~す!! by Takamiy教信者 )







 食事会は

ソロコンで上京した時に京王の 「リフレクト」 で、9月初めにあるだろうと予測された、と、あるイベントに、 “もしも当たったら” 着ていきたいなぁーと買ったブラウスと、今年の夏イベに着て行ったワンピースを下に合わせました。(ホントはタイトなボトムの方が合うらしいですが)

結局出番がなかったので(^^;)ゞ、どうしても着ておきたかったので、シーズン的にギリで間に合うかと (ほんとはこの季節秋物を着た方がよいのだが) ムリヤリ(笑) 着ました。

生地もカッティングもドレープも、全てにおいて上質感があり嬉しかったのですが、写真だと、よくわかんないですね・笑。 モデルが悪いのかな。   




Think Bee! のバッグは、今年春夏の新作で、 「スプマンテブルーラージバッグ」 という人気入荷待ちだったもの。 ソロコンの時に初卸し、この日は二度目でした。
配色、デザインもよく、持ち手やハートなどに革も使っていて、デニムなのにお洒落で気に入ってます。  
ストラップは、冬のプレゼントでもらった、シンクビー・マスコットのワンコ、「モモちゃん」ミニです。




玄関先で自撮りしていると、遊びに来て不思議そうにしていたソラチ。 

ソラチの後ろに見えているのは、夫のキノコ採り用の 「びく」 と 「クマよけ鈴」 のついているリュックです。



※ ランチのお店は、サイトのものを写真に撮らせていただきました。






※ 注1.「木曽義仲火牛太鼓」
 
寿永2年(1183年)5月11日、木曽義仲 が 越中国礪波山の 「倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い」 で10万とも言われる平維盛率いる平氏の北陸追討軍を破った際、牛の角にたいまつをつけて多人数のように見せかけて攻めた、という伝説を基に、太鼓でそれを表現した木曽地方に伝わる伝統芸能で、他の太鼓とは異なった叩き方をするらしい。 (ユーチューブでも見られますので、よかったらぜひ)

以前から会の存在は知っていたが、たまたま、その年に初めて 「町の公民館サークル案内」 に会のことが載ったのを見つけ、代表者が比較的若い知り合いの人に代わっていたこと、練習場所が店のすぐ近くだったことを知り、
TAOのところでも書いたが、もともとずっと昔から太鼓を打つ方にも興味があったので これはきっと神の巡り会わせかも、と思い、当時母の看病で疲れて、ストレスも発散したかったこともあって、体験見学に行き、翌週には入会する気になっていた。

だが、よくよく考えたら、夜の仕事中に1時間抜け出して毎週練習に通うのは困難ということ、メンバーの皆さん素敵な方たちばかりであったが、今から新しい人間関係を作っていくのはしんどいと思ったので、よくよく考えて入会はやめました。

やはり、あの時の精神状態がテンパッテいたのでしてしまった行動かと思います。 反省。



※ 注2. 「お腹が出ている家系」

・子供のころは、父が “やせ馬は腹から肥える” といって、痩せてる人は腹が出ているもんだ、というので、そうなのかと信じていたが、大人になったら、痩せていてもお腹が引っ込んでいる人もいるのだと知る。
そして、お腹だけが出ている人のことを 「幼児体型」 というのだとか?
・中学の卒業写真で、部活ごとの写真も撮ったのだが、(姿勢=立ち方も悪かったのだが) 体操部なのにお腹が出ていてちょーハズカシかった。
・母は洋裁が得意で、私たち姉妹の制服まで縫えるほどの腕前だったが、自分のズボンなどもすべて手作り。
大人になって母に、「もしかしてお母さんは脚は細いので、ウエストに合わせると脚がブカブカ、脚に合わせるとウエストが入らないので、それで自分の体形に合う洋服、と考えると自分で縫うしかなかったのでは?」と聞いてみたら、果たしてその通りだった。
私も同じで、数年前喪服を作ったとき、なんと13号だったのでショックだったが、ウエストに合わせて作ったズボンの脚はブカブカだったので詰めてもらわなければならなかった。



※ 注3. 「左股関節が内側に入る癖」

その昔、小学校で、整列している時の 「気を付け」、「休め」 という姿勢を習ったのだが、
「気を付け」 は直立不動、 「休め」 は右足を一歩前に出して、力をぬいてもいいと教わった。

この、「休め」 の姿勢を取ると、右足を一歩前に出す=左足に重心がかかる
すなわち、体を支えようとして左脚は内側に入り、一歩前に出す右足は外側に開くことになる。

この姿勢を忠実に長い間実行していた私や私の母も、同じような足の癖を持つ体形に代わってしまったと思われる。(幼い頃ついた癖はなかなか治らない)

母の場合、右大たい骨骨折による右人工だいたい骨を入れたのだが、その場合、脱臼を防ぐために右足は内に入ってはならず外側に開いていなければならないので、「休め」の姿勢によって右足が自然に開く癖がついていてよかった。逆だったら大変なことに。

私の場合は、器械体操の 「片足ブリッジ」 の時に、利き脚が左だったから、左脚だけで起きなければならない時に、本来なら外側に開くべき利き足が内に入って、カマ脚だったのに立てた (本来なら支える足がカマ脚では立てないことになっているし、姿勢としても変) という怪現象が起きている。

また、体操もバレエも基本は脚は外側に開いていなくてはならないため、形が美しくなく変だということと、
開いてないと軸がしっかりしていない=ちゃんと立てないため、左脚を軸にする全ての脚の動き (パ) ができにくい、というコマッタ現象が起きている。  (意味、わかるかしらん?)

なので、絶対直したいのよ~~~     


( 中、高と体操をしていた時には、左脚が付け根から内側に入る癖について余り気づいていなかったが、20代でバレエやジャズダンスをするようになって初めて気づいた。
10代の、まだ癖が治し易かった頃に気づかなかったことが悔やまれるが、それでも20代、30代、40代で再びバレエを始めたころ、など、今までも折に触れ、治そうと試みたことはあったが、できなくて、もう無理だろうとあきらめていた。
今回、54からの再挑戦、果たして、修正は可能でしょうか・・・?????????  )














春になりました・・・その他(ネコタ)近況

2015年04月07日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)



術後一カ月がたち、だいぶ元気になってきた母のことを書いてから、早一週間がたってしまい、

既に4月・・・

お陰様で母は順調に回復しております。

リハビリも、歩行器から2本杖となり、片手バーとなり、
最終的には1本杖で歩くことを目標に置いていると聞き、本当に嬉しい限りです。 


ですが、母の入院も3か月になり、再手術後は日に2度病院に通っているので、本当に時間がなく、
おまけに疲れ切っている。

読者の方や友人は、介護している方が体を壊してしまったら元も子もないので休んでくださいね、
と言ってくださって、お気持ちはとてもありがたいし嬉しくて、

そうできるものならしたいのだが、

そうはできないから困ってんのよ~~~   

               

( 母は私を頼りにしているし、父は店を絶対に休まないし  さしたる理由がないので言っても文字通り 「話にならない」 ので、Kに戻ってからこれまで今まで幾度となく言ってきてケンカ腰になったことさえあったが、もうあきらめて、めんどくさいからそのようにしている
夫はこんな状況でも家のことを何も手伝わないし  腹が立つので、もういう気もなし、めんどくさいから何も考えないことにして自分でやり、腹もなるべく立てないようにする。 )


こんな状態なので、トイレの便座があったかくならなくなった事件、
TOTOのお客様センターに電話したら、松本の下請け会社の人がすぐ飛んできてくれて、見たところ、

結局、便座の故障と、壁についているリモコンではなく、うちのトイレは蓋の開閉や流すのなどがフルオートなのだけど、その、トイレの中に入っているセンサー部分の故障だとわかったので (そういえば、何もリモコンパネルをタッチしていないのにいきなり脱臭がかかったり、ある時は知らずにウォシュレットが作動して、廊下が水浸しになったことがあったっけ  普通ウォシュレットというのは、人が便座に座らないと作動しない仕組みになっているらしいです。ふつうはその段階で故障だと思いそうなもんだが、ど~してかなぁー、知らずに触っちゃった? で済んでいた。病院行く前の、朝の忙しい時だったせいもあり・・・)

一日でサクサク直りました   

が、みなさん  

トイレの洗剤ですれけどね、 「サ○○ール」 などの “酸の強い” 洗剤を使うと、蒸発した酸がトイレ内部まで入り込んで、中のセンサーなどの部品を錆びやすくさせるそうです。  サビると結局故障の原因に。 なので、 「トイレ○oク」 や 「トイレマ○o○リ○」 などのスプレー式の洗剤が一番いいそうです。
それを聞いて、我が家も親の家も同じトイレのオートセンサーなので、あわてて使ってた「サ○○ール」は処分して「トイレマ○o○リ○」 に替えました。
オートでなくても、ウォシュレットなどの機能のある、つまりはセンサーモーターを使用しているトイレの人は、ぜひ気を付けてくださいね。
酸の強い洗剤は、元々は陶器で出来た昔からある単純なつくりの便器の黄ばみなどを落とすための強力洗剤なので、現代のハイテクトイレには向かないのですね。 


と、説明が長くなったけど、それ以外では、

電気屋さんに乾燥機を入れてもらったのだが、(20年間、いまどき乾燥機のない、珍しい家であった。親のうちにでさえあるのに・・・ 冬場は、洗濯物を干してある廊下にストーブを入れて乾かしていた。そうすると、ハンガーにかけて干したままで乾燥できるので、そのままクローゼットにしまえて便利だったから、ちゃんと理由があるのです)

そのお陰で取り払った棚 (物入れのキャビネット) がずっとそのままだったり、例のキッチンの冷蔵庫周辺も、まだ途中のままだし、

色んなものができずに、まだ途中のままなのだ。


病院に行く時間は、10時が11時になり、最近では12時ちょっと前に行けばいいので、朝ちゃんと9時に起きれば、毎朝ほんの少しは家のことができるはずなのに、

また、何かやるためにもう少し早く寝て早く起きるという手もありなのだが、

何しろ疲れてしまって朝起きられないのと、ヤル気もないのと・・・

ただでさえ夜ご飯が深夜なのに、片付けものをしたら、こんな時だけになおのこと 「自分の時間」 というものもほしくて、

そうしていると知らずにつぃ夜更かしになり、単純に睡眠が足りなくて起きられなかったり・・・

いやはや。


( それで洗濯や、先日は急に暑くなったのでマイヤー毛布などを片づけて春用の布団カバーに替えたりなどは、夜にやってます。 )


本当は、カラーリングやエクステにも行きたくて、早起きすれば行って来れるのだが、行く気力と元気もなく、


実はピアノは、昨年の発表会後から少し考えるところがあってお休みをいただいているのだが、
バレエの方はやる気満々? で行くつもりであったのだが、10月~12月クールの時に9回のうち結局一度も行かれなくて、今年に入ったら母の入院でまたしても行かれず、


ストレスと疲労のため、どうしても食べる方に走るので、ダイエットはできないから、
せめて 「ストレッチ」 と 「プチ筋」 (「プチ筋トレ」(友人の造語)の略で、腹筋とダンベルをほんの少しで、ストレッチと合わせてもトータル15~20分程度のものですが、毎日続ければしないよりはいいと思っているのと、そのくらいでないと続かないというのもあり・笑。もちろん自己流です) だけでもしようかと、
最近になってやっと母の状態も落ち着いてきて気分的に楽になったので、一応風呂上がりのご飯食べる前に毎晩やりはじめている。
(よほど疲れているときは無理してやらないのを鉄則としているが ※) 

でもこれは、ダイエットというよりは、母を見て、こんなにつらいんだったら自分が年を取ったときに、大たい骨や股関節などの骨折だけはしたくないと思ったので、
しかも、骨粗しょう症は遺伝するらしいし、
おまけに、私が母くらい長生きできたとしても、その頃にはタバコもお酒もやる夫はもういないかもしれないし、私のような優しくて気の利く(笑)? 娘もいないので、頼れるのは自分だけ。自分の体は自分で守らなくては、とゆーんで、

この、何かを続けることの不得意な、サプリでさえ採るのが面倒な私が、カルシウムなどのサプリを採るようになった (写真冒頭。右は、だいたい10年に一度くらいのスパンで到来するアレルギー系のひどい肌荒れに、昨年秋頃から悩まされているのだが、医者にも行って軟膏と飲み薬も処方してもらったが、そのほかに漢方薬と、肌荒れに効くと言われたビタミンEも飲むようにしました。たまに飲み忘れますが・笑) のと、

少しでも運動して筋力を落とさないでいたいものだ (軽い運動を持続することは骨折予防になるので) と思ったせいもある。


あとは、自分が自分でいたいというか、自分らしくありたいから、せめてものプライド?

母ではないが、 「腐っても鯛」 ※(注) でいたいと思う。

( 母はこんなになっても、TVは朝のニュースくらいしか見ずに、毎日新聞の連載や本を読み、声が出なかった時はまだ麻酔が残り意識も体の具合も不十分だったのに、ノートに筆談でしっかりと自分の考えを伝え逆に驚かされたり、そして元気になってきた最近では、何と  持って行った筆ペンでのし紙を書いてもらったり、店の帳簿の計算までしてくれているのだ  
その、お婆さんなりの品格と威厳は、我が親ながら見習いたいと思う。 )

以前は書斎に行ってカセットで音楽を流していたけど、今は面倒だからリビングの片隅でストレッチをしているので、
最近ウォークマンにバレエレッスンCDなどを入れたので、そんなのを聴きながらストレッチしていると、優雅な、ゆったりとした気分になれます。        
( 車の中と、台所仕事や家事などの時は、ひたすらアルフィー聞いてますけどね、毎日。)


が、信じられないことに、

な、な、な、なんと~     

脚が90度くらいしか開かないよぉ~~~   
( 普通なら160~70度くらいは開く )

でもって、今までならちょっと無理すればできる、もしくはせいぜい4,5日で回復  170度くらいいけて、「脚抜き」 も 「カエル」 もOK  のはずが・・・
 
あまりにも痛くて ちょっとの無理もできない

てか、

ぎゃーーー     ま、股が裂けるぅ~~~      


こ、こんなことは、ほんとに何年もストレッチしてなかった時以来だよ~、エーン。 まさか、ね。 

上記 ※印 を信条としていたら、その、無理してやらないという鉄則が、意外と、自分で思っていた以上に、かなり長いことストレッチしてなかったってことなのね。  
( それでも昨年夏まではワンクールに数回ではあったがレッスンに行っていたから、その前日~当日にはアリバイ的にストレッチしてたので、足はつったけど開脚くらいはできてたから、まあまあと思っていたのに・・・ )


よく、バレエは 

「レッスンを一日休むと自分にわかり、二日休むと周りにわかり、三日休むとお客さんにわかる」 という有名な言葉がありますが
これは日々のレッスンをおろそかにしてはいけない、どんなに一流のダンサーでも、毎日のレッスンを怠らない、ということを見事に言い表しています。

( 余談ですが、どんなに一流のダンサーでも、いきなりセンターにいくのではなく、まずストレッチなどのウォーミングアップ、地道なバーレッスンから必ず入る、ということとも同じです。 )

「ストレッチは、一日休むと振出しに戻る」 ので、なんとか毎日できるといいなぁーと思います。


ついでながら、体が固くて今からストレッチを始めようとしている方がいるとしたら、

「石の上にも3年ストレッチ」 という、ことわざを用いた言い伝えもバレエ界でよく言われていることですが

毎日休まずコツコツと、3年くらい頑張らないと柔らかくならないので、あきらめずに頑張ってくださいね。
( エラそう・笑。そっくりそのまま、おめーに返すよ、ですね。   )   


あ、あとね、美しい首筋を目指して “ネックホルダー” ( 『ちょっといいこと♪』2009年11月12日 | ヘルス&ビューティー カテゴリー参照。 だいぶ下の方に出てきます。   ) も最近また、復活してます。   







 バレエやフィギュア雑誌などを出している 「新書館」 企画販売のバレエCDより、お気に入りの

作品集より 『レ・シルフィード(ショパン曲) / パキータ(ミンクス曲)』 (写真右。両方とも曲も作品も大好き ) と、

左は 『ワガノワ・バレエ レッスン用ピアノ曲集 ヴァリエーション ※ レッスン』 。

特に上記は、大好きな “ピアノ” で奏でる (外国の有名なバレエ学校などはもちろん、元いたユニーク・バレエシアター-現バレエスタジオHORIUCHIもそうでしたが、ちゃんとしたスタジオでは、レッスンは専属ピアニストによる生ピアノ演奏で行われます) 華やかな 『ヴァリエーション』(踊り手がひとりで踊る独舞、ソロのことで、『パ・ド・ドゥ』(男女2人の踊り手による踊り) と共にダンサーの技術を誇る、華やかな見せ場となっている) の曲を集めたものなので、どれも馴染みの多い曲ばかりだし、否が応でも気分が盛り上がります。   

レッスンCDやバレエ曲集は色々持っているので、機会があったらまたご紹介しますね。   





 一番の癒しは・・・ 
キッチンカウンターのソラチ ( ソラチの顔のところにあるのは夫の手です。撫でてます・笑 )


のび~るチョラティ~ 


少し前の写真ですが、バスタオルの陰から顔を出して、脱衣所のストーブに当たるソラチ


きゃわい~いっ   

ソラチの体の下にある青いのは、インナースキャンで測った自分のデータをメモするノート。
ダイエット中や普段でも、いちおう毎日計ってつけていたが、こんな時だけに面倒でサボリがちに・・・。 


シロチ(左)の体に顔をうずめるソラチ






【 用語解説 】

ことわざ

「腐っても鯛」 (クサってもタイ)

高級魚の代表である鯛は、傷んだところで、それでも下魚よりは価値があると言うことから、高級なものが、多少悪くなっても、何らかの価値があること、特に、家柄がよかったり、昔業績を上げ評価されている人が、落ちぶれたところで、やはり気品があったり、役に立つことを言う。

と、「ウィクショナリー日本語版」 にはあります。

ま、うちの母はそこまでではないんですけどね。あの時代の女性としては、一応高学歴で元教師だったということ。そして、母方の祖父母ともにまあまあの家を出ているので書かせていただきました。  
ましてや自分なんて元々、深山に細々と流れる渓流の雑魚(ざこ)ですから、プライドと願望の入り混じった、およそのニュアンスとして取ってやってくださいませ。  
    
  







ローザンヌ大賞の二山君を見に伊那へ・・・(白鳥バレエ学園発表会)

2014年06月17日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)



6月15日(日)、同級生Aiくんのお葬式の後、

伊那に、あの、今年2月にローザンヌ・バレエ・コンクールで大賞を取った二山治雄君 (プログラム左上切抜き部分) が賛助出演するというので、
『白鳥バレエ学園・伊那教室』 の発表会を見に行って来ました。

( 二山君は、現在17歳の高校生で月曜から金曜までは、主催者の塚田たまゑ先生の家に下宿しながら長野にある 「白鳥バレエ」 の本部でレッスンを積み、土日は松本の実家に戻って、たぶん松本教室でもレッスンして月曜の朝に長野の高校に出向く、という生活なのです。 
「白鳥バレエ」 は、長野県内各地に支部があるので、ローザンヌから帰国後、本部のある長野はもちろん、松本や伊那などでの発表会賛助出演や凱旋公演がありました。 )

13時からだったので、オープニングに少し遅れましたが、
そのあと、延々17時までやったので (発表会なので、それぞれの見せ場があり、全部で三部構成だった)、
充分堪能できたのですが・・・



パソコンのことで疲れていたし、Ai君が亡くなってショックだったので、行くのをやめようか、とチラと思ったりもしたけど、行ってよかったです。



だって、発表会という予想を遥かに上回って? 

バレエは、感動的に素晴らしかったです。   

さすが、ローザンヌほかの賞に多くの入賞者を出す白鳥バレエだけあって、発表会なのにレベルは高いし、

二山君も、こんなに出て大丈夫かしらん?と思うほどたくさん出てくださって大満足でしたし ※注   

久しぶりに見た、バレエの発表会は、
大抵どこの発表会でもやるような 「ヴァリエーション」 や 「パ・ド・ドゥー」 (第一部・バレエコンサート) があって、

華やかなのと、たいてい知っている曲ばかりなので、懐かしかったり嬉しかったりして、本当に楽しく、

あー、やっぱりバレエっていいな、と思いました。   


他に、第二部に、信濃の民話より創作されたという、和風創作バレエ 「飯綱姫流物語」、

第三部は 「コッペリア」 より第3幕と、ちょー長かったけど、内容も盛りだくさんでした。



色々詳しく書きたかったのですが、諸事情で、簡単なご報告までということになってしまいましたが、

二山君のことは、またいつかどこかでもうちょっと詳しく触れられるとよいです。


ごめんなさい。  






※ パ・ド・ドゥー・・・バレエ作品において、主役級の男女2人の踊り手によって展開される踊りで、作品中の最大の見せ場で、物語のクライマックスであることが多い。

男女二人が登場し、一緒に踊る序章の部分である 「アダージョ」、「男性ヴァリエーション」、「女性ヴァリエーション」 (各一人ずつで踊る高い技術を誇る見せ場)、二人一緒に踊る華やかな 「コーダ」 の4部構成からなっている。

※ ヴァリエーション・・・発表会などで踊られるものは、上記男性又は女性のソロパート、またはパ・ド・ドゥーの中の一人で踊る部分の抜出し。


どちらも、技術を誇る見せ場で、高度なテクニックが必要なため、また、曲が短いので、一人、または二人の成果を見せる発表会にうってつけの作品でもある。

なので、 「全幕物」 を見ていなくても、発表会でおなじみのため、パ・ド・ドゥーやヴァリエーションの曲 (場合によっては踊りの中身も) だけははよく耳にし、知っていたりする。




 この日の二山君の出演演目

 オープニング (全員)

 第一部 バレエコンサート
・「グラン・パ・クラッシック」 より、ヴァリエーション (ソロ)
・「ラ・バヤデール」 より、ク゜・ラン・パ
  ソロル(ソロ)

 第二部 創作バレエ 「飯綱姫竜物語」(全三場)
 第二場 ゆうやけの飯綱 祭りの宵
・光りの精(ソロ)
・忍者の踊り(男性6人のコールド(群舞)の一人)

 第三部 「コッペリア」 より第3幕
・戦いの踊り(グラン・パ・ド・ドゥーのひとつ前の、男性8人のコールドの一人)
・コーダ(第三部出演者全員のうちの一人)

オープニングとコーダを覗いても実に5演目に出演しており、そのうちソロは3つも。  

こんなに出ていただいて、きゃー    もんでしたが・・・

いくら17歳でも、だいじょーぶかしらん・・・と。  

ローザンヌで賞を取った 凱旋(+お礼奉公?)と、この年の秋からアメリカへ一年間留学が決まっているのでその壮行を兼ねてだと思います。

普通はこんなに出ませんからね。

でも、お安いチケットで沢山見れちゃって、ちょーお得&贅沢、満足  でした。



 補足ですが、第二部創作バレエ、6人の群舞の中にいても二山君は遠目からでも目立つのですぐわかったのですが、

さすがに第三部の8人のコールドでは、皆さん似たようなお顔立ちでよくわからず、え゛ー、二村君、どこどこ とアセりました。     

ですが途中でハッと、  

そうだ   顔ではなくて脚を見ればいいんだ   

と気づきました。

案の定、二山君の脚は誰よりも 付け根から180度に開いて いて、 
膝の入り具合も筋肉のつき方 も、他の生徒さんより 群を抜く美しさ             

一発でわかっただけでなく、何でそれにもっと早く気が付かなかったかなぁ~、と悔やまれるほどに美しかったです       


 皆さんも、バレエを見に行かれたら、ぜひ男性も女性も 『美しい脚』 (「足」ではなく「脚」です) にも、注目してくださいね。      

ただし、バレエをよく知っている人 (できれば体験者だとなおいい) でないと、その脚の美しさ (一般のただ細くてスラッとしたのとは全く違います) も、
その技術がいかに素晴らしい (大変なこと) かも、本当の意味ではわかりにくいのが難点なんですが・・・。

残念だなぁ~。    













カルミナ・ブラーナ 6月8日 於:伊那文化会館

2014年06月10日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)



有名な曲だし、壮大なスケールの冒頭がCMなどにも使われたことがあるので、絶対に皆さん、一度は耳にしたことのある曲だと思うのですが・・・

大好きな合唱組曲 (世俗カンタータ) 『カルミナ・ブラーナ』 の公演に、

習っているカルチャーセンターのバレエ講座に、
時々来て一緒にレッスンをしているCさんが出るというので見に行って来ました。


今、Bというカルチャーセンターの 「大人バレエ講座」 で教えてくださっている、
M先生が主催している 「バレエ・スタジオU」 で、
子供たちを教えているというCさんとHさんが、たいていいつも私たちのクラスでレッスンを一緒に受けているのですが、

大人クラスの受講生は現在私を含めて4人なのだけど、みな初心者なので、
CさんやHさんのような方がいらっしゃるととてもいい見本と刺激になるのですが、

中でもCさんは見るからにバレエダンサーな体形と雰囲気、技術を持っていらっしゃるので、見ているだけで幸せな人です。 

そのCさん、昨年12月に二人目のお子さんを出産されたのですが、9月か10月頃まで一緒にレッスンしていて、
今年の4月からの講座をもう一緒に受けています。 

( キャリーに入れた赤ちゃんを一緒にスタジオに連れてきたり、なんと置いて来たり・・・  )

す、すごい・・・  



それはともかく、伊那の一般から募って作られた公演のための合唱団、公演のための舞踊団、そして伊那の市民オーケストラによる “手づくりの演奏会” ということで、

過去にメサイア(ヘンデル)、第九(ベートーヴェン)、レクイエム(モーツァルト、フォーレ) などを合唱と演奏、
今年の 「カルミナ・ブラーナ」(オルフ) で第10回目を迎えるそうです。


「カルミナ・ブラーナ」 大好きな曲なので、すごく、すごぉーーーく楽しみにしていたのですが・・・、

初めて行った伊那文化会館 (後でわかったのだが、習っているカルチャーセンターのすぐ隣のような場所であった) 駐車場がわからなくて、何度もぐるぐる回って、やっと止めた場所は会館から凄く離れていて、

やっと着いた時は精根尽き果ていていて、席も自由席だから満杯で、どうにか空いてるところを見つけて座って、
ほっとして、初めて部台を見たら 

舞台上にオーケストラのセットが乗っていて、まず驚いた。   

ガーン、オケが乗ってるぅ~ 

てことは・・・

バレエが主役ぢゃないんだ・・・  

私の見たバレエが中心の舞台 (2000年3月26日 東京文化会館大ホールにて上演された、佐多達枝 演出・振付 オルフ祝祭合唱団(のちにO.F.C)公演のもので、大好きな堀内充さんが出ていたので見に行き、大変感動して、O.F.C の大ファンになった) と違って、

「オーケストラが主役」 だったこと、

しかも、カルミナは短いからと、第一部にオーケストラだけのベートーヴェンの演目が急きょ加わったそうで、それがプログラムに全く載っていなかったため、

第一声の曲が流れてきたとき、

えっ、えっ          

カルミナブラーナ、冒頭から入ってない?     

(にしても、大好きで何度もCDを聴いた曲だから、全く聞き覚えのないフレーズであるはずがないと思うのだが・・・)
 
と、ゆーんで、まずアセッて、面食らった。      

( あとで、別の場所で見ていたらしい、ピアノ教室のさんど先生に聞いたら、全く違う曲だったとわかって、さすがはピアノの先生だと感心したり、プログラムに載っていなかった不親切さを恨んだり・・・ ) 

そして、途中、ちょっとウトウトしちゃった。(^^;)) 


楽しみにしていたバレエは、オースケトラセットの前に 「リノリウム」 というバレエ専用の床材を貼ったわずかなスペースだけで、すごく狭くて踊りにくそうだったうえに 

なんとオケの舞台を引き立てるための舞台装置?(演出)なのか、上手床に赤いバラの置物(造花)まで置いてあって、さらにスペースが狭くなっていたこと  

などが、かなぁーーーり  残念で、わたしゃ内心怒りさえ覚えたが 
(おまけに駐車場を案内する人が、いる意味がないくらい不親切なうえに失礼極まりなかった。私は初めてで全然場所わかんない人なのに   余りにも腹が立ったので、終演後にたまたま、6月16日の白鳥バレエの発表会チケットを同会場で取ったので、つぃ、話のついでに会館の人に文句を言ってしまった。)



それらを度外視? すれば、「おお、運命の女神よ!」 の大合唱からスタートするくだりは体中がゾクゾクするし、

とにかく、一時期繰り返し聞いていた大好きな合唱組曲だったから、また、合唱自体が好きなので、本当によかったです。


Cさんは、相手役の若い男性がリフトするシーンもあったためか、ご本人は産後のストレスで痩せたと言っていたけど、
私が思うに、頑張ってダイエットしたんじゃないかなー、

元々スリムなのに、しばらくぶりにお会いしたらいっそう細くなってて、びっくりしたけど   

相変らずウットリするような踊りを見せてくれて、すごぉーく素敵でした。   

一緒のスタジオで習っている方だと思うと、いっそう素敵に見えて・・・   


後で聞いたところによると、最初はもっとバレエの出番がなかったので、Cさんが文句を言って、あれでも、増やしてもらったのだそうですよ。


やっぱり、伊那フィルハーモニーが主役で、合唱が中心の舞台みたいで、
Kからも、さんど先生の入っている合唱団の二人が毎週伊那まで通って出演されたらしいので、

(  それ自体はとても素晴らしいことで、何もなくて聞いたら、それだけで感動する話です。
そして伊那フィルには、さんど先生の合唱団代表のK先生ご子息で、合唱団のピアニスト、指揮者のご兄弟も出演されていたので ) 

そんなこともあって、さんど先生は共通のお友達と見に行かれていたのですが・・・

そして、知り合いが多く参加されていたのと音楽が中心なので、かなり満足されたご様子でした (演奏だけでなくて、バレエ「も」あったのが、花を添えてよかったねーって) が・・・


ワタシ的には、そんなんで、大変失礼ながらも、ちょっと物足りなかったかなぁー。   




“手づくりの演奏会” ということで、ロビーには、客を送り出した後にすると思われる打ち上げの席が準備されており、それはそれで、とても温かい雰囲気でした。

音楽会の趣旨も素敵ですしね。


来年の演目は 『くるみ割り人形』 だそうですが、レッスンの時にお聞きしたら、Cさん、早くもクレームをつけていたので・・・ 

( プログラムをよく見たら、バレエ部分の演出・構成はカルチャーで教えているM先生、ダンサーも、主としてスタジオUの生徒さんのようでした。
持ち回りなのか、来年の担当は同市内の別スタジオ中心みたいです。
バレエってねー、スタジオや先生間で、いろいろある世界よ。  )


さて、見に行くのは、どうするかな。   










大人女子のカラダ改造計画・・・バレエの補足

2014年03月23日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)


前回バレエについて書いていたら、

あぁ、ダメだ、 バレエ熱  が再燃しちゃったかも     

どーしよぉ!?



と、ゆーんで、補足を書かせていただきます。 


私がそもそも、当時は大人になってからバレエを始める人など圧倒的に少なかった30年近く前に、なぜバレエなんざをやるようになったかは、 

『 50の手習い!? (^^;) ピアノのお稽古 ~ 補足編 ~ 』 (2011年07月24日 | カテゴリー:ピアノ・音楽など) に書いてあるので省略します。 
(知らない人は、ぜひ読んでネ  この項目の、2番目辺りに出ています・笑)



そして、当時、大人から始めたためほんとに苦労してバレエ用語を覚えたり、レッスンしたこと、  
その後30代になり、今となっては笑っちゃうんだけど、6年やっても初級クラスのままで、レベルは低かったのに、「気持ち的に」 あまりにものめりこんでしまったので、これではいけないから 「書く方に専念しよう」 と思ってやめたので、
Kに戻ってしばらくすると次第にバレエが恋しくなり、そのうちにバレエの再開を夢見て毎日ストレッチしたりバレエ雑誌を買い続けていたことなど、  
書くとあまりにも長いので、いつか一つの作品として皆さまの前にお見せできたらいいなぁーと思っています。    

実はちょうど40歳になったときに、その時点までの自分にとってのバレエの話を書いたことはあったのですが、その後紆余曲折あり再開はしたんだけど諸事情でやめてしまったので、
そのお話は二度と日の目を見ることはない、と思ってたんですが・・・ 

いやぁ、人生、何があるかわかりませんね。    って、言うほどのことでもにゃいか。  




で、前回書いた中でちょっと専門的になってしまうのですが、よかったら補足したいので、  


私が骨格上、どんなにがんばっても180度脚が開くことはない、という件に関してですが、

骨盤の、大たい骨(脚の骨)の頭の部分を受ける骨(かん骨)の 「くり」 のことをヒップ・ソケットというのですが、
このソケットのくりが浅い人は股関節が180度以上も開くことができますが、くりが深い人は構造上、どんなに頑張っても120~130度くらいまでしか開きません。

レントゲンを撮ったことはないのではっきりとは言えませんが、私はもともと体は柔らかく、そして、中高生で体操やってた頃から開脚はずっとしていて、バレエも20代のころ週2~3回、6、7年位やって、床に座った状態で開脚は180度まではついに行かなかったので、たぶんソケットのくりが深いのだと思います。

ですが、立った状態で足を横に頭の近くまで上げること、アラスゴンドというのですが、
アラスゴンドはその床の上で広げられる角度までは脚が上がるはずなのに、90度くらいしか上がらなかったので、それは骨の状態のせいではなく、

軸足がターン・アウト(アンドゥオール、開くこと)していない、たぶん、なのだけど腹筋や背筋によって鍛えられる 「引き上げる力」 がない、などの理由です。

こちらの方は練習と訓練でいくらでもできるようになるはずなのですが、ついに自分ではできませんでした。(だれかコツがあったら教えてよ、と何度も思った。)

ですが、訓練を積んだ人でも、



このように、頭の際まで足を上げられる人は少なく、このくらいまで上げられる(グランド・アラスゴンド=普通よりも深くて大きなアラスゴンドのこと) 人というのは、バレエダンサーの中でもごくわずかだそうです。

写真は、首相官邸に招かれた今年度のローザンヌ国際バレエ・コンクールで優勝した二山治雄(にやまはるお-17歳、嬉しいことに松本市在住の人なのだ ) 君 が、阿部首相に得意げにポーズを見せて驚かれているところですが、 

これが、グランド(またはグラン)・アラスゴンドです。

写真左にいるのは、同コンクールで二位になった前田紗江(さえ)さん(15歳、横浜市在住)です。



パリ・オペラ座のバレエ学校では、入学前に3世代前の家族の体型まで調べ、合否を決める判断の一つにするらしいですが、世界屈指のバレエ団のダンサーの、トップまで行けるのはもちろん一握りの人なのですが、
逆に言うと、体の条件(体形、骨格の作りなどのこと)が悪いというのは、それだけでそのトップ争いにも入れないということです。

いい条件で才能のある人はいくらでもいるので。
というか、バレエとは、肉体を使って表現する 「芸術」 なので、“バレエ的に美しい脚”-形から開き具合、上がり具合を含めて、というのは、それだけで芸術なわけです。
なので、脚の条件が悪いというのは、それだけで残念ながら、最高峰の芸術というものを、どんなに努力しても見せられないということになってしまいます。たぶん。


ですが、そこまで目指さなくても、頑張れば訓練次第で、今よりい少しでも脚の可動域を広げたり、甲を出したり、ということも全くできなくはないようです。

足の甲も、高いほうがきれいだし、トウシューズで立ちやすくなるのですが、頑張っても出ない人がいて、私も体操時代から甲を出したくて頑張って甲のストレッチなどをしていましたが全然出ませんでした。

こちらの方は、かかとの骨(しゅ骨)と足首から伸びている骨(けい骨)をつなぐあたりに、普通の人にはない 「三角骨」 という骨がある場合もあって、その場合、三角骨を取り除く手術をすれば甲が出るようになる、というのを本で読み、よほどレントゲンを撮ってもらおうかと思ったこともあったけど、自分はバレエ・ダンサーになるわけではないので、そこまでする必要はないか、と思いやめました。 

逆に、体操も、バレエも全然してない人で甲がしなっている人を見たときは、なんで!?必要ないのに・・・と思ってかなり悔しかったです。  

甲が出ているのは、欧米人に多いそうです。



こういうことの例に出していいのかはわかりませんが、世界的に有名な元バレリーナの草刈民代さん (大好きであこがれの人です) は、こういっては大変失礼かもしれませんが、体の条件としてはあまり良くないほうなのです。

脚の形が、膝がそんなに入ってなくて、甲もそれほど出てはいません。カマ足 (外に開かなければいけない足先がカマのように内側に入っていること) だという説もあります。
骨格も、バレリーナとしてはややがっしりとしているので、痩せすぎなほどに肉をつけない努力をしていたのではないかと思われます。

そして、それなのに、あそこまで素晴らしいダンサーになれたというのは、何年も日々の地道な努力を積み重ねていれば、悪い条件でも少しでも開き、伸びるようになったり、そう見せることができたりする、ということの良い見本かとも思います。( と、大変ナマイキなこと言ってます、すみません )
もちろん容姿の美しさ (これも立派な条件の一つ) や表現力、気品やオーラ、華やかさなど、彼女にしか持ちえなかったものもあったからこそ、とも言えると思いますが。

もっともこれは、 「バレエダンサーの条件としては」 という意味のことで、一般の人からしたらとんでもないくらいのダンサー体型です。

映画 『Shall We ダンス?』 では、そのしっかりと意思を持っているかのような、毅然として美しい立ち姿にかたずをのんだし、

大河ドラマ 『竜馬伝』 では、あの美しい真木よう子さんも太刀打ちできなかったほどの、美しくて長い首筋を見せてくれて、さすがだなぁと惚れ直しましたもん。
(草刈さんは着物姿のうなじ、真木さんは入浴シーンで、真木さんも彼女だけを見たら美しい首筋だと思ったはずでしたが、どうしても比べて見てしまいました)

ですので、誤解なきようにお願いします。
草刈民代さんは大好きで尊敬していますが、 ※(注)
非常にいい例かなぁと思い、出させていただきました。申し訳ありません。 



冒頭の写真右は、大人向けのバレエ雑誌 『クロワゼ』 の創刊号で、表紙は私がかつて大好きだったバレリーナ、上野水香さんですが、
彼女の体の条件はかなり良く、写真でもわかるように、手足が長いうえに華奢な骨格、膝が入ってそっくり返っていて足の甲も出ているという見事な 「バレリーナ・レッグ」 (ネコタの造語) であるうえに、グラン・アラスゴンドもできます。
表現力や雰囲気、あとチャーミングな表情などももちろん大好きでしたが、一番の魅力はうっとりするほどに見事なバレリーナ体形でした。



写真左は、『クララ』 の連載をまとめて出版された 『バレリーナのヘルスケア』(蘆田ひろみ著、新書館刊) で、
・体がかたいのはどうしてなの?
・バレエむきの体は作れますか?
・足を高く上げるにはどうしたらいいの?
・開かない股関節、どうしてなの?
・甲がでないのはどうしてですか?

など、レッスン中に抱く子供たちの素朴な疑問 (レッスンしてもなかなかうまくできない) に整形外科医の先生が骨の構造などを示しながらわかりやすく説明してくれ、それだけれど、練習次第で少しでもできるようになるよ、と優しく励ましてくれる本で、
自分でもどれだけ励まされたかわかりません。   

良い本です。(今日書いた記事の参考にもさせていただいてます。 



前回、自分はキャミソールタイプのレオタードが好きだと書きましたが、それは自分の胴体部分の骨格ががっしりしていて肩幅が広く、撫で方ではない、二の腕が細くない、という体系の欠点を一番カバーしてくれる形だからです。
(半袖やキャップスリーブ、長袖は向かない。5分袖ならまだいい。)

我が家の洗面所には、鏡付きのキャビネットの反対側にも鏡があって、後ろ姿が見られるようになっていますが、
これは40代でバレエを再開した時に、立ち姿などの後ろ姿のチェックもちゃんとしたかったからです。
後ろは自分では普段見えないので、どんな感じに見えているかが、とても気になります。

今では、自分は髪を上げていることが多いので、髪型や髪飾りをチェックするのになくてはならないもので、例えばホテルなどに泊まってそういう鏡がないと不安なほど、後ろ姿というものが気になります。

と、ここまで気遣っているわりには、ソバージュなため、洗い上がりは 「手櫛」 (てぐし-櫛を使わないこと) だし、朝起きても上の方しか整えず、パーマかかっている部分を濡らすだけです。
髪を上げているのは、うっとおしいのが嫌いなのとラクだからだし (ソバージュにしているのもひとえに扱いがラクだから・笑)、 髪も二日に一度しか洗わないので、どこまで気遣っているのか不明・笑。
そう考えると、自分は決してオシャレではないと思うの。 

気を使う視点 (美意識) が、もしかしたら人と違うだけかもしれませんが。




この写真は、手作りの洋服の本に載っていたもので、モデルさんはバレリーナではないと思いますが、とても長くて美しい形の首と肩をしています。

このデコルテが自分の理想。
(骨格上難しいのはわかるのですが、肩を少しでも下げている訓練をすれば近づけるのではないかと、夢を見ている。
前出の 『バレリーナのヘルスケア』 でも、「なぜバレリーナのくびはきれいなの?」 という項目の中で、“あきらめてはいけません、くびのラインは訓練でかえられるのです” というアドバイスのページがあります。)

幸い、どんなに胴体が肥っても背中や肩から上 (ついでにひじから先と膝から下も) には肉がつかないタチで、首長で撫で方の 「デコルテ美人」 になりたいなぁー、というのが夢です。  





 かつての愛読書、新書館発行のダンス雑誌、『クララ』 も 『クロワゼ』 も、創刊号から購読しているのがひそかな自慢でした。
『ダンスマガジン』 も、イズミやユニークに通っているころ、夜遅くまでやっていて六本木という場所柄舞台関係の本が充実していたので、学校時代によく寄った 「青山ブックセンター」 にて、バックナンバーを少しずつ揃えて、創刊2号から総て持っていたのも自慢でした。(創刊号だけはなく、発売元でも品切れだった。)
ダンスマガジンは月刊でサイズもA4と大きくて厚いため、さすがにすべてを所有できなくなったので、特集で好きなダンサーの載っているもの以外は、人に譲りましたが、創刊からしばらくは隔月刊で今より少し小さいサイズで、大好きだったミハイル・バリシニコフや故ジョルジュ・ドンなど、歴史的なダンサーのことが沢山出ているので、それはちゃんととってあります。


『クララ』と『クロワゼ』はサイズもB5で小さく、「クララ」は月間だったが薄かったこともありそんなに場所を取らなかったせいもあって、なんだか捨てることができないでいました。
どちらかというと、子ども向けだけどわかりやすくてかわいい「クララ」の方が夢中で読んでましたが、これを機に、大人向けの「クロワゼ」をまたとってみようかしら?と思い始めている私。

ちなみに、「クララ」 というのは子どもの頃から好きな音楽だった、バレエ 『くるみ割り人形』 の主人公の女の子の名前で、 「クロワゼ」 というのはバレエの体の向きの一つです。




※(注)

草刈民代さんは若いころから知っていますし舞台も見てきましたが、そのころは周りにたくさんダンサーの方がいらしたので、特にだれかの根強いファン、というのではなく、いろんな方がその時々で好きでした。(今ここでいちいち挙げませんが)
彼女はその美しさもあってよく雑誌に登場したので、出ると知ると買いに行きページをスクラップしていたほど。美しさやカッコいい生き方も含めて憧れでした。

書籍は、写真入り特集号の 『バレリーナを生きる 草刈民代のすべて』(1998年、新書館、編集:ダンスマガジン)、著書 『全身「からだ革命」』(2006年 講談社)、『バレエ漬け』(2006年 幻冬舎)、 DVD『草刈メソッド』(2010年、マガジンハウス) ほか、所属の牧阿佐美バレエ団監修の本やビデオ (他のダンサーとの共同) など、買わなかったのは例の引退後に出た話題の写真集くらいで (見てみたい気もしたが、あまりにも高かったし、まぁいいや、と思った) ありとあらゆるものを買ってもっています。

ですが、一層ファンになったのは、映画 『Shall We Dance?』(1996年のものだが実際に見たのは2000年以降) を見てから。(理由は前出+映画自体素晴らしかったので)
現役ダンサーとしての引退公演となった、2009年4月の、自身がプロデュースした 『エスプリ〜ローラン・プティの世界〜』 も、絶対見ておかなくちゃ、という衝動に駆られてKから渋谷のオーチャードホールまで見に行きました。

そのくらい大好きだということなので、批判的な気持ちで書いているのでは全くありません。
本当に誤解なきようにお願いします。







 

大人女子のカラダ改造計画・その1・・・なぜか再びバレエ(^^;)

2014年03月21日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)




さて、HPのプロフィール欄にも書いてありますが、

実は一年前からまた、バレエのレッスンを再開してました。  

何度かブログで書こうと思ったのですが、機会を逃してまして。

それに、やってるうちに入らないほどの回数しかやってないし・・・ 




そもそも、もう二度と自分でやることはないと思っていたバレエをなぜ再開したかと申しますと、

覚えていらっしゃる方がいるかどうかですが、

ちょうど約一年前、私が町の公民館講座でやっている 「アクアビクス」 を、役員終了を機にやめて、
4月からは別のことをしようと思っている、と書いた、ソレです。

といっても、最初からバレエをやろうと思っていたわけでは 全然なくて

ほんとのことを言うと、 筋トレを始めようと思っていた のだ。



理由はいろいろあって、

まず、4年間週一で1時間のアクアビクスに通ってみて、半年後くらいからはアクアの後に15分だけ泳いでいたが (なぜ15分かというと、ホントはもっとやりたかったのだが、1時半からの仕事に行くのにアクア終了後だと時間的に15分が限界だったから。プール使用料はアクア講座代金とは別にかかるので、両方とも町のだからすごく安いのだけど、同じ日に済ませたかった)

間に例の 『 4か月満腹ダイエットもどき ← 途中から自己流 』 をやったときは、無理なダイエットをしたためさすがに10キロ近く減ったけど (無理なやり方をしたので、その後少しずつ戻って約2年間で完全にリバウンドしてしまったけど)、

それは決して アクアビクス + 水泳 のお陰ではないので、

始めたころは、病気回復後に少しでも健康になりたくてやったことなので、それなりに楽しかったし、当時の私にはそれが精いっぱいだったので、意味はあったのだが、

4年やってみて、体力がつくとか痩せるとかの効果は、この講座にはないな、とわかったので、

もっと効果が上がるものをやりたかった ということ。  



痩せたいというだけでなく、体力をつけたいなぁー と思うようになったのも、

自分、最近掃除とかちょっと動いてもものすごく疲れるし、酒屋なのでビール1ケースとかお酒とか重いものを持つのが以前よりしんどいと感じるようになったのだが、
それは 太ったせいだ とずっと思っていた。

でも、もしかしたら、自分は気持ち的にまだまだ若いつもりでいたけど、
50を過ぎて、年取ったから疲れるのではないか?

そういえば泊りがけで出かけると、翌日は死んでる。 

ブログでちょっとリキいれたものを全身全霊で書き上げると、死ぬほどぐったりする。 

これではなかなか、仕事 (書くだけではなく家事とか日常生活の仕事全般を指す) に差し障りが起きる。



自分で言うのもなんであるが結構忙しい日々を送っているので、一日が48時間とは言わなくても、せめて30時間くらいあったら、今よりもっと仕事ができるのに、といつも思っている。  

活動時間をもっと増やそうと思った時に真っ先に浮かぶのは 「睡眠時間を減らす」 ことである。 

だが、人間、「寝ないでいることは不可能」 である。 
(睡眠不足になると、帳尻を合わすために必ずどこかでうたたねをしている=睡眠を減らしてもそんなに差はない。)


だが、ちゃんと鍛えれば、「疲れない体」 というのは作れる のではないか。 


疲れない体を持っていれば、きっと今の2倍の仕事ができるに違いない。     

限られた時間の中で今の2倍仕事ができたら、こんないいことはない。 



ちょうど 同じころ、今年の4月で御年60歳になられる尊敬するアーティスト・高見沢俊彦氏が、
50歳を過ぎてステージで疲れを感じるようになったことから筋トレを始めたところ、
元々若々しい方ではあるのですが、

・ステージで疲れにくくなった(アルフィーは毎年春と秋に3か月ずつ全国ツアーを行い、年間で60~70公演以上をこなしている驚異のライブバンドである)
・声が出やすくなった
・筋トレをやっていなかった20年前よりも、今の方がもっと若く、ずっと元気なような気がする

とおっしゃっていたのです。 


同じようなことを、TV『新・堂本兄弟』 で
現在35歳の堂本光一君も 「俺、20代のころより全然元気だよ 」 と言ったり、
(毎年、体を張った舞台 『 SHOCK 』(ショック) を座長としてロングランで上演するためにハンパなく鍛えているので)

スケートの高橋大輔選手(28歳) も、
「20代初めのころより、後半の今の方がもっと元気な気がする。」 といっていたので、
(年齢を重ねた分体をいっそう鍛えるようになったから) 


疲れない体を作るためには筋トレだっ  と思ったのです。



とはいえ、なんとなく 「筋トレ」= 地味、地道、きつそう というイメージがあるので、

やっぱり同じ体を動かすのでも、どちらかというともともと好きなダンス系のものの方が楽しそうだな、  というのはあった。


20代のころは、半分は必要に迫られてではあったがバレエのほかにジャズダンスも習っていたし、
Kに戻ってからは、公民館講座のエアロビクスを7年間やっていた。
( バレエやジャズは振りが覚えられなくて落ちこぼれであったが、 エアロビはそんなに難しい振りではなかったのでついていけないこともなく、ストレスも発散でき一番楽しかった。出来ればずっとやっていたかったのだが、会員減少による財政難で閉会を余儀なくされたため、泣く泣く辞めざるを得なかったのである。  )


何度も言うが、Kはものすごい田舎なので、スポーツジムとかダンススタジオとかそういうところが皆無である。  

だから、何かをやりたいと思ったら、町の公民館講座やスポーツサークルなどを探すしかないのだが、そうなると、できるものは限られてくるし、自分のやりたいものがない場合もある。

筋トレだとかダンスだとかをもしやろうと思ったら、松本や塩尻、伊那などへ行くしかないのだ。

かつてまだ30~40代のころであったが、自分のやりたかったバレエの教室がKにはなかったことから、松本の教室 (講座) に通ったことが2度ほどあった。
だが、ただでさえ体を動かして疲れるのに、片道1時間半くらいかかる松本に運転して通うのは疲れすぎてしまってちょっと無理だと思った。(当時よりも年取ったし。)  

だが、たまたま当時は開通していなかった伊那へ抜ける道が開通し、片道4、~50分くらいしかかからず、しかも国道○号よりも道路事情による運転のストレスも少ないとわかったので、伊那だったら、まだ通えるのではないか。 

地元でやりたいことができないのだから、こうなったら少しがんばって伊那へ出るしかない、

と思いなおし、伊那のスポーツクラブをいくつか探してみた。



しかし伊那も、もちろんKよりは全然大きな市なのだが松本と比べたらそんなに大きな都市ではないため (失礼)、 ネットで探したところスポーツクラブのようなところは5つくらいしかなく、
そのうち一つは電話してみたら閉鎖されていたり、移転して所在がよくわからなかったりで、これは、というところは2つしかなかった。


その二つのうち、1つはちゃんとしたスポーツ・クラブで、週間のスケジュール表を送ってもらったところ色んな講座があり、プールやジムも併設されていたし、エアロビクスやフィットネス空手など、面白そうな講座もあったので、興味は引いた。

もうひとつ、会社が個人でやっているカルチャーセンター (のちに聞いたところによると元々は伊那の社会事業センターだったところを閉館に伴いその会社が買い取ったものらしい) という珍しいところがあって、

そこのスケジュール表を送ってもらったところ、なんと、 「午前中の大人バレエ」 という講座があったのだ。(午後からは毎日店に行かなくてはならないので、自分の場合、何か習い事をするのでも午前中に限られるため)
 
しかも、そのカルチャーセンターにも、できたばかりのジムが併設されていて、一回500円で使用できるというではないか。 


午前中にできるバレエの講座があってジムもある   (注:普通のバレエ教室でジムがあるところはまずない)


これは、まるで自分のためにあるようなカルチャーセンター(講座)ではないか。 

とはいえ、事情があって辞めたので、もう二度とバレエをやることはないと思っていたので、ためらいがなかったわけではなかった。



少し迷ったのだが、せっかくうまい具合にできてる講座があるのだから、体験だけでもしてみよう  と思い、
確か昨年の3月末頃だったと思うが、バレエの講座の無料体験ができないか電話してみたところ、隔週くらいであるバレエの講座が数日後にあるというので、しかも同じその日はジムのトレーナーの先生が別の講座のために来るので、1時間2000円だが、頼んでついてもらうことができる、というではないか。

かねてよりどうせジムをやるのなら、専属のトレーナーさんについてもらった方がいいと思っていたので、しかも大変お安かったので、お願いしてみることにした。



そして、バレエの体験レッスンをしてみたら、

自分でも全く予想していないことだったのだが 気持がよかった。   
(バレエの場合、決して楽しいというものではなく、どちらかというと 「ちょっとしんどいもの」 なのであえてそういう言い方をするのだが)


まず、何年もやっていなかったのに 「ポールド・ブラ」(手の動き) や 「パ」(脚の動き) 等をちゃんと覚えていて、できた(動けた) ということ。 (体の方向とか忘れているものもあったけど 

これまで、フラダンスや太極拳などを試しに体験してみたとき、大変申し訳ないのだが音楽もあまり好きになれなかったうえに
全く新しいことを、この年で1から始めなくてはならないというのにものすごい苦痛を感じたものだが、 
また、最初はよくわからなくてつらいけど、3か月ガマンすればできるようになると言われ、そんなに好きだと思えないものを3か月も我慢してやるのはやだなぁー、と思ったり、
(特に太極拳は、体の向きによって8つ方向が決まっていることや、重心を低くして立つ方法がバレエのプリエに通じるなど、かなりバレエとの共通点がありそうだったにもかかわらず)
心のどこかでバレエと比べていた自分がいたみたいな気がするのだが、
そういうストレスがないということ=できる、ということがどれだけいいか、改めて知った。 



そして、この雰囲気は、やっぱり 好きだな、と思った。  

バーのあるスタジオ、そこに流れるゆったりとしたピアノのレッスン曲。

体操をしていたころから、マット(ヨガマットなど一人用のもののこと。体操用の大きな白いマットではありません)などを敷かずに、床の上に直接寝そべってストレッチをすることに慣れているので、それをすることからして古巣に帰ったような気分になれる。

これこれ、この感じ。   

そして、大好きなバーレッスン。(技術的に未熟なので、センター (床の中央) へ出てやる動きよりもバーレッスンが昔から好きで、体の中から優雅に、きれいになっていくような気持ちがするのだ 


先生のお人柄や雰囲気、習っているメンバーの方たちの雰囲気、レッスン内容なども、トータルで感じがよかった (幾多の教室や講座を渡り歩いてきた?が、かなり自分に合っている気がした) というのもあって、

何と驚いたことに、
あんなに、見るのは好きでも、もう二度と自分でバレエをやることはないだろうと思っていたのに、

一度体験してみただけで、またバレエをやりたいな、と思ってしまった。  


そして、
レッスンの後先生に聞かれたので、せいぜい7,8年くらいかなと思っていた自分のバレエ歴を帰ってから改めてちゃんと数えてみたら、20代から途切れ途切れではあったが、トータルで少なめに見積もっても10年は優に超えていたことに驚いた。


そうか、自分はできないのでずっと落ちこぼれだったし (特に順番はちっとも覚えられないし、何年やってもシェネとかフラッペとかできないものもあるので)、あまり言うのもはばかられると思ってきたが、

10年もやっていれば、たとえできなくても、堂々とバレエをしてきた、と言ってもいいのではないか?

と、なぜかトツゼン思った。 



と、ゆーワケで、今日に至ってます。 

そこは、3か月でワンクール、9回のレッスンがあり、9回で一講座いくら、というコースと、その3か月間内で有効の5枚つづりのチケット制( たいていがお月謝制なので、特に田舎でチケットというのは大変珍しい) があり、
計算してみたら1回でも休むとチケットの方が得なのと、5回より増えた場合は1回いくらといってワンレッスンごとに収めればよかったので、ずっとチケット制で受講している。

その回によって違うのだが、9回の講座があるうち、チケットだと4回休んでもいい感覚になるので、決められたレッスン日にどうしても都合で出られない日もあるので、休める?というのは気が楽である。(1~3月は6回しかなかったので1回しか休めなかったが)

そんな気楽さもあって、一年続けて来れたと思う。


自分としては、ほんとのことを言うと毎週一回はやりたいので、3か月で5回のレッスンではあまりやったような気になれないのだが (体が元に戻ってしまうし、上達もしない)

5枚綴りのチケットを上回ってレッスン出来たことがかつてないので、
このくらいでちょうどいいのかなー、とも思う。  


その講座は、初心者の方が私のほかに多分3人くらいと、子どもクラスを教えている方が二人(うち一人は出産したばかりで現在は来ていないが、出産直前まで踊っていた。 ← バレエの人ってなぜか皆さんそうです。)いらして、一緒にレッスンをしているのですが、

皆さん初心者なので気が楽なうえ、
見本になり、あんな風になりたいなーと思える、体形から雰囲気、動きのすべてまで、まさに “バレエ・ダンサーな人” もちゃんといらっしゃるので (バレエを長年ちゃんとしてきた人というのは体がまるで違うので、一発でわかります。)

とてもいいです 



そして、共通しているのは皆さんとてもスマートなので、自分はチョー恥ずかしいのだけど、   
( それに、みなさん30~40代みたいで、たぶん50代なんて私一人です。 でも、そこは入会するとき年齢は書かなくてもいいので、はっきりとはわかってないと思うけど。 )

それから、センターで飛ぶやつ(シャンジュマン、シソンヌ、グランジュッテなど)とか、飛ばなくてもエシャッペとか (注:下の解説参照)

50歳で体力も落ちているうえに体が重いので、

ボテッ とか ドスン とか、

まぁ、しんどいやら、ハズカシイやら・・・  

ハァハァ・・・ ゼィゼィ・・・  

( ちなみに、ウエアはレオタードの上にニットやサウナパンツをちゃんと合わせて隠すため、ぶよんぶよんなみっともない体系を直接人の前にさらすことは絶対ありえませんので、念のため。  

他の生徒さんたちは皆さん細いので、フィットTなどの下にショートパンツやスカートを合わせて体の線は隠しませんが、なぜかレオタードを着用していません。
私は気持ちが引き締まるので、ちゃんとレオタードを着用します。
そして正しい動きを確認したいので、肩から上とひざから下は必ずラインが見えるようにしています。

ほんとうは体の線が見えないと、間違いを正したり、正しい姿勢や動きを見ることができないため、通常の教室ではレオタードの上に体の線を隠すようなものを身に着けるのは禁止(線を隠さない羽織ものならOK)ですが、大人クラスはその点、ゆるやかです。 ) 



ほかにも、バーでルルベ (つま先立ちのこと) すると足がつるので、

また、バレエの体、動きの基本は、しっかりと脚が付け根、膝、足首とすべてアンドゥ・オール (外側に開くこと) していないといけない (しっかり立てないし、パができない) のに、
もともと自分は骨格的にどんなに頑張っても180度は脚が開かないうえに、特に左足が内側に入る癖があって、全然できてないので、

せめてもう少し可動域を広げるために、毎日ストレッチをしないといけないなぁー、などと思いつつ、その実は中々できないのだが ) 


それでも、自分はバレエを10年やってきたのだ、現在もレッスンしているのだ、と思えるのは、

こんなこと言うといやらしっぽく聞こえるかもしれないのでご容赦いただきたいのだが、

バレエというものが、昨日今日はじめた人が簡単にできるものではないだけに (体を含めて本当は毎日コツコツと地道に長年レッスンを積んできた者だけができるようになる)

それが 自負(プライド)になり、時として心の支えになってくれる     こともある。



まあ、ピアノもそうだけど、自分、しつこいなー・笑。

てか、子供のころ好きだったもの (かつて一度でも好きでのめりこんだもの) って、たぶんずっと一生好きなんだよね。


そしてピアノもバレエも (とかいうと、なんか子供のお稽古事みたいだなぁ~  )、

なーんか自分て、例え趣味でも、もっと簡単に楽しめるものはいくらでもあるのに、

そう簡単にはできないようなものばかりやりたがるタチみたいだ。

きっと、ちょっとしんどくても、それを頑張ってクリアしていく、達成感のあるものが好きなのかな? (もしかしてM気質? 



なので、バレエは、やっているといっても回数でいうとほんの少しなんですけど、
そして、以前習っていた時みたいにもっとうまくなりたいとか、発表会に出たいなどと欲をかいたり目標は持たずに、
ただ、ホントの趣味として、息抜き程度に楽しんで、
今後も細々と、ながぁ~く続けられたらいいかなぁ、なぁーんて今は思っています。






かつて愛読していた 『クララ』 という子ども向けのバレエ雑誌( 月刊。子ども向けだから易しく読みやすかった。これは創刊第2号です) の表紙だが、

この女の子が、ずっと私の理想の体型です。 (舞台衣装よりレッスンウエアにセクシーさ、カッコよさを感じるタチ)
華奢で胸がないうえに、理想的な “バレリーナ・レッグ” (そんな言葉はないが、自分の造語。膝が入っていて脚全体が弓のようにそっくり返っていて、足の甲が出ている ← 自分にはないものなので) を持っています。 
 


かつて集めていたレオタード、レッスンウエアの数々のうち、特にお気に入りのものを本邦初公開。(この、倍以上持っている。)
みなさん  お願いだから、太った50代のオバサンが着ているところを、くれぐれも想像しないで、サラッと見てくださいね。 

生地が伸びるので現在でも着られるものもある・笑。  

が、今では着られないものも多いので、自分はキャミソール型のレオタードが好きなので、いつかまた着られるようになりたいです。  あと、オーバースカートも。(ただ今、ダイエット中です。 )


ボーダーのニットはロング・レッグウォーマーで、創刊一号で草刈民代さん (元牧阿佐美バレエ団) が身に着けていたのと同製品の色違いです。(チャコット製)



市販の安いチェストにバレリーナの模様がついたボーダーテープを張ったものをレッスンウエアなどを入れる専用チェストにしていました。

切り替えがあって模様が入っているものや、地模様になっているもの、レース地を重ねてあるもの、ベロア地切り替えのものなどがけっこう好きです。

真ん中辺に入っている、青地にボーダーの切り替えが入っているものと、わかりづらいけどその左隣の身頃が青くて袖が赤いもの (実はこれ、リバーシブルというスグレもの) は、当時大好きだった上野水香 (-みずか。牧阿佐美バレエ団から東京バレエ団) さんが、やっぱり雑誌の中で着用していたので、見つけたとき嬉しくて購入したもの。
( 青地にボーダーは、チャコット・マラーホフ製、青に赤の切り替えのものは、確かミルバ製か何か ) 
20代で初めてバレエをしていたころは、大人がやるようなものではなく、レオタードもそんなに種類はなかった時代で、目的も違ったしお金もなかったので、黒を含めて無地のものをせいぜい2,3枚しか持っていなかったが、

3,40代で復活するまでに、同じ新書館から大人向けのバレエ雑誌 『クロワゼ』(季刊) が発行されるようになったり、大人からでもバレエをやるのがちっとも恥ずかしくない風潮が出てきたためか、可愛い、きれいなレッスンウエアがあちこちのメーカー (かつては日本製はチャコットとバレリーナくらいしかなかったが、フェアリーやドッシュ・ドッスゥなどといった新しいメーカーができた) からたくさん出回るようになった。

それで、多少ゆとりもできたので、レッスンウエアをたくさん揃えた時期があった。(アルコンにも行ってなかったし他に趣味がなかったので、ふだん着るお洋服よりもお金をかけていた。  

バレエをやめて、二度と着ることはないだろうと思ったし、こんなもん、バレエ以外で着ることはないので、よほど処分してしまおうかと思うこともあったが、高かったのと、それぞれに思い入れもあって (中には、サイトで見つけた主婦のやっている手づくりのウエア・ショップで生地から選んでオーダーで作ってもらったものまであるので) どうしても捨てられず、タンスの肥やしになっていたもの。

レオタードだけではなく、大好きなオーバーオールのニットパンツとかサウナウエアは、こんなにあってもしょうがないほど、驚くほどたくさん持っている。 

ああ、捨てないでよかった。  
 


こちらは、おそろいのバレリーナの足先 (トウシューズ) が描かれている、レッスンバッグ(写真上)とトウ・シューズ・ポーチ(下)。
同じ時期に買ったが、色がまるで違う・笑。 レッスンバッグは現在でも愛用しているけれど、ショルダータイプでポケットも少なくちょっと使いにくいので、トート型のバッグを探しているところです。

ポワントレッスン (トウ・シューズを履いてするレッスン) はKの教室でほんの少しやったことがあり、ゼリー状のトウ・パットを入れるのでつま先は思ったより痛くなかったが、体を引き上げないと立つこともできないため、その引き上げた状態でいるのがあまりにも辛くて (たぶんトウ・シューズを履いて毎日レッスンしたら誰でも確実に痩せられるだろうなぁーと思うほどキツイです。でも、誰でもは履けないんだけどね。)、
ポワントは長いこと憧れだったのに、こんなにしんどいなら履けなくてもいいや、とまで思った。  
また、自分は不器用でトウ・シューズのリボンがうまく巻けなくて、人より履くのに時間がかかったのも嫌だった。

たぶん、二度と履けない (トウ・シューズというのは、先生が許可してくださって初めて履けるものなので。また、もう自分にはムリ・笑) と思うが、大切な宝物です。  絶対捨てられません。




そんなこんなで、バレエの話は終わります。

ひゃー、ナガカッタ。  

このあと、今年になって始めた 「筋トレ編」 へと続きますので、お楽しみ  に。  






【 バレエ用語解説 】
シャンジュマン:5番ポジションからジャンプし、脚を前後に取り替えるジャンプの動き。
シソンヌ:5番ポジションから、両脚で踏み切ってジャンプをし、片脚ずつ着地するジャンプの動き。前後左右の方向に移動する。
グランジュッテ:大きくジャンプする動き。
エシャッペ:5番ボジションから、2番ルルヴェに立つ動き。
シェネ:1番ポジションのルルヴェの状態で、コマのように連続して回転しながら移動する動き。
フラッペ:片方の足を軸にしてもう片方のつま先でふくらはぎくらいの位置を前後に動かすこと。

※ 以上、「バレエ用語集」 等を参照させていただきました。













堀内元、堀内充 『 バレエ・コレクション 』  5.31 めぐろパーシモンホール

2013年06月05日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)

5月31日に、尊敬する、元所属バレエ・スタジオの大先輩で、大好きなダンサーである 堀内充(じゅう) さんと、

今回は、彼の双子の兄で現在アメリカ、セントルイスバレエ団芸術監督の 堀内元(げん)さん が帰国し、

兄弟でそれぞれ2作品を振り付け、上演(充さんはその一つに出演)された、

『 バレエ・コレクション 』 という公演があったので、見に行ってきました。


「充プロジェクト」 としての公演は久しぶりで、

4作品とも素晴らしかったですが、

特に充さんと奥様でいらっしゃる行友裕子さんとの二人だけのデュオ、『 パラフレーズ 』(リスト曲、堀内充振付) が、やはり素晴らしかったです。

あと、堀内元振付の 『 ウェイクアップ 』(ジョー・モッラ曲) も、すごくよかったです。



また、楽屋などで充さんを始め、懐かしい先生方やメンバーの方にもチラッとですが会え(見れ)、

( 袴 雅子 先生が覚えていてくださって、ちょー恥ずかしかったけど、ちょっとだけ嬉しかったです。 
他に、お顔だけですが 遠目で 池田 由美子 先生や 金子としこ さん のお姿なども見えました。 )


また、ずっとアメリカに行っていらしたため、元さんとは今回初めて、ほんの少しですがお話しさせていただき、大変感動しました。

元さんは、セントルイスバレエ団の芸術監督をされて12年になるそうですが、また最近ご自分でも踊られているようで、

ビデオで見ましたが、身のこなしやジャンプの高さなど、未だ健在。

すごいです    



芸術監督になってからは、現役は引退されていたと思うのですが、また、今頃になって再び “踊ってみたい” と思われたというのは、
私たちファンにとっても嬉しい限りです。

また、世界的バレリーナ 吉田都 (-みやこ) さんと、出雲大社を舞台に踊られているようですが・・・

「東京では演らないのですか?」 とお聞きすると
「ミヤコが、そうでなきゃ出ないというので・・・(苦笑)」

とおっしゃっていて、

ミヤコが・・・
だなんて、きゃーーーー   ← ウソウソ…(^^;)

うーむ、出雲大社、行ってみたいけど・・・

ぜひ、トーキョでも、よろしくお願いいたします。




 終演後に、ご挨拶などで舞台裏にお邪魔しました・・・



充君の奥様、行友裕子さん。細くておきれいです。

直接は知らないのですが、バレエスタジオHORIUCHI (ユニークバレエシアター改め) でも教えていらっしゃるようです。




久しぶりにお会いしたのですが、充君はいつもお優しいです。

私は、太ってて、なんか疲れ切ってて恥ずかしいです、写真見ると・大冷汗。



充君の左の方は、バレエスタジオ先輩の 「しげみ さん」。
いつだったか バレエ雑誌『クララ』 の、チャコットのトウシューズ・フィッター (その人に合ったトウシューズをフィッティングするためのお手伝いをしてくれる人のことで、チャコットでは社内認定資格所有者になっているようです) さん として紹介されていました。

右は、スタジオ先輩でもあり、イズミ・ミュージカルアカデミーの一期先輩でもある、
元劇団四季で現在振付家として活躍中の 「吉田 潔」 くん。

先輩をくん付で呼ぶのもなんですが、4つ下 (充君と同い年) なので、つぃ・・・


今回、あまりにも時が経ちすぎていたので覚えていてくださるか自信なく、また、今はそっちの世界とは全然縁遠いことですのでお声はかけず・・・ごめんなさい。

写真を撮ってくれたのは、すべて、一緒に見に行ったイズミ同期のナオミですが、この時充君が手に持っているのが、私の差し上げたお花なのです。




勇気を出して、初めて 充君の双子のお兄様の方、元君にもお声をかけさせていただきましたが・・・

きゃー、元君、笑ってるぅ~。 ほっ。    (写真、ボケてるけど)



元君と充君、一卵性双生児ですが、かなりお顔付が違い、お二人が19歳の時に初めて舞台を見た (イズミ時代、ユニークの 「ニューヨーク留学凱旋公演」 で)  のですが、出逢った頃からすぐに区別がつきました。

元君は精悍でシャープ、充君は甘くソフトな感じです。


しかし・・・

今度お邪魔する時は、もちっとヤセてないと、はずかしー。   





堀内 元 (ほりうち げん、1964年8月29日生れ) 東京都出身。

ユニークバレエシアターを主宰していた堀内完・秀子の長男として生まれ、6歳でバレエを始める。10歳の頃すでにバレエを志すようになり、自宅のスタジオで毎日稽古をしていた。姉のかおり、双子の弟である充 (じゅう) もバレエダンサー。

1979年4月、全国舞踊コンクールのバレエ部門第1位。
翌1980年、15歳にして 『ローザンヌ国際バレエコンクール』 で 「スカラシップ賞」 と 「振付賞」 を受賞、
奨学金を得て 「ニューヨーク・シティ・バレエ団」 (NYCB) 傘下の 「アメリカン・バレエスクール」 に留学する。

父親の反対を押し切って2年目も学校に止まり、ジョージ・バランシンに認められて、
在校中の1982年に新作 『ペルセフォネ』 に出演。
卒業後に正式にNYCBに入団した。

1983年には 『真夏の夜の夢』 で主役オベロンを踊る。バランシンの薫陶を受けたのは2年弱に過ぎなかったが、
1987年にはP・マルテンスの新作 『貴族たち』 で主役ウルブリヒトに抜擢。

1989年、24歳でプリンシパルに昇格。巧みな表現力とテクニックはアメリカでも高い評価を受けた。

バレエだけの人間にはなりたくないとの考えからミュージカルにも進出しており、
ブロードウェイで 『Cats』、 『Song and Dance』 に出演したほか、英国のウエスト・エンドでも同様の出演歴がある。

15年在籍したニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB) を退団後、

1999年に米国ミズーリ州の 「セントルイスバレエ団」 の芸術監督に就任。
師匠であったバランシンに倣い、2000年には傘下のセントルイス・バレエ学校のオーナー兼校長となり、人材育成と興行の両面で活動している。
( 就任当時、同バレエ団には大きな負債があり、専属ダンサーはわずか10名、バレエ学校の生徒も50人しかおらず、存続が危ぶまれていたが、堀内の改革で負債は2年で完済し、生徒数も350人になった。レパートリーも「くるみ割り人形」だけだったのを、ダンサーを20名ほどに増やし、年3回の定期公演開催にまで育てたという。母の実家は商家だが、そういう才にも恵まれていると取れる。)

ローザンヌ国際バレエコンクールの審査員もときおり務めている。

2015年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

振付家としても活躍、20作以上のバレエ小品のほか、全幕物の改訂・新演出も手がけており

1998年の長野オリンピックでは、開会式のフィナーレを飾る 『歓喜の歌』 (ベートーヴェン作曲)の振付を担当した。
(  開会式には元バレエダンサーでタレントの 神田うの も出演している。
猫田はこの年、松本で行われた、堀内元構成、出演の小品集 オリンピック記念公演 『Song and Dance』 を見に行っている。 )


 堀内 充 (ほりうち じゅう、1964年8月29日生れ) 東京都出身。 
以下、幼少期は双子の兄 堀内元 と同じ。

1983年 『ローザンヌ国際バレエコンクール・スカラシップ賞』 を受賞。 兄、元と同じアメリカン・バレエスクールに入学する。

帰国後は、バレエダンサー・振付家として国内外で活躍中。

1994年 グロ-バル森下洋子・清水哲太郎賞受賞。

現在、バレエスタジオHORIUCHI バレエマスター、
大阪芸術大学舞踊コース 准教授、母校の玉川大学芸術学部講師 などを務めながら、ダンサー、振付家としても活躍中。


 なお、猫田が見た上記の公演、

初めての兄弟2人の振付作品の競演となった 『 堀内 元・堀内 充 Ballet Collection 』2013年公演 は
 
第45回舞踊批評家協会賞を受賞致しました。




 バレエスタジオHORIUCHI

http://ameblo.jp/ballet-studio-horiuchi/theme-10042060327.html

 ネコタもかつて通ってました。 

スタジオは、お父様の 堀内完先生 (尊敬する大好きな先生) が主催されていたころは、『ユニークバレエシアター』 という実験劇場的なカンパニーで、
スタジオ (レッスン場) が 劇場 (発表の場) でもあり、 当時流行りの 「アングラ劇場」 っぽく、地下にあるので窓がなく、壁も天井も真っ黒でした。
( いずみたく主催:劇団フォーリーズ本拠地であり、猫田も通ったイズミ・ミュージカルアカデミーもあった 「アトリエ・フォンテーヌ」(現在は取り壊されて存在しない) も同じく地下にあって真っ黒であった。)

現在は、白く塗られ明るい内装になっていますが、スタジオ自体は同じなので懐かしいです。
( 下の写真、玄関エントランスにも見覚えが・・・ )


 堀内 充バレエプロジェクト
http://j-ballet-project.com/





※ ブログと写真掲載は充君のみのご了承は得ております。 (後の方は、許可なくすみません  )