児童文学の会のお仲間の方々が本を出されました。
まずは、 高山榮香(-えいか) さん の出された 『横丁のさんたじいさん』(銀の鈴社、2015.8.3 刊 - 短編集)。
「サークル・拓」 の同人の方です。
高山さんが拓に入会されたのは、私がKに戻ってからですので、
私が高山さんにお会いしたのは、そんなに回数が多くはないと思うし、拓は今、諸事情で休会中。
それなのに、毎年お年賀状をくださるのです。
そしてそこには、書くことへの真摯な思いが毎年のように綴られていました。
確か一昨年前だったと思うのですが、 「書くことがだんだんわからなくなります。」 とあり、
私はそれに対して、その翌々年の年賀状で (翌年、つまり昨年はその前年に義父が亡くなり喪中のため出せなかったので)、何か心配しつつも生意気にも、自分の思うことを書き綴ったように記憶しています。
( どなたにも毎年、その年にいただいたお年賀状を見ながら、そのお返事を書くように翌年の年賀状をしたためているため、
1年遅れのお返事となり、いただいた方では
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だと思うのですが・・・
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)
信州の会と違って、同世代の仲間だけで作っている拓だったので、高山さんを合評会でお見かけした時、たぶん、御年70歳を過ぎていると思われたので、その向学心や向上心にはいつも敬服していたものです。
今年のお年賀状には、
「何とかいいものが書きたいと念じながら書いてきたが、この道は果てしなく大変だと、しみじみ思いました。
書いては行きますが・・・。」
とありました。
そんな、なんとなく心配していた矢先にご本が届いたので、びっくりするやら嬉しいやら。
ご本が出たことの喜びと、休会中の私に、自著が出版されても送ってくれる会員の方はもはやいらっしゃらないので、申し訳ないやらで、
なんだか熱いものがこみ上げてきました。
そして、たぶん版元の住所録の登録ミスだろうとは思ったけれど、なぜか、2冊 (別々の梱包で) 送られてきたので、
貴重なご本だけに一冊を送り返しましょうか? と、ご本のお礼を兼ねてお電話をしました。
お電話で、9月に人工股関節を入れる手術をする (以前左をやり、今度は右だそう) とおっしゃるので、
送り返した本に、この9月で89歳になるという母の骨折、手術、入院のことを書いた手紙を添えたら、その後、ご丁寧なお礼状をいただき、
「お母様のお話に励まされた。今年80になり 、次々新人が出てきている。子や孫も大きくなり、書くことだけが悩みだが、書きたくても書くことのできなかった年月 (子育て中のことと憶測) を思うと幸せです」、 と書いてありました。
本書が初出版かと思ったら、
1993年に ことわざ童話館 3『どんぐりトリオの背くらべ 』(国土社刊:短編アンソロジー(共著))
に、「地蔵さんの左手」 を収録、出版されていました。
そして、 「拓」 が一番長い、とのことですが、それ以前に5つの勉強会に参加、2つの創作教室を卒業されていることなども “著者略歴” でわかりました。
それまで知らなかったことにびっくりしましたが、大変な勉強家でいらっしゃいます。
高山榮香さんは 1935年、横浜生まれ、東京都日野市在住、
高山さんのお嫁さんの 鴇田 由起子 (ときた ゆきこ) さんが、かわいらしい挿絵を描いてくださったそうで、高山さんの初めての単独でのご本の出版に、あたたかな家族愛も感じさせてくれます。
また、「さん」同人誌時代にご一緒したという、児童文学者 岩崎京子先生からのお祝辞と評も華を添えています。
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信州児童文学会で、いつもおっとりとして品のいい、優しい笑顔で接してくださる、大好きな 柳沢朝子 さんも、出版されたばかりのご本を送ってくださいました。
『魚屋しめ一(いち)物語』(大庭賢哉 画:2015.9.28 くもん出版刊) です。
信州の会も、40年続いた、子供が直接手に取れる 『親子で読み合う雑誌・とうげの旗』 が廃刊となり、同人誌形態の雑誌に変ったころから、なんとなく遠のいてしまっていたので、
こんな私にまでご本を送ってくださったのが申し訳ないやら、嬉しいやらで、拙ブログで紹介させていただけないかとお礼がてら電話をしてみました。
この作品は、 『親子で読み合う雑誌・とうげの旗』 に2007年から連載されていたもので、掲載雑誌形態の変化を経ながらも2014年までの8年間、連載が続いたそうです。
そして、2014年の第2回とうげの旗児童文学賞 (とうげの旗作品賞改め。柳沢さんは1998年に 『びんぼうがみ』 にて「とうげの旗作品賞」も受賞されています) を、この作品で受賞されました。
8年の長きににわたる連載が終わったので、また、会の文学賞もいただき自信も得たことから、何とかこれを形にしたいと思い 「くもん出版」 に郵送してみたところ、
人物設定があいまい、地名がわかりづらい、現代の子どもに伝わりづらいなど、散々こき下ろされ一蹴されたことから逆に闘志に火が付き、
根性で書き直すこと13回、やっとこのたびの出版へとこぎつけたのだそうです。
その不屈の精神には本当に敬服します。
自分が松商の本を出すときに、600枚から300枚、100数十枚にしてから出版前にもう一度と、
3回も書き直しをした、というのが秘かな自慢? でしたが、どうしてどうして、柳沢さんはそのさらに上を行っていらっしゃいます。
しかも、とうげの旗文学賞まで受賞された、おそらくの自信作を、です。
その外観や雰囲気からは想像できないほどの、負けん気と根性の持ち主とお見受けしました。
柳沢さんに初めてお会いした (というより お見かけした) のは、
2006年10月に、 『信州児童文学会の創立50周年記念の会』 を黒姫童話館にて行った際に (私はその年の夏に同会に入会したばかりで、式典の合間に和田登先生に入会紹介をしていただきました)
記念式典で 「童話朗読」 をしてくださった柳沢さんを見た時でした。
その時に、他の会員の方から、柳沢さんがかつて地元放送局のアナウンサーをされていたとお聞きして、そのお声の美しさと優しくも華やかな雰囲気も相まって、雲の上のお方だと思ったものですが、
その後も、その優しいすずやかなお声と品の良さを買われて、高橋忠治先生の出版記念会の司会をされたり、夏の会などで何度かお会いするうちに、
その外観や物腰とは裏腹に、ユーモアがあり、ちょっぴりおちゃめで可愛らしいところもあって大好きになりました。
このたび、ご本のお礼と拙ブログへのご紹介記事掲載許可をいただこうとお電話したところ、上記のような 「出版苦労話」 を情感たっぷりに話してくださり、驚いたり笑ったり・・・。
来年3月の出版記念会でお会いできるのが、今から楽しみでなりません。
『魚屋しめ一』 のお話は、 『とうげの旗』 に掲載されていたころから大好きなお話でしたが、
これまで 『カンガルーハッチのパンチ』、『はやぶさとカメ』(信州児童文学会編、アンソロジー、総和社)、『つばめタクシー』(ツバメタクシー社)などの著書があるが、
本書が柳沢さんの初めての単行本出版となるそうです。
柳沢朝子さんは1939年諏訪市生まれの76歳、長野市在住。
人形劇「ラッパ座」主宰、地元ボランティアなどで活躍中。
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少し前の出版ですが、
『おはなしトランク・どうぶつがいっぱい キッチンくまかか』(童話工房ふろむ編、アンソロジー、2012.7.20 国土社刊)
『おはなしトランク・おもちゃがいっぱい スノードームにさ・し・す・せ・そ』(童話工房ふろむ編、アンソロジー、2013.3.15 国土社刊)
前者は、確かその年の信州児童文学会夏の会でご一緒した にしかわとよこ さん (「ウンがつくおまもり」収録) が、
後者は、ふろむ同人一同 の手紙が添えられていることから、同人のにしかわさん (「うーちゃんのスコップ」収録)、山崎玲子さん (「赤いようちえんバス」収録)、鳥野美知子さん (「ちよさんとお手玉」収録、拓同人でもある) の、いずれかの方から送ってくださったように記憶しています。
「ふろむ」 は、年に一度 「同人誌」 も発行 (拓の「あける」に比べ、厚さが3倍くらいあってびっくり・笑)
していますが、
子どもたちが直接手に取れる童話を、と、アンソロジーの出版、販売を会として考えたそうです。
こういう手もあったのね、というのが正直な感想。 (信州児童文学会編の前出の2冊も同じ形態の出版物ですが)
「同人誌」 というのは、会員の作品発表の場であり、成果を確かめ合ったり、書いたものを合評して今後に生かすための勉強の場でもあるのですが、
いかんせん、読者対象である子どもが読むことはない、という、なんとも不思議な刊行物であるのが、最大の難点。
( 同人、同人の仲間や作家、日本児童文学者協会、一部の出版社など関係者にしか配られないため、一般の大人が読むこともほとんどない )
当時、ご実家のお父様が病気療養中で、7月末、お父様の誕生プレゼントにできたばかりの本を手渡し、
こういう本を出したり、一緒に勉強し励ましあえる仲間がいるのだ、と告げたそうです。
お父様は、それから約一か月後にお亡くなりになられたので、にしかわさんは最後の親孝行ができたのではないか、とおっしゃっていました。
翌年発行された第2弾は、そんなわけでお父様に見ていただけなかったのが、私としても残念に思います。
こちらは、信州児童文学会誌 『とうげの旗・第6号』(2014年2月号) に、
詩集 『八月のカレンダー ~父へのレクイエム~』 として、にしかわとよこ さんの9編の詩が載せられています。
いただいたアンソロジーの短編童話も、あったかくてかわいらしかったけれど、私はむしろ、こちらの方に強く惹かれました。
ご病名やにしかわさんのお話などから案じてはいたものの、その後にしかわさんとはお会いする機会がなかったので、やはりお父様、お亡くなりになったんだ、とわかったこと、
そして、娘の視線というより、時に一人の人間=男としての父の人生を書くことにより、淡々とした言葉の中にそっと哀しみが寄り添いながら、ふっと暖かいものもこみあげてきて、胸が打たれました。
にしかわさん、童話よりもこっち (手法) のがいいじゃん、とも思いながら・・・。
彼女の、違う一面が見れたような気もしました。
のちに聞いたところによると、この詩はお父様の他界後に書かれ、一周忌にこれらの詩で小冊子を作って、親族やお父様がお世話になった方々などに贈られたそうです。
( 冊子にまとめたものと会誌に載ったものの量が同等だったかまではわかりませんが )
そして、これらの詩を書くことで、私は父をゆっくりと供養できたのだと思います、とにしかわさんはおっしゃっています。
書く者にとっては、書くことが生きる全てで、書くことにより物事を昇華させ、自分を納得させる。
自分が書いたものだけが、自分にとっての真実になるので、書くことでやっと生きてゆける。
ときにそれは、苦しみから逃れられる、唯一の手段となる。
にしかわさんの詩や、このたびやり取りしたメールなどを読みながら、そんなことを、自身の生(せい)とも照らし合わせながら思ったことです。
にしかわとよこさんは1968(昭和43)年生まれの47歳。埼玉県出身、千葉県在住。
信州児童文学会編 『カンガルーハッチのパンチ』 に 「青いセーター」 が公募枠で採用されたことをきっかけに、「ふろむ」 同人で信州児童文学会の山崎玲子さんもいたことなどから、同会に入会。その後、同編 『はやぶさとカメ』 に 「かさのおうち」 が収録。本書が3冊目、4冊目のアンソロジー収録となります。
小さい頃は転勤が多かったそうで、住んだところが “都-みやこ” とばかりに、遠く千葉から信州の集まりに来てくださり、長野県在住なのに不良会員の私は頭が上がりません・笑。
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こちらも、少し前になってしまいましたが
信州児童文学会と、一歩の会でもお世話になった、依田秀人(よだ ひでと)さんが、これまで書き溜めた童話、投稿文、雑文などと、
実父 依田憲一郎氏の、1997年~2013年までの16年にわたって 「信濃毎日新聞・建設標」 に載った33篇の投稿文、
そして、中学生の息子さん、依田龍政君の、コンクール受賞した詩と短歌を一遍ずつ収めた、
親子三代にわたる文筆集 『はるいちばん』(平成26(2014)年11月20日、くわの葉工房発行)。
興味深いのは、
「はじめに」 では父憲一郎氏が、息子が今までの作品をまとめて刊行するというので、自分も便乗したといい、
「あとがき」 では息子秀人氏が、父の投稿文をまとめたいと思っているうちに欲が出て、自分の書いたもの、息子のものまで合わせて一冊にすることができた、
と、謙遜し合っている点。
この本はまさに、 「蛙の子は蛙」 を地で行く、親子三代にわたる “文達者自慢” なのだ。
この 「自慢」 というのは、批判的に言っているのではなく、
投稿が採用されるくらいだから、憲一郎氏の文章力、着眼点、まとめ方がうまいことは実証済み、
秀人氏の童話も、味わい深くなかなかうまい作りだと日頃より思ってきたので、
そして、息子龍政君も、入賞するくらいの腕前なのだなぁーと、
むしろ、感心して、微笑ましく思いながら使っている。
と、思ったら、なんと文章を表現することへの憧れは、自分の祖父の残した 短歌や俳句の中にあった、と秀人氏が、祖父の句集の中からのお気に入りを二首、用いながら結んでいることである。
おじい様までもが、文達者だったのか!!
いやはや、びっくり。
どうせなら、祖父も入れた親子4代に渡る “大河作品集” にしてくれたらもっとよかったのに、とつい欲目が出る。
家族にとっても記念になると思うが、
贈られた側にも温かいものがこみあげてくる、微笑ましくも幸せな出版の形である。
依田秀人氏は1960年(同い年)、長野県佐久市生まれ、下諏訪町在住。
信州大学理学部数学科卒、ソフトウエア技術者。下諏訪北小学校PTA会長、下諏訪町教育委員会などを歴任した。
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『手打ちうどん』(2014年6月20日 姉妹社発行) も、昨年のことになってしまったが、
信州児童文学会会員の 島田富子(-とみこ) さんが送ってくださったもので、私のようにものにまで、と恐縮してしまった。
日常の中で感じたこととを書きつづった、50篇の随筆が収められている。
故はま みつを先生が、お亡くなりになる半年前の8月、夏の会会場の大町のホテルのロビーで、タバコをくゆらせながら、
「あと十篇書いたら本にしましょう。」 といってくださり、やっとお約束を果たせ墓前にお供えできたけれど、ご存命中にご覧いただけなかったのが何とも心残りだ、とあとがきに書かれています。
大町のホテルのロビー。
多くの信州児童文学会員が、にこやかに笑っていらしたお元気そのものの、生前のはま先生とお会いした最後の場所。
まさかその半年後には二度と会うことのできないお方になろうとは、夢にも思わなかったのですが・・・
島田さんはお親しかったので、病室のはま先生を見舞われており、奥様にも 「きっと本にしてくださいね。」 とおっしゃっていただいたそうです。
そんなはま先生への思いと、書かれた年代は記載されていないのが誠に残念であるが、長年文章を書きためてきたことへの想いとが織り交ざった、島田さんが生きてこられたあかし。
奥付にはっきりと (非売品) と書かれていることも、島田さんが本当に読んでもらいたい人たちだけに手渡される本なのだとわかり、その一人に入れてもらえたことが嬉しくも申し訳ないほどです。
本当にありがとうございました。
売るためのものではなく、 “一つにまとめること” の意義と大切さを、依田さんと島田さんの本は教えてくれます。
島田富子さんは1937年、長野県上水内郡牟礼村(現飯綱町)生まれの、とてもおきれいで若々しく、そうは見えないのですが78歳。長野市在住。
※ 最初の4冊は、出版社のHPなどを通じて購入できますので、ご興味を持たれた方はお買い求めいただけると幸いに存じます。
今回ご紹介させていただいたうち、依田さんと、にしかわさんは、ほぼ自分と同世代。
あとのお三方は、人生の大先輩です。
もう55歳と焦っていたけれど、自分なんて、まだまだヒヨッコなのかもしれません。
私も、大学一年の時からなので、この道? に足の指の先っちょを突っ込んで、つかず離れず、早や36年
ハッと気がついて、たまに、だけど冷静になると、そりゃ、メゲますよー、
やんなったりもします。
自分、何やってんだろ、って反省もします。 こう見えても・笑。
でも、大先輩の方々が頑張っておられる姿を見ると、負けちゃいられませんよね。
人生は、長いのです
先日見た、篠山紀信 『写真力』 の 「きんさん、ぎんさん」。
注目を浴びたのは 「2人そろって100歳、100歳」 のときですが、
まず、100歳まで生きたこともすごいけど、それからまだ、お二人とも7年も8年も生きることになるんです。
よしっ
がんばろう、私。
みなさんも、あきらめてはいけませんよ。
一緒に、頑張りましょうね。 ( って、ナニをだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
笑 )
※ PS.
「バレエ・カテゴリー」 分立に伴い、2013~2014年の記事で、他の記事と一緒になっていたものからの独立、下書きのまま未完成、未発表になっていたもの二つを新たにUPさせていただきましたので、合わせてご覧いただけますと幸いに存じます。
・2013年06月05日 堀内元、堀内充 『 バレエ・コレクション 』 5.31 めぐろパーシモンホール
・2014年06月10日 カルミナ・ブラーナ 6月8日 於:伊那文化会館
・2014年06月17日 ローザンヌ大賞の二山君を見に伊那へ・・・(白鳥バレエ学園発表会)
です。
宜しくお願い致します。