猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

Takamiyソロ 『復活バケーション!』  ~ いょいょ本編 ~ その3 タカミーソロの真骨頂 ♯1.♪

2015年10月29日 | THE ALFEE、Takamiy
   

 


さて、みなさん    お待たせしました     


2年ぶりとなる Takamiy ソロコンサート 
『復活バケーション!』 in パシフィコ横浜
 8/22、23

復活記事! でぇーーーす      



前回までのお話を要約しますと・・・

音響トラブルによる15分~20分押しで、やっと現れたと思ったら

まさかの ギターレス で、 他人の持ち歌を ちょーメタルアレンジ にして

ギンギンのGSソング を 踊りながら歌い登場 した Takamiy に、   

度肝を抜かれつつも、   

狂喜乱舞 したネコタ               でしたが、


カッコいい Dancing Takamiy と、ギュインギュインでゴキゲンな メタルGSソング を堪能し、

そして 想像を超えて楽しかった ポンポン!ライブ で会場一体となって盛り上がったところで、

楽しく華やかに      
第一部 Takamiy 流 EDM の部 が終了しました。           



15分の休憩をはさんで 第二部は、

 「VAMPIRE ~誘惑のBlood~」 のイントロが流れてきた途端に、    

これまでの  『メロディック・メタル』 (Takamiy 命名) に戻った    

と、ゆーんで安心したファンの方も多かったのではないでしょうか? (特に Dancing よりも ヘドバン好き の人 )

前の人が、リズムに合わせて自然と首を振っている  (ヘドバンしている) のが目に入ってきました。


かくいう私も、第一部はとってーも楽しかったんだけど、それでも第二部で “今までに戻ったこと” に、ちょっとだけホッとして・・・

    
『VAMPIRE ~誘惑のBlood~』 (2009年 アルバム Bタイプ、Cタイプ) 

激しく哀しいヴァンパイアの恋を、 Takamiy の、激しくもメロディックなメタルが美しい旋律を奏でます。


続く
 「Samurai Basara」 は、

2013年に、第二期ソロ活動の終了を前にして、
タカミー曰く 「みんなに忘れられないために作った」 という “置き土産” 的アルバム 『雷神』 の中の一曲で、
名づけるならば 『和メタル』 (ネコタが勝手に命名)。

  
『雷神』  (右:初回限定盤A 左:初回限定盤B)



(初回限定盤A リーフレットより)

このアルバムは、ジャケットからして 「和」 なタカミーが全開で、
狂おしいほどの激しく切ない恋の歌の数々に、発売当初からドキドキしながら聞いたものですが・・・

同曲は、身分違いの姫に恋するお侍さんの歌なんだそうです。

しかしながら、 “煌びやかでバサラなサムライ” というのがどことなくタカミーを思わせ、ドキドキ、きゅんきゅん・・・(〃▽〃)~


そして
 「Fantasia ~蒼穹の彼方」 のイントロが流れた途端、さっきの前方彼女のヘドバンが目に飛び込んできました。

   『Fantasia』(2010/8/25) より

う~む、わかるわぁ。

まさしく、首を振りたくなるような、 ヘドバンするために作られたみたいなメロディー。

これは、Dancing よりも ヘドバンの方が合う わぁ~ 
( 特にその彼女は、いつぞや遭遇してしまった近所迷惑な方たちと違い、頭だけを小さく振っていたので好感が持てたし )

と、心から思ったけど・・・

σ(^^;)は ヘドバンできない人なので、
それまでと同じ、体を縦に振ってリズムを刻む 「コシ(腰)バン」、「タイ(体)バン」? でお茶を濁す・・・(笑)

だってぇ~、自分、頭振ると血が上ってヘンになりそーなんだもん。

ステージのタカミーのこと、首振らないで、ちゃんと見つめていたいし・笑。    

 
ようするに、 「ヘドバン」 でも 「コシ(タイ)バン」 でも、 自分の好きな方法で、

殻を脱ぎ捨て 日常を忘れて 楽しめばいーんです        



 メタルサウンドが3曲続いたところで、タカミーのMC。

何を喋ってくれたのか、ナゼカ全然覚えてなくてナンですが・・・  


続く、一転してバラードは 第一日目は

 「Ome Way Love」 
 
2008年 『月姫』 Aタイプ、カップリング曲

初めてこの曲を聴いたのは、たぶん発売から数年たった2010年頃だったと思うのだが、
なんて激しく切ない恋の歌なんだろう、と、打ちのめされました。   

そして、こんなに切ない恋の曲のタイトルの 「Ome Way Love」 ってどんな意味なのかなぁー、と当時なので辞書を引いてみたところ(今ならさしずめPC検索するのだが)

片恋、恋の片道切符
と、あるではないか。   

まさしく、ひょっえーーー    でしたね。

タカミーが、そんな片恋をストレートに歌ってしまっていいの? みたいな。  本人の歌ぢゃぁないっつーの      

あんなに美しくてカッコ良くて、誰からもキャーキャー言われているタカミーが、誰かに・・・片思いしてるっていうの      うるっ
 だーかーらぁ、本人の体験とは限らないってば。    

と、打ちのめされたような気になりましたが・・・

それより、どーよ。
自分、 「Ome Way Love」 の意味も知らなかったのか・・・。      


のちに、偶然コムから、見たい回があったので、自分が録画してなかった少し前の TV『新堂本兄弟』 の録画DVDを借りたところ、
なんと、番組ラストでタカミーが、新曲の 「Ome Way Love」 をお披露目しているのが写っている回があったではないですか 


曲紹介の時 光一君が 「高見沢さん、いつまで Ome Way Love してるんですか・笑」 というセリフがあり・・・。
「うるさいよ・笑」 と返すタカミー。


天を動かすほどの力で あなたを想えば届くのか
だけど気づいてくれない One Way Love あきらめきれない
I just fall in love 一度だけ 振り向いて抱きしめて・・・


「ハートブレイクしている楽曲の方が個人的に好きだからかもしれない。まだ、究極のラブソングを自分は作れていない気がする。」 ※注1. 
と高見沢は、今回のソロパンフレットの中で語っているが

高見沢の作る曲は、悲恋の方が圧倒的に多い。


人間、幸せオーラを振りまいている人よりも、悲しみや苦しみに打ちひしがれたり、切ない恋などに身をやつしている人の方に、より共感を感じ、一緒になってそこから頑張ろうと思うようにできているものであるが、

私が思うに誰しも 「Sっ気」 というものを持っていて、

例えば、タカミーのように美しくて才能もあって、誰からも憧れを抱かれるような人物が、

もしも、その煌びやかな外観とは裏腹に、人知れず悲恋の涙を流していたとしたら・・・
もしも、その、美しい横顔に憂いを秘めて、叶わぬ恋に身を焦がしていたとしたら・・・

そしてついでに、そのお相手が、もしも自分だったら・・・

と、想像 (妄想?) すると、ちょっとドキドキ (ゾクゾク?) するのもまた、人間の持つ 「Sっ気」 の一種だと思う。

自称 “タカミーに恋をする乙女” 達は、タカミーが誰か一人の女(ひと)のものになることを恐れている。

夢を見ていたいから、タカミーには、一生独身で、哀しい恋の歌を歌っていてほしいと秘かに願っている。  
( きゃー、タカミー、限りなくエゴでSでゴメンなさい・・・    )



そして続きますのは・・・

 「Berlin Rain」

  
1991年のソロ始動より14年ぶり、2005年に発売されたミニアルバム  『Berlin Calling 』 収録曲

東西ドイツ統一15周年記念 「ベルリンの至宝展」 サブテーマソングでもあるこの曲 ※注2. は、
おそらく高見沢もお気に入りの一曲で、ソロライブでよく演奏されているインストであるが、

澄んだエレキギターの音が、まるで泣いているかのような冷たい雨を思わせる珠玉の一品。



 「Desire Red Rose 2008」 も、思うにタカミーお気に入りの一曲で、  

初めて演奏されたのはおそらく、1991年の第一期ソロツアー中で、当時はアルバム未収録曲であった。
二度目に演奏されたのがたぶん、第二期ソロ活動復帰元年となった2007年のツアー中。



そして翌年、復帰第2弾 ※注3. となったソロシングル 『月姫』 Cタイプ のカップリングとして、2008年版を初収録している。  

当時の人気TV番組 『オーラの泉』 ゲストに呼ばれた時 (2007年) 、 スピリチュアル・カウンセラーの 江原 啓之(えはら ひろゆき) さんによれば、
前世はヴェネツィア貴族の放蕩息子であったと鑑定されたタカミーだが、



それ以前の、 
自伝 『あきらめない夢は終わらない』 (高見沢俊彦著:2004年10月幻冬舎刊、ネコタは発売時に購入) の中で、

「自分にハワイなどの南国は向かない。気温も雰囲気もなじめない。
それよりも冬のベニスは最高だ。人がいないし、食事がおいしいし、車の乗り入れができないから、朝はボートを漕ぐ音で目覚めるという幻想的な体験もできる。」 という記述  (原文まま、一部筆者要約) があり、
高見沢俊彦という人を20代のころから知っているが、なんとも不思議な、キザで凄いことを平気でサラリと言うものだなぁー、 
でもいかにも かも、と驚愕の苦笑いをしたものだが・・・、  

その何年か後に江原さんのスピリチュアルを見たときは、やっぱり! と、不思議な気分になったものである。

曲は、

欲望の赤い薔薇、棘、
蒼いラグーナ(潟、入江)
カーニバル、仮面・・・

など、彼お気に入りのファンタジックなフレーズが、愛する水の都を幻想的に彩る作品である。


 ここでまたMCが入るのだが、またしても覚えていない・笑。   


 「Legend of galaxy ~銀河の覇者」 は、 TV『ウルトラマン列伝』 の主題歌で、初出は前出の 『雷神』 であるが、初回限定盤Bの特典CDと同じ  with  宮野真守(-まもる) とでない、Takamiy's Version が

  『ウルトラヒーローソング列伝』 (20015年1月) にも収められている。

TV中、ウルトラヒーローを演じた 宮野真守 や つるの剛士(-たけし) らとのコラボ曲も爽やかでいいが、
ファンとしてはやはり、タカミーバージョンがお気に入りのところ。



同じころ、ついに “ウルトラマン・タカミー” になってしまった (写真上DVD) 高見沢だが、

青空を駆け抜け、怪獣をバッタバッタとやっつけるがごとく、のびやかで澄みきった高音が響き渡る壮大なスケールの歌声は実にスカッとして、

濃密なソロライブ中の一服の清涼剤のよう。


流れが変わったところで、
 「仮面の魔法」 は、前出のアルバム 『Fantasia』 に収録されているが、



別バージョンジャケット (限定盤CD+DVD) では、ジャケット、リーフレット含めて5種類の仮面をつけたタカミーが写っている。

また、

   ソロDVD 『Kaieidoscope Ⅱ ~鋼鉄天使の凱旋~』 (2008年)

の中では、

  

「Desire Red Rose 2008」 を熱唱しながら、自ら仮面を身にまとうTakamiy が写しだされており・・・

( 余談であるが 「Desire Red Rose」 は、前年ソロ復帰した2007年のツアーでも歌い、この年も歌っていることから、よほど好きな曲であるのだろう。 )


話がやや逸れたが、つまりはタカミーは “仮面好き” であるのだと思うが、

この曲は、そんな “ロミオとジュリエット” のような Masquerade(仮面舞踏会。高見沢にはその名もズバリ 「Masquerade Love」 という曲もある) の世界で出逢う男女の危うさと、

時には常識をうち敗れ、仮面を脱ぎ捨てろ、と自分や周りを激しく鼓舞しながら、華麗で不思議な恋の世界へといざなう。

「Desire Red Rose」 が物悲しい運命を背負っているのに対して、こちらは、歌詞といい曲といい内面を激しく揺さぶるかのような楽曲。


 「孤独な Rudy Boy」 は、前出の 『雷神』(2013年) の中の一曲。

バンドを組み、仲間にも恵まれて、本人いわく “けっこう楽しい学校生活を送っていた” という高校時代だが、

一方では、幼少期から “平凡に生きること” に魔法の鍵をかけてしまった、早熟で繊細な少年が、
孤独で多感な青年時代に、ロックの洗礼を受けたことによって救われ、そこに生きる術(すべ)を見つけた、

その、人と違った才能の萌芽と、若者特有の苛立ちや孤独を見事に歌い上げたこの曲は、まさに高見沢の心の叫びを歌にしたようなものであると思う。

なぜ、今頃になってそれなのか、と思わなくもないが、

それは、現代においてさえ未だに闘っている自身を紡ぎだした 「Going My Way」 の世界観とは異なって、
発表された翌年に 『デビュー40周年』 を控えていた高見沢の、おそらく “原点回帰” 的なモノローグであろう。

自分も、多感だったあのころを思い出すような、タカミーの青春時代を想い、共鳴、共有したくなるような楽曲。


第二部のフィナーレは、
 「Kaieidoscope」

  
ソロ活動を再開させた 2007年7/18 に発表したアルバム 『Kaieidoscope』 タイトルロール。


つんく や リリー・フランキー (Elvis Woodstock)、みうら じゅん、宮藤官九郎など、時代をときめく他の作詞家たちが、
「高見沢俊彦」 という人物を思いっきり切り取り、具象化、脚色して詞にしてみせた、
まさしく “kaieidoscope” (万華鏡) のような華麗なる世界が繰り広げられているが、

その名もズバリ、タイトルロールであるこの曲は、高見沢自らが詞を手がけている。

前奏冒頭では、お決まりの 「火の玉」(大砲) が打ち上げられて           
オーディエンスの感嘆と歓声を誘うのだが ※注4

  
( 写真は2012年コンサートのものです。 )

もちろん私も きゃー                    


幻想的な神話のモチーフを用いながら、歌詞の根底に流れている、華麗で力強い詞のコンセプト、自らを貫いて生きることへの示唆が好きである。

また、フィナーレを彩る、 ルーク、 Koji を交えた鋼鉄天使たちの激しいギターバトルは圧巻で、
特に後奏部分の劇的な余韻は、後からCDで聞きなおしても、胸が熱く切なくなるほどの怪しく艶めいた仕上がり。

こちらも、ヘドバンの似合う楽曲。





写真は第一部のもので、 ルーク(左) と Koji(右) がGSルックに身を固め、真ん中の王子をサポートしているが、
まさにこのような感じで、
二人の持ち味を生かしつつ、タカミーをリスペクトしながら、互いに自らのバンドではリードギタリストであるのにもかかわらず、タカミーソロコンでは徹底してサポートにまわっている点は、ときに暖かく、可愛らしくもあり、見事。

ルークとKoji君、この二人 (王子連合) あってこそ、のソロなのです。

お二人とも、アルフィーの他の二人のメンバーに負けずとも劣らないほど、タカミーとの息もぴったり、
何年か見てきているうちに、すっかりその素敵な魅力の虜になってしまいました。        

今回、先にも書いたように、一日目はルークを、二日目はkoji君側で、それぞれの魅力をたっぷりと楽しませていただきましたが、
帰ってからこれまでのDVDをチェックしたこともあいまって発見したことは、

ルークは、おそらく連合最年長、リーダー的立場を生かして、サポートに徹しつつもちゃっかりと、見事ファン目線で自己アピールするのもしっかり怠らない点は、実に華麗でお見事 
( 彼にはスター性があるので、意識せずとも自然とそれができてしまうのだろう。 )

Koji君はその点、サポメンに使ってもらえることに未だ新鮮かつ至上の喜びを感じているような、結成当時は連合最若手としての遠慮や初々しさがあっのを未だ残しているような、純な部分があり、
時にタカミーのからかう対象になったりするのが見ていても可愛らしい。 
( 今回はおそらく、復活第一号ということや、短い中に多くを詰め込みたかった関係上と思うが、王子が従事たちをからかう場面がほとんどなくて残念であった。
たぶん、、静と動、きっちりとやや外しは年ごとに交互にやってくるような気がしているので、来年に期待しましょう      )

   




  さてさて、この切り口でいーのだろーか   と、何度も迷いながらここまで来ましたが、
考えるにつけ、この方法で行くしかなかったので、

思いのほか長くなってしまったため、ここでまたしても、いったん切ることにいたします。   

じらすわけでは全くなく、

単に長すぎて  読むのも書くのもしんどいから    

お許しくだされたく。   





 なお、本文中、※ 注1~3は、巻末にてまとめさせていただきます。
あしからずご了承ください。




※ ライブ写真はPCサイト等掲載のものを自分で写真に撮らせていただき、
CDやDVD、書籍等はすべて自分でも所有していますが、UPに手間がかかるため、ほぼすべてをサイトよりお借りいたしました。   










祝☆ 御嶽海関 新入幕 決定!!

2015年10月27日 | 御嶽海、相撲



大相撲11月場所 (九州場所、11/8~福岡国際センター) の番付が26日に発表され、

わが郷土、木曽郡上松町が生んだ 「御嶽海」 が、新入幕 を果たしました     
( 番付は西前頭11枚目 )

ヤッタァ~     バンザイ  

                 


幕下10枚目格付け出しで今年 『3月場所』 で “初土俵” を踏み、

幕下3枚目で迎えた 『5月場所』 とともに、二場所連続で “6勝1敗の好成績” を収めて 
「関取」 と呼ばれる 十両に昇進。

新十両 となった 『7月場所』 で “11勝4敗” で 十両優勝     

西十両5枚目だった 『9月場所』 も、優勝力士 (13勝) に次ぐ “12勝3敗” の 好成績 だったことが決め手に。


付け出しから所要 4場所での新入幕 は、
同じく10枚目格付けスタートだった 遠藤 の3場所 に次ぐ

昭和以降 史上2位タイスピード出世  だということ。         


Oh   すんばらすうぃぃぃ~いっ          


長野県出身力士の新入幕は、昭和47年11月場所での 「大鷲」(佐久市出身) 以来43年ぶりだそうです。


初土俵を踏んで以来ずっと勝ち越して成績もよかったし、新十両優勝もしたので、来場所あたり・・・

と、皆で期待していましたが、まさにその通りになり、本当に嬉しいです  

御嶽海、スゴいっ   

           



写真は、10月26日 『市民タイムス 号外』 より。
文章も、かなり参考にさせていただいちゃいました。   




同、号外の裏。

松本場所で豪快な、得意の 「突き落とし相撲」 を見せる御嶽海。

10月の、郷里長野、松本への巡業で、開場に入った途端まるで横綱が来たような大きな拍手が起こり、びっくりしつつも身の引き締まる思いがしたと本人。

場所中、観客から上がる声援が嬉しく、一番の活力になるとも。



新入幕を果たし、 「番付表」 を手に、思ったよりも上でびっくりした。ドキドキする、と心境を語る御嶽海関。

 

上:「勝ち越す!!」 という色紙を手にガッツポーズを見せる御嶽海。

左下:松本駅前やコンビニなど3500部の 「号外」 が配られたという。
   上記号外は、夫がコンビニでもらってきたのだと思います。

 上松町自宅にて朗報に喜ぶご両親。

以上、10月27日付 「市民タイムス」 より。


 

上:出羽海親方と会見に臨む御嶽海。

下:郡内6か所の公民館などに 「祝いの横断幕」 が貼り出される。  写真は、御嶽海出身地の上松駅前。  

( 10月27日 「朝日新聞」中南信版 )
 




 木曽町公民館にも、お祝いの横断幕が貼られました。




 地元では御嶽海関の “後援会も発足”。
  
( チラシは、先日 「JA(農協)祭」 に行ったときにもらいました。  位は会発足当時の十両と記載されています。 )


これからの躍進が期待されます。


ガンバレ    御嶽海              





 JA祭で見つけた、その名も “御嶽梅” という大福。

木曽町 三岳(みたけ)
( -元信濃グランセローズ、松本匡宏(-まさひろ)君の出身地で、ドラマ 『木曽オリオン』 の舞台となった 「木曽天文所」 のあるところ。
「三岳」 とは、御嶽山の “みたけ” ではなく、この地区から、御嶽、乗鞍、駒ケ岳という三つの岳が見られることから付いた名前です。 ) 
は、 “梅の産地” としても有名。  

地元道の駅では、併設の 「三岳グルメ工房」 にて手づくりされた、餅や大福、弁当やおにぎり、おこわなどが毎日並び、目当ての客に好評だが、

その 「三岳グルメ工房」 で考案された “御嶽梅”(大福) は、 「三岳梅」 と 「御嶽海」 をかけている。
ややっこしいな・・・(笑)   

中身は 「塩餡」 とのことでしたが、しょっぱい感じはなく、むしろ甘さ控えめな感じでおいしかったです。
餅には、細かく刻んだ 「梅の果肉」 が混ぜられていて、言われないとわからないほどですが、ほんのりと梅の香りのするのがまた、いいのです。 

力士のシルエットは 「御嶽海関」。  
真ん丸でなく、ややいびつなのが手作り感があり、素朴でよい感じ。


   ( 「挑戦・御嶽海」 信濃毎日新聞より )

 他に、「白星を15個並べてほしい」 との願いを込めて、甘い餅に三岳特産の三尾紅梅 (みおこうばい) の塩漬けの入った白い大福が15個並んだ 『白星大福』 も考案され、

新聞に掲載されたのは、新十両に昇進し、15日間土俵を務めることになった7月の名古屋場所の頃だが、
[御嶽梅」大福 を買ったときに、売ってるオバチャンに聞いたところ、まだ場所中になれば、 「三岳・道の駅」 にて販売しているそうなので、今度ドライブがてら買いに行ってみたいです。    
 











    

堀井和子さん の 暮らし方

2015年10月25日 | 食べ物、料理
 翌日に巻末に堀井さんを初めて見つけた雑誌の写真などを追加、全体的に写真を大きくしました。よろしかったらもう一度見ていただけるとうれしいです。





昨日UPした中から、大好きで本を集めた 「堀井和子さん」 の部分は、せっかくなので独立して書こうと思いました。
( 昨日のページの写真なども若干加えました。  )


雑誌の 「パン特集」 の中で存在を知った 堀井和子 さん の、パンを中心としたお料理本や、その暮らし方が大変気に入ったので、 ※注
その後検索して見つけた彼女の本を、一時期色々集めたり、その中のお料理を作ってみたりしました。


 上の写真 右は 『堀井和子の1つの生地で作るパン・私のパンのおいしいレシピ』 (文化出版局)

パンの作り方紹介と、巻末にはジャムやスプレッド、パンに合うメニューなども紹介した本で、


 左は、パンとパンに合う料理の本 『パンに合う 家(うち)のごはん』 (文化出版局) です。

パンは眺めただけで作ってないと思いますが(笑)、お料理の本は本当においしそうで素敵・・・。

いくつかは真似して作ってみたように思います。

堀井さんの本の中でも、イチオシ。   





 集英社be文庫の 『おいしいテーブル』。 こちらもイチオシで、かなり愛読してました。



堀井さんの生き方のコンセプトは素敵です。



食器や道具にこだわったり、中でもテーブルクロスがお好きみたいです。  (本裏表紙)



テーブルには、お気に入りのクロスをかけ、庭で切った花を活けて、食事やお茶を楽しむ・・・。

憧れでしたが、クロスってこぼしたら汚れそうだし、一時期夢中でやった 「庭仕事」 も、今は余裕がなくなって、荒れまくり・笑。      



パンだけでなく、「枝豆ごはん」 や (このクロスは素敵ですね 



「タコめし」 などは、おいしそうだったのでマネして作ってみました。



ルッコラとそら豆だけのピザやパスタもお洒落でおいしそう・・・




旅好きの堀井さんの、自分で撮った旅行先でのスナップも、さりげなくて素敵。   エクサンプロヴァンスにて。



ニースにて。   田舎の骨董屋さんとか、パン屋さんなどが好きみたいですが、堀井さんには外国が似合うんだなぁー。






 左 講談社α文庫 『朝ごはんの空気を見つけにいく』 なんとも素敵なタイトル。



堀井さん愛用の道具たち



切り干し大根(上)や うどんのつゆの ひしゃげたアルミの鍋までも、堀井さんにかかるとお洒落に見えたから不思議。   



素敵なキッチンと野菜サラダ


 右 幻冬舎文庫 『ヴァカンスのあとで』



堀井さんの素敵なところは、お料理の腕前や道具選び、暮らし方のセンスがいいだけでなく、



写真の腕前 (すべて自分で撮っているらしかった) も大したものだし、素敵でセンスのいいイラストも自分で描いてるみたいで

オールマイティーにすごいところ。



文庫本ではもったいないくらいの、素敵な写真やイラストが並んでいます。

文庫になる前の、もとは、普通の本だったのかもわかりませんが。



庭や花のある暮らしにも憧れたなぁー。 せっかく田舎に住んでるんだし。

庭自体はね、あるんですけどね、ウチにも・・・    

でもね、庭って、あまりにも手入れが大変すぎて・・・そのうちにできなくなっちゃって、もうあきらめてるの。        

  

 


 右 『「お買いもの」のいいわけ』 幻冬舎文庫



「モノ」 にこだわる堀井さんが好きなもの、つい買ってしまったものへの 「いいわけ」(理由の説明) などが、素敵な写真やイラストなどと共に紹介されていますが・・・

堀井さんだと思うと、感心して妙にナットク。

 左 『ある日のメニュー・絵のあるレシピ』 ちくま文庫

こちらは、なんと 「貼り絵」 なのですが、貼り絵に使う紙までが英字だったり、色がお洒落です。

材料やレシピも書かれたお料理エッセイ。

写真がもうちょっとあるとよかったかな・・・。



 以上、簡単なご紹介ですので、落ちがあるかもですが・・・

生活全体や生き方そのものがお洒落でセンスが良くて、お料理が上手でちょっとした道具や物にもこだわり、暮らしぶりが豊か (豊かというのは、高級というのではなく、心の豊かさですね) な人、

私も、もの (道具など) にはこだわる方なので共感できるし、


本を読んだりして作ってみるのも楽しいけど、余裕のない時は本をながめるだけでも、

また、そういう暮らしぶりには憧れるけど、とてもなれそうにないので、本をめくりながら幸せ気分に浸れる人、


こちらの 堀井和子さん、

手作り石鹸の前田京子さん (そういえば手作り石鹸も化粧水も、最近ではとんと作る余裕がなく・・・ 

お二人とはちょっと違うけど、嶋田真理子さん、などですね。



こんな風に、○○の教祖、とかカリスマとか、その人が流行を作ったり、その人自体がブランドになる、

と、ゆー人にも憧れますが・・・


そういう特技もセンスもないしなぁ~。   

せいぜい、書いたものを読んで、少しでも元気になったり、笑いとばして  もらえれば・・・。   



今の私の使命 (だと自分で勝手に思っていること) は、    

早くブログを、納得いくまでシッカリ書き上げて、

いづれは電子書籍を、ちゃんとナントカすること。     



それまでは、優雅な 暮らしなど目もくれず、 一心不乱  

猪突猛進    

ちょとつ・・・ちょっとっつ、 ちょっとづつ   猛進だぁ~~~   


ガンバルぞっと    



と、ゆーワケで・・・

ネコタおススメの 堀井和子さん、よかったらぜひ、読んでみてくださいね。    






※ 「猪突猛進」 の、本当の意味は・・・

目標に対して、周囲の人のことや状況を考えずに、向こう見ずに猛烈な勢いで突き進むこと。
いのししの 突進するのにたとえていう。

ですので、お間違いなきよう、よろしくお願いいたします。  


上記は 「討論ポイント  トロっぽい人」 などの例にみる、空耳アワー 
もしくは パロディー です。    





※ 注



 堀井和子さんの存在を初めて知った、NHK出版の 『ERiO エリオ』 という雑誌で 「パン特集」 号。



当時流行っていた 「オープンカフェ」 は、たぶん私がKに戻ったあとに流行りだしたのだと思うのですが、
お洒落で憧れたものです。(こちらは、原宿にある ブラッスリー 「オー・バカナル」)

真似して、籐椅子を、家にも買ったりしましたね。  今でも、表参道の 「アニバーサリー・カフェ」 は大好き。  


   サンドイッチまで洒落て見えました。  




堀井和子さんの、パンとパンの周りにある、お洒落でセンスのいい、だけど穏やかで幸せな情景に、一発で虜に。   

手づくりのパンを冷凍保存して、パンをフォークに刺してガスコンロの火で焼いてあたためる、という方法まで洒落て見えましたっけ。

  ヨーグルトを水切りして作る 「フロマージュ」 は作ってみました。

  こんなページも憧れて。  堀井和子さんが聖母に見えましたもん・笑。

  写真右下の 「にんじんサラダ」 も作ってみましたっけ。

赤ワインやチーズに開眼? したのもこの頃です。


雑誌は、今でも出版されているのかわかりませんが、1997年とあります。自分が37歳の、結婚して数年たった頃ですね。

大好きなパン特集で、食べた気、作った気、お店に行った気になっては、当時飽くことなく眺めてました。
パン作りやパン周辺の道具なども興味深かったです。





 こちらは、左が 雑誌 「主婦の友」 の付録の 『手づくりパンBOOK』

主婦向けなので、先生に教わる、おかずパンやおやつパン、パン作り上手な主婦二人の体験記など、いずれ自分も子供が生まれたら・・・なぁんて思いをはせつつ、けっこう見てたかもです。 ( 結局おこちゃまは今でもいませんけどね・笑 )

右は 「LEE」 付録の 『山本麗子さんの とびっきりおいしいお菓子工房』

山本麗子さんは、字は違うけど名前が同じで、信州在住で、というので、なんとなく身近に感じていたlり、お綺麗だから憧れたりもしていた方で、
パンの本同様、 “作らずに” 飽きることなく眺めてましたね・笑。 
 
今でも大好きな、バターの風味が豊かで、ほろっとこぼれる 「ショートブレッド」(ブレッドという名前だけどクッキーなのです) だけは作ってみたかも。
もちろん、買ったもののようにはなれず、がっかりしましたが。( 手作りクッキーってそうなのよね~ )

どちらも、1998年のものです。


たぶん、当時は、今の100倍くらいヒマだったんでしょうね。   


しかし、20年近く前の雑誌や付録まで、自分よくとってあるなぁー。     















久しぶりにパンを焼いてみました・・・

2015年10月24日 | 食べ物、料理




ダイエットと言っても、

なんか最近ブログ書いてたりすると疲れちゃって、結構食べちゃうので・・・

ダイエットもヘッタクレもあったもんぢゃぁにゃいが、

そして、例のマシーンも、ちょー疲れたひにゃあサボるので、

はっと気づくと、時々、にわか “修正” したりする日々の繰り返し。


で、ダイエットに炭水化物 (糖質) は厳禁なのだが、炭水化物系はおいしいので、カットするのは至難の業。

それで、ヘルシーな手作りパンならと思って、昨日の夜中に突然

パンを焼くことにしました。

といっても、材料をホームベーカリーにぶち込んで (こねるのから一時発行まで全自動)、

あとは成形してまあるい型に入れ、一晩寝かして (この間に二次発酵できる) 朝焼けばいいとゆー、ちょ―手抜き方法。




普段は、二か所がカウンター式の、引きだせるようになっている食器棚の中に収めてあるベーカリーを引きだして、
材料をセットし、スイッチオンしてから、その空き時間で、
しばらくぶりで使ったために汚れやほこりがうっすらと汚かった、ベーカリー外側の汚れを拭きました。
( おぃおぃ、順番が逆だろーがよ・笑  )

どこがヘルシーかとゆーとですね、

普通の白い強力粉に 「全粒粉の強力粉」 を 2対1 くらいの割合で混ぜ、砂糖は 「糖質、カロリーゼロのラカントS」 を使い、
ホームベーカリーは牛乳ではなく 「スキムミルク(脱脂粉乳、つまり脂肪分がない)」 を使うのが鉄則なので、
あと、バターの代わりに 「オリーブオイル」 を使います。


一般的に、白米より玄米、白い粉より全粒粉、白砂糖より赤砂糖、もしくは黒砂糖、普通の酢より黒酢、大豆より黒豆、というように、 

「白いものより黒いもの」 の方がヘルシーで、健康にもダイエットにもいいことになっているので。




今日のお昼頃、型の中で2倍に膨らんだ生地をオーブンで焼いてみました。

写真だとわかりづらいのですが、合計400gの粉で出来たパン生地を12等分し、半分に切ったウインナーをくるくると生地で巻いて型に詰めたもので、

うっかり型に油を引かなかったのでちょー取り出しにくかったけど・・・ 

このように、生地のつなぎ目から手でちぎれるのです。


お味は・・・

手づくりパン特有のイーストの香りの強いもので、一応、塩コショーを振って焼いてみましたが、ウインナーには、やっぱり粒マスタードとケチャップの方が合うし、
レシピでは8等分用のリング型なのだけど、それだと1個が大きいと思って12等分にしたけど、まだ、大きく、

1つでお腹いっぱいになっちゃうし、ウインナー感が少なくて残念でした。  

あと、私はどうしてもパンにはバターを塗らないと食べられないため、あんましダイエットにならないし・・・  


ま、でも、久しぶり (前回より1年以上たっちゃってるかも) 焼いた割には、上出来かも。     



おにぎりも大好きだけど

自分、パンがすごぉ―――く好きなので・・・      

「手作りパンの本」 見てるだけで幸せで、つぃつぃ色々見ると買ってしまうの。



この型は、左の本に付録でついてきて、 「日本一簡単にパンが焼ける」 というふれこみにつぃつぃ買っちゃったけど・・・

よく考えたら、お菓子用のリング型、既に持ってたし、

右の こねずに、混ぜるだけで焼ける、とゆーふれこみの本も、私の場合 “ベーカリーちゃんがこねこねしてくれる” んで、あんま意味ないし、




パン作りで一番メンドーなのは、こねることで、けっこう力もいるし、一次発酵、ガス抜き、形成してベンチタイム、二次発酵、など、オール手作りだとかなり手間も時間もかかるのですが、

この、メンドーな “こねずに混ぜるだけ” で焼ける、カンタンに作れるとゆーふれこみのパンの本 (写真右)、 よく探したら、既に持ってたんでした。   


既にたくさん持っているのに、 (そしてほとんど活用しないのに)、 つぃ買ってしまうもの・・・

バッグ、コート、ファー小物。(これは使いますが、色々持っていてもつぃ、違うタイプの物を見つけるとほしくてたまらなくなってしまう・・・)

パンやお菓子の本、

お菓子の型、お菓子の材料

ダイエット本・・・   


お菓子の型は、結局作らないのでほぼ使いませんが (笑)、私にとっては宝石よりも尊い、持ってるだけで幸せなものの一つ。     


上の写真左のような、 “ホームベーカリー用” の本もたくさん持ってます。 



右の 「ふとらないパン」 では、砂糖とオイルの代わりにコンデンスミルクを使うのだそうですが、
そのレシピで、一度も焼いてみたことがありません・・・    



こちらの、右端がベーカリー用の本で、
左端は 「手づくりパンとサンドイッチ」 の本です。  ( サンドイッチも大好き )



雑誌の 「手作りパン特集」 も、見つけるとよく買ってました。

ダイエットの本は見ないのはいづれ処分できても、お菓子やパン、料理などの本は、
古くなっても (みなさん、料理の本にも流行があるって知ってた?) よほどでない限りは、なぜか処分できません・・・。   



ケークサレ (甘みを抑えたおかずパンのようなパウンドケーキ) にも一時期こって、ホットケーキミックスで色々簡単に作ってみたことがあります。

でもそのうちに、ホットケーキミックスに、甘くないおかず素材を入れれば、どんな材料でも、本見なくてもカンタンに作れるし・・・と思ったらあまり本を見なくなってしまった。   



ホットケーキミックスでカンタンおやつ、の本も出るたび買ってました。あはは・・・    




これなんて、付箋つけてるけど、たぶん、一度も作ってみたことありません・・・   

だってぇー、カロリー2分の一っつったって、作るのめんどくさそーなんだもん。 

左は珍しい、和菓子の本。 桜餅、きんつば、どら焼き など、へー、こんなものも作れるんだぁ~と思って、思わず買っちゃったの。



マクロビスイーツの本は、ダイエットにいいと思ったのと、こんなにおいしそうなのが、砂糖なしで出来るの   

とゆー、オドロキで、つぃ買っていしまいましたが・・・眺めてる分にはおいしそうでいいけど、

そして、 「豆腐クリーム」 などは作ってみたけど、どんなに甘くしても 「結局豆腐だな」、と思い2度目がなかったです。  

マクロビオティック、そこまで菜食主義でもなし、作るのにちょー手間かかりそうだし。




キッチンにある “とびら付きの” 本棚 (煩雑に見えるのが嫌なので) の中ですが・・・

左上下はすべて 「料理関係の本」。   

右上段は、ダイエットやスキンケアなどの本、下段は通販の本です。




ここに入りきらないものは、FAX台の下に。

他に、キッチンラックの隅にも文庫本 (料理ダイエット関連の他わずかながら文芸書も) などを置いてます。  

はみ出た本は、キッチンカウンターの上に積んである・・・       
 たまに片づけても、すぐにそーなるの。    

( キッチンには文芸書は置かず、それらはまたまた物置と化してしまった 一応 “書斎” と名のつく場所に置いてあるのですが。  ) 

 


そんなことをしてたら、午後、トツゼン  店パソのマウスが利かなくなってしまったの。         

電池変えてもダメだったので・・・

コードレスだから、たぶん、マウスに手を置きながらウトウトして、たまに床の上に落としてしまうので、そのせいで故障しちゃったのかしら、と思うのだが、

これで、利かなくなったの二度目・・・。  


関係ないけど、家の書斎パソのマウスも、替えたばかりなのにたまに利かなくなってて、
多分落としたことないと思うのだが、なぜ・・・      

ま、家にはキッチンにミニノートがあり、普段はそっち使ってるからいーんですけどね、

たまたま先日、このひとつ前の記事が、書いてても店で終わらなかったため、
帰宅してネコの世話と晩御飯だけ作ったら、風呂もメシもビールもおあづけで書斎にこもって一生懸命書いてたら、最後になってマウスが利かなくなって、大慌て・・・   

仕方なく、夫ももう休んでたのでキッチンパソに移動して続きをやりましたが・・・。


パソコンてさぁ、マウスがないと何もできないのね。

バツ印を手でクリックしてみても、消えないし。   

しかも私は、ノートパソまでマウス派なの。


仕方ないから、ホームセンターまで買いに行きましたよ。  PC使えないの、困るもん。   

また、PC前で居眠りして落としちゃう可能性あるので、よほど有線マウスにしようかと迷ったが (経験から、有線なら落としても宙にぶら下がったままで床に叩きつけられることはないため) 

一度 無線に慣れてしまうと、どうも線があるとゆーのはうざったい・・・。

で、よく見たら、 「電池寿命が1.5年」 というのがあったので、散々迷ってそれにしました。

有線に比べて2倍のお値段だったけど、

幸い1000円分の割引券があって、それが使える、そのホームセンターへはめったに行かず、ずっと財布に入っててジャマだった
(一枚は親がくれて、もう二枚は何年もかけてやっとためた物で、1枚だと300円だが3枚集めると1000円割引になるという、商品券くらいの大きさの厚紙でできたのが3枚あったから、やっとためた割にはにジャマに感じていたのである) のを、
やっと使えて、しかも1000円引きで電池が1.5年と長持ちで・・・ おトク感いっぱい 

ばんざぁーーーいっ       




ちょっと可愛すぎますが・・・

もう、私を落とさないでね  ってか・笑。


ちょぃ年季入ってますが、手首クッション付の愛用マウスパッド。(家パソにもある)

向こうは、老眼用の 「虫めがね」 です。   





※ ちょっと間が空きそーなんで “つなぎ” で入れたんですけどね、この記事・・・

てめー、ツナギの割にはいつもとおんなじで、ちょーなげーぢゃんよぉーーーーー      


先日の仲間のご本紹介をさせていただいた記事を、当事者の方々と、
あと、お聞きしたいことがあったため、 
『とうげの旗・スポット』 の時に、いつも一緒に組んで取材に同行してくださっていた、とうげの旗編集長でカメラマンの 松永ひろしさん にも、ほんとに久しぶりにお電話をして、この記事と、篠山紀信 「写真力」 の記事のこともお伝えしたのですが
早速読んでくださって、お褒めの言葉まで頂戴してしまい、とてもうれしかったのですが・・・  


それにしても、猫田さんが書かれたものを読むと
いつも思うのは、
よっくもまあ、こんなに長くかけるものだ、
という、驚きの感想です。ハイ。


と最後に書かれていて、思わず大笑い。      



松永さん、またいつか、何かでご一緒に仕事がしたいなぁーと思う方です。









様々な人生と 『本』 という かたち・・・

2015年10月21日 | 本・文学・取材等
児童文学の会のお仲間の方々が本を出されました。




 
まずは、 高山榮香(-えいか) さん の出された 『横丁のさんたじいさん』(銀の鈴社、2015.8.3 刊 - 短編集)。
「サークル・拓」 の同人の方です。

高山さんが拓に入会されたのは、私がKに戻ってからですので、
私が高山さんにお会いしたのは、そんなに回数が多くはないと思うし、拓は今、諸事情で休会中。

それなのに、毎年お年賀状をくださるのです。

そしてそこには、書くことへの真摯な思いが毎年のように綴られていました。

確か一昨年前だったと思うのですが、 「書くことがだんだんわからなくなります。」 とあり、

私はそれに対して、その翌々年の年賀状で (翌年、つまり昨年はその前年に義父が亡くなり喪中のため出せなかったので)、何か心配しつつも生意気にも、自分の思うことを書き綴ったように記憶しています。

( どなたにも毎年、その年にいただいたお年賀状を見ながら、そのお返事を書くように翌年の年賀状をしたためているため、
1年遅れのお返事となり、いただいた方では   だと思うのですが・・・  )

信州の会と違って、同世代の仲間だけで作っている拓だったので、高山さんを合評会でお見かけした時、たぶん、御年70歳を過ぎていると思われたので、その向学心や向上心にはいつも敬服していたものです。


今年のお年賀状には、 
「何とかいいものが書きたいと念じながら書いてきたが、この道は果てしなく大変だと、しみじみ思いました。
 書いては行きますが・・・。」
とありました。
 
そんな、なんとなく心配していた矢先にご本が届いたので、びっくりするやら嬉しいやら。

ご本が出たことの喜びと、休会中の私に、自著が出版されても送ってくれる会員の方はもはやいらっしゃらないので、申し訳ないやらで、

なんだか熱いものがこみ上げてきました。

そして、たぶん版元の住所録の登録ミスだろうとは思ったけれど、なぜか、2冊 (別々の梱包で) 送られてきたので、
貴重なご本だけに一冊を送り返しましょうか? と、ご本のお礼を兼ねてお電話をしました。

お電話で、9月に人工股関節を入れる手術をする (以前左をやり、今度は右だそう) とおっしゃるので、
送り返した本に、この9月で89歳になるという母の骨折、手術、入院のことを書いた手紙を添えたら、その後、ご丁寧なお礼状をいただき、

「お母様のお話に励まされた。今年80になり 、次々新人が出てきている。子や孫も大きくなり、書くことだけが悩みだが、書きたくても書くことのできなかった年月 (子育て中のことと憶測) を思うと幸せです」、 と書いてありました。

本書が初出版かと思ったら、
1993年に ことわざ童話館 3『どんぐりトリオの背くらべ 』(国土社刊:短編アンソロジー(共著))
に、「地蔵さんの左手」 を収録、出版されていました。

そして、 「拓」 が一番長い、とのことですが、それ以前に5つの勉強会に参加、2つの創作教室を卒業されていることなども “著者略歴” でわかりました。

それまで知らなかったことにびっくりしましたが、大変な勉強家でいらっしゃいます。


高山榮香さんは 1935年、横浜生まれ、東京都日野市在住、
高山さんのお嫁さんの 鴇田 由起子 (ときた ゆきこ) さんが、かわいらしい挿絵を描いてくださったそうで、高山さんの初めての単独でのご本の出版に、あたたかな家族愛も感じさせてくれます。

また、「さん」同人誌時代にご一緒したという、児童文学者 岩崎京子先生からのお祝辞と評も華を添えています。




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信州児童文学会で、いつもおっとりとして品のいい、優しい笑顔で接してくださる、大好きな 柳沢朝子 さんも、出版されたばかりのご本を送ってくださいました。

『魚屋しめ一(いち)物語』(大庭賢哉 画:2015.9.28 くもん出版刊) です。


信州の会も、40年続いた、子供が直接手に取れる 『親子で読み合う雑誌・とうげの旗』 が廃刊となり、同人誌形態の雑誌に変ったころから、なんとなく遠のいてしまっていたので、

こんな私にまでご本を送ってくださったのが申し訳ないやら、嬉しいやらで、拙ブログで紹介させていただけないかとお礼がてら電話をしてみました。

この作品は、 『親子で読み合う雑誌・とうげの旗』 に2007年から連載されていたもので、掲載雑誌形態の変化を経ながらも2014年までの8年間、連載が続いたそうです。

そして、2014年の第2回とうげの旗児童文学賞 (とうげの旗作品賞改め。柳沢さんは1998年に 『びんぼうがみ』 にて「とうげの旗作品賞」も受賞されています) を、この作品で受賞されました。

8年の長きににわたる連載が終わったので、また、会の文学賞もいただき自信も得たことから、何とかこれを形にしたいと思い 「くもん出版」 に郵送してみたところ、

人物設定があいまい、地名がわかりづらい、現代の子どもに伝わりづらいなど、散々こき下ろされ一蹴されたことから逆に闘志に火が付き、

根性で書き直すこと13回、やっとこのたびの出版へとこぎつけたのだそうです。

その不屈の精神には本当に敬服します。


自分が松商の本を出すときに、600枚から300枚、100数十枚にしてから出版前にもう一度と、
3回も書き直しをした、というのが秘かな自慢? でしたが、どうしてどうして、柳沢さんはそのさらに上を行っていらっしゃいます。

しかも、とうげの旗文学賞まで受賞された、おそらくの自信作を、です。

その外観や雰囲気からは想像できないほどの、負けん気と根性の持ち主とお見受けしました。


柳沢さんに初めてお会いした (というより お見かけした) のは、

2006年10月に、 『信州児童文学会の創立50周年記念の会』 を黒姫童話館にて行った際に (私はその年の夏に同会に入会したばかりで、式典の合間に和田登先生に入会紹介をしていただきました)

記念式典で 「童話朗読」 をしてくださった柳沢さんを見た時でした。

その時に、他の会員の方から、柳沢さんがかつて地元放送局のアナウンサーをされていたとお聞きして、そのお声の美しさと優しくも華やかな雰囲気も相まって、雲の上のお方だと思ったものですが、


その後も、その優しいすずやかなお声と品の良さを買われて、高橋忠治先生の出版記念会の司会をされたり、夏の会などで何度かお会いするうちに、

その外観や物腰とは裏腹に、ユーモアがあり、ちょっぴりおちゃめで可愛らしいところもあって大好きになりました。


このたび、ご本のお礼と拙ブログへのご紹介記事掲載許可をいただこうとお電話したところ、上記のような 「出版苦労話」 を情感たっぷりに話してくださり、驚いたり笑ったり・・・。

来年3月の出版記念会でお会いできるのが、今から楽しみでなりません。


『魚屋しめ一』 のお話は、 『とうげの旗』 に掲載されていたころから大好きなお話でしたが、

これまで 『カンガルーハッチのパンチ』、『はやぶさとカメ』(信州児童文学会編、アンソロジー、総和社)、『つばめタクシー』(ツバメタクシー社)などの著書があるが、

本書が柳沢さんの初めての単行本出版となるそうです。

柳沢朝子さんは1939年諏訪市生まれの76歳、長野市在住。
人形劇「ラッパ座」主宰、地元ボランティアなどで活躍中。




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少し前の出版ですが、

『おはなしトランク・どうぶつがいっぱい キッチンくまかか』(童話工房ふろむ編、アンソロジー、2012.7.20 国土社刊)

『おはなしトランク・おもちゃがいっぱい スノードームにさ・し・す・せ・そ』(童話工房ふろむ編、アンソロジー、2013.3.15 国土社刊)


前者は、確かその年の信州児童文学会夏の会でご一緒した にしかわとよこ さん (「ウンがつくおまもり」収録) が、

後者は、ふろむ同人一同 の手紙が添えられていることから、同人のにしかわさん (「うーちゃんのスコップ」収録)、山崎玲子さん (「赤いようちえんバス」収録)、鳥野美知子さん (「ちよさんとお手玉」収録、拓同人でもある) の、いずれかの方から送ってくださったように記憶しています。


「ふろむ」 は、年に一度 「同人誌」 も発行 (拓の「あける」に比べ、厚さが3倍くらいあってびっくり・笑)
していますが、

子どもたちが直接手に取れる童話を、と、アンソロジーの出版、販売を会として考えたそうです。

こういう手もあったのね、というのが正直な感想。 (信州児童文学会編の前出の2冊も同じ形態の出版物ですが)


「同人誌」 というのは、会員の作品発表の場であり、成果を確かめ合ったり、書いたものを合評して今後に生かすための勉強の場でもあるのですが、

いかんせん、読者対象である子どもが読むことはない、という、なんとも不思議な刊行物であるのが、最大の難点。

( 同人、同人の仲間や作家、日本児童文学者協会、一部の出版社など関係者にしか配られないため、一般の大人が読むこともほとんどない )


当時、ご実家のお父様が病気療養中で、7月末、お父様の誕生プレゼントにできたばかりの本を手渡し、
こういう本を出したり、一緒に勉強し励ましあえる仲間がいるのだ、と告げたそうです。

お父様は、それから約一か月後にお亡くなりになられたので、にしかわさんは最後の親孝行ができたのではないか、とおっしゃっていました。

翌年発行された第2弾は、そんなわけでお父様に見ていただけなかったのが、私としても残念に思います。



  

こちらは、信州児童文学会誌 『とうげの旗・第6号』(2014年2月号) に、

詩集 『八月のカレンダー ~父へのレクイエム~』 として、にしかわとよこ さんの9編の詩が載せられています。

いただいたアンソロジーの短編童話も、あったかくてかわいらしかったけれど、私はむしろ、こちらの方に強く惹かれました。

ご病名やにしかわさんのお話などから案じてはいたものの、その後にしかわさんとはお会いする機会がなかったので、やはりお父様、お亡くなりになったんだ、とわかったこと、

そして、娘の視線というより、時に一人の人間=男としての父の人生を書くことにより、淡々とした言葉の中にそっと哀しみが寄り添いながら、ふっと暖かいものもこみあげてきて、胸が打たれました。

にしかわさん、童話よりもこっち (手法) のがいいじゃん、とも思いながら・・・。

彼女の、違う一面が見れたような気もしました。


のちに聞いたところによると、この詩はお父様の他界後に書かれ、一周忌にこれらの詩で小冊子を作って、親族やお父様がお世話になった方々などに贈られたそうです。 
( 冊子にまとめたものと会誌に載ったものの量が同等だったかまではわかりませんが )

そして、これらの詩を書くことで、私は父をゆっくりと供養できたのだと思います、とにしかわさんはおっしゃっています。


書く者にとっては、書くことが生きる全てで、書くことにより物事を昇華させ、自分を納得させる。

自分が書いたものだけが、自分にとっての真実になるので、書くことでやっと生きてゆける。

ときにそれは、苦しみから逃れられる、唯一の手段となる。


にしかわさんの詩や、このたびやり取りしたメールなどを読みながら、そんなことを、自身の生(せい)とも照らし合わせながら思ったことです。


にしかわとよこさんは1968(昭和43)年生まれの47歳。埼玉県出身、千葉県在住。
信州児童文学会編 『カンガルーハッチのパンチ』 に 「青いセーター」 が公募枠で採用されたことをきっかけに、「ふろむ」 同人で信州児童文学会の山崎玲子さんもいたことなどから、同会に入会。その後、同編 『はやぶさとカメ』 に 「かさのおうち」 が収録。本書が3冊目、4冊目のアンソロジー収録となります。
小さい頃は転勤が多かったそうで、住んだところが “都-みやこ” とばかりに、遠く千葉から信州の集まりに来てくださり、長野県在住なのに不良会員の私は頭が上がりません・笑。




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こちらも、少し前になってしまいましたが

信州児童文学会と、一歩の会でもお世話になった、依田秀人(よだ ひでと)さんが、これまで書き溜めた童話、投稿文、雑文などと、
実父 依田憲一郎氏の、1997年~2013年までの16年にわたって 「信濃毎日新聞・建設標」 に載った33篇の投稿文、
そして、中学生の息子さん、依田龍政君の、コンクール受賞した詩と短歌を一遍ずつ収めた、

親子三代にわたる文筆集 『はるいちばん』(平成26(2014)年11月20日、くわの葉工房発行)。


興味深いのは、
「はじめに」 では父憲一郎氏が、息子が今までの作品をまとめて刊行するというので、自分も便乗したといい、

「あとがき」 では息子秀人氏が、父の投稿文をまとめたいと思っているうちに欲が出て、自分の書いたもの、息子のものまで合わせて一冊にすることができた、

と、謙遜し合っている点。


この本はまさに、 「蛙の子は蛙」 を地で行く、親子三代にわたる “文達者自慢” なのだ。

この 「自慢」 というのは、批判的に言っているのではなく、
投稿が採用されるくらいだから、憲一郎氏の文章力、着眼点、まとめ方がうまいことは実証済み、
秀人氏の童話も、味わい深くなかなかうまい作りだと日頃より思ってきたので、
そして、息子龍政君も、入賞するくらいの腕前なのだなぁーと、

むしろ、感心して、微笑ましく思いながら使っている。

と、思ったら、なんと文章を表現することへの憧れは、自分の祖父の残した 短歌や俳句の中にあった、と秀人氏が、祖父の句集の中からのお気に入りを二首、用いながら結んでいることである。

おじい様までもが、文達者だったのか!!

いやはや、びっくり。

どうせなら、祖父も入れた親子4代に渡る “大河作品集” にしてくれたらもっとよかったのに、とつい欲目が出る。


家族にとっても記念になると思うが、
贈られた側にも温かいものがこみあげてくる、微笑ましくも幸せな出版の形である。


依田秀人氏は1960年(同い年)、長野県佐久市生まれ、下諏訪町在住。
信州大学理学部数学科卒、ソフトウエア技術者。下諏訪北小学校PTA会長、下諏訪町教育委員会などを歴任した。




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『手打ちうどん』(2014年6月20日 姉妹社発行) も、昨年のことになってしまったが、

信州児童文学会会員の 島田富子(-とみこ) さんが送ってくださったもので、私のようにものにまで、と恐縮してしまった。

日常の中で感じたこととを書きつづった、50篇の随筆が収められている。

故はま みつを先生が、お亡くなりになる半年前の8月、夏の会会場の大町のホテルのロビーで、タバコをくゆらせながら、
「あと十篇書いたら本にしましょう。」 といってくださり、やっとお約束を果たせ墓前にお供えできたけれど、ご存命中にご覧いただけなかったのが何とも心残りだ、とあとがきに書かれています。

大町のホテルのロビー。

多くの信州児童文学会員が、にこやかに笑っていらしたお元気そのものの、生前のはま先生とお会いした最後の場所。

まさかその半年後には二度と会うことのできないお方になろうとは、夢にも思わなかったのですが・・・

島田さんはお親しかったので、病室のはま先生を見舞われており、奥様にも 「きっと本にしてくださいね。」 とおっしゃっていただいたそうです。


そんなはま先生への思いと、書かれた年代は記載されていないのが誠に残念であるが、長年文章を書きためてきたことへの想いとが織り交ざった、島田さんが生きてこられたあかし。

奥付にはっきりと (非売品) と書かれていることも、島田さんが本当に読んでもらいたい人たちだけに手渡される本なのだとわかり、その一人に入れてもらえたことが嬉しくも申し訳ないほどです。

本当にありがとうございました。


売るためのものではなく、 “一つにまとめること” の意義と大切さを、依田さんと島田さんの本は教えてくれます。

島田富子さんは1937年、長野県上水内郡牟礼村(現飯綱町)生まれの、とてもおきれいで若々しく、そうは見えないのですが78歳。長野市在住。




※ 最初の4冊は、出版社のHPなどを通じて購入できますので、ご興味を持たれた方はお買い求めいただけると幸いに存じます。



今回ご紹介させていただいたうち、依田さんと、にしかわさんは、ほぼ自分と同世代。

あとのお三方は、人生の大先輩です。

もう55歳と焦っていたけれど、自分なんて、まだまだヒヨッコなのかもしれません。


私も、大学一年の時からなので、この道? に足の指の先っちょを突っ込んで、つかず離れず、早や36年     

ハッと気がついて、たまに、だけど冷静になると、そりゃ、メゲますよー、

やんなったりもします。


自分、何やってんだろ、って反省もします。  こう見えても・笑。

でも、大先輩の方々が頑張っておられる姿を見ると、負けちゃいられませんよね。


人生は、長いのです    


先日見た、篠山紀信 『写真力』  の 「きんさん、ぎんさん」。

注目を浴びたのは 「2人そろって100歳、100歳」 のときですが、
まず、100歳まで生きたこともすごいけど、それからまだ、お二人とも7年も8年も生きることになるんです。


よしっ 


がんばろう、私。       



みなさんも、あきらめてはいけませんよ。

一緒に、頑張りましょうね。 ( って、ナニをだ  笑 )       






※ PS.

「バレエ・カテゴリー」 分立に伴い、2013~2014年の記事で、他の記事と一緒になっていたものからの独立、下書きのまま未完成、未発表になっていたもの二つを新たにUPさせていただきましたので、合わせてご覧いただけますと幸いに存じます。

・2013年06月05日 堀内元、堀内充 『 バレエ・コレクション 』  5.31 めぐろパーシモンホール

・2014年06月10日 カルミナ・ブラーナ 6月8日 於:伊那文化会館

・2014年06月17日 ローザンヌ大賞の二山君を見に伊那へ・・・(白鳥バレエ学園発表会)

です。

宜しくお願い致します。   










《 ブログカテゴリー 》 を増やしました!!

2015年10月17日 | その他 色々
  チョラチ


ブログの、カテゴリー項目を増やしました。  



 「舞台、TV、映画 その他芸術」 を


・バレエ (レッスン、公演)
・ヘルス&ビューティー (一部バレエ)

・ドラムTAO
・その他芸術 舞台、映画、TVなど

・平林義男アートの世界
・その他 絵画、写真など

と、それぞれの項目に分け、

( ピアノやバレエなど、自分の趣味とプロの方の舞台とを一緒のカテゴリーにするのは、ちと気が引けるのだが、仕方ない・汗 )



 フィギュア以外の 「その他 スポーツ」 を

・野球、松商、日大関連、中原監督
・御嶽海、相撲
・その他 スポーツ

と、項目別にして、


それぞれの分野の記事が見つけやすくなりました。       たぶん・・・  


分類するの、ちょっとタイヘンでしたが、   

各々の記事が増えてくると、 「こちらもご参照ください」 というのが増えるため、いちいちあげるのはこちらでも面倒だから、

いっそのこと、細かく分けてしまった方がいいかなと思ったのです。


いっそう見やすくなった 

“新星 天然!にゃー語” を、 これからもヨロシクですぅ~         
 





お膝の上の 「あまえぼチロチ




カウンター on チョラチ 




※ 昨日の 「ドラムTAO」 記事も加筆訂正しましたので、もう一度ご覧いただけると幸いに存じます。







ドラム絵巻 “百花繚乱”  やっぱりTAOは素晴らしい!!

2015年10月16日 | ドラムTAO






10月12日の夕方5時からは、ドラムパフォーマンスTAOの、松本公演がありました。

同じ日に東京で大好きなバレエダンサー、ファルフ・ルジマトフの 『信長』 があり、どちらも観に行きたいのでどうしよう・・・

と以前書いていたもので、

ルジマトフ、見に行きたいけど、8月の Takamiy のソロコンに行くために全精力を使い込んでしまったので、      

今、トーキョ行く元気ないよー、         (母のこともあって出にくいというのもあるが)

でも、あきらめきれないよー、   
と思ってぐずぐずしていたら、当たり前だけど、チケットがもう売り切れてました。    

( ※ ルジマトフの記事から訪問くださる方もいらっしゃるようで、ご期待にそえず申し訳ありません。  
あんまり人のブログ見ないので どなたか見にいらした方、感想を教えていただけませんかね? ) 



だから、とゆーワケではなく、TAOは行くと元気になれるし、大好きだから、やっぱり一年に一度は見ておきたいので、

でも、ほんとのこと言うと、母の入院とかあって松本へ一人で運転していくのは今年初めてで自信がなかったこともあり、

ブログにモーレツリキ入れてた疲れもあって、チケットをぐだぐだと取りあぐねていた。

( 以前書いたかもですが、せっかくDM&メルマガ会員になり、どこよりも早いチケット先行 のご案内をいただいていたにもかかわらず、一番早いのを確かまだ母が入院中でうっかり忘れ・・・
2番目に早い売り出し日はアルフィー夏イベ当日と重なり、しかもルジマトフ公演ニュース知った後だったので迷い、購入を逃していたのです・・・
しかも、昨年秋頃から今年にかけて、大好きな 「レ・フレール」、「もっと泣いてよフラッパー」これのみ、運よく人に譲ることができ、チケットそのものは無駄にならず、「野村萬斎」と、3つも直前になってチケットはあったのに行かれなくなったりしたので、あまり早めにチケットを取ることに対して臆病になっていたというせいもある。母が退院直後で、出かけられるか不安でもあったし。 ) 



その間、TVではさかんに、 TAOと 篠山紀信 「写真力」 のCMが流れ、行きたい気持ちをそそる、そそる・・・    

調べたら、なんと    

「写真力」 最終日は、TAOの公演日と同じではないか     

これはもぉ、神様が私に行けと言っているのよね     なんでも大袈裟なヒト・笑。    


でも、行く決心をしたのが遅かったので、チケットあるかなぁ   
こうなったらもぉ、どんなに後ろでも端っこでもいいから、チケットさえ取れれば・・・、
TAOならきっとどの席でも満足できると思うワ       きらん…


と、思いながら、今回は 「まつもと市民」サイト上 では買えなかったので、いつもたいてい劇場に電話して取ることが多いのだが、今回は考えが及ばず、

それでも、と思って、
チケットぴあ、今年初めアルフィーのライブシネマの、舞台挨拶付プレミア試写会が運よくとれたことから、ちょっとイメージがいいのでそこで取ってみたら・・・ 

なんとー    

たしか、公演一週間~10日前くらいに迫っていたのに、1階のそれほど後ろでもなくて真ん中へんの、とてもいいお席が取れたではないか  


きゃー    ラッキー               


TAOはいつかの岡谷で、あんまり前すぎても見えにくいことを体験して知っていたから、

また、舞台セットなど壮大なので、この辺あたりが全体を見渡せてちょうどいいかも・・・


と思って行ってみたら・・・

な、な、な、なんとおーーーーー   

江良さんの、ほぼ真正面 


しかも、今回初めて演出を外部に頼んだということで、宮本亜門さんがされていたので、

作品にストーリー性があって面白かったのですが、

そのおかげだと思うけど、

いつもは、槍を回したり旗を振ったりのクライマックスにならないと登場しない (それより前の小作品等には出てますが主役級では、という意味) 江良さんが、

な、な、な、なんとおーーーーー   

最初から出ずっぱり 

きゃーーーーー                   

てんで、

大コーフンの幕開け   でした。         



 



見事だったのは、子供役の人形が、クロコに操られてバチを持ち、太鼓をたたくシーンで、江良さんと交互に叩き合っていたかと思うと・・・(微笑ましい 

一瞬にして、本物の人間 (大人) に早変わりするところは はっ   としましたね。


あとは、個人的に新体操出身の 山口竜昇(-たつのり) さんの、しなやかな身体パフォーマンスが好きなので・・・いつものように、ウットリと眺めたことです。  


ほかにも、いつものことながら、力強い太鼓さばき、   

時に飛び跳ねながら、踊りながら太鼓を打つという高い身体能力とパフォーマンス性には、  

思わず感嘆の悲鳴の出るほどで、一緒に飛び跳ねたいくらいの興奮度     

ときに、スカッとしたりしました。  


いやあ    わんだほー  

すんばらすぅいぃぃ~~~   

                









今回、物語全体にストーリー性があったことで違う一面が見れたのはとてもよかったのですが、

そして、舞台全体が程よい距離間で楽しめたことも ベリーグッド でしたが・・・

たった一つ難を上げるとすると、


やっぱり目が、目が・・・

見えにくかったの。        

遠くがバッチリ見える (その代り近くは見えづらいのだが) コンタクトに、更に劇場用の度のよわぁ~いメガネを重ねてしたのだけど・・・

( パソコンばかりやってるせいか、コンタクトの度がどんどん上がってすぐ合わなくなるとゆーか、なんか日増しに視力が落ちていく気がするの・涙。 それとも、年のせい? )


今回、江良さんはもう、バッチリわかりましたよ。真ん中ですから。

 これで分かんなきゃ、あんた、ファンやめなはれ・笑。      


だけど、二番目押しの 山口泰明さん、出てたのかなぁー、ちょっとよく、わかんなかったです。    

あと、わかんなかったと言えば、 岸野央明(-ひろあき) さんも、メインだからいないはずないと思うのだが、どこにいたのか・・・、

そういえば、TAOのHPに行ってみたら、 「今回から2班体制にする」 みたいに書いてあったので、松本には来なかったってこともありうるなぁー。

でもな、まだそうなる前の2013年岡谷公演でイチオシの江良さんのこと、見つけられなかった私ですので・・・    

アヤシイもんですが・汗。 


で、今回は、上記岡谷公演の時に、

 原口純一さんだと思うのですが、色白で、いつもニコニコしていてかわいらしくて、今回ちょっとお気に入りの方になっちゃいました。   

と書いていたのですが、

昨年の舞台では 山口泰明さん の方が目立っていたので、つぃ、江良さん+こっちの山口さんばかりを目で追ってしまいましたが・・・

今回はそんなんで、山口泰明さん 出ていたかわからず (笑)、 原口純一さんがけっこう目立っていたのですよー。




なので、原口さん  が、またまた再燃・笑。


それで、舞台を見てても思ったのだけど、豪華無料公演プログラム (笑) やTAOのサイトで確かめてみても、メンバーさん、だいぶ新しい方が増えた気がするのですが、

第2部の冒頭で、名物、メンバーさんの 客席通路練り歩き~ 
  
             

のときに、ちょうど前半分と後ろ半分を分割する通路から、そう遠くないあたりの席だったので、通路を通ってくださるメンバーさんたちが割合よく見えたのですよ。

そのときに、元いたスタジオの大先輩で、私の大好きなバレエダンサーの 堀内充(-じゅう)さんに ちょっと似ている、色が白くて髪が短めのウェーブなんだけど雰囲気がその方に似合っている、とっても美しい方を見つけたのです。      

自分的には、初めて見る方のような気がしたので・・・

それで、その方が誰なのかなぁーというのを、帰ってから公演プログラムや、サイトのTAOのメンバー紹介を探してみたのですが、
プログラムは舞台写真なので、メイクだったり動きがあったり、正面でない写真なので、見てもよくわからなかったので、

ついには、TAOサイトで、メンバーさんたちが日替わりで担当しているブログに行ってみて、ほぼすべての記事写真をチェック 
( ひゃー、まるでストーカーみたい・笑。執念やなぁ~。ごみんなしゃぃ。   )

それと分かるのはおそらくこの2枚だけで、

たぶん・・・なんですが、この方だと思うのですよ。


人物記載なし


手前が 「ジュンイチ号」 と書いてあったので原口純一さんらしく、
奥のもう一方は 「グッチー号」 と書いてあったことから、山口の 「グチ?」 (あ、原口もグチだけど・汗)

山口竜昇さんなのかなぁーとか。 (だったら嬉しいな 



公演プログラムの、この人って感じもする。 (違ってたら、ごめんなさい・汗。 右は演出の宮本亜門さん)



 上の写真の方と似てます?    ( こちらが、今回出ていらしたかわからなかった 山口泰明さん。)

こちらの写真はメイクしているので、似ているような気もするけど、はっきりとわかりづらく、自信がないの。
( サイトのメンバー紹介欄でも、竜昇さん、斜め横を向いてる写真でお顔がわかりづらく、確かめられないのです。 )


どなたか知っている方がいらしたら教えてください・笑。




そんなわけで、(どんなワケだ? 笑)

今回も、もちろん   血沸き、肉躍る 
 
太鼓パフォーマンスはバツグン    でしたが、それだけでなく、

イチオシの江良拓哉さんはじめ、 豪華イケメンさん群  も、たっぷりと楽しませていただきました。           


細かくお名前は挙げませんけれど、皆さん素敵な方たちばかりで、いゃぁ~、若いっていいな     


TAO、サイコー            







 豪華無料パンフレットより、座長・西亜里沙さん、岸野央明さん(右端)、江良拓哉さんの 『スペシャル・インタビュー』。

笑顔の江良さんが素敵・・・   


お三人ともTAOの中心メンバーで、作曲をされたり、これまでは舞台美術、構成や演出なども手掛けられていたようですが、
今回初めて、外部の方に演出を頼んだ、とのことです。

ということは、それまではすべて自分たちだけであれだけの舞台を作ったということなので、 
スゴイ      ですよね~。

宮本亜門さんと言えば、ミュージカルの勉強をしていたのでもちろん知ってますが、日本を代表する名演出家。

その方とTAOが合体し、来年1~3月に全米ツアー、
2月には 初のブロードウェイ公演が決定  しているそうです。

世界22か国を回ったそうですが、意外にもブロードウェイはお初なんですね。

ミュージカルのメッカでも、TAOのパフォーマンスはきっと高い評価が得られるだろうと期待、確信しています。


ガンバレ、TAO 







そういえばこの座談会記事にて、初めて江良さんが熊本県出身 (2005年入団) であると判明。 
( 西さん、鹿児島県出身 1997年入団、岸野さん、東京都出身 2002年入団 とあります。 )

そういわれてみれば、 “九州男児” って感じしますもんね。


できれば年齢も知りたいのになー。

年齢はその人の生きてきた証しだから、
そして、特に同世代の方には時代を共有してきたというある種の連帯感のようなものを感じるので・・・、
最近の年齢を表記しない風潮には憤りを感じるの。

皆さんに見ていただく側ならなおさら、 
「こんなに若いのにスゴイ」 とか、 「この人、○歳になんて見えなぁ~い、さすが若い 」 なんて一般人は感心したりするので、

むしろ年齢は堂々と言ってほしいし、みんなも知りたいと思うなぁー。


あ、TAOの方々が表記しない理由は知りませんよ? 
( でも、表記しないメリットってなんかあるの? 私は年齢に関する先入観は全くないので、自分でも隠さないし。 
アルフィーのメンバーも、隠さないし、いつでもどこでも堂々と言っちゃってるので好き  )


TAOのメンバーさんの、出身地と入団年、何年生まれかというのは、できれば全員知りたいなぁ~。

TAO関係者の方々、こちらを偶然目にする事がありましたら、ぜひともご一考くださいませ。     

ネコタからのお願いです。     



そうそう、余談ついでに、



この方ですけれどね、たぶん物語の主役級の方の一人だと思うのですよ。

冒頭で、人形 (子ども) から、早変わりした人間 (大人) の役で、江良さんと太鼓を叩きあったり、その後もソロパートが多く、
カーテンコールでも最後の方に登場したので、主役級で間違いないと思ったのだけど、
遠目だと、山口泰明さんとも 竜昇さんとも違うように私には思えて、どなたかがよくわからなかったの。   
( 遠目では、『花子とアン』 の花子夫役の 鈴木亮平さん に似ている気がした・笑 ) 

それとも、新人の方なのかしら?

こちらも、どなたかわかったら教えてくれないかなぁー。



あとね、前出の主要メンバー3人の鼎談で、


江良 「今まで見てきてくれた人には、あの人がこんなことやってる! っていう面白い見方 (発見) になると思う。(猫田要約)

     花山君 (山口竜昇) がすごいことになってる! 演技派! (笑)」

西  「うん、すごいね。(笑)」


という個所があり、
なんで山口竜昇さんが 「花山くん」 なんだろう・笑   (出身の花園大学と関係があるのか?)

と、ゆーのもあるけど・・・


凄いことになってる、演技派 ということは 

入団2年目にして大抜擢   とか、

幅広い役で活躍したということなのかなぁー。



ああ 

(目がよく見えなくて)、 わからない・・・    

もどかしいなぁ~。       



こりゃ、もいっかい、この演目をどっかで見るっきゃない         ( でも、もう無理だろーなぁー  )



( ※ 上のTVCM写真、 “総出演” となってるから、2班体制で松本に参加してないメンバーがいるってことはないのかなあ? )


もう恥ずかしいから、TAOの事務局に電話して確かめる勇気もないし・・・。   



そうそう、そういえば私、去年は夏の 『感動のK公演』 で満足したので、秋の松本公演は、ピアノの発表会間際だったためもあり行くのをあきらめたのだけど・・・

その、私のいかなかった公演場所が 「まつもと市民芸術館」 での初公演だったのですよねー。

だから、松本には初めて来てくれたと勘違いしていたけど、今回で2度目でしたね。  

そして、なんと  来年も、まつもと市民に来てくれるらしいです。

うれしいな    

今度はちゃんと、近すぎず遠すぎない、もっといい席を早めにゲットして、メンバーさんたちのお顔をじっくり見なくてはね。 

せっかく、DM会員になったのだから        





 おまけ 



グッズを買った時に入れてくれるビニールバッグ、今回から新しくなった?  舞台、緞帳のデザインもこれでした。



 昨年までは、コレ




新作DVDも、モチロン買いました 


                   会場で見つけた、その美しい人は、たぶんこの人。(最前列右端)



今、ちょっと忙しくて、まだ見れてないのですが・・・。 ( 見たら配役の秘密とかもわかるのかなぁーと思いつつ。 )



 昨年の “ヒットグッズ” はロゴ入りのバチでしたが・・・

今年のヒットはこれだぁ~      




江良さんデザインの 「ランチョンマット」 と 「コースター」。



真ん中に 江良拓哉 という文字が太鼓の中にデザインされて書かれていて、

    

ランチョンマットの隅っことコースターの裏には、江良さんのロゴの入ったタグが縫いつけられています。


事前にサイトチェックとかしていかなかったので、DVDは先着何名かがメンバーサイン入りのものがあったそうで、開場直後には、グッズ売り場に長い列が。

私は、グッズに並ぶのはアルフィーだけでいいので(笑、てか、他はできれば避けたいので)

終演後に買ったのですが・・・


パンフレット同封のグッズチラシで見て、このデザインが気に入ったので、てぬぐいかなにか買おうと思ったら、売り場にて初めて “江良さんデザイン” と知り、

だったら、ゼッタイ買わなくっちゃあ~     

てんで買いました。   


この、江良さんデザインの製品はやはり人気だったらしく、ランチョンマットは見本品の袋に入っていないものが一枚残っているだけでしたが、

買いましたよ~    

そしてコースターも、残りはこれだけです、と4,5枚出されたうちの、切り方によって絵柄の出方が異なる、といううちの、気に入った絵柄のものを2枚買わせていただきました。   


この、現品限り    というのをゲットできたとゆーのは、更に嬉しいですよね。    


もちろん、もったいなくて使えないので、額に入れて飾っておきます。    





黄色の手ぬぐい (西亜里沙デザイン) も 幾何学模様のもの (岸野央明デザイン) も、どれも素敵で欲しかったけど、お高いのでね。

そうそう、TAOサイトのグッズページ (通販可) を見ると、
江良さんデザインの、これと同じ柄の 「てぬぐい」 もあったみたいですけど、既に完売していたのか、会場売り場にはなかったです。

ほしかったなぁ~。

他にも、タオルハンカチなどあればほしかったデザインの、完売品がけっこうありましたよ。人気なのね。




そうそう、カードも買いましたよ。    下のカードが江良さん。 


そして、完売して今現在は扱いがないのか、昨年初登場でゲットした 「TAOロゴ入りバチ」 や、
DVDの2作品くらいは、すでにグッズサイトには載っていませんでした。

買っておいてよかった。          
   



これまで出たDVD。  たぶん、全部買っていると思うのですが・・・




 この日は、少しだけお洒落をして、まず 篠山紀信 「写真力」 を、時間があったのでゆっくりじっくりと見て、
それから遅いお昼を食べ (ファミレスの、散々迷って「ハンバーグとミニピザセット」にしたけど、最初の目当てだった「チースinハンバーグ(温野菜、バケット付)」にすればよかったなぁ~、ハンバーグイマイチ… 
夕方からはTAOと、

久しぶりに楽しくて優雅な? プチ・ホリデー を楽しませていただき、リフレッシュできました    

そういう意味でも、よかったです。    

( お土産にコンビニ弁当を夜ご飯用に、親の家とじぶんちに買って帰り、店の出納帳だけは計算してきましたが。  ) 






※ 写真は、グッズと冒頭の劇場外のタペストリー以外は、 『豪華無料パンフレット』、 TOAサイト掲載分 より自分で写真に撮らせていただきました。   








篠山紀信展 『写真力』・・・松本市美術館  2015.7/18~10/12

2015年10月13日 | その他 絵画、写真など



最終日となる昨日、10月12日(月)に行ってきました。

最終日で祝日だったので、そこそこ賑わっていました。




入り口から入ってすぐのエントランスには、美術館シンボルともなっている草間弥生さんのモニュメントが。





展示室の案内図をもらいました。 (右上のものは「入場券」を重ねて写しました)

館内は入り組んだスペースになっていて、それぞれが個室のようで順番に見て回れる感じ。

わかりづらいですが、案内図の、白い部分が展示スペースです。



鬼籍に入られた有名人の 「GOD」

存命のきらびやかな 「STAR」

ディズニーランドや歌舞伎役者たちを切り取った 「SPECTACLE」

大相撲やダンサー、ヌードなどの 「BODY」

そして、東日本大震災後の被災した方々を撮った 「ACCIDENTS」

の、5つのテーマに分けられて展示されていました。



写真には表示がないので、案内図と照らし合わせて、誰の写真というのを確認します。
遠くがよく見える度の強いコンタクトを入れていったので、近くの細かい字が見えづらく困りましたが・笑。   


とにかく、圧巻でした。

まず、パネルが大きい。


 撮られた時から “過去” になることを予測されている 「写真」。

最初から重いのだが、 「GOD」 は、すでにこの世にいない方々の、文字通りの神、神の領域に達しているという意味の 「GOD」 を映し出す。

穏やかな表情の優しい渥美清さん (1973年撮影、1996年68歳で没) や、 
“100歳100歳” で一世を風靡した 「きんさん ぎんさん」 (1999年撮影、成田きん さん、双子の姉。2000年(平成12年)1月23日、満107歳で没。蟹江ぎん さん、双子の妹。2001年(平成13年)。満108歳で没。) にはホッとしたものだが

作家三島由紀夫は、割腹自殺 (1970年(昭和45年)11月25日、享年45歳) ニュースが、子供ながらに衝撃的だったけど、肉体改造に励んだとされる鍛え抜かれた体が衝撃的なほど圧巻。(1969、70年)

三島文学はほとんど読んだことがないけれど、彼がもしも幅広い価値観が当たり前になっている雑多な今の時代に生きていたら、また違った生き方ができたのではないか、とも思ったりする。

( 最も、芥川龍之介、太宰治、川端康成など近代日本で自殺した小説家は多いので、何とも言えませんが。)

夏目雅子さん (1982年撮影、1985年、白血病のため作家伊集院静香氏と結婚後わずか一年で27歳で亡くなったのは衝撃だった)
大原麗子さん(1988年撮影、難病を患い、2009年、ひっそりと亡くなっていた。享年62歳) の、輝くような美しい写真も。
こんなにきれいで魅力的だったのに、亡くなってしまったんだなー、と改めて思う。

すでにこの世にいない愛すべき家族の写真を壁にかけ、仏壇の前で微笑む美空ひばりさんも、そちら側の人になった。(1989年52歳で没。撮影されたのはその亡くなった年である。)



 「STAR」 は、華やかなスターたちの裏側を暴こうとするのではなく、あくまでもきらびやかな表舞台を撮ろうとしている篠山さんの、力作が並びます。

個人的に興味を引いたのは、美しく清らかな吉永小百合さん(1988年)、若き日の美しき田村正和(1973年)、デビュー当時のまだ少女だったあどけない満島ひかりちゃん(1997年)、同世代のアイドル、セピア色した栗田ひろみさんが懐かしい(1972年)。

ローザンヌで賞を取った二山治雄君もいました。(2014年)


 「SPECTACLE」 では、2008年、25周年を迎えた 『東京ディズニーランド』 の、表部台に立つスタッフ (キャラクターやダンサーたち) が全員集合したと思われる大きな写真が、まず目を引きます。

その他に、ディズニーランドの写真集も出している氏の、ディズニーキャラクターたちの写真が並び・・・

ミッキーとミニーにキスされ嬉しそうな 「シノラマン」(ご本人) の写真だけは、篠山さんではない方が撮ったのだわよね、と思い、

シノラマンは絶対ディズニー好きだわね     


続いて、歌舞伎役者の写真が沢山並びます。 

篠山さんは、歌舞伎役者の写真集も多いのですが、あでやかな坂東玉三郎(1988,2000,1999) 
凛とした片岡仁左衛門(2006,2008,2011)ももちろんいいが、

一番興味を引いたのは 『口上』 の写真。(2006年)

中村扇雀、中村勘三郎、七之助ら6人が口上を務める、その後ろ側から客席を撮ったもので、役者さんたちが振り返った瞬間をとらえている珍しいもの。

普段見られない構図と、その場所から見える歌舞伎座の客席、満員の人の群れや桟敷席、花道、天井からつるされた提灯までが輝いていて、
そこに集まった人々が、これから始まる舞台に期待に胸を膨らませ、固唾をのんで、口上に聞き入っている、その息吹が満ち溢れていて、何度も何度も見入ってしまいました。

不思議の国の、 “元祖・美少女” 後藤久美子さん、もよかったな。


 「BODY」 は、 『SantaFe サンタフェ』 で日本中をあっと言わせた 宮沢りえちゃん(1991年)。
ほんとうに若々しくて綺麗で、穢れを知らないみずみずしさだった。

当時の流行りの人、カルメン・マキ(1969年)さんや、中でも黒柳徹子さん(1968年)にはびっくり。


そして圧巻は、やはりバレエダンサー、 VLADIMIR MALAKHOV (ウラジーミル・マラーホフ、3枚1998年) の、鍛え抜かれた肉体。

無駄なところの何もない、そぎ落とされた筋肉の美しさは、もはや芸術です。

バレエダンサーでは他に MANUEL LEGRIS (マニュエル・ルグリ、1999年) もありましたが、こちらはなぜか、カタカナで読みが書かれてなかったです。



一番すごかったのは壁一面に広がった、1995年の 『大相撲』。

国技館の、土俵を中心に、全力士と、行司や呼び出しまでを含めた全てのスタッフまで入れて撮った写真。

土俵上には左に貴乃花と、ちょっと名前が出てこないのだが当時の理事長?か誰か偉い人、そして右に曙という当時の両横綱。

東と西の力士たちが土俵下に連なるのだが、若乃花は土俵下にいるので、まだ横綱前なのか?

武蔵丸、貴闘力、先日亡くなった貴ノ浪、遠く小錦の姿も見える。今の力士は知らない人ばかりだが、当時の、知っている力士が沢山いる。

そしてその数、数えきれないほど。こんなに沢山いて、上位に上るのはほんの一握りという、とても厳しい世界。

そしてこれだけの人たちを一堂に集めて撮れるのは篠山紀信ならでは。

その人数たるや、まあるい国技館が歪んで見えるほどで、ちょっとクラクラしそうである。


御嶽海は、これだけの相撲界にあって、今どの辺にいるのだろうか。 そして、どこまで登ってゆけるのか。

その御嶽海の写真も、小さいながらも特別展示されていました。
稽古中のものだろうか、息遣いの聞こえてきそうな、力強いよい写真でした。



 そして最後、 「ACCIDENTS」。

写真家として、東日本大震災を “なかったことにはできない” と乗り込んだ、被災地での人々を写しだしたいくつかの写真。

よく、写真に撮らせてくれたな、というのが正直な気持ちだったが、
相手が篠山紀信だったからなのか、事実(真実の姿)を撮ってほしいと思ったのか、何をか訴えたかったのか・・・

がれきを前に所在無げに佇む老夫婦。

壊れた墓地を前に茫然自失の老婦人。

寂しげな幼い兄弟や、今にも泣きだしそうな若い母と子の姿が胸を打つ。

でも、それでも生きていくんだ、そんな力強さを感じさせる中年夫婦。

何だか見ていて涙が出た。


ちょっといたたまれなくなって部屋を出たが、
出口に掲げられた、篠山さんの暖かくてユーモラスな 「あとがきのようなメッセージ」 に救われた。




『写真力』

写真は時代を映し出す鏡。

音楽にも同じような力が宿っているが、写真を見ると、 「ああ、あのときこんなことがあったな」 と、その頃の時代が鮮やかに蘇る。

写真にも、力強くも気高い、そんな力が込められている。


おそらく 「人間」 を撮ることの好きな篠山紀信の力は、 『人間力』 でもあると思う。

特に、「大相撲」、「ディズニーランド25周年」、「歌舞伎口上」 に見る 『人間力』 は、
そこに生きている人々のすべてを包み込み、私たちに壮大なスケールで訴えかけてくれる。



篠山紀信、写真家生活50周年記念で全国を回っている展覧会ですので、あなたの街のお近くで開催されましたら、ぜひお立ち寄りください。
写真ファンでなくても、一見の価値があると思います。

( ただし、展示写真は場所によって若干異なるかと思われます。 )


展示室外には、氏のこれまで出した写真集の年譜が、写真説明入りでパネルになっていたが、読むだけでもどれも興味深かった。

ミュージアムで販売していた 「写真展展示写真集」、高かったので買わなかったけど・・・買ってくればよかったかな。






 3階常設展では、松本出身の前衛芸術家、草間弥生さんの作品が飾られていて、どんな作風かは大体知っていましたが、

同じチケットで見られるということだったので、せっかくなので拝見しました。



壁いっぱいの細かなデザインやカラフルな平面と、やはりカラフルで摩訶不思議な立体の、個性的な作品が並び、

いくつかの個室に分かれている迷路のようで、面白い造りの不思議な空間ではありましたが、
たった一人で入った (偶然他の観客がいなかったため) 鏡の部屋とかは、ちょっと怖くて、目が回りそう。   


これです。最後の方にこんな感じの鏡のお部屋が3つありました。

シャンデリアのお部屋はきれいだったけど、どこから出ていいかわからなくなり・・・


一番最後に、係員の案内で30秒限定の一組ずつ入るという本当の完全個室は、皆さん並んで待っている時に、 「注意事項」 の紙が回ってきて、最後の一文に “気分が悪くなったらお申し出ください” とあったので、え゛っと思っていると、

いよいよあと一組、という時にドアを開閉する際にチラッと内部が見えたのが、やっぱり「総鏡張り」 みたいなお部屋にデザインされた模様が浮き出でいて、ホントに気分が悪くなりそうな気がして、入る自信がなかったので、あわてて辞退させていただきました。   


ちょっと私には理解の難しい作品が多かったかもしれません・・・。ごめんなさい。


外に出て気持ちを落ち着けたときに、もう一度飛び込んできたもの。



3階から、2階企画展示室を見下ろしたところ。

写真展シンボルでもある、元ビートルズのジョン・レノンと妻オノ・ヨーコさんの大きなパネルが目を引きます。


1980年11月17日に発表された、ジョン・レノン&オノ・ヨーコのアルバム 『ダブル・ファンタジー (Double Fantasy)』。
そのときのアルバムジャケットを篠山紀信が撮影したのだが、アルバム発表とともにその写真も大きな話題を呼んだので自分もよく覚えている。

『ダブル・ファンタジー 』 は、
息子ショーン・レノンの育児に専念していたジョンが、5年間の主夫生活を終え、音楽業界に復帰する記念すべき作品となるはずであった。
ジョンにとって5年ぶりのスタジオ録音アルバムで、妻ヨーコとの共作。それぞれが収録曲の半分ずつを作曲し、対話しているかのようにほぼ交互に収録されている。

だが、発売から間もない12月8日にジョンが射殺されてしまうという事件が起こり、世界中に衝撃を与えた。そしてこのアルバムが事実上ジョンの遺作となってしまう。
( この訃報もあって全英・全米で1位を獲得し、1981年度グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞しているのだが・・・。 )


ビートルマニアほどではなかったが、普通程度にビートルズは好きだったし、それでなくてもなぜこんなことが? と衝撃的な事件だったから、今でもよく覚えている。

当時私は大学2年生で、学校帰りに、当時はまだ走りのころだったコンビニに買い物に寄ったら、店内にずっと流れていた 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」 が切なすぎて胸に沁みた。


だが、そんな喧騒を忘れさせるかのように、

35年という月日は物語を幻想のように昇華させて、まるで 「神話」 となるがごとく、穏やかにたたずんでいる。








2階より、一階入場券売り場付近を見下ろす。


松本市美術館、まつもと市民芸術館からすぐのところですが、今回初めて行きました。
( 別のブースには、「市民ギャラリー」などもありました。 )

また、いい展示が来れば行ってみたいです。



このあと遅いお昼を食べて、夕方からは、まつもと市民芸術館へと出かけます。














Takamiyソロ 『復活バケーション!』  ~ いょいょ本編 ~ その2 とにかく楽しいポンポン!&EDM!!

2015年10月09日 | THE ALFEE、Takamiy
10/11に、修正&特に 「おまけ部分」 を大幅に書き加えましたので、もう一度お読みいただけますと幸いに存じます。  






2年ぶりとなる Takamiy ソロコンサート 
『復活バケーション!』 in パシフィコ横浜
 8/22、23


開場後のエントランスでの足止めや、まさかの機材トラブルを乗り越え、

こぉ~んなカンジで、まさかの  
ギターレスで 他人の持ち歌を 歌い踊りながら登場 

するという、観客の度肝を抜きつつ、 

熱狂的な新境地 でスタートさせた Takamiy   


でも、これこそがきっと自分の見たかったものなのだと思いつつ、 狂喜乱舞  したワタシ。 
           

もう、最初から ノリまくり、踊りまくり ました           

 と言っても、横揺れは迷惑だと思うのと、人前ではちょっと恥ずかしいので、曲に合わせて拳を上げながら縦にリズムを刻んでいるだけですが・・・  



曲は、 
メタルアレンジ 「ブルー・シャトウ」 (1967.3.15 ジャッキー吉川とブルーコメッツ 作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫(後に井上大輔))

「 千年ロマンス」 (2007年版のものを多分もっと激しくメタルアレンジしたと思われる) で、Takamiy の世界観を出しつつ、 

「誰よりもLady Jane」 (1989.5.31 BE∀T BOYS の曲 作詞:A.Meursault(麻生圭子) 作曲:T.Takamizawa)  へと続きます。

タカミーの振りが、ちょっとクスッてなりつつも、カッコいい   



君の背中に~ で、背中に手をやるしぐさ  クスッ

誰よりもレディージェーン で、お決まりの手を額にやるポーズは、客席のみんなも同じ振りをするようなのだけど、恥ずかしくて初めて見た暮れの武道館ではできなかったけど、今回はガンバッテやりましたよ  


そして、

 「エメラルドの伝説」(1968.6.15 ザ・テンプターズ 作詞:なかにし礼 作曲:村井邦彦)
 「恋はもうたくさん」(1967.11 ザ・ダイナマイツ 作詞:橋本淳 作曲:鈴木邦彦)
 「君に会いたい」(1967.6.1 ザ・ジャガーズ 作詞・作曲:清川正一)
 
と、GSソングが続きます。


「君に会いたい」 は、2007年に シングル 『千年ロマンス』 のカップリング曲として収録されており、
既に高見沢版メタルアレンジバージョンをCDやDVDでも聞いていて、そのカッコ良さに大好きな曲でしたが、  

「ブルー・シャトウ」、「エメラルドの伝説」、「恋はもうたくさん」 は、メタルバージョンを聞いたのは今回初めて 

特に、始めの二つはとても流行ったので、GS全盛期に私も聞いており、子どもながらにもなんとなく覚えているだけに

あの曲がこれに      

きゃー、かっちょいぃい~~~       


タカミーが、ソロコンでもいくつかGSをやってみたいと思っている、
とラジオで言っていたので、とても楽しみにしていたのだけど、

まさか、こんなに素敵になっているなんてぇ~  
 
☆*..。.o(≧▽≦)o.。..*☆

             


40年以上前の曲なのに、少しも古さを感じさせないどころか、最先端のノリに仕上がっていることに驚き、 
さすがタカミー、GS好きだけのことはあるなぁと関心もして。 

あの頃はやっていた 「GoGoダンス」(略してゴーゴー) は、子供だったのでテレビでしか見ていないけど、
まるで、ゴーゴーを踊りたくなるような曲でノリまくり  


そして、タカミーのMCをはさんで、
タカミーがこの曲と、それを作詞作曲した大先輩、 かまやつひろし さんのことをとてもリスペクトしているとわかる曲。 

 「フリフリ」 (1965.5.10 田辺昭知とザ・スパイダース 作詞・作曲:かまやつひろし)

フリフリ、とゆーくらいなので、そこはもう、フリフリしなくちゃね 

てんで、腰をフリフリ。   

腰は、周りに迷惑にならないように、とゆーだけでなく、恥ずかしいので、家で一人でならしちゃうけど、

人前ではゼッタイふりふりできないのですが・・・  

やっちゃいましたよ     


そして、やってみると楽しい。   

もちろん    THE ALFEE 担当ラジオ 『終わらない夢』 で、元歌を聴いていたけど、

Takamiy のメタルアレンジで、いっそうゴキゲンに仕上がっています   


そして、ここまで、ダンシング・ナンバー (Takamiy 流EDM) で、冒頭から一気に駆け抜け、


タカミーが、
「さあ、それでは  みなさん、準備してくださいね。」

というので、  ヤッター、ついにアレだ    と、みんな暗闇の中、バッグをごそごそ。

「あ、もちろん、やりたくない人はいいんですよ。強制ではないですからね。」
と、気遣うところなど、

ヘドバンをさかんに強要? (もちろん、ライブを盛り上げるためと、みんなで殻を脱ぎ捨てよう、という親切心からなのだが) してたころと比べたら

その思いやりに、 じぃ~ん・・・   

タカミー、大人になったなぁ~。   

( きゃー、日本を代表するロックミュージシャンでギタリストで作曲家の、61歳のちょー大人な方にゴメンなさい・・・ )


そして、みんなで ポンポン! を振りながら踊った

 「誘惑の太陽」、
 「恋の花占い」 の 楽しかったことと言ったら          

あきらめていたのに、前の人のを見ながら振ってみたら、結構覚えていて、なんとなくできたのと、

うろ覚えの箇所も、 みんなで振ればコワくない・笑 

恥ずかしいと思っていた “腰を回して回して~” もできちゃったし

一斉に振っている 一体感楽しさはハンパない です  


  キラキラ~      ワァ~~~      





そして、ポンポン!  始まる前にタカミーが、 「3曲続けて行ってみたいと思います」 と言ったのだけど、

え゛え゛え゛~     3曲ぅ~    

( 今回、シングルで新しく発表になったのは2曲しかなかったはずだから、聞いてないよ~  みたいな )


と、思っていたら、

 もう一つは 「FIRE」、

タカミーが初めて出したソロアルバム 『主義-Ism』(イズム-1991/6/12) の中の一曲で、
最初は3作出す予定で、一作目のテーマ “ロマンチシズム” で作っただけに、全体的にバラード調であったアルバムの中で、数少ないノリがいい曲 (他に Lonely Heart、Cherie の、11曲中3曲しかない) で、 
のちにネコタが、その年のツアーがDVDになっているもので見たら、ラストを飾ってものすごく盛り上がった曲でもあった
( ライブ映像を見たのは、特別限定盤・復刻DVDの出た 2012.9.10 頃であるが、ネコタは91年当時、タカミーがこの曲でTV出演して盛り上がった場面をリアルタイムで見てよく覚えている-後述-のだが )

ので、

最初のソロアルバムの中から、という意味でタカミーがこの曲を選んだのにも納得ができる。


もちろん、この曲も盛り上がって、      

なかなか家で一人で、でもなければ、ゴーゴーのように腕までフリフリできないものだけど(恥ずかしいから)  

ポンポン振るのだったら、自然にリズムに合わせて両腕をフリフリできるので、ノリやすくなるのです。   


いやぁ、ポンポン! はいいなぁ~。


 
 



私なんて、コンサートの間中 ずっとポンポン振っていたかったくらいだけど・・・

楽しいポンポン!ダンシング・ライブ  となった

第一部はここで終了しました。



と、
ゆーワケで、15分の休憩です・・・。     つづく・・・






 《 おまけ 》 ・・・の方が長かったりして・汗   


  タカミーの原点 『GS-グループサウンズ-』

 高見沢の高校時代 (1970年から72年) に相次ぐ外国のロックミュージシャン (バンド) の来日コンサートがあり、
レッド・ツェッペリン、グランド・ファンク、イエスなどの  “70年代ロックの洗礼” を受け (当時自分でもロックバンドを組んでいたので、そのいくつかはコンサートを生で見たという)、
世界観が変わった、自分の音楽の基礎を作った、などとこれまでさかんに言っていたが、


それよりも前の小学校6年生~中学2年生くらい  (本人談。1966年~68年くらい) にかけて、 
日本中を熱狂の渦に巻き込んだ 「GSの一大ブーム」 (音楽史的には1967年(昭和42年)初夏より1969年(昭和44年)春にかけてとされている) がおこり、
自分もその世界観にはまって、夢中でレコードを買い集めていた、という。

いわゆる大人気で流行っていたグループよりも、どちらかというと 「B級」 と言われるグループの方にむしろ惹かれていて、
お小遣いの中から何を買うか、というのは一種 “賭け” のようなもので、レコード店でジャケットや曲名などを見て、これは、と思うものを慎重に選び、当てた 時の喜びは言いようのないものであったらしい。(もちろんハズレもあったが、それはそれで聞いているうちに面白くなったようだ)

今までも、当時の誰も知らないようなグループの、誰も知らない曲のレコードを持っている、というのが、高見沢の秘かな自慢だったようだが、今回の自分的 “GSブームの再燃” により、高見沢の手によってそれらが世に出るやもしれぬ・笑。


( 音楽のルーツは、幼稚園のころから小学校にかけて4年くらいピアノを習っていて、そのおかげで兄所有で弟には 「接触禁止命令」 の出ていたギターをこっそり、見よう見まねで弾けたと本人は言っている。
また、小学生のころ、8つ上の兄に連れられて 『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964年、ビートルズ初の主演映画) を見に行き、色んな意味で衝撃を受けた、嬉しくて一日中映画の曲を口ずさんでいた、らしい。
また、1966年にはついにビートルズが初来日する。
日本でGSが流行ったのもビートルズの影響もあると思うが、高見沢が 「GS=バンド形態」 にハマって行った背景には、間違いなくビートルズという入り口があったと思われる。 )




 高見沢が初めて手にしたGSのレコードは、 『フリフリ』(1965.5.10 田辺昭知とザ・スパイダース、のちに ザ・スパイダース)

で、 “グループサウンズとして初めて世に出た” とされているレコードだが、たぶん、当時新しい曲として流行っていたのだろう、自分の誕生日に、友達が何人かでお金を出し合ってプレゼントしてくれたという。

( レコードの発売は65年5月10日なので、4月17日生まれの高見沢の誕生日後ということになるので、
おそらく、翌年 (66年、小6、12歳) の誕生日にプレゼントされたのではないかと予測される。
高見沢が、自分がGSにハマったのが、小学校6年生~中学2年生くらい  (1966年~68年) にかけてだと言っているので、話のつじつまがピタリと合う。 ) 


そして、この曲の、時代を先取りする曲の魅力、 「俺の自慢のロング・ヘヤー」「俺とエレキは恋人同士」 などという歌詞にも惹かれ、いまでもこの曲を 作詞作曲をした かまやつひろし のことをリスペクトしている高見沢だが、

その、肝心要のかまやつが、ジャケット撮りのときに遅刻したという理由で、事実上のスパイダース、デビューシングルなのにもかかわらず、かまやつが写っていないというのも、時代を表しているのか、本人も周りもよく平気だったなぁと、あまりにも面白い話だが (そんな逸話もふまえてネコタは最近このレコードをゲットしました 

また、B面の 『モンキーダンス』 (のちに「ミスター・モンキー」に改題) と、 『フリフリ』 は、
60年代当時若者の間で大流行した、両手を交互に振るしぐさが猿に似ているということから付いた “モンキーダンス” (ゴーゴーと同じようなものか) で踊りながら歌ってほしいという意味で、
ジャケットには “モンキーで踊ろう” という副題と、
メンバーの 堺 正章 と 井上 順 が、モンキーの真似をしており、曲の合間にもメンバーの手拍子や、かまやつや堺と思われる声で掛け声(奇声?) を発していたりして、若者心をくすぐりつつも、大人たちの反感をかったであろうことは想像に難くない・笑。


 『ブルー・シャトウ』 は、ジャッキー吉川とブルーコメッツが1967年に ヒットさせた曲で、グループの代表曲でもあり、第9回日本レコード大賞を受賞した。

ネコタは、小学校に入学した年に流行った、この曲の替え歌の方がむしろよく知っているくらいだったので、誰が歌いだしたものか不思議に思って今回調べてみたところ、

この曲がヒットした直後から、歌詞の各単語の語尾のところに「森トンカツ」「泉ニンニク」「かーコンニャク」「まれテンプラ(テンドン)」などといった(主として)食べ物の名前を付けた替え歌が大流行し、一種の社会現象となった。
『日清ちびっこのどじまん』で四方晴美(よも はるみ、TV「チャコちゃんシリーズ」主演でお茶の間の人気者だった子役。私も見てました。) が歌ったのが流行のきっかけとされる。
と、ウィキペディアに出ていました。

高見沢はこの曲をメタルアレンジして、今回のソロコンサート冒頭で用いているが、 
「森と泉に囲まれた場所に静かに眠っている青いお城」 のイメージが、 アルフィーのヒット曲 『メリー・アン』 にもつながっている (メリー・アンは、映画 『わが青春のマリアンヌ』 のイメージで書かれたことは有名だが、 『ブルー・シャトウ』 にも触発されたと聞いたことがある) 

つまり、アルフィーの原点でもあるということからだと思ったものだが、
今回のソロコンサート・パンフレット 『T-FASHION Vol5』 中の、ソロを復活させた理由などを語った 「ソロ活動復活! ロングインタビュー」 の中で、ブルーシャトーを歌いながら、中学時代、部活のバスケットに励んだ、と書いている。

が、私の中でそれよりも印象に強く残っているのはソロパンフを読むのよりももっと前の、確か去年くらいのラジオ (たぶん担当の 『終わらない夢』 だったと思うが、もしかしたら 『吉田拓郎のオールナイトニッポン・ゴールド』 かも) の中で、

『星のプリンス』 (ザ・タイガース、年不明) が好きで、 「ほし~のプリーンス、ほしーのプリーンス♪」 と歌いながらフリースローの練習をしていた
 
( ラジオ中で実際高見沢が歌った。高見沢は、ラジオの中でも、惜しげもなくたびたび曲を口ずさむことがある。よほど歌うのが好きなのだろう・笑。
86年ベイエリアでの10万人コンサート前にも、ホテルを出る際に 『長い髪の少女』(1968.4.1、ザ・ゴールデン・ カップス) を口ずさんでいるのがDVDに残されている。 )

と、聞いたことだ。

星のプリンス・・・    

まさしく、タカミーのことぢゃぁなぃかぃ・笑   

つまり、高見沢が無意識に好んで歌っていた曲こそ、まさに彼の未来を象徴するような楽曲であったのだ。


GSのもつ世界観、星、月、湖、お城、バラ、エメラルド、涙・・・などというような
少女漫画に出てくるような 「ファンタジーの世界」 は、当時の高見沢少年にドストライクだったようだが、現在でも歌詞に好んで用いるフレーズであるし、

そして、当時GSメンバーが着ていたお揃いの制服のような服装は、ミリタリー調あり、王子様ルックもありで、
GSのもつビジュアル系のルックスとファッションなども、高見沢の今日のスタイルの元になっていると思われる。



ついでながら、 「田辺昭知とザ・スパイダース」 の田辺昭知(-しょうち) は、のちに芸能プロダクション 「田辺エージェンシー」(THE ALFEE のデビュー当時の所属事務所。現在はグループ会社の個人事務所で当時マネージャーだった関口登が社長を務める「プロジェクトスリー」に所属) 社長となるその人である。

つまり、無意識に 『星のプリンス』 を好んで歌い、初めて手にした大好きだったEPレコードメンバーの会社所属のアーティストになろうとは、また、作詞作曲のかまやつひろしのバックバンドとして全国を回るなどということも、当時知る由もない高見沢俊彦少年であった。

まさに運命を感じるのである。    きらん…






 こちらの写真は、高見沢と坂崎幸之助が3週ずつ交代でコメンテイターを務めている 

BSジャパン 『あの年 この歌 -時代が刻んだ名曲たち-』(金曜夜11時~11時30分)

で、今年5月9日に2時間の “青春ソングスペシャル” という特番があったのだが、

そこで、おもむろに、高見沢が 「革のケース」 から大切そうに取り出したのは・・・







子供のころに集めたGSのシングルレコードの数々。

中でも 



高見沢が、青春ソングだと思っていたデビュー曲 『太陽の剣』 から 2作目の 『メランコリー東京』(ムード歌謡) へと、華麗なる転身? を図った、 ブルー・インパルス に衝撃を受けた (笑) といい、







この曲は、僕が歌い継いでいきたい、と言いながら、高見沢俊彦アレンジバージョンをスタジオにて初披露した。







 こちらは、 『高見沢俊彦のロックばん』 の中で、単独でGS特集をした時に持ってきた、高見沢自慢のお宝の数々を、番組HPに披露した時の写真。

その後、タブレット純を招いてGS談議に花を咲かせた回が2度あったが、ブームが自分の生まれる前で、全く未体験なのにやたらGSに詳しいタブレットに、 「俺より詳しい~・笑」 と、さすがの高見沢も舌を巻くほどであった。




 おまけ中の 「おまけ」 ・・・  Dancing Takamiy 七変化         


 

 こちらは、2013年FNS歌謡祭・夏の祭典にて、AKB48と 『ハート・エレキ』 をコラボするタカミー。

センター 小嶋 陽菜(はるな) と並んでスタート。





ギター片手に、曲に合わせて足を ギュィン、ギュイン   と折り込む姿が 
カッコ良すぎてシビレまくりぃ~       

そしてそれよりも、もっとたまげたのは    





AKBに負けず劣らず “踊るTakamiy の姿であった 

もちろん、振りや、タカミーが踊ることを発案したのは本人ではないが、

還暦王子高見沢俊彦躍らせてみよう 
きっとイケる(ウケる?)はずだ  

と 誰かが 判断したことは、間違いがない。


そして、その判断がマチガイでなかったことを我々ファンは、知るのである。
 
                     



そして、恐るべし     最後には、タカミーが見事センターを陣取って終わるのだ。  



ウィ~ン・・・ 

タカミーの左隣、ソックリさんは、
タカミーの衣装を着てエンジェルギターを持つ たかみな沢さん。(『新・堂本兄弟』レギュラーでタカミーとも仲良し、高橋みなみ さん)


 こちらは、2014年FNS歌謡祭・冬の祭典 にて。



『ようかい体操第一』 をAKB、気志團、ゴールデン・ボンバーらとコラボするタカミー。(手前、右端)

さすがに一緒に体操はせず、ギタリストに徹してはいますが・・・ 私としては、ぜひ一緒に体操してほしかったなぁ。



同じメンバーと、メドレーで 『ゲラゲラポー』 を。
  
AKBの衣装に合わせたのだと思うが、
このときタカミーが着ていた、ピンクで肩にピンクのファーがついている衣装が、ちょーカワイイ       

似合うんだな、これが。 (ギターもピンクだし)    

でもさ、良く考えたら60過ぎてピンクの似合うオッサンてどうなのよ・笑。     
( 私は55だけどピンクが大好きだから、タカミーがピンクのものを身に着けてるだけでテンションUP ですが   )




こちらは、N・Yヤンキースの田中奨大選手を客席に招いて、
モモクロの大ファンだという田中選手の登場曲となっている、 モモクロの 『 My Dear Fellow 』 をももいろクローバーZと一緒に披露しているところ。



曲中に、タカミーのギターの先っぽについていた金色の野球ボールを、取ったメンバーの一人が投げたボールを、



別の一人が客席の田中投手に向かって打ち返し、



それを田中が見事キャッチする、というような愉快でイキな、微笑ましいシーンも見られた。

モモクロちゃんにはタカミーが曲を提供しているというご縁 ( 『鋼の意志』 作詞・作曲:高見沢俊彦-2013.12.23 シングル 「ももいろクリスマス2013」 より) もあって、仲良し。

それにしても、
こういう、Younger(ヤンガー)でカラフル、華やかな場面に、還暦王子のくせして全く違和感なく溶け込み、似合うのがタカミーならでは。    

( まあね、60過ぎて “王子” と呼ばれること事態驚異ではあるが・笑。  



 ラストは・・・

今年8月1日のTV 『 MUSIC FAIR 』 にて、 アルフィーの売れない頃にバックバンドを務めたり、何かと面倒を見てもらったりして長く親交があり、メンバーが姉とも慕う研ナオコさん、
これまで歌番組などでの共演も多く、 『バズリズム』(7/31 放送) では、メンバーのお悩み相談にTakamiy が答える、という企画でいっそう親しくなった感のある 「乃木坂46」 と共演した  THE ALFEE。
 
乃木坂46の持ち歌 『おいでシャンプー』 の振りを、高見沢さんにセンターで、ぜひ “髪をなびかせて” 一緒に歌ってほしい、とメンバーの 白石 麻衣ちゃん (カワイイなぁ~。乃木坂でダントツ可愛いと思うわん) からのご所望で、

最初は嫌がっていたタカミーだったが、桜井の期待も大きく、研ナオコにも

「大丈夫、できる、できる」 (タカミーが不器用なのを知っているので、簡単な振りだから大丈夫、あんたにもできるよ、との意味)
と、勧められ

ついに・・・



じゃぁ~ん 



タカミー、きゃー、カワイイ    似合ってるぅ~     



途中、アルフィーのメンバーに 「笑うな 」 と声をかけるシーンも。  メンバーや研さん、大うけ。    

ちなみに、左からアルフィーの母校、明治学院大学の後輩にあたる 桜井玲香さん、タカミーセンター提案者の 白石麻衣ちゃん、タカミー、 この時披露した曲 『太陽ノック』 センターの 生駒里奈ちゃん、 ピアノの腕前がプロ並みと評判の 生田絵梨花さん、です。

みなさん可愛いですね。 (乃木坂の子はみんなお嬢っぽくてかわいい子が多いと思うワタシ。秋葉原と乃木坂の違いか・笑)



乃木坂メンバーも楽しそう。  終わると拍手喝さいの大歓声。



途中何度も 「えーっ」(それはダメでしょ) と、裏声で悲鳴を上げていたタカミー、終わったら恥ずかしさのあまりしゃがみこむ・笑。



番組進行役の恵俊彰や研ナオコ、アルフィーの他のメンバーからも、 「よく似合ってましたよ」 「全く違和感ない」 「オレ、メンバーの一人かと思ったもん」 などとからかわれ、

「似合ってないでしょ 」 と目をまん丸くするところもカワイイ。   



AKBや乃木坂のセンターをこの年で務められるのはタカミーだけ。   


とっても楽しい企画に、カンパイです           (これからももっとヨロシク 






※ ステージ写真はネット等掲載分を、TV出演分はTV画面を自分で写真に撮らせていただきました。  

※ 本文中特に明記のないすべての作詞作曲、アレンジは高見沢俊彦 
























かぼちゃプリンとココナッツ生チョコ

2015年10月07日 | 食べ物、料理



 S条からもらった 「坊ちゃんかぼちゃ」、 飾っておいたら、フト気が付いたらお尻の方がカビていたので、
大急ぎで

前からこれは、大きさがちょうどいいので丸ごと器にして 「かぼちゃプリン」 にしようと思っていたので、

昨日の夜中に作ってみました。


かぼちゃの中をくりぬき、外側はラップしてレンジで5分チン。

中身は、種の部分やちょっと腐りかけていたところは捨てたので、あまりなかったけど、
黄色い実の部分はスプーンでくりぬいたので、特に刻まず、牛乳を加えてミキサーにかけたものを

火にかけて、ココナツオイルと粉末寒天を入れて沸騰させ

かぼちゃの器に入れました。


粗熱を取ってから、一晩冷蔵庫で寝かせて



切り分けたのがこちら。

崩れずにちゃんとカットできて嬉しかったです。  


お味は、かぼちゃの甘みとココナツオイルの甘みだけなので、ちょっと砂糖も入れた方がよかったかも。  

器にしたかぼちゃには全く味がついていないので、まさに ヘルシーなお味  でした。

所々、かぼちゃのほぐれきっていない実もいい食感に。(写真のつぶつぶ、見えるかな?)


分量はすべて適当。   

初挑戦なのにあてずっぽうに、しかも夜中にほろ酔いで作った割には上出来かも。    



 ついでに、材量だけ買いながらそのままにしてあった、ココナッツオイルで作る生チョコにも初挑戦 


明治 「チョコレート効果」 カカオ率72%と86%のアソート袋 130g  スーパーで300円位


日清オイリオ 「エキストラバージンココナッツオイル」(コールドプレス) 130g  スーパーで880円位


たまたま、どちらも130g入りだったので、このまま全部使えばいいので (チョコとオイルは同分量と、ネット検索したレシピに出ていたので) 

チョコは個包装の袋から一個ずつ出すのがちょぃメンドーだったけど、 
あとは、レンジOKのタッパーに、 刻まずに そのまま入れてレンジで溶け具合を見ながら2~3分ほどチン、 

ココナツオイルを一瓶入れてさらに1分ほどチン。

かき混ぜているうちに全部溶けたので、粗熱を冷ましてから一晩冷蔵庫へ。

( チョコは溶けやすいように刻んで湯銭で溶かすのが基本ですが、刻まなくても全部溶けたし、レンジでも香りが飛ぶことも気泡が出ることもなかったです。)


でも、初挑戦だからちゃんと固まってくれるか、ちょっと心配でしたが・・・  

  

じゃぁーーーん   できましたぁ~     

型からも取り出しにくいことはなくてスッポリと綺麗に取れたし

メンドーで包丁でざっくり切ったので切り口が割れてしまったけど (切れ端ももちろん食べられます) 
ちゃんとナイフを熱して切れば、もっと薄くカットできると思います。

ただし、ココナッツオイルが大量に入っているため、ちょっとべたつきますが。 

ちょー美味 

とろけるうまさだっ、ぴょぉーーーん       


カカオ率が高い (もっと高いのもあるが、苦みが少ないのと値段的にもこのくらいの比率がベストだと思っている) ので、チョコだけ食べてもダイエットや美容効果によいのですが、

ココナツオイルが加わって、更にダイエットや美背肌効果などが増して抜群  だし、

おいしいので満足感が得られます。     
 

材料費1200円位で、このタッパーで16個できたので、
作ったタッパーでこのまま冷蔵庫保存して、大粒だから一日一粒食べるとすると、それほどお高くないと思います。

何より、ちょーカンタンにできて美容効果大なのですから 
(こんなにカカオ率が高いチョコを使った、しかもココナッツオイル入りの生チョコなんて、買えばもっと高いか、たぶん売ってないと思うので、そういうものを食べられるのが手作りの良さ、ですよね)、
これはオススメですよー  
  

よかったら、ぜひ作ってみてくださいね。   

親にも、まあまあ、好評でした。  


美容 (ダイエット) と健康のために、
お菓子やパンなど、もっと完全手作りできるといいのですが、なかなか時間がね。    



ちょっと諸事情で、「ソロコン本編その②」 の間が空いてしまったので、忙中緩和、箸休め的に載せました。   

( の、ワリには、にゃがいなぁ~   カ、カンタンにするつもりだったのにぃ・・・   い、急がねば  )






( チョコとオイルの写真は、サイトよりお借りしました。  )