皆さま、ご報告が大変遅くなりましたが、
W大児文研同期 「くれよん」 の会が2月1日~2日にかけて、横浜みなとみらいの温泉施設・ホテル 「万葉館」 にて、無事終わりました。
土曜日だったので、ものすごく混んでいて、入館に時間がかかり、宴会前の入浴はあまりゆっくりできませんでした。
「飲む前に入る」 が鉄則で、「入ったら着替える」 ので、こんな恰好でちとお恥ずかしいですが・・・( と、ゆーより、一人バカみたくはしゃぎまくっているよーに見え、ヒジョーにハズカシイです・汗 )
ホテルでは、入浴後に浴衣か作務衣(さむえ)を貸してくれます。
動きやすいから、もちろん作務衣。
入浴は宴会後にゆっくりと (あまり飲まないし) というW(左端)と、翌朝仕事だから宴会のみで帰るというDは、カチッとキメていて、まるで父兄参観日のよう。
仕事帰りで世田谷マダムのWはともかく、食品製造業の作業服からスーツに着替えて登場、のDは、そういえば昨年もスーツでした。なんでか聞くと、
「これね、普段着なの。これが一番ラクなの。」 と、タカミーのようなことを言っている、昔からちょっと感覚がズレてる (自分で自覚はないが、皆に言わせると私も、らしいが) けど、これでも一応社長のDです。
その右隣はIと作曲をしているF。
前回、地下鉄には乗れないので単純な場所でやってくれ、と言っていたIは、みなとみらいまでどうやって行ったらいいのか? 駅に着いたらわかんないから電話するから誰かに迎えに来てもらいたい、とか言ってたくせに、私がちょっと遅れてホテルに着いたら、
なんだ、私より先に、一人で着いてやんの。
「な、な、な、なによ I~ よく一人で来れたねー。 しかも私より先に」 というと
「一応ね、地元だから何とか来れた。」 だってさ。 だから、そう言ったのに。 (Iの実家は横浜。しかも、万葉館、駅からちょー解りやすく、しかも近かった・笑)
そのうえIは、私が何を言っても、たとえば言葉のちょっとした言い間違いとかって誰にでもあるのに、それだけで大うけ、大笑いするので、それを聞いた私がまた、Iの笑いがおかしくて大笑いして、受付の時から笑いっぱなし。
部屋に入る前の廊下でも二人で大笑いしていたら、Wに 「ちょっと静かにしてちょうだい。」 とたしなめられちゃいました。
右端はApです。Iも入浴はしたが作務衣は着ずに、持ってきた部屋着に着替えてます。
ホテルは、タカミー・ソロコンで何度か訪れているパシフィコ横浜や、コスモワールドのすぐ近くです。 (関係ないけど、コスモワールドって、もう営業していなかったのね。夜にはきれいにライトアップされていたから、全然知らなかったよ~。)
屋上には、コスモワールドの大観覧車が望める 「足湯」 があります。
宴会が終わり、2次会の前にみんなで入りました。
Fがビル管理の仕事で、万葉館のメンテナンスに通っていたことから、ここがオススメだと提案してくれ(町田館とみなとみらい館とに行っていた)、足湯があるということも教えてくれました。
反対側には、コンチネンタルホテルが望めます。
足湯入浴者には 「綿入り半纏」 を貸してくれるのですが、ちょっと寒かったです。
でも、素敵な夜景に、みんな大満足。
都会の真ん中にこのような温泉施設があるとはビックリです。
流行るわけですよね。
宴会前に入った露天風呂からは、港の夜景と、海に浮かぶ船の灯りがきれいでした。
明日朝ぶろして、海を眺めよっと♪
前回、どうせ私はどこでやっても泊まりだし、2次会の場所の心配とかなくてゆっくり飲み、語り明かせるから泊りはどうか、と提案したところ誰も反対しなかったので決まったのですが、
のんびりできてよかったです。(二次会は結局、持込みできる飲料やつまみを館内カウンターで注文し、部屋でのんびりとやりました。こういう時、和室は便利なのです。)
ただし、3人部屋にはトイレがないのが難点。
それさえあれば、毎回ここでもいいね、などと皆で言いあう。
翌朝、Wが仕事で朝6時ころに帰ったので、それに合わせて私たちも起きて、Iと朝ぶろ。
今度は露天風呂から海が見えて、サイコー でした。
その後私は部屋で一人で、朝ビール。 これぞ、温泉の醍醐味。
ぷはぁ~
それからApと合流し、
年末から作曲の依頼がいくつかあって正月も返上、その後も依頼が続いて今回くれよんの会に参加するため頑張って仕上げてきたという、嬉しい悲鳴なんだけどちょーハードスケジュールだったとかでお疲れのFは、ちょぃ二日酔いで寝てるらしく、3人でバイキング。
いつもの5倍くらい食べてしまった。 (普段はハム乗せトースト半切れとコーヒーだけなので)
その後、用事のあるIは帰宅し、その後復活してちゃんと朝飯も朝ぶろもしたというFとApと3人でチェックアウト。
どうしても仕事が休めず宴会や泊りには来られなかったけど、藤沢で夜勤が明ければ2日目だけは来られるというHと、今回初めて合流できました。
クイーンズ・スクエアの 「ハードロック・カフェ」(ここにもあったのね) のギターの前で。
Fは自分で 「激太り」 したと言ってましたが・・・(児文研時代はアイドル並みに?可愛かったものだが )
まぁ、私も人のことは言えません。
そういえば昨年、二人で 「ダイエットして、来年はお互いスリムになって会おうね」 と誓ったのですが・・・。 ぜんぜん、そのままじゃん・笑。
H(写真中央、奥)は、せっかく久しぶりに会ったのに、近々ベトナムに旅行するので、今風邪を引きたくないと言って、マスクのまま、まさか写ってるとはねェ~。
せっかくだからと中華街へ行き、4人で 「食べ放題飲茶」 ランチを。 (ついでに肉まんなどをお土産に買って帰れた。 )
しかし、Hは夜勤明け、つまり仕事終わりだったので、ランチのとき紹興酒をしこたま飲み、ちょっと (かなり ) 酔っていたとはいえ、だいぶ変だった。 (失礼)
いつだったか、同じくらい何年振りかで会った後輩たちとの 「望年会」 に行ったら、Hは知らぬ間にみんなとはぐれたと嘆いていたが、たぶん厄介だから、みんなにおいて行かれたんだと思う・笑。
昨年は会えなかったので会えてもちろん嬉しかったけど、来年もこうだったらちょっと考えちゃうよ~。
( きゃーゴメンよー。楽しかったんだよ。ただ、発言には、ちぃとばかし気をつけてね、人のこと言えないけど・笑 )
今年はAbが体調を崩し入院中で来られませんでしたが (その後、順調に回復している模様)
これで2年間でくれよん同期の仲間、外国に行っているO以外の、全員に行きあうことができました。
学生結婚したHには既に、2番目に結婚が早かったWはもうじき、なんとお孫さんができ、
お勤め人は定年まであと7年、と秒読みが始まり、子どもの受験の心配や、家のローンがまだ残っているとか、親の介護が大変、などと皆それぞれに色々あるようで、
今のところ、そのいづれにも全く該当していない私は、そういう意味では実に恵まれているのだと今さらながらに思った。
お気楽な能天気で、すんませんです。
( ただし、自営は一生働かなくてはならないので、どちらが幸せかはわからないが。しかも、ものすごく田舎の、落ち目の酒屋で。
もちろん、親が今のところ介護の必要もなく一応は元気でいてくれることは、いつもとても感謝しています。 )
それにしても、定年や、介護や、自身の健康のことを話すような年になったのである。
だが、閉鎖的な田舎で、人間関係だけがすべての個人商店を営んでいるので、普段、あまりにも自分を押さえて生きているために (このブログでさえ、実は言いたいことをすべてぶつけているわけではないし)、
その反動もあってかつぃ、昔の仲間を前にしたので、またその当時の癖で、言いたいことをはっきりズバズバ言い過ぎ、
また、自分のこと、自分の考えなどを、あまりにもしゃべりすぎてしまったと、今頃になって自己嫌悪に陥っている私。
( くれよんの皆さま、数々の暴言!? お許しをば。
そりゃまぁ、ザルのように飲んだけど、 決して酔っていたからではありません。自分、あれくらいでおかしくはならないので、おそらくそのせいでないとわかるからなおのこと、自己嫌悪になるのです。 はぁ~ )
Awが亡くなり、十年以上ぶりにみんなで会ってみたら、それまでの心配をよそに、まるで会っていなかった時間を忘れるかのように違和感なく、楽しく喋れたのが嬉しくて、
やはり、4年間ほぼ毎日のように会っていて、苦楽を共にし、喧嘩もした分、つながりが深いのだ、と思ったものだったが、
Awのお墓参りも入れれば、これで3年連続でみんなと会ったわけだが、
やっぱり、生きている環境や考え方は、それぞれ違うものだなぁと、今頃になり改めて気づく。
かつて、確かに同じ方向を目指していたはずだった若者達が、
卒業して何年か経ち、はっきりとそれぞれの歩む道の違うことに気づいた頃は寂しかったものだが、
そういうことはとうの昔に悟ったので、さすがにもう、寂しいとは思わないが、
自分、不器用なので・・・。
また、今回は泊りがけならではの楽しさももちろんあったのだが、2日間というのは大変と言えば大変だし、
そして、幹事、ちょぃと疲れたので、 ( 終わって帰ってからも、他の用で色々と忙しいからかもしれないが、疲れが何日も抜けないのだよ・笑 単にトシなだけか? )
来年はどうするかなぁ~。
何人かからは、その後 「楽しかったよ、ご苦労様」 とのメールをもらい、喜んでもらえてよかったと大変嬉しかったけれども。
2011年の夏の終わり、くれよんの大切な仲間の一人Awが亡くなった。ショックだった。
知ったのが遅かったので、秋にAwのお墓参りに連絡のついた何人かで行った後、飲みながら、
「みんなで生きているうちにもっと会おうよ!」 と始まった、くれよんの同期会。
そして私が、その同期会をまとめようと思ったのは、ひとえに、かつてAwと一番仲がよかったのに、Awに何もしてあげられなかった自分のせめてもの償いであり義務なのではないか、との思いからなのだが、
それを機に、連絡のつかなかった人ともすべて連絡がつき、同期会も開けた。
Awが、みんなを再び引き合わせてくれたのだと思っている。
ここまで頑張ったのだから、Awも、もう笑って許してくれるのではないだろうか。
( てか、頼んでないしって、いたずらっぽく笑うAwの声が耳元に聞こえてくるようだ。
ったくジャレだよ~・笑 って。 )
まあね、幹事が動かなければ、だれも何もしないので、私の気分次第、だな。
( ※ 写真はすべての方々に掲載許可を取っております。 )