松商関係者の皆さま、大変長らくお待たせしてしまいまして申し訳ございませんでした。
25年後の選手の皆さんに出逢う旅・・・
昨年2016年10月27日に H3 花岡 忠 君 (38人目) の取材をせていただき、
12月29日 (2016年の3学年忘年会のあった日) に 『松商・取材関連ニュースその6.』 をUPしてから、
ほんとに長い時間がたってしまいましたことを深くお詫びいたします。
まず、年が明けてから、2015年の忘年会には来なかったが2016年には参加した方などを中心に新たに取材を増やしました。
明けた2017年1月14日 H5
上條 雅也 君。
H5のレギュラーメンバーの方で取材辞退された方がいらしたため、忘年会に参加はしていないけれど、どなたか近場でレギュラーだった方を、と紹介していただきました。
上條君は現在伊那市在住で、その日は朝から大雪でしたがうまく会うことができました。
当時のことを懐かしそうに話しながら、野球が自分を救ってくれた、控え選手の人が頑張ってくれたので僕らが試合に打ち込めた、
あの学年、全員で1つのチームだ、と強調していたのが印象的でした。
帰り際のひと言も忘れられません。
上條君、雪の中をわざわざお時間を作っていただきましてどうもありがとうございました。
1月24日 H4
降旗 哲也 君で2016年参加組。
仕事でたまたま本木に会って、たまには忘年会に来いよ~、というから出たのに、あいつ来ないんですよ・笑。
久しぶりに行ったら、小沢と池本が誰だかわかんなかった。(笑)
など、まじめでとてもおとなしそうな、この人が野球をやるのかしら、と思うほどもの静かな中にもユーモアのにじみ出る降旗君。
とてもいいエピソードも聞けて、お会いできて本当によかったです。ありがとうございました。
1月30日は、
中原英孝監督 に、
この本を電子書籍化しようと思った2015年の12月、誰よりも最初に会っていただいてから1年がたち、
ウェルネス野球部も始動し、それらも含めての
2度目の取材 をさせていただきました。
今回は 『とうげの旗・スポット』 での取材にいつも同行していただいていた、とうげの旗編集長でカメラマンの 松永 ひろし さんに写真を撮っていただきました。
松永さんは3人で歓談したのちあちこち要所の写真を撮り、私より先に退室したのですが帰り際、
「監督、最後に一つだけ聞いていいですか?」 と、監督のベンチでの采配について質問し、その受け答えに感激した模様、
戻ってからのメールで
「中原監督のお人柄には感服いたしました。
たいした人ですね。」
と、一言。
あれだけの短い時間でそれを悟った松永さんにも恐れ入りましたが
私はこの日、ずっと聞けなかったあることをお聞きしたり、これまで自分が思っていた以上に監督の凄いところを感じ入ることができ
本当に本当に感服いたしました。
中原監督は、これまでもそうでしたが、それ以上に、
とてもとても スゴイ人 というのを改めて再認識しました。
それをうまく言葉にできるようにと願います。
監督さんとのツーショット。 たぶん、本には載らないと思いますので、こちらに。
2月5日 H4
小沢 智治 君。
彼も2016年の忘年会だけ参加組で、増やした人です。
とても面白くて、ある意味お調子者? の小沢君。
「以前にも一度会ってますよね?」 の問いに 「いや、初めてだと思いますよ~。」 と答えましたが
思い出しました
1992年、松商学園高を尋ねたときに多分会ってます。
証拠写真となったのは、こちら。
金森写真さんのアルバムからですが、後列左右どちらからも3人目、草田アナの真上が小沢君。
何年か後にこのアルバムを見ていた時に、突然
「うわぁ、たぶんこの人、あの時のアイツだぁ~
」 と思ったものですが、何分にも忘れていたんです、大昔のことですから。
そして、今回初めて小沢君に会った時にも思いだせなかったのだけど・・・
小沢君に会った後にまたもや偶然このアルバムを見て、これだっ
と思い出しました。
で、次に会った山口君に 「この人は誰ですかね?」 と聞いたらやっぱり小沢君だというので・・・
やっとつながったというわけです。(意味、わかりますかね?
)
それにしても・・・25年前に逢った時も調子よかったですが、昨年忘年会に出たのは自分だって久しぶりだったくせに、
「自分が今年幹事なんですよ~、猫田さんも忘年会来ればいいのに。招待しますよ
」 ですって。
ねっ? お調子者でしょ
それにしても小沢君、そのことは抜きにしても、楽しいお話を色々とありがとうございました。
種明かしエピソードは、もしもまたお会いできたら、その時にでも。(笑)
25年後の選手たちに出会う旅、最後の取材となりましたのは 42人目、H4の
山口 伸 君。 2016年参加組です。
彼は、H3のチームに入っていなかったのに、下級生で二人だけ10年前の本に名前入りで写真が載った2人のうちの一人 (もう一人は雨宮君) です。
証拠写真。(書籍より)
自分で会社を興し社長となっている彼は、言葉にも説得力があり、本当に生き生きとして自身に満ち溢れていました。
帰り際、ご馳走になったお礼にと仕事用にと持ち合わせていた 「野沢菜漬け」 をお土産にくれて、
待たせてあった迎えの部下の車に飛び乗り、さっそうと去ってゆきました。
控え選手の多くの方々がそうですが、
山口君、あのときの悔しさをバネにして這いあがって行った、典型的な魅力あふれる人でした。
最後に、3月27日、金森写真館の
金森達夫さん に会っていただきました。
1991年、センバツ準優勝に始まる一年間の松商学園野球部の活躍をまとめた写真集 『夢をありがとう - 青春の軌跡 -』。(写真:金森達夫氏)
青春の 「軌跡」 のアルバムなのですが
前出の小沢君の写真もですが、
本が出る少し前、何度か通っていた松本市内のあるお店にいたスタッフさんが、どうもアルプススタンドに写っている女子生徒とよく似ているなあと思い・・・
もしや、と思ってわざわざアルバムを持って行って聞いてみると、まさしくその人であったりと、
私にとって色んな 「奇跡」 をも運んできてくれました。
そして、アルバム裏表紙となったこの写真
センバツ決勝戦に惜しくも敗れ、準優勝となり、ガックリと肩を落として行進するナインの姿に心を打たれ
元になったカラー写真を探してもらって本の表紙に使わせていただいたのがこちらです。
なので、金森さんとは本当にご縁が深いのです。
お会いするのも10年ぶり。
10年前の二度を合わせて、今回でたぶん3回くらいしかお会いしていないのですが、その熱血感に溢れて男気のあるところ、大変魅力的な方で、
今回も第三部の表紙に使わせていただくこと、
また、この写真集を含めて金森さん撮影の下の2学年の 「卒業記念アルバム」 より何枚か使わせていただくことを快く承諾してくださいました。
本当にありがとうございました。
写真館が学校近くに建っていることもあり、何十年と生徒たちを見てきているけれど、
あの時のチームのことは今でも覚えている、礼儀から生活態度から野球に対する姿勢など、全てを含めて最高のチームでしたね、
中原監督がすごいということですよねと、
忘年会の写真をお見せしたらぜひ下さいと、昨年、一昨年と2枚とも持っていかれ、
「うわぁ~○○くん、変わっちゃったなぁー」 などと嬉しそうに眺めていらっしゃいましたが、下の学年の人たちのことも本当によく覚えていました。
松本市内なので、たまにメンバーにも会うことがあるようで、 「またみんなに会いたいなぁ」 とおっしゃっていらしたのも印象的でした。
電子書籍化するとお伝えしてからご挨拶が大変遅れてしまいましたが、金森さん、やっと今回お会いできてよかったです。
2016年の忘年会写真です。(2015年のものが表紙になり、こちらは本文中に使わせていただきます)
忘年会に差し入れた (H3幹事の青木君宅に送り、会場まで持って行ってもらったもの) お酒を、
会場ホテル勤務の雨宮君が気を使ってこんなに立派にして提供くださいました。・・・恐縮です。
これで、当初の予定と若干変わりはしましたが、ほぼ全員の方々の取材が完了しました。
お忙しい中わざわざお時間を作っていただきまして、
また、25年も前のことを一生懸命思い出して、
中にはあまり思い出したくないこともあったかもしれないのに、みなさん色んなことをたくさん語ってくださって
本当にありがとうございました。
あとはこれを
どのように料理し、味をつけ、
素材が最も輝く形 で 読者の皆様に提供する こと。
それこそが私の使命です。
諸事情色々あったにせよ、発行がここまでズレ込んでしまったことを深くお詫びしますとともに
夏の選手権(甲子園)大会開催予定 の
8月6日 前 までには、
必ず発行 いたします。
どうか温かい目でもう少し待ってやってくださること、
そして、選手の皆さんは、スナップ写真提供や校正にご協力をよろしくお願いいたします。
ネコ、がんばる
おまけ・・・
取材ノートは8冊になりました。
『甲子園 素戔嗚神社』 で買った 「トラのおみくじ」 も
なんと
大吉
こりゃ、縁起がいいなぁ~~~
おみくじは店の引きだしにそっとしまい、トラさんはPC前に飾りました。
お札は、自宅書斎に飾るつもりです。