猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

聖地、甲子園へ・・・松商・取材関連ニュースその7(前編)

2017年03月25日 | 松商、中原監督 関連
関西ツアー3日目の午前中、京都に立ち寄る前にまず向かったのは、前日行かれなかったここです。






25年前の1992年、始めて観戦に行った夏の甲子園

松商 対 近大付属

本にもなったH3のチームではなく、その翌年のH4チームの試合で、でした。


昨年一年間松商チームを応援してきたけれど、テレビ観戦のみで甲子園に行く機会は逃してしまったので

ぜひ一度、甲子園での試合というものを体感してみたかったから。


知り合いもなく、当時住んでいた東京から一人新幹線に乗り、初めての関西(西宮)に到着。

球場で人づてに、どうにか松商側の応援スタンドを探し当て、当時は知る選手もなく、ひっそりと一人で応援。(笑)


甲子園球場は噂通りにとても暑くて、試合は残念ながら負けてしまったけれど、

始めて見た甲子園は、大観衆と、球児たちの若さとエネルギー、それらを包み込むものすごい熱気にあふれ感動的でした。   


そのとき、試合や球場周辺の写真を確かにとったはずなのに、何故かどこを探してもなかったので・・・   

今回はその、写真を撮り直す意味合いも含めて訪れたのですが・・・


   

ガーン    

今は冬。

この壁を覆い尽くしているはずの名物 “甲子園のツタ” は、まだ “ツルだけ” でした。

オー、マイガッ       

ツタって落葉樹だったのね・・・    


せっかくなので、 「甲子園歴史資料館」 目指して歩いていきます。




かなり歩いて、やっとたどりついたかな、と思ったら・・・




ガーン・・・Part2    





『月曜は休館日』ですと。

ちょうどセンバツを控えてか球場整備にあちこち業者の人が入っていたので、その辺にいたオジサンに聞いてみると

「プロ野球自体が月曜日は休みですからね。」 とまた2オドロキの答えが。      


そーだった、そーだった。      

うかつだった。
ホテルでぐだぐだしてないで、やはり頑張って昨日来るべきだったのだ。    


それでちょっと気を取り直して、長い間疑問? だったあることを聞いてみる。

「甲子園駅の構内に神社があると聞いてきたんですけれど・・・。」

「駅の構内にはそんなのはないような気がするけど・・・球場内だったらナントカ神社ってのがありますよ。」

「球場内にあるなら、私の聞き間違いかもしれないので、たぶんそれのような気がします。   


オジサンに神社の場所を聞き、ふと見ると反対側にはこんなものが。




それは、歴代甲子園大会 (夏の選手権大会と春のセンバツ大会) の優勝校を記した碑だった。




あれはもしや・・・



ありました 

選手権大会第14回大会優勝

昭和3年 松本商(松商学園高の前身)(長野)

きゃーーーーー           


そして・・・



あまり見たくはなかったけど          



平成3年 春のセンバツ第63回大会 優勝 広陵(広島)


せっかく決勝まで上り詰め、ここに名前が刻まれなかったことが、何とも残念である。    


あのとき決勝戦で敗れたことが、その後の色んな人たちの人生を変えた。
( といっても、もう一度ここに戻ってきたのだから、どちらかというといい方に、だとは思うが )


もしも優勝していたら・・・


私はこの話を書くことはなかったかもしれない。


それがよかったのかどうかはわからないが

人生狂った? よなぁーと苦笑いをする。    





来た道を戻ると、すぐそれが目に飛び込んできた。

あれに違いない。

今にも駆け出したい気持ちを抑えて、ゆっくりと歩いていく。






甲子園 素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)。     ( ※スサノオ神社というのは全国あちこちにあるらしいです。 )

厳密にいうと球場内ではなく、隣接する場所に建っている。




ドキドキしながら鳥居をくぐる。





水場のすぐ近くには 「夢」 と書かれた野球ボールがバッドで囲われた台の上に載せられている石碑が。




境内の感じ。




神社の方に、まずいわれをお聞きしてみると(ご本人撮影許可済み)、ご神体は 「古事記」 に出てくるスサノオノミコト。

ヤマタノオロチを退治し、その尾から出てきた草那芸之大刀(くさなぎのたち)を姉である天照御大神(アマテラスオオミカミ)に献上し、それが古代天皇の権威たる三種の神器の一つとなるなど

力強くて英雄としての誉れ高いことから

甲子園球場を本拠地とする阪神タイガースファンや、甲子園に憧れる高校球児たちに支持され、祈願される神社としても有名だそうだ。


26年前の1991年、春のセンバツ野球大会に悲願の出場を決め、ここ甲子園の地にやってきた信州松商学園高校。

初戦、鈴木一朗(現メジャーリーガーのイチロー)擁する愛工大名電(愛知)を破り、

二回戦を奈良の天理と戦うことになった4月1日の朝、松商OBの宮坂真一氏がホテルの中原監督が泊まっている部屋を尋ねると、
中原が 『甲子園駅構内にあるナントカいう神社』 のお札を床の間に挙げ、一心不乱に拝んでいる。

「今日、エイプリルフールに起こった出来事は嘘かもしれないが、明日の朝、“松商、天理を破る” と新聞に出るニュースは本物だよ。」

中原は天理に勝つ気でいるのだ・・・

神がかっていた。

恐ろしくなった宮坂は、そっと部屋を出た。


と私は、10年前に発行された自著書 『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』 の中で書いた。


その神社が本当にあるのかずっと知りたかったのだが、若干聞き間違えていたようである。

( 早く訂正しなくちゃ。  知ってた人、間違ってるっておせーてよ、もぉ~~~  )




沢山のお守りや絵馬などが売られていたが、ここは監督と同じお札を買わなくては。    

と思い、



いや、監督のはもっと高いのだったかもしれませんが・・・

お札とご朱印を。




神社のいわれを書いた紙と、甲子園のツタで作ったというお守り(中身は秘密です)

それから、おみくじを一つ買いました。 (のちに載せます)




ご神前に、やっとここまで辿りつけたお礼と、それから本の執筆成就と売れますように祈願。    



せっかくだから絵馬も書こうかなと思い、左にある 「野球塚」 に



ボール型の絵馬を買い求め、本に関するお願い事を書き、吊るしてきました。   



『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』 第三部を、無事書き上げることができますように・・・。

本ができるだけたくさん売れますように・・・。       



月曜日でお休みだったせいか、球場は静かで、それもまた、私にとっては感慨にふけるのに絶好の時間でした。

( 単なるマヌケ    )
 

今日この時に、ここに来れてよかった。



身の引き締まる思いで、沢山の想いを胸に秘めながら薄曇りの球場を後にしました。





 松商関連ニュースその7(後編)へ続きます・・・。      





 『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』(Amazon Kindle版)  は、こちらで買えます。     

( 2006年、郷土出版社刊 の書籍は好評につき完売。絶版となりました。  )


1991年、悲願の春のセンバツに乗り込んだ “松商ナイン”。
無名のダークホースが次々と強豪校をなぎ倒し、優勝まであとひとつ。

エース上田佳範を擁し、甲子園に旋風を巻き起こした「山国の風雲児たち」。
彼らの手から、なぜ、優勝は零れ落ちたのか・・・。

その年長野県じゅうを熱狂の渦に巻き込んだチームの強さと魅力を、補欠を含む全選手に徹底取材。

さらにその15年後を生きる彼らの姿を描いた第二部も必見。
「それぞれが主人公である」球児たちの光と影を追った、著者初めての渾身のドキュメンタリー。

書籍発売から10年、あの感動がついに電子書籍化されました!!

夏の甲子園で球史に残る延長16回を四日市工業と戦った劇的な幕切れの瞬間、
“あの”イチローやゴジラ松井とも戦った名場面など、秘蔵写真も満載。


野球ファンはもちろん、そうでない方にもお楽しみいただける 「人生ドラマ」 です。


まだお読みでない方は、ぜひお買い求めいただきますよう、よろしくお願いいたします。


 書籍の評価はこちら。
猫田ジャレHP 『なんとなく、イナカタル』 より、 書籍ページ


 第三部とは、 「電子書籍化」 に当たり、書籍化よりさらにその10年後を生きる選手たちの姿を

H3のみならず、続けて3年間甲子園に出場し、今でも毎年監督中原の元に集う下の2学年のチームを含めて、
丸一年をかけて総勢40人以上に取材を行った 著者渾身のドキュメンタリー第二弾 

ただ今執筆中       

乞う  ご期待ください      












最新の画像もっと見る

コメントを投稿