大変長らくお待たせしました
「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)
年内発売予定 ( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」 )
スミマセン、9月発売なんて、どう考えても無理なことがわかりました。
伸ばしてばかりでごめんなさい・・・。
表紙デザイン(仮)決定
『25年後の選手たちを追う旅』 (ネコタの取材日記 )
取材 第五弾 は、7月~8月初めに会った方々をまとめてご紹介。
タカミーが音楽監督と司会を務める 『ウルトラマン生誕50周年記念 THE ROCK 2016』 を杉並公会堂に見に行った翌日の
7月10日、運よく 東京ドーム にて 「巨人 対 横浜DeNA」 の試合があったので見に行ってきました。
この日に試合を見に行くことはかなり前から決めていたのに、もたもたしていてチケットを取り忘れていたので、もう立見席しか残っていませんでした。
「立見席」 より、はるか遠くの3塁コーチャー、 H3の 上田佳範君 を (時折双眼鏡にて) 望む。
3塁付近 (ホーム寄り) に立っている、青いユニフォームに白いズボンの人が上田君です。
見ていると、そういえば、いちばんの最初は、この人を追っていたんだなぁ~というのを思い出し・・・
25年前、君を追っかけているうちに、こんなところまで来てしまったよ。
と、しみじみと、感慨深く思いました。
( 1991年の春の快進撃によって、途中からでしたが 「郷土の名誉」 とばかりに松商チームを応援し始めたので、
もちろん、テレビ画面の中の、試合を通してだけでしか彼らのことを知らなかったし、
ただ純粋に甲子園での試合の行方と勝敗だけを信じ、全てが彼の右肩にかかっていると思い込んでましたので。 )
それと、やっぱり中原監督の人柄に惹かれてここまで来ちゃったんだな、とも。
( 毎回、試合終了後の勝利監督インタビューが大好きで、監督の笑顔と、そして当時は東京にいたので監督の 「松本訛り」 に郷愁を感じて嬉しくなってました。)
青一色のスタンド。
高校生くらいでしょうか。応援に命を懸けてる感じの男の子4人組でした。微笑ましかったですよ。
終わった後時間があれば話しかけてみたかったんですけどね。ちょっと勇気もなく・笑。
ただし、アルコンのスタンディングとは違うので、55歳のオバサンに野球観戦の立ち見はつらく(暑いし)・・・
途中から巨人の攻撃の際にはしゃがみ、遊びで見にきているわけではないんだから、と我慢していたビールを、5回裏だったか7回裏だったかのグラウンド整備中に、1杯だけですがついに飲んでしまいました。
試合は4回までに7対4とDeNAがリードしていたので、勝てるかも、と思ったものですが、5回と7回に3点ずつ入れられてしまい、残念ながら10対7でDeNAが負けてしまいました。
そのあと、せっかく差し入れを持参したので、待つこと1時間、やっと電話がつながった頃には、球場を出て既に車で帰路につきかけていた上田君にドーム近くまで戻ってもらい、半ば強引に? 差し入れをお渡しすることに・・・。
上田君、その節はお疲れのところをどうもすみませんでした。
でも、この時の会話で、その後の上田君の取材の際、間に入ってくださった球団側の方との連絡 (既にご本人とは日時が決まり、球団側への申し込みを済ませて連絡待ち状態だったもの) がスムーズに行くことになったので、私はお会いできてよかったと思っているのですが・・・。
7月12日、H4の 本木 照学(みつひさ) くん。
昨年の3学年忘年会には来ていなかったのですが、10年前には参加していて、同じH4の堤君が仲が良かったからと連絡を取ってくれ、会えることになりました。
なんでも、H3の 内藤 玉樹 くんの従兄弟だそうです。
楽天的なのか、お話を聞いていてもとても楽しく、色々たくさん聞けてよかったです。
当直明けのお疲れのところをお時間を作っていただき、どうもありがとうございました。
7月14日(木)、前日に雨のために順延となった 日本ウェルネス筑北高校 × 諏訪双葉高 の試合を諏訪湖スタジアムに見に行ってきました。
( 『やったぁ~! ウェルネス筑北初勝利!!』 2016年07月14日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー参照。 )
7月17日(日)、14日に勝ったので、日本ウェルネス筑北高校の3回戦、対 松本工業 の試合を、同じく諏訪湖スタジアムにて観戦。
( 「よくやった! ウェルネス筑北高校!! + 『緊急速報』」 2016年07月27日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー参照。 )
7月22日、 H3 等々力 直樹 君。
なんでも二人目のお子さんがもうじき生まれそう、という大変な時にお時間を作っていただきました。
色々たくさん喋っていただき、有意義な楽しい時間でした。ありがとうございました。
7月25日、 H3 林 貴士 君。
前日の24日(日)に、母校松商学園 と 佐久長聖 が松本市野球場にて 長野県大会 “決勝戦” を戦ったので見に行ったところ
(試合は残念ながら松商が負けてしまい、王者奪回、甲子園出場はなりませんでしたが)、
会場で忘年会以来の 内藤 学 君と 高橋 巧 君に会い、野球観戦も含めて楽しかったと言ってました。
相変らず、お茶目な林君、こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。
アルフィー夏のイベント参加のため、7月30,31日と新横浜に行った翌日、
7月26~28日までは名古屋、7月29~31日は広島の球場に行っていた
H3で唯一プロに進み、現在DeNAコーチを務める 上田 佳範 君が、
オフとなる 8月1日、球団本拠地のある 新横浜 に戻ってきたので、新横浜にて会っていただきました。
私もたまたま新横浜に行っていたこと、上田君もオフのこの日に戻って来れたことなど、
7月10日の野球観戦に引き続き、私の上京とうまい具合に重なるという、ラッキーなことが続きました。
朝早く広島を出て午後に到着したばかりの非常にお疲れなところだったので、球団からはできれば手短にしてあげてくださいと事前に言われていたのですが (球団の立ち合いはなく会っていただけました)、
10年前は、たまたま中日に移った直後であまり時間が取れなかったため聞けなかったことを、この際だからとつい、沢山聞いてしまいました。
( 他のH3メンバー同様、松商卒業直後には一度じっくりと取材させていただいてますが、あまりにも大昔なのと、当時はこちらも取材慣れしておらず、最初に本を出す時には大いに参考になったのだけれど、今現在となっては覚えていることが少ないため。また、本に書かれたことをどう思ったかなども聞いてみたかったけれど、本は読んだような気はするが、内容についてはあまりよく覚えていないようでした。 )
ですが今回あらためてお聞きしたところ、25年前のことなのに、甲子園でのことをよく覚えているようで、話しはじめると沢山喋ってくれたこと、
そしてプロ野球に入ってからのことなど、今まで知らなかった有意義な話がたくさん聞けました。
チームの他のメンバーと同条件で、と言って取材に応じてくださったこと、
また、最初の予定より時間が大幅に伸びてしまい本当に申し訳なかったのですが、貴重なお時間をいとわずに、本音で喋ってくれたこと、心よりありがとうございました。
8月7日、富山県在住 (この4月からは福井に赴任中) の H4のキャプテン、 濱 栄行(ひでゆき) 君が実家に帰省中の貴重なお時間を割いて取材に応じてくださいました。
H4の、濱君、壇原君、宮澤太一君の3人は、H3のチームに混ざって甲子園の試合にも出場したことから、10年前に初出版された拙著書の中に、下級生の中で唯一登場しているのですが、
いくらH3のチームメンバーが主役のお話しだから仕方がないとしても、申し訳ないくらいにほんの少ししか出てこなかったのが、今思うと非常に申し訳なかったのですが、
このたび、下の学年のことも書けるので、やっと少しは罪滅ぼしができるかな、と思えるのが嬉しいですし、
また、チーム事情からなる噂? はこれまで会ってきたH4のメンバーから聞いていたのですが、ご本人にお会いして、ちゃんとこの目で確かめられたので、本当によかったです。
キャプテンになるべくしてなった、とてもまじめで誠実な濱君、貴重なお時間をどうもありがとうございました。
「3学年忘年会に来るんだったらさ、下の学年の奴らにも話を聞いてやってくれよ。」
きっかけは、H3の小口君のひと言でしたが、
一口に下の学年と言っても、偉大なるH3チームのすぐ下だったため故の苦難を強いられたH4チームと、
2つ離れているために、また違った思いで望んできたH5のチームは、それぞけれカラーが違うのだなと気づきました。
40人もの取材相手に、最初はどうなることかと途方にくれたりしましたが、
ほんとうに、皆さんにお会いできてよかった。
貴重な時間を割いてお話しくださった皆様には、心より感謝いたします。
これで 31/40、
残り9人となりました
図らずも発行が延びそうなので、これから時間を作ってくださる方たちも,何とか会えるのではないかと思っています。
これからの方は、引き続きのご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。
ようやくここまで辿りつけましたが、
これからがある意味本番。
皆さまの貴重なお話をどうまとめていけるのかと思うと、緊張と、そのやり甲斐と使命感とに武者震いがします。
お盆も終わり、後半戦に向け、更なる挑戦が続きますので、皆さまどうぞ暖かくお見守り下さりつつ、
変わらぬ応援のほど、どうかよろしくお願い致します。
すぐ下に、ウェルネス高校のテレビドキュメント記事を同日にUPしてありますので、合わせてお読みいただけますと幸いです。
「松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~」
第三部 『 25年目の真実~すべての道はつながっている~ 』 (仮題)
年内発売予定 ( 書籍発行から10年、あの年の快進撃より25年の時を経て “現在(いま)を生きる” 選手たちの姿を、
H3メンバーとその下の2学年も含めて勢力取材した、著者渾身のドキュメンタリー 「第2弾」 )
スミマセン、9月発売なんて、どう考えても無理なことがわかりました。
伸ばしてばかりでごめんなさい・・・。
表紙デザイン(仮)決定
『25年後の選手たちを追う旅』 (ネコタの取材日記 )
取材 第五弾 は、7月~8月初めに会った方々をまとめてご紹介。
タカミーが音楽監督と司会を務める 『ウルトラマン生誕50周年記念 THE ROCK 2016』 を杉並公会堂に見に行った翌日の
7月10日、運よく 東京ドーム にて 「巨人 対 横浜DeNA」 の試合があったので見に行ってきました。
この日に試合を見に行くことはかなり前から決めていたのに、もたもたしていてチケットを取り忘れていたので、もう立見席しか残っていませんでした。
「立見席」 より、はるか遠くの3塁コーチャー、 H3の 上田佳範君 を (時折双眼鏡にて) 望む。
3塁付近 (ホーム寄り) に立っている、青いユニフォームに白いズボンの人が上田君です。
見ていると、そういえば、いちばんの最初は、この人を追っていたんだなぁ~というのを思い出し・・・
25年前、君を追っかけているうちに、こんなところまで来てしまったよ。
と、しみじみと、感慨深く思いました。
( 1991年の春の快進撃によって、途中からでしたが 「郷土の名誉」 とばかりに松商チームを応援し始めたので、
もちろん、テレビ画面の中の、試合を通してだけでしか彼らのことを知らなかったし、
ただ純粋に甲子園での試合の行方と勝敗だけを信じ、全てが彼の右肩にかかっていると思い込んでましたので。 )
それと、やっぱり中原監督の人柄に惹かれてここまで来ちゃったんだな、とも。
( 毎回、試合終了後の勝利監督インタビューが大好きで、監督の笑顔と、そして当時は東京にいたので監督の 「松本訛り」 に郷愁を感じて嬉しくなってました。)
青一色のスタンド。
高校生くらいでしょうか。応援に命を懸けてる感じの男の子4人組でした。微笑ましかったですよ。
終わった後時間があれば話しかけてみたかったんですけどね。ちょっと勇気もなく・笑。
ただし、アルコンのスタンディングとは違うので、55歳のオバサンに野球観戦の立ち見はつらく(暑いし)・・・
途中から巨人の攻撃の際にはしゃがみ、遊びで見にきているわけではないんだから、と我慢していたビールを、5回裏だったか7回裏だったかのグラウンド整備中に、1杯だけですがついに飲んでしまいました。
試合は4回までに7対4とDeNAがリードしていたので、勝てるかも、と思ったものですが、5回と7回に3点ずつ入れられてしまい、残念ながら10対7でDeNAが負けてしまいました。
そのあと、せっかく差し入れを持参したので、待つこと1時間、やっと電話がつながった頃には、球場を出て既に車で帰路につきかけていた上田君にドーム近くまで戻ってもらい、半ば強引に? 差し入れをお渡しすることに・・・。
上田君、その節はお疲れのところをどうもすみませんでした。
でも、この時の会話で、その後の上田君の取材の際、間に入ってくださった球団側の方との連絡 (既にご本人とは日時が決まり、球団側への申し込みを済ませて連絡待ち状態だったもの) がスムーズに行くことになったので、私はお会いできてよかったと思っているのですが・・・。
7月12日、H4の 本木 照学(みつひさ) くん。
昨年の3学年忘年会には来ていなかったのですが、10年前には参加していて、同じH4の堤君が仲が良かったからと連絡を取ってくれ、会えることになりました。
なんでも、H3の 内藤 玉樹 くんの従兄弟だそうです。
楽天的なのか、お話を聞いていてもとても楽しく、色々たくさん聞けてよかったです。
当直明けのお疲れのところをお時間を作っていただき、どうもありがとうございました。
7月14日(木)、前日に雨のために順延となった 日本ウェルネス筑北高校 × 諏訪双葉高 の試合を諏訪湖スタジアムに見に行ってきました。
( 『やったぁ~! ウェルネス筑北初勝利!!』 2016年07月14日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー参照。 )
7月17日(日)、14日に勝ったので、日本ウェルネス筑北高校の3回戦、対 松本工業 の試合を、同じく諏訪湖スタジアムにて観戦。
( 「よくやった! ウェルネス筑北高校!! + 『緊急速報』」 2016年07月27日 | 松商、中原監督 関連カテゴリー参照。 )
7月22日、 H3 等々力 直樹 君。
なんでも二人目のお子さんがもうじき生まれそう、という大変な時にお時間を作っていただきました。
色々たくさん喋っていただき、有意義な楽しい時間でした。ありがとうございました。
7月25日、 H3 林 貴士 君。
前日の24日(日)に、母校松商学園 と 佐久長聖 が松本市野球場にて 長野県大会 “決勝戦” を戦ったので見に行ったところ
(試合は残念ながら松商が負けてしまい、王者奪回、甲子園出場はなりませんでしたが)、
会場で忘年会以来の 内藤 学 君と 高橋 巧 君に会い、野球観戦も含めて楽しかったと言ってました。
相変らず、お茶目な林君、こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。
アルフィー夏のイベント参加のため、7月30,31日と新横浜に行った翌日、
7月26~28日までは名古屋、7月29~31日は広島の球場に行っていた
H3で唯一プロに進み、現在DeNAコーチを務める 上田 佳範 君が、
オフとなる 8月1日、球団本拠地のある 新横浜 に戻ってきたので、新横浜にて会っていただきました。
私もたまたま新横浜に行っていたこと、上田君もオフのこの日に戻って来れたことなど、
7月10日の野球観戦に引き続き、私の上京とうまい具合に重なるという、ラッキーなことが続きました。
朝早く広島を出て午後に到着したばかりの非常にお疲れなところだったので、球団からはできれば手短にしてあげてくださいと事前に言われていたのですが (球団の立ち合いはなく会っていただけました)、
10年前は、たまたま中日に移った直後であまり時間が取れなかったため聞けなかったことを、この際だからとつい、沢山聞いてしまいました。
( 他のH3メンバー同様、松商卒業直後には一度じっくりと取材させていただいてますが、あまりにも大昔なのと、当時はこちらも取材慣れしておらず、最初に本を出す時には大いに参考になったのだけれど、今現在となっては覚えていることが少ないため。また、本に書かれたことをどう思ったかなども聞いてみたかったけれど、本は読んだような気はするが、内容についてはあまりよく覚えていないようでした。 )
ですが今回あらためてお聞きしたところ、25年前のことなのに、甲子園でのことをよく覚えているようで、話しはじめると沢山喋ってくれたこと、
そしてプロ野球に入ってからのことなど、今まで知らなかった有意義な話がたくさん聞けました。
チームの他のメンバーと同条件で、と言って取材に応じてくださったこと、
また、最初の予定より時間が大幅に伸びてしまい本当に申し訳なかったのですが、貴重なお時間をいとわずに、本音で喋ってくれたこと、心よりありがとうございました。
8月7日、富山県在住 (この4月からは福井に赴任中) の H4のキャプテン、 濱 栄行(ひでゆき) 君が実家に帰省中の貴重なお時間を割いて取材に応じてくださいました。
H4の、濱君、壇原君、宮澤太一君の3人は、H3のチームに混ざって甲子園の試合にも出場したことから、10年前に初出版された拙著書の中に、下級生の中で唯一登場しているのですが、
いくらH3のチームメンバーが主役のお話しだから仕方がないとしても、申し訳ないくらいにほんの少ししか出てこなかったのが、今思うと非常に申し訳なかったのですが、
このたび、下の学年のことも書けるので、やっと少しは罪滅ぼしができるかな、と思えるのが嬉しいですし、
また、チーム事情からなる噂? はこれまで会ってきたH4のメンバーから聞いていたのですが、ご本人にお会いして、ちゃんとこの目で確かめられたので、本当によかったです。
キャプテンになるべくしてなった、とてもまじめで誠実な濱君、貴重なお時間をどうもありがとうございました。
「3学年忘年会に来るんだったらさ、下の学年の奴らにも話を聞いてやってくれよ。」
きっかけは、H3の小口君のひと言でしたが、
一口に下の学年と言っても、偉大なるH3チームのすぐ下だったため故の苦難を強いられたH4チームと、
2つ離れているために、また違った思いで望んできたH5のチームは、それぞけれカラーが違うのだなと気づきました。
40人もの取材相手に、最初はどうなることかと途方にくれたりしましたが、
ほんとうに、皆さんにお会いできてよかった。
貴重な時間を割いてお話しくださった皆様には、心より感謝いたします。
これで 31/40、
残り9人となりました
図らずも発行が延びそうなので、これから時間を作ってくださる方たちも,何とか会えるのではないかと思っています。
これからの方は、引き続きのご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。
ようやくここまで辿りつけましたが、
これからがある意味本番。
皆さまの貴重なお話をどうまとめていけるのかと思うと、緊張と、そのやり甲斐と使命感とに武者震いがします。
お盆も終わり、後半戦に向け、更なる挑戦が続きますので、皆さまどうぞ暖かくお見守り下さりつつ、
変わらぬ応援のほど、どうかよろしくお願い致します。
すぐ下に、ウェルネス高校のテレビドキュメント記事を同日にUPしてありますので、合わせてお読みいただけますと幸いです。
H3年のメンバー懐かしい。
去年、偶然、上田に会い楽しく話しました。お互いの子供の試合で会ったのですが、相変わらず、いい奴でした。
ウエルネスに内藤の息子行って頑張っているんですね。
筑北村の方、グランドも素晴らしく、環境良さそうですね。そして、中原監督がいるので、来年が楽しみです。
これからも情報楽しみにしています。
柳沢さんとバッテリー? もしや伝説の投手柿木さんでは・・・(違っていたらすみません)
H3では、プロに行った柳沢さんもすごかったけど、柿木さんもすごかった、という評判です。
私は大変申し訳ないのですが存じ上げませんでしたので調べましたが、福井工業大学から東海理化に進まれたのですか?(金沢での恩師のご葬儀、というのでちょっと気になってしまいましたが、中原監督の大学の同期の方なのでしょうか。詳しくなくて申し訳ありません…
また、現在は北陸の方にお住まいなのでしょうか。上田君と子供の試合であったというのは?などと気になることが続出・笑)
当ブログを見つけてくださいまして恐縮です。
また、お書き込み、ありがとうございます。
本当に申し訳ないのですが、H3を生み出すに至った、雲の上の存在である、偉大なH1や2の先輩の方々のことが今回も書かれないのですが・・・m(_ _)m
拙著書の「はじめに」で、H1の方は
絶対に甲子園に連れて行ってくれると信じていた、あの強い3年生が、夏の大会3回戦、下諏訪向陽に敗れ、フェンス越しに泣いている、という場面にて登場させていただきました。
書籍になった部分は電子書籍化いたしましたので、お読みいただけますと嬉しいのですが…
そんなちょっとでは、あまり読みたくないかも(^o^;
それですのに、温かいコメントの数々、本当に嬉しいです。
ただ今、第三部の執筆が滞っているのですが、取材も進み、これからも応援していただけますと嬉しいです。
(いつか機会がありましたら、お会いできるといいですね。長々、失礼いたしました。)
彼は本の出た2006年当時の取材で
毎年のように甲子園を見に行くけれど、松坂大輔は別として、高校生の総合力としては上田は別格だった、ああいうのがプロに行くんだろうな、と思ったと語っていますが
僕らの一年の時の3年生はすごかった。
ああいう迫力は僕らにはない。
甲子園何て目ではなかったようで、負けてもサバサバして見えましたね。
でも、あんなすごいチームを、全国の人に見せてあげたかった。
それが残念なんです。
と、語っています。
なので、チーム全体としてすごいんだ、と私はずっと思ってきました。
拙著書に出ておりますので、よかったらご覧になってみてください。
よろしくお願いいたします。
どのような経緯でこちらをお知りになられたのか、そのようなずっと熱心に応援してこられて、しかも色んなことを知っていらっしゃる方にご覧いただいているなんて恐縮してしまいます。(^^; でも感激です。ありがとうございます。
当時学生さん(中学、高校、大学??)だったということは、メンバーとほぼ同世代なんですね。そして、校友会ではないということは、松商学園の外部の方なのでしょうか。外部の方で、熱心に応援している球友会(通称土手ファン)がいるというのが、松商学園が伝統校である証しですよね。
25年前は、球友会の方にもお話を伺ったりしました。この本が、今から10年前に書籍として発売され、ようやく日の目を見た時に、時間の経過が著しかったため、読んでほしかったのに、すでにこの世にはおられなかったり、消息の分からない方が何人かいらして、本当に残念な思いをしました。
今はこうやって、パソコンを通じて居ながらにして色んな方と交流できるのがとても便利で嬉しいです。
小林さん、当時の熱き思い、悔しさ、手に取るように伝わってきました。貴重なお話を教えてくださってありがとうございます。
先日から、上の学年のお話しを耳にする機会があり、自分の書こうとしているのが平成3年と下の学年だけであることについて少し考え始めました。今だけでも手いっぱいなので、これ以上の取材は無理かもしれないのですが、何らかの形にしなければいけないなという想いが今、強くあります。
まだどうなるかはわからないのですが・・・
考えるきっかけを教えてくださいまして感謝します。
ブログ、これからもときどき覗いてみていただけますと嬉しいです。喝が入りました!!
中原監督のコメントも凄いし、それに惹かれてここまで来た、という小林さんも凄いです!!
私も中原監督に惹かれてここまで来たので、すごくわかる気がします。
また、当時のことをよく覚えていらして、臨場感あふれる書き込みで、小林さんは文章もお上手なんですね。
また、何か逸話や情報があったら、ぜひ教えてくださいね。よろしくお願いいたします。
H1年.自分のせいで甲子園行けなかったピッチャーです。
昨年、9月末から出張でメキシコに行っていました。ちょうどU23ワールドカップがモンテレーで開催されて、JAPANの世界一の瞬間に立ち会えました。最高でした。会社の仲間、数名で応援団をやり、球場は、日本の応援に現地の人達も混ざり、楽しかったです。(応援している姿がyoutubeにも)
松商時代は、県外から来ている自分を、父兄の方、球友会の方、松本の地域の方々が、本当に親切に暖かく支えてくださいました。最近は行けてないですが、松本は大好きです。松商時代に社会で通じる人間として、育てて頂きました。今は愛知に居て、子供の野球チームのお手伝いしてます。(うちの子にも野球を通じて、県外に行くって言って欲しいと、密かに思ってます。)
少し当時のことを書きます。
自分たちの代は、1年の時に3年生に、お前ら最弱の代になるぞ。と言われてました。自分たちの新チームになる時に中原監督の右腕、亀田コーチが来て、野球というものを基本からきっちり教わりました。上田たちが甲子園で優勝候補を中原戦術で勝っていくプレーは、まさに教わった通りです。
最後の夏、大会前に肘の靭帯損傷で、ギリギリまでチーム外には隠し、いろんな治療にも行かせて頂きましたが、間に合いませんでした。(しかし、大学、社会人でピッチャーとしてやれたのは、当時の治療のおかげかなぁと思ってやってました。)
下諏訪向陽戦は、3回まで限定で行くぞ、と言われ、肘が伸びると痛い為、曲げた状態で投げれるカーブとスライダーのみで3回無失点。しかし、勝ちきれなかった。大会後はみんなに申し訳ない思い。もし、甲子園行っていれば仲間の人生も変わっていただろうと。
県外にいることもあり、同期とは、一部、年賀状でやり取りするくらいで会えてないです。松商の当時に違い情報は懐かしく、本、買いますね。
ですが・・・
そんな、自分のせいで行かれなかった、なんておっしゃらないでくださいね。(ToT)
生意気なようですが、もしもあのとき、ということが生きていると誰にでも一度や二度はあるかと思います。
私も文学を高校時代から志していたのに舞台関係の道に突如走ったり(^^;、文学も同人誌活動を長くやってきましたが自分の本当に書きたいものは何か、というのを見つけるのに何年も何年もかかってしまいました。
そう思いますと、これまでの人生回り道ばかりしてきた気がします。
でも、後悔はしていません。
あの時もしも、というのはオメデタイからなのか、あまり思わないタチでして、
自分は、これまでのことは全部、今の自分を創りあげるために必要なことだったんだ、と思っています。
10年前に本を出した後、荷卸し感ややり切った感、がんばり過ぎなどから体調を崩し、文字通り一番いい時の約3年間を棒に振りました。
あの時はつらかったし病気になったのは残念でしたが、でもそれさえもきっと神様が与えてくれた試練であり、きっとこの先何か役に立つはずだ、と、すっかり良くなった今ではようやく思えるようになりました。
健康のありがたみも感じます。
もちろん、その時のこともいつか書く予定です。(物書きのサガで何でも書きたくなるんです、自分のつらいことまでも材料です・笑)
あと、私の大好きなフィギュアスケーター高橋大輔さんは、トリノ五輪(で金を取ったら)後は早々と引退すると言ってましたが8位だった。その後選手生命を危ぶまれる大怪我をしましたが見事復活、バンクーバー五輪で日本人初の銅メダルを獲得、そして次のソチにも出場するほど現役にこだわって長くスケートをし続けました。
三浦カズ選手が50歳になっても現役にこだわるのを見ると、あと一歩のところで出れなかったワールドカップ、せっかく出場できたのに現地に行ってチームを外された次のワールドカップの悔しさなどが尾を引きずっているのではないか、と思えてなりません。
もちろん、本人に確かめたわけではないので想像の域を超えませんが、
このように、出場できなかったり成績が悪かったことが、災い転じてずっと長くその世界に生き続けようとする原動力にもなりうるのだと私は思います。
それでも、個人ではなく、仲間でやっていることには、色んな思いが交錯しますよね・・・。
本は、書籍として出版されたものが昨年3月にそっくりそのまま電子書籍化されました。
上田君たちのチームも決して輝かしいだけではなかったこと、チームが輝かしければあるほどつらかったという控え選手たちの想いも念入りに追わせていただいたつもりです。
今回初めて取材で会ったH5の控え選手の子が、本のお知らせをしていないのに当時買って読んでくれていて、控えの気持ちも書いてあって嬉しかったと言ってくれた時は本当にうれしかったです。
続編の第三部を買うと言ってくださり本当にうれしいです。でも、ぜひ、既存の本も読んでほしいなぁーと心から思います。(上の名前クリックで電子書籍ページへ行かれます)
そして、いつかお会いできることを願っております。m(_ _)m
(どうしてもお伝えしたく、長々と生意気なことを申しましてすみませんでした。)