猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

THE ALFEE 2013春ツアー “Gratefui Birth” ~ ちょー長い★補足 ~

2013年05月10日 | THE ALFEE、Takamiy
お待たせしましたっ!!   ・・・って、待ってにゃぃか?? 


間に色々入ったんでイマゴロですが、決めたものはやらないと気が済まないので・笑。ご容赦を。 (^^;)ゞ
また、調べて文章を作成するのに3日くらいかかったので  こうなってしまった・・・

ちょぉーーー、にゃがぃケド 、 よかったら、ゼヒ、読んでね。(^_-)☆ 



一、永遠のアイドル  THE BEATLES と THE ALFEE




まず、THE ALFEE 2013春ツアー “Gratefui Birth” のツアーポスターおよびパンフのデザインが、

THE BEATLES(ザ・ビートルズ) のアルバム、『 Revolver 』(リボルバー・1966年8月5日発売のビートルズ7枚目のアルバム) を模しているのではないか、という説もあるという件について。


こちらが、『 Revolver 』 のジャケットです。(サイトより借用。陳謝。クリック拡大)

似てるでしょ?



いささか長くなるが、このジャケットデザインと、アルバムについて、ちょっと興味深い事柄が出てきたので、以下、自分なりに調べて?、考えてみました。


以前、くれよん同期会午前中の部に来てくれた後輩のCが、スマホカバーに、この 『 Revolver 』 を使っていた件で、彼に、このアルバムが好きな訳を教えてもらいました。
( 以下、本文のまま掲載します。掲載許可済み )


★リボルバーはね、クラウス・ヴォアマンという人がデザインしたんだけど、それが秀逸なのね。モノトーンで、シンプルなんだけど、コラージュっていうのかな?!細かい写真が散りばめられていて、実はシンプルじやない。イラストも、髪の毛一本一本が丁寧に描かれている。あの手腕は憧れです。

あと、ビートルズの作品(曲)としても、実験的でありながら、美しくもあり、若さも残りつつ、熟した感もアリで、アイディアが豊かに詰まった、インパクトあるアルバムなんです。

もちろん、他のアルバムも好きなんだけどね。★


以前にも書いたが、Cは一期下だが、私と同じ1960年生まれ。
小学校5年(1971年)の時、一つ上の兄が友達から借りてきた、ビートルズのベストアルバムを一緒になって聞いているうちにのめりこみ、もっと他にもビートルズを聞いてみたくなった。

色んな人にたずねてみたところ、ビートルズ史上最高傑作だと言われている『 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 』(サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド-1967年6月1日に発売されたビートルズの8作目のアルバムで、後述) がいいのでは?
ということになり、お小遣いをためて、3000円近くするアルバムを買った。
それが彼が初めて自分で買ったレコードだということだが、以後、ほぼ全アルバムを借りたりしつつ聞きながら、レコードも少しずつ買いため、大学までには完全に揃えるほどにのめりこんでいき、今でも大好きだという。


ちなみに、同じ年生まれのネコタが生まれて初めて“自分で”買ったレコードは、トワ・エ・モアという、男女デュオの 『 虹と雪のバラード 』(1971年8月25日) というドーナツ版。
翌1972年に札幌で開かれる予定の冬季五輪に合わせて作られた大会テーマソング(河邨文一郎作詞、村井邦彦作曲)で、
1971年2月から3月までNHK『みんなのうた』の「札幌五輪のうた」のコーナーで流されていたのを聞き、いい曲だなぁと思ったのと、東京オリンピックは4才であまり記憶になかったので、自分がきちんと認識した初めての自国開催オリンピックへの多大なる期待もあり、レコードが出たときに買ったのである。


今でも大切にとってあるが、こちらはサイトよりお借りしました。

ふーん。同じ小5の時、ビートルズを聞き、しかも子供のくせに3000円もするLP盤を買っていたなんて、やっぱ都会の子はススンデおるのぉ。(Cの実家は横浜)ドーナツ盤は、400円だった。
当時の私は、ビートルズのビの字も知らずに、山深い町で野山を駆け巡り、「みんなの歌」を愛聴しているような、素朴で純情な鼻タレ児童であった。(鼻タレはウソですが)
そういえば、翌年の小6で合唱団に入ったのだが、幼稚園年長から中一までピアノも習っていたし、うーむ、なんて清く正しい正統派音楽少女。なんちゃって・笑。ウソウソ。



それはともかく、ビートルズと言えば、THE ALFEE の坂崎幸之助は、
『 Dear.Beatles 』という、THE BEATLES をこよなく愛するミュージシャンにより演奏される、THE BEATLES の楽曲を楽しむための、毎年一夜限りのコンサート (略して「ディア・ビー」) を開催するほどのビートルズ好きで有名だが、
このイベントにCも2回ほど聞きに行ったことがあるらしい。


以下は、Cの受け売りを、だいたいそっくりそのまま使わせていただくのですが・・・(^^;)ゞ

ディアビは、1995年に始まったビートルズ・カレッジというイベントが前身で、ディアビとしては2003年から始まった。その最初の年は、ビートルズの初期メドレーや、イエスタデイや愛こそはすべてなど、有名どころプラス、シブい選曲も入れつつのコピーコンサートだったようである。
Cが行き始めた最初の頃、正確には2006年に、来日40周年ということで、武道館コンサートの完全コピーを演奏した。
翌年は、ビートルズはライブではアンコールを絶対やらなかったのだが、もし、武道館コンサートでアンコールがあったら…というコンセプトで、一年前の続きとしてセトリが組まれた。
次の2008年は、ビートルズの映画…ヘルプとか、マジカルミステリーツアーとかをテーマに選曲。
そして、2009年に、アルバム「アビーロード」をレコード順にまるごと演奏しようということになり、その年以降、2010年ホワイトアルバム全曲、2011年サージェントペパーズの全曲、2012年ラバーソウルとミート・ザ・ビートルズときて、今年リボルバーとなってるらしいです。  
( Cよ、詳しく教えてくれて、ドーモありがとうね。さすが、ビートル・マニアだけのことはあるわぁ~o(^^)o )



以前にも書いたが、今年で11回目となるディア・ビーは、3月2日(土)渋谷公会堂にて開催され、 『 Revolver 』 の全曲演奏であったようである。(今年の演奏メンバーは杉真理、リッキー、上田雅利、伊豆田洋之、村田和人、小泉信彦、坂崎幸之助。以上敬称略)


1954年生まれの坂崎は、『 Revolver 』 発売当時(1966年)にまだ小学6年生。幼少期から大家族の影響で洋楽や邦楽、ポップスから演歌まで、あらゆる音楽とさまざまな楽器に親しんできたが、それでもこのジャケットは、小6の子どもには怖いと感じたらしい。
ジャケットだけでなく、曲目としてもあまり好きになれなかったので、「ビートルズに一体何が起こったのか」 と思い、それまで好きだったビートルズが、突然遠い存在になった気がした。
そしてこのアルバム以降の作品も、どうしても好きになれずに、これがきっかけでザ・フォーククルセダーズや、吉田拓郎などをよく聴くようになったのだという。
坂崎が、『 Revolver 』 以降の作品をちゃんと聴いたのは20代後半であったらしいが、ちゃんと聞いてみることにより、やっと理解できるようになったという。

それでも、ディア・ビーの全曲演奏として 『 Revolver 』 を手掛けるのには勇気がいり、メンバー間でも、「再現不可能」 と思ってずっと避けてきた感があったというが、ついに今年、それを実現。
無事に全曲演奏し終わると、「発表会のように緊張した」と、ほっとしたような笑顔がメンバー全員から溢れ、場内は温かい拍手で包まれたという。

( 以上、『 Aifee Mania 』 公式サイト、会員専用ページ掲載分を参考にさせていただきました。 )


という話を、Cにしたところ、
「『リボルバー』 や 『サージェント・ペパーズ』 は、ベスト盤でなじんだ人が聞くと、最初は、何これ?と思うかもしれない。僕も最初はそう思ったよ。」と。
Cが「リボルバー」を聞いたのがいつ頃だったかは忘れたが、中学までにはビートルズのアルバムのほとんどすべてを聞き終わっていたというから、同じ小学校、5、6年頃に聞いたとしても、坂崎がアルバムの存在を知った頃より、4、5年は後だったので、時代が変化している (60年代後半と70年代初頭の差) かもしれないし、もしも中学で聞いたとしたら、その年齢差は当然あるだろう。
あるいは、個人的な好みとも関係しているかもしれない。


いずれにせよ、Cにとっては、とても美しくて秀逸なデザインだと思い、スマホカバーとして愛用するほどのお気に入りのジャケットと、そして曲目だったのが 『 Revolver 』 だったようだ。



ところで、
THE ALFEE のメンバーのうち、特に坂崎幸之助が、大のビートルズ好きであることは、つとに有名であるが、
何を隠そう、リーダーの高見沢俊彦も、相当なビートルズ好きである模様。

小学生の頃、8つ上の兄に連れられて、ビートルズの映画を見に行き衝撃を受けた話はよくしているが、
『 She Loves You 』(シー・ラブズ・ユー-1963年8月に発売されたビートルズ4枚目のシングル)を初めて聞いたあと、嬉しくて 「一日中トロントロン言っていた」(曲のフレーズを繰り返し歌っていた)、という逸話を、本人がラジオで語っている。

本人いわく、「4年に一度ブームが来る(しか来ない)・笑」、らしいし、人前では演奏しないと決めているようだが、それは“本家”(坂崎)を立てるために、あまり公言しないようにしているともとれる。

( 2008年のソロコンサートDVDにて、高見沢は所有の “ビートルズの使っていたものと同じギター” を自慢げに手にしながら、上記のような発言をしている。
そして会場のみんなの声援に、最初は嫌がっていたが、ついに自身も好きだと言っていた 『 Yesterday 』 (イエスタディ) を演奏してみせることになる。
人前での演奏はめったにないと言っているだけに、貴重な映像と言える。

本人が拒否したのだろう、DVDタイトルには載っていないため、やっと探し出しました・笑。   )



ベスト盤でないアルバムとしては最新となる 『 新世界 -Neo Universe- 』((2010/3/10) の中に入っている 
「 リバプールから遠く離れて  」 という曲は、明るいタッチではあるが、まさしくビートルズへの愛着と敬意の込められたビートルズ賛歌であり、
その中でビートルズのことは、「 永遠(とわ)に変わらない いつまでも『4人はアイドル』 」として歌われている。

この曲に対して高見沢は雑誌の対談で 「これは坂崎のために作った」 と語ってはいるが、同じように「坂崎のために作った」 と語っていた 『 Musician 』 もしかり、他にも 『 My Truth 』 など、実は自分の本当の気持ちを歌にしながら、それをまさにオブラートに包むがごとく、坂崎に歌わせているのではないかと思われるものは、実に多いと思う。 ( ネコタの勝手な憶測だが  )



それで、『 Revolver 』 は、高校時代ロックにハマってロック・バンドを組み、アルフィーの曲の中にも途中からロックを投入し新境地を開いた、THE ALFEE のリーダーである高見沢が、もしかするとかねてより、気に入っているアルバムなのではないか、という憶測が生まれる。

ジャケットデザインも小6の子どもではなく、大人の目からするとお洒落で、いかにも彼が好みそうではないか。
それで、結成40周年を記念する年のツアーポスターに真似てみたとしても、何ら不思議はない。


実は、前出の、ビートルズ最高傑作であると言われる 『 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 』 のジャケットに酷似している 
『 THE BEST1997-2002 』 (2009/3/18) というアルバムがアルフィーにもあることからも、アルフィーがビートルズをリスペクトし、こよなく愛していることがうかがえるのである。

好きでなかったら、マネしませんからね。( また、こういうパロリは、おちゃめでアリと思う私です )



『 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 』(クリック拡大)


『 THE BEST1997-2002 』


また、高見沢俊彦がリスペクトしてやまない加山雄三とのコラボ・ミニアルバム 『 LOVE AGAIN 』 (-加山雄三 featuring THE ALFEE-2000/8/4) のジャケットも、ビートルズの『 Let It Be 』(レット・イット・ビー-1970年5月8日・ビートルズの13作目のオリジナル・アルバム)と、面白いように、瓜二つである。


『 Let It Be 』


『 LOVE AGAIN 』
冒頭に位置する、ジョンの場所には敬愛する加山、そして高見沢お気に入りのポールの位置で加山の隣というポジションに、ちゃっかりと自分が収まり、加山と坂崎はそれぞれに、ジョン、ジョージと同じ方角を向いているのが笑える。(高見沢と桜井は偶然か狙いなのか、本物とは逆方向だが)



そして、 THE ALFEE というバンド名も 
1974年のデビュー当時は 「ALFIE」 と表記されており、1979年に自作の曲 『ラブレター』 で再デビューした際は 「Alfee」、その後 『別れの律動(リズム)』(1982.11.21) からバンド名を 「ALFEE」 と表記変更、
1986年、シングル「SWEAT&TEARS」のジャケットから、グループ表記をALFEEから、現在の 「THE ALFEE」 に変更したとされるが、(う~む、長い変遷・笑)


これなども、ビートルズにも 「THE」 が付くことからと考えられまいか。

最も、彼らが音楽人生において、おそらく最初に強く影響を受け、あこがれだったという“グループ・サウンズ”(1967年(昭和42年)初夏より1969年(昭和44年)春にかけ日本で大流行した、楽器を弾きながら歌う音楽グループ)が、グループ名にたいてい「ザ」がついていたので、その影響と取れなくもないが。
しかも、アルフィーは母音で始めるため、「ザ」ではなくて「ジ」と言わなくてはならないところが、狙い通りになっていないという面白さがある。


そして、アルフィーのファンクラブである 「 Alfee Mania(アルフィー・マニア)」 という名前も、ビートルズのファンクラブ 「 ビートル・マニア 」 から来ているという説が濃厚である。


また、アルフィーの曲のタイトルなどの中にも、ビートルズのそれと同じもの、類似したものが数多く含まれることからも、その傾倒ぶりがうかがわれる。( MEET THE ALFEE、悲しみはぶっとばせ、ガール、愛こそはすべて、など )


話が長くなったが、つまるところ、THE ALFEE と高見沢俊彦 にとっての THE BEATLES は、
我々マニアにとってのアルフィーがそうなように、

永遠で唯一無二、最高な存在(NO1であり、オンリーワン、永遠のアイドル)なのである。




     *   *   *   *   *






二、THE ALFEE が、NO.1、オンリー・ワン であり、『世界一のバンド 』 たるゆえん



1、 活動歴40年の中で 「一度もメンバーチェンジがない」。 
( 本人たち弁。厳密にいうと、4人でデビューし、1年ほどで一人が脱退しているが、現在のメンバー3人は結成当時からずっと変わっていないのと、約一年ほどのことなのでこう言い切ってもいいと言えるだろう。)

2、 40年間で 「一度も活動を休止していない」。  
( これは、うそ偽りのない事実であり、バンドとしては世界でもほとんど例がないと言われている )

3、 「ライブ活動」 が活動の中心であるバンド      
1982年夏ごろより、毎年春(4月〜7月)と秋(9月〜12月)の、年2回のコンサートツアー(「春ツアー」、「秋ツアー」)を行い、全国を回っている。
そしてこちらも、1982年より30年間、「一度もツアーを休んだことがない」。 

年間平均でで60から70もの公演を行い、通算コンサート本数は、2013年4月6日の静岡を持って 2400回 に達した。
ライブ本数2000回超えは、国内のバンドとしては前人未到とも言われる。  

なお、2005年11月30日、埼玉・大宮ソニックシティにて通算2000本目となるライブを達成した際には、ビデオレターにて出演した日本プロ野球名球会の金田正一会長から、2000本ライブ記念として、 「名球会の公式ブレザー」 がメンバー3人に贈られた。
野球界以外で当ブレザーが贈られたのは初めて。


4、 数々の 「記録の樹立」  がある。


★「25年間連続」 で続いた夏のイベント       

1982年から夏の風物詩として大規模な野外(例外もあり)コンサートを実施、25年連続で開催された。
2007年から、近年の場所探しの難航を受け、野外イベントを一時休止、2009年8月8日、9日に開催された「YOKOHAMA PERFECT BURN」をもって、長年続けてきた夏のイベントを終了した。
( ↑ ネコタが行った、最初で最後の通称“夏イベ”。その後2012年7月に、さいたまの屋内にて一夜限りのサマーイベントが実施された。)


★1983年の 「メリーアン」 以降出た、総てのシングル (全47作) が、
 「連続でオリコン・トップ10入りを果たしている」 という、脅威の記録を更新中。  
これは、アルフィーファンは 
1.ファン歴が長い、
2.非常に熱心で、かつてはリクエスト活動、現在ではCDを熱心に買い求める、などの影響があると思われる。    
アルフィーの苦節時代を、自分たちが支えてきたのだという自負や、 
もともとライブ本数が多いうえに、ファンが各会場をハシゴするため、メンバーと数多く会うことにより距離感が近く感じられるのだろう、長年苦楽を共にしてきたのだという一体感、 
アルフィーがずっと休まずに活動を続けてくれていること、自分たちの住んでいる場所にまで来てくれる、ファンを大切にしてくれる 
などの感謝の気持ちが、全国に熱烈なファンを抱えているゆえんであろう。 


★関東地区のプロ野球フランチャイズ球場である、東京ドーム(1988年)、西武ドーム(2002年8月24日・25日)、明治神宮野球場(2000年8月12日・13日)、横浜スタジアム(1984年8月3日、1985年8月27日・28日・29日)、千葉マリンスタジアム(1993年8月21日・22日)を 「完全制覇」。 
なお、神宮球場は現在コンサート使用での貸し出しは行っていないため、この記録を破るのは今後不可能ではないかといわれる。

なお、メンバーは3人とも巨人ファンで、1999年4月2日、読売ジャイアンツの開幕戦 (東京ドーム、対阪神) にて、THE ALFEE が 「国歌斉唱」 に抜擢、担当している。(始球式は女優の水野真紀)


★武道館での公演数が2012年2月24日(ネコタ参加日)で、通算81回で、バンドとしては世界一、二を争っている。 
クリスマスの23日と24日という大事な日に、武道館公演を絶対に他に譲らないということができるのも、長年のキャリア、大御所たるゆえんである。     


5、 THE ALFEE  「初めて物語」 


★大規模な施設の 「こけら落とし公演」 が多い。
東京ドーム(1988)、パシフィコ横浜国立大ホール(1994)、東京国際フォーラム(1997)など


「_Days」 という呼び方 
1985年 横浜スタジアム にて行われた 「YOKOHAMA STADIUM 3DAYS 」 (1985年8月27日・28日・29日、動員90,000人)。
現在では、同一の会場で連続して公演が行われる際、「_Days」と表記されることが多いが、本公演がそのはしりといわれている。


「東京ベイエリア」 の名付け親 
現在、東京湾岸地域は一般に 「東京ベイエリア」 と呼ばれることが多いが、
これはTHE ALFEEが 1986年8月3日に 当時 「東京港13号埋立地」(現港区台場・江東区青海地区・品川区東八潮地区)と呼ばれていた、船の科学館近接の未利用地に特設ステージを設けて行った 「10万人(公称)コンサート」 のタイトルを
「1986.8.3 SWEAT&TEARS  TOKYO-BAY AREA 」 と称したことに由来する。


6、 数々の 「伝説のコンサート」  


★史上最高の 「10万人コンサート」 
上記の 「 SWEAT&TEARS  TOKYO-BAY AREA 」(1986.8.3) コンサート、

会場は、現在フジテレビの社屋がある隣附近。
当時は船の科学館しか存在していない 何もない所だったために、幅120メートル、高さ75メートルの巨大なセットを組み、10万人コンサートの名前にふさわしい規模となった。(10万人規模のコンサートは、当時としては史上最高の記録を樹立した) 

会場には公共の交通機関が存在しなかったため、数十台の都営バスを借り切って、営団地下鉄の東陽町駅及び木場駅と会場の間をピストン輸送。 終演は9時過ぎだったが、大人数の為、最後の客が退場できたのは、深夜0時をまわったという。
また開場時間は開演の6時間前に設定され、その間、春ツアーで使用したセットを組み、10組のコピーバンドが前座としてステージに上がったというのも、面白い試み。

※ そのほかにも、

メンバーがステージにて、観客を出迎える  コンサート

前出の1985年 「YOKOHAMA STADIUM 3DAYS 横浜スタジアム」 の際
3日目には開場時間からメンバーがステージに上がり、アコースティック曲を演奏し、観客を迎え入れた。
この前座ライブは20曲以上に及んだ為、一日の総演奏曲数は50曲を超えた。
かなり早い時間帯から演奏したため、1曲目の「過ぎ去りし日々」が始まる頃は、ほとんど観客がいなかった。
なぜなら、観客には事前には知らされずに行われたため、入場して驚く観客の姿が、当時のコンサート映像に残されている。
また、知らなかったがために、開演ギリギリまで外で時間をつぶしていて、この特別前座コンサートを聞き逃し、がっかりしたという観客も多くいたらしい。


オールナイト・コンサート

1987年に、「 SUNSET-SUNRISE 日本平ホテル MUSIC LAND-IN 静岡」(1987年8月8日・9日、動員62,500人)にて、オールナイトコンサートを実施した。
前年のクリスマスに、横浜スタジアムに設置した仮設テントでオールナイトコンサートをやる予定だったが、近隣からの騒音苦情が出たため、夜明け前に終了してしまった。その雪辱戦として急きょ決定したライブだった。

全体を3部構成にし、それぞれの合間には1時間の休憩が挟まれた。
このコンサートの模様は、ニッポン放送オールナイトニッポンが、日本平ホテルの一室から一部、二部ぶっ通しの特別番組として放送、休憩時間中には、メンバーが直接生出演をした。
前半は豪雨にたたられ、楽器に不具合が生じたりもしたが 、 三部に入るとほとんど雨が止み、夜が明けるころには富士山が顔を出した。 
最後は、このライブの為に作られた「Sunset Sunrise Kiss」を初披露。演奏終了後、メンバーはヘリコプターに乗って会場を後にした。    

なお、エンディングの退場の際、高見沢の靴が脱げてしまい 、 勢いでもう片方も脱いで客席へ投げ込み、靴下のままヘリコプターに乗り込んだが、着陸したのは雨上がりの河原であったため、靴のない高見沢は迎えの車まで桜井に背負われて移動した (「THE ALFEE HISTORY II」に、その際の映像がある) という、高見沢らしいオチのオマケ付である。  

( このような 「伝説のコンサート」 が生まれた背景には、バンド・リーダーである高見沢が、新しいもの好き、人のやってないことをやろう、というフロンティア・スピリットの持ち主であること、また、バンドの性格が、人を驚かせたり喜ばせることが大好き、などによるところが大きいと思われる。 )


が、なんといっても スゴイ (きわめつけな) のは・・・


ヒット曲がなくて武道館をいっぱいにした バンド

1982年、「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT -悲しみをぶっ飛ばせ!!」- 所沢航空記念公園(1982年8月6日、動員5,000人) によって、初の野外コンサートを実施したアルフィーだったが、
その最後の方で、感極まった高見沢が 「来年アルフィーは結成して10年になります。来年の8月25日(デビュー日)、何かやります」 と、企画すら起っていない状態にもかかわらず 「何かやります」 宣言をしてしまう。(1974年のデビューだが、バンドが結成されたのは1973年なので)

そして約束どうりの1983年8月24日に、「 OVER DRIVE-ALFEE 8.24 BUDOKAN- 日本武道館」 を開催する。
当日、会場に訪れた1万人の観客全員に、本人たちのプロモーションビデオなどが収録されたビデオテープ(VHS、ベータマックスともに5千個ずつ)がプレゼントされた。 (アルフィーの夏イベには、記念となるチケットが多い。ソノシート、バンダナ、オペラグラス、ビニールシート、ワッペン、ぺンライトなど)
終演後も席を立つ者が無く、アンコールを求める声が止まなかったが、会場に 「SINCE 1982」 の伴奏が流れ始めると(高見沢が舞台ソデで演奏したという説も)次第に静まり、遂には会場一体となって同曲を大合唱した、というエピソードが、「夢さがし アルフィー・高見沢俊彦物語」(渡辺芳子著:1983年CBSソニー出版)  で紹介されているうえ、この大合唱の様子はライブ・ビデオの冒頭に収録されている。
また、当時は、テープの投げ入れもOK、2階席にはファンが用意した、メンバーの巨大な似顔絵のついた横断幕が張られるなど、ファンと一体となったコンサートだった。
これらのエピソードは、アルフィーがファンとともに育ち、支えられて大きくなったという見事な証拠であろう。

( しかしながら、初の武道館なのに衣裳が自前だったこと、それからしばらくもそれが続いたことなど、当時ののどかだった様子などを、先日坂崎がラジオで語っていたが、それもアルフィーらしくはないか・笑。 )


そしてアルフィーが苦節9年の時を超え、 『メリー・アン』 というヒット曲を飛ばして、ようやく世に知られるようになったのは、実にその武道館コンサート後の、その年の秋頃のことである。(シングル発売は1983年6月21日)    





 THE ALFEE とは・・・

THE ALFEE(ジ・アルフィー)は、1974年8月25日にデビューしたJ-POPバンド。EMIミュージック・ジャパン所属。事務所はProject III(プロジェクト・スリー-田辺エージェンシーのグループ会社で1985年3月30日設立。社長はアルフィーのデビュー当初からマネージャーを務め、彼らを支え続けてきた関口登)。
なお、ALFEE (当時はALFIE) という名前は、デビュー当時の所属事務所田辺エージェンシーの社長である田辺昭知が、あるひぃ突然決めた、ということだが、真相は定かではない。
メンバーは当初、甘い感じのするこの名前をあまり気に入っていなかったようだが、次第に気に入り、もちろん今では大好きだという。


メンバーは、
桜井賢 (1955年1月20日埼玉県秩父郡荒川(現秩父市)生まれ、A型。ボーカル、ベース)
坂崎幸之助 (1954年4月15日東京都墨田区生まれ、O型。ボーカル、アコースティックギター)
高見沢俊彦 (1954年4月17日埼玉県蕨市生まれ、A型。ボーカル、エレクトリックギター、バンドリーダー、現在の THE ALFEE の楽曲のほとんど総ての作詞作曲を手掛ける) の3人で、
全員がボーカルを張れるという特徴がある。


元々は、明治学院高校に通っていた桜井賢が、高1の時、音楽好きのクラスメートと「コンフィデンス」 というフォーク・グループを結成。コンテストで入賞するほどの実力があった。
当時都立隅田川高校の生徒だった坂崎幸之助は、コンテストで知り合った別の高校の仲間とバンドを組んでいたが、高3の頃の解散により、顔見知りだったコンフィデンス・メンバーと親しくなり、仲間に加わる。
桜井と坂崎が、そろって明治学院大学に進んだ頃に、同じく明学大に進んでいた、明学高校時代に桜井とは別のクラスでロックバンドを組んでいた高見沢俊彦(桜井と高見沢は、高校時代より顔見知りではあった)と坂崎が知り合い、坂崎が高見沢を自分のバンドに引き入れたことにより、アルフィーの元となるバンドが生まれることとなる。
彼らが大学1年、19歳(桜井は18歳)のころ、1973年のことである。

このように、元々が、音楽が好きで、しかも気の合うことから友達になり、バンドを作ったといういきさつがあるため、彼らはずっと、本当の意味で仲が良く、世間のバンドにありがちな方向性の違いによる仲たがい、などということが起こらず、そのため、解散やメンバー入れ替えがなかったと思われる。

また、鳴り物入りでデビューしたものの、9年間もの間ずっと売れなかったり、ヒットを狙う曲がことごとくはずれ、狙ってない曲(メリー・アン)が予期せずヒットする、などの苦労が多かった  (他の不幸な珍事件に見舞われること数多く、列挙にいとまがないほど・笑)  ためか、人気が出ても溺れることがなく、「ステージの上で演奏すること」 こそが自分たちにとって最も幸せなことだ、と言いきっている。

40年という永きの間、一度も活動を休止、停止することがなかったのも、
1年で2度も全国を回ってコンサートをやり続けるという活動を地道に行えるのも、
苦節時代を含めて彼らをずっと支え続けてくれたファンをとても大切にしてくれていることも、

総ては、この苦節の9年間という修行の場があったからこそ、と言えるだろう。


また、メンバーの3人ともが次男坊、中流以上のごく普通の家庭、地方出身ではないなど、のほほんと育ったため、ハングリー精神に欠け、出世欲やサクセス願望も少なく、音楽で一発当てて有名になりたい、金儲けをしたい、故郷に錦を飾りたいなどとというよりは、
好きだから始めて、次第にのめりこんでいった音楽で、いつか身を立てられたらいいな、くらいの気軽な気持ちで始めた ( 一番早くからプロを目指していたのは坂崎ただ一人で、桜井と高見沢は、それにつられていった感がある。社交的であることも含めて、高見沢の前は、坂崎がリーダーであったことからも、それが伺われる ) ために、変な気負いがなく、挫折感も少なかったと思われる。

( のんびりしすぎでブレイクするのに9年もかかったという説もあるほどで、周りの家庭などの環境がそれを許したというのもあったであろう。実際、たった一人の脱退メンバーは、長男であったために、父の病気により家業を継ぐということでやめたらしいが、同じころ高見沢は、坂崎が早々と2年で、桜井も確か5年で大学を中退したのに対して、アルフィーと並行して8年間大学に通って(在籍して)いたという事実がある。そして今でも、バンドを長続きさせるためには次男坊がいいですよ、と3人でラジオで真顔で語っているほどであるから、夢を実現するためには、家庭などの環境が与える影響も、抜きには語れないところがあるだろう。 )

そして、もともとが仲のいい友達だったために、彼らの間にはお互いを思いやる気持ちがあり、つらい時にもずっと支えあって来れた、3人でいるだけで楽しくて、まるで学生時代の趣味のバンドの延長のようなノリで、苦労を苦労とも思わずに笑い飛ばして来れた (3人の弁)、 というのがあったと思う。 

そういうことも、長続きの秘密なのかもしれない。

ファンの間では、メンバー3人がとても仲がいいことに、楽しさや安らぎを覚えるのだが、
この、『 現代版・おとぎ話 』 のような世界は、まったくもって羨ましい限りである。  
 






※ 以上、事象的なことは、 「ウィキペディア」 等を参考にさせていただきました。
レコードジャケットは、全てサイトよりお借りしましたことを深くお詫び申し上げます。  
(自分では持っていないものがあるため)





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4 コメント

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初めまして (meg)
2014-02-09 08:41:42
フラフラしていたらここに辿り着きました。
あまりに素晴らしかったので、勝手にツイートさせていただいちゃいました。
(^_^;)
もしも不都合がありましたら即削除しますので、宜しくお願い致します。
返信する
ありがとうございます (ネコタ)
2014-02-09 16:38:35
megさん、こちらこそ初めましてです。

辿り着いたということですが、ALFEEファンの方ですか?それともビートルズとかその他からいらっしゃったのですか?
何も不都合などありません。(*^^*)
素晴らしいとおっしゃっていただけたこと、コメントをいただけたこと、大変うれしく思います。

よろしかったら、もう少し感想とかご自分のことなども書いていただけるとなお嬉しく思います。(^^)b
よろしくお願いいたします。
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失礼しました(^_^;) (meg)
2014-02-09 20:08:16
私はアルフィーファンです。
でもアルフィー関連で辿ったわけではないのに、ここへと辿り着きました。
導かれたのでしょうか?(笑)
坂崎さんがキッカケでDear BEATLESへも行くようになり、ビートルズも好きになりました。
そんなわけで(笑)、今年のDear BEATLESも楽しみにしています!
勿論アルフィー40周年も!
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そうだったんですかぁー (ネコタ)
2014-02-10 15:51:46
アルフィー関連でなくて辿りついてしまった(笑)と聞くと、なおのこと、最初のきっかけが知りたくなったりして…(^^;)
でも、やっぱりアルフィーファンの方だったんですね。

坂崎さんがきっかけでDear BEATLESに行くようになってビートルズも好きになったなんて素敵ですね。
そうやって世界が広がるのは楽しいですよね。
私は遠方なのでディアビに行くことはないと思うんですが、40周年は色々と楽しみですね。(^_-)☆

megさん、またご訪問いただけると嬉しいです。
他にも色々と書いてますので、よろしかったらよろしくお願いいたします。(^^)v
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