というパーティーが18日、松本市内で開催され、
上田君のお母さんからご丁寧にもお誘いをいただいたので行ってきました。
17年間の長きに渡り、自分を応援し、支え続けてくれたファンの皆さんや、関係者の方々に、
上田自身が「ありがとうの気持ちを直接伝えたい」という、この言葉がいいではないか。
上田佳範は、昨年17年間のプロ野球現役生活を引退した。
14年に及ぶ日本ハムでの生活から中日にわたり、その間日本一も味わった。
来期からは中日2軍の走塁、守備コーチとして就任することが決まっている。本当に運のいい男だ。
会場からの好きな言葉はなんですか? の問いに「感謝」だと答えた。
プロ入り直前に盛んに言っていた言葉は「挑戦」だった。
好きなことを仕事にできる、
その喜びと苦しみ、
プロという厳しい世界の中で、それこそ彼は筆舌しがたいほどの色んな体験をしてきたであろう。
その世界に17年もいたというのは、おそらく長野県出身のプロ野球選手の中で最多ではなかろうか。
17年プロ野球選手でいたこと。
その間、天国も地獄も、淡々とした日々もすべて味わった。
そんな今だからこそ、彼には2軍のコーチをする力が備わってきているといえるだろう。
もちろん、この仕事も永遠ではない。
そういう危機にさらされつつ生きていくというのは、相当の覚悟がいる。
並の神経ではとても勤まらないだろう。
それでも彼は、野球とかかわって生きていく。
また、そうあってほしいと我々は願っている。
なぜなら彼は、18年たっても、長野県のヒーローなのだから。
ヒーローとして生まれたものは、その宿命を一生背負って生きていかなくてはならない。
かわいらしいドラゴンズ35番のユニフォームを着た愛息に、大きな花束を渡された壇上の上田は、ひとつの仕事をやり終えて、新たなるステージに旅立っていくのにふさわしい、安堵感と、堂々とした希望に満ち溢れて見えた。
上田君、17年のプロ生活、本当にお疲れさま。
そしてこれからも、長野県民に夢を与え続けていってね。
上田君のお母さんからご丁寧にもお誘いをいただいたので行ってきました。
17年間の長きに渡り、自分を応援し、支え続けてくれたファンの皆さんや、関係者の方々に、
上田自身が「ありがとうの気持ちを直接伝えたい」という、この言葉がいいではないか。
上田佳範は、昨年17年間のプロ野球現役生活を引退した。
14年に及ぶ日本ハムでの生活から中日にわたり、その間日本一も味わった。
来期からは中日2軍の走塁、守備コーチとして就任することが決まっている。本当に運のいい男だ。
会場からの好きな言葉はなんですか? の問いに「感謝」だと答えた。
プロ入り直前に盛んに言っていた言葉は「挑戦」だった。
好きなことを仕事にできる、
その喜びと苦しみ、
プロという厳しい世界の中で、それこそ彼は筆舌しがたいほどの色んな体験をしてきたであろう。
その世界に17年もいたというのは、おそらく長野県出身のプロ野球選手の中で最多ではなかろうか。
17年プロ野球選手でいたこと。
その間、天国も地獄も、淡々とした日々もすべて味わった。
そんな今だからこそ、彼には2軍のコーチをする力が備わってきているといえるだろう。
もちろん、この仕事も永遠ではない。
そういう危機にさらされつつ生きていくというのは、相当の覚悟がいる。
並の神経ではとても勤まらないだろう。
それでも彼は、野球とかかわって生きていく。
また、そうあってほしいと我々は願っている。
なぜなら彼は、18年たっても、長野県のヒーローなのだから。
ヒーローとして生まれたものは、その宿命を一生背負って生きていかなくてはならない。
かわいらしいドラゴンズ35番のユニフォームを着た愛息に、大きな花束を渡された壇上の上田は、ひとつの仕事をやり終えて、新たなるステージに旅立っていくのにふさわしい、安堵感と、堂々とした希望に満ち溢れて見えた。
上田君、17年のプロ生活、本当にお疲れさま。
そしてこれからも、長野県民に夢を与え続けていってね。