大変長らくお待たせしました
先日放送された 「日本ウェルネス筑北キャンパス野球部」 のTVドキュメンタリーをダイジェストでお伝えします。
7月30日放送、制作:テレビ信州
このドラマは、信州築北村に新しく開校した高校の野球部と、村人たちとの交流を描いたお話です。
山間の、小さな農村
ウェルネス筑北キャンパスが前年9月に開校、
今年4月、「スポーツコース」 の入学式が執り行われました。
野球部には、
過去通算33年間の監督生活で、春3度、夏8度の甲子園出場を果たし、
県内の高校野球指導者では歴代最多の甲子園通算14勝を誇る名将 中原英孝監督が迎え入れられました。
早くも期待が高まります。
みんなの夢は、やっぱり甲子園。
選手たちは
中原監督の指導に希望が膨らみます。
我が木曽福島町から入学した 熊谷 秀明 くん。FBC(地元、福島ベースボールクラブ)の練習着を着てます。
なぜ、遠くウェルネスを選んだか、いつか機会があったら聞いてみたいですね。
夏の選手権大会に間に合えば、と思っていたのに春季大会からの参加が認められました。
村人の期待も高まります。
ウェルネス高校の新ユニフォームも届き、みんなのやる気も上昇します。
が、活動開始1カ月にも満たない1年生だけのチームは、
上級生の見本や指導もあおげぬまま、練習態度から基本動作まで監督に注意されっぱなし、
この試合も松本工に惨敗してしまいます。
しかしながら、それを契機として一念発起したチームは、
その後、早くも練習試合で対戦が実現した、中原監督の母校 「松商学園高校1年生チーム」 に勝利する、という成長を見せます。
だが、試合を見守る中原監督は
これに甘んじることのない、更なる課題を要求します。
そんな中で行われた、学校と村人との交流 「田植え行事」。
村人も喜んでくれる中で
選手も泥んこになって大はしゃぎ。しばし、厳しい練習の息抜きとなりました。
また、村では 「バッティングゲージ」 を寄付、設置するなど、協力も惜しみません。
村長も大喜び。
春の大会もわざわざ見に行きましたけど、ボロ負けかと思ったら、けっこうよかったですよ。
なかには
野球部用のサツマイモまで作ってくれる人が。
できた野菜を学校に運んでプレゼントしてくれる農家の人たち。
皆さんの善意で、生徒の食事も大助かり。
なかでも感心するのは
人間形成に重きを置く 「中原野球」。
33年間の指導生活の中で一度も欠かしたたことのないという、選手と監督の間を行き来する 「交換ノート(野球ノート)」。
沢山の新聞切抜きの中から、選手一人一人に合った話題の記事を貼り付けます。
話題は、世の中の出来事、地域の生活に関することなど多岐にわたり、野球以外の大切なことも伝えようとしてくれます。
見事としか言いようがありません。
春から夏までに、平日は練習、土日は一日二試合もの練習試合を組み、その数は実に40試合にも及びました。
始動間もない弱小チームが、やがて勝つ方が多くなっていることに驚きます。
春季大会以降エースを任されている 高山 蓮。
中学時代は名ショートだったが、ここにきてキャッチャーを命じられ、
中原にことあるごとに叱られては鍛えあげられた 内藤 智哉 は
夏の選手権大会を前に、キャプテンで4番も打つ 河野 健太郎 も意欲を見せます。
大会を前に 「後援会」 も発足し
「壮行会」 まで開催してくれました。
選手たちも
黙々とバットを振り続けます。
だが、チーム始動から95日目、運命の日がやってきます。
背番号をもらえなかったメンバーのために、中原は、
「外れた人たちも補助員として全員で一つのチームだから、それを忘れないように。」 と言い渡します。
そういいながらも、この日が一番つらいのだと監督は言います。
雨で順延となった
7月14日の諏訪湖スタジアム。
中村さんも農業を休んでかけつけ
食事を担当し、選手の心身を親身になってサポートし続ける丸山さんもスタンドで見守ります。
平日のため、応援団は同校の 「蹴球部」 が買って出てくれました。
試合の動向を見守る中原監督。 この鋭いまなざしは、25年前と少しも変わっていません。
思わぬ活躍にスタンドは大フィーバー。
女子マネも祈るような気持ちで試合を見つめます。
そして、ウェルネス校は、公式戦初勝利をつかみます。
バスの中で急きょ練習した校歌、こんなに早く歌えるとは思ってもみませんでした。 笑顔がはじけます。
「中原節」 も、ひと言ひと言に重みを感じます。
主将 河野君。
捕手 内藤君。
ピッチャー 高山君。
「初めて、みんなの思いをのせたピッチングができた」 と満足げ。
勝利の喜びをかみしめます。 みな、嬉しそう。
さて、つづく三回戦は日曜日。
いよいよ地元吹奏楽団 「ニュージェンタース」 の出番です。
“村のことなので”
「車に乗ってるのに、挨拶してくれて、なんていい子たちなんだって」 団員たちも、心から応援してくれています。
第三試合、7月17日、諏訪湖スタジアム。
前回も100人以上の村民が駆けつけましたが、
初戦を突破したこともあり、300人もの大応援団へと膨れ上がりました。
この日の相手は、春季大会でコールド負けを喫した因縁の松本工。
8回の代打には、
春にチャンスで打てず試合の流れを止めてしまったため、以後控えに回されてしまった副首相の 奥野 史哉 君。
見事センター前ヒットを飛ばし成長を見せるという “ドラマ”付き でした。
試合は結局負けてしまったけれど・・・
中村さんも感慨深げ。
こうしてチームと一緒に戦ってきた村民、父兄たちの夏も終わりを告げます。
頑張る姿が村民にも伝わり、
選手たちもまた、大きな応援をもらっているという自覚が、頑張ろうという気持ちを生む、と。
中原も、村人との交流が大きなエネルギーであることを盛んに伝えます。
左端は中原。
スコアを付ける日々。
山道を登りグラウンドへと通う。
丸山さんは、 「自分は選手の応援団」 といいきり、
早朝5時から夜の8時まで、寮生の3度の、部員の給食面から胃袋と心を支え続ける。
この日は、暖かいパスタを球場まで運ぶ。料理も気持ちも温かい。
それぞれが秋に向けての課題を
主将 河野 健太郎 の確かな目を支えに、チームが一丸となり
一人一人の大きな夢に向かって。
始動約三カ月の、全員が1年生だけのチームが
村民の熱い視線を感じながら
父兄の応援を背に受け、小さな村と熱きグラウンドに旋風を巻き起こす。
これからも、どこまでも、夢と白球を追いかけながら・・・
監督 中原英孝 の挑戦も続く。
みんなで書いた 「ウイニングボール」。 この喜びをいつまでも忘れずに・・・。
※ テレビ画面を写真に撮り掲載させていただきました。
先日放送された 「日本ウェルネス筑北キャンパス野球部」 のTVドキュメンタリーをダイジェストでお伝えします。
7月30日放送、制作:テレビ信州
このドラマは、信州築北村に新しく開校した高校の野球部と、村人たちとの交流を描いたお話です。
山間の、小さな農村
ウェルネス筑北キャンパスが前年9月に開校、
今年4月、「スポーツコース」 の入学式が執り行われました。
野球部には、
過去通算33年間の監督生活で、春3度、夏8度の甲子園出場を果たし、
県内の高校野球指導者では歴代最多の甲子園通算14勝を誇る名将 中原英孝監督が迎え入れられました。
早くも期待が高まります。
みんなの夢は、やっぱり甲子園。
選手たちは
中原監督の指導に希望が膨らみます。
我が木曽福島町から入学した 熊谷 秀明 くん。FBC(地元、福島ベースボールクラブ)の練習着を着てます。
なぜ、遠くウェルネスを選んだか、いつか機会があったら聞いてみたいですね。
夏の選手権大会に間に合えば、と思っていたのに春季大会からの参加が認められました。
村人の期待も高まります。
ウェルネス高校の新ユニフォームも届き、みんなのやる気も上昇します。
が、活動開始1カ月にも満たない1年生だけのチームは、
上級生の見本や指導もあおげぬまま、練習態度から基本動作まで監督に注意されっぱなし、
この試合も松本工に惨敗してしまいます。
しかしながら、それを契機として一念発起したチームは、
その後、早くも練習試合で対戦が実現した、中原監督の母校 「松商学園高校1年生チーム」 に勝利する、という成長を見せます。
だが、試合を見守る中原監督は
これに甘んじることのない、更なる課題を要求します。
そんな中で行われた、学校と村人との交流 「田植え行事」。
村人も喜んでくれる中で
選手も泥んこになって大はしゃぎ。しばし、厳しい練習の息抜きとなりました。
また、村では 「バッティングゲージ」 を寄付、設置するなど、協力も惜しみません。
村長も大喜び。
春の大会もわざわざ見に行きましたけど、ボロ負けかと思ったら、けっこうよかったですよ。
なかには
野球部用のサツマイモまで作ってくれる人が。
できた野菜を学校に運んでプレゼントしてくれる農家の人たち。
皆さんの善意で、生徒の食事も大助かり。
なかでも感心するのは
人間形成に重きを置く 「中原野球」。
33年間の指導生活の中で一度も欠かしたたことのないという、選手と監督の間を行き来する 「交換ノート(野球ノート)」。
沢山の新聞切抜きの中から、選手一人一人に合った話題の記事を貼り付けます。
話題は、世の中の出来事、地域の生活に関することなど多岐にわたり、野球以外の大切なことも伝えようとしてくれます。
見事としか言いようがありません。
春から夏までに、平日は練習、土日は一日二試合もの練習試合を組み、その数は実に40試合にも及びました。
始動間もない弱小チームが、やがて勝つ方が多くなっていることに驚きます。
春季大会以降エースを任されている 高山 蓮。
中学時代は名ショートだったが、ここにきてキャッチャーを命じられ、
中原にことあるごとに叱られては鍛えあげられた 内藤 智哉 は
夏の選手権大会を前に、キャプテンで4番も打つ 河野 健太郎 も意欲を見せます。
大会を前に 「後援会」 も発足し
「壮行会」 まで開催してくれました。
選手たちも
黙々とバットを振り続けます。
だが、チーム始動から95日目、運命の日がやってきます。
背番号をもらえなかったメンバーのために、中原は、
「外れた人たちも補助員として全員で一つのチームだから、それを忘れないように。」 と言い渡します。
そういいながらも、この日が一番つらいのだと監督は言います。
雨で順延となった
7月14日の諏訪湖スタジアム。
中村さんも農業を休んでかけつけ
食事を担当し、選手の心身を親身になってサポートし続ける丸山さんもスタンドで見守ります。
平日のため、応援団は同校の 「蹴球部」 が買って出てくれました。
試合の動向を見守る中原監督。 この鋭いまなざしは、25年前と少しも変わっていません。
思わぬ活躍にスタンドは大フィーバー。
女子マネも祈るような気持ちで試合を見つめます。
そして、ウェルネス校は、公式戦初勝利をつかみます。
バスの中で急きょ練習した校歌、こんなに早く歌えるとは思ってもみませんでした。 笑顔がはじけます。
「中原節」 も、ひと言ひと言に重みを感じます。
主将 河野君。
捕手 内藤君。
ピッチャー 高山君。
「初めて、みんなの思いをのせたピッチングができた」 と満足げ。
勝利の喜びをかみしめます。 みな、嬉しそう。
さて、つづく三回戦は日曜日。
いよいよ地元吹奏楽団 「ニュージェンタース」 の出番です。
“村のことなので”
「車に乗ってるのに、挨拶してくれて、なんていい子たちなんだって」 団員たちも、心から応援してくれています。
第三試合、7月17日、諏訪湖スタジアム。
前回も100人以上の村民が駆けつけましたが、
初戦を突破したこともあり、300人もの大応援団へと膨れ上がりました。
この日の相手は、春季大会でコールド負けを喫した因縁の松本工。
8回の代打には、
春にチャンスで打てず試合の流れを止めてしまったため、以後控えに回されてしまった副首相の 奥野 史哉 君。
見事センター前ヒットを飛ばし成長を見せるという “ドラマ”付き でした。
試合は結局負けてしまったけれど・・・
中村さんも感慨深げ。
こうしてチームと一緒に戦ってきた村民、父兄たちの夏も終わりを告げます。
頑張る姿が村民にも伝わり、
選手たちもまた、大きな応援をもらっているという自覚が、頑張ろうという気持ちを生む、と。
中原も、村人との交流が大きなエネルギーであることを盛んに伝えます。
左端は中原。
スコアを付ける日々。
山道を登りグラウンドへと通う。
丸山さんは、 「自分は選手の応援団」 といいきり、
早朝5時から夜の8時まで、寮生の3度の、部員の給食面から胃袋と心を支え続ける。
この日は、暖かいパスタを球場まで運ぶ。料理も気持ちも温かい。
それぞれが秋に向けての課題を
主将 河野 健太郎 の確かな目を支えに、チームが一丸となり
一人一人の大きな夢に向かって。
始動約三カ月の、全員が1年生だけのチームが
村民の熱い視線を感じながら
父兄の応援を背に受け、小さな村と熱きグラウンドに旋風を巻き起こす。
これからも、どこまでも、夢と白球を追いかけながら・・・
監督 中原英孝 の挑戦も続く。
みんなで書いた 「ウイニングボール」。 この喜びをいつまでも忘れずに・・・。
※ テレビ画面を写真に撮り掲載させていただきました。
ウェルネスが秋の北信越県大会で優勝してから、こちらのページへのアクセスが急増しました。
始めは、中原監督の教え子の野球部員たちで県外に住んでいる方たちはこのテレビを見ることができなかっただろうと思い、その人たちに少しでも様子が伝わるといいなと思い、全編にわたり掲載しました。
ご訪問者はウェルネスの活躍で、もっとウェルネスのことが知りたいと検索された方たちかなと思われるのですが、1年前の記事なのに思わぬところで役立っているのかも、となんだか不思議なご縁を感じたりします。
滝澤さんにお褒めいただきまして恐縮です。嬉しいです。遠方にお住いのようですが、応援する気持ちは同じですよね。
来年もぜひ頑張ってほしいです。(今年の分は近日掲載予定ですのでしばらくお待ちくださいませ。宜しくお願いします。)