なんかこんなことばかりでお恥ずかしい限りですが・・・
実は母が6月3日の夕方くらいから体調を崩しまして、4日の夜にどうも様子が変だったので救急車を呼び病院で検査してもらったところ
尿路感染から腎盂炎 (じんうえん) になっているということですぐ入院、幸い敗血症には至らなかったので点滴治療が上手くいき、よくなれば退院できると言われてホッとしました。
ですが何分にも91(今年の9月で92)歳と高齢なので、40度の高熱を出して入院後2,3日は熱もまだ少しあり色々心配しました。
昨年の6月中旬頃、蜂窩織炎 (ほうかしきえん) という感染症になったときは、腫れたのはひざ下で本人もそれ以外は元気で入院は嫌だというので
私も、2015年正月に母が大たい骨骨折をして2度の手術と3カ月近く入院した時に、毎日お昼と晩のご飯の時と1日2度病院に通い、帰ると父の晩ごはんの世話をする日々にすっかり疲れ切ってしまったので
蜂窩織炎は毎日一度病院に点滴に通えば、家では両親の晩ごはんの世話を1日一回、二人一度にするだけで済むからと私もそっちが楽かと思い、ついに入院せずに治したのですが
(一日一度の点滴は一週間、その後週二回の通院が一回になり、約三週間くらいで回復)
実はそのころから両親の晩御飯を私が作ることになってしまい、両親とは別居なので、つまりは実家と自宅と1日2度晩ご飯を作ること、
しかも母は父と違い、あれを買ってきてほしいとか、これが食べたいとか、自分でできるだけに味付けにまで色々わがままを言うのに日々疲れ切っていたので
これは母が入院すればその間母の食事は病院が作ってくれるから楽かも (父は何を出しても文句を言わないので父だけなら晩ごはんの支度も翌日の炊飯器セットも凄く楽なので)、 とちょっと思ってしまった。(今度は1日2度の病院通いの方が楽かもと思えた)
もちろん、今回は蜂窩織炎と違って体調がすごく悪そうだったので入院でなければ絶対心配だったというのももちろんありますが、
母の入院 (体) の心配と同時くらいに、看護 (世話焼き) の心配が来てしまってなんであるが、それだけ疲れ切っていたせいもあり・・・
幸い、91歳の割には体力と生命力もあったのか、入院翌日から少しずつ熱も下がり食欲も徐々に回復、
そのうち毎日リハビリもしてもらい (嬉しいことに骨折の時にお世話になったリハビリのH先生が今回もついてくださって安心だったし、凄くいい方だし嬉しかったです)
1週間で退院できると言われました。
でもあまりにも急に言われたので準備ができてなくて周りも本人も不安だったため、それから 「緩和(かんわ)病棟」 というのに移って、
6月4日(月)の深夜に入院して、6月14日の木曜日に退院の、10日ほどで退院できました。
そして、病院でゆっくり寝たり、点滴で抗生剤や栄養剤などを入れてもらったせいか、体力面など心配した割にはけっこう元気で、
なんか入院前よりも元気になったのでは? と思えるほど。
それでこんな時に何ですが、前からチケットを取っていたので、アルフィーの春のツアーのひとつが、6月17日(日)岡谷であり、
岡谷は十分日帰りできるのですが、ツイッターを通じて去年あたりから仲良くさせていただいている方が遠方から参加して泊まるというので、
私も便乗して泊まる予定にしていたのを、途中で母の入院があり、コンサートも行かれないかも、ましてや泊まるなんて、と思い直前まで迷ったのですが
思ったより母が元気そうだったのと、入院中私の疲労もピークだったので、夜遅くにあの怖い国道19号をコンサート疲れの後で運転して帰るよりも翌日の方が安全だろう、
ここまで私も頑張ってきたのだから、ホントは何もしないで丸1日家で休みたかったけどそれができないので、
せめてコンサートの後に打ち上げとお泊りをして、申し訳ないけどたまには家族やペットの世話から解放されてのんびりさせてもらおう、
と思い参加させていただきました。
( ちなみに親の方針で店が年中無休の為、どこかに出かけでもしない限り店も親の世話も一日たリとて休めないのです。
しかも、めったにどこへも出かけておりませぬ。 )
実は昨年も、母の蜂窩織炎の点滴の送り迎えをしながらアルフィーの名古屋ファイナルに泊りがけで参加したので・・・
端から見ると、そうまでして参加したいか、とあきれられそうですが、参加したいのです。
参加せずにはいられないのです。
コンサートはホントに楽しくて普段の自分から解放されるのと、30年以上ずっと曲を聞き続け、勇気や力をもらっているので・・・
泣いてしまった曲も2曲ほどあるのですが、素直に泣けることも大事だと思うのです。
なので、アルフィーのコンサートはただのお楽しみとは違う次元で、
自分が参加を決めているのは、年間 約60本 の公演のうちの、ほんの7、8回 (2Daysを2回と数えるとです。1回と数えれば5、6回です。それでもはたから見ると充分多いのでしょうけど) あるのですが、
自分にとって生きる糧、エネルギー源として必要不可欠なので・・・、
まあ、そんなこんなで執筆がすっかり中断してしまいました。
( 入院中はやはり母のことが心配で他のことが手につかなかったのと、やはり1日2度の病院通いは肉体的にも大変で執筆どころではなかったです )
でも、その後も1週間ほどたつのに自分の心身を建て直せていないのは自分のせいなのでお恥ずかしい限りですが、
両親ともに高齢 (父は今年6月で89歳になった) なので、いつ何時何があるかわからないのを肝に銘じつつ、
実は10年前に書籍を発行した時より確実に自分の体力もなくなっており、疲れやすく無理が効かないこともあるので・・・
( あと、言い訳になってしまうのですが、親のうちの晩御飯の支度や片づけ、買い物などを私がしているのでその分時間が減り、疲れも増えているので )
まあ無理をしてもいけないのですが、これから気持ちを引き締めて執筆を頑張りたいと思います。
今回も電子書籍にアップする作業などを、もうかれこれ10年以上お世話になっているパソコンの先生にお願いしているのですが、
出来上がっている分のデータや写真などをお送りする予定になっているので、これから頑張って送り、気持ちを切り替えていこうと思います。
そんなわけで、またまた延期のご報告でお心苦しいのですが
予定としましては 8月27日(月)大安 発行 目指して頑張ります
関係者の皆さま、どうかご理解いただき、ひき続きの応援とご協力を宜しくお願い致します。
昨日、長野大会の組み合わせも決定しました。
今年はずっと試合が長野オリンピックスタジアムなので、ちょっと遠いので行かれるかどうかわからず・・・
なんとか準決勝の松本市民球場まで進んでもらって、ぜひとも応援に駆け付けたいです。
日本ウェルネス筑北ナイン
どうか全力で 最後の夏をきらめいて
がんばれー
実は母が6月3日の夕方くらいから体調を崩しまして、4日の夜にどうも様子が変だったので救急車を呼び病院で検査してもらったところ
尿路感染から腎盂炎 (じんうえん) になっているということですぐ入院、幸い敗血症には至らなかったので点滴治療が上手くいき、よくなれば退院できると言われてホッとしました。
ですが何分にも91(今年の9月で92)歳と高齢なので、40度の高熱を出して入院後2,3日は熱もまだ少しあり色々心配しました。
昨年の6月中旬頃、蜂窩織炎 (ほうかしきえん) という感染症になったときは、腫れたのはひざ下で本人もそれ以外は元気で入院は嫌だというので
私も、2015年正月に母が大たい骨骨折をして2度の手術と3カ月近く入院した時に、毎日お昼と晩のご飯の時と1日2度病院に通い、帰ると父の晩ごはんの世話をする日々にすっかり疲れ切ってしまったので
蜂窩織炎は毎日一度病院に点滴に通えば、家では両親の晩ごはんの世話を1日一回、二人一度にするだけで済むからと私もそっちが楽かと思い、ついに入院せずに治したのですが
(一日一度の点滴は一週間、その後週二回の通院が一回になり、約三週間くらいで回復)
実はそのころから両親の晩御飯を私が作ることになってしまい、両親とは別居なので、つまりは実家と自宅と1日2度晩ご飯を作ること、
しかも母は父と違い、あれを買ってきてほしいとか、これが食べたいとか、自分でできるだけに味付けにまで色々わがままを言うのに日々疲れ切っていたので
これは母が入院すればその間母の食事は病院が作ってくれるから楽かも (父は何を出しても文句を言わないので父だけなら晩ごはんの支度も翌日の炊飯器セットも凄く楽なので)、 とちょっと思ってしまった。(今度は1日2度の病院通いの方が楽かもと思えた)
もちろん、今回は蜂窩織炎と違って体調がすごく悪そうだったので入院でなければ絶対心配だったというのももちろんありますが、
母の入院 (体) の心配と同時くらいに、看護 (世話焼き) の心配が来てしまってなんであるが、それだけ疲れ切っていたせいもあり・・・
幸い、91歳の割には体力と生命力もあったのか、入院翌日から少しずつ熱も下がり食欲も徐々に回復、
そのうち毎日リハビリもしてもらい (嬉しいことに骨折の時にお世話になったリハビリのH先生が今回もついてくださって安心だったし、凄くいい方だし嬉しかったです)
1週間で退院できると言われました。
でもあまりにも急に言われたので準備ができてなくて周りも本人も不安だったため、それから 「緩和(かんわ)病棟」 というのに移って、
6月4日(月)の深夜に入院して、6月14日の木曜日に退院の、10日ほどで退院できました。
そして、病院でゆっくり寝たり、点滴で抗生剤や栄養剤などを入れてもらったせいか、体力面など心配した割にはけっこう元気で、
なんか入院前よりも元気になったのでは? と思えるほど。
それでこんな時に何ですが、前からチケットを取っていたので、アルフィーの春のツアーのひとつが、6月17日(日)岡谷であり、
岡谷は十分日帰りできるのですが、ツイッターを通じて去年あたりから仲良くさせていただいている方が遠方から参加して泊まるというので、
私も便乗して泊まる予定にしていたのを、途中で母の入院があり、コンサートも行かれないかも、ましてや泊まるなんて、と思い直前まで迷ったのですが
思ったより母が元気そうだったのと、入院中私の疲労もピークだったので、夜遅くにあの怖い国道19号をコンサート疲れの後で運転して帰るよりも翌日の方が安全だろう、
ここまで私も頑張ってきたのだから、ホントは何もしないで丸1日家で休みたかったけどそれができないので、
せめてコンサートの後に打ち上げとお泊りをして、申し訳ないけどたまには家族やペットの世話から解放されてのんびりさせてもらおう、
と思い参加させていただきました。
( ちなみに親の方針で店が年中無休の為、どこかに出かけでもしない限り店も親の世話も一日たリとて休めないのです。
しかも、めったにどこへも出かけておりませぬ。 )
実は昨年も、母の蜂窩織炎の点滴の送り迎えをしながらアルフィーの名古屋ファイナルに泊りがけで参加したので・・・
端から見ると、そうまでして参加したいか、とあきれられそうですが、参加したいのです。
参加せずにはいられないのです。
コンサートはホントに楽しくて普段の自分から解放されるのと、30年以上ずっと曲を聞き続け、勇気や力をもらっているので・・・
泣いてしまった曲も2曲ほどあるのですが、素直に泣けることも大事だと思うのです。
なので、アルフィーのコンサートはただのお楽しみとは違う次元で、
自分が参加を決めているのは、年間 約60本 の公演のうちの、ほんの7、8回 (2Daysを2回と数えるとです。1回と数えれば5、6回です。それでもはたから見ると充分多いのでしょうけど) あるのですが、
自分にとって生きる糧、エネルギー源として必要不可欠なので・・・、
まあ、そんなこんなで執筆がすっかり中断してしまいました。
( 入院中はやはり母のことが心配で他のことが手につかなかったのと、やはり1日2度の病院通いは肉体的にも大変で執筆どころではなかったです )
でも、その後も1週間ほどたつのに自分の心身を建て直せていないのは自分のせいなのでお恥ずかしい限りですが、
両親ともに高齢 (父は今年6月で89歳になった) なので、いつ何時何があるかわからないのを肝に銘じつつ、
実は10年前に書籍を発行した時より確実に自分の体力もなくなっており、疲れやすく無理が効かないこともあるので・・・
( あと、言い訳になってしまうのですが、親のうちの晩御飯の支度や片づけ、買い物などを私がしているのでその分時間が減り、疲れも増えているので )
まあ無理をしてもいけないのですが、これから気持ちを引き締めて執筆を頑張りたいと思います。
今回も電子書籍にアップする作業などを、もうかれこれ10年以上お世話になっているパソコンの先生にお願いしているのですが、
出来上がっている分のデータや写真などをお送りする予定になっているので、これから頑張って送り、気持ちを切り替えていこうと思います。
そんなわけで、またまた延期のご報告でお心苦しいのですが
予定としましては 8月27日(月)大安 発行 目指して頑張ります
関係者の皆さま、どうかご理解いただき、ひき続きの応援とご協力を宜しくお願い致します。
昨日、長野大会の組み合わせも決定しました。
今年はずっと試合が長野オリンピックスタジアムなので、ちょっと遠いので行かれるかどうかわからず・・・
なんとか準決勝の松本市民球場まで進んでもらって、ぜひとも応援に駆け付けたいです。
日本ウェルネス筑北ナイン
どうか全力で 最後の夏をきらめいて
がんばれー
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