猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

堀内元、堀内充 『 バレエ・コレクション 』  5.31 めぐろパーシモンホール

2013年06月05日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)

5月31日に、尊敬する、元所属バレエ・スタジオの大先輩で、大好きなダンサーである 堀内充(じゅう) さんと、

今回は、彼の双子の兄で現在アメリカ、セントルイスバレエ団芸術監督の 堀内元(げん)さん が帰国し、

兄弟でそれぞれ2作品を振り付け、上演(充さんはその一つに出演)された、

『 バレエ・コレクション 』 という公演があったので、見に行ってきました。


「充プロジェクト」 としての公演は久しぶりで、

4作品とも素晴らしかったですが、

特に充さんと奥様でいらっしゃる行友裕子さんとの二人だけのデュオ、『 パラフレーズ 』(リスト曲、堀内充振付) が、やはり素晴らしかったです。

あと、堀内元振付の 『 ウェイクアップ 』(ジョー・モッラ曲) も、すごくよかったです。



また、楽屋などで充さんを始め、懐かしい先生方やメンバーの方にもチラッとですが会え(見れ)、

( 袴 雅子 先生が覚えていてくださって、ちょー恥ずかしかったけど、ちょっとだけ嬉しかったです。 
他に、お顔だけですが 遠目で 池田 由美子 先生や 金子としこ さん のお姿なども見えました。 )


また、ずっとアメリカに行っていらしたため、元さんとは今回初めて、ほんの少しですがお話しさせていただき、大変感動しました。

元さんは、セントルイスバレエ団の芸術監督をされて12年になるそうですが、また最近ご自分でも踊られているようで、

ビデオで見ましたが、身のこなしやジャンプの高さなど、未だ健在。

すごいです    



芸術監督になってからは、現役は引退されていたと思うのですが、また、今頃になって再び “踊ってみたい” と思われたというのは、
私たちファンにとっても嬉しい限りです。

また、世界的バレリーナ 吉田都 (-みやこ) さんと、出雲大社を舞台に踊られているようですが・・・

「東京では演らないのですか?」 とお聞きすると
「ミヤコが、そうでなきゃ出ないというので・・・(苦笑)」

とおっしゃっていて、

ミヤコが・・・
だなんて、きゃーーーー   ← ウソウソ…(^^;)

うーむ、出雲大社、行ってみたいけど・・・

ぜひ、トーキョでも、よろしくお願いいたします。




 終演後に、ご挨拶などで舞台裏にお邪魔しました・・・



充君の奥様、行友裕子さん。細くておきれいです。

直接は知らないのですが、バレエスタジオHORIUCHI (ユニークバレエシアター改め) でも教えていらっしゃるようです。




久しぶりにお会いしたのですが、充君はいつもお優しいです。

私は、太ってて、なんか疲れ切ってて恥ずかしいです、写真見ると・大冷汗。



充君の左の方は、バレエスタジオ先輩の 「しげみ さん」。
いつだったか バレエ雑誌『クララ』 の、チャコットのトウシューズ・フィッター (その人に合ったトウシューズをフィッティングするためのお手伝いをしてくれる人のことで、チャコットでは社内認定資格所有者になっているようです) さん として紹介されていました。

右は、スタジオ先輩でもあり、イズミ・ミュージカルアカデミーの一期先輩でもある、
元劇団四季で現在振付家として活躍中の 「吉田 潔」 くん。

先輩をくん付で呼ぶのもなんですが、4つ下 (充君と同い年) なので、つぃ・・・


今回、あまりにも時が経ちすぎていたので覚えていてくださるか自信なく、また、今はそっちの世界とは全然縁遠いことですのでお声はかけず・・・ごめんなさい。

写真を撮ってくれたのは、すべて、一緒に見に行ったイズミ同期のナオミですが、この時充君が手に持っているのが、私の差し上げたお花なのです。




勇気を出して、初めて 充君の双子のお兄様の方、元君にもお声をかけさせていただきましたが・・・

きゃー、元君、笑ってるぅ~。 ほっ。    (写真、ボケてるけど)



元君と充君、一卵性双生児ですが、かなりお顔付が違い、お二人が19歳の時に初めて舞台を見た (イズミ時代、ユニークの 「ニューヨーク留学凱旋公演」 で)  のですが、出逢った頃からすぐに区別がつきました。

元君は精悍でシャープ、充君は甘くソフトな感じです。


しかし・・・

今度お邪魔する時は、もちっとヤセてないと、はずかしー。   





堀内 元 (ほりうち げん、1964年8月29日生れ) 東京都出身。

ユニークバレエシアターを主宰していた堀内完・秀子の長男として生まれ、6歳でバレエを始める。10歳の頃すでにバレエを志すようになり、自宅のスタジオで毎日稽古をしていた。姉のかおり、双子の弟である充 (じゅう) もバレエダンサー。

1979年4月、全国舞踊コンクールのバレエ部門第1位。
翌1980年、15歳にして 『ローザンヌ国際バレエコンクール』 で 「スカラシップ賞」 と 「振付賞」 を受賞、
奨学金を得て 「ニューヨーク・シティ・バレエ団」 (NYCB) 傘下の 「アメリカン・バレエスクール」 に留学する。

父親の反対を押し切って2年目も学校に止まり、ジョージ・バランシンに認められて、
在校中の1982年に新作 『ペルセフォネ』 に出演。
卒業後に正式にNYCBに入団した。

1983年には 『真夏の夜の夢』 で主役オベロンを踊る。バランシンの薫陶を受けたのは2年弱に過ぎなかったが、
1987年にはP・マルテンスの新作 『貴族たち』 で主役ウルブリヒトに抜擢。

1989年、24歳でプリンシパルに昇格。巧みな表現力とテクニックはアメリカでも高い評価を受けた。

バレエだけの人間にはなりたくないとの考えからミュージカルにも進出しており、
ブロードウェイで 『Cats』、 『Song and Dance』 に出演したほか、英国のウエスト・エンドでも同様の出演歴がある。

15年在籍したニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB) を退団後、

1999年に米国ミズーリ州の 「セントルイスバレエ団」 の芸術監督に就任。
師匠であったバランシンに倣い、2000年には傘下のセントルイス・バレエ学校のオーナー兼校長となり、人材育成と興行の両面で活動している。
( 就任当時、同バレエ団には大きな負債があり、専属ダンサーはわずか10名、バレエ学校の生徒も50人しかおらず、存続が危ぶまれていたが、堀内の改革で負債は2年で完済し、生徒数も350人になった。レパートリーも「くるみ割り人形」だけだったのを、ダンサーを20名ほどに増やし、年3回の定期公演開催にまで育てたという。母の実家は商家だが、そういう才にも恵まれていると取れる。)

ローザンヌ国際バレエコンクールの審査員もときおり務めている。

2015年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

振付家としても活躍、20作以上のバレエ小品のほか、全幕物の改訂・新演出も手がけており

1998年の長野オリンピックでは、開会式のフィナーレを飾る 『歓喜の歌』 (ベートーヴェン作曲)の振付を担当した。
(  開会式には元バレエダンサーでタレントの 神田うの も出演している。
猫田はこの年、松本で行われた、堀内元構成、出演の小品集 オリンピック記念公演 『Song and Dance』 を見に行っている。 )


 堀内 充 (ほりうち じゅう、1964年8月29日生れ) 東京都出身。 
以下、幼少期は双子の兄 堀内元 と同じ。

1983年 『ローザンヌ国際バレエコンクール・スカラシップ賞』 を受賞。 兄、元と同じアメリカン・バレエスクールに入学する。

帰国後は、バレエダンサー・振付家として国内外で活躍中。

1994年 グロ-バル森下洋子・清水哲太郎賞受賞。

現在、バレエスタジオHORIUCHI バレエマスター、
大阪芸術大学舞踊コース 准教授、母校の玉川大学芸術学部講師 などを務めながら、ダンサー、振付家としても活躍中。


 なお、猫田が見た上記の公演、

初めての兄弟2人の振付作品の競演となった 『 堀内 元・堀内 充 Ballet Collection 』2013年公演 は
 
第45回舞踊批評家協会賞を受賞致しました。




 バレエスタジオHORIUCHI

http://ameblo.jp/ballet-studio-horiuchi/theme-10042060327.html

 ネコタもかつて通ってました。 

スタジオは、お父様の 堀内完先生 (尊敬する大好きな先生) が主催されていたころは、『ユニークバレエシアター』 という実験劇場的なカンパニーで、
スタジオ (レッスン場) が 劇場 (発表の場) でもあり、 当時流行りの 「アングラ劇場」 っぽく、地下にあるので窓がなく、壁も天井も真っ黒でした。
( いずみたく主催:劇団フォーリーズ本拠地であり、猫田も通ったイズミ・ミュージカルアカデミーもあった 「アトリエ・フォンテーヌ」(現在は取り壊されて存在しない) も同じく地下にあって真っ黒であった。)

現在は、白く塗られ明るい内装になっていますが、スタジオ自体は同じなので懐かしいです。
( 下の写真、玄関エントランスにも見覚えが・・・ )


 堀内 充バレエプロジェクト
http://j-ballet-project.com/





※ ブログと写真掲載は充君のみのご了承は得ております。 (後の方は、許可なくすみません  )
 











最新の画像もっと見る

コメントを投稿