(これは2017年7月31日の記事です)
アメリカのドラマ「イン・トリートメント」については先日も書きましたが、あれからけっこうハマっています。
現在シーズン2の6週目に入りました。シーズンが変わると登場人物も変わります。
アメリカの家族が抱える様々な問題が、それぞれのクライエントを通して浮上してくると同時に、それはセラピストであるポール自身の問題とも重なって見えてきて、その重層したストーリーがよく出来ているなあと感心します。
シーズン2に入ると物語はいっそうシビアなものになります。
たとえば大学生のエイプリルはガンを患っているにも関わらず、弟が自閉症で、母親が弟にかかりきりで忙しいので、両親には知らせないでほしいという。
でも、エイプリルの症状が急激に悪化してきて命にかかわると判断したポールは無理やりエイプリルを病院に連れていき、母親に連絡するのですが、そのことでエイプリルから激しい抗議を受ける。
お母さんには言わないって約束したのに!
でも、命にかかわることだから約束を破ってもそうするのが医者の義務だとポールはいいますが、エイプリルは納得せず怒りまくります。
こうした激しい感情の露出は、やはり日本人にはあまりないよなあ。日本人はたとえそう思っていても表にはあらわさず、影で悪口をいったり陰湿なやり方で仕返ししたりするよなあ、などと思いながら見ているのですが。
こうした文化というか人種の違いによる感情表現の違いは、興味深く面白いのですが、さらに、そうした違いを超えた、人間の共通する心理も実に巧みに描かれていて、それは日本人である私にもよくわかる心理なのですね。
エイプリルに関していえば、あの激しい怒りは、キュプラー・ロスの「死の受容プロセス」の第二段階に当たるかと思います。
第一段階 死の否認と孤立
第二段階 怒り
第三段階 取引
第四段階 抑うつ
第五段階 受容
また、別のクライエントでポールより年上の(70代くらい)ウォルターがいます。彼は大きな会社のCEOですが、会社が製造しているミルクに異物が混入し、それを飲んだ子どもが亡くなるという事件が発生。会社の危機的状況の中で、彼はルワンダに行ってしまった娘をわざわざ迎えに行きます。でも、娘からは余計な口出しをしないで! と突きつけられ、結局会社もクビになります。
それに対して、ポールはウォルターの幼少時のエピソードを掘り起こすのですね。
彼が6歳の頃、高校生だった兄が崖から飛び降りて死にます。自殺ではなく事故死だったのですが、それ以後、家族はバラバラになります。
そこでポールはウォルターに、あなたは兄の死に責任を感じているようだが、兄の死はあなたのせいではない、そして、誰かがあなたのそばを離れると、その人は永久に去ってしまうのではないかと恐れている、だから会社の危機的状況下で、わざわざルワンダまで娘を迎えに行ったのではないか、と指摘します。
そうした心理分析が実に巧みで、毎回、ああそうなのか、とうならされますが、ポール自身もまた、スーパーバイザーであるジーナとセッションする際には、すっかり甘えん坊の患者になってしまいます。
あの常に平静を保ち、クライエントを冷静に客観的に見ているポールとは別人のポールがそこにいて、それも非常に興味深い。
結局、物語全体がクライエントを通して見たポールの物語でもあるのだとわかってきます。
登場するクライエントたちは、ポールの家族であり恋人であり、彼の過去であり現在であり未来でもあるわけです。
シーズン3まで出来ているそうですが、現在、Huluではシーズン2まで見られます。
一気に見てしまうのはもったいないので少しずつ見ていますが、そうすると前に見たの、忘れちゃうんだよね。
(残念ながら2019年現在、配信はすでに終了しています)
英語については、わかりやすい日常会話を使っており、会話だけで成り立っているドラマなので、英語の勉強には持ってこいです。繰り返し見ると会話力が向上するかも。
それにしても、西欧社会のロジカルなモノの考え方は、物事を理解するのにとても役立つけれど、ロジカルなあまりそぎ落とされた部分が沢山あるのではないか、という気もします。そのそぎ落とされた破片、パンの耳、ハムの切れ端、みたいなところがけっこう重要だったりするんじゃないかなあとも思います。
でも、日本の社会にも、もう少しロジカルなモノの考え方が浸透したほうがいいのではないか、という場面も多々あり、どっちがいいとは言い切れないのですが、日本的陰湿さもどうにかならないかと思うことが多いので・・
というように、奥歯にモノがはさまったような表現は日本語独特のもので、持ち味だといえなくもなさそうで、ありそでなさそで、やっぱりなんかよくわからないですね。
全シーズン通して見たらまた書きますね。
アメリカのドラマ「イン・トリートメント」については先日も書きましたが、あれからけっこうハマっています。
現在シーズン2の6週目に入りました。シーズンが変わると登場人物も変わります。
アメリカの家族が抱える様々な問題が、それぞれのクライエントを通して浮上してくると同時に、それはセラピストであるポール自身の問題とも重なって見えてきて、その重層したストーリーがよく出来ているなあと感心します。
シーズン2に入ると物語はいっそうシビアなものになります。
たとえば大学生のエイプリルはガンを患っているにも関わらず、弟が自閉症で、母親が弟にかかりきりで忙しいので、両親には知らせないでほしいという。
でも、エイプリルの症状が急激に悪化してきて命にかかわると判断したポールは無理やりエイプリルを病院に連れていき、母親に連絡するのですが、そのことでエイプリルから激しい抗議を受ける。
お母さんには言わないって約束したのに!
でも、命にかかわることだから約束を破ってもそうするのが医者の義務だとポールはいいますが、エイプリルは納得せず怒りまくります。
こうした激しい感情の露出は、やはり日本人にはあまりないよなあ。日本人はたとえそう思っていても表にはあらわさず、影で悪口をいったり陰湿なやり方で仕返ししたりするよなあ、などと思いながら見ているのですが。
こうした文化というか人種の違いによる感情表現の違いは、興味深く面白いのですが、さらに、そうした違いを超えた、人間の共通する心理も実に巧みに描かれていて、それは日本人である私にもよくわかる心理なのですね。
エイプリルに関していえば、あの激しい怒りは、キュプラー・ロスの「死の受容プロセス」の第二段階に当たるかと思います。
第一段階 死の否認と孤立
第二段階 怒り
第三段階 取引
第四段階 抑うつ
第五段階 受容
また、別のクライエントでポールより年上の(70代くらい)ウォルターがいます。彼は大きな会社のCEOですが、会社が製造しているミルクに異物が混入し、それを飲んだ子どもが亡くなるという事件が発生。会社の危機的状況の中で、彼はルワンダに行ってしまった娘をわざわざ迎えに行きます。でも、娘からは余計な口出しをしないで! と突きつけられ、結局会社もクビになります。
それに対して、ポールはウォルターの幼少時のエピソードを掘り起こすのですね。
彼が6歳の頃、高校生だった兄が崖から飛び降りて死にます。自殺ではなく事故死だったのですが、それ以後、家族はバラバラになります。
そこでポールはウォルターに、あなたは兄の死に責任を感じているようだが、兄の死はあなたのせいではない、そして、誰かがあなたのそばを離れると、その人は永久に去ってしまうのではないかと恐れている、だから会社の危機的状況下で、わざわざルワンダまで娘を迎えに行ったのではないか、と指摘します。
そうした心理分析が実に巧みで、毎回、ああそうなのか、とうならされますが、ポール自身もまた、スーパーバイザーであるジーナとセッションする際には、すっかり甘えん坊の患者になってしまいます。
あの常に平静を保ち、クライエントを冷静に客観的に見ているポールとは別人のポールがそこにいて、それも非常に興味深い。
結局、物語全体がクライエントを通して見たポールの物語でもあるのだとわかってきます。
登場するクライエントたちは、ポールの家族であり恋人であり、彼の過去であり現在であり未来でもあるわけです。
シーズン3まで出来ているそうですが、現在、Huluではシーズン2まで見られます。
一気に見てしまうのはもったいないので少しずつ見ていますが、そうすると前に見たの、忘れちゃうんだよね。
(残念ながら2019年現在、配信はすでに終了しています)
英語については、わかりやすい日常会話を使っており、会話だけで成り立っているドラマなので、英語の勉強には持ってこいです。繰り返し見ると会話力が向上するかも。
それにしても、西欧社会のロジカルなモノの考え方は、物事を理解するのにとても役立つけれど、ロジカルなあまりそぎ落とされた部分が沢山あるのではないか、という気もします。そのそぎ落とされた破片、パンの耳、ハムの切れ端、みたいなところがけっこう重要だったりするんじゃないかなあとも思います。
でも、日本の社会にも、もう少しロジカルなモノの考え方が浸透したほうがいいのではないか、という場面も多々あり、どっちがいいとは言い切れないのですが、日本的陰湿さもどうにかならないかと思うことが多いので・・
というように、奥歯にモノがはさまったような表現は日本語独特のもので、持ち味だといえなくもなさそうで、ありそでなさそで、やっぱりなんかよくわからないですね。
全シーズン通して見たらまた書きますね。