ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

シドニー・ホールの失踪

2019-06-30 11:40:18 | 映画

 

今年もついに半分過ぎてしまいました。
実は風邪をこじらせてしまい、しばらく寝込んでおりました。毎晩咳で眠れない日が続き、これは一体どうしたことかと、ネットで探した呼吸器専門医のところに行ってきました。

気管支炎から喘息になりかけている、ということでしばらく安静が必要。おまけにようやく抜け出したステロイドを大量に処方されてしまいました。やれやれ、抜け出すのに10年以上かかったのに。というわけでまた病人に逆戻り。

こういう時は、ミステリーに限る、というわけで、しばらくミステリー小説を読みふけっていました。

本の魅力というのは、いついかなる時でも別世界に移行できるということでしょう。私たちは、この現実という一つの世界だけではなく、想像の多世界を生きているのですね。

この二週間の間に読みふけったのはこの2作品。

「カササギ殺人事件」(上・下)アンソニー・ホロヴィッツ作 創元推理文庫
 NHKBSで再放送されている「刑事フォイル」が大好きで、この脚本家がアンソニー・ホロヴィッツです。彼の作品なら面白いに違いない、と思い本屋で衝動買いしました。予想に違わず面白くて一気読みでした。お勧めです。


「鉄の絆」(上・下)ロバート・ゴダード作 創元推理文庫
 ロバート・ゴダードは「千尋の闇」を読んで以来のファンです。彼の作品は読み始めたら目が離せなくなる一気読みミステリーなので、こういう時はうってつけ。これはスペイン内乱の話がメインで知らないことが多かったので面白かった。

というわけで、病気もようやく快方に向かいつつあります。おかげでミステリーの魅力にまたハマりそうです。人生、終わりが近づいてくると、結局のところ、子ども時代に慣れ親しんだものに戻っていく気がします。

このブログもそろそろ映画から本に移行しようかしら。とはいえ、本のレビューはけっこう難しいのでどうなることやら。

今日は、終刊したwordpress版「ないない島通信」からの記事を引き続き転載します。
改めて説明すると、wordpress版ないない島通信」はすでに終刊して見られなくなりました。

このブログ「ポケットに愛と映画を」gooブログ「旧ないない島通信」のタイトルを変更したものです。
そもそもは、gooブログ「ないない島通信」からスタート→wordpress版「ないない島通信」へ移行。このためgooブログ「ないない島通信」は「旧ないない島通信」にタイトル変更。
しかしながら、wordpress版「ないない島通信」→終刊→再びgooブログ「旧ないない島通信」に戻る→タイトル改め「ポケットに愛と映画を」・・という経緯です。
ややこしくてすみません。

つまりwordpress版「ないない島通信」が読めなくなってしまったので、昔の記事をここに転載しようと思い、少しずつ移行しているところです。あともう少しです。そしたら、「ポケットに愛と映画を」独自のブログに移行したいと思っています。もうしばらく待ってね。

今日とりあげる映画は「シドニー・ホールの失踪」。これもまたミステリー小説のような映画です。

 

(以下、2018年の「ないない島通信」の記事を転載したものです)

 

さて、久しぶりに映画の話でも。
今日は「シドニー・ホールの失踪」を紹介します。(2017年アメリカ)

けっこうマイナーな映画であまり取り上げられていないようですが、いい映画です。

シドニー・ホールは、高校生の時に書いた小説がヒットしてミリオンセラーになり、売れっ子作家になります。二冊目も同じくミリオンセラーになり、ピューリッツァー賞の候補になりますが、残念ながら賞は逃します。

その直後、彼は失踪し5年間行方知れずになります。
行方不明になったシドニーを追いかける謎の男が登場します。
この男がけっこう重要人物なのだけど、正体は最後の方まで明かされません。

ストーリーは三つの時間軸を行き来するので、最初は混乱します。
高校生のシドニー、売れっ子作家になったシドニー、そしてホームレスになって彷徨い歩くシドニー。
この三つの時代のシドニーをモザイクのように散りばめて、物語は進みます。

見ているうちに少しずついろんなことが明らかになってきます。
一体彼の中の何が彼を失踪させたのか、なぜ彼は自分の本を燃やすのか。

そして、散りばめられたシーンの数々が一つに収斂するとき、私たちは驚くべき真実を知ることになる、そういう映画です。

もうね、シーンの一つひとつが意味ありげで、でもそれぞれがどうつながるのか全くわからず、謎は深まるばかりで、一気に最後まで見させられちゃいます。

一応ミステリーのジャンルに入っていて、確かにミステリーだけど、最後の部分はもう涙なくしては見られません。

一体何が彼を追い詰めたのか、彼は何を訴えたかったのか、最後に全部わかる仕掛けになっていて、背後に横たわるアメリカの闇の深さを(またしても)思い知らされる気がしました。

シドニーの恋人であり、妻となるメロディ(エル・ファニング)がまるで妖精みたいです。
シドニー役は、「パーシー・ジャクソン」等に出演したローガン・ラーマン。まだとても若い。

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時をかける少女

2019-06-26 10:39:45 | 映画

 

(これは2018年7月29日の記事です)

先日TVで「時をかける少女」が放映されたようですが、残念ながら見逃してしまいました。すでに5〜6回見てるのでまあいいんですが。
幸いGYAOでも見られたので、7回目だか8回目だかを見ました。

好きな映画やアニメは繰り返し見たくなります。
子どもが、同じ絵本を何度でも「読んで」とせがむのと一緒。

この映画がなぜ好きか、あまり考えたことなかったのですが、ちょっと考えてみました・・

理由その1 これぞ青春! といった感じだからかな。
学校の教室、グラウンド、自転車置き場、部活・・私が高校生だったのは半世紀以上前のことなのに、つい昨日のことのように思い出されてきます。

また、しばらく高校に勤めていたので、自分の高校時代だけでなく、勤め先の生徒たちの顔も思い浮かびます。私自身の青春、そして彼らの青春。

青春てこうだったよねえ、というのがギュッと詰まったアニメだから。

理由その2 やっぱり時間SFだから。
時間論とか大好きです。アインシュタインは「過去、現在、未来というのは幻想である」と言っていたそうですし、仏教でも、「刹那滅」といって「すべての存在は瞬間的に存在し、瞬間的に消滅する」という考え方があるそうです。

難しい話はさておいて、タイムトラベルものの映画はけっこう見ています。
大御所の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は超有名ですね。これはパラレルワールドもので、最初にパート2を見たとき、時間の流れは一体どうなっているんだろうと悩んだものですが、

最近はタイムループが流行らしく、ロバート・ハインラインの「輪廻の蛇」を映画化した「プリデスティネーション」なんかはすごく面白かった。ちなみにハインラインの「夏への扉」も大好きです。ちょっと古いけど同じ日を何度も繰り返す「恋はデジャ・ブ」も面白かった。「ゴーストバスターズ」のビル・マーレイ主演です。

トム・クルーズ主演の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」やジェイク・ギレンホール主演の「ミッション:8ミニッツ」もタイムループに入り込み、同じ時間を何度も繰り返すという話。「トライアングル」(2月11日の記事)もこのタイプで、意外性に満ちていて面白かった。「バタフライ・エフェクト」もこのジャンルに入るのかな。

自分の意思と関係なくタイムリープしてしまう話では「君が僕を見つけた日」や遺伝的にタイムリープする能力を持った男の話「アバウトタイム」また十何通りもの人生を歩んだという「ミスター・ノーバデイ」など。これらは少々異色のタイムトラベルもので、どちらかというと愛の物語です。

「12モンキーズ」や「デジャヴ」も面白かったなあ。そういえば「ターミネーター」もタイムトラベルものですね。
ちょっと古いところでH・G・ウェルズ原作の「タイムマシン」もけっこう好きです。この中で、未来人がタイムマシンで未来に来たアレキサンダーに言います。恋人が死んだからおまえはタイムマシンを作った。恋人が死ぬ前に戻って助けたら、タイムマシンは作られず、おまえは未来に来ることはできなかったはず。

こうしたタイムパラドックスはタイムトラベルものには付きものですね。

最近ようやく見たのが「ドニー・ダーコ」でジェイク・ギレンホール主演だけど、まだ若い。これ、難解な映画で有名なのですが、要はタイムリープものです。
青春の危うさというのは、時間で表現されると感覚的に捉えやすい。不思議さと危うさの同居した感じがいいです。

というわけで時間SF大好きなんですね。
だからこそ「時をかける少女」が大好きというわけ。
(ちなみに、私は「君の名は。」は好きじゃありません)

でも疑問もいっぱいある。
真琴の自転車を借りた功介と果穂が、踏切で止まれず電車に突っ込んで死んじゃった世界もあった、と千昭がいってますが、タイムリープして過去に戻った場合、功介が死んじゃった世界はどこに行っちゃったんだろうか?

パラレルワールドではいつもそれが謎です。
同じような世界が無数にあって、その一つひとつに私や友人たちがいる、といわれても、私はこの私だけで、分割できない。分割できない私のパラレルワールドって、たとえあったとしても意味があるのか? と思ったり。

で、結局、時間て何だろうか??

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怪物はささやく

2019-06-20 10:13:29 | 映画


(これは2018年1月17日の記事です)


「怪物はささやく」
(J・A・バヨナ監督作品 スペイン、アメリカ合作 2017年公開)

イギリスの作家パトリック・ネスのベストセラー小説が原作です。
スペインのアカデミー賞と言われるゴヤ賞9部門を受賞。
バヨナ監督はギレルモ・デル・トロがプロデュースした「永遠のこどもたち」の監督でもあります。

「永遠のこどもたち」は胸にズシリと来る、忘れがたいダークファンタジーです。そして、今回もまたダークファンタジー。

難病(おそらく末期ガン)の母と二人で暮らしているコナー少年(13歳)は毎晩決まって12:07に悪夢を見ます。
自宅の窓から見える教会が崩壊し、地割れが起き、母がその地割れに引き込まれていく。必死で母の手をつかむけれど、力尽きて手を離してしまう、という悪夢です。

そんなコナーの前に、教会の前にあるイチイの木の精が怪物(モンスター)となって現れ、コナーにおとぎ話をしてくれます。
けれど、三つのお話をしおえたら、コナー自身が四つ目のお話をしなければいけないと怪物はいいます。

母の病状が悪化して入院を余儀なくされ、コナーの世話をするために意地悪な祖母がやってきます。
この祖母がシガニー・ウィーバー。あの「エイリアン」の女性ですね。年とったなあ。
コナーにとっては悪夢の上にさらなる悪夢が重なります。

けれどもこの祖母、一見意地悪に見えるけれど、実は深くコナーとコナーの母を愛していることがやがてわかります。

コナーは学校でもいじめられ、母と離婚した父親がアメリカからやってくるのですが、コナーを引き取ることはできないといいます。
彼は誰からも拒絶され孤独で怒りを抱えています。

そんなコナーに怪物がしてくれるおとぎ話もまた、理不尽この上ない話ばかりで、現実はかくも厳しいものなのだとコナーに突きつけます。

かくして、コナーは三つのお話を聞き終え、最後に彼自身の話をしなくてはいけなくなります。それは、コナーが隠している真実の話でなくてはいけないと怪物はいいます。

さて、コナーの真実の話とは何か?

というのがストーリーですが・・

これ、実によく出来たストーリーで、映画評を見ると絶賛の声もかなりあるのですが、正直いって、私はイマイチだったなあ。

いいお話なのだけど、なぜか感動がわかない。

たぶん、ストーリーが計算されすぎているせいなんだろうと思うのだけど、その計算が見えてしまい、わりと簡単に先が読めてしまう。
最後のコナーのお話も大体予想がつきます。
「永遠のこどもたち」のような意外性がない。
「永遠のこどもたち」は本当に最後にズシリと来るものがあり、一体どうすればこんな悪夢から逃れられるのだろうかと考えこまざるをえない映画でした。

「怪物はささやく」にはそれがない。だから興行成績も今一つだったのでしょう。観客はよく見てますね。

映画というのは、実際のところ、計算やセオリーだけではないのだと教えてくれている気がします。

とはいえ、コナー少年がとてもよかった。
しかも、イチイの木の精である怪物はリーアム・ニーソンが声を担当し、モーションキャプチャーもしています。
怪物のお話に登場するアニメーションもよく出来ている。

何もかもよく出来ているのに、なぜかそれほど感動がわかないという不思議な映画でした。
というのは、あくまでも私の感想で、絶賛している人がけっこういるので観て損はないかも。

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「この世界の片隅に」という映画の気持悪さ

2019-06-18 10:52:50 | 映画

 

(これは2018年1月21日の記事です)

amazonプライムで週末レンタル100円セールというのをやっていたので、前から見ようと思っていたアニメ「この世界の片隅に」を観た。

かなり評判になった映画で、とにかく号泣ものだと聞いていたのだけれど、正直いって、かなり気持悪い映画だった。

この気持悪さは一体何なのだろう。
なぜ皆はこのアニメに感動し号泣したのだろうか。
私には理解不能である。
そこで、気持悪さの原因を少し分析してみることにした。
(映画のストーリー等は割愛します。ネットで見てみてね)
1.主人公のすずという女性があまりに鈍感でバカだ。冒頭の台詞が「うちはようぼーっとした子じゃいわれとって・・」
つまり、ぼーっとしていて何を選べばいいかもよくわからないバカな女性がいい、というメッセージを観客に与える。女性の価値はその程度だと思わせる。
2.129分という長い映画で、些細な日常描写がだらだらと続く。戦時中でも平穏な日常生活がおくれるよ、というメッセージが透けて見える。
3.でも、世界は戦争をしているわけで、彼女たちも呉港に入る戦艦大和など見ている。ドイツのことも話すし、呉は軍港だから水兵さんがようけおって・・という台詞もある。それなのに、この緊迫感のなさはどうしたことか。
4.唯一よかったのは、すずが嫁いだ先の義理の姉。彼女はこの映画の中で唯一自分自身を保っている人物。主人公にするならこの人だ。でも、観客はすずのほうに感情移入する。なぜなら、そういう風に作られているから。

戦時中の庶民の暮らしを描いた映画は他にもあって、たとえば、

「小さいおうち」
(山田洋二監督作品。2014年公開。松たか子主演)

などは同じように戦時中の日常を描きながらも、徐々に戦況が悪化し、人々の暮らしが圧迫されていく様子が見事に描かれており、迫りくる戦争の足音が恐ろしく感じられる。でも、このアニメにはそういう緊迫感が全くない。恐ろしさが伝わらない。

このアニメでは、 人々は少ない配給の食料をどうやって料理して食べるか、といったことばかりを気にかけ、まるで戦争など遠い世界の知らない国の出来事であるかのように日々の暮らしを続けている。

でも、人々は知っていたはずだ。
彼らの兄弟が、夫が、友人が、戦地に行き、傷つき死んでいく事実を目の当たりにしているのだから。
戦争前と同じ暮らしができるはずがない。たとえそのフリをしなくては生きていけないにしても、どこかに必ず、必死さ、緊迫感、悲壮感、あるいは人間の愚かさや邪悪さが見えるはず。そうしたものが全く欠如しているのがこの映画である。

それでいて、いざ自分の身にふりかかるとなると、突然怒りに燃え、号泣するすずという女性は、どこまで鈍感でバカなんだ。最後まで自分の周囲の狭い世界しか見えていない。

日本人の感性はこれほどまでに退化していたのか。
そうではあるまい。
では、なぜ、これほど感性の鈍麻した人を主人公に設定したのか。
そこにこそこの映画の狙いがあるからだ。
これを見た人たちは思うだろう。
人々の暮らしに戦争が影を落としていく中で、それでもけなげに生きていた庶民の暮らしがあったんだなあ・・と。

一方で、日本軍は中国を侵略し、東南アジア諸国で本当にひどいことをしていた。登場人物たちは知らなくても、映画を制作した側は知っている。
では、なぜ、彼らだけが被害者のように描かれる映画を作ったのか。

これはもう戦争プロパガンダ映画以外の何ものでもない、といって差し支えないだろう。
こんな映画で感動している場合じゃない。
もっとしっかりしないと、また同じ過ちを繰り返すことになるよ。
しっかりしなさい、日本人!
と言いたい。

もっと自分の感性を磨こうよ。
何が大事で何が大事でないか、見分ける目を持とうよ。

というわけで、これは観なくていい映画、いえ、
観るべきじゃない映画NO1
に輝いたのでした。ちゃんちゃん。

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アラバマ物語 他

2019-06-17 17:44:23 | 映画

 

(これは2018年6月9日の記事です)

ご無沙汰しておりました。
いったんは失くしたと思ったブログ記事、復活して、やれやれと思ったとたん、なんだか気がぬけて、しばらくサボっていました。

映画はたくさん見ていますが、私の日常も忙しくなってきて、日本語の生徒も増えてきて嬉しい悲鳴をあげているところです。

この年になってもまだまだできることはある、というか、いくつになってもチャレンジはできると思っているので、自分に制限をかけることだけはやめようと思っています。

さて、最近見た映画の話ですが・・
「ゲット・アウト」に衝撃を受け、同じジャンルの映画を立て続けに見ました。
「アラバマ物語」「カラー・パープル」「プレシャス」「それでも夜は明ける」「グレート・ディベーター 栄光の教室」・・
以前書いた「ドリーム」や「ヘルプ」も同じ傾向の映画ですね。

「アラバマ物語」は昔見たのですが、改めていい映画だと思いました。1962年といったら、私がまだ中学生の頃です。グレゴリー・ペックが素敵!
グレゴリー・ペックといえば「ローマの休日」を思い出しますが、「アラバマ物語」でも黒人を擁護するリベラルな弁護士を演じています。

個人的な思い出ですが、ロシア語の通訳をしていた友人が、昔グレゴリー・ペックと同席したことがあると話していました。
どんな人だった? 何を話したの? と矢継ぎ早に聞いたのですが、大勢の人がいたので特別な会話はなく、挨拶程度だったといいます。
でも、彼の隣だったか向かいだったかの席だった、と言ってました。
グレゴリー・ペックと同席! なんて羨ましい!

その友人もすでに亡くなって久しいです。時間のたつのが速い。そして人生は短い、とつくづく思う今日この頃です。

話がそれました。小説でも同じですが、良い作品というのは古びないのですね。

「カラー・パープル」も1985年の映画ですが、ちっとも古くない。この映画でウーピー・ゴールドバーグがデビューしました。スピルバーグはやっぱりすごい。初期の頃からこのクオリティ!
長い映画ですが、すっかりハマること請け合い。まだ見てない方はぜひ。

「それでも夜は明ける」もすごい映画です。原題は"12 Years a Slave" 「12年間奴隷として」という意味です。19世紀末、アメリカのNY州で自由な黒人として成功していたソロモン・ノーサップが誘拐され12年間の奴隷生活を強いられたという実話から作られた映画です。スティーブ・マックィーン監督作品で、ベネディクト・カンバーバッチも出ています。

こうした映画を見るにつけ人種差別の過酷さは、私たち日本人には想像を絶した世界のように思われてきます。でも世界では今もなお過酷な状態に置かれている多くの人たちがいます。日本は単一民族の国なので、そうした問題とは無縁だと思われるかもしれませんが、実際のところ、見えない差別があり、見ようとしない私たちがいるだけです。
いずれ日本も移民を受け入れざるをえなくなるでしょう。その時には、見ようとしなくても、問題が噴出してくることは間違いないと思います。

そうした意味でも、世界で何が起きているのか、知っておくのは大事だと思うのです。映画や小説はその手助けをしてくれます。

「プレシャス」は最初に見たときは、いい映画だなと思ったのですが、二度目に見たときは少し違う印象を受けました。
父親から性的暴行を受け、16歳で二人の子どもを生み、しかも実の母親からも酷い虐待を受けるという、あまりに過酷な境遇に置かれたプレシャス。彼女を助けてくれたのが、学校のレイン先生。読み書きを習い、教室の仲間たちと接するうちにプレシャスの中に自信と希望が生まれ、母親から離れる決心をするのですが、最後に彼女がHIV感染していることがわかります。
乳飲み子を抱えHIVに感染した彼女にどんな未来があるというのだろう。もう少し希望の見える終わり方はなかったのかと思うわけです。
それが彼女たちの置かれている現実なのだ、と突き付けているのでしょうけれど。

一方、「グレート・ディベーター 栄光の教室」は希望の見える映画です。
デンゼル・ワシントンが主演監督脚本を手掛けた作品です。
舞台は1935年テキサス。過酷な黒人差別の状況下で、高校の先生が生徒たちにディベートを通して、言葉で差別を乗り越えろと教えます。生徒たちはディベート競技(というものがあると初めて知りました)に勝ち抜いていき、最後にハーバード大学と決戦して勝つ、というストーリーですが、実話に基づいているというところがすごい。
途中、いろんな試練や挫折があり、実に見応えのある映画です。日本ではあまりメジャーじゃないのが残念ですが、一見の価値ありです。

人種差別に限らず差別問題は根が深く、一筋縄ではいきません。
いくら差別するのは止めようと口で言っても、誰であれ心の底には何らかの差別感情があるのが現実ですね。それを意識するかどうかで現実は多少なりとも変わってくるかもしれない。これは差別じゃない、区別だ、という時、どこかに差別感情がないかどうか、平等であるといえるかどうか・・
意識することから始める、というのも大事だと思います。

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