ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

自分史を書く 2

2017-05-26 20:57:25 | 自分史
歯医者に行ってきました。
定期検診と歯垢除去ですが、この歯医者さん、なかなか面白い人で、
行くたびにいろんな発見があります。

前回は交感神経と副交感神経について話してくれました。
花粉症の人は副交感神経優位なので、交感神経優位にすると花粉症が治まるとか・・
今日は打って変わって、国分寺南口界隈の喫茶店や飲み屋についての世間話。

南口といえば、あそこにピーナッツハウスっていう店があるの知ってますか?
先生がそう言ったとたん、私はたちまち半世紀前の学生時代に引き戻されました。

当時、私は東京経済大学経済学部二部の学生でした。
(東京経済大学は国分寺の南口にあります)
二部というのは大学の夜間部のことです。
昼間働いて、夜になると大学に通っていました。
それを四年間続けたのですが、
二部の学生たちも、授業が終わるとやはり街に繰り出していきます。
授業が終わるのが大体10時過ぎなので、それから行く場所は限られていますが、
(当時の国分寺界隈といったらまるで田舎でした)
その一つがピーナッツハウスでした。
今も残っているのが驚きです。

でも、私たちゼミ仲間がよく行ったのは、もっと南に下がったところにある小さなパブでした。
美人の若いママさんがやっているパブで、
T君やYさんとよく行ったものです。
たしか、T君がママさんにぞっこんだったようで、
飲みに行こうとなると、決まって、じゃあそこに行こうよ、となったのでした。
遠い昔のことで、パブの名前は忘れてしまったけれど、
仲間たちのことは鮮明に覚えています。

当時の学生は皆貧乏でした。
田舎から上京してきて働きながら大学に通っていた人も多く、
働き口はなかなか決まらず、給料も安く、途中で大学を辞めていく人が大半で、卒業できた学生は入学時の3分の1ほどでした。
私は公務員だったので、すごく恵まれていたのですが、
それでも、独り暮らしの生活費と学費を賄うのは容易ではなかった記憶があります。

毎年学年末試験までに学費を払い込まないとテストが受けられないのですが、
テスト前日にぎりぎり学費を納めて、ようやくテストが受けられたとか、
肉屋で肉を50グラム買おうとして断られたとか、
銭湯の時間に間に合わず、何日も風呂に入れない日が続いたとか、
同じクラスのK君にお金を貸してほしいと頼まれ、
必ず返すから、お願いだからと頭を下げられ、5000円貸したけど、
ついに戻ってこなかったとか、
その時のK君のうつむき加減の顔とか、
F君が彼女と同棲していたけど妊娠してしまったみたいだ、どうしようと相談されたこととか、
まあ、
いろいろあったなあ・・
けっこう面白い学生生活だったなあ・・と
本当に久しぶりに思い出したのでした。

おかげで、
口を開けて歯をいじられても、ほとんど気にならず、
ただただ昔の思い出にふけっていられたのでした。


きっかけはいつ訪れるかわかりません。
何気ない一言がきっかけで、たちまち昔に引き戻され、当時のことをありありと思い出していた・・
なんていう経験は誰にもあると思います。

そのときに、メモを取っておくといいかもしれません。

 ピーナッツハウス、学生時代・・
 と私はメモしました。

すると芋づる式に次から次へと思い出されてくるものです。
記憶とは不思議な構造をした建物みたいで、
必ずしも、一階の正面入口から入る必要はなく、途中階や最上階から、あるいは地下室からでも入りこめるようです。

大事なのは、いつも網を張り巡らせて、
記憶の波をとらえ、たとえ小魚でも逃さないようにすることです。
すると、小魚を追ってきた大物が網にかかるかもしれません。
あるいは、雑魚ばかりかもしれないけど、
その雑魚も貴重だったりします。

記憶の迷宮をさまようのも、
たまにはいいかもしれません。
どんな魚が網にかかるか楽しみですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分史を書く 1

2017-05-24 11:23:26 | 自分史

          (明眸社HPより http://meibousha.com/

さて、カタカムナはしばらくお休みして、かさこ塾のプレゼンで紹介した通り、
明眸社とコラボして、自分史を書くお手伝いをしたい、と思っていまして、自分史について少し書いていきたいと思います。
(2016.7.31 の記事「明眸社のエッセイクラブ」/ 2017.3.26 の記事「自分史出版のお手伝い」参照)

自分史とは何か、どう書けばいいのか?
 
とはいえ、正直なところ、私はまだ自分史のお手伝いをしたことがありません。
若い頃、若干それに似た仕事をしたことはありますが、
(インタビューや取材したものを文章にまとめる、あるいは、そうしたものを基にして小説仕立ての本にする等、ゴーストライターの仕事です)
経験不足は否めません。その力量があるかどうかもわかりません。

ただ、70年近く生きてきて、いい時代も苦しい時代も経験しているので、
それだけが強みです。

そこで、自分史を書くとはどういうことなのか、
最初から、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

今、私の手元には、

 「自分史の書き方」立花隆著(講談社)

という本があります。
前にも紹介しましたが、とてもいい本なので、
これから自分史を書こうと思っている方はぜひ読まれるといいと思います。

これを一冊読めば、何をどう書けばいいのか大体わかるので、
私があえて述べるまでもないのですが、
ただ、
立花隆氏とは少し違う視点もあるかなとは思っています。

五年ほど前(明眸社を立ち上げる前)明眸社を主宰しているSさんがこんなことを話してくれました。

 「出版社を立ち上げたいと思っているんだけど・・歌集や自費出版の本を格安で出版できる出版社があるといいと思うし、自分史の本も出せるといいなと思って。あなたも書いてみない?」

そこで、私は、
自分史って何? と思いました。

自分史を書くということは、過去を振り返るということ。
今さら振り返ってどうする? 
ようやく通り抜けてきたのに、大変な思いをして通り抜けてきたのに、
また振り返るなんて、しかもそれを文章にするなんて、
勘弁してほしい・・
それが私の正直な気持でした。

振り返るより、未来を見ていたい。
振り返っても過去は変わらない。ならば、変えることのできる未来をこそ見ていたい。

いってみれば、まあ、
恐ろしかったのですね。
振り返るたびに、その時代に引き戻されそうで、
過去の自分に向き合うのが怖い。
自分史を書こうという人たちは
きっと幸せな人生を生きてきた人たちなのだろう。
そう思っていました。

でも、
いくら私でも、苦しいことばかりではありませんでした。
楽しい時代もあったし、幸せな時代もありました。

 禍福は糾える縄の如し。

まさにその通りの人生でありました・・
って、まだ終わってないけど。

明眸社のエッセイクラブに所属し、これまでに50本近いエッセイを書いてきました。
その中には、子ども時代のことや過去の記録等もあります。
そして、文章にすることによって、過去が鮮明に立ち上がってくる、という事実を目の当たりにして、書くという行為はなかなかのものではないか、と思うに至りつつあります。

つまり、過去は変えられないけれど、過去に対する見方は変えられるのですね。
見方を変えると、人生そのものも違って見えてきます。
これは一種のセラピーといってもいいかと思います。

何より驚いたのは、私に限らず、過去のことを書き始めると記憶が鮮明に蘇ってくることです。
 
 よく覚えているね、そんな細かいことまで。

とよく言われますが、誰でもそうなります。
書き始めると、記憶装置にスイッチが入り、海馬の奥底にしまいこまれていた記憶の断片が少しずつ引き出されていき、そういえばこんなこともあった、あんなこともあったと、次から次へと忘れていた思い出がよみがえってくるのは驚くほどです。

皆さんも試してごらんになるといいと思います。
過去の出来事について、
ひと夏の思い出について、
書きだしてみてください。
びっくりするほど記憶がよみがえってきますから。

そして、
自分を客観視することが出来るようになります。
そして、また、
他人に見てもらうということ、
これも大事です。
自分だけではなく、同時代を生きた人々の記録にもなるし、
時代背景も浮かんできます。
ひいては、歴史そのものの見方にも変化が現れるかもしれません。

書いていくうちに、必ず自分の中で何かが変わっていきます。
その変化を見る楽しみもあります。
自分史にはいろんな方法や使い道があり、使い方によっては大きな人生の転換をもたらす契機にすらなるかもしれません。

というわけで、自分史に興味を持っていただけると嬉しいです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする