ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

危険な情事

2019-09-26 22:14:02 | 映画

 

「天才作家の妻 40年目の真実」のグレン・クローズの怪演ぶりがすごかったので、彼女の初期の代表作、

「危険な情事」(エイドリアン・ライン監督 1987年)

を見てみました。

これ、アカデミー賞にノミネートされた有名な映画みたいです(私は初めてだけど)。

マイケル・ダグラスとの共演で、グレン・クローズがストーカー女を見事に演じています。まさに怪演。
本当にすごい女優さんです。なのにまだアカデミー賞受賞してない。

ストーリーはシンプルで、弁護士のダン(マイケル・ダグラス)が一夜の遊びのつもりでつきあった女性アレックス(グレン・クローズ)にしつこくつきまとわれる話です。

だから不倫はダメよ、家庭を壊すことになるからね、
という教訓が込められた映画なので、世の男性は見たほうがいいかも。

男にとっては一夜の遊びのつもりでも、相手がアレックスのような女性だと身を滅ぼしかねない。

最初はとてもかわいい女だったアレックスが、どんどん豹変して恐ろしいストーカーになる様子が実に段階を追って見事に描かれます。アレックスの心理描写が実に巧み。

男のストーカーも怖いけど、女のストーカーも怖い。

彼らは自分の一方的な思いだけを主張し、相手のことなど一切考えない。
そして、ついに殺意を持って彼の自宅に押し入ります。

最後はお約束の血まみれの攻防劇。
しかも、よりによってバスルームで展開されるというサービスぶり。

そういえばヒッチコックの「サイコ」もバスルームでしたね。

というわけで、とてもシンプルだけど、ホラー映画よりコワーイサスペンス映画でした。

こういうのって、見始めると癖になるね。

(追記:ちなみに「ブリジット・ジョーンズの日記」(最初のやつ)で、ブリジットが部屋でタバコをふかしながらTVを見ている、そのTVに映っているのがこの「危険な情事」なんです)

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天才作家の妻 40年目の真実

2019-09-23 19:15:50 | 映画

 

amazonプライムで見た映画

「天才作家の妻 40年目の真実」(ビョルン・ルンゲ監督 スウェーデン、アメリカ、イギリス合作 2017年)

を紹介します。

女性の視点から描かれた夫婦の物語で、女性なら共感できるところがたくさんありますが、同時に、それってどうよ? というところもけっこうある映画です。

メグ・ウォリッツァーの小説を基にした作品で脚本も女性なので、おのずと女性の視点で描かれており、男女格差の現実を反映する作品になっています。

タイトルからしてネタバレなので、ネタバレ全開で行きたいと思います。

ノーベル文学賞の受賞が決まり、夫婦でストックホルムの授賞式に参列するジョセフ・キャッスルマンと妻のジョーン。

二人は実に仲睦まじい初老の夫婦に見えますが、実はノーベル文学賞を受賞した彼の作品は妻が書いたものだったのです。彼の作品はすべて妻の手によるものだった。

そりゃないだろ、というのが最初の印象。
だって、ノーベル文学賞よ!
芥川賞や直木賞ならいざ知らず、世界のノーベル文学賞を受賞した作品が本人ではなく妻の手によって生みだされたものだなんて、二人につきまとう記者のナサニエルじゃなくても、勘のいい人にはわかるはず。陰で噂になり、ゴシップ記事が書かれていてもおかしくない。

それはともかく、問題はこの夫婦。
大学で文学を教えていたジョセフ、その教え子だったジョーン。
ジョセフはジョーンと不倫し、妻と別れてジョーンと一緒になるのですが、その頃からジョーンの才能はジョセフをはるかに上回っていた。過去の回想シーンが何度か出てきて、そのたびにジョセフの無能ぶりが明らかになります。

女性作家というだけで本が売れなかった時代に、ジョーンは夫のゴーストライターの地位に甘んじ、彼を支えながら(何しろ浮気しまくるのよ、この夫)夫の名前で、作品を書き続けていたのです。

夫は自分の作品の登場人物の名前すら覚えていないボンクラなのだけど、ジョーンはこの夫を実に巧みに操りながら、自らの作品を生みだし続けるのですね。

映画「幸せの絵具 愛を描く人モード・ルイス」(7月26日の記事)でも書きましたが、女が作品を描き続けようと思ったら、賢くなくてはいけない。夫を巧みに操って、自分の希望を叶えさせる、それ以外に女性が取るべき方法がなかった。そういう時代が長く続きました。

今回も同じように、ジョーンは夫を巧みに操りながら、夫の名前で作品を発表し続けます。それ以外に作品を書き続ける方法がなかったから。とにかくジョーンは書き続けたかった、その思いは痛切です。

夫はそのジョーンに甘えて、彼女の作品を自分の名前で発表し続けるのです。
共著という手だってあったはずなのに、彼はノーベル賞の会場で他の参加者たちに「妻は書かない」とはっきり言ってしまうのですね。それにカチンときたジョーンはついに夫を見限る覚悟を決めます。

でも、彼はノーベル賞受賞式の前にあっけなく心臓発作で死んでしまいます。
なんて幸運な男だ。

ここで死なせちゃいかんよ! と私は思ったけど。

最後のシーンで、ジョーンは帰りの飛行機の中でノートの白紙の部分を膝に広げて遠くを見つめます。

さて、これからどんな世界が広がっているかしら。私は世界に何を発信しようかしら。

ようやく見えてきた希望の光ですね。

でも、こんなになる前にもっと早く夫を見限るべきだったんじゃないの。あんなクズ男に生涯をささげるなんて、私には理解不能ですわん。

彼を愛していたって、ホンマかいな。

「浮気のたびにあなたは泣いて謝り、私は毎回許した」とジョーンは夫に言います。

「それならなぜ僕と結婚した?」と聞かれたジョーンはついに切れて彼に言い放ちます。

「その怒りを小説にしたの。私は怒ったり悩んだりする代わりに、この場面をどうしたら描ける? どう言葉にする? って。私の小説はその結晶よ!」

「私の言葉、私の痛み、私の孤独だわ。あなたの裏切りを作品に昇華したのよ!」

それこそが、ジョーンの女としての、いえ作家としての執念だったのかもしれません。
夫の浮気も彼女の忍耐も、すべては無駄ではなかった、ということか。

でも、もっと早く夫を見限り自ら歩みだすことだってできたはず、と私は思うんですけどね。

ともあれ、グレン・クローズの怪演が見所の一つです。
アカデミー賞に7回もノミネートされていながら受賞していない、というのもどこかこの映画に通じるところがある。すごい女優だと思います。

ノーベル賞の授賞式の映像も、ノーベル賞ってこんな感じなのね、と面白かった。

女の執念、というか作家の執念を描いた作品だともいえそう。
賛否両論あるとは思うけど、女性は一見の価値ありです。

 

 

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めぐり逢わせのお弁当

2019-09-20 20:10:44 | 映画

 

今日はインドの映画を紹介します。

「めぐり逢わせのお弁当」(リテーシュ・バトラ監督作品 2013年)

インド映画にしては珍しく、歌や踊りが出てきません。シリアスなラブロマンスです。

これを見て、インドのムンバイで実際に行われている「ダッバーワーラー」というお弁当配達システムのことを知りました。

会社勤めの夫のために、妻たちが午前中時間をかけてお弁当を作る、そのお弁当の配達を生業としている人たちがいるのですね。ムンバイでは125年の歴史を持つというから、古い職業です。
鉄道、バス、自転車などを駆使して会社に配達します(配達するだけじゃなく空の弁当箱を回収して自宅に届けもします)、誤配率は600万分の一というからすごい。

でも、その600万分の一の誤配から生まれたのが、この物語。

(以下ネタバレです)
主人公のイラは夫のために毎日お弁当を作ります。
上の階にいるおばさんと声だけのやりとりをしながら作るのですが、このおばさん、最後まで姿を現さない。声だけでイラにあれこれ料理の指南をします。イラもおばさんを頼りにしている。

ある日、イラの作ったお弁当が保険会社のサージャンという男に誤配されます。
サージャンは数年前に妻をなくして一人暮らし。50代で、早期退職を考えています。
いつもは弁当屋の弁当を食べるのですが、この日は手作りのおいしい弁当で、サージャンはその味にびっくりします。翌日もまた同じ弁当が配られます。どうやらダッバーワーラーはサージャンをイラの夫と間違えて配達したようです。

イラは間違って配達されたことを知り、お弁当に手紙を忍ばせます。サージャンは返事を書きます。とても美味しかった、と。

ここからサージャンとイラの手紙のやりとりが始まります。
そしてそれは相手を思いやる「想い」へと変化していきます。イラは夫の浮気を打ち明け、サージャンは妻をなくしたことを打ち明けます。

短い手紙のやりとりが実にいい。
人は想像力を働かせることにより、自らの中でストーリーを作りあげるのですね。
実際に目の前にいる人物より手紙の向こうの人物に惹かれる、というのはよくあることです。
イラとサージャンのように、人生がうまくいかない時はなおのこと。
手紙の内容はその日によって違いますが、時にユーモラスで、思わずクスリと笑ってしまいます。

そして、ついに二人は会おう、ということになるのですが…

ここが実にリアルです。

サージャンはその朝、鏡に映った自分の顔をまじまじと見て、もう若くないことを改めて自覚します。新しい恋に走るには歳を取り過ぎた、と思うのです。

喫茶店でサージャンを待つイラを遠くから眺めるサージャン。

けれども、やはりあきらめきれないサージャン。

果たして、この二人の恋の行方は・・

というのが物語のすべてで、最後は視聴者に委ねられるという仕掛けです。

途中で、サージャンの後継者として若者が入社してきますが、彼が帰りの電車の中でいう台詞があります。

「母が言ってた。人は時に間違えた電車でも正しい場所に行き着く、と」

これがこの映画のテーマで何度か出てきます。

果たしてサージャンとイラが乗った電車は正しい場所に行き着くのか、それとも・・
余韻を残して映画は終わります。

主人公のサージャンを演じているのが、「ライフ・オブ・パイ」に登場するイルファン・カーンです。

四段重ねのお弁当が美味しそう!
そして、ムンバイの街並み。インドの街ってこうなのね!

この映画、リテーシュ・バトラ監督の初長編作品というから驚きます。

人生って、時に600万分の一の確率で何かをもたらしてくれるのですね。

しみじみといい映画なので、まだの方はぜひ。

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シドニー・ホールの失踪 ②

2019-09-17 13:22:21 | 映画

 

amazonプライムで「シドニー・ホールの失踪」を見ました。今回で三度目。

去年ブログ(ないない島通信)に書き、その記事をここに転載したので(2019年6月30日の記事参照)、同じ映画で記事をアップするのは今回で三度目になりますが、見れば見るほど、心に浸みてくる映画なのでくどいようだけど、もう一度取り上げます。

「シドニー・ホールの失踪」(ショーン・クリステンセン監督 2017年)

前にも書いたけど、この映画、最初は少し混乱します。
三つの時間軸(高校生~30歳)が短時間で入れ替わりながら進行するのですが、シドニーを演じているローガン・ラーマンが童顔のため、どれがどの時間軸のシドニーなのか見分けがつかない、という欠点があります。

シンプルなシドニーは高校生、眼鏡をかけているのが作家として成功したシドニー、そして髭面なのが最後の放時代のシドニー。

基本的にミステリー仕立てになっているので、ここからはネタバレ全開で行きたいと思います。じゃないと大事なことが書けないから。

この映画は現代のアメリカの闇を描いていると同時に、日本でも最近話題になった児童虐待について描かれています。

物語の中で、幾つかの謎が登場します。
「なぜ、シドニー・ホールは自分の本を焼いたのか?」
「なぜ、シドニー・ホールは大きな成功を手にしながらすべてを投げ出して一人放浪の旅に出なければならなかったのか?」
そして、
「なぜ、ブレットは死ななければならなかったのか?」

最後の謎が最も大きな謎で、最後の最後に謎解きがされるのですが、
それまで、私たちはわけがわからない彼の行動を、頻繁に行き来する時間軸の中で、わけがわからないまま追いかけていくということを強いられます。

ミステリーやサスペンスの醍醐味というのは、この「わからない状態」に放りだされ、しばらくの間、その中で放置されるということでしょう。

視聴者(あるいは読者)は、彼に何が起きたのかわからず、想像を巡らせて、ああではないか、こうではないかと推理するわけですが、優れたミステリーは視聴者の想像を必ず裏切ります。

この映画もまさにそうで、最後の最後に明らかになった真実に、私たちは呆然とし、あるいはその理不尽さに憤り、最後に涙せずにはいられない、という仕掛けになっています。

冒頭でシドニー・ホールの成功のきっかけとなった国語の作文の授業が登場します。
彼の作文は優れていますが下品なので教師の顰蹙を買います。でも、彼の才能を見抜いて応援してくれる教師もいます。そして、同じクラスのブレットも彼の才能を高く評価し、

「いつか俺の話を書いてくれ」と言います。

でも、ブレットはその作品を見ずに自殺してしまう。

ブレットはラグビー部の主将ですごくカッコいい男なのに、クラスメイトのチャンをいじめています。シドニーはそんな彼のいじめをやめさせようと、ブレットの提案を飲みます。

ブレットの提案というのは、
小学生の頃、二人で山に埋めた物を掘り返したいけど、場所がわからないので手伝ってほしい、というものです。
チャンのいじめをやめたら手伝ってやる、とシドニーは答えます。

かくして、二人はシャベルを持って山にいき、ブレットが埋めた缶を掘り出し、ブレットはそれをシドニーに預けます。

缶の中には一体何が入っているんだ?

気になったシドニーは結局その缶を開けるのですね。

でも、これは映画の終盤近くになってようやく語られるエピソードで、それまでは、彼が若くして作家として成功した経緯、彼の育った家庭、恋人で後に妻となったメロディーのことなど様々なエピソードが散りばめられていて、なかなか核心には行き着きません。

ブレットは缶をシドニーに預けた次の日、自殺します。

一体ブレットに何があったのか?
     ・
     ・
     ・

缶の中にあったのは一本のビデオテープで、ブレットが小学生の頃、隠し撮りした父親のビデオです。そのビデオに映っていたのは、父親が中学生の女の子と性行為をするところで、ブレットの父親は裁判官という社会的地位にもかかわらず、こうした行為を繰り返し、なおかつブレットと彼の妹をも虐待していた事実が明らかになります。

でも、ブレットは父親を恐れていて告発することができない。ビデオテープは彼の最後の頼みの綱、唯一の証拠だったのです。

これを証拠にして警察に届けたほうがいいとシドニーはブレットに言います。
ブレットもついにその気になります。
彼にとってシドニーは唯一の力強い味方だったのです。

ところが、シドニーの母親(少々頭のおかしい母子密着型のどうしようもない母親)が彼の部屋でこのテープを見つけ、こんな汚らわしいものを見るなんて、といってテープを暖炉の火に投げ込んでしまうのですね。もちろんシドニーの言い分なんて一切聞こうとはしません。

こうして、ブレットの父親を糾弾するための唯一の証拠は消え、ブレットは自殺します。
シドニーは彼をモデルとして小説を書き、それがベストセラーになるのですが、結局自責の念に堪え切れず、また母親の暴力で受けた頭の傷がもとで幻覚を見るようになり、最後は若くして亡くなってしまいます。

家族を虐待する社会的地位のある父親、そして、母子密着で自分と息子の区別がつかない狂った母親、によって、彼らは抹殺されてしまうわけです。

要約すれば、そういう話なのだけど、シドニーそしてブレット、彼らの一番ピュアな部分はかろうじて守られたのかな、という気はします。

父親の暴力を告発することはもちろん大事だけど、どうすれば自らの魂を穢すことなく、自らを守ることができるか・・というのがこの物語の隠れたテーマでもあったのではないか、と今回思ったわけです。

彼がただ一人愛した女性、メロディが思わぬ事故で死んでしまった、という事実も彼に追いうちをかけます。
そうした様々なことが彼にのしかかり、また、ブレットを死に追いやった責任から逃れることはできないと悟り、シドニーはすべてを捨てて放浪の旅に出ます。
自らの命が長くないことを知り(MRIで脳の損傷が判明)覚悟を決めて、メロディとの約束を果たしに行きます。

彼を追い続けた謎の男が登場しますが、彼はシドニーとピューリッツアー賞を争った作家のフランシス・ビショップで、いってみればシドニーを背後から守り導くエンジェルのような役目を果たしています。

死によってしか守ることができない魂の純潔、というと何やら大げさに聞こえますが、そういうものも確かにあるんだろうな、と宗教的ではない私も感じるところがありました。

妖精のようなメロディ(エル・ファニング)はイノセントを象徴しているのでしょう。

アメリカの深い闇を描いてはいますが、同時に、イノセント、そして魂のピュアな部分というのも、この映画の隠されたテーマではないかと、三度目の鑑賞で思った次第です。もしかすると、まだ何か隠されたテーマがあるかもしれません。

すごくいい映画で、いつまでも心に残る映画ですので、まだの方はぜひご覧になってくださいまし。

 

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傘がない!(その2)

2019-09-14 13:08:15 | 日記

 

前回は「傘がない!」というお恥ずかしい日記を書いてしまいましたが、

えー、「傘がない」といえば、ほら、あの、えっと・・

そうそう、

井上陽水

ですね。(時間かかりすぎ…)

若い頃、井上陽水のファンでした。

いいよねえ、彼の歌。
知らない人はいないと思うけど、もしかするといるかもしれないので、
念のため、井上陽水の「傘がない」の歌詞を出だしだけ書いておきますね。

        傘がない

   都会では自殺する若者が増えている
   今朝来た新聞の片隅に書いていた
   だけども問題は今日の雨 傘がない

   行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
   君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ

   つめたい雨が今日は心に浸みる
   君の事以外は考えられなくなる
   それはいい事だろう?
       ・
       ・

最後にリフレインで
「行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 雨にぬれて行かなくちゃ 傘がない・・」

グッとくるでしょ。メロディーがつくともっとグッとくるんだけど。
この歌を私の目の前で歌ってくれた奴がいましてねえ、
はるか昔のことですが。
ああ、遠い日の青春よ・・・てな感じか。

井上陽水の歌にはこんなのもあります。

     夢の中へ

   探しものは何ですか?
   見つけにくいものですか?
   カバンの中もつくえの中も
   探したけれど見つからないのに

   まだまだ探す気ですか?
   それより僕と踊りませんか?
   夢の中へ 夢の中へ
   言ってみたいと思いませんか?
     (中略)
   探すのをやめた時
   見つかる事もよくある話で
   踊りましょう 夢の中へ
   行ってみたいと思いませんか? 
         ・
         ・
私の傘も探すのをやめた時、見つかるかしら? 
パン屋さんで見つけた最初の日傘みたいに・・

ともあれ歌詞だけじゃわからん、という人はぜひ、YOUTUBEなどで聞いてみてくださいまし。

ところで、最近、井上陽水の歌詞を英訳した人がいましてん。

ロバート・キャンベルさんですね。
キャンベルさんは入院中に井上陽水の歌を聞いていたそうです。
そして、毎日一曲ずつ英語に翻訳していったといいます。

《井上陽水の歌詞に通底しているのは、ある「幸せ」や「価値観」に対して、ちょっと待ってよ、という哲学的な問いがあるんです。人がどう生きるのかという思索的な問いがある。》

とキャンベルさんは言います。

主語が省略され、時制も曖昧な日本語を、主語と時制がきっちりしている英語に翻訳するのは至難の技だと思います。

たとえば歌詞の中にある「探し物」という言葉は英語にはない。「落とし物」ならあるけど。すごく大事な物を落としたので見つけないといけない。でも、「探し物」は「今」まさに探そうとしていて、まだ見つけていないもの、というわけで、

「What is it you're looking for?」

と訳したそうです。

探し物の中には人が生きるとは何か、何のために生きるのかという哲学的な問いがある、というのですね。

こうしたことがキャンベルさんの本(冒頭の写真)

「井上陽水英訳詞集」ロバート・キャンベル著 講談社(2019年刊 ¥2916)

にはいっぱい詰まっているそうで、これはぜひ読んでみたいと思うのですが、高いのよねえ、これが。

興味のある方はぜひ図書館でご覧になるといいのではないかと思います。

井上陽水もぜひ聞いてみてね。今も大ファンですねん。

果たして私の傘は見つかるかしらん。
それとも夢の中で踊ろうかしらん・・

 

 引用は以下のサイトから。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/inoue-yosui-eiyaku_jp_5d09c8b7e4b06ad4d2583a7a

 

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