amazonプライムで「シドニー・ホールの失踪」を見ました。今回で三度目。
去年ブログ(ないない島通信)に書き、その記事をここに転載したので(2019年6月30日の記事参照)、同じ映画で記事をアップするのは今回で三度目になりますが、見れば見るほど、心に浸みてくる映画なのでくどいようだけど、もう一度取り上げます。
「シドニー・ホールの失踪」(ショーン・クリステンセン監督 2017年)
前にも書いたけど、この映画、最初は少し混乱します。
三つの時間軸(高校生~30歳)が短時間で入れ替わりながら進行するのですが、シドニーを演じているローガン・ラーマンが童顔のため、どれがどの時間軸のシドニーなのか見分けがつかない、という欠点があります。
シンプルなシドニーは高校生、眼鏡をかけているのが作家として成功したシドニー、そして髭面なのが最後の放時代のシドニー。
基本的にミステリー仕立てになっているので、ここからはネタバレ全開で行きたいと思います。じゃないと大事なことが書けないから。
この映画は現代のアメリカの闇を描いていると同時に、日本でも最近話題になった児童虐待について描かれています。
物語の中で、幾つかの謎が登場します。
「なぜ、シドニー・ホールは自分の本を焼いたのか?」
「なぜ、シドニー・ホールは大きな成功を手にしながらすべてを投げ出して一人放浪の旅に出なければならなかったのか?」
そして、
「なぜ、ブレットは死ななければならなかったのか?」
最後の謎が最も大きな謎で、最後の最後に謎解きがされるのですが、
それまで、私たちはわけがわからない彼の行動を、頻繁に行き来する時間軸の中で、わけがわからないまま追いかけていくということを強いられます。
ミステリーやサスペンスの醍醐味というのは、この「わからない状態」に放りだされ、しばらくの間、その中で放置されるということでしょう。
視聴者(あるいは読者)は、彼に何が起きたのかわからず、想像を巡らせて、ああではないか、こうではないかと推理するわけですが、優れたミステリーは視聴者の想像を必ず裏切ります。
この映画もまさにそうで、最後の最後に明らかになった真実に、私たちは呆然とし、あるいはその理不尽さに憤り、最後に涙せずにはいられない、という仕掛けになっています。
冒頭でシドニー・ホールの成功のきっかけとなった国語の作文の授業が登場します。
彼の作文は優れていますが下品なので教師の顰蹙を買います。でも、彼の才能を見抜いて応援してくれる教師もいます。そして、同じクラスのブレットも彼の才能を高く評価し、
「いつか俺の話を書いてくれ」と言います。
でも、ブレットはその作品を見ずに自殺してしまう。
ブレットはラグビー部の主将ですごくカッコいい男なのに、クラスメイトのチャンをいじめています。シドニーはそんな彼のいじめをやめさせようと、ブレットの提案を飲みます。
ブレットの提案というのは、
小学生の頃、二人で山に埋めた物を掘り返したいけど、場所がわからないので手伝ってほしい、というものです。
チャンのいじめをやめたら手伝ってやる、とシドニーは答えます。
かくして、二人はシャベルを持って山にいき、ブレットが埋めた缶を掘り出し、ブレットはそれをシドニーに預けます。
缶の中には一体何が入っているんだ?
気になったシドニーは結局その缶を開けるのですね。
でも、これは映画の終盤近くになってようやく語られるエピソードで、それまでは、彼が若くして作家として成功した経緯、彼の育った家庭、恋人で後に妻となったメロディーのことなど様々なエピソードが散りばめられていて、なかなか核心には行き着きません。
ブレットは缶をシドニーに預けた次の日、自殺します。
一体ブレットに何があったのか?
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缶の中にあったのは一本のビデオテープで、ブレットが小学生の頃、隠し撮りした父親のビデオです。そのビデオに映っていたのは、父親が中学生の女の子と性行為をするところで、ブレットの父親は裁判官という社会的地位にもかかわらず、こうした行為を繰り返し、なおかつブレットと彼の妹をも虐待していた事実が明らかになります。
でも、ブレットは父親を恐れていて告発することができない。ビデオテープは彼の最後の頼みの綱、唯一の証拠だったのです。
これを証拠にして警察に届けたほうがいいとシドニーはブレットに言います。
ブレットもついにその気になります。
彼にとってシドニーは唯一の力強い味方だったのです。
ところが、シドニーの母親(少々頭のおかしい母子密着型のどうしようもない母親)が彼の部屋でこのテープを見つけ、こんな汚らわしいものを見るなんて、といってテープを暖炉の火に投げ込んでしまうのですね。もちろんシドニーの言い分なんて一切聞こうとはしません。
こうして、ブレットの父親を糾弾するための唯一の証拠は消え、ブレットは自殺します。
シドニーは彼をモデルとして小説を書き、それがベストセラーになるのですが、結局自責の念に堪え切れず、また母親の暴力で受けた頭の傷がもとで幻覚を見るようになり、最後は若くして亡くなってしまいます。
家族を虐待する社会的地位のある父親、そして、母子密着で自分と息子の区別がつかない狂った母親、によって、彼らは抹殺されてしまうわけです。
要約すれば、そういう話なのだけど、シドニーそしてブレット、彼らの一番ピュアな部分はかろうじて守られたのかな、という気はします。
父親の暴力を告発することはもちろん大事だけど、どうすれば自らの魂を穢すことなく、自らを守ることができるか・・というのがこの物語の隠れたテーマでもあったのではないか、と今回思ったわけです。
彼がただ一人愛した女性、メロディが思わぬ事故で死んでしまった、という事実も彼に追いうちをかけます。
そうした様々なことが彼にのしかかり、また、ブレットを死に追いやった責任から逃れることはできないと悟り、シドニーはすべてを捨てて放浪の旅に出ます。
自らの命が長くないことを知り(MRIで脳の損傷が判明)覚悟を決めて、メロディとの約束を果たしに行きます。
彼を追い続けた謎の男が登場しますが、彼はシドニーとピューリッツアー賞を争った作家のフランシス・ビショップで、いってみればシドニーを背後から守り導くエンジェルのような役目を果たしています。
死によってしか守ることができない魂の純潔、というと何やら大げさに聞こえますが、そういうものも確かにあるんだろうな、と宗教的ではない私も感じるところがありました。
妖精のようなメロディ(エル・ファニング)はイノセントを象徴しているのでしょう。
アメリカの深い闇を描いてはいますが、同時に、イノセント、そして魂のピュアな部分というのも、この映画の隠されたテーマではないかと、三度目の鑑賞で思った次第です。もしかすると、まだ何か隠されたテーマがあるかもしれません。
すごくいい映画で、いつまでも心に残る映画ですので、まだの方はぜひご覧になってくださいまし。