ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

東京8000歩さんぽ

2022-01-29 20:48:39 | さんぽ日和

アーティストデートについて書いたら、いろんな方からいろんなコメントをいただきました。

アーティストデートって素敵な名前、という方もいれば、

名前がイマイチだねっていう方もいて、

私自身も「アーティストデート」だと意味がうまく伝わらないかも、と思い始めました。

「誰とデートしたん?」って聞かれそうだしね。

(ちなみに、これは子ども時代を過ごした愛媛県の八幡浜近辺の愛媛弁です。時々関西弁が混じるのはそのせいか)

というわけで、個人的に(平凡だけど)、

「さんぽ日和」

と命名することにしました。

まあ、名前はともかく、こんな本を見つけたので紹介したいと思います。

「歩いて再発見! 東京8000歩さんぽ」(JTBパブリッシング)

これ、東京近辺の散歩コースの紹介本なのですが、

歩数別に紹介しているところがキモ。

そうか、歩数別のコースって良いではないか、と本屋で見つけて即購入。

先日の高幡不動尊詣では約9000歩。もうちょいで1万歩でした。

この本では、8000歩を中心に、5000歩、10000歩のコースも紹介されています。

シニアにはちょうどいい歩数です。

東京に住んで60年近くがたちますが、まだまだ知らない場所がたくさんある。

地元って案外詳しくないのよね。

日本語の生徒の方が詳しかったりします。

なので、日本語を教えるためにも東京を知っておかねば、と思ったわけ。

我家の近辺で、8000歩だと、

東小金井→野川公園→武蔵小金井駅

立川駅→昭和記念公園→立川駅

5000歩だと、

国分寺駅→武蔵国分寺公園→西国分寺駅

10000歩だと、

多磨駅→野川→深大寺→調布駅

といった具合で、身近な場所が紹介されています。

ここは行ったけどまた行ってみたい、とか、

ここは知らないなあ、とか、発見がたくさんあって、

眺めているだけでも楽しい本です。

日に日に日差しが明るくなってきて、春もすぐそこ、という今日この頃。

さんぽの予定をたてる、という楽しみができました。

皆さんも、さんぽ日和、試してみてはいかが?

さて、来月のさんぽ日和はどこに行こうかしら。

 

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今年最初のアーティストデート

2022-01-22 21:05:14 | さんぽ日和

今年最初のアーティストデート。

高幡不動尊に行ってきました。

アーティストデートというのは、去年の12月18日の記事、

「新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。(The Artist"s Way)」
 (ジュリア・キャメロン著 サンマーク出版)

という本で紹介された創造的な生き方をするためのアクションの一つ。

週に一度は自分のために時間を割いて、普段していないことをやってみよう、という挑戦です。

美術館や博物館に行く、映画を見に行く、知らない場所に行く、音楽を聴く・・

何でもいいけれど、必ず一人でやる、ということが大事。

今日は天気もよく風もなく穏やかで、アーティストデートには打ってつけの日でした。

私は中央線沿線に住んでいるので、立川からモノレールで行くことにしました。

モノレールに乗るの、何年ぶりだろう。

晴れていたので窓のむこうに富士山の雄姿がくっきり。

おお、美しいぞ、富士山。

高幡不動も久しぶり。

桜の季節に友人と来ましたが、あれから何年たつだろう。

気がつくと数年いや十数年単位で時間が過ぎていく。恐ろしや。

人生の残り時間も少なくなってきたので、

財布の中のコイン数えて、残りのお金で何買おう・・

てな心境です。

そこで、定期的にアーティストデートをしようと思い立ったわけ。

この本によると週一、とあるけど、週一で出かけるのはいろいろきついので、

二週間に一度くらいにしようかと思ってます。

で、今回は、高幡不動尊

寺の概要などはネットで調べればわかるので、省くことにして、

今日はまだ新年の賑わいが少し残っていて、人出も多くもなく少なくもなく、境内の屋台も多くもなく少なくもなく、すべてが程よい感じで、とてもよかった。

やっぱり日本のお寺はいいなあ。

若い頃はとにかく海外に行きたくて、海外で暮らしたくて、

海外で暮らした人を羨んだものですが、今はやっぱり日本がいいよね、

と思う。

特に神社やお寺に行くとそう思う。

高幡不動尊の境内にはたくさんのお堂があり、各々賽銭箱が置かれていて、

全部にお賽銭あげてたら、けっこうな額になりそうなので、

適当にコインを入れてお参りだけはしっかりしてきました。

お寺なので二拝二拍手一拝の作法はいりません。

でも、若いカップルがこれやってたなあ。

大小のだるまを売ってる店、とうがらし屋、焼きそばに甘酒など、

屋台もいろいろあって楽しい。

縁日の楽しさってまた格別よね。

でも、最近はコロナ禍で縁日もなくなりつつあるようで、寂しい限りです。

またすぐに復活するでしょうけどね。

帰りに立川に寄って、高島屋のキノシネマで

「ドライブ・マイ・カー」

を見ようと思ったら、30分前に行ったのにすでに満席。

残念。

近いうちまた行こうと思ってます。

そこで、喫茶店でケン・リュウの『もののあわれ』を一時間くらい読んでから帰りました。

ケン・リュウは中国のSF作家です。

『紙の動物園』がすごくよかったので、これも読み始めたところ。

日本的な「もののあわれ」感のあるSFです。

さて、2月はどこに行こうかな。

考えるだけでもワクワクしてきます。

今年はじゃんじゃん外に出よう。

そして、新しい自分を見つけよう、と思った矢先、

今日、東京ではオミクロン患者が1万人を超えたのだとか。

いつになったらコロナは終わるんだろうと、

ちょっと寂しい年の初めです。

(おみくじは「大吉」にゃん)

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「フェアウェル」 

2022-01-16 21:54:20 | 映画

しばらくのご無沙汰でした。

ちょっと風邪気味で熱も出たので、これはヤバいと思って近所の内科に行き、

抗体検査をしてもらった結果、

陰性。

ただの風邪ですね、といわれ、なんだ風邪なのね、とホッとしたものの、オミクロンが猛威を振るう中、ただの風邪といっても難しいところがあるので一週間自宅に閉じこもっていました。

もう完治したので大丈夫。

ちなみに、東京都では抗体検査は無料です。

で、久しぶりに中国の映画を見たので紹介します。

「フェアウェル」(ルル・ワン監督 2019年)

中国の映画はけっこう好きです。

なんだか、親戚の人の映像を見てるようで、ハリウッド映画とは違う親近感を感じます。

やっぱり私はアジア人なのねと、つくづく思います。

「フェアウェル」のストーリーはとてもわかりやすい。

主人公のビリー(女性)は幼い頃に中国から両親と共にNYにやって来た移民。

アメリカで育ったので、中国語はあまり堪能ではない。

ある日、ビリーの祖母ナイナイが末期ガンに侵され余命わずかと宣告され、両親は急遽中国に里帰りしますが、ビリーは来なくてよいと言われます。

ビリーはアメリカナイズされているので、祖母に真実を告げてしまう恐れがあったからです。

なぜなら、親戚一同はナイナイに余命わずかであることを隠し、ビリーの従兄弟の結婚式と称して、

親戚一同を集めて盛大な披露宴を開く計画をたてていたからです。

つまり、親戚一同はナイナイに嘘をつきとおすことを決意したわけです。

ビリーは両親が止めるのもかまわず、どうしても祖母に会いたくて両親の後から一人中国に行きます。

ビリーはナイナイに真実を伝えるべきだと言いますが、両親をはじめ親戚一同は最後まで嘘をつきとおすことをビリーに強要します。

「西洋では個人の命はその人のもの。でも、東洋では個人の命は全体の一部だ。家族や社会の一部さ」

とビリーの叔父は言います。

祖母の命は祖母だけのものではなく、家族や親戚一同に属している。だから親戚が真実を告げないという選択をしたのなら、それに従うしかないのだと。

いろんな場面でもう少しで嘘がバレそうになってハラハラするのだけど、ぎりぎりのところで回避され、

ナイナイは自分の病気について知らないまま、パーティを終える、というお話。

日本でも、最近は本人にガン宣告をするようになりましたが、私の母が亡くなった頃はガン宣告をすると死期が早くなるといわれ、父は母に嘘をつきとおしたものです。

でも、母は最期まで、もしかすると自分はガンなのではないかと疑心暗鬼になり、不安を抱いたまま亡くなっていきました。

この映画はもっとポジティブで親戚一同が何としても祖母に病気は快復しつつあると信じ込ませ、

結婚披露パーティを盛大に催すあたり、さすが中国、嘘も大きい。

そして、

「診断されて6年がたち・・

ナイナイは生きています。」

で、映画は終わります。

この盛大なパーティは功を奏したわけです。

でも、もしかすると、

祖母は気づいていて気づかないふりをしていたのかもしれない。

皆が自分をこんなに慕ってくれていることに感謝し、人生の最後の時間を大切に生きようと決意したのかもしれません。

それが祖母の気持ちを明るくポジティブに元気づけたので、寿命も延びたのかもしれない。

いずれにせよ、嘘は功を奏したわけで、めでたしめでたし。

また、ビリーが、中国とアメリカという二つの文化のはざまで、自分は一体どっちの文化圏の人間なのかと悩むシーンも度々あります。

アメリカの文化に染まったビリーは中国の親戚にはなじめないのですが、

ビリーにとって祖母はかけがえのない存在で、

それがまっすぐ伝わってくる映画でもありました。

もしかすると、ナイナイはビリーのこの気持ちに答えて、もうしばらく生きようと決意したのかもしれません。

私には、大家族の中で生きるというのがどういう感じなのか全くわからないのですが、

それはそれでけっこう大変そうでもあり、また、家族が助け合って生きるというのはこういうことなのか、と教えられた映画でもあります。

けっこう笑えるシーンもあって、中国映画、あまり見ない人にもお勧めです。

 

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「進撃の巨人」考

2022-01-05 10:01:21 | 映画

暮れから正月にかけて、Netflixでアニメ版「進撃の巨人」シーズン1~5を見ました。

といっても全話通して見たわけではなく、途中かなり飛ばしましたが。

(以下ネタバレあり)

シーズン2の終わりくらいで、巨人て人間だったのね、とわかったので、ネットであらすじを読み、シーズン3はすっ飛ばしてシーズン4-56話「地下室」からシーズン5の最後まで見ました。

なぜ見たかというと、息子が帰ってくるたびに「進撃の巨人見た?」としつこく聞くもので、

じゃあ正月休みに見てみるか、と挑戦したわけです。

で、感想としては、

長すぎる!

世界観は面白いけど、途中、巨人は人間だとわかるあたりから、

ナチスドイツのユダヤ人虐殺からヒントを得てるのね、とネタが割れ、

それって、旧態依然とした第二次大戦以前の世界観だよね、とかなりがっかりしたので、

二番目の感想としては、

古い!

そして何より、

グロい!

それぞれのキャラクターの心理描写が実に細かく描かれていて感動するシーンもあるけど、

見ていて疲れる。

考えてみるに、あれらの巨人が人間である、ということは、

人間そのものが人間にとっての最大の脅威である、という意味であり、

つまりは、自分にとっての最大の脅威は自分である、という風にも解釈できるかと。

巨人化すると無知無能になるのは、

恐れや怒りに我を忘れて自分自身を見失うというメタファーでもあり、

巨人は人間を喰うことで人間に戻ろうとしているんだ、という解説を読むと、

ふむふむなるほど、と思えてはくるんだけどね。

「世界は残酷だ」

という信念こそが、世界を残酷なものにしているのかもしれないよ。

ところで、

巨大生物による脅威、というテーマの映画はこれまでもずいぶん作られてきました。

おそらく最初の巨大生物映画(巨大メカ含む)は「ゴジラ」なんじゃないか・・

と書いてから調べてみたら、「キングコング」は1933年なので、初代「ゴジラ」より古いことが判明。

そうか、ゴジラの前にキングコングがいたのか・・

ともかく、

「ガンダム」にしろ「エヴァンゲリオン」にしろ「風の谷のナウシカ」の巨神兵にしろ、今回の「進撃の巨人」にしろ、

巨大なものに対して、人間は原始的かつ本能的な恐れを抱いているようです。
(生物に限らず、自然災害などの象徴であるかもしれないが)

もしかすると、原始時代に人類は恐竜と共生していたことがあり、その記憶がDNAに刻まれているのかも。

あるいは、宇宙人が人間の祖先を作ったというアヌンナキ伝説によると、その宇宙人は身の丈数メートルという巨人だったそうで、

巨人とは宇宙人のことなのかも・・

と想像は膨らむ。

いずれにせよ、巨人伝説には尽きせぬロマンがあるのですが、

「進撃の巨人」は結局のところ、戦争モノであり、兵士モノであるというところが限界なのかもしれない。

ゴジラもガンダムもエヴァもそうだけど、時代は移り変わっても男の子というのは、

戦争モノが大好きなのだなあ。

宮崎某にしろ、岡田某にしろ、戦争モノを語らせると目を輝かせて戦争ごっこ大好き少年に戻ってしまうからね。

男は殺し、女は産む、という世界はこの先も続いていくのだろうか。

続いてくんだろうね。

それを変革するのは、女しかいないじゃないですか!

さあ、立ち上がれ、女たち!

という物語を今年は探そうっと。

《追記》

最終巻で、始祖ユミルに巨人の力を授けた生物として、光るムカデ(カンブリア紀のハルキゲニアに似た生物)が登場するようです(12月28日の記事参照)。

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あけましておめでとうございます!

2022-01-02 12:05:10 | 日記

あけましておめでとうございます!

2022年の幕開けです。

元旦は穏やかに晴れて風もなく、

今年も何かよいことありそうな、そんな朝でした。

さて、

「あけましておめでとうございます」

という言葉には、日本古来の「予祝」という概念が含まれているそうです。

「予祝」とは平凡社「世界大百科事典」によると、

「豊作や多産を祈って、一年間の農作業や秋の豊作を模擬実演する呪術行事。農耕儀礼の一つとして〈予祝行事〉が行われることが多い。あらかじめ期待する結果を模擬的に表現すると、そのとおりの結果が得られるという俗信にもとづいて行われる。小正月に集中的に行われ,農耕開始の儀礼ともなっている。一種の占いを伴うこともある。庭田植(にわたうえ)、繭玉(まゆだま)、粟穂稗穂(あわほひえぼ)、鳥追、成木(なりき)責めなど地方色豊かなものが多い」

つまり、あらかじめ願い事が成就したと仮定して祝ってしまうことにより幸運を引き寄せるという、

いわば「引き寄せの法則」行事だったようです。

お正月に「おめでとうございます」と言うのも、

その年の収穫を、

「今年も豊作で実にめでたいのう」

とあらかじめ祝ってしまうことで、豊作を引き寄せる呪術的な慣習のようです。

そこで、

私も「予祝」をしようかと。

以下は、今年の終わりに皆の前でするスピーチです。

「2022年も暮れようとしています。

今年もいろいろありましたが、本当に収穫の多い年でした。

新しい出会いもあり、出会いが更なる収穫をもたらしてくれました。

また仕事面でも大いなる発展があり、想像を超えるほどの収入をもたらしてくれました。

一年前にこんなことが起きるなんて、誰が想像したでしょう。

私の人生はこれからどんどん発展し、うなぎ上りに上昇していくこと間違いなし。

2022年は私の人生の中で、最も記念すべき年となりました。

今年私を支えてくださったすべての皆さま、すべての物事、神羅万象に感謝します。

ありがとうございました!!」

書いていて、なんだか幸せな気分になりました。

まるで、すべてに満たされて豊かな年の瀬を迎えた私自身になった気分です。

さて、皆さんの「予祝」はどんな感じでしょうか。

2022年もいよいよスタートしました。

「新しい年」って響きもいいよね。

今年もいいこといっぱいありそうね。

さあ、頑張ろう!

 

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