ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

こんまりメソッドでお片付け。(3)

2020-10-28 13:34:11 | 日記

お片付けは続くよどこまでも。

しばらく中断していましたが再開。

我家には夥しい数の紙類がありまして、本もその一つなのですが、最近は、日本語レッスン用の資料やコピーが山のようにあって、

でも、これは捨てられないよなあ、でも、取っておくのも大変だしなあ、と思いあぐねています。

N5からN1までのテキストだけでも机をすっかり占領しています。これをすっきり収めるにはもう一つ本棚が必要だけど、新しい家具は買いたくない。今あるものを利用しようとしたら、やはり不要な本や紙類を捨てるしかない。

ミニマリストたちの動画を見ていると家の中に何もない。あれは本当だろうかと常々疑問に思っています。

テキスト類はもちろんのこと、他にも書類はたくさんある。

確定申告に必要な書類(過去の確定申告書類も要保存)、市や団地自治会からのお知らせ(健康診断や医療費関係、自治会のお知らせ、ゴミ収集日の変更等)、クリーニング屋やドラッグストアのディスカウント情報、廃品回収のお知らせ・・捨てると困る紙類はけっこうあります。

後回しにしている書類も多い。払い込むべき請求書、同窓会のお知らせ(参加すべきか欠席すべきか考慮中)、まだ返事を出していない友人の手紙、開封していないDM類、保険会社や携帯電話会社からのお知らせ・・

これらの書類を彼らは一体どこに隠しているんだろうか。

もちろん彼らはこう言います。先延ばしにせずその場で開封処理。でもねえ、これをきっちりやろうとすると、脳みその別の部分(未知の部分?)を働かせないといけないのですよ。

結局、お片付けというのは、脳みその使い方を変更せよ、ということなのかしら。

物理的なモノの話ではなく、身体的な改変(あるいは新たな身体能力を身につけよ!)ということなのかしら。

映画「ゲットアウト」みたいに脳みそを全とっかえできればいいのだけど。

こんまりさんは、途中で挫折しかける人もいるけど、大丈夫よ、と言ってますが、

ホントに大丈夫なのか?

だって紙類は日々増加していく。

梅雨時のキノコみたいに、あっという間ににょきにょき生えてくる。

毎日何かしらポストに入ってる。チラシ類は即捨てるけど、中には重要なお知らせもあり、もしかして後で必要になるかもしれない情報もあるかも・・

モノは捨てられても、情報は捨てられない。

ミニマリストたちと捨てられない人たちの脳みその違いって、もしかするとここ?

彼らは言います。もしかして(将来)必要になるかもしれない、と取っておくのではなく、今ここに生きる、それを大事にする。

でも、それを判断するのはやっぱり脳みそで、結局は脳みその新たな使い方を開拓せよ、身体能力を改変せよ、ということなのでは?

と堂々巡りしています。

あと、捨てるモノは出したけど、どうやって捨てる?

というのが最大の難関です。

押し入れに残っている缶詰類を捨てるには、中身を出さないといけないわけで、この作業がこれから必要になります。

一つひとつ缶を開けて中身を捨てていくうちに、

ああ、もったいないことをした、と後悔の念にかられることでしょう。

下駄箱を占領している古い靴や傘、重くて使い勝手の悪い昔の携帯傘、カビの生えた革靴・・

何年も使ってない食器類。いまだに放置している縁の欠けた皿や茶わん類。

何より最大の難関は古い家具。どうやって捨てるんじゃい?

あんなに大事だった本を大量に売ってしまったのに、なぜにこんなモノたちがまだ残ってる?

もちろん、彼らにも大事な役割があったわけなので、感謝して丁重に退去をお願いしようと思ってはいますが。

ああ、先はまだまだ遠い。

続くかしら・・

と少し弱気になっている私ですねん。

でも、やるしかない。頑張らねば。

また報告しますね。

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こんまりメソッドでお片付け。(2)

2020-10-25 11:51:10 | 日記

こんまりメソッドでお片付け。その2。

今回は「本」です。

本て、とにかく重いのよ。

昔、司書をしていたので本の扱いには慣れていますが、あの頃とは違って私も年取った。重たいものが持てない。リウマチ持ちなので手に力が入らない。

特に本棚の上の方ね。

脚立を使って何とか本の顔は見えるんだけど、いざ取ろうとすると、バランスは悪いわ力はないわで、おっとっと、と危ない場面も・・

でも、洋服と違って本の総量はそう多くないと思いました。700冊くらいかな。

3・11の直後に大量処分したので。たぶん千冊くらい(もっとかも)売った。

児童書の大半・・「ハリー・ポッター」「ナルニア国物語」「ムーミン」シリーズなど、いい本いっぱいあったのに。絵本もたくさんあったのに)売った。

残ったのは文庫本と、旅行ガイド、スピ系、ハウツー本などの実用書と日本語のテキスト。

総じて我家の本棚は全くインテリジェンスを感じさせない、実用本位の本棚と相成りました。昔は違ったのよ。宮沢賢治全集、世界文学全集、哲学書なんかもけっこうあったのに、全部売った。

大事な本、売るんじゃなかった。

もう手に入らない本たくさんあったのに。

でも、あの頃、私は本気で日本脱出を考えていたのでした。

若い頃から一度でいいから海外で暮らしたいと思っていて(でも金なしコネなし時間なし)、そしたら原発事故があって(チャンス到来?)日本を脱出しようと思ったわけです。

なので、できるだけモノは手放そうと。執着している本から手放そうと。

あれから10年近くの時間がたち、私も歳をとりました。

もう、海外で暮らすのは無理だろうなあ。日本で暮らすのだって、けっこうしんどいし、引っ越しも無理だろうなあ、ここで死ぬまで暮らすんだなあ・・

となんかちょっぴりセンチになったりもしてます。

本を片付ける際の注意。

中身を読むなら短時間で。

そうそう、これまだ読んでなかったなあ、どれどれ・・

という具合であっという間に30分が過ぎ・・

ちっともはかどらない。

こんまり流の「ときめき」、本の場合はやはり中身に関係するので、どうしたってちょっと読まないわけにはいかない。ちょっとだけね、と読み始めると・・

でも、おかげでまだ読んでないミステリーが数冊見つかり、しばらくは楽しめそうです。

大量に本を売ったけど、不思議と難を逃れた本たちもけっこういて、たとえば、ポール・ギャリコの「ほんものの魔法使い」や「ルイスと魔法使い協会」なんか。よくぞ生き伸びた。

「指輪物語」や「トワイライト」は文庫本なので難を逃れ、「ミレニアム」もなぜか本棚の奥で眠っています。

でもまあ、本もモノなので、本当に必要かどうか、所有すべきかどうか、今いちど考えてみる必要がありそうです。

売ってしまって惜しい本もあるけど、日々の生活に支障はないわけで。天国に持っていけるものでもなし。

手放したことに対する罪悪感や執着って何? 

と考えたりもしています。

昔、引っ越しの際に中身を見ないで捨てた段ボール箱がありました(忙しさのあまりパニックになり捨てた)。中身を見ずに捨てた、ということだけは覚えているけど、何が入っていたのか今も謎です。

つまり、捨ててもどうってことないモノだったということ。

私たちが所有しているモノの大半はそんな気がします。

モノを所有するって何なのだろう・・

もう一度じっくり考えてみる必要がありそうです。

といいつつ、

なかなか捨てられないのよねえ。

困ったもんだ。

(猫は何も持たにゃい)

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こんまりメソッドでお片付け。

2020-10-21 15:19:52 | 日記

最近、映画も少し飽きてきて、もっぱらYouTubeを見るようになりました。

これがねえ、面白いのよ。

よく見ているのは、ヨガシャラ(ここでも紹介しましたね)、岡田斗司夫の映画評、町山智弘の映画&アメリカ大統領選の話、デイブ・フロムショー、ナオキマンショー、などのオカルト系、バシャールなどのスピ系、樺沢紫苑の樺チャンネル、マコなり社長の動画・・

そして、こんまりこと近藤麻理恵のお片付け動画、

「こんまりちゃんねる」!

これにすっかりハマっています。この動画に触発されて、ついに私もお片付けを始めることにしたのです!

こんまりさんて、不思議な人です。お片付け系動画、ずいぶんいろいろ見ましたが、やっぱりこんまりさんに戻っていくのよね。

かわいいし、見てるだけでほんわかしてきます。一日一度はこんまりさんに会いたくなる、というわけですっかりファンになりました。

断捨離の「断つ」「捨てる」「離れる」はなんだか厳格な印象があって、私は好きじゃない。なんか怒られてるみたいでね。

たかが物に対して(という言い方自体を改めよ、と言われそうですが)、そこまで厳格にならなくても。人生どう生きたっていいじゃない、と思うので。

でも、こんまりさんは「ときめき」よ♡。

厳しさとは無縁。あれはだめ、これもだめ、~すべき、というのがほとんどない。

私のような怠け者にはぴったりのお片付け術です。

とはいえ、

始めてみるとけっこう大変。

まずは洋服から始めます。

 洋服→本→書類→小物類→思い出の品

の順に片付けていくのがこんまり流。

そこで、家じゅうの服を一か所に集めます。夏服も冬服も全部出す。

ベッドの上に積み上げると、

ええー、私、こんなに持ってたっけ? となります。

Netflixでみたアメリカの実例ほどではありませんが。

ちなみに、Netflixで「KonMari~人生がときめく片付けの魔法」というお片付けドキュメンタリー(アメリカ編)をやってます。これ一見の価値あり。アメリカって国はもう・・って思うよ。

何しろ家の大きさが半端ない。個人が所有している物の夥しさも半端ない。

それに比べたら、我家なんてかわいいものよ。それなのに、なぜにこんなに服がある?

クローゼットの中に吊るしっ放しにしてあったコートやジャケット、10年以上前に一度着たことがあるかな、という上着やセーターなど。

とにかく全部出します。

自分が持っている服の総量を知ることが大事。そこから片付けが始まるというわけ。

そして、一つひとつ必ず手で触ってみて、ときめくかどうか確かめますが、

これが、けっこう難しいのよ。

まずは「ときめく」ってどんなかんじ? というのがわからない。

でも、「ときめかない」は何となくわかる。流行遅れだし、似合わない色だし、触れるとズンと体が沈みこむ感じがする・・

こういうのは「ときめく」ものじゃないから、捨てる方に。

「ありがとうございました」とお礼を言ってからゴミ袋に。

でもね、やってみると、実のところ、ほとんどがそっちなのですよ。ときめかない服ばっかり。

こりゃどうしたことか。

こんまりさんも言ってたけど、洋服を選ぶときに「ときめき」で選んでいない。安いから、無難だから、とりあえず必要だから・・買う。そういう服ばっか。もちろんオーダーメイドの服なんて一着もないし。

そうして出来上がったのが我家のクローゼットなのだ、と気づいたわけ。

なるほどなあ。

私って自分を大切にしてこなかったんだなあ。

こうして、いろんなことに気づかせてもらってるんだなあ、とつくづく思いました。

それでも、全くときめく服がないわけでもない。

10年くらい前に購入した秋用のジャケット、袖口なんて擦れてきてるけど、これは好きなので「ときめく」方へ。

去年購入したレインコート(珍しくユニクロや無印ではなくブティックのバーゲンで購入)。これも「ときめく」なあ。

それから、古くなったけど着心地のいいセーター、無印のアルパカのセーター。

でも「ときめく」服って本当に数少ない。いかに安物買いをしていたかがわかります。

これからはユニクロのバーゲンで買うのはやめよう。

本当に必要なときに必要なものだけを、今あるものと引き換えに買おう(一つ買ったら一つ捨てる)。

よく言われていることですが、本当なんだなあ、と実感しました。

というわけで、

ゴミ袋ぎゅう詰め2杯分の服を市のリサイクルに出すことにしました。

片付けは始まったばかりですが、昨日一日奮闘して今日は疲れたのでちょっとお休み。

次は「本」なのですが、

はたして出来るのだろうか・・私に。

というわけで、次回また報告しますね。

人生の秋もたけなわの今、お片付けにはかっこうのシーズン。皆さんもいかが?

 

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みかんの丘

2020-10-18 10:31:50 | 映画

 

アマゾンプライムで見た映画、

「みかんの丘」
(ザザ・ウルシャゼ監督 ジョージア、エストニア共同制作 2016年)

がマイナーだけど、とてもよかったので紹介したいと思います。

岩波ホールで2016年に公開された映画で、今回アマプラでタダで見れるので、この機会にぜひ。

映画の舞台はアブハジアの山間部。

といってもどこかわからないでしょ。
私も知らなかったので調べてみました。

アブハジアとは、カフカース(コーカサス)地方にあるジョージア(昔はグルジアと呼ばれていた)の一部で、現在はアブハジア共和国として独立状態にあるようです。

独立状態にある、というのは、ジョージアがアブハジアを独立国として認めていないから。国際的にアブハジアを独立国と認めている国はまだ少ないようです。

1992年、ジョージアとアブハジアの間で紛争が起こり、アブハジアに移住していたエストニア人の多くはエストニアに帰国しました(アブハジアには多くのエストニア系移民が住んでいました)。

この紛争に、ジョージアと対立しているチェチェン人も関わってきます。

つまり紛争地帯というわけ。

映画の登場人物は四人。

エストニア人のイヴォ。彼の家族は皆エストニアに帰国し、彼は一人ここに残っています。みかんの木箱を製造しています。

イヴォの隣人のマルゴスもエストニア人でみかん農家。イヴォと同じく一人暮らし。

みかんはアブハジアの特産品です。

マルゴスの家の近くで衝突が起きて、チェチェン人とジョージア人の兵士たちが銃撃戦で死にますが、イヴォとマルゴスはその中の二人の兵士を助けます。

一人はアハメド(チェチェン人でイスラム教徒)、もう一人はニカ(ジョージア人でキリスト教徒)。

敵対する二人が命を助けられるのです。

イヴォの家で、最初のうち二人は敵対し、睨み合い、傷が治ったら殺してやる、と息巻くのですが、やがて同じ人間同士、憎み合い殺し合うことの不条理さに気づいていく・・

というお話です。

ストーリーは淡々と進みます。
大きな盛り上がりもないし音楽もわずかです。

静かな山間のみかん畑を背景に、戦争はどこか遠い景色のようですが、近くで戦闘があり、マルゴスの家も放火されたりと穏やかに暮らしている老人たちの身に戦争が迫ってきます。

イヴォの静かな眼差しが印象的です。

彼はたくさんの悲劇を見てきたに違いありません。

そんな中でも人間らしさを失わない彼の行動には胸を打たれます。

彼がなぜエストニアに帰国しないのかは語られませんが、最後まで見るとその理由がわかります。

静かだけれど、戦争の愚かさ、人が殺し合うことの不条理さを訴えるいい映画です。

ちなみに私の日本語の生徒の一人がエストニア人だったので、こんな歴史があったのねと身近に感じました。

紛争地帯は世界中にまだたくさんあるようです。
日本はなんて平和な国なんだろう、とも思いました。

 

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記憶についてなど。

2020-10-14 16:01:18 | 日記

最近、オールディーズの曲を聴きながらなつかしく昔のことを思い出したりしていました。

ビートルズとか山下達郎とか・・

かれこれ100年くらい前のことなんですけどね。

年取ると、昨日の晩飯より昔の記憶の方が鮮明になるといわれていますが、その通りね。

青春時代の恋と失恋の物語、闘いに勝利した鮮やかな記憶(というような・・)

その時、ふと思ったのです。

あれらは本当に私の過去の出来事だったのだろうか、と。

たとえば、一つの出来事(A君とデートした)記憶があるとします。

あれはたしか高校生の時だったよね?

そうそう、大磯の海で泳いだよね。美しいひと夏の思い出・・

あれ、でも高校時代、私はまだA君と出会っていなかった気がするんだけど・・

A君と出会ったのはいつ?

もしかして別々の高校だった?

あるいは大学時代か?

でも大学生の頃はバイトに忙しくてデートなんてしてる暇なかった。

いやいや大人になってから同窓会でばったり・・ 

でも社会人になってからはもっと忙しくて同窓会にも行ってないし・・

じゃあ、中学時代? でも中学の頃、私は東京にはいなかった・・

というような(あくまでも例えですが)矛盾が生じてきて、いくら思い出そうとしても記憶は矛盾だらけで何がどうなっていたのか、わからないのですよ。

こりゃ一体どうしたことか。

つまり、記憶ってあてにならない。案外簡単に書き換えられるみたい。

なので、自分では絶対こうだった、と思っても一緒にいた友人の記憶は全然違っていたりします。

友人の記憶が間違っているかもしれないし、二人とも間違っているかもしれない。

それを記憶している人(あるいは記憶媒体)がなくなれば事実だって消えてしまいます。

アニメ「リメンバー・ミー」にもあるように、死者の国ではその人を記憶している生者がいなくなったとき、存在が消えます。

(これはいい映画なのでまだの人はぜひ)

存在する、というのは誰かが記憶しているから。誰も記憶していないなら、それは存在しないも同然。

だから私たちは必死で(嘘かもしれないけど)自分の過去を記憶にとどめようとするのかもしれません。

ならば・・

と私は思ったのですよ。

あえていい記憶だけ残したらどうかと。

どうせ記憶は捏造されるのだから、これは本当はこうだった、と自分に言い聞かせるのです。

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」

とチャップリンも言っているように、どんな悲劇にも喜劇的な要素はあります。

私たちが辛い悲しい過去を持っていたとしても、遠くから見ると喜劇かもしれない。

そして、今や私は自らの過去からとても遠い場所まで来てしまいました。

ここから見ると青春時代の失敗も失恋も、喜劇として見ることができます。

A君と出会ったのは高校生の頃で、私たちにはひと夏の美しい思い出があるけど、振ったのは私よ!

人生の脚本の書き換え(記憶の書き換え)というのは、カウンセリングの一つの手法でもあります。

潜在意識に深く刻み込まれたトラウマは、そう簡単には解消できないかもしれないけど、でも徐々に薄まっていくのはたしかです。

そして、私くらいの年になると、それはそれでこの人生の良き思い出の一つであるぞよ、と捉えられるようになりますねん。

年とるのも悪くないよ。

というわけで、皆さん、どうかお元気で。

 

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